2019年09月

彼女の秘密  第3話 母親の秘密

 高志は、ゆきを連れて母親が居る台所に向かった。廊下の角から顔を出して確認をすると、母親はガス台に向かって何かを煮ていた。醤油の匂いが鼻をつく。その母親の後ろ姿に向かって
「あの母さん。少し話があるのだけど」
 そう声を掛けた。すると母親はそのままで
「なぁ〜に。話って小遣い頂戴とか? あなたも高二なんだからバイトぐらいしなさいよ」
 そんなことを言う。高志は思い切って
「違うんだよ。もっと大事なことなんだ。お願いなんだけどさ」
 そこまで言って高志の言い方が普通では無いと気が付き。高志の方を振り向いた。高志は台所と繋がっている廊下に自分と一緒にゆきを立たせた。
「この子、篠山ゆきちゃんって言うのだけど。事情があって家に帰れなくなってしまったんだ。だから少しの間。ゆきちゃんが家に帰れるまで、この家に置いて欲しいんだ」
 高志は詳しい事情は避けて取り敢えず大事なことだけ伝えた。すると母親は
「その子、高志の彼女さん? あんたも遂に彼女が出来たの! カワイイ子じゃない。でも絣の着物って最近の子じゃ珍しいわね。それにその柄も最近のものじゃ無さそうね」
 高志の母親はゆきの格好から何かを感じた様だった。高志は、母親に言われてまじまじとゆきの着物の柄を確認した。実は納戸では薄暗く、自分の部屋では興奮状態にあり着物の柄まではしっかりと見ていなかった。
「ゆきちゃんの着物って……」
 高志の言葉を遮るように母親が
「お洒落で着ている訳では無さそうね」
 母親がそう言って何かを知ってる素振りをした。高志が着物の事を言い淀んでいるので、ゆきが自分で説明をする。
「はい藍染に梅の柄です。これは深山家で働いている女は皆この柄の絣を着ています。柄が梅なのは深山家の紋所が『梅鉢』だからです。この辺りでこの梅の柄の着物を着ていれば深山家の奉公人だと区別がつきます」
 高志は制服的な意味もあり、昔は土地の権力者でもあった深山家に関わる者なら安全を保証されたのだろう、と何となく考えた。高志は、ゆきが過去の深山家からやって来た事実をどう説明しようか考えていたが、母親の次の一言で事態が一転した。
「アンタ、もしかして納戸の奥の戸を開けたのね。ゆきちゃんって言ったかしら。あなたは何時頃から来たの?」
「え、母さん納戸の秘密知っていたの?」
「知っていたわよ。わたしはこの家の娘よ。幼い頃から聞かされていたし、自分でも扉を開けた事もあるわよ」
 全く知らなかった。確かに母親はこの家の娘で、父親が婿入りしていた。だが、高志は今迄、納戸の秘密のことなぞ知らなかった。
「僕は知らなかった!」
「それは母さんが昔過去に行った時、こちらに帰って来る時に向こうから封印して貰ったからよ」
「封印……それって何時頃?」
「昭和の始め頃よ。あまり昔だと色々と不便だから、」その時代に遊びに行ったのよ。そのうち向こうから、『もう来ちゃイケナイ』と言われたのよ」
 それを聴いてゆきが
「わたしは明治初年からやって参りました」
 そう返事をした
「ああ、だから未だ封印して無かったのね。迷い込んじゃったの?」
「あの、家宝の『古伊万里四季絵柄焼』を仕舞うので間違って開かずの扉を開けてしまったのです」
「ああ、あのお皿、そう言えば行方不明になっていたのよね。家の財産の収録簿には記載されているのに無いからね。そうか開かずの扉の中にあったのか。納得したわ」
「母さん、そのお皿って価値があるの?」
「まあ、今なら重文か国宝級ね。後で取り出しておこう」
 高志はゆきが穴から出て来た事だけでも信じられない出来事なのに、母親までも過去に行ったことがあると言う事がショックだった。
「ゆきちゃんは明治の初年にここ深山家で奉公していた訳ね」
「はい。そうなのです。お皿の置き場所を間違ってしまって……」
「帰れなかったの?」
「はい扉が急に閉まってしまったのです。どうしても開かなかったので、逆の方向に進んだのです。そしたら急に前の扉が開いて」
「それで高志がいたのね」
「はい、そうみたいです。それでお腹が空いていたのでお皿に載っていたサンドイッチとか言うものを食べてしまいました。牛の乳も戴きました」
「そう。サンドイッチ美味しかった?」
「はい! それはもう!」
 ここに来て高志は食べられなかったサンドイッチを思い出して急に腹が減って来た。
「腹減ったな〜」
「今夕飯作ってるから我慢しなさい。ところでゆきちゃんはどうする。ウチに居ても良いの?」
 母親の言葉にゆきは
「出来れば帰りたいですが……何度やっても開かなかったので」
 そう言って困惑した表情をした。それを見て母親は
「あの扉はどうも月の満ち欠けと関係があるらしいのよね」
 そんなことを言うので、高志はゆきが先程言った事を思い出した
「新月だからとか?」
 高志の言葉に母親は
「それもあるかも知れないけど、開かなくなったのは向こうの人が開いてるから閉めたのが原因だと思う。それに何時でも通じてる訳じゃ無さそうよ。通じていても何処の時代に通じるのかはマチマチみたいだし」
 そう推測してみせた。ゆきは
「じゃあもうわたしは、帰れないのですか」
 そう言って悲しそうな表情をした。
「ま、そのうち帰れるわよ。心配してもしょうがないわ。ゆきちゃん。ウチで良かったら帰れるまで居なさい」
 母親がそう言ってくれたので高志は心の底からホッとしたのだった。
「ありがとうございます! わたし奉公人ですから色々とお手伝いします。何でも言いつけてください」
 ゆきがそう言うので母親は
「ありがとう。じゃあ一緒に夕食を作ってくれる?」
「はい! 喜んで! わたし向こうでも台所のご用事をしていたのです」
「何だ。じゃ得意なんだ」
「はい!」
 ゆきは母親から紐を借りると袖をたすき掛けにして畳んだ。高志はそれを見て何かカッコイイと感じた。そう言えばゆきの顔の輪郭は卵型をしていて、目は結構パッチリだった。
「綺麗な顔をしている」
 そう感じた。長い髪を後ろで纏めており、素っ気ない感じだがそれがシンプルな感じがしていた。
 これから何時までだか判らないがひとつ屋根の下に暮らすのだと思うと不思議な縁を感じるのだった。

彼女の秘密  第2話 百五十年前から来た少女

 闇の中から現れたのは絣の着物を来た高志と同じくらいの少女だった。
「君は誰?」
 着物姿とはいえ、少女の格好がおしゃれで着物を着ているのでは無く作業着らしいと言う事は推測出来た。その上で高志は恐る恐る尋ねたのだ。すると少女は
「わたしは篠山ゆきと言います。今は深山家の台所で働いています」
 そう言って緊張した表情をした。
「深山家って……ここがそうだけど」
「はい。それは承知です」
 ゆきはそのあたりは堂々としたものだった。高志はありえない事だが、もしかしてと思い尋ねてみた。
「深山宗十郎って言ったけど、その人は僕のご先祖の名前で確か明治の初めの頃の人だよ」
「明治ってこの前変わったばかりの年号ですよね」
「この前変わった?」
 それを聞いて高志はこの少女が過去から来た可能性があると思った。
「違うんですか? 今でも慶応なんですか?」
「いや、今は令和だよ」
「令和?」
 訳の判らないという表情をしているゆきに高志は
「明治、大正、昭和、平成、そして令和さ」
「いつの間にそんなに変わったのですか?」
「ま令和は今年変わったのだけどね。今は西暦二千十九年さ」
「二千十九年!」
 驚くゆきに高志は
「もしかして君は明治元年頃からやって来たのかい?」
 高志に言われてゆきは少し考えてから
「九月に明治に変わったのです。今は十月ですよね」
「まあそうだけど。多分違う」
「違う?」
「明治元年の頃は旧暦だからさ」
「旧暦?」
 ゆきは全く訳が判らないという表情をしている。
「明治五年に太陰暦から太陽暦に変わったのさ。一年は十二ヶ月に固定され、日数は三百六十五日になった。尤も四年に一度閏年があって一日増えるけどね。つまり簡単に言うと君、ゆきちゃんは百五十年後の世界にやって来たんだよ」
「ひゃくごじゅうねん……」
 それを聞いたゆきは泣き出しそうだった。
「まあ兎に角、暗い所に居ないでこっちに来なよ」
 高志はそう言って手を差し出してゆきの手を掴んだ。実はちょっとドキドキしたのは秘密だった。
 高志は納戸からゆきを連れ出し自分の部屋に案内した。内心、自分って大胆だと思った。
「初対面の女子を自分の部屋に連れ込んじゃうなんて凄い!」
 そんな事を思っていたのだ。
「さてこれで一応安心だ」
 高志は自分の部屋にゆきを連れ込むと廊下を確かめて誰にも見つかっていない事を確認した。
「これで一応安心だ……さて、ゆきちゃんだっけ、君は過去の深山家で働いていたのかい?」
 台所の事は先程ゆきが自分で語っていた事だった。
「はい。深山家で奉公をしていました。主に台所中心の用事でした」
「昔の深山家ってそんなに奉公人が居たのか。凄かったんだね」
 そう驚く高志にゆきは自信ありげに言う
「深山家はこの辺りの名主様で並ぶものがありません」
 幼かった頃に存命していた曾祖母ちゃんから少しは聴いた記憶があるが、理解していた訳ではない。
「それどうして納戸に居たんだい」
 高志の疑問にゆきは
「はい、収穫のお祝いをする宴会があり、家宝のお皿を使ったのです。宴席が終わりお皿を箱に入れて納屋に仕舞ったのですが、わたしが間違えて『開かずの扉』を開けてしまったのです。本当は違う場所だったのですが、わたしは勘違いしてその扉の中に仕舞ったのです。でも帰って来たら場所が違うと言われ、もう一度納戸に入ってその扉を開いて中に入ったのです。そうしたら自然と扉が閉まり出られなくなってしまったのです。仕方なくわたしは奥に奥に進みました。そうしたら引き戸がありそこを開けたらここの納戸だったのです。最初は怖くて震えていましたら、たまに声が聞こえるので変な場所では無いと思ったのですが、安心したら空腹を感じました。誰か人が来る気配を感じたので中に戻ってひっそりとしていたのです。そうしたらいきなり引き戸が開いて驚きました。でも直ぐに居なくなってホッとしたら、目の前に食べ物があったので、悪いとは思いましたが空腹に耐えきれず食べてしまいました。一緒にあった牛の乳は以前にも飲んだ事があるので美味しく戴きました。申し訳ありません」
 落ち着いて来たとは言え、ここまでの経過をしっかりと話すところは、只の奉公人ではないと高志は感じた。ある程度の教養を感じた。
「それはいいけどさ、ゆきちゃんの家は武士だったの?」
「はい、父は貧乏御家人でした。今は幕府が無くなったので浪人というより無職です」
 やはりと思った言葉遣いや態度がきちんと教育を受けて育った者だと思ったのだ。
「ところで歳は幾つ? 僕と同じくらいな感じだけど」
「今年で十九になりました」
「それって数えだよね」
「数え? 歳は新しい年が明けると増えるものですが」
「それが数えなんだよね。つまり満では?」
「ああ、満では十八になります。未だですが」
「そうか高校なら三年だね。僕より一つお姉さんだね」
「あ、そうなのですか。それは知りませんでした」
 ゆきはそう言って頭を下げた。
 高志は昔の深山家で伝わっていた伝承を尋ねてみた。
「あのさその開かずの扉って?」
 高志の質問にゆきは
「はい、何でも知らない場所に通じてる穴があるから開けてはならないと言う言い伝えでしたが、代々の深山家の方々は子供頃に一度は入った事があるそうですが、一度もおかしな事は起きなかったそうです。わたしの時だけ異変が起きました」
「戻ろうとは思わなかったの?」
「それが戻っても扉が開かなかったのです。それで諦めました」
「そうか、そこに何か秘密があるのかもね」
「もしかしたら、新月だったかも知れません」
 新月とは月の出ない夜の事だが、陰暦を使っていた昔は空に月が出ている事は重要だったのだ。夜間の照明が無い時代では新月の夜は暗闇になるからだ。
「過去にも帰れないか。過去に行けるなら僕も一度は昔の世を見てみたいけどね。さて、どうするか、だよね。信じて貰えるか判らないけど、ウチの親に話してみるかな」
 高志としてはそれしか選択技がなかった。まさか明治初年から来た少女を街中に放り出す訳にもいかなかった。
「そうして戴ければ取り敢えず飢えなくて済みます」
 今どき餓死はありえない。
「ところで、わたしが先程失敬して食べたものは何だったのですか」
 高志は、そうかサンドイッチというものを知らないのだと思った。
「あれはサンドイッチというものでパンを薄く切って野菜やハムなどを間に挟んだものだよ。片手で食べられる。イギリスのサンドイッチという伯爵が考案したそうだよ」
 本当化かどうかは判らないが一応通説として知られている事を言った。
「あれは確か胡瓜にハム。それと卵サンドだった」
「そうでした、中を開けたら胡瓜が入っていたので食べられるものだと思ったのです。もうひとつは卵でした。わたしの居た頃は卵は高かったのです。贅沢だと思いました」
「今は卵は安いんだ。さて母親を紹介するよ。そしてゆきちゃんがウチに居られるように頼んで見るよ」
 高志はそう言ってゆきを連れて部屋を出て台所に、向かった。

彼女の秘密  第1話 秘密の部屋

 二学期が始まり真夏ほどの暑さは無くなったが、それでも昼間は二十五度を超える日もある。高校の授業が終わりバス停から家に帰る途中、高志は空腹を覚えた。だが家に変えれば母親が何か作っていてくれると思ってコンビニに寄るのは止めて真っ直ぐに家に帰る事にした。 
 深山高志は東京に住む高校生だ。高志の家は一応二十三区にあるが、そこは都心より隣の県に近い場所にあり、現在は家が密集しているが、高志の父親が子供の頃までは田圃が広がっていたそうだ。
「腹が減る訳だよ。まさか午後の体育の時間にマラソンさせられるとは思わなかったよ」
 そんな独り言を呟きながら家の玄関を開けた。深山家はこの地域ではかなりの旧家で、太平洋戦前まではそれなりの土地を有してしたそうだ。だが戦後の農地改革で殆どを手放してしまい、現在は残った僅かな土地も人に貸している。だが住んでる家はそのまま残ったので大きくそして古いので、そこは旧家を思わせる。
「高志、帰ったの?」
 母親の幸子の声だ。どうやら台所に居るらしい。
「帰ったよ。お腹空いた。何かある?」
 期待を込めて尋ねる
「冷蔵庫にサンドイッチがあるから、それ食べなさい」
「判った」
 やっおぱりと思い、嬉しくなって冷蔵庫を開けると、白い皿にラップを掛けられたサンドイッチがあった。牛乳と一緒に取り出す。グラスに牛乳を入れて戻して、サンドイッチと牛乳の入ったグラスを持って自分の部屋に向かった。部屋でyoutubeでも見ながら食べるつもりだった。
「ああそうそう。食べてからで良いから奥の納戸から火鉢出しておいてくれる?」
 母親が台所から顔だけ出して言う
「火鉢? 未だ暑いよ」
「違うのよ。何でも小学校の歴史と社会の時間で生徒に見せるから貸して欲しいって言われているのよ」
「誰から?」
「校長先生」
 そう言えば自分などは普段から家にあるから何とも思わな無いだろうが、中には火鉢を見たことのない子も居るだと改めて思った。    
「何処に運んでおくの?」
「玄関の脇の小部屋」
「判った。食べたら運んでおくよ」
 そうは言ったものの、やはりゆっくりと食べながらyoutubuを見たいと思い、一旦自分の部屋にサンドイッチと牛乳を置くと、家の中でも一番北にあり、普段から陽の刺さない薄暗い部屋に向かった。
 納戸と呼ばれている部屋は十畳以上の広さがあり、この深山家の古いものが仕舞われている。歴史研究家が見ればお宝の山なのかも知れないが、この家の者にとっては「とりあえず価値の無いもの」でしかない。
 納戸は木の引き戸で仕切られており、そこを開けると襖がある。それを開くとやっと部屋に入れるのだ。部屋は一部が畳敷きだが半分以上は板敷きだった。
「さて、火鉢は何処にあったかな」
 高志が探しているのは一抱えもある大きな焼き物の火鉢で、何でも「古伊万里」だそうだ。無論高志は「古伊万里」の価値を知らない。
「あったあった」
 部屋の奥の左側にそれはあり、薄暗い中でも存在を見せていた。
「あれ」
 高志は火鉢をどかすとその奥に小さな襖の引き戸があるのを見つけた
「ここに戸があったんだ。知らなかったなぁ。中には何があるんだ」
 今まで見たことの無かったので高志は興味が湧いた。もしかしたら何か面白いものがあるかも知れない。そう思って中を探して見る気になった。襖の大きさは普通の一間の襖の半分ほどの高さで幅は人が一人通れるぐらいの幅だった。暫く開けてないので開くのかと思って引き戸に手を掛けると簡単に横に滑って開いた。かなり広そうな感じだったが、真っ暗で何も見えなかった。これでは懐中電灯がなければ、どうしようもないと思った。
 高志はとりあえず言いつけられた事を済ましてしまうと思い、火鉢を抱えて運び出した。玄関脇の部屋に置くと母親に
「置いておくからね」
「ありがとう]
 その声を聴くと、納戸に戻ろうとして、あの小さな襖の奥を見るには懐中電灯が必要だと思い自分の部屋に一旦帰る事にした。部屋に戻ると置いてあったサンドイッチと牛乳があった。
「これ持って行くか」
 部屋にあった懐中電灯を首に掛け、お盆に載せたサンドイッチとグラスに入った牛乳を持って納戸に向かった。納戸に入って奥に進み奥の襖の所にやって来ると床に座り自分の横にサンドイッチと牛乳が載ったお盆を置いた。
 奥の襖は先程に高志が開けたままになっており先程閉め忘れたと思い出した。その時に台所の母親から自分を呼ぶ声が聞こえた
「高志、ちょっと来てくれる」
 何事かと思ったが、取り敢えず母親の所に向かうと
「校長先生が火鉢を取りに来てくれたのだけど、重くて運べないから、アンタ校長先生の車に載せてくれない」
 こともなげにそう言うのだ。高志は心の中で「やっぱり」と思いながら玄関脇の小部屋に向かう。そこには小学校の校長が居て
「ああ、深山君悪いね」
 そう言って感謝する。さすがに感謝されると悪い気はしない
「運びますから車のドア開けておいてください」
 そう頼むと校長は玄関前に止めてあった軽自動車の後ろのハッチを開けた
「ここに載せてくれるかな」
 校長に言われた通りに載せてハッチを閉めた。
「いやいやありがとう! 大事に見させて貰うからね」
 そう感謝して校長は自分で運転して学校に帰って行った。
「さて食べるかな」
 そう言って納戸に戻る。置いてあったサンドイッチを食べようとすると、皿だけがあり中身が無くなっていた。
「あれおかしいな。誰か食べたのか」
 そんな人物に心当たりは無かった。おまけに牛乳も無くなっていて空のグラスだけが残されていた。
「こりゃ誰かここに来たな。誰だろう」
 今、この家に居るのは自分と母親だけだ。高志には妹が居るが今は帰って来ていない。妹は中学では陸上部の部活をやってるので帰りは遅いのだ。まして父親は仕事中だ。
「いったい誰が……まさか泥棒か?」
 あり得なくは無かった。この家は古いので玄関以外からも簡単に侵入出来る。夜なぞは戸締まりするのに時間が掛かるのだ。ちなみにこれは高志の父親と高志が半分ずつ行っている。
 その時高志はこの部屋に自分の他に誰か居る気配を感じた
「誰?」
 部屋の中を見渡しても誰もいない。持ってきた懐中電灯で部屋を見ても誰も居なかった。でも、先程から開いたままになっている小さな襖には懐中電灯を照らしてはいなかった。
「まさかこの中に隠れたのかな?」
 どう考えても、この真っ暗な空間の先以外には考えられなかった。そっと灯りを照らして見る。襖の敷居から少しの間には誰もいなかった。襖の中は板敷きになっており更に奥に続いていそうだった。
 ここで高志は気がついた。この納戸はかなり広いがそれでもこの部屋の向こう側には別な部屋もある。限りがあるのだ。でも目の前に広がってる闇はそれ以上広そうだった。
「まさか、何処かに続いているのか?」
 高志は俄然興味が湧いて来た。この先が何処まで続いているのか確かめたくなったのだ。
「よし、中に入ってみるか」
 高志は決意して四つん這いになり片手に懐中電灯を持って暗闇の中に入って行った。そこで高志はおかしな事に気がついた。自分が進んでいる板張りの床に埃が積もっていないのだ。ここがどれだけ閉鎖されていたのか判らないが埃が無いという事が変だと感じた。
「入って来たのは誰?」
 いきなり闇の向こうから女性の声がした。と言うより声を掛けられたのだ。これは心底驚いた。叫びそうになるのを必死で抑えて
「誰だい! そこに誰か居るのかい。泥棒だな」
 声を聴く限りは女性の声で、しかも向こうも怯えている感じが伺われた。それが判り高志は少しだけ落ち着いた。
「僕はこの家の者で深山高志という者だ。僕のサンドイッチを食べたのは君だね。怒らないから出て来な。人の家に勝手に入っちゃ駄目だよ」
 高志としては当然の事を言ったまでだが闇の向こうの者は
「お皿の上のものを食べたのは謝ります。珍しいので牛の乳も飲みました。でもあなたの言う事は嘘です。この家には高志という人はいません」
「は? 何を言ってるんだ。僕はこの家の息子だ」
「深山家の坊っちゃんは宗十郎様です」
 宗十郎と聞いて高志は聞いた事があると思った。何処で聞いたのか少し考える。そして思い出した
「深山宗十郎は僕のご先祖さんだ!」
「え!」
 闇の向こうの者はかなり驚いた様で、こちらに近づいて来る気配を感じた。そして高志の懐中電灯の灯りに照らされたのは同じ歳ぐらいの絣の着物を着た少女だった。

「氷菓」二次創作 奉えるファーマーズ 後編

 わたしと折木さんは高速を名古屋に向かって走っています。季節はもう秋になっていました。神山の稲の取り入れまではもう少しありますが、早稲はもう刈り入れが済んでる所もあります。
 今回、車で向かう事にしたのは神山での足の確保と時間を有効に使う為です。わたしも折木さんも運転は出来るので交代でなら、長距離でも苦にならないと思ったのです。
「千反田。実は隠し玉も持って来たんだ」
「隠し玉ですか?」
「そう。お前にも関係のあるものだ」
「関係のあるもの……。それってわたしが研究に関わったものですか?」
「まあ、そういうことさ。楽しみにしてくれ」
 折木さんが何をしようとしているのかは判りませんでしたが、わたしはその明るい表情を見て希望が湧くのでした。
 やがて車は千反田邸に到着します。わたしが先に降りて玄関に立ちます
「只今帰りました。今回は折木さんをお連れしました」
 奥から父と母が出て来ました。
「初めまして折木奉太郎です」
 折木さんが自己紹介をして頭を下げます
「えるの父親の千反田鉄吾です。こちらは母親です」
「宜しくお願いします」
 その後、客間に通されました。そしてお茶を母が運んで来ます。わたしは母に呼ばれて控えの間で一緒に様子を伺うことになりました。
「早速だが本題に入らせて貰うことにしたい」
「こちらも望むところです」
「このレポートは良く出来ている。確かに我々『千反田農産』の弱点が書かれている。よくこれほど調べたものだね」
 父はやはり感心したようでした。
「わたしは関東支店に勤務していますが、中部にも支社はあります。そこには神山を担当する者も居ます。その者は幸いに自分の後輩でした。その彼から情報を提供して貰い分析したのです」
「そうか農協繋がりか。確か農協は君の会社と取引があったな」
「そうですね。神山農協はウチのお得意様でもあります」
「だが、それだけではあるまい」
「それはそうです。貰った情報を分析し、他の地方でも起きてる事象を神山にも当てはめました。今現在、日本の農業は分岐点に差し掛かっています。今までのやり方では大きく後退してしまうでしょう。特に農産品の輸入自由化は待ったなしです。早急にそれらに対処しなくてはなりません。その点で『千反田米』が好評な神山は遅れていました。その中でもここ陣出地区は特にそれが目立っていました。だからとりあえずシステムの変更をした方が良いと提案したのです」
 折木さんはそこまで語るとお茶を一口飲みました。
「懐かしい味ですね。高校時代、毎日のようにこのお茶を飲んでいました」
 折木さんはそう言って遠い目をしました。
「しかし、ここに書かれているだけの変更で済むのかね」
「取り敢えずです。本格的な変更には時間も費用も掛かります。それまでは待てませんから」
 父は改めてレポートに目を通しています。
「今回のは、特に角費用は掛かりません。でも時間は待ってくれません。収穫ももうすぐでしょう。変更するなら今の内です。刈り入れが済んでからでは遅いです」
「そうか、それなら君の提言通りにシステムの変更をしよう。だがもし効果が無かったらどうする」
「そうですね。効果が無くても金銭的な損害は起きないと思いますが、その時は千反田……もといお嬢さんを諦めます」
「二言は無いな」
「男に二言はありません。でも効果があった時には……」
「効果があった時?」
「そうです。その時には新たな提案があります」
「新たな提案? そんなものまで考えているのかね」
「勿論です。俺とお嬢さんの仲が上手く行くならどんな事でも考えますよ」
「どうやら本気なのだな」
「本気でなければここまで来ません」
 折木さんは車で言った事を話すみたいです。わたしも興味があります。
「それはこれです」
 そう言って折木さんは、ポケットから取り出したビニール袋から何かの種のような籾のようなものをテーブルの上に広げました。父がしげしげと見てそれを摘みました。わたしはそれが何か直ぐに判りました。
「これは小麦だな」
「そうです。小麦です。これをこの陣出で栽培するのが次の提案です」
 折木さんの言葉に父は
「馬鹿な。ここ神山では小麦は育たん。例え育ったとしても今の米の時期と重なるから無理だ」
 そう言って否定しました。でも折木さんは
「普通の小麦なら、その通りです。でもこれは違うのです。これは『農林10号』という早稲でしかも耐寒耐雪性が強い品種をお嬢さんの会社が更に改良したものです。無論彼女も関わっています。通常小麦は本越年生の植物です。秋に種をまいて越年させ、春に発芽し夏に収穫するのが基本形なのです。これは、発芽のためにある程度の低温期間が継続する必要があるためでした。でも品種の改良や突然変異などによって耐寒耐雪性が強い品種が誕生しました。今日持って来た小麦は米の収穫後に籾を撒きます。そして冬のうちに発芽します。その後はゆっくりと発育して行きます。途中で雪が降っても発育は止まりません。そして収穫は5月上旬です。これなら陣出の田植えの時期である5月下旬から6月に間に合います。勿論休耕田を活用すれば、苦労は少なくて済みます」
 それを聴いた時の父の驚きようは普通ではありませんでした。
「君はそんなことまで考えていたのかね」
「勿論です。俺はお嬢さんを愛しています。高校時代に交際をしていましたが、その後疎遠になってしまいました。彼女が他の男性と結婚したと聞いた時は、正直心の底から落胆しました。そして自分が如何に彼女を愛していたのかを悟ったのです。もう二度とあのような想いはしたくありません。だから今回のことで自分の能力を最大に発揮して提案したのです」
「そうか、それは理解した。しかし新しい品種とはいえ小麦とは意外だった」
「国産小麦は今や人気商品です。麺類やパンの材料として引く手あまたです。国産小麦は以前のものはグルテンの含有量が少なく、麺類以外には向かないと言われていましたが、今の品種は外国産以上の品質です。それに政府の保証もありますから一時の人気に左右されることがありません。野菜などだと一時の流行で価格が大きく変わりますが政府が関わる小麦なら安定して収入が入ります。陣出の人々としても将来の色々な計画を立てやすいと思うのです」
「君の考えは理解した。取り敢えずこのシステムの変更をしてみよう。結果がどうなるか楽しみだ」
「上手く行くことを祈っていますよ」
 最後に折木さんは、そう言って立ち上がりました。今から三ヶ月後とは暮からお正月です。上手く行けばまた折木さんと初詣が出来るのですね。そう思うと胸が熱くなりました。
 それからは摩耶花さんや福部さん。それに十文字さん達と逢って色々な話をしました。中でも十文字さんは
「あの折木くんが、鉄吾さん相手にそこまでやったんだ。本当に本気なのね。良かったね、える!」
 そう言って一緒に喜んでくれました。でも結果は三ヶ月後なのにです。

 その後、お正月に折木さんは父に呼ばれました。それも一般の新年の挨拶の客様が見える元旦ではなく、身内が集まる二日でした。それが何を意味するのかは、わたしでも判ります。
 結果だけを言うと折木さんの提言で会社の利益が向上したそうです。父はそれを高く評価しました。お正月に呼んだのは例の小麦の話の続きもする意味もありました。


 お正月の二日に呼ばれるということは身内に紹介する意味もあります。それがどのような意味を持つのか、わたしにも判ります。でも折木さんはそこで小麦の話の続きをするつもりです。
 と言うのも、九月に折木さんと父は話をしたのですが、その後に折木さんの提唱したシステムに変更した途端、効果が出始めたので、父は小麦のことを真剣に考え始めました。そして、わたしを通じて折木さんにコンタクトを取ったのです。電話での会話でしたが、稲の刈り入れが終わったばかりの田圃と休耕田に、それぞれ一枚の田圃にあの小麦を試験的に蒔いてみたいと話したのです。
『そうですか。それならウチから試験用の籾を提供しますよ』
『無償提供かね?』
『勿論です。ウチとしても実際の栽培のデータが欲しいですからね。だから経過をウチの者に観察させて戴きますけどね』
『それは構わんが、収穫した小麦は?』
『それはそちらでご自由に使ってください』
『そうか、判った』
『撒く日時が判ったら連絡ください。俺が行ければ行きますし、最低でも担当の者をやらせます』
『本音では君が来てくれれば幸いだがな』
 凡そこんな会話がなされたそうです。神山に向かう車の中でわたしは折木さんに
「小麦。育っていれば良いですね」
 そう言うと折木さんは
「もう発芽はしてるそうだ。雪が降っても順調に育っていると連絡が入っている」
「籾を撒く時は、わたしの会社からも指導員を派遣しました」
「あれは助かった」
「ウチとしても将来がかかった商品ですから」
「確かにな。その意味ではウチの会社も同じだ。これが上手く行けば、千反家を始め陣出の農家、俺の会社、そしてお前の会社の三者にとって大きな成功になる。大事な試験栽培なんだ」
「そうですね。わたしも研究をしていた時のことを思い出しました」
 やがて車は高速を降りて神山に向かって行きます。陣出の坂を登ると実家が見えて来ました。陣出に入ると折木さんは、試験栽培をしている田圃に車を向かわせました。
「見ろ、順調だ。このまま行けば良いな」
 窓の外の田圃には雪の間に青い麦の芽が見えていました。
「ウチの会社で試験栽培した時よりも順調です」
「もしかしたら、ここが栽培に適しているのかもな。改良したとは言え、麦はある程度の寒冷な気候は必要だからな」
 この田圃は、わたしには希望の田圃に見えました。やがて実家に到着します。以前とは打って変わって父が真っ先に出迎えてくれました。
「おめでとう。お帰り。麦の様子を見て来たかな」
「おめでとうございます!はい。しっかりと見て来ました」
「そうか。折木君の言った通りになりそうで、わたしとしても嬉しいよ」
「あけましておめでとうございます。本年も宜しくお願い致します」
「ああ、おめでとう。みな君の言った通りになってるよ。本当に感心した」
「いえ、本当に大事なのはこれからです」
「そうだな。ま、今日は正月だ。祝おうじゃないか。上がってくれたまえ」
 父の言葉に従って家に上がります。広間ではもう宴席の準備が出来ていました。
「そう言えば、もう元旦にいい子してなくても良いのか?」
 折木さんがそんな冗談を言います
「はい、一度は家を出た者ですから」
 そうなのです。姓が千反田に戻っていても、わたしは一度はこの家を出た者なのです。それだけは忘れてはならないと思っています。
 やがて、特に親しい親族も加わって、正月の宴が開かれました。父は午後からは挨拶回りに出ます。それもあるので比較的早い時間です。その席で父が爆弾発言をしました。
「親族、家族の皆、少し聴いて欲しい」
 その言葉で皆が父の方を見つめます
「今日は、折木奉太郎君にもこの席にお出でを願ったのですが、彼は我が娘のえるの高校時代の同級生です。そして現在、二人は交際しております。ご存知のように、えるは一度は結婚生活に失敗しました。でも折木君はそれを気にしないと明言してくれました。わたしは彼と関わって月日は短いですが、彼が誠実でしかも有能な人物であることが判りました。わたしは二人の結婚を認めようと思います。そして出来れば、この千反田を継いで欲しいと思うようになりました」
 まさかの発言です。わたしは
「お父様、その話は……」
「なんだ、お前は折木君と一緒になりたくないのか? 折木君は二度とお前を離したくないと語っていたぞ」
 どうやら、父はわたしの知らない間にも折木さんと連絡をとっていたみたいです。
「いえ、その……」
「どうなんだ?」
 父がわたしにここまで問い詰めるのは初めてかも知れません
「わたしは出来れば折木さんと一緒になりたいです!」
 とうとう言ってしまいました。しかも身内と親戚が居る席でです。
「わあ! えるちゃんおめでとう!」
 皆が一斉にお祝いの言葉を言ってくれます。でも一つ気になることがあります
「折木さん。お父様が家に向かい入れると言っていましたが、それは……」
 わたしの質問に折木さんは苦笑いをしながら
「実はこの前から婿入りを言われていてな。今日返事をすることになっていたんだ」
 そんなこと全く知りませんでした
「わたしはお嫁に行くとばかり思っていました」
「嫌かい? なら再考するけどな」
 嫌ではありません。でも余りにも急なことなので考えが追いつきません。でも……。
「もしそうなれば嬉しいです」
 それだけ言うのがやっとでした。
「なら決まりだ」
「折木君良いのかね?」
「はい、依存はありません。でも一つお願いがあります」
「お願い? 何だね」
「はい、将来ですが千反田農産の中にラボを作って欲しいのです。規模は小さくても構いません。千反田には、一緒になっても研究を続けて欲しいのです。それがやがて陣出の将来に繋がりますから」
 折木さんの言葉を聴いた父は
「全く君と言う男は、本当に先のことまで考えているのだな」
「性分なんです」
 その言葉に宴席の皆が笑いました。わたしは、心の底から喜びが湧き上がりました。わたしの選んだ人が、父を始め皆に受け入れられた事が誇らしかったです」

 その夜は当然実家に泊まりました。父が
「今夜からはお前の部屋に泊まって貰いなさい」
 そう言われました。その言葉が何を意味するのか……。
 すると部屋に入ってから折木さんが
「今夜は寒いから布団はひと組で良いな」
「そうですね。二人で抱き合っていれば暖かいですね」
「何も身に付けていなくてもか?」
「そんな……イジワルです」
 そうは言いましたが結局その夜は、何も身につけることなく朝を迎えました。
 その次の日は摩耶花さんを始め友達と旧交を温めました。帰る時に父が、そっとわたしに耳打ちしました
「孫が先でも怒らんぞ」
 それを聴いて真っ赤になったわたしを折木さんが不思議そうな顔で見ていました。


                               <了>

「氷菓」二次創作 奉えるファーマーズ 前編

 茨城の霞ヶ浦を望む広大な土地に、わたしの勤務する研究施設があります。「茨城研究農場」です。多くの温室や栽培の施設。通常の物の他に水耕栽培の施設も整っています。無論そこは人工の光源を採用したものもあります。
 ここに赴任してから一月が経ちました。やっと慣れて来たところです。こちらに赴任するに当たって困ったのは住む所でした。会社も色々と応ってくれたのですが近所では見つからず車で二十分ほど離れた所に部屋を借りることが出来ました。
 滋賀の施設でも通勤は車でしていたので、引っ越しの時に、わたしがそのまま滋賀から乗って来ました。そのことを折木さんは呆れていました。
 その折木さんですが、仕事でこの施設によく来るという言葉は本当で、月に二度は来るそうです。まあ目的は研究施設そのものよりも、ここに駐在してる営業の人との商談が多いそうです。でも、わたしとしてみれば、その度に理由をつけては折木さんと逢えるのが嬉しいのです。そして今日は、その折木さんが来る日なのです。予めその日は一緒にお昼を食べる約束をします。それがわたしの楽しみでもあります。
 週末、休みが重なれば、わたしは折木さんのアパートに泊まりに行きます。本当は折木さんにも、わたしの部屋に来て欲しいのですが、未だ荷物が整理出来ていません。折木さんは
「俺が行って一緒に片付けてやるよ」
 そう言ってくれてくれました。その日も一緒にお昼を食べながら
「今週末はどうなんだ。研究か?」
 相手は植物ですから土日だからと言って休んでくれません。
「今週は土曜は出番ですが日曜は休みです」
「じゃあ土曜の晩から行って荷物の整理をしてやるよ。男手があった方が良いだろう」
「ありがとうございます! では後で細かい時間を連絡しますね」
 こうして折木さんに大きなものを片付けて貰いました。今週も折木さんは、そのつもりだったみたいですが
「今週は神山に帰らないとならないのです」
 昼食を食べながら伝えます。
「神山に帰るのか。何か用事があるのか?」
 用事などはありません
「実は父の呼び出しなのです」
「鉄吾さんが?」
「はい何の用かは判りませんが、わたしに話があるそうです」
「そうか、逢えないのは残念だが、何か判ったら教えてくれ」
「それはもう」
 そうは言いましたが、わたしには凡その内容はおぼろげながらも判っていました。

 その週の週末、土曜日の早朝わたしは新幹線に乗っていました。東京駅までは折木さんが送ってくれました。名古屋で「こだま」に乗り換えて岐阜羽島で降ります。駅には父が迎えに来てくれていました。
 車の助手席に載ります。父が
「新しい研究所には慣れたか?」
 前を見ながらハンドル操作をしてわたしに尋ねました。
「はい。大分慣れました」
「そうか。なら良いが、色々と噂を耳にしてな」
 それからの父の言葉は、わたしには思ってもみなかった内容でした。
「噂ですか?」
「ああ、離婚してやっと落ち着いたら、高校時代の同級生と交際してるとか」
 間違いなく折木さんのことです。折木さんとは復縁してから日も浅いのにと思いました。
「農協の者が苗種会社の人と懇意でな。そういえば神山出身の研究者が茨城の研究所に転任して来て。ということから話が始まったそうだ。農協の者が、『それなら陣出の千反田さんでしょう。京都の大学を卒業しておたくに就職したはずですから』と直ぐに判ってな。それでお前の最近の噂を色々と話したそうだ」
 車は国道を神山に向かって走っています。休日の朝なので交通量は多くはありません。
「その噂だがな。正直、陣出の千反田家としては嬉しくない内容だ」
「わたしは正式に離婚もしました。それが変な噂を呼んでいるのですか?」
「離婚そのものではない。その後のことだ」
 その後のこと……やはり折木さんとわたしのことなのでしょう。
「あくまで噂だが、お前が離婚したばかりなのに早くも男を作っていると。その男が研究所に来ると嬉しそうに一緒にお昼を食べている。という内容だった。千反田さんは、大人しそうな可愛い顔をしているけど発展家だと言う者も居るそうだ」
 まさか、陰でそんなことを言われていたとは思いませんでした。
「違うのです! 離婚して半年経ちました。その時に同期会があり、わたしも久しぶりに出席したのです。それで旧交が温まったのです。それだけなのです」
「本当かな?」
 父の言葉は、わたしを疑う気持ちの入ったものでした。既に車は神山市内に入っていました。
「まさかとは思ったから、悪いが調べさせたよ」
「調べた?」
「興信所に頼んだ。調査の結果を見てお前を呼んだのだ。家でも話せない内容だから車の中で親子二人だけで話したかった」
「その調査の内容はどのような物でしたか?」
 父は信号で車が停まった時に鞄の中から一冊のファイルを出して、わたしに渡してくれました。
「見れば判る」
 その言葉にそっとファイルをめくります。そこにはわたしが折木さんのアパートに入る所や、出て来るところが写されていました。勿論研究所の食堂で一緒に食事をするところもです。
「かなり親密なんだな。昔の男がそれほど良いか」
 父とは言え、酷い言い方です。
「折木さんは素敵な人です!」
「恋は盲目という言葉もある。まあ、お前も大人だ。誰と付き合おうが構わないが、結婚となるなら相手を選ばなくてはならない。何処の馬の骨では困るのだ。例えお前が家を継がなくても、千反田の名に関わるからな」
 車は陣出の坂を登っていました。もうすぐ到着します。
「お前も未だ若い、やり直しは幾らでも出来る。しかし相手は選ばないと駄目なことぐらいは理解出来るだろう」
「わたしは……わたしは……」
「お前の相手は、今度はこちらで間違いの無い相手を選んでやる。それまでの火遊びだと思うが良い」
 父の言いたかった事はそれだけでした。要するに折木さんとは程々にして、親の選んだ相手とサッサと再婚しろということなのです。
 車は家に着きました。母が迎えに出てくれました。母も事情は判っているみたいです。表情でそれが判りました。
 その日は家の自分の部屋で色々と考えていました。自分の行動が甘かったのは事実です。でもまさか……。家を継がなくなったわたしは、千反田の楔からも解き放たてられたと思っていたのです。でもそれは間違いでした。やはりわたしは千反田の楔に繋がれていたのでした。
 お昼過ぎに摩耶花さんと、少しだけ時間を作って貰い逢うことが出来ました。正直に今朝のことを打ち明けると
「まさか! 確かに神山では、ちーちゃんは色々な目で見られていたかも知れないけど、茨城くんだりまでとは……それだけ目立っていた訳なのね。折木もそんなことぐらい考えなかったのかしら」
「折木さんは悪くありません。わたしの甘さなんです」
「でもちーちゃんは正直、折木と一緒になりたいのでしょう?」
 それは今までも心の隅にいつもありました。一日足りとて忘れたことはありませんでした。
「ならこれは二人の問題よ。折木にもちゃんと正直に話して、アイツにも協力させた方がいいわ」
 確かにそれが正解なのでしょう。でも折木さんがわたしとの結婚を望まないなら。このままの関係で満足なら……。
「もう、なんでそんなこと考えるのよ。このままならちーちゃんは、何処かのバカ息子の所にお嫁に行かされてしまうのよ。折木だって協力するわよ。折木だったら何か妙案がある気がする。アイツの頭の中は普通じゃないから」
 確かに、折木さんはわたしでは及びもつかない思考で問題を解決してくれました。今度も頼って良いのでしょうか?
「それしか解決作は無い気がするわ」
 わたしは摩耶花さんの言葉を胸に茨城に帰って来ました。新幹線の中からも折木さんに電話をして、今日父から言われた事と摩耶花さんの言葉を伝えました。
「そうか、俺はお前がまた誰かに抱かれるのは嫌だな。おれだけの千反田で居て欲しい。それが俺の真意だ。誰にもやりたくない」
 はっきりと言ってくれて嬉しかったです。
「本当は直に言う積りだったんだ」
 電話の向こうで折木さんが少し微笑んだ気がしました。
「俺は俺で色々と考えてみるから、安心しろ」
 その言葉が頼もしく嬉しかったです。

 それから二週間は折木さんの仕事の都合で逢うことが出来ませんでした。正直、何処かで見張られているのかと考えてしまいました。一人で食堂でお昼を食べていると同僚の女子が
「千反田さんて岐阜の旧家の生まれで名家なんだって?」
 そんなことを尋ねて来ました。誰から聞いたのでしょうか。
「ええ、名家かどうかはともかく、古いことは古いです」
「そうなんだ。よく一緒にお昼食べてる商社の人は?」
「ああ、高校の同級生なんです。同じ部活にいました」
「へえ、すると昔の彼氏?」
「そんなんじゃありません。敢えて言うなら傷を分け合った同士です」
「同士……へえ〜」
 同僚は半分関心して去って行きました。きっとこれも尾ひれが付いて出回るのでしょうね。でも構いません。もう折木さんにも打ち明けたのです。後には引けませんでした。


 父に残酷な宣言を受けて茨城に帰って来てから二週間が経ちました。この間、折木さんとは毎日のように電話をしていました。内容は、千反田の家の内情や父が経営している「千反田農産」のことでした。わたしは最初それが二人にどうような関係があるのか正直判りませんでした。
 そして、一度は研究所に仕事で来て、いつものように一緒に昼食を採りました。その時は、電話よりも具体的に訊かれました。その時も、その理由がよく判りませんでした。
 やがて週末に折木さんの家に泊まりに行った時の事です。食事の後片付けが済んで二人で並んでテレビを見ていた時の事でした。
「千反田。実は鉄吾さんに渡して欲しいものがあるんだ」
 そう言って自分の机の上に置いてあったA4コピー用紙の束を持って来ました。
「これは?」
 わたしの疑問に折木さんは
「この数週間。俺なりに千反田の家のこと。家業の農家の事を色々と調べさして貰ったんだ。そこから色々な問題点が見つかったので、後半で俺なりの解決策を書いておいた。改善点となるものはシステムの簡単な変更で済むから、早ければ三ヶ月もあれば改善の効果があると思う」
 折木さんはわたしにも目を通すように促しました。わたしもどのような事が書かれているのか興味があってので目を通してみました。
 そこには今の「千反田農産」が抱える問題点が的確に書かれていました。外部の者でよくこれだけの事が判ったと思いました。
「どうしてこれだけの事情が判ったのですか?」
 わたしの疑問に折木さんは
「ああ、俺の大学の時の専攻は何だった?」
「確か、農業経営……ああ、専門なんですね!」
「そうだ。いつかお前の隣に立てるようにと学んだんだ。今頃役に立つとはな。でもお前に内情を随分訊いたのでそれが役に立った」
 わたしは折木さんの真意が判り、嬉しさを隠せませんでした。
「千反田家に留まらず、陣出の農家の主な作物は米だ。俗に『千反田米』と呼ばれる食味のランクでも最高位を取得している米だ。だが昨今、米ほど競争の激しい物もない。かって王者の名を欲しいままにした、魚沼産のコシヒカリでも食味ランクでは王位から落ちてしまった。そして、かって米が育たないと言われた北海道で栽培された『きらら397』という米が、食味ランクでトップに立つとは誰も思わなかったろう。『千反田米』も例外では無い。今はまだ売れているが、少しずつ落ち始めているのも事実だ。栄華は何時までも続くものでは無い。だから新しい作物を見つけるのが第一だが、その前に今までのやり方を変えないとならない。その辺を書いたのだ」
 確かに書いてある内容は、一々頷けるものばかりでした。
「問題は、俺が直に持って行っても鉄吾さんは読んではくれまい。だからお前から渡して欲しいんだ」
 わたしは嬉しかったです。わたしの愛した人はこんなにも素晴らしい人だったと、誇りたい気持ちでした。
「判りました。必ず父に渡します」
 そう約束をしました。
「おいで」
 その夜は久しぶりに希望が胸に湧き、非常に嬉しかったです。
 次の休みの日に、新幹線で高山に向かいました。父には内緒でしたので名古屋から神山線の特急に乗ります。日本ラインの美しい景色を眺めながら、このレポートで父の折木さんに対する評価が変われば良いと考えていました。
「今帰りました」
 休日なので両親も家に居ました。これは幸いでした。両親が出迎えてくれました。
「どうした。連絡も無しに帰るとは珍しいじゃないか」
 父は急にわたしが帰った事に納得が行かないようです。
「今日はお父様にお見せしたいものがあって帰って来ました」
「見せたいもの?」
 怪訝な顔をした父にわたしは、折木さんのレポートを出します。
「何だこれは?」
「この『千反田農産』の問題点と解決策を書いたレポートです」
「レポート? 誰が書いたのだ」
「折木さんです」
「ああ、あの男か」
 父は急速に興味を失ったみたいです。
「一度で良いから読んで見てください。折木さんに対する考えが変わると思います」
「大層な買い被りだな」
「買い被りではありません」
「ああ判った。後で読んでおく。それより見合いの写真が来てるんだ。見て行きなさい」
「お願いです。今すぐ目を通してください」
 余りのわたしの気迫に父も折れてくれて、レポートを手にしてくれました。そしてゆっくりとページを捲って行きます。最初は薄笑いが浮かんでいましたが、やがてそれは消え、真剣な表情に変わって行きました。
「える。これは本当にお前の同級生が書いたものなのか?」
「はいそうです」
「彼は何者だ? 単なる農産品を扱う商社マンでは無かったのか」
「彼は大学で当時最先端だった多角的農業経営を学んだのです。だからわたしとは離れて東京の大学に進学したのです」
「そうか……。これについては色々と訊きたいことがある。このレポートは確かに的確に書かれている。だが完全では無い。足りない部分もある。そこを尋ねたい。一度連れて来なさい」
「では?」
「まだ早い! 認めた訳ではない。この千反田に相応しい男かどうか、全てはこれからだ」
 そう言った父は千反田家の当主の表情をしていました。
 茨城に帰って来て折木さんに連絡を取ります。
「そうかでは時間を作ろう、休暇を取っても良いしな。お前は休めるのか?」
「折木さんは自分の事なのに、わたしの事を心配してくれます」
「はい何とか連休を取れるように調整します」
 こうして、わたしと折木さんは父と対決する事になったのです。

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