2019年08月

「氷菓」二次創作 再会 6 (終)

 それから十分ほど後に俺と千反田は、ホテルの七階の部屋に居た。ドアを開けると部屋の右側にシングルベットが並んでいる。枕が部屋の右だ。その向こうは窓だが、そこに丸いテーブルに椅子が二脚備えてある。その左隣りには小さな冷蔵庫があり、その上はガラス戸のある棚になっていてそこに紙に包まれたグラスが並んでいた。
 部屋の左側には金庫などと棚がありその上に小さな液晶テレビが置かれていた。壁は明るいクリーム色で窓に掛かっているカーテンは葡萄茶色だった。
「綺麗な部屋ですね」
 千反田が先に入り周りを見回してから窓の所に行く
「夜景が綺麗です。何だかドラマの主人公になったみたいです」
 千反田は仕事柄ホテルなどには余り泊まったことが無いのだろう。俺は仕事柄年中泊まっている。
「まあ日本のホテルはビジネスホテルでも綺麗だよ」
「そうなんですか。わたしは知らないことばかりです」
 窓際のテーブルの上にハンドバッグを置くと、備えてあった椅子に腰掛けた。
「ここなら折木さんとわたししか居ません」
 そう言って小さなため息をついた。
「そんなに人に聞かれたくないことなのか?」
 俺にはそれが疑問だった。先程別れた事に対する蟠りは氷解したのではなかったのか。千反田は俺の方を向くと
「折木さんも座ってください。立っていると話難いです」
 千反田の言葉に俺は上着を脱いでワイシャツ姿になってネクタイを外し千反田の向かいの椅子に座った。
「我儘ばかり言ってすみません。もしかしたら折木さんにはどうでも良い事かも知れませんが、わたしにとっては大事なことなんです」
 千反田はまっすぐ俺の目を見ていた。それでこいつが本気なのかが判った。千反田はワンピースだとばかり思っていたが、どうやら袖を外してノースリーブに出来るみたいだった。今の千反田は俺が上着とネクタイを外す間に半袖から肩をあらわにしてノースリーブになっていた。真夏になるとノースリーブ姿の女性を見ても何とも思わないが初夏の頃にこれを見ると少しドキッとする。目の前には細いが艶めかしい千反田の肩があらわになっていた。
「俺と二人だけじゃないと言えない事って何だ?」
 俺は棚からグラスを二個出して紙包を解いて、冷蔵庫からビールを出して二つのグラスに注いだ。
「ありがとうございます」
「ま、無理に飲めとはいわん」
 そう言ったが千反田は一口口を付けて飲むと語りだした
「話したいことは、わたしの結婚に関することです」
 千反田は訴えるような眼差しをしていた。
「結婚は俺の知らないことだから、俺には何も言う権利はない」
「違うんです。違うのです。折木さんはあずかり知らぬことでも、わたしには違うのです」
 どういうことなのだろうか。俺には意味が理解出来ない。
「千反田、もっと判り易く言って欲しい」
 物事を省略するのが千反田の昔からの悪い癖だ。
「すみません。わたしは折木さんとの関係が自然消滅して研究に打ち込んでいました。それはそれで大変でしたが、充実もしていました。会社はやればやっただけの評価をしてくれる所でした。だから楽しかったとも言えます。そんな時に元夫と同じ研究チームになりました。そして一緒に研究活動をしている内に彼に折木さんの面影を見たのです。今から思えばそれは、わたしの幻想に過ぎなかったのですが、当時はそうは思いませんでした」
 千反田の話も理解出来なくは無い。だがそれは所詮幻想に過ぎない。その元夫だって、勝手に俺の幻想を見出されては迷惑だろう。
「そうなんです。それが過ちの始まりだったのです。そして勘違いしている間に関係が深まりました。やがて結婚の話も出ました。折木さんとの関係が断たれた当時のわたしには、異論はありませんでした」
「そして一緒になったんだな」
「はい。でもすぐにそれが間違いだと気が付きました。当たり前ですが彼は折木さんではなかったのです。本当にお笑いごとです」
 一緒に暮らてみるとお互いに色々なことが判るという。俺は結婚の経験は無いが姉貴の結婚生活を見ていると、それが良く理解出来る。
「失敗したと思ったのだな」
「はい、そうです。考えが、生活の基盤設計が全く違っていたのです。本当は一緒になる前に決めておく事なのでしょうが、そんな事も考えませんでした。甘かったのです」
「それで?」
「わたしは勝手に折木さんの幻想を持ち出して人の人生までも壊してしまったのです。そんなことは誰にも言えません。本当は久しぶりに逢った折木さんにでも言ってはならない事かも知れません。でも、でも折木さんに触れた今夜は是非とも聴いて欲しかったのです」
 確かにそうなのだろうと思う。こんな事は人に言うべきものでは無い。でも俺になら言えるという事は……。
「同期会とかクラス会って不思議ですね。再会した瞬間に気持ちが当時に戻ってしまいます。あの頃の十八の頃に戻ってしまいます。だから今夜だけは昔みたいに折木さんに甘えて見たかったです」
「千反田。人には誰でも後悔することはある。殆どの人間はそれを隠して生きている。お前だって他のことなら俺には言えないだろう。それはそれで意味のあることだと俺は思う」
「では……。」
「ああ、俺はお前の気持ちをしっかりと受け止める事にするよ」
「ありがとうございます! 嬉しいです」
 俺は立ち上がって千反田の腕を取って立ち上がらせた。そして両腕で千反田を抱き締めた。あの頃と同じように少し華奢な肩が俺の胸に包み込まれた。
「折木さん……。」
「千反田……。」
 嬉し涙で滲んだ瞳に唇を這わせ雫を拭う。やがてその唇はお互いの唇と重なった。千反田の豊かな胸が俺に当たる。その心地よさを感じながらもう一度、今度は濃厚なキスをする。千反田から小さなため息が漏れる。
「わたし、まさか今日こんなことになるなんて考えてもいませんでした」
「どうしてだ」
「だって折木さんには嫌われてしまっていると思っていたからです」
「それは思い違いだ」
 右手を千反田の豊かな左胸にあて包み込むと
「あのシャワーを浴びて来ます。折木さんも汗を掻いているでしょう。シャワーを浴びた方が良いです」
「一緒に入ろうか」
 そんな冗談を言うと千反田は真面目な物言いで
「どうやらここは二人では狭いみたいですよ」
 そんなことを言ったので笑ってしまった。それに気がついた千反田も一緒に笑う。
 
 部屋は明かりが落ちて、薄暗くなっている。お互いにシャワーを浴びた後、再び冷蔵庫からビールを出して一杯だけ飲んだ。冷蔵庫の明かりが千反田の姿を妖しく映し出している。
 千反田も俺も部屋に備え付けの浴衣に袖を通している。俺はベッドに座ると千反田に
「おいで」
 と手招きをした。
「はい」 
 千反田が小声で応えると俺の胸に滑るように入って来た。右手で千反田の右肩を抱いて左手で千反田の浴衣の紐をゆっくりと解くと前が開いて豊かな双丘と白い肌が露わになった。輝くような千反田の素裸だった。
「生まれたままの姿を見るのは久しぶりだな」
「恥ずかしいです。早くベッドに」
 抱きしめながらベッドに潜り込み唇を重ねる
「今、こうして折木さんに抱かれていることが信じられません」
「すぐに信じさせてあげるさ」
「ああ、悪いひとです」
「そうさ。今夜俺は悪いひとになるのさ」
「嬉しいです。いっぱい悪くなってください」
「ああ」
 その後は会話らしい会話もしなかった、久しぶりに抱いた千反田は何回も俺の下で果てた。俺も喜びを千反田の中に果てさした。
 その後再びシャワーを浴びてお互いのベッドに潜りこむ。だが気が高ぶっていて眠ることが出来ない。何回も寝返りをしていると、隣のベットから
「折木さん。そちらのベッドに行っても良いですか。何だか眠れなくて」
「ああ、おいで」
 俺はそう言って毛布を上げると千反田が何も身に付けずに、生まれたままの姿で毛布に入って来た。
「わたし折木さんに喜びを教えて貰った頃のことを思い出しました」
 そういえば、あの頃は俺も夢中だった。
「お願いがあるのですが」
 千反田が俺の裸の胸を弄りながら
「茨木の研究所に移動になっても、また逢ってくれますか?」
「当たり前だろう。あそこは良く行くところだし、俺は千葉の柏市に部屋を借りているから、車なら小一時間で着く距離だ」
「嬉しいです。今日は本当にわたし幸せです。こんなに幸せで良いのだろうかと思いました」
 俺はキスをしながら優しく千反田の髪を撫でる。
 その後夜明けまで、お互いを求めあった事は二人の秘密だ。

                             <了>

「氷菓」二次創作 再会 5

 寝るには早すぎる。これからが大人の時間だ。それは千反田も分っているのだろう。俺の背広の袖口をそっと引っ張ると
「神山も最近では遅くまでやってるお店もありますよ。折木さんは呑み足りないのでは無いですか」
 そんな軽口を口にした。
「よく分かったな。まあ正直、もう少し呑みたい気分ではあるな。でもお前は呑めないからな」
 千反田は、アルコールが入ると性格が変わって、その上意識を失うことがあったので呑ませられない。
「うふふ。ほんの少しなら飲めるようになりました」
 そう言って千反田は少し上目遣いに微笑んだ。
「でもビールならグラスに二三杯ですけど。ワインならグラス一杯程度です」
 まあ付き合い程度だと言う事なのだろう。社会人となり会社の社風が体育会系というなら「飲めません」と拒絶は難しいだろう。
「実は良いお店を摩耶花さん達に訊いていたのです」
 そうか、では千反田は最初から俺を誘う積りだったのかと考えた。
「用意がいいことだな」
「すみません。卑しい女なんです。でもどう思われても今日は折木さんと、お話がしたかったのです。お詫びを兼ねて」
 最後の言葉が気になった。俺は千反田にお詫びを言われる筋合いはないし、記憶も無い。
「兎に角ご案内します。こちらです」
 そう言って千反田は俺の腕を引っ張った。俺はその腕に俺の腕を通して腕を組んだ。
「あの頃こっそりと、こうやって腕を組んで歩いたな」
「そうですね。誰にも見つからない所だけでしたけど。でも本当に嬉しかったです」
「あの頃。こういう関係がそのまま何時までも続くと思っていた」
「わたしも同じです」
 繁華街を少し外れた所に洒落た店があった
「あそこです」
 外観からは里志の趣味だと直ぐに理解出来た。
 少しだけだが、スコッチパブを思わせる作りになっていた。
「いらっしゃいませ」
 店の主に迎えられた。
「福部さんの紹介で来てみました」
 千反田の言葉に店主は笑顔で
「そうですか。それはそれは、ようこそいらっしゃいました。何にしますか?」
「俺はハイボールがいいな。千反田は?」
「そうですね。ハイネケンをお願いします」
「ハイネケンなんてやるじゃないか」
「うふふ、真似事です」
 店は五席のカウンターと二人がけのテーブルが二つという狭さだった。俺と千反田は奥のテーブルに向かい合って座った。程なく飲み物とテーブルチャージ代わりのおつまみが出された。
「ごゆっくり」
 笑顔で店主もといマスターが下がって行く。お互いが一口口を着けてから千反田が
「長い間考えていたことがあるんです」
 そう言って手元に置いたグラスを見つめた。
「何をだ?」
 千反田の考えていた内容が俺には思い付かなかった。
「折木さんにお詫びをしなくてはならない事です」
「おい。謝るなら寧ろ俺の方だろう」
 あの頃に段々と連絡を絶ったのは俺の方だ。
「大学に進学して右も左も判らないわたしでしたが、折木さんは何回も京都まで来てくれました。本当にとても嬉しかったです。そして一緒にいる時は幸せでした。折木さんが帰るのが辛くて京都駅で何回も駄々を捏ねました」
 そう言えば、最終に近い京都駅の新幹線のホームで千反田は俺の胸に縋って(すがって)涙を流した。俺としてもこのまま京都に残りたかったが、そうは行かないので泣く泣く新幹線に乗ったのだった。
「判っていたのです。でもこんなに愛しい折木さんが帰ってしまう事実に耐えられなかったのです。そんな態度は、親にも見せたことありませんでした。あの頃、折木さんになら自分の全てを見せても良いと思っていました。心の底から信頼していました。いいえ信頼なんて言葉では足りないかも知れません。折木さんは、わたしの一部のように思っていたのです。だから折木さんが、帰ってしまう事実が身を引き離される感じだったのです」
 そう言われればあの頃、色々と思い当たる節もある。言い換えれば「情熱的」という事だ。俺も千反田も熱にうなされていたのだろう。
「その後も折木さんは色々とわたしの事を考えてくれました。でもわたしはそれに応える事が出来なかったのです」
「千反田。それは違う。俺はお前が、立派な成績を上げる事が第一だと思っていた。その為なら俺が我慢しなくてはと考えたのだ」
 あの頃、俺は腹の底から、そう思っていた。その為なら俺の欲望は抑えないとならないと思っていたのだ。
「いいえ。わたしは折木さんに甘えていたのです。少しぐらいなら折木さんは許してくれるだろう。この位なら大丈夫だろうと甘えてしまったのです。気が付いた時は既に全て遅かったのです。わたしの我儘が二人の関係を壊してしまったのです。だから今日は折木さんに謝りたいのです。そして今更ですが許して欲しいのです」
 千反田は呑めないハイネケンをグラスに半分ほど飲み込んだ。
「やっぱり苦いですね。これは今のわたしの気持ちと同じですね」
 千反田はそう言って笑おうとした。
「もういい。お前がその積りなら俺は何も言わない。誰が悪かった訳では無いと思う。あの頃は仕方なかったんだ」
「では許して戴けるのですね」
「許すも何もない。俺はこうしてお前と話せて嬉しいよ」
 その後もう少し飲んで店を出た。大分遅くなったが神山も大したものだ。まだやってる店が多かった。昔はこの時刻だとすっかり暗くなっていたものだ。
「千反田少し付き合ってくれホテルが泊まれるか訊いてみる」
「はいお付き合いします」
 腕を組んで千反田と夜の街を歩く。長い千反田の髪が夏の夜の風に吹かれて俺の肩に触れる。それが心地よい。まさかこうなるとは、今朝まで全く思っていなかった。
 大手のチェーンのビジネスホテルに向かい、フロントで尋ねると部屋はあると言う、すると千反田が
「ダブルかツインもありますか」
 そんな事を言いだした。ホテルマンは
「はいどちらもありますよ。どちらにしますか?」
「ではツインをお願いします」
 俺は驚いて千反田の横顔を見た
「二人だけで、誰にも聞かれない状況でもお話がしたいのです」
 この後に及んで「誰にも聞かれない話」とは何か。 千反田は訴えるような眼差しで俺を見つめていた。

「氷菓」二次創作 再会 4

 かって、俺が自分を見詰直したことが無いと言ったのは千反田だった。それは心ならずも当たっている。だから俺は、その時に上手い反論が出来なかったのだ。
 その千反田に、自分が特別な感情を抱いている事に気が付いたのは、高校二年の春先の「生き雛まつり」でのことだった。それまで俺は、そんな感情は、俺には生まれつき持ち合わせていないと思っていたから少なからず驚いた。結局俺も人の子だったという訳だ。
 それ以前からも色々と千反田に関して係わっていたが、思い直すとそれからが、より積極的になったと思う。
 マラソン大会での事。合唱祭での事。それらに係る事によって俺は千反田の視線で物事を考えるようになった。それは否めない事実だ。
 千反田に相談されると、まずアイツにとって最善の方法を考えるようになっていた。世間の事情は二の次だった。勿論、最善というのは全てに於いて上手く行くという意味を含む。
 高三になると、それまで以上に深く係る事が多くなった。自然と二人だけで居る時間が長くなる。お互いの気持が確認されると、それまで以上の関係をお互いに求めるようになるのに時間は掛からなかった。この関係が永遠に続くと、その時はお互いが思っていた。
 進学に当たっては随分悩んだ。俺の「アイツの隣に立っていたい」という想いを達成するには、学びたい学科が関西の大学には無かったのだ。学問としても新しい分野でもあり、積極的に取り上げている大学も少なかったのだ。だから関東の大学を選択した。千反田にとっては意外な選択だった様だが、同じ日本の中だから、関係を保つ方法は幾らでもあると考えたのだ。
 最初は俺が京都まで出向いた事も幾度かあった。その費用を捻出するためにバイトもした。だがそんな不均衡な関係が長続きする訳もなかった。お互いの途中の何処かで落ち合うとか数回に一度は千反田が東京まで来るとか方法は色々とあったと思う。でも俺はそれを選択しなかった。
 結論から言えば、俺は千反田の夢である「陣出の人々にとって有効な作物を見つけたい」という想いを邪魔したくなかったのだ。農学部は研究の多い学部だと聞いた。ならばそれに集中して欲しかった。
 千反田が俺のそんな想いを知っていたかどうかは判らない。千反田は人の気持に関しては俺よりも敏感だから薄々は気が付いていたのだと思う。だから一年の頃は交流があったのだが二年になり実験が始まると俺が京都に行く回数はめっきりと少なくなった。電話を掛けても留守電の事が多く、メッセージを残しても、返事は数回に一度という感じだった。自然と電話の回数も減って行った。
 別れの相談をした訳では無い。そんな会話をした記憶も無い。だが俺と千反田の関係はゆっくりと遠くなって行った。
 四年になる頃には、年賀状程度のやり取り程度になってしまっていた。そして千反田は京都に本社のある種苗会社に就職した。俺は東京の中堅商社に就職をした。
 それからのことは殆ど知らない。俺と千反田の関係が繋がったのは、年賀はがきの返信に「相談に乗って貰いたいことがあります」
 と書かれていたことが切っ掛けだった。それは自身の離婚の相談だった。里志や伊原から千反田が結婚したとは聞いてはいたが、俺自身、その現実から逃げていたのだ。
 里志と伊原の結婚式は内輪でやったので、友人を招待したパーティーをやったのは少し遅れてからだった。実はその時期俺は日本にはいなかった。入社早々半年だが海外に行っていたのだ。だからこの時も千反田には逢っていない。
 暫くぶりに逢った千反田は大人の女性になっていた。それはそうだろう二十代半ばになれは大人の女性として最も輝いている時期だ。地味で質素なワンピースを着ていたが、それが返って千反田の美しさを際ただせていた。
 色々と話を聞いたが二人の関係は最早修復不可能に思えた。例え、妥協しても直ぐに破局が訪れると思ったのだ。
「今日はありがとうございました。折木さんのアドバイスをもう一度よく考えて結論を出したいと思います」
 千反田はそう言って帰って行った。俺はその姿を見送りながら俺の中に湧いた卑しい想いを必死で打ち消してした。それは千反田の離婚を俺が望んでいるという考えだった。
 俺は千反田が離婚して、俺ともう一度関係が復活すれば良いと思っていたのでは無いかという考えだった。そんなはずは無い。俺は高校生の頃のように千反田が、自分に良いようにと考えて、アドバイスしたのだと思い込む事にしたのだった。
 千反田の勤務している会社の社風は結構ハードだそうだ。どちらかと言うと体育会系の感じだと言う。だから旦那は千反田に家庭生活よりも研究を優先して欲しかったのだろう。それは理解出来た。だが千反田は妻としても、しっかりとやりたかったのだろう。アイツの考えは大凡理解出来る。それに千反田としてみれば妻の立場は、簡単には放棄出来ないという想いもあったろう。所詮相容れない考えだったのかも知れない。
 結局、千反田は離婚と言う道を選択した。決断した後に俺に連絡があった。俺はただ
「そうか、お前が考えた末の結論ならそれで良いと思う」
 そう返事をしただけだった。正直、この時自分の中に湧いた卑しい想いはこの時はすっかり俺の中から消えさっていた。この頃俺は短期だが海外に在ったからかも知れなかった。
 その後半年かけて協議離婚が成立して、更に残務処理にようやく片が付くたのだった。

「ねえねえ、やっぱり二人は昔みたいに戻ったほうが自然じゃ無いのかな」
 同期会の二次会で十文字と仲の良かった女子が俺に言った言葉だ。そうしたら十文字が
「そうね。人は神の前では誰でも平等だからね」
 そんなことを言うので俺は
「それは宗旨が違うだろう」
 そう突っ込むと十文字が
「宗教差別はしない主義だから」
 そう言って皆を笑わせた。千反田が
「いつか聴いた言葉ですね」
 そう言って嬉しそうにしていたのが印象的だった。
 千反田の嬉しそうな笑顔を見て、もう一度こいつにこの表情を取り戻させてやりたいとこの時思った。
 その後、三次会に行く者と、家で家族が待ってるので帰宅する者とに別れた。里志と伊原が
「僕たちは子供を預けているので今日はこれで失礼するよ。ホータローと千反田さんが神山に居るうちにまた逢おうよ」
 そう言って来たので俺も千反田も了承した。
「それじゃまた」
「ちーちゃん、折木またね」
 二人がそう言って夜の街に消えて行った。気がつけば俺と千反田だけとなった。
「どうする。まだ家に帰るのは早いな」
「折木さんは、どちらに帰られるのですか?」
 そう尋ねて来た千反田に
「実家は姉貴が嫁に行った時に処分してしまった。親父は転勤になったしな。姉貴は名古屋に住んでるから親父も定年したらそっちに行くと思う。だから俺はビジネスホテルに泊まろうと考えているんだ。
「予約はしてあるのですか?」
「いいやこれからだ。神山のビジネスホテルなんて予約なんか必要ないだろう。空き室ばかりだろう」
「父の話ですと、最近は観光客が多くて、そうでも無いみたいですよ」
「そうか、それなら何処かで夜明かしをしてもいいな」
 俺がそう言ったら千反田は
「久しぶりですから今夜は折木さんとお話がしたいです」
 そう言って俺の夏物のスーツの袖口を掴んだのだった。

「氷菓」二次創作 再会 3

 若い頃は人生の先のことなぞ余り考えて行動なぞはしない。でも千反田さんだけは例外だった。早くから旧家の跡継ぎとして育てられて来て、本人もその運命を受け入れていた。
 でも、高校二年の夏の日、それが脆くも崩れた。僕と摩耶花はそれに気がつくのが遅れた。彼女を救ったのは盟友とも言っていいホータローだった。それによって二人の結び付きは一層強くなった気がした。それ以前からも、僕と摩耶花から見ると二人がお互いに想っているのは確実なのだが本人たちはそれにお互い気がついていない。少なくともそう見えた。
「大丈夫だと思うわ。少しペースが遅いだけで、二人は一緒になる運命だと思うわ」
 そう言っていたのは摩耶花だった。僕もそれに異論はなかった。
 実際、あの事件を経過して高三になると二人の関係はより深くなったように感じた。千反田さんは、何かあるとまずホータローに相談をするようになった。僕達に話してくれるのはその後という事が多くなった。
 別にその事自体に異論がある訳ではない。千反田さん本人の心の問題であれば、僕達が介入することなぞ出来ないのだから……。でもホータローは千反田さんの心の問題でも丁寧に相談に乗ってあげていたと思う。二人が同級生から友達になり、やがてその先の関係になるのは自然だった。ただ、普通の人より少し時間が掛かっただけだった。あの当時、僕も摩耶花もそう考えていた。
 大学はそれぞれが別の所に進学した。千反田さんは京都の国立大の農学部に。ホータローは自分の専攻したい学科が関西の大学に無いので東京の大学に進学した。当初は連絡を取り合っていたそうだ。たまには逢ってもいたみたいだ。でも、二人の関係が疎遠になり自然消滅してしまったのは実は責任の半分は僕と摩耶花にある。今日はそのことを隠さずに述べてみようと思う。

 摩耶花は名古屋の芸術科のある短大に進学した。僕は大学には進学せず岐阜県の地方公務員の試験を受けて就職をした。地方公務員の新人は結構覚えることが多く、普通の勤務以外に色々な講習会に出なければならない。それは多岐に渡っていてとてもここでは書ききれないほどだ。
 例えば、ゲートキーパーとしての「うつ病」や「自殺防止」の為の講習会なども含まれる。それぞれが専門の役職があるのだが、基礎知識として覚えておかなければならないのだ。そんなこんなで摩耶花との連絡も以前よりは少なくなっていた。
 そこに摩耶花が新人賞を受賞したのだ。勿論僕も嬉しかったし、時間を作って一緒にお祝いもした。でも、それからが大変だった。漫画家としての仕事が一気に増えたのだ。新連載が始まり、それが好評となり更に忙しくなった。それに加えて学業がある。この時期摩耶花は寝る時間も惜しんで勉学に漫画に時間を費やしていたのだと思う。僕もそんな事情は判っていたので、もともと減っていた連絡の時間が益々減ってしまった。無論、それでは駄目だとは想っていたが、無理に電話をしても摩耶花はあらゆる事に追われていた感じだった。当然僕が連絡を取る回数は減ってしまった。摩耶花もたまに夜中に電話を掛けてくれることもあったが、こちらは翌朝から仕事なので長くは話していられなかった。気がついたら半年近くもろくに連絡を取っていなかったのだ。
 僕はホータローに相談をした。今から思えばこの時期、ホータローも大変な時期だったのだが、快く相談に乗ってくれた。そして直接摩耶花に電話をしてくれたのだった。その後、すぐに摩耶花から連絡があったのは言う間でもない。僕は摩耶花の大変さを想って彼女のことを心配したのだった。
 それがあった訳では無いのだろうが、それ以降千反田さんとホータローの関係が段々と疎遠になったみたいだった。進級して千反田さんが実験中心になると時間が不規則になりホータローとは合わなくなってしまったのも原因だと思う。
 結局二人の関係は自然消滅してしまい、千反田さんは種苗会社に就職し、滋賀県の研究施設に配属された。ホータローは東京の商社に就職した。その商社が何を扱っているのかは判らなかった。
 その後千反田さんは研究所の同僚と結婚してしまった。僕と摩耶花も式に呼ばれたがそこにホータローの姿は無かった。それはある意味無理もないと思った。だから今日の同期会に千反田さんとホータローが揃って出席すると訊いた時は正直嬉しかった。更に摩耶花からその経緯を聞いて驚きもした。
 同期会での会話は今どうしてるかが殆どで自分の近況を話して終わってしまった。当然二次会に移ったのだが、二次会はクラスごとになりそうだったので、僕たち四人は独自に会を開いた。そこに十文字さんや他の親しかった者も合流した。

「でもこうやって二人で並んでいるとお似合いの感じがするわ」
 いきなりそう言って会話の口火を切ったのは十文字さんだった。
「そうね。でも未だ落ち着いたばかりだからね」
 摩耶花が慌てて会話に口を挟む。彼女としても想いは僕と同じでそれは十文字さんも変わらないのだろうけど、やはりそこはデリケートな部分だから、正直僕はそっとしておきたかった。
「折木さんとは一度逢って色々と話を聞いて貰いました。今日はそれ以来なんです」
 千反田さんの言葉に一同は
「そうだったの」
 それぞれがそんな事を口にした。
 僕は隣に座っている摩耶花の耳元に
「この後は二人だけにしてあげようよ」
 そう言って提案した。正直、子供を両親に預けているので、それも心配だった。
 ホータローと千反田さんは並んで座っている。十文字さんの言葉ではないけれど、やっぱり二人は並んでいると「お似合い」の言葉が浮かんで来る。それはきっと摩耶花も他の同級生も同じではないかと思うのだった。 
「ホータローも千反田さんも少しゆっくりして行けるのかい?」
 僕の質問に二人は揃って
「ああ、二三日なら大丈夫だ」
「はい、二三日なら大丈夫ですよ」
 お互いがそう言ってニコヤカな表情をした。

「氷菓」二次創作 再会 2

 新幹線のこだま号は、岐阜羽島のホームに滑り込むように到着しました。 滋賀県湖南市のある会社の研究所から数時間かかりましたが、駅には父が車で迎えに来てくれていました。今夜は実家に泊まり明日の同期会に備えます。
 昨年と一昨年は色々とあり同期会には出席出来ませんでした。特に昨年は正直それどころでは無かったのです。会社の同僚の元夫との離婚の問題が上がっていたからです。元夫とは会社の研究施設で出会いました。最初は特に気にも留めなかったのですが、同じ研究でチームを組むと、「同士」という気持ちが湧いてきたのです。それはかって在籍した神山高校の古典部の頃を思わせました。
 折木さんとの関係が自然消滅してから数年。久しく忘れていた感触でした。彼も同じ想いだったのかも知れません。やがて同僚以上の関係になり結婚をしました。そこにかっての同級生であり同士だった折木さんの影を見たのは事実かも知れません。
 でも結婚生活は思っていたようには行きませんでした。わたしは妻として夫を支えながら研究者としてやっていた積りでしたが、彼としてみれば、自分の研究を優先させて欲しいと考えていたのでした。自分の早番の時に昨夜、遅番だったわたしが彼の為に早起きをして朝食の準備などをしていたのですが、それが彼にとっては重荷になったみたいです。
 わたしの気持ちが彼には段々通じなくなって行くのが判りました。一年を過ぎる頃にはとうとう別居に進んでしまいました。わたしは一人で思い悩んでいました。そんな時に折木さんから年賀状を戴きました。わたしは、これは何かの天啓だと感じたのです。はがきに書いてあった住所に年賀状のお礼の言葉と「実は相談したいことがあります」と書いて年賀状を出したのです。
 返事はすぐに来ました。そこには自分の携帯の番号が書かれており、「いつでも連絡して欲しい」と書かれていました。わたしは、折木さんの仕事に差し障りのない時刻を選んで電話をしてみました。
「もしもし折木さんですか。えるです。千反田えるだったえるです」
 そんな奇妙な言葉が口から出てしましました。折木さんは半分笑いながら砕けた感じで
「久しぶりだな。どうやら余り元気そうではないな」
「わたしの一言で判るのですか?」
「まあ、相談があると言う前段があるからな。没交渉だった俺に相談なぞするのは、よっぽどの事だろうとは想像がつく。それに今の言い方でも間違いの無いように名乗ったろう。普通はあんな言い方はしない。素直に『千反田です』と言うだろう。俺はお前が結婚して名字が変わった事もその後住所が変わったはがきも貰っている。おおよその想像はつくというものさ」
 さすがは折木さんだと思いました。わたしは嬉しくなり、心に貯まっていたものを折木さんに聴いて貰いました。そうしたら
「そうか、そんなに混み入っているなら電話ではなく一度逢おうか。直に聞きたいからな。そっちに都合はつけるよ」
 いきなり電話しただけでも大変なのに、その上直に相談に乗って貰えるとは思ってもいませんでした。
「ありがとうございます! では……」
 日時と場所を約束しました。場所は京都まで折木さんが来て下さることになりました。京都なら割合すぐに出られます。
 逢った折木さんは姿は大人になっていましたが、表情や面影は昔のままでした。それが嬉しかったです。わたしは正直に経過を話しました。今や、お互いの想いが離れてしまっている今の状態では傷が浅い内に別れた方が良いといアドバイスをくれました。その考えがわたしと同じ想いだったのが心強かったです。
 その後の離婚までの交渉は大変でしたが、何とか協議離婚が成立しました。折木さんにも電話ですが報告しました。そうしたら
「とにかく、良かったな」
 多くは言いませんでしたが、一緒に喜んでくれました。 仕事上の元夫との関係ですが、結婚した時に、彼は研究所から付属の専門学校の教授になり、別な職場になっていました。大きな農場に研究施設とその技術者を育てる専門学校が併設されています。両者は農場の左右に別れているので顔を会わせる事は殆どありません。それだけは有難かったです。
 父の運転する車で実家に向かいます。陣出が近づくに連れて心にやすらぎが浮かんで来るのが判ります。父は
「二三日ゆっくりして行けるのか?」
 ハンドルを握りながら前を向いたまま話かけます
「はい三日ほど休暇を戴きました」
「そうか」
 父はほっとした言い方でそう口にしただけでした。やがて車は坂を登り陣出に降りて行きました。
 
 摩耶花さんがわたしの膝を軽く突きます。私も「はっ」として立ち上がり折木さんの後を追います。
「どうした千反田」
「いいえ、折木さんの為に何か料理をよそってあげようかと思いまして。折木さん好きなものしか採らないと思いましたから」
「はは見抜かれていたか。でも元気そうで何よりだ」
「折木さんのおかげです」
「俺は何もしなてない」
「でも、折木さんの言葉があったから、わたしは行動に移せたのです」
「みんなお前が自分で成し遂げたことさ。ところでグレープフルーツジュースでいいか?」
「あ、はいそれでお願いします」
 わたしが折木さんの食べる料理を幾つかの小皿に載せて運びます。折木さんは両手にグラスを持って歩いて行きます。わたしは後ろから
「二次会へは出られますか?」
 そう尋ねると
「ああ、そのつもりだ。休暇を取って来たからな」
「そうですか、それは嬉しいです。それと報告があるのです」
「報告? なんだ」
「はい、十月の秋の移動で茨城の研究所に移動になります」
「茨木というと霞ヶ浦を望むあの農場兼研究所か」
「ご存知なのですか?」
「ああ、仕事で年中訪れているよ。俺の勤務先は商社の農業部門だからな」
 そう言って後ろを振り向きました。その表情を見てわたしは、もしかしたらこれから、わたしと折木さんの新しい関係が始まるのではないかと思うのでした。
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