2018年10月

「噺家ものがたり」第3話 目黒のさんま

 ここ数日でめっきりと気温が下がったのを感じる。柳生が上野鈴本で、昼席のトリを取った初日には半袖でなければ過ごせないほどだったのに、今日迎えた千秋楽では長袖の上着が必要に感じていた。
 トリを取る噺家は初日、中日そして千秋楽には出演者や関係者と打ち上げを催さないとならない。全員が出るのは殆ど無いが、それでも親しい者は付き合ってくれる。今日は、見習いの柳星も連れて行く予定だった。
 それはこの十日間の間に楽屋に置いてある着物等を持って帰らなくてはならず、柳生一人では持ちきれなかったからだ。それと、柳星に寄席の仕来りとか諸先輩に紹介を兼ねたかった事もある。
 楽屋入りしたのは仲入り前だった。一門の二つ目の秋萩亭萩太郎が自分の出番が終わっても残っていた。今日の打ち上げの連絡を任せてあるのだ。
「柳生師匠、今日は都合五名です」
「そうか、こいつも参加させるから数に入れておいて欲しい」
 そう言って柳生は柳星を紹介した。
「今度見習いになりました秋萩亭柳星です、宜しくお願い致します」
 柳星がそう言って頭を下げた
「おおそうかい、君がそうか噂は聞いてるよ」
 萩太郎はそう言って少し嬉しそうな顔をした。二つ目の萩太郎だから自分の下の者が出来るのは嬉しい部分もあるのだ。
「少しこいつに色々と教えてくれないかな」
 柳生は萩太郎にそう頼んだ
「よろこんで! じゃあまず……」
 萩太郎はそう言って柳星を連れ、楽屋に残ってる者に紹介し始めた。それを見てベテランの古琴亭栄楽が
「最初は大変なんだよね。ウチの小鮒の時も手間が掛かったからねえ」
 そう言って目を細める。柳生は
「でも小鮒は評判良いじゃありませんか」
 栄楽の一番弟子の古琴亭小鮒は最近評判が良い。それは師匠の栄楽の耳にも入っていて
「まあ、どうなるか判らないよね」
 そんな言葉で気持ちを表した。ここで、そのまま喜んでしまえば、柳生以外の楽屋の目が気になる。陰で何と言われるか判らないからだ。そうなれば、ありもしない噂を立てられかねない。そこら辺は柳生も良く理解していて話題を逸した。
「ところでこの前なんですが、贔屓から紹介された店が抜群の旨さでしてね」
 この前の「まさや」のことを話だす。
「そうなんだ。今日は都合悪いけど今度紹介してよ」
「お安い御用です」
 そんな会話のあと栄楽は高座に上がって行った。どうやら演目は「強情灸」だ。
「強情灸」は「峰の灸」に行った友達が「熱かった」といったので、それを馬鹿にして「俺なら熱いなんて言わねえ」と言って、家中のもぐさを腕に乗せて火を点ける。「石川の五エ門は釜茹でだぞ。それに比べれば熱いなんて言えねえ」と最初は言っていたが、やがて、もくさに火が回ると顔を真っ赤にして悶だした。とうとう我慢出来なくなり、もぐさをはたき落す。友人に「熱かったろ?」と訊かれると「俺は熱くなかったが、石川の五エ門はさぞ熱かったろう」と落とす噺で、その仕草で笑わせる噺だ。一門によってもぐさを乗せる腕の向きが違うと言われていて、演者が上向きか下向きかで誰に稽古を付けて貰ったかが判るそうだ。
 そんな栄楽が、大きな拍手で降りて来た。
「お先に〜」
 と挨拶をする。この時の楽屋では栄楽が一番上なのでそれだけだが、先輩が居る場合は
「お先に勉強させて戴きました」
 となるのだ。その辺りが楽屋の礼儀でもある。
 膝の大神楽が始まっていた。柳生は扇子を手にして座って意識を集中させていた。頭の中にはこの前の鯖の旨さが残っていた。あの感覚を噺に生かせないかと考えていたのだ。だから「目黒のさんま」を選んだのだ。
 大神楽が終わって出囃子「小鍛冶」が流れていた。いよいよ出番だ。高座の袖まで行って出のタイミングを測る。そして出て行った。途端に客席から声が幾つも掛かる
「待ってました!」「たっぷり!」
 寄席や落語会で常に掛かるが正直、ありがたいと感じてる。それは言って貰えない噺家の方が遥かに多いからだ。自分はお客に好意的に迎えられている。声を掛けて貰えない彼らとの差をハッキリとは意識していない。何が違うのか……今は自分にも答えは出せないが、今日の高座で少しでもさんまの旨さが伝われば進歩出来るのではと思っていた。
 高座の座布団に座りお辞儀をしてマクラに入る
「え〜いよいよわたしで終わりであります。ありますなんて偉そうな事を言うまでも無いのですが、もう十日経ってしまいました。早いものですね。この分だと来週ぐらいには、暑いですねえ〜、なんて言っていたりして。まあ、それはありませんが……」
 客の食いつきも良かった。前のめりになって噺を聴いているのが判った。
 この噺の筋を簡単に書くと……
 ある藩の殿様が不意に野駆に出かけると言い出し、さっさと馬に乗り出かけてしまう。
 中目黒あたり迄来たのだが、弁当を持ってこなかったので、昼時になると腹が減ってしまう。その時どこからか、魚を焼くいい匂いがする。聞くと秋刀魚と言う魚だと言う。供は
「この魚は下衆庶民の食べる下衆魚、決して殿のお口に合う物ではございません」
 と言うが、殿様は「こんなときにそんなことを言っていられるか」
 と言い、供にさんまを持ってこさせた。これはサンマを直接炭火に突っ込んで焼かれた「隠亡焼き」と呼ばれるもので、殿様の口に入れるようなものであるはずがない。とはいえ食べてみると非常に美味しく、殿様はさんまという魚の存在を初めて知り、かつ大好きになった。
 それ以来、寝ても覚めても秋刀魚の事ばかり。
 ある日、ある親戚の集まりで好きなものが食べられるというので、殿様は
「余はさんまを所望する」
と言う。だがさんまなど置いていない。急いでさんまを買って来て、焼くのだが、脂が多く出る。それでは体に悪いということで脂をすっかり抜き、骨がのどに刺さるといけないと骨を一本一本抜くと、さんまはグズグズになってしまう。こんな形では出せないので、椀の中に入れて、餡掛けにして出す。
 殿様は見ると、かって秋刀魚とは似ても似つかぬ姿に「これは秋刀魚か?」と聞きます。
「秋刀魚にございます」という返事に食べてみたが、不味いの何の。
「いずれで求めたさんまだ?」
 と聞く。「はい、日本橋魚河岸で求めてまいりました」
「ううむ。それはいかん。さんまは目黒に限る」。
 と落とす噺でかなり有名だ。だから演者もそれを承知で演じなければならない。百人居れば百人のさんまがあるからだ。柳生は、最初の殿様がさんまを食べるシーンではその仕草を 綿密に演じて行く。まるで細かい骨のまで感じるほどだ。醤油を掛けて
「ジュー」
 という描写や
「アチ、アチ!」
「ふう、ふう」
 とやり殿様が猫舌であることや、焼き立てのさんまの暑さも表現していく。客席からは生唾を飲み込む音が聞こえて来るようだった。
 サゲを言って頭を下げると拍手が降るように被さって来た。そして客が口々に
「今夜はさんまだ。さんまに大根おろしをたっぷり添えて食べようじゃないか」
 そんな声が耳に届いた。それを感じて柳生は今日の高座は成功だったと感じた。
 楽屋に戻ると打ち上げに参加するために待っていた噺家が
「お疲れ様でした!」
 と声を揃えて迎えてくれた。
「師匠、今日は気合入っていましたね」
 そんなことを言う後輩も居た。荷物を片付けてタクシー二台に分散して「まさや」に向かう。連絡は萩太郎がしていた。
 道も空いていたので直ぐに到着して店に入る
「いらっしゃいませ! お待ちしていました」
 女将の声に迎えられて椅子席に座ると何と知った顔が二人カウンターに座っていた。
「あれ? 神山さんじゃありませんか?」
 柳生が声を掛けたのは落語情報誌「東京よみうり版」の記者の神山孝之(かみやまたかゆき)とその連れ合いだった。ちなみに彼女は女優の橘薫子(たちばなゆきこ)である。本名は結婚したので神山薫となっている。
「おや柳生師匠。今日は打ち上げ?」
「そうなんですよ。でも神山さんがどうしてこの店に」
「だって俺のマンションここから歩いて十分ぐらいだもの」
 言われて柳生は理解した。神山のマンションも幾度となく訪れていたが、下町の土地勘が無いのでこの「まさや」と神山のマンションがイマイチ結び付かなかったのだった。
 以前、柳生が問題を起こして引退同然の暮らしをしていた時に、その芸を惜しみ力を貸して再起させたのが神山だったのだ。それ以来親しくしているのだった。
「でも師匠はどうしてこの店を知ったの?」
 神山の連れ合いの薫から言われて
「贔屓のお客さんからこの前連れて来て貰ったんですよ」
 そう言うとカウンターの中の雅也が
「丁度、良い秋鯖が手に入りましてね。それを幾つか食べて貰ったんです」
 そう事情を説明した。
「そうそう。そのお陰で今日は噺が上手く行ってね。感謝してますよ」
 柳生はそう言って今日の高座の出来を説明した
「それは良かったです。でもそれは、わたしのせいじゃありません。師匠の感受性が高かったからですよ」
 雅也はそう言って謙遜した。
「その鯖俺も食べたいなぁ」
 神山がそう言うと雅也は
「今日は、あの日ほど良いのが無いんですよ。それでも良いですか?」
 そう言った。神山は
「じゃあ今度良いのが入ったら連絡くれる? 仕事放おって来るからさ」
 そんなことを言って店の中の人を笑わせたのだった。
 

「噺家ものがたり」 第2話 下町の秋鯖

 暖簾を潜る時に店の看板が目に入った。
「小料理 まさや」
 と入り口の脇の小さな木の板に書かれてあった。「まさや」というのは恐らく店主の名だと柳生は推測した。
 店内は明るく、余計な装飾が無く掃除が行き届いて、衛生的な感じがした。カウンターが七席。四人がけのテーブルが三つという小さな店だった。カウンターの中には三十代後半と思わしき男女が並んでいた。恐らく夫婦で切り盛りしているのだろうと思った。
「どうするカウンターに座るかい?」
 贔屓の客の言葉に頷く。他に客は居なかった。未だ早い時間なので勤め帰りに寄るには間があった。
 贔屓の客が店主に
「今日は何がおすすめなの?」
 そう尋ねると店主は
「今日は秋鯖ですね。良い真鯖が入りましたから」
 そう言って笑みを浮かべた。良い素材が手に入った事を純粋に喜んでいる感じだった。柳生はその様を見て贔屓の客が自分をこの店に連れて来た理由が理解出来た。
 一流は一流を知ると言うが、柳生には店主の腕が優れていると直感したのだ。
「その鯖ですが、何が旨いですか?」
 柳生は直接店主に問いかけた。すると店主は間を置かず
「そうですね。たっぷりと脂が乗っていますから、単純な塩焼きでも行けますし、味噌煮にしても良いですね。今日のは鮮度が良いので〆鯖で食べても良いですよ」
 店主の言葉を聴いて柳生はそのどれもを食べたくなった。そこで贔屓客に耳打ちをした
「三つとも食べたいのですが駄目ですかねえ」
 客は一瞬ギョっとしたが直ぐに笑みを浮かべ
「いや~さすが食道楽の師匠だ。わたしも同じものを頼むとしよう」
 そう言って店主に三つとも出してくれるように頼んだ。出す順番は店主に任せた。
「師匠、こちらの主は雅也さんと言って、以前は一流の料亭で花板をしていたんだ。雅也さん今日連れて来たのは、わたしが贔屓にしている落語家の」
 贔屓客がそこまで言った時に店主が
「秋萩亭柳生師匠ですよね。何回か寄席や落語会で拝見したことがあります」
 そう言葉を繋いだ。
「何だ知っていたのかい。それはそれは」
「落語好きなら知っていますよ」
「そうか。そうだな」
 そんな会話の合間に二人に出されたのは鯖の塩焼きだった。深緑の皿の上でジュウジュウと音を立てていた。脇に真っ赤なはじかみ生姜が添えられていた。
 柳生はまさか一番最初に塩焼きが出て来るとは思っていなかった。最初は、さっぱりとした〆鯖だと思っていたのだ。
「塩焼きですか」
 驚く柳生に雅也は
「まあ食べて見て下さい」
 そう言って相変わらずニコニコしている。言われた通りに箸で身を摘んで口に運ぶ。鯖の濃厚な脂が口に広がる。香りが鼻に抜けて行く
「これは旨い! 塩加減と焼き加減が完全にマッチしていて鯖の旨味を余す所なく出している」
 意識していた訳ではなかったが、思わず口に出てしまった。
「師匠、凄いだろう」
 贔屓客の言葉に頷くだけだった。瞬く間に塩焼きを平らげてしまった。
「この塩焼きを食べれただけでも来た甲斐がありましたよ」
 柳生がそう言うと贔屓客が
「驚くのは未だ未だだよ」
 そう言って口角を上げた。その次の瞬間二人の前に少し大きめの小鉢が出された。中には大根の妻と大葉の上に〆鯖が乗せられていた。〆鯖が二番目に出された理由を柳生は考えていた。その様子を見て
「師匠、動かすのは頭じゃなくて口だよ」
 贔屓客に言われて我に返る
「そうでした」
 慌てて山葵を乗せて〆鯖の切り身を醤油に着けて口に運ぶ
「ん!」  
 これも鯖の濃厚な味が口を襲う。だが酢の味が先程の塩焼きの脂を口から落として行く。そして新しい味が登場するのだった。それは鯖本来の旨味であり誤魔化し様の無い味だった。
「そうか……だからこの順番なんだ」
 柳生は腑に落ちた感じだった。最初が塩焼きで鯖の脂の旨さを味わう。次に〆鯖で最初の脂を落として本来の旨味を味合わせる。では最後の味噌煮は何なのだろう。期待せずにはおられなかった。
「料理のコースでも天ぷらの後に酢の物なんか出す所もありますからね」
 店主の雅也はそう解説をした。そして、最後の味噌煮を深目の薄い青い皿に乗せて出してくれた。皿の青見に味噌煮の茶色。その上には針生姜が黄色に輝いて立っている。素直に綺麗だと感じた。食べるのが勿体無かったが食べなければ話にならないので箸で崩して口に運ぶ。
「……」
 言葉が出なかった。味噌の濃厚さが鯖の味に負けていない。それでいて鯖の旨味を更に引き出す仕掛けがしてあった。
「柚子がたっぷりと入っていますね。それが隠し味ですか?」
 柳生はそう言って雅也に尋ねたが彼の答えは違っていた。
「柚子は鯖の臭みを感じさせないように入れてあります。本当の隠し味は葱なんです」
「葱ですか」
「はい、味噌のタレに生姜と葱を軽く炙っておいてから鯖を入れる前に入れるのです。最初から入れると生姜は兎も角、葱は甘みを出し切ってしまって隠し味になりません。タイミングが大事なんです」
 柳生も独り身なので家で料理を作るが鯖の味噌煮に葱を入れるなんて初めて聴いた。料理も奥が深いと感じた。
「どうだい師匠。来る価値のある店だろう」
 贔屓客が得意そうに鼻を動かした。
 この後、柳生はこの店の常連になるのだった

「噺家ものがたり」 第1話 時そば

 都内の静かな住宅地。その一角に家はあった。
 「師匠寄席に行く時間です」
 弟子の柳星(りゅうせい)の声で柳生(りゅうしょう)は我に返った。今日高座にかける噺をサラッていたのだ。
「もうそんな時間か」
 砂壁の日本間には似合わない、柱に掛かった大きめの電波時計を見て時間を確かめた。
「支度はもう出来ています」
 朝、柳星が来た時に今日の高座で着る着物の事は伝えてあった。半分障子が開けられた部屋の縁側からは青木の葉が午後の陽を受けて青々とした葉を見せていた。もうすぐ実が赤く熟し、この家の者の目を楽しませてくれるはずだった。
 青木の傍のには小さな池があり鯉が一匹泳いている。かなり前に近所の小学生が川で釣ったのだが自分の家では飼えないので、この池に放流させて欲しいと頼み込んで来たのだ。
 素よりこの家に越して来た時から何も泳がせていなかった。水は張ったもののボウフラが湧いてるだけだった。
「構わないよ」
「ありがとうございます」
 数人の小学生はそう言って持って来た鯉を池に放流した。時々様子を見に来て餌などもやっていたが、いつの間にか誰も来なくなった。その後は自分や弟子が餌をやっている。きちんと測った訳ではないが、二十センチ程だった鯉も今や五十センチはあるのではないか。それでも飼い主が判るのか柳生が池の淵に立って餌の袋をまさぐると、寄って来る。
「餌やっておいてくれな」
 弟子で見習いの柳星にそう言いつけて、着物が入った鞄を持って家を出た。
「行ってらっしゃいませ」
 その声を背に受けて歩き出す。柳星は入門して未だ一年未満の「見習い」だ。噺家の世界の仕来りや色々なことを覚えている最中なのだ。それが済むと、寄席に「前座」として入ることになる。そうなると自分の時間はほとんど持てなくなる。これを二~三年我慢すると晴れて二つ目となり噺家として出発点に立つ事が出来る。「真打」になるのにはそれから十数年経たねばならない。
 柳生は十三年前に二十数名の先輩を抜いて真打に抜擢昇進したのだった。若い頃から抜群の上手さを見せて、それが評価されたのだった。
 今、住んでいる家は支援者の紹介で十年ほど前に買ったものだった。独り身には広すぎるとは思ったが、支援者も
「いずれ女将さんを持ったり、弟子も入るだろうから、これぐらいの家には住んでいないとね」
 そんな事を言っていたが、柳生としては別にアパートだろうがマンションだろうが一向に構わなかった。只、今までは結婚とは縁が無かった。言い寄って来る女性は次から次に来るが、どうしても、その気になれなかったのだ。だから柳生の事を「女に興味がない」などと陰口を唱える者も居る。柳生はそんな噂があるのは知っていたが気にして居なかった。
 本来なら鞄持ちで柳星を連れて行くのだが、今日は寄席のトリだった。トリと言うのは寄席で最後に出る者のことを言う。その昔、寄席に電気が通じていなかった頃には高座に百目蝋燭が左右に立てられており、最後の出演者はその蝋燭の芯を鋏で切って明るさを調整したのだと言う。そんな所作から「真打」という言葉が出来、それが噺家の階級になったのだと言う。寄席に柳星を連れて行くのはもう少し慣れた頃が良いと考えていた。
 今月の十一日から上野の鈴本演芸場の昼席のトリを受け持っている。柳生の人気は抜群で、本来なら寄席は前売りはしないのだが、彼がトリの時だけは前売りをするのだ。それは以前の事だが席の券を求めるお客が歩道に列を作り、周りの商店に迷惑を掛けてしまったからだ。それ以来前売りをしている。勿論、当日券も用意されているので窓口に並んでいたお客はいるのだが以前ほどではない。
 地下鉄の階段を上がると目の前が寄席だ。入り口に近づくと前座が直ぐに寄って来て鞄を持ってくれた
「お早うございます。お疲れさまです」
「ああ、頼むよ」
 前座に鞄を手渡すとそのまま上の楽屋に向かった。
「お早うございます! お疲れ様です!」
 楽屋に入ると次から次に声が掛かる。それを一々返事を返して何時も自分が座ってる場所に陣取った。
 楽屋ではその芝居に出る芸人や噺家によって順位が決められていて、自然と座る席が決まってるのだ。この鈴本の場合でも座卓に対して正面に座るか横に座るかで変わって来る。現に、今、柳生が座った場所には先程までは後輩の芸人が座っていた。後輩芸人は柳生が来たので場を空けたのだ。楽屋にはそんなヒエラルキーがある。
 座ると直ぐに前座がお茶を持って来た。
「ありがとう」
 そう言ってからその前座に
「今日は何人だい?」
 そう尋ねると前座は
「今日は五人です」
 そう答えた。すると柳生は着物の入った鞄とは別の小さな鞄からポチ袋を五つ取り出した。それを前座に渡す。
「ありがとうございます。柳生師匠から戴きました!」
 その声に、前座が次々と柳生の前にお礼に現れる。中身は少ないがこれが彼らの大事な収入のひとつになるのだ。 
 その儀式が終わると柳生は前座に根多帳を持って来させる。これには今日を初め、この寄席でどんな噺を誰が演じたのかが書かれている。出演する噺家はこれを見て、その日に演じる演目を考えるのだ。
「今日は『時そば』出てないね」
 前座に問いただすと彼は
「はい、今日は圓歳師匠が休席ですから演じる師匠はいないと思います」
 圓歳とは三遊亭圓歳と言って柳生よりも香盤が上の噺家だが、この「時そば」が得意で寄席でも良く演じている。柳生は彼が休席と知っていて前座に確かめたのだ。
 この日、柳生は「時そば」をかけるつもりだった。というのも先日贔屓の客から言われたのだった。
「先代の柳家小さん師匠は、蕎麦とうどんの食べ分けが出来たって言うけど本当だったのかい?」
 今では伝説になりつつある話だが確かに五代目柳家小さんは蕎麦とうどんの食べ分けが出来た数少ない噺家だった。
「出来ましたよ。わたしも出来ますけどね」
 そう言ってその場ではうどんの食べる仕草を見せたのだ。
「今度鈴本で昼トリがありますから『時そば』でもやりますよ。その時に違いを見に来て下さいよ」
 そう言うと贔屓の客も
「それは是非見に行かせて貰うよ十日間通うからね」
 そう言って喜んだのだった。だから、圓歳が休みの今日は打って付けだった。贔屓の客は今日も来てるはずだった。
 柳生が楽屋入りしたのは出番の一時間前だった。寄席ではそれぞれが自分の出番に合わせて楽屋入りする。そこが芝居等とは違う。ちなみに落語の興業のことを「芝居」と呼ぶ。
 トリの前に出る出番を「膝」と呼ぶ。ちなみに、その前は「膝前」と呼ぶ。柳生がトリの時の膝は大神楽だった。大神楽とは簡単に言うと、曲芸だ。本来は祭りなどで神に捧げる芸能だった。幾つかの流派があるが、今では国立演芸場で養成している。
 高座では大神楽の芸人が顎の上に幾つもの茶碗や棒などを立ててお客をハラハラさせていた。全くトリック無しでやっているので見慣れていててもハラハラしてしまう。
 大きな拍手で膝の出番が終わったことが判った。
 続いて「小鍛冶」という出囃子が鳴り出す。これは柳生の専属の出囃子なのだ。噺家は通常、二つ目になると自分専用の出囃子を使う事が認められる。自分の好きな曲を使う者もいるが。殆どは下座の三味線のお師匠さんから
「あなたにはこれが似合ってる」
 などと勧められて決める。柳生が所属してる「噺家協会」には居ないが、もう一つの大きな協会である「噺家芸術協会」には洋楽を使ってる師匠も居る。
 柳生は自分のリズムで高座に出て行く。今日の着物は濃い緑の着物にこげ茶の羽織だ。これは今日の演目に合わせて家から持って来たのだった。鞄の中身である。
 高座に用意された座布団に座ってお辞儀をする
「え~わたしがトリとなっております。わたしの高座が終われば、皆さんは開放されます。もう少しの辛抱です」
 そう言って客席を笑わせた。そして噺に入って行く。
「今は屋台なんて言うとラーメン屋ぐらいですか。その昔は蕎麦屋が大層流行ったそうです。江戸の頃で一杯が十六文。時代によって若干違いますが、今で言うと三百二十円ぐらいですかねえ。今の感覚で言うと少し高いですかねえ」
 柳生は江戸の頃の物価の噺を織り込んで噺を進めて行く。今の物価と比較することで客は噺の中に取り込まれて行くのが判った。こうなれば噺家の手の内に入ったも同然なので噺を進め易くなった。
 この噺の筋を簡単に書いておくと、
 江戸の夜、往来を流して歩く蕎麦屋にひとりの客がやって来る。男は「しっぽく」を頼むと「景気はどうだい?商売は商いというくらいだ、飽きずにやんなくちゃいけねえぜ」と亭主に話しかける。亭主が相手をすると客はつづけて屋号や蕎麦の味、ダシのとりかた、竹輪の切り方、箸、器までを褒めちぎり蕎麦一杯を食べる。蕎麦の値段は一杯十六文。客は一文銭十六枚で勘定を支払うと言うと小銭を取り出し、「……五つ、六う、七つ、八つ、蕎麦屋さん、いま何時だい」「へい九つです」「十、十一、十二……」。
 男は勘定の途中で時刻を訪ね、一文ごまかすことに成功する。
 その様子を脇で見ていた間抜けな男がこのからくりに気がつき、翌晩、自分も真似をしようと思う。翌日、昨日より早く出てしまった間抜けな男は、通りがかった蕎麦屋をやっとの思いで呼び止め、昨日の男と同じ事をやろうとするが、尽く反対になってしまう。おまけに蕎麦も、とてもじゃないが食べられたモノではない。早々に勘定にして貰います。
「ひい、ふう、みい、……今何時でい」とやると、「へい、四つで」と答える。「ん~五つ、六う……」
 昨日より時間が早かったというオチなのだが、事前に今の時間と当時の時間の数え方を仕込んでおかないとならず、手間が掛かる噺なのだ。今日は贔屓の客に蕎麦とうどんの食べ方の違いを見せねばならない。最も違うのが麺の太さだ。それに弾力のあるうどんと細く折れそうな感じの蕎麦ではすする音さえ違わなければならない。
 柳生は、最初の男のシーンで蕎麦特有の軽いすすり方を演じて見せた。
「ふう、ふうー」
 とどんぶりを持って息を掛けて冷ます仕草も決まって、客席からはツバを飲み込む音が聞こえた。うどんなら「ずるずる」だが蕎麦なのでもっと軽い音を出す。するすると蕎麦が口の中に消えて行く様がハッキリと感じられた。その次に「ズルッ、ズルッ」と汁を啜る音を出して完全に客の視線を集めていた。
「兄さんは本当に蕎麦を食べてる様に見えるからなぁ。俺たちから見てもここまで出来る人はいないな」
 高座の袖では「膝前」の出番だった古琴亭小駒が感心していた。ここの見事さが後半に繋がって行くのだ。前半の蕎麦が旨く見えれば見えるほど後半の蕎麦の不味さが際立つのだ。
 やがてサゲを言って柳生が高座を降りて来た。
「お疲れ様でした」
 前座や他の芸人が口々にねぎらいの言葉を掛ける。すると楽屋に贔屓の客がやって来た。
「いやぁ~見事だったよ。確かに蕎麦とうどんの違いがハッキリと判ったよ。お見事だった」
 そう言って感心すると柳生は
「そうでしたか。それは良かったです」
 そう返事をして着替えていると贔屓の客が
「ところで今日はこの後も仕事があるのかい?」
 そんな事を尋ねる
「いいえ。今日はここだけです。トリの時は余り他の仕事を入れないんです」
 そう返事をすると客はニッコリと笑って
「じゃあこの後少し呑まないかい? 是非、紹介したい店があるんだ。旨いものを食わせる店なんだ」
 この客とは付き合いが長いが誘われたのは初めてだった。
「珍しいですね」
 そんな軽口を言うと客は
「今日は良いものを見せて貰ったからさ」
 結局、付き合うことになったので、家に連絡を入れて柳星に帰っても良いと連絡を入れた。
 客は鈴本の前でタクシーを拾うと東京の下町の名前を言った。運転手は
「了解しました」
 そう言って車が走り出した。
「俺もね、最近通いだしたのだけど、実に旨いものを食わせるんだよ。師匠はさ、あれだけ食べる仕草が見事なんだから実際に食べる事にも煩いんじゃ無いかと思ってね」
 確かに食べる事には人一倍興味があった。旨いものがあると聞くと取り寄せて食べてみた事も一度や二度ではなかった。
 やがてタクシーは一軒の小料理店の前で停まった。
「ここなんだよ」
 タクシーから降りた客が紹介したのは一見、平凡な小料理屋に見えた。
「ここがですか?」
「まあまあ、百聞は一見にしかずだ。入った入った」
 客に言われて入り口の扉を開けて暖簾を潜った。
「いらっしゃいませ~」
 陽気な女性の声が耳に届いた。この時、柳生はこれから起きる事を全く予想していなかった。

「バイクと恋と噺家と」第38話(終)

 小鮒さんが楽屋を出るとわたしは急いで客席に向かう。間一髪で戻れた。客席では「外記猿」が流れている。この出囃子は太鼓や笛で始まるのではなく、三味線が一定のリズムを刻みながら始まる。そして段々と他の楽器の音が重なって行くのだ。だから最初から賑やかな「さわぎ」とか「祭囃子」とは違って最初は緊張感のある出だしとなっている。
 そしてその緊張感が最高潮に達した時に袖から小鮒さんが姿を表した。一斉に拍手が湧き起こる。高座の真ん中の座布団に座ると扇子を前に置いて頭を下げた。
「え〜今日はわたしが最後でございます。我慢ももうすぐ終わりですからね。後少しの辛抱です。そうしたら、二つ目の落語から開放されますからね」
 どっと笑いが起きる。この時の小鮒さんの表情が特に良かった。
「めくりには古琴亭小鮒と書かれています。古琴亭栄楽というのがわたしの弟子……じゃなくて師匠でございます」
 ここでも笑いが連続で起きる。掴みは完璧だと思った。
「よく言われるのは『お前は栄楽師匠の弟子なのに何故師匠の名が一字もはいらないんだ』って言う質問です。無理もありません。普通は二っ目になれば師匠の名前の漢字を一字貰うのが普通なんですが、実は師匠は弟子に一字も自分の栄楽という名を付けていません。皆魚に由来する名前です。わたしの兄弟子は小鮎ですし、弟弟子は金魚ですからね。なんでそうなのかと言うと、実は師匠が釣り好きなんです。只それだけなんですね」
 観客が楽しそうな表情をしている。それを見てわたしも嬉しくなって来る。そして噺に入った。今日の「替わり目」という噺は……。
 酔っ払った男が自分の家の前で俥に乗ったりして、さんざんからかって帰って来る。女房は早く寝かせようとしますが、寝酒を飲みたいと言い出す。しかし、つまみになるものが何も無いので、女房は女夜明かしのおでん屋へ買いに行く。
 女房をを買い物にやって誰も居なくなった亭主が
「何だかんだっつっても、女房なりゃこそオレの用をしてくれるんだよ。ウン。あれだって女は悪かねえからね……近所の人が『お前さんとこのおかみさんは美人ですよ』って……オレもそうだと思うよ。『出てけ、お多福っ』なんてってるけど、陰じゃあすまない、すいませんってわびてるぐれえだからな本当に……」
 そうしみじみと語っていると
「お、まだ行かねえのか! さあ大変だ。元を見られちゃった」
 寄席ではここで切る事が殆どだが、実はこの後があり、じかも題名はそこから来ているので、ここで切ると題名の由来が判らないのだ。
 わたしはこの場面を見て、小鮒さんがこの噺を選んだ理由が理解出来た。わたしの思い込みで無ければ、今日のこの噺はわたしに向けて語ってくれていたのだ。一門の師匠方が代々受け継いで来た大事な噺……。大師匠の師匠の古琴亭志ん栄師匠が病に倒れた後の復帰の高座で最初に掛けた噺。それはリハビリを支えてくれた自分の女将さんに向けての感謝の高座でもあったのだ。わたしは、かなり前に小鮒さんから、その逸話を聴かされていた。小鮒さんはそれを覚えていて、と言うよりそれに倣ったのだ。わたしはやっとその真意を理解した。
 わたしは間抜けだ。駄目な女だ。小鮒さんがどれだけ、わたしの事を愛してくれたいたか。どれだけ大事にされて来たのか、そんな事も理解しないで生きて来た。それが今判り涙が止まらなくなっていた。ハンカチで涙を拭うが後から後から出て来て止まらない。それでもこの高座を最後まできちんと聴くのが勤めだと思う。この後の噺は……。
 亭主はその間に家の傍を通ったうどん屋をつかまえて酒の燗をつけさせる。うどん屋が何か食べてほしいというのをおどかして追っ払ってしまう。そのあとで新内流しをつかまえて都々逸をひかせていい気持ちになっているところへやっと女房が帰って来る。
「おや、お前さん、どうやってお燗をしたの」
「いまうどん屋につけさせた」
「なんか食べたの」
「なにも食わねえで追っ払った」
「かわいそうに、うどんでもとってあげれば良かったのに。……うどん屋さーん! うどん屋さーん」
「おいうどん屋、あそこの家でおかみさんが呼んでるぜ」
「どこです」
「あの腰障子の見える家だ」
「あそこは駄目です。いま行ったら銚子の替わり目だから」
 このうどん屋の最後のセリフが題名になっているのだ。だからここまで聴かないと判らないのだ。
 小鮒さんの出来は後半も素晴らしかった。恐らくわたしが聴いた小鮒さんの高座で一番の出来ではないだろうか。それだけの出来だった。湧き上がる拍手の中、緞帳が静かに下がって行く。小鮒さんが
「ありがとうございます、ありがとうございます」
 と何回も繰り返して頭を下げている。わたしはそっと客席を抜け出し楽屋に向かう。
 楽屋では小鮒さんが高座から降りて来たところだった。
「聴いててくれたかい」
 わたしは静かに頷く。言葉に出せば泣きそうだった。
「里菜、良かったね。わたしも高座からあんな言葉掛けて欲しかったなぁ」
 翠が笑いながら横目で馬富さんの方を見ながらそんな事を言ってくれた。やはり彼女もあのセリフの意味が判っていたのだ。
 観客が帰り、出演者がもう一度高座に呼ばれた。今日の講評を伝えるのだ。それによると、一番の出来はやはり小鮒さんの「替わり目」だった。次が萩太郎さんの「代書屋」その次が馬富さんの「青菜」だった。二人の差は僅かだったと言う。四番目が段々さんの「黄金餅」で最後が福太郎さんの「菊江の仏壇」だった。福太郎さんもそれは想像していたみたいで、
「この次に上がる時は一番になります」
 そう決意を聞かせてくれた。次回は福太郎さんの代わりに遊五楼さんが出演する。それは三月後の八月だった。
「すると俺が次に出るのは十一月か。稽古する時間はたっぷりあるな」
 福太郎さんがそんな事を言うと馬富さんが
「時間は誰でも平等だけどな」
 そう言ったら皆が笑っていた。わたしはその様子、関係がとても羨ましく感じた。お互いに真剣にやり合いながらも常にユーモアを忘れない……きっと将来はそれぞれ特別な噺家になるのだろうと思った。
 
 あれから五年……。
 わたしは大学を卒業して演芸関係の雑誌の出版社に就職した。大学の教授からは、もっと条件の良い所もあると言われたが、わたしは落語に関わっていたかったのだ。小鮒さんとはどうしたって? 勿論一緒になったけど、大学を卒業してすぐでは無い。少し働いてからだった。子供も出来たが今でも雑誌記者は続けている。毎日寄席や落語会に通って取材をしている。そして今年は嬉しい知らせがあった。再来年の五月に小鮒さんと馬富さんが真打に昇進することが決まったのだ。それぞれ十人以上の先輩を抜いての抜擢昇進だそうだ。今から準備が大変だ。昇進の手拭、扇子などを考えて発注しなくてはならない。
 そして今でもバイクには乗っている。恐らく一生乗り続けるだろう。今は子供も小さいから後ろに乗せられないが、もう少し大きくなったら家族三人でツーリングに行こうと思ってる。
 翠はあの「特選落語会」の後に式を挙げて、賢ちゃんこと馬富さんと夫婦になった。今では二人の子供が居る。馬富さんの芸が著しく向上したのは奥さんのお陰と周りでは言われている。そんな翠はわたしに
「正直、一人昇進だったら嬉しかったけど、お金の算段が大変だったわね」
 そんなことを言っていた。確かに昇進には物凄くお金が掛かる。特に一人昇進なら全ての費用を一人で賄うのだが二人だとそれが半減される。
 五月の上旬から上野の鈴本演芸場を皮切りに、新宿末広亭、浅草演芸ホール、池袋演芸場と続く、そして最後は三宅坂の国立演芸場だ。都合五十日間の披露興行だ。わたしも取材にそして女将さんとして頑張らなければならない。
 こうして、わたしと顕さんの物語はここまで続いて来た。そしてこれからも続くけど、一旦、ここで終わりにしようと思う。またお目に掛かる日まで……。

               
             「バイクと恋と噺家と」       <了> 

「バイクと恋と噺家と」第37話

 顕さんに自分の想いを告げてしまった。でも、わたしは本当に噺家の女将さんになれるのだろうか? 結城顕の妻ならなれると思うというより一生懸命やれば、なれる気がする。でも、女将さんになんてなれるのだろうか? そんなことを考えていた。そして、ふと気がつく。
「ねえ、福太郎さんの噺聴かなくても良いの?」
 高座では福太郎さんが「菊江の仏壇」をやっているはずだった。客席には入れなくても楽屋から聴くことが出来るはずだった。
「そうか、戻ろうか……でも、ここに居ても良いけどね」
「どうして? 他の人の高座を聴かなくても良いの?」
 この会は出来の悪さが続けば交代させられるのだ。今日の高座で一番出来が悪かったらとりあえず次回は予備に回されるのだ。それだけは避けたいと思っているはずだった。だから福太郎さんの「菊江の仏壇」を聴かないという、消極的な考えが理解出来なかった。
「福太郎の奴にはこの噺は難しいと思うよ」
 福太郎さんは協会は違うがほぼ同じ時期に入門しており広く考えれば同期なのだ。
「難しいの? なら何故そんな噺をやったの?」
「それはきっと、安全策を嫌ったんだろうね。得意な噺だけを選んでやっていたら、芸の伸びは期待出来ない。だから今は出来なくても挑戦する事に意義があるのだと思う。でも普通は自分の会でやってみるものだけどね」
 顕さんはそう言って福太郎さんの考えを推理してくれた。
「この会で演じる事で更に自分を追い込んだのだと思う」
「そうなんだ……」
「でもそれは、今日ここに出ているメンバーは皆、表にこそ出さないけど胸にしまってると思うよ」
 そうなのだ。それは、わたしだって判っていたはずだった。顕さんの安全を願うばかりに、安全策な方向に考えが行ってしまってる事に気がついた。
「楽屋に戻ろうか」
 顕さんはそう言って、わたしの手を取って歩き出した。わたしも一緒に行く。楽屋では翠が馬富さんの着物を畳んでいた。彼女はこんな事もする。わたしは多分やらないかも知れない。真打になれば前座さんが手伝ってくれるし、ある意味、部外者であるわたしが、やる事では無い気がするからだ。
 菊江の仏壇という噺は東京でもたまに「白ざつま」という演題で演じられる。わたしも上方の米朝師や色々な師匠の録音や映像で聴いたことがあるが、余り後味の良い噺ではない。この噺の筋は……。
 ある大店の旦那ですが、奉公人にはろくなものも食わせないほどケチなくせに、信心だけには金を使うというお方。
 その反動か、せがれの若旦那は、お花という貞淑な新妻がいるというのに、外に菊江という芸者を囲い、ほとんど家に居つかない。そのせいか、気を病んだお花は重病になり、実家に帰ってしまう。
 そのお花がいよいよ危ないという知らせが来たので、旦那は若だんなを見舞いに行かせようとし、今までの不始末をさんざんに攻めるが、若旦那は
「わたいの女道楽は大旦那の信心と変われへんもんでっせ」
 と全く反省の色すらも見せない。おまけに番頭が、もしお花がその場で死にでもしたら、若だんなが矢面に立たされて責められると意見され、
嫌々ながらも、自分が出かけていく。
 本当は、これは番頭の策略で、ケチなだんながいないうちに、たまには奉公人一同にうまいものでもくわしてやり、気晴らしにぱっと騒ごうということ。
 若旦那は、親父にまんまと嫌な役を押しつけたので、早速、菊江のところに行こうとすると番頭が止めます。
「大旦那を嫁の病気の見舞いにやっておいて、若旦那をそのすきに囲い物のところへ行かせたと知れたら、あたしの立場がありません、どうせなら、相手は芸者で三味線のひとつもやれるんだから、家に呼びなさい」
 若旦那は、それもご趣向だと賛成して、店ではのめや歌えのドンチャン騒ぎが始まる。そこへ丁稚の定吉が菊江を引っ張ってくるが、夕方、髪を洗っている最中に呼びに来られたので、散らし髪に白薩摩の単衣という、幽霊のような様子。
 菊江の三味線で場が盛り上がったころ、突然だんなが戻ってきたので、一同大あわて。取りあえず、菊江を、この間、旦那が二百円という大金を出して作らせた、馬鹿でかい仏壇に隠す。
 何も知らない旦那は帰って来て、
「とうとうお花はダメだったと言い、かわいそうに、せがれのような不実な奴でも生涯連れ添う夫と思えば、一目会うまでは死に切れずにいたものを、会いに来たのが親父とわかって、にわかにがっくりしてそのままだ。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」
 と、唱えます。そして番頭が止めるのも聞かず、例の仏壇の扉をパッと開けたとたん、白薩摩でザンバラ髪の女が目に入る。
「それを見ろ、言わないこっちゃない。お花や、せがれも私も出家してわびるから、どうか浮かんどくれ消えておくれ、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」
 すると仏壇の中の菊江が
「旦那様、私も消えとうございます」
 とサゲる噺だが、後味が悪い。正直、数多ある落語の噺の中でも一、二を争うほど嫌いな噺だ。同じ女として許せない部分が余りにも多いと思う。それはわたしが女として未熟だからなのか? それとも時代がそうだったのか? 今のわたしには出せない結論だ。
 楽屋で見るモニターの福太郎さんは噺の後半に入っていた。
「……どうか消えておくれ、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」
「旦那様、わたしも消えとうございます」
 サゲが決まって拍手の中、福太郎さんが降りて来た。
「あ〜イマイチだったなぁ」
 汗を拭きながら着物を脱いで行く、すると仲の良い萩太郎さんが
「あの噺をやるなんて、まさかと思ったよ」
 そう言って半分感心していた
「結構な大看板だって、成功してるとは言い難いからね
 また、そうも付け加えていた。その言葉に福太郎さんは
「まあ、今からやらないとね。将来出来ないかも知れないし、東京で上方落語をやるには、いつかは避けて通れない道でもあるしね」
 やはり顕さんの言った通りだった。わたしは見方が甘いと思った。今のままでは噺家の女将さんには、なれないと思った。
 仲入りになり顕さんが着替えを始めた。段々結城顕から古琴亭小鮒に変わって行く。わたしも翠ではないが手伝う。今日の着物は、濃紺で一見、無地の織物に見えるが実はかなり細かい縞が入っている。今日は酔っ払いの噺でしかも、恐らく職人の家庭なのでこの着物にしたそうだ。
「似合ってるわね」
 思ったよりも柄と色が似合っていた。このまま噺の主人公になれそうだった。気がつくと段々さんの出囃子が流れていた。寄席に出ない立山流の段々さんは今日のメンバーには仲の良い人は居ない感じだった。楽屋の隅に一人で居たが、出番の前に馬富さんが声を掛けて何か話していた。今日のメンバーでは、彼が一番入門が浅い。
 段々さんは皆に軽く会釈をして「勉強させて戴きます」と言って高座に出て行った。噺家は高座に出る時は「お先に勉強させて戴きます」と言って高座に出て行き、降りて来ると「お先に勉強させて戴きました」と言うのが慣例となっている。今までわたしが書かなかったが、小鮒さんも馬富さんも何時も言っている。
「段々もまた難しい噺を選んだよな」
 福太郎さんがモニターを見ながら言う。
「ああ、亡き大師匠の得意ネタだけどな」
 萩太郎さんがそれを返すと今度は小鮒さんが
「ウチの大師匠の師匠が得意中の得意にしていた噺だけどね。確か直に教わったんだよね」
 大師匠の師匠は何と言うのだろう? 大大師匠とでも言うのだろうか?
「どうしても比べられるよね」
 今度は馬富さんが言う
 師匠や一門の先輩が得意にしていたなら、今日のメンバーは皆そうではないかと思った。
 段々さんのやる「黄金餅」という噺は……。
 下谷の山崎町の裏長屋に、薬を買うのも嫌だというケチの”西念”という乞食坊主が住んで居た。
 隣に住む金山寺味噌を売る”金兵衛”が、身体を壊して寝ている西念を見舞い、食べたいという餡ころ餅を買ってやるが、食べる所を見られたく無いので家に帰れと言う。
 帰って壁から覗くと、西念があんこを出して、そこに貯めた二分金や一分金を詰め込んで、一つずつ全部、丸飲みしてしまう。そしてその後、急に苦しみだしてそのまま死んでしまった。金兵衛は飲み込んだ金を取り出したく工夫をするが出来ず。焼き場で骨揚げ時に、金を取り出してしまおうと考える。
 長屋一同で、漬け物ダルに納め、貧乏仲間なもので夜の内に、葬列を出す。そしてこの後の道中付の口上がこの噺の注目点なのだ。
「下谷の山崎町を出まして、あれから上野の山下に出て、三枚橋から上野広小路に出まして、御成街道から五軒町へ出て、そのころ、堀様と鳥居様というお屋敷の前をまっ直ぐに、筋違(すじかい)御門から大通り出まして、神田須田町へ出て、新石町から鍋町、鍛冶町へ出まして、今川橋から本白銀(ほんしろがね)町へ出まして、石町へ出て、本町、室町から、日本橋を渡りまして、通(とおり)四丁目へ出まして、中橋、南伝馬町、あれから京橋を渡りましてまっつぐに尾張町、新橋を右に切れまして、土橋から久保町へ出まして、新(あたらし)橋の通りをまっすぐに、愛宕下へ出まして、天徳寺を抜けまして、西ノ久保から神谷町、飯倉(いいくら)六丁目へ出て、坂を上がって飯倉片町、そのころ、おかめ団子という団子屋の前をまっすぐに、麻布の永坂を降りまして、十番へ出て、大黒坂から一本松、麻布絶口釜無村(あざぶぜっこうかまなしむら)の木蓮寺へ来た。みんな疲れたが、私もくたびれた」
 ここを段々さんの大師匠は一回言った後で現代の道に置き換えて更に続けたのだ。これは当時としては革新的で一気に彼の名を高めたと言って良いそうだ。これも小鮒さんからの受け売りだけどね。
 何とか麻布絶口釜無村の木蓮寺へ着き、木蓮寺で、葬儀の値段を値切り、焼き場の切手と、中途半端なお経を上げて貰い、仲間には「新橋に夜通しやっている所があるから、そこで飲って、自分で金を払って帰ってくれ」
 と言い、帰してしまう。
 その後、桐ヶ谷の焼き場に一人で担いで持って来て、朝一番で焼いて、腹は生焼けにしてくれと脅かしながら頼み、新橋で朝まで時間を潰してから、桐ヶ谷まで戻り、遺言だから俺一人で骨揚げするからと言い、持ってきたアジ切り包丁で、切り開き金だけを奪い取って、骨はそのまま、焼き場の金も払わず出て行ってしまう。その金で、目黒に餅屋を開いてたいそう繁盛したという。江戸の名物「黄金餅」の由来でございます。とサゲる噺だ。
 段々さんは大師匠の現代版はやらなかったが、見事な口上を聴かせてくれた。そして黄金餅の由来を言い終えると頭をサゲて拍手を貰って降りて来た。同時に小鮒さんの「外記猿」が鳴り出す。小鮒さんは挨拶をしてからわたしを見詰めて静かに頷いて高座に出て行った。いよいよ小鮒さんのトリの高座が始まる。
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