2020年02月

風に吹かれて 25

 会が終わって打ち上げがあるのは何時ものことだが、今日は少し雰囲気が違っていた。メンバーの中に文師が怒って帰ってしまったことが頭にあったからだ。喬一郎が小艶に
「アニさん。この会もどうなるんですかねえ。まさか終わりとか?」
 心細げな喬一郎に小艶は
「ま、大丈夫だとは思うよ。乾先生の後に圓城師と文染師が何か話していたからね」
「何を話していたのでしょうか}
 喬一郎が疑問を口にすると、斜め前に座っていた白鷺が
「師匠は文染師に色々と言ったらしいですよ」
 白鷺は圓城の目的を予め聞かされていたらしい
「色々とは?」
 小艶も興味を持って尋ねる
「一言で言えば『ぼやき居酒屋』じゃ無くて『さよならエニー』をやれば良かったと言ったそうですよ」
「『さよならエニー』って自身の披露興行の時にネタ降ろしをした新しい噺ですよね」
 さすがに喬一郎も知っていた。
 そこへ圓城が遅れて顔を出した。
「いや文染さんを東京駅まで送って行っていてね」
 そう言ってニヤリと笑った圓城の表情を見て喬一郎は
「今白鷺アニさんから聞いたのですが、『さよならエニー』をやってれば良かったと」
 そう尋ねると圓城は
「ああ、そう言ったよ。当たり前じゃないか。芸の出し惜しみはするなと言ったんだ。こっちは皆真剣にやってるんだ。多少実験的な事もやってるけど、これからの新作は今まで通りじゃ駄目だとも言ったな」
 注がれたビールに口をつけると
「俺の噺もそうだけど、今の新作の殆どは古典の手法、構成から抜け出していない。新しいことを語っているように見えて、その実、手法は古典そのものなんだよ。一見新しそうに見えても実は古典で既に使われていた手法だと言う事も数多くあった」
 圓城の言葉に喬一郎は
「でも、古典に使われていない手法というのは、もはや……」
 そう食い下がると
「そう、新しい手法は並大抵ではない。でもいつかは作らなかればならない。それまでは」
「それまでは……?」
 その場に居た、喬一郎、小艶、白鷺が声を揃える。
「古典落語のエキスを新作にも導入するんだよ」
 圓城の言葉に一同は声も出ない
「我々が作っている新作落語は、基本的は古典の否定から始まっている。でも実際は古典落語の手法から抜け出せていない訳だ。ならいっそ、新しい手法が見つかるまでは、古典のエキスを導入しようと言う試みさ」
 それまで聞いて喬一郎は自分のやり方に自信を持った。
「古典落語の中には、何時の時代でも変わらない普遍的な価値観が流れている。今までの我々の噺はそれを否定する事から生まれていたが、その選択肢が笑いの幅を狭めてしまっていたと言うことなんんだ」
「全く新しい考えですね」
 小艶が考えながら呟くと
「最終的には文染師も理解してくれたよ」
 そう言ってグラスのビールを空けた。
 翌日の夕刊には第二回の「革命落語会」の模様が記事として載せられていた。神山が書いた記事ではなかったが、内容は神山の考えと、そう隔たってはいなかった。
「昨夜の『革命落語会』は新しい試みが多く試された。普通の落語会であれば、結果を重視する余り、ネタに新鮮味がなく今までウケているネタに走りがちだが、この日のネタはそれぞれが持ち味を出して新しい試みが幾つも試されていた。結果としてみればそれが全て上手く行ったとは言い難いが、この会の目的とすれば大した問題ではないのだろう」
 凡そそんな内容だった。神山はそれを読みながら自分だったら、もう少し辛口に書いたと思った。神山と佐伯はその後、圓城と文染が話した事を知らない。仙蔵にも自分が感じた事を伝えていた。
 
 浅草の昼席の楽屋には喬一郎が入っていた。昼席のトリである。中日を過ぎて新作が二日、古典が三日となっていた。この芝居には仙蔵が仲入りで出ている。通常ならその後の仕事もあり帰ってしまうのだが、六日目の今日は残っていた。目的は喬一郎に会う為である
「おはようございます」
 喬一郎がが楽屋に入って見ると二間続きの楽屋の奥に仙蔵が座っていた。
「おうご苦労様」
「あ、仙蔵師匠」
「なんか色々とあったらしいな。聞いてるぜ」
 仙蔵の言葉に喬一郎は
「まあ、それで……今日終わったらお時間ありますか?」
「そう来ると思っていたんだ。だから暇な今日は残っていたんだよ」
「ありがとうございます!」
  その日、喬一郎は「幇間腹」をやって高座を降りた。そして仙蔵と二人夕暮れの浅草の街に消えて行った。この夜二人が何を話したのかは、当人のみが知るところとなった。

風に吹かれて 24

 圓城の高座が終わり、文染の出囃子「本調子中の舞」が流れ出すと会場からは席を立つ者が現れた。それも数名ではない、少なく数えても十名以上はいると神山は思った。
「おい結構帰るぞ」
 佐伯が驚いて呟くと神山が
「ああ、そうだな。演目が『ぼやき居酒屋』とパンフレットに書かれているからな」
 そう言って帰る客の行動に理解を示した。佐伯は
「おいどういう事だ。それは」
 そう言って神山の考えを尋ねる。
「だって考えても見ろよ。あの演目は東京じゃ柳家ゑん治師匠が得意にしているじゃないか。年中寄席でやっている。有る意味、聞き慣れているんじゃないか」
「だって、本家本元だぜ」
「だから?」
 神山の意外な返答に佐伯は戸惑ってしまった。上方落語協会の会長で、しかも新作をずっと作り続けていて、その作品は二百を超えるとも言われている。そんな噺家が東京で演じるのだ。新作ファンとしてみれば見逃すはずが無いだろうと佐伯は考えたのだ。戸惑っている佐伯に神山は
「こう言っては悪いが、文染師の噺は誰が演じてもある程度は面白い。しかし、どうしても彼でなければと言う噺ではないだろう。それにゑん治師匠の惚けた味わいが彼の作る噺には合ってるんだな。だから、改めて聴く必要が無いと思ったのだろう」
 神山の説明を聞いても佐伯は今ひとつ納得出来なかった。
 自分の出囃子が鳴り、高座に出て行こうとした時に十名以上の客が席を立ったのを文染は高座の袖で見てしまった。こんな事はここ暫くは無かったことだった。わざわざ東京まで出て来てこんな屈辱を覚えるとは思わなかったのだ。だが平静を装って高座に向かった。それでも降り注ぐような拍手が起きた。座布団に座り頭を下げる
「え〜トリでございます。何やら御用がある方がいらっしゃるようで、誠に残念でございます。くれぐれも外に出た途端に交通事故に合わないようにお祈り申し上げます」
 目の前の出来事を笑いで返すと会場からもドッと笑い声が起きる。
「お酒と言うものは実に良いものですなぁ。暑い時は良く冷えたビールが美味しいし、寒い時は熱燗で一杯やりたくなりますな」
 早速噺に入って行く。噺はある居酒屋に来た客と店主とのやりとりで進んで行く
「お客さん。それソースですよ」
「え、これソースなの? 冷奴にソースかけちゃった。でもソースって書いてないじゃない」
「いや、赤いキャップは醤油、黄色のキャップはソースと相場が決まっていますよ」
「へえ〜初めて聞いたなぁ。それって全国的に決まってるのかい? 何か法律で決められたの?」
「いや、そういう訳じゃありませんけど、普通はそうなってます」
「普通って何?」
「普通は普通ですよ」
「親父さん。言っちゃ悪いけど、ここ少し灯りの影になっててさ。それに俺老眼だから暗いと良く見えないんだよね」
 何のかんのと言って客は親父に食い下がる
「判りましたよ。サービスして新しいのを出しますから」
 親父が折れてそういうと
「そう、嬉しいなぁ〜」
「じゃそのソースかけた奴こっちで引取りますから」
「え、持って行っちゃうの?」
「ええ、だって食べられないでしょ」
「いいやこれはこれでオツだと思っていたんだよ」
 そんなことを言いながら結局冷奴をふた皿食べてしまう。その他にも色々と絡む。そして
「親父さん。こんな商売してるとストレスが溜まるだろう」
「まあ、そうですねえ」
「俺もなんだよ」
「お客さんは何の商売をなさってるんですか?」
「俺か? 俺も実は居酒屋なんだよ」
 オチを言って座布団を外して
「ありがとうございました。ありがとうございました」
 と頭を下げる姿に被せるように緞帳が降りて行く。でも文染には聴こえていた。オチを言う寸前に客席から小さな声で
『居酒屋』
 と聴こえた事を……。
「お疲れ様でした!」
 高座の袖では白鷺、喬一郎、小艶、圓城が出迎える。文染は青ざめた表情のまま、素通りして自分の楽屋に帰ってしまった。
「何だあれ?」
 小艶が呆然とした表情で呟く。喬一郎も
「何かあったのですかね」
 そう言って不思議がる。白鷺が
「十数名帰ったのがショックだったのですかね?」
 そう疑問を口にすると圓城が
「お前ら気がつかなかったか? 下げを言う前に客席からオチを言われてしまったんだよ。これは噺家としては屈辱だろうさ」
 そう言って真相を解説すると白鷺が
「演目が悪かったですよね。こっちの客は皆知ってるもの」
 そう言ってネタの選定に誤りがあったのだと語った。
「乾先生は?」
 小艶の言葉に圓城が
「顔色変えて楽屋に向かったよ。これから荒れるよ」
 そう言って少し嬉しそうな表情を見せた。それを見て喬一郎は今日、文染を呼んだのは圓城が仕組んだのだと直感した。喬一郎は圓城が何を考えているのかさすがに直ぐには理解出来なかった。
 文染の楽屋では文染が付き人に手伝わせて着物を脱いでいる所だった。そこに乾が駆けつけた
「師匠本当にご苦労様でした」
 取り敢えずそう言うが文染は明らかに腹を立てていることが伺えた
「今日の客の中には礼儀を知らない者がいましたな」
 オチのことだと乾は直ぐに理解した。
「まあ、今日の噺はこちらでもお馴染みの噺ですから」
 乾がそう言って取り繕うと
「それでも口に出さないのが客の最低限の礼儀というものでしょう。違いまっか?」
 普段は東京では標準語を口にするが興奮しているのか関西弁が混じって来る。
「いやまあそれはそうですが……」
「私は、創作落語の家元や!」
 乾や他のメンバーからすれば、あれしきの事で怒るのが意外でもあった。東京の寄席では平気で携帯で会話をするもの。音を切ってくださいと放送してるのに、全く聞かず会話をしてるもの。噺をしてるのに一番前で弁当を食べていて全く高座を見ない者。そんな日常で高座を努めて来た東京の噺家連中からは当たり前の事だったのだ。
 文染の怒りの表情を見て、乾は二度と文染は呼ぶことは無いと心に決めたのだった。
 神山と佐伯は帰り道
「しかし、下げを言う奴が居たとは意外だったな」
 佐伯が感想を言うと神山は
「彼は自分こそが創作落語の第一人者という想いがあるからな。今頃は乾に噛み付いているだろうな」
「若い頃はトラブルメーカーだったとか」
「ああ、早く売れたからな。プロダクションも何も言えなかったんだろう。よくも悪くも、それが今の文染を作った訳だからな」
 神山の言葉に佐伯は
「もう呼ばれることは無いだろうな」
 そういうと神山も
「それだけは確かだな」
 そう言って会場を振り返った。

風に吹かれて 23

 仲入りの休憩に入っていた。神山と佐伯は楽屋に顔を出す。そこには喬一郎、白鷺、小艶が既に着物を脱いでくつろいでいた。
「おや、文染師は楽屋は別ですか?」
 神山はそんな事もあるだろうとは考えていた。文染は自分の芸を安売りしないという方針だと聞いたからだ。落語の世界では、よほどの大物以外は楽屋は同じになる事が多い。それは噺家は芝居等と違い自分の出番に合わせて楽屋入りし、出番が終われば特別な事が無い限りさっさと帰ってしまうのだ。忙しい者は次の仕事に行くからだ。
 神山の微妙な表情を見た喬一郎が傍に寄って来て
「そうなのです。ここは別に楽屋を増やすと別料金になって値段が上がるんですよ。だから圓城師も通常は一緒なんです」
 そう説明をする
「その圓城師は?」
「乾先生と一緒に向こうの楽屋に挨拶に行っています。直ぐに帰って来るとは思いますけど」
 二人のやり取りを聞いて小艶が答えた。その言葉が終わらないうちに圓城が帰って来た
「おや『よみうり版』のお二人じゃないですか。ああ、神山さんはフリーになられたのでしたね」
 そう言って苦笑いをする。佐伯が
「上方の大将は楽屋別ですか?」
 そう言って言葉に多少の皮肉を込めると
「まあ、契約ですからね。でも……」
「でも?」
 神山の言葉に圓城は
「いや、今は言う段階ではありませんでしょう」
 そう言って言葉を濁した。ならばと佐伯が
「今までの三席は皆、解り難いオチでしたね」
 オチの事を尋ねると圓城はため息をつきながら
「出し物が『ぼやき居酒屋』でしょう。あれ、東京でも演じる噺家さんが結構いましてね。オチもバレバレなんです。単純なオチですからね。私は別な噺をと言ったのですが聞き入れてくれませんでしてね。なんせ大物ですから」
 圓城の言葉にはかって東西の盟友とまで言われた関係に変化が来ている事を伺わせた。神山はこの話を長引かせては不味いと思い
「師匠の今日の演目は結構新しいですよね」
 そう言ってこの次に圓城が掛ける演目について尋ねた
「そうですねTXが開通してから作った噺ですからね。TXは私の家の傍を通っているものでしてね。これで何か出来ないかと思って作った噺です。でも関東圏でした通じないんですよ」
 圓城はそう言って穏やかに笑った。
「では楽しみに聴かせて戴きます。今日の会は記事にさせて戴きます」
 そう言って二人は楽屋を後にした。
「向こうにも行くか?」
 佐伯の言葉に神山は
「当然だろう」
 そう言って二人は第二控室に向かった。途中で乾とすれ違う
「おや、お二人。これから文染師匠のところですかな」
 上機嫌で挨拶をする
「ええ、やはり上方落語協会の会長に、ご挨拶が出来る機会はそうそうありませんので」
「そうですよね。師匠、もう準備出来ていますよ」
「そうですか。では」
 そう言って二人は文染の元に向かった。
「ごめんください」
 そう言って入り口に掛けられた暖簾のくぐると、付き人の弟子に手伝って貰いながら羽織を着ているところだった。
「ああ、これはこれは『東京よみうり版』のお二人。ようこそいらっしゃい!」
 自作のギャグを交えて挨拶を交わした。すぐさま話に入る
「今回はわざわざ東京までいらしたのは何故でしょうか?」
 神山の質問に文染は
「東京には仕事で良く来ていますしね。それに新作落語の会と聴いて自称上方落語随一の新作落語家としてはお誘いを受ければ、そりゃ参加致しますよ」
 そう言って嬉しそうな顔をした。神山は、
『この会に上方落語で最初に呼ばれたのが、嬉しいというよりプライドをくすぐったのだろうな』
 そう思った。なんせプライドの高さは故談志師以上だとも言われている。
「売れてる東京の若手の子達も挨拶に来てくれて、ホンマ嬉しい限りですわ」
「師匠、今日は『ぼやき居酒屋』だそうですね」
 佐伯の質問に文染は
「ええ、ありがたい事に東京でもよく演じられているそうですが、ここは本家本元として披露させて戴こうと思いましてな」
「なるほど。楽しみにさせて戴きます」
 その他にも時候の話等をして楽屋を後にした。席に戻ると後半の開始のブザーが鳴った。
 緞帳が上がり、圓城の出囃子が鳴り出した。大きな拍手に乗って圓城が登場する。
「まってました!」
「たっぷり!」
 おなじみの声がかかる。圓城は座布団に座ると頭を下げて
「え〜後半戦の開始でございます。今日、私はこの会場に来るのに地下鉄に乗って来たのですが、ここ数年で東京の地下鉄も一新しましたね。渋谷なんか銀座線の駅が変わりましてね。もう乗り換えが大変だそうでして。所で、渋谷の銀座線ですが、あれ別に銀座線は高架になっている訳じゃないんです。銀座線自体は地中の同じ深度を走ってるんですよ、でも渋谷が谷の底なのであそこに出て来るそうなんですよ。驚きじゃありませんか。驚きと言えば、あの電気とおたくの都、秋葉原の地中深くに秘密基地のように作られた駅があるんですよ。もうエスカレータを幾度も乗り換えても乗り換えても辿り着かない地中深くに駅が出来たのです。名付けて『つくばエクスプレス』通称TX! 凄いじゃありませんか。茨城の名山のつくばの名を冠した鉄道ですよ。しかもエキスプレス。『急行』ですよ。都内だって普通しか走っていない路線だってあるのに」
 圓城は自分のペースで噺を進めて行く。物語は茨城に出張を命じられたサラリーマンが、茨城に行くのに常磐線かTXか悩み、当日発作的に上野で降りるのを止めて秋葉原まで来てしまう
「しまった。とうとう秋葉まで来てしまった。TXは、よく考えれば御徒町でも乗り換えられた」
 こんなくすぐりを聴いて神山は
「これ関東圏じゃなくて東京近郊しか通用しない噺だぜ。これも挑戦だな」
 そう言って圓城が数多有る噺から、この演目を選んだ目的が透けて見えた気がした。
「7時25分発つくば行き快速。これに乗らなければ……。しかしなんて地中深いんだ。まるで地獄の底に行くみたいだ。エスカレータの降りる先が霞が掛かって見えていない。ホームは更にその下なのか」
 男は長いエスカレータを次々と乗り換えて行くが中々ホームまでは届かない
「ああ、俺は果たして茨城に行けるのだろうか? これなら遠回りでも常磐線に乗れば良かった……そうか柏で野田線、もといアーバンパークラインに乗り換えて……言い慣れないんで舌噛んじゃった」
 ここでワッと笑いが起きる
「『流山おおたかの森』でも乗り換えられたんだ! しまった! 最悪の選択をしてしまった」
 やっとホームに辿り着いて目的の快速に乗れた。そして「つくば」に到着して改札を出ようとするが警報が鳴って扉が閉まってしまった。
「あれsuicaが使えない! スイカの残高がない。 スイカがない!」
 それを聞いた改札の向こうに居たお百姓さん
「西瓜なら俺が売ってるだよ」
  下げを言って頭を下げると一斉に拍手が起きた。
「しかし、よく茨城県人が怒らないよな。洒落とはいえ」
 佐伯が半分呆れて言うと神山は
「実際の『つくば』の駅前は都会だからな」
「まあ洒落だからな。でも面白かったよ。さすが圓城だと思った」
「次の上方の大将のお手並みを拝見しようじゃないか」
 神山の言葉に佐伯も頷くのだった。会場には文染の出囃子「本調子中の舞」が流れていた。

風に吹かれて 22

 開始のベルが鳴り、白鷺の出囃子が流れて緞帳が上がった。白鷺がテンポ良く出て来て高座の座布団に座り頭を下げる。勿論場内割れんばかりの拍手が鳴っている。
「え〜第二回の革命落語会に来て戴きまして、本当にありがとうございます! もう皆感涙にむせんでおります」
 そう言って挨拶をする。そして
「最近はグルメブームでしてね。かのミシュランも日本料理や鮨などにも星を付けて評価していますね。ご存知かも知れませんが数寄屋橋次郎。凄いですね。日本の首相とアメリカの大統領が行くのですからね」
 そんなマクラから噺に入って行く
「おい、お前、かの数寄屋橋次郎の親父さんの次郎さんと一緒に修行した鮨職人がひっそりと店を開いているのを知ってるか?」
「え、そんな噂は聞いたことあるけど本当なのかい?」
「ああ、俺の趣味は知ってるよな」
「食い道楽だろう……まさか」
「そうさ、遂にその店を突き止めたんだよ」
「それで」
「行くに決まってるだろう。お前、口は固いか?」
「そりゃ言うなと言われれば例え鉛の煮え湯を注がれようとも……」
「大げさなんだよ。秘密を守れるなら連れて行くけどな」
『この秘密と言う言葉。これが人間は好きなんですね。そして殆どが秘密と口にした途端、秘密でなくなるんですね』
 白鷺の地の言葉に笑いが起きる。
『やがて二人はその店に行く事にするのですが……これが大変』
「おい未だなのか。駅降りてから随分歩いたぞ」
「秘密の店だから行く価値があるんだろう。未だ先だよ。テレビじゃバスを降りて、有るのか無いのか判らない寿司屋まで歩く番組があるじゃないか」
「あれはどうぜヤラセだろう」
「それ言ったら番組が終わるぜ」
『やがて峠を幾つも越してやっと目的の店に着きます』
「あった! ここだ見ろ書いてあるじゃないか」
「え、何んて書いてあるんだ」
「『おくやますし』って書いてある」
「ああ、奥山鮨か、着いたなぁ〜」
「早速入ろうぜ」
『ところが店に入るととても鮨屋には見えません』
「鮨屋じゃないのかい?」
 『中に居る人に尋ねますと』
「ええ、ここは普通の家ですよ」
「そんなこと無いだろう、入り口に『奥山鮨』って書いてある」
「ああ、あれですか。あれは表札ですよ」
「表札!」
「はい私の名前です。私、『奥山筋(おくやますじ)と申します』
「奥山筋!」
「はい『し』の所に点々がありますでしょう」
「ああ、そうか筋が違った(道が違ったの意)」
 サゲを言って頭を下げて高座を降りるが、約半分は下げだと気がついてなく、白鷺が頭を下げたので、それと気がついた次第だった。
「こりゃ解り難い下げを持って来たな」
 佐伯の言葉に神山は
「道の事を筋というのは上方では言うけどな」
「上方の大御所に敬意を表したのかい」
「さてね」
 高座では次の喬一郎の出囃子が鳴っている。少し戸惑い気味の会場は、喬一郎が登場すると少し調子を取り戻した。
「え〜お次でございます。今のは歴史的なサゲでしたね」
 喬一郎はそんなことを言って笑いを取る。そして噺に入って行く
 噺は交際している男女の噺で、男が女にプロポーズをするのだが、男は持って回った言い方で
「ステーキが焼けるまでの間に返事をくれれば良いから」
 と言うのだが、女はすぐさま断りの返事をする。男はOKの返事が貰えると思っていたので戸惑ってしまう
「どうして駄目なんだい?」
「だって、あなたはステーキが焼けるまで、って言ったじゃない。そんな短い間に出来る返事なんか無理よ」
「短かったかい? ウエルダンでも?」
「ああ、私ステーキはレアって決めてるの」
 これもよく判らないサゲを言って喬一郎は高座を降りてしまった。
「考えオチか?」
 呆然としてる佐伯に神山は
「まあ一種の考えオチなんだろうな。それにしても今日の出し物は難解なサゲが続くな」
 二人がそんな会話をしていると小艶が高座に座っていた。
「え〜わたしで休憩でございます。トイレタイムまでもう少しでございます」
 そう言って会場の雰囲気を和ませる。
 噺は広尾という街に魅せられた若旦那が夜毎、広尾に繰り出すので、父親の大旦那は困ってしまう
「いいじゃありませんか、広尾に繰り出すぐらい」
 そう言う番頭や母親だが
「馬鹿言いなさい。広尾で散財してごらん。ウチの身代が傾いてしまいます」
 大旦那は元々が吝嗇なので心配をする。そこで息子の若旦那に意見を言うのだが若旦那は
「わたしはねえ。広尾の街が好きなんですよ。お父っあんも一度行ってご覧なさい。街そのものがまるでおとぎの国のような感じなのですよ。どれもこれも洒落ていて素晴らしいのですよ」
 そんなことを言うので
「じゃあ、お前は近くに広尾の街があったらどうする」
「そりゃ傍にあったらそこに行きますよ」
「本当だな」
「本当です!」
 その言葉を聞いた大旦那は出入りの棟梁に店の二階に広尾の街を再現してくれと頼みます。言われた棟梁は広尾に出向いて街を見て回ります
「なるほど、こりゃ若旦那が夢中になるのも無理はねえ。俺でも何だか楽しくなって来るじゃねえか」
 棟梁は街の様子をスケッチして帰り、店の二階に広尾の街を再現します。それを見た若旦那は
「本当じゃないか。まるでそっくり広尾だよ。これならここで良いじゃないか」
 若旦那はすっかり気に入ってしまい連日二階の広尾に通うようになります。でも足りないものに気がつく
「ここは本物と違って綺麗な娘がいないんだよね。本当の広尾を歩いている娘は皆綺麗だからねえ」
 そんなことを言ってる若旦那に棟梁は
「じゃあ誰か知ってる娘を連れてくれば良いじゃないですか」
 そう言うのだが若旦那は
「だってそれは良くないじゃないか。女友達なんか連れて来たら、ブランド品や何か散財してしまうよ。そうなったら親父の雷が落ちるよ」
「それは困りますね」
「だからね。そうなったら」
「そうなったら?」
「きっと親父には内緒だよ」
 小艶がサゲを言って頭を下げる。会場からは嵐のような拍手が降り注いだ。
「お仲入り〜」
 の声が掛かる。ちなみに今回も前座は使わずお茶子さんを頼んである。
「なあ神山、俺には今日の出し物は、意図されたものがあるような気がして来たな」
「意図されたもの?」
 この時神山にも有る考えが浮かんではいたが確信は持てていなかった。
「今日のゲストが文師師だと言う事さ」
 佐伯の言葉を聞いて神山はその意味を理解した。彼も同じことを考えていたからだ。
「つまり、上方の新作の帝王に対する反乱か?」
「反乱というより挑戦に近いんじゃないかな」
 佐伯の分析を耳にして神山は今日の会の不安が杞憂にはならない気がして来ていた。

風に吹かれて 21

 仙蔵は自宅近くの喫茶店を指定した。昼間で、この日は仙蔵が酒を抜く日なので喫茶店になったのだ。神山も知っている喫茶店の蔦の絡まった店の扉を明けると、店の奥に居た仙蔵が手を上げた。今日はTシャツにスラックスというラフな格好だ。
「今日はオフでな」
 自分の格好の説明をすると
「俺のところにはファックスは来てないがな」
 そう言ってコーヒーに口を着けた。
「『よみうり版』には来ました。それがこれです」
 そう言ってファックスのコピーを見せた。仙蔵はそれを読みながら
「文染さんかぁ。まあ上方じゃ随一だしな」
 そう言ってさして驚きもしなかった。
「どうしますか?」
 事態を深刻に考えている神山に対して
「どうもしねえよ。しても仕方ない。こっちは終わったばかりだしな。まあお手並み拝見と行こうか。ケーキ頼めよここの旨いんだぜ」
 そんな事を言ってケーキセットを勧めた。神山は注文を取りに来た店員に
「コーヒーのケーキセットで」
「ケーキは何にします」
「チーズケーキでお願いします」
「かしこまりました」
 そう言って店員が去って行くと
「向こうはこっちも上方から呼ぶと思ってるでしょうね」
 そう仙蔵に言う。それを聞いて仙蔵は
「誰を呼ぶんだ? ゲストも含めて、今のウチのメンバーと釣り合う奴が居るのかい」
 そう言いながら目の前の苺ショートケーキをパクついた。
「吉兆が生きていればな」
「吉兆師ですか」
 仙蔵は数年前に癌で亡くなった上方落語随一とも言える噺家の名を口にした。
「最初の時も見舞いに行ったのだが、二度目はもう見ていられなかった」
「そう言えば、師匠は随分交流がありましたね」
 神山は二人の交流の深さを知っている。お互いに自分の会にゲストで呼び合ったり、時には一緒に旅行にも同行した仲だった。
「それにウチは次回は圓海師、その次は盛喬がゲストで出ると決まってるしな」
「盛喬さんの時は誰が休むんですか?」
「ああ、うちの遊蔵が休みと決まっている」
 仙蔵は次の次の会の事も口にした。
「お手並み拝見と行こうじゃねえか。文染さんの新作落語がこっちの客にどう通用するのか興味はある」
「でも昨年は五日間通しで有楽ホールで独演会をやりまして、成功しています」
「ああ確か五千円も取ったんだったな」
 独演会は一律五千円とされていて、毎回完売近くまで売れたそうだ。神山はそんな情報も仙蔵に話して
「集客は万全ということですね」
 そう言ってもう一度ファックスを見直した。その様子を見て仙蔵は
「そもそも上方落語は古典に限ってだが、こっちとは趣が違うしな。新作とは少し事情が違う」
 仙蔵の言う意味も神山は理解出来た。賑やかで笑いを中心とする上方落語だが、意外と噺は理論的なのだ。主人公が行う行為に関してはちゃんと理屈が通っているのだ。そこが結構雰囲気で進めてしまう江戸落語とは違う。だから同じ高座に出るという事はそこら辺りも考えねばならないのだ。
「確かに、色が違いますからね」
「そう……たった一滴でも、透明な水を張ったコップに、黄色いインクを垂らしたらどうなるかだな」
「兎に角、動かないということで良いですね」
「ああ、そうだ。大丈夫だと思う」
 神山は、話し合いの結果を他のメンバーにも連絡をした。

 そんなことがあった次の芝居で遊蔵は、浅草の昼の高座で喬一郎と一緒になった。出番が近くなので楽屋でも一緒になる時間が多い
「聞きましたよ、次は文染師匠出るそうですね」
 遊蔵は、出番に備えて根多帳をめくりながら、出番が終わって着替え始めた喬一郎に質問した。
「そうみたい。僕のところには事後通告だから。尤も僕だけじゃ無いけどね」
「皆で決めるんじゃ無いんですね」
「うん。大抵は乾先生と圓城師匠が決めてる。古典の方は違うの?」
「そうですね。一応ウチの師匠と神山さんが相談するけど、メンバーには相談はします。今回はウチは何もしないので、それを連絡しただけだけど」
 それを聞いて喬一郎は仙蔵師が見掛けよりも民主的な物の決め方をするのだと思った。
「もっと怖いかと思っていた。昔稽古を付けて貰った時は怖かったから」
 そう言って仙蔵に稽古を付けて貰った事を思い出していた。
「稽古は怖いですよ。人が変わってしまった感じなのは変わらないですよ」
 そう言って仙蔵の人となりを語るのだった。
 翌月になり第二回の「革命落語会」が開かれた。当日は神山が客席に居た。隣には「よみうり版」の編集長の佐伯もいた。
「さて、上方落語随一の新作の帝王を見させて戴きますかな」
 佐伯はそう言って不敵な笑いを見せた
「おいおい、「よみうり版」は中立じゃないのか?」
  訝る神山に佐伯は
「マスコミとしては、そうだけど、俺個人としては別」
 そう言ってもう一度パンフレットを広げるのだった。そこには
 白鷺「奥山鮨」、喬一郎「ステーキの焼けるまで」、小艶「広尾ぞめき」、圓城「悲しみは茨城に向けて」、そしてトリが文染「ぼやき居酒屋」となっていた。神山はそれを横目で眺めながら
「『ぼやき居酒屋』はこっちでもやる人がいるから聞き慣れているから選んだのかな」
 そう呟くと佐伯が
「それはあるかもな。もしそうだったら、文染師は客を舐めてる」
 そう言って不敵な表情をした。神山はそれを見て、もし、それが当たっていれば今日の会は荒れるかも知れないと思うのだった。
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