「露子と新太郎」  第11話

 飯島の家に帰ると今日は今までと違い、いつも露ちゃんがやる作業が待っていた。庭の掃除や夕食の手伝いなどだ。庭の作業は何でもないが、夕食の手伝いは問題だ。景子と一緒に作業しなくてはならないからだ。わたしのことがバレる可能性もあるからだ。美香は
「多分、姿形からは判らないと思うけど、もしかして麗子さん料理苦手?」
 やはり判るのかと苦笑いした。
「じゃあ、何とか考える……あ、良い事考えた。買い物に行って貰うというのが良いわ。忘れ物をして、それを麗子さんに買いに行って貰うの。どう?」
 そんなことを言っていたら美香の携帯が鳴った。相手は母親の景子だった。
「麗子さん。安心して! お母さん出かけるんだって。お父さんが忘れ物したから会社に届け出て、ついでに友達とご飯食べて帰るから、夕飯は二人で何か作って食べなさい。だって。良かってね麗子さん」
 何はともあれ、助かったのは事実だが、景子も母親としてはどうなのか? 未成年の娘二人を残して適当に食べておけって……少し無責任ではないかと思った。気がついたかも知れないが、あれから美香は、前の「ママ」という呼び方は変えている。
 飯島の家に帰ると美香が
「何を作る? 麗子さんの好きなものでいいよ」
 そう言われても好き嫌いはないが特に好きというものもないのだ。これは意外に困ることだ。
「何でも良いんだけど。何があるの?」
 美香が見せてくれた材料は、豚肉(バラ)、竹の子、人参、ピーマン、椎茸、玉葱、それにパイナップルの缶詰だった。
「酢豚しかないじゃない」
 わたしのひと言で「酢豚」に決まった。
 水煮の竹の子を小さな乱切りにする。人参も、椎茸もピーマンも、そんな感じに切り、ボールに入れておく。
 玉葱は皮を剥くのだが、わたしが目から涙を流してると美香が笑ってる。そういえばこの子、前は笑ったことなんてなかったと思い出した。
 向いた玉葱は縦に四つに切り、それを更に横に半分に切る。八分の一になったのを更に細かく切る。野菜はこれで準備完了。次はばら肉だ。
 塊なのでこれを二センチ四方の大きさに切る。これは美香が切り分けた。この子、包丁を使い慣れてると思った。
「毎日、露子に教えて貰っていたからね。これぐらいは出来るよ」
 それが自慢なのだろう。そう言った顔が嬉しそうだった。
 この肉を、醤油、胡麻油、お酒の混ぜた調味料に漬けておく、これは十分もあれば良いそうだ。
 酢、醤油、砂糖、お酒、みりん、片栗粉を混ぜて「甘酢あん」の元を作っておく。
 味の付いたバラ肉に片栗粉をまぶして、沸いた油の中に入れて揚げる。上がったら、野菜も軽く油通しをして軽く火を通しておく。
 揚がったら、フライパンに野菜と肉を入れて手早くかき混ぜる。
 混ざったら、「甘酢あん」の元を入れて軽く混ぜ続ける。
 次第に火が通り、とろみが出て来て、透明感が出て来たら完成。ほとんどを美香がやってくれた。わたしは玉葱の皮を剥いただけだった。
 出来上がった、茶色の透明な「酢豚」をお皿に盛りつけながら美香が
「わたし安心した。麗子さんでも苦手なものがあったのね」
 そう言って嬉しそうな顔をしている。
「当たり前じゃない。わたしなんか苦手なものばかりよ」
「でも、麗子さんて、露子の恋の応援はするし、学校だっていい所に通ってるし、美人だし、スタイル良いし、万能なんだと思ってた」
 ああ、この年頃にある「年上の人コンプレックス」だとは思ったが
「そんなことないよ。さあ熱いうちに食べよう!」
「そうですね」
 お互いにそう言って笑い、夕食のテーブルについた
 食べ終わりかたして、お風呂を沸かし、お互いに入ってしまうとやることがなくなった。そこで、わたしは露ちゃんの部屋で、美香と黒川くんが上手く行くような作戦はないか考えることにしたのだ。
「まずは、お天気の話かな。それが上手く行ったら、世間話とか……」
「何だか、年寄りみたいですね」
 確かに美香の言う通りだと思う。何か良い知恵はないかと考えるのだが、何せ露ちゃんと新太郎の場合はこっちは何もしないでも引き合ったので、常識が通じなかったのだ。
「今まで、何か会話とかはあったの?」
「事務的なことだけで、特には……あ、でも最初入塾した時に『飯島美香です』って自己紹介したら、ちょっと驚いた感じでした。すぐに普通の顔に戻りましたけど……」
 そのぐらいじゃ、やはりお天気の話から始めないとならないと思った。
「兎に角、次に行った時にお天気の話をしてみることね。全てはそこからだと思う」
「判りました。もうすぐ母親が帰って来るので、部屋に戻っておかなきゃ。じゃ、後で」
 そう言い残して美香は隣の自室に帰って行った。
 それから間もなく景子が帰って来たみたいだった。普通ならこの時間露ちゃんは寝る時間なので部屋からは出て来ないと美香が言っていたので、わたしもその通りにする。
 それから、どのぐらい経ったろうか、表に人の気配がした。そっと裏口を開けて暗い庭に出て見ると、逆光になっていたが、露ちゃんと新太郎のシルエットだった。声を掛けようとした瞬間、二人の影が重なった。抱き合って濃厚なキスをしたのだ。
 わたしは、思わず暗い場所に隠れて様子を伺った。二人はいつまでも抱き合ったままだった。やがて二人の唇が離れ、軽い糸が引いていた。本気の二人のキスに関係が進んでると思わせた。やがてこのわたしの判断は間違っていなかったと判るのだが……
「新太郎さん。お別れが辛いです。このまま朝まで一緒に過ごしたいです」
 露ちゃんの細い声が聞こえる。そうなんだろうなと思う。恋する人とは一時でも離れたくはないものだと言う。
「露子、僕もだよ。このまま君をさらって行ってしまいたい。明日の朝と言わず、永遠に離れたくないよ」
 うわ~新太郎の口からこんなセリフが出るなんて、想像すらしていなかった。
「嬉しいです新太郎さん。そこまで思われて露子は幸せです」
 そう言って二人は更にしっかりと抱き合った。わたしには目の毒だと本気で思う。
「余り遅くなると怪しまれるし山本にも悪い。今日はこれまでとしよう」
「はい、でもお別れが辛いです」
「それは僕も同じだよ」
「次は?」
「近いうちに、山本を通じて繋ぎをつけるから」
「きっとですよ。いつまでも待ってると露子は死んでしまいます」
「そんなことはさせない」
 何回かやり取りが終わって、わたしの携帯が振動した。何食わぬ顔で裏口の所まで戻り、今開けたように振る舞う。
「お帰り露ちゃん」
「ただいまです。遅くまですいませんでした」
「いいのよ。楽しかった?」
「はい!」
 思えばこんなことを訊いたわたしも馬鹿だった。それから、今日やったことを話してわたしは帰路についた。
 もう少しで家という公園の前で、驚いたことに新太郎が立っていた。わたしを待っていたのだ。
「山本、話があるんだ」
 その表情は暗かったが街頭に照らされたそれは、先程の甘い会話をした人間とは思えなかった。