2018年12月

氷菓二次創作「授乳に関する一考察」

 俺と千反田もとい、えると一緒になって二年が過ぎようとしていた。える自体は千反田家の本業である農業そのものは継がなかったが、旧家としての千反田の家は継ぐことになった。父親の鉄吾さんの考えでは、えるを千反田の軛から解き放して自由に人生を過ごして欲しかったみたいだが、肝心の後継者が見つからない。それはそうだと思う。江戸の初め頃からこの地方を納めていた千反田家という大きな存在を簡単に継ごうという者が見つかるはずもなかった。
 現在は形だけだが、俺が養子に入り千反田家を継いでいる。千反田家の用事などは主に鉄吾さんが行っているが、常に俺が帯同している。所謂顔を繋ぐということだ。そのうち俺が表に出ることになるのだろう。
 その俺達夫婦に待望の第一子が誕生した。長女で名を「めぐみ」と名付けた。えるは乳の出も良く母乳で育てることにした。実はそのことで意外な一面を発見してしまったのだ。
 それは授乳にあった。普段の千反田家の家の中はえるの母親と祖母、それにえるとめぐみと女性しか居ない。朝夕はそこに俺と鉄吾さんが加わる程度だ。だからと言う訳ではないが、めぐみがお腹を空かせると所構わず授乳をするのだ。
 ご存知の方もいると思うがえるは決して胸の小さな方ではない。むしろ大きい方だと言える。誰かが「隠れ巨乳」だと言ったが、正にそうだった。その点では非常に好ましかったのだが、出産して授乳するようになると乳が張って今までよりかなり大きくなっていた。それを家の中だと所構わずに出すのだ。
 それが悪いという訳ではない。家族しか居ないのだから我が子がお腹を空かせれば授乳するのは当たり前のことだ。白くて大きな乳房に娘が吸い付き、ごくごくと飲んでいる姿は親としても好ましいのは言うまでもない。
 それを微笑みながら家族が見ている……それも理解出来る。だがだ、俺の中に何かモヤモヤしたものが湧いているのも確かなのだ。めぐみが泣くとえるはすぐに白く大きな乳房をポロッと出して授乳する。それが当たり前なのだが、何かそこに釈然としない感情が芽生えているのも事実なのだ。当然、えるは俺がそんな感情を持っていることなぞ知りはしない。
「どしたのですか奉太郎さん。最近何かお悩みですか? 何か悩みがあるなら仰って下さいね。夫婦の間に隠し事は無しですよ」
 えるは授乳しながら俺にそんなことを言う。別に隠しごとをしてる訳では無い。何か判らないものが俺に湧いてるだけなのだ。
「昼間はめぐみのものですからね」
 俺の視線をどう勘違いしたのか、意味あり気な表情を浮かべた。
「別に、それはそれで楽しみだけど、そうじゃない」
 俺は何を言っているのだろうか……。
「でもこうやってお腹を痛めた子が、すくすくと育って行くのを見ると早く二人目も欲しくなりますね」
 えるは微笑みながらそんな事を言う。確かに二人目を作るのは吝かではない……そうじゃない! そうでは無いのだ。そこまで考えて、この道では先輩に当たる里志夫婦が思い当たった。
 それから暫くして里志夫婦が遊びにやって来た。伊原はえるとめぐみと楽しそうに話してる。二人には沙也加という女の子が居るのだが、今日は保育園に行っていて今日は連れて来ていなかった。俺は里志を別室に呼び出した。
「どうしたんだいホータロー。二人だけで話なんて何かの悪巧みかい」
 奥の座敷で二人だけになると里志はそんな冗談を言った。
「悪巧みではないが女性陣が居ると話しずらい事なんだ」
「へえ、それは何かな。ホータローがそんなことを言うなんて珍しいね」
「実はな……と言うよりお前の時はどうだったのか教えて欲しいんだ」
「僕の時?」
「ああ、確か沙也加ちゃんも母乳で育てたんだよな」
「そうだよ。尤も最初の半年ぐらいかな。それからは混合栄養で、一年を過ぎる頃は人工栄養に切り替えたけどね」
「そうか、それでも最初の半年は母乳だけだったんだな」
「ああ、そうだよ。それが?」
「ああ、伊原もとい奥さんは主に何処で授乳していた?」
「場所? そうだね。家の中なら何処でもだね。仕事場が一番多かったかな。仕事しながら授乳させていた事もあったからね」
 そこまで聴いて福部家は姑と一緒に住んでる訳では無かったと思った。でも確か漫画家の井原花鶴にはアシスタントが居たはずと思った。
「仕事場でも授乳していたのか?」
「ああ、アシスタントは女性だから別に気にもしなかったよ。はは〜ん、大体判ったよ。ホータローは千反田さんが何処でも授乳するんで、そのあたりがモヤモヤしてるんだね」
 図星だった。こいつも経験があるのかと思った。
「僕の場合は昼は会社に行ってるから知らないけど。実家でも平気で晒していたよ。摩耶花も授乳の時は凄く大きく張っていたからね。僕も嬉しかったけど本人が一番喜んでいたかな」
 そんなものなのか。それで良いのか……。そんな思いの俺に里志は
「まあ千反田さんは元からある方だからホータローも余計に気にかかるんだろうけど、誰も変な目で見てはいないって。心配無用だよ」
 そうだろうか……まあ普通はそうか。
「ホータローのそのモヤモヤは嫉妬だよ。嫉妬から来るものだと思うよ。自分だけの千反田さんであって欲しいという思いから来る」
 嫉妬と言われ妙に腑に落ちた感じがした。
「お前は感じなかったのか?」
 俺の質問に里志はニヤッと笑いながら
「僕の場合は既に摩耶花は多くの人に自分の才能を分け与えていたからね。読者にとって摩耶花こと井原花鶴は読者のものでもあったからね」
「お前はそれで納得したのか?」
「納得も何も、僕は売れっ子漫画家を娶る事に納得したのだから」
 そうか、里志の場合はまた俺とは違っていたのかと思った。
「千反田さんだって、来客中は自分たちの部屋か何処かでするんだろう?」
「まあ、そうだが」
「なら何も問題はないじゃや無いか。恐らく千反田さんは誇らしい気持ちもあると思うよ」
「誇らしい?」
「ああ、だって子供を生むという事は連綿と続いて来た家系を絶やさないことだからね。それこそ、千反田家のような旧家にとっては、大事な事なのだと思うよ」
「そうか」
 里志の考えを聴いて納得した自分が居た。三人が居る部屋に帰ると伊原もとい里志の奥さんが
「ふくちゃん。ちーちゃんたちは二番目の子を作るそうだから、わたし達も頑張りましょう!」
 それを聴いた里志は苦笑いをするのだった。
 それから二年後に我が家に長男が誕生した。

                                                                             <了>

                                  

「駆け抜けるもの」

 キスしてしまった!
 しかも夫以外の人と……。その人とは仕事での付き合いは長かったが、一度でもその気になったことなんて無かった。それなのに気がつけばクスをしていた。
 思えばキスなんて久しぶりで、この前のことなんか何時したのか思い出せない。ファーストキスのことなら覚えているのだけど、夫と最後にキスした日なぞ思い出せない。
 尤もキスどころか、夫婦の営みさえご無沙汰している。どうやら夫は、私が子供を産んだあたりから、私を「おんな」ではなく「母親」として見始めたようで、しかも「乳臭い」とか言って敬遠するようになってしまった。
 私も、それなら面倒くさくなくて良いわ、と考えてそのままにして来た。だからお互い様なのだから夫ばかりを責められない。夫は私が授乳している姿を見ても何も思わないらしい。平時より1.5倍は大きく張った乳房を見ても何も思わないらしい。まあ以前から人並みぐらいはあったから、今更なのかも知れないけどね。
 夫婦の営みは全く無くなった訳ではなく、それを忘れた頃にしてはいた。まるで盆暮れの行事のように……。
 でもそれもここ数年は無い。だから二番目の子が出来る訳もなく、可哀想だがウチの子は一人っ子になってしまった。そのことを夫に言うと、
「俺も一人っ子だから」
 そんな答えが返って来た。駄目じゃん。だから兄弟が欲しいとか思わなかったのか尋ねたら
「そうだな……小さい頃だけだな。大きくなってからは思ったこと無いな。大丈夫、すぐ慣れるから」
 慣れる慣れないの問題では無いと言ったが駄目だった。だから二番目の子は諦めた。そんな矢先だった。私は産休が明けると職場に復帰した。情報処理の分野で会社は私を必要としてくれていたからだ。夫だけの収入では心許ない事もあった。
 以前からコンビを組んでいた彼と再びコンビを組んだ。仕事の相性としては最高でお互いをリスペクトしていて、お互いの先を読みベストな進路を採用していた。だから男女の感情なんて入り込む余地なぞ無かったのだ。現に彼は妻子があり良く写真を見せてくれていた。
 その日は仕事の都合で残業することになってしまった。私は夫に
『残業で遅くなるから祐介を保育園に迎えに行って欲しい』
 と連絡を入れた。夫の会社は基本的に残業の無い仕事なのでOKの返事を貰った。だから安心して仕事に打ち込んでいた時だった。
「腹減らないか、何か買って来ようか?」
 彼のその言葉に時間を確認すると、我が家での夕食の時間が過ぎていた。
「もうこんな時間なんだ」
「ああ、何が良い?」
「コンビニ?」
「そうだね」
「サンドイッチか何かで良いわ。コーヒーなら廊下の自販機で挽きたてが飲めるし」
「そうだな。じゃ買って来るよ。量は?」
「小さなパックなら二個で大きなのなら一個で良いわ」
「判った。じゃ行って来る」
 ドアを締めて行く彼を見送りながら、無意識に夫と比べていた。私の母は県立高校の数学の教師で、私を産んだ後半年の産休で職場に復帰した。バリバリのキャリアウーマンの走りのような人で私にも同じ事を求めた。
 それに従った理由では無かったが、私も産休が明けると直ぐに復帰した。会社もそれを歓迎してくれた……とその時は思った。
 それが間違いでは無かったが、それ以上でも無かったのは復帰して判った。要するに会社とはそういうものだと理解した。
 廊下に出て自販機でコーヒーを買う。私はレギュラーで無糖。ついでに彼の分も買う。彼はアメリカンが好みだった。二杯を煎れて戻ると直ぐに彼が帰って来た。まあ、その時間を見計らって買いに行ったのだが……。
「BLTサンド買って来たよ確か好きだったよね」
「ありがとう。よく覚えていたわね」
「何年付き合っていると思うんだい。旦那より長いんだぜ。まあ、俺の方もそうだけどな」
 そうなのだ彼とコンビを組んだ年数は夫婦の年月を消費した月日を上回る。それは彼も同じだと言ったのだ。
 隣に座りお互いのPCのデータを確認しながらサンドイッチを口にしてコーヒーで流し込む。彼が私のPCのデーターを覗き込み、やはり買って来たお握りを頬張りながらアメリカンコーヒーで流し込んで行く。その様を見て、彼と自分は似たもの同士だと感じた。こんな事は今まで感じた事は無かった。何故だろうか?
 お互い配偶者と子供を家に残してこんな都心のビルの一室でPCとニラメッコしている。客観的に見れば滑稽だ。でもの対価で生計を立てている。
「このデータだけど」
 彼はそう言って私のPCに表示されているグラフを指差した
「どうかした?」
「昨年より下がり方が激しい気がするんだけどな」
「そう?」
 私はそう言って彼を頬がくっつく程に近づいてPCの画面を眺める。彼はコーヒーを飲み終わってテーブルに紙コップを置いた。その時だった。彼の手が私の肩に伸びて私を抱いた。私も右手を伸ばして彼の肩を抱く。そしてお互いに顔を正面にして唇を重ね合った。お互いの舌が絡み合い、何かが二人の間を駆け抜けて行く。何か大事で大切なものが二人の間を走って行くのだ。物凄いスピードで走って行く。何かが満たされて行く。それが何なのか判らない。でもこれからのあたしに必要なものなのだろうとは想像がつく。多分、それは彼も同じだと直感した。やがて唇が離れた
「ごめん。そんなつもりじゃ無かったんだけど。何か衝動に駆られて」
「ううん。私も同じだったから」
「何なのだろう。あれ」
「うん。よくわからないけど、きっとお互いに足りなかったものだと思う。確信は無いけど」
「そうなのかな」
 その時はそれで済んだ。それ以来彼とはキスをしていない。変わったことと言えば、あれから、矢鱈に夫が私を求める事が多くなった。
「どうしたの? ご無沙汰でさっぱりだったのに」
「うん。ここ所、物凄く君を抱きたいんだ。自分でも驚いている」
 週末は必ずだし、平日でも仕事が早く終わった日などは、子供を寝かしつけると早々とベッドに潜り込む
「授乳してた時さ、物凄く大きく張っていたじゃない」
「あら関心ない感じだったじゃない」
「あの時は母性を感じてたんだけど、今思えばもっと触っておけば良かったと思ってさ」
「じゃあまた大きくさせる?」
「うん」
 その後私は第二子を身ごもった。そうしたら彼の奥さんも子供を身ごもったそうだ。きっとお互いの夫婦の寝室で同じような会話がなされたのだと思っている。

                                              <了>
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