2018年08月

氷菓二次創作「夏の終わり」

 さすがに八月も残りわずかとなると朝晩は秋の気配を感じるようになる。少なくともここ神山ではそうだ。
九月の始業式まであと一週間となったこの日、俺は神山高校に足を向けていた。そう、古典部の文集の編集会議があるからだ。
 今日は皆が順調ならば書いた原稿を持って来るはずだった。俺は、すでに書き上げていたから伊原に渡すだけだった。
「折木さん!」
 校門を入ったところで後ろから声を掛けられた。千反田の声だった。
「おう、原稿は出来たか?」
 俺は千反田が中々原稿に取り掛からなかった事情を知っている。あれから日にちもあった。果たして書けたのだろうか。千反田は自転車を降りて俺と並んで押して歩く。
「はい、なんとか書き上げました。出来は正直余り良くはないですが」
 成績上位者の千反田のことだから割り引いて考えなくてはならない。
「折木さんは今年もちゃんと書いて来たのでしょうね」
「ちゃんとかどうかは怪しいが一応書いて来た」
「正直、今年のテーマで折木さんがどのように書いて来たのか興味があります」
「わたし気になりますか」
「そうですね」
 神山高校の校門が後ろに過ぎ去り、学校の自転車置き場に向かう
「それより進路について決まったのか?」
 俺はこの休みの間に気になっていたことを直接尋ねてみた
「はい、理系ですからそっちの方向なんですが、正直、数学とか物理はそれ自体は楽しいですが、将来に渡って納めたいとは思いません。化学も部門によってですね」
 千反田の言い方でこいつが何を言いたいのか大凡推測出来た
「やはり農業の方向なのか?」
「判りましたか。さすが折木さんです」
 さすがも何も無いだろう。理系で物理、数学以外で多少化学に関係がある方向といったらこいつの場合、農業しかあるいまい。
「何度も考えました。将来千反田の姓を捨てることがあっても、幼い頃から慣れ親しんだ農業の道に進みたいと思いました」
 自転車置き場に自転車を置いて校舎に向かう。昇降口で上履きに履き替えて特別棟の四階に登る。地学講義室にはすでに里志と伊原が来ていた。
「おう、もう来ていたのか早いな」
「おはようございます。お二人早いですね」
「ああ、おはよう! ちーちゃん。元気だった?」
「やあホータローと千反田さん。元気そうで何よりだね」
 伊原と里志が返事を返してくれた。教室を見渡して大日向が来ていないことに気が付く
「大日向は未だのようだな」
「ひなちゃんは今日は少し遅れるそうよ。原稿は預かってるから構わないんだけどね」
 伊原がそんなことを言っていたら大日向が顔を出した。
「あれ、遅くなるんじゃ」
「はい、そうなるはずでしたが、用事が早く終わりまして」
 相変わらず日に焼けた顔が制服と妙にマッチしている。
「あのう伊原先輩、わたしの原稿なのですが、こちらと差し替えて戴きたいのですが……」
 大日向はそう言って新しい原稿用紙をカバンから出して伊原に差し出した。伊原はそれを受け取ると、自分のカバンの中から元の大日向の原稿と思われる原稿用紙を取り出して、入れ替えた。
「はい、これが元の原稿よ」
 伊原が意味有りげな顔をすると大日向は
「実は事実誤認というか間違えて書いていた部分がありまして、そこを修正したのです」
「そう、なら返って良かったわね。なんせ残るものだからね」
 そう言って新しい原稿を大事そうにしまった。文集はこの先、神山高校に古典部がある限り残って行く。そして後の世代の古典部員に読まれ引き継がれるのだ。
「図書館で新たに調べ直して修正版を書いたのです」
 今年のテーマは神山高校の卒業生と神山の街についてだ。伊原の意味有りげな表情と大日向の態度。その二つと最初の編集会議でのことを推測すると俺には大日向が何を間違ったのか推測出来た。恐らく伊原も了解済みなのだろう。

 編集会議は無事に終わり、今年は里志も伊原の指導が良かったのか短いながらも、ちゃんと書いて来ていた。大日向と伊原がそれぞれの原稿に簡単に目を通して確認した。
 解散となって伊原と里志と大日向が一緒に帰って行く。自然と俺と千反田が残された。鍵を返して昇降口で靴を履き替えて、自転車置き場に向かう。
「大日向さん結構大変でしたね。原稿を書き直すなんて」
 千反田が自転車を押しながらそんなことを言う
「大変だったが、やむを得なかったんじゃ無いかな」
「やむを得ないって、どういうことですか?」
 千反田の瞳が光った
「わたし気になります」
 こうなったら仕方ないので解説をする
「最初に原稿を書く時に神山高校の卒業生で有名人のリストを作ったろう」
「はい、各自がその中から選択するというものでした。その中にわたしの一族の者も入っていたので、わたしは、それを選択しました」
「そうだった。その時里志と伊原、それに大日向も選択したよな」
「そうでした。確か各々二名を候補に上げていたと思います」
「その時に、後でどちらか決めることになっていたよな」
「確かそうでした。それが何か……」
「ダブったんだよ」
「ダブったとは?」
 千反田はピンと来ないらしい。
「つまり、里志の選んだ人物と大日向が選んだ人物は二名のうち一名が同じ人物だったんだ。大日向は最初の原稿で選択した一人について書いたんだ。つまり里志が選択しないであろうと言う方だな。だが、編集で何度も伊原と逢っている内に、里志の選択した人物と自分が選択していた人物が同じであることに気がついた。そこで伊原に相談して原稿を差し替えることにしたんだ」
 俺の説明に千反田は目を大きく見開いて
「そうだったのですか! わたしには全く判りませんでした」
「まあ俺の勝手な推測だ。気にする必要はない」
「福部さんは知っていたのでしょうか?」
「多分知らないだろうな。全ては伊原と大日向の腹の中さ。俺の思い違いかも知れないしな」
 自転車置き場から自分の自転車を出した千反田はそれを押しながら俺と一緒に歩いて行く
「折木さんは、わたしには判らない先を見通す目をお持ちです。その目でわたしの進むべき道を指し示してくれませんか」
 おいおい冗談じゃない。俺にそんな能力なんかあるものか。人様の進むべき道など判りはしない
「そんなのは無理だし。自分自身で決めるものだろう。お前が家のことと離れても農業関係に進みたいなら、そうすれば良いし、また違った道もそのうち見えて来るんじゃないかな」
 当たり前の事をあたり前に言った。
「わたしの一族の中には過去に農学博士になった者もいます。わたしもそれに習おうと思っているのです」
 校門に差し掛かる所で千反田は自分の本音を吐露した。
「そうか、お前がそう決めたのなら俺は何も言わない。俺はそれを全力でサポートするよ」
「ありがとうございます。折木さんは進路を決められたのですか」
 高校の前の小さな橋を渡り学校の外へと出て行く
「実はな、前に決めかけた事があるんだが、お前には言えなかった」
 陽は未だ高く太陽は天空にある。
「それはいつ頃のことですか?」
「お前が雛になって俺が傘持ちをした時のことだ」
 あの日、どうしても言えなかった。その想いを今言おうとしている。
「あの時はお前が家を継ぐとばかり思っていたから俺は、お前の苦手な経営を納めようかと思っていたんだ」
 俺の言葉を聴いた千反田は
「折木さん。それって……」
 千反田がハッとした表情で俺の顔を見つめる。そう言えば以前にもこんなことがあったと思い出した。
 千反田が自転車を学校の塀に立てかけて、空いた両手で俺に抱きついて来た
「人が見てるぞ」
「いいんです。わたし嬉しいんです。一番信頼出来る人がそんなことを考えてくれていたなんて……」
 千反田の華奢な柔らかい体を感じているうちに何もかもが目に入らなくなってしまった。暫く、しばらくこのままで……。

                             <了>

「バイクと恋と噺家と」第18話

 それから数日後、都内の喫茶店で、わたしは翠とお茶を飲んでいた。
「あのこと、それからどうなったの?」
 あの事とは翠がグラビアアイドルとしてスカウトされた話だ。
「うん断ったんだけど」
「だけど?」
「それが賢ちゃんのプロダクション絡みだから簡単には行かないののよね」
 賢ちゃんというのは馬富さんの本名で賢治という。プロダクションというのは、噺家も二つ目になると、何処かのプロダクションに所属する人も結構居る。その殆どは師匠の入っている所に入れて貰うのだ。
 馬富さんも某プロに入っている。今度顕さんも入ったのだが、顕さんと馬富さんのプロダクションは違う。それはそれぞれの師匠が違うプロダクションに入っているからだ。
 翠はその馬富さんのプロダクションの親会社にあたるプロダクションからスカウトされたのだった。
「このまま押し通して賢ちゃんや師匠に悪影響があれば、わたしのせいかなと思うのよ」
「馬富さんは何と言ってるの?」
「お前の好きにすればいい。若いうちしか出来ないから、記念に写真集でも出せればな。って」
「反対じゃないんだ」
「そうなの。でもわたしは、スケベ心で、グラビアに載ったわたしを見てみたい、って想いがあると思うの」
 男の人はそんな事を思うのだろうか? 自分だけの恋人で居て欲しいとは思わないのだろうか?
「それでね妥協案として、ミス女子大生として写真週刊誌に載せるだけならどうか。って言って来てるの。賢ちゃんもそれならって言ってくれているから……」
「そうか翠は少しは気があるんだ」
「まあ、それぐらいなら」
 よく週刊誌にミス某女子大生とか言って写真が載ることがあるが、それなのだろう。
 季節は秋を通り越して冬に向かっていた。もう温かい飲み物が恋しくなって来ていた。わたしは両手で大ぶりのカップを掴むと口に持って行った。そんなわたしを見て翠が
「多分一回だけだから。それほど騒ぎにならないと思うよ」
 翠は記念的な感じなのだろう。両方の顔を立てる案なのだろう。確かにこうして一緒にお茶を飲んでいても翠はため息が漏れるぐらい綺麗になった。こういうのを化けると言うのだろうか?
 顕さんに言わせると噺家が急に上手くなったり客に受けるようになるのを「化ける」と言うのだそうだ。

 それから少し後、すっかりお日様が恋しくなった頃に翠は何処かの南の島に旅立った。写真の撮影だそうだ。その撮影された写真は写真週刊誌の正月特大号に載せられた。暮に発売されると早速買って来て顕さんと一緒に東向島のおばあゃんの家で見た。
 それは南の島で水着姿の翠が写っていた。かなり際どい水着で翠のスタイルの良さが良く現れていると思った。顕さんは食い入るように見ている。やはり男の人はこういうのが好きなのだと思う。それは仕方ないのかも知れないが、少し悔しいというより切なかった。
「翠ちゃん、良く写ってるね。さすがプロだね。俺達もそうだけど、プロなら素人とは乗り越えられない差が無くちゃね」
 顕さんはそんなことを言ってわたしを驚かせた。翠をエッチな目で見ていたんじゃ無かったの?
「どうしたの。そんな目で人の顔を眺めて」
 わたしの顔が、かなりだらしない表情をしていたのだろう。両方の手のひらで顔を挟まれてそのままキスされた。気付けのキスみたいだった。それで我に返った。
「そんなところ見ていたんだ」
「当たり前じゃない。何を見ていたと思った?」
「いや、その……翠の水着が際どいから……」
「何でそんなこと思うのさ。翠ちゃんとは何度も逢ってるし、プールにも四人で行ってるだろう」
 そういえばそうだった。確かあの時も顕さんは、わたしの水着姿の方を熱心に見ていた。
「正直言えば俺は里菜にこんなエッチな水着を着て欲しいとは思わない」
 顕さんはそう言って笑っている。
 その時顕さんのおばあゃんがコーヒーを入れて持って来てくれた。さっきのキス見られていないと願う。
 この家に通うようになって、顕さんのおばあゃんとも仲良くなり、たまには、わたしだけでもこの家にお邪魔するようになった。
 顕さんのおばあゃんは日本舞踊の名取で師範をしていた人で、最近まで都内の教室で教えていたそうだ。今は表向き引退しているが、たまに頼まれると教えに出向くという。それは国内だけでなく海外も行くと言う。だから家を空けることが多いので顕さんが来てくれると安心するのだという。
 おばあちゃんは翠の写真を見て
「あらあら綺麗な娘ねぇ。賢ちゃんもこんな可愛い娘が彼女なら心配ねぇ」
 そう言って笑っていた。馬富さんは高校の頃からこの家に来ていておばあちゃんとも顔なじみなのだ。
「でもこの写真からは、自分の持っているものを全部出しましたという感じがするわね。普通こういうものは一気に全部は出さないものだけど、彼女は何かこれきりという感じがするわね」
「やはり判りますか?」
 わたしの質問に
「里菜ちゃんだったらもっと可憐になっていたでしょうね。顕はそういうのが好みだから。この娘みたいなのは苦手なのよね」
 おばあちゃんの言葉に顕さんは
「全く余計なこと言わないでよ。俺は今の里菜が好きなんだから。だから俺だったら反対していたな」
 正直、わたしにそんな声がかかる訳は無いが、顕さんがそう言ってくれたのが嬉しかった。
 その後、翠の写真は少し話題になり、プロダクションからは本格的な写真集の話も出たそうだが翠はきっぱりと断った。
「自分は芸能界で生きていけるほどタフではありませんから」
 でも結局断りきれずに雑誌に載せる時に撮影した写真を中心にした写真集が一冊だけ出た。かなりの評判になったそうだ。
 その後も他からも何度か声が掛かったが、結局は本人の意志と、翠が馬富さんの婚約者であることが判り、馬富さんの師匠が落語界の大物であるので、それ以上のことにはならなかった。
 馬富さんの師匠は宝家圓馬と言って今の落語界ではかなりの人気者だ。日本全国何処へ行っても独演会は一杯になる。協会の常任理事も兼ねていて次の会長と目されている。顕さんが言うには
「芸には厳しいけど余り細かいことは言わない主義だよ」
 ちなみに顕さんこと古琴亭小鮒の師匠は古琴亭栄楽といってこれも重鎮だ。でも協会の権力には興味がなく、普通の理事止まりだそうだ。顕さんいわく
「落語に関する事以外は余り興味を湧かさない」
 そうだ。

 時が流れ、わたしと翠は二年生になり一年の時より講義の時間が自由になった。それで顕さんと逢う時間が多くなったと言う訳ではない。それは顕さんが小鮒として前より仕事が多くなって来たからだ。
 正直、逢える時間が少なくなったのは寂しいが、一方で噺家として売れて来たのは喜びでもあった。そして、翠といえば芸能界には全く興味を示さず。馬富さんの世話をしている。それだからか、タレントとして馬富さんをテレビで見る機会が多くなった。
 馬富さんの師匠の圓馬師は
「芸の為になると思ったら何でもやってみろ」
 という考えで、馬富さんがタレントとして活躍するのを後押ししてくれている。
「最終的に落語に戻ってくれば良い」
 そんなことも言ってくれたそうだ。そんな時に若手の噺家の落語コンテストの話が舞い込んだ。

「バイクと恋と噺家と」第17話

 神田にある連雀亭というのは二つ目だけが出演出来る所で基本、落語と講談だけとなっている。お昼にやる「ワンコイン寄席」は五百円で噺家が三人出る。その次に十三時半から行われる「キキャタピラー寄席」と夜席とがある。東京には落語の団体が四つあり、大きい方から、落語協会、落語芸術協会、落語立川流、圓楽一門会とに分かれている。お終いの二つの団体は落語協会から別れたものだ。だからこの二つの団体の芸人は寄席には出られない。貸し切りの時は別だが……。

 でもこの連雀亭ではそんな垣根は無く、希望すれば出られるそうだ。小鮒さんは落語協会の所属だから一応都内の寄席やこの連雀亭にも出られるし、事実出ている。

 その他にも最近はあちこちに呼ばれる事が多くなり、少し二人で逢う時間が少なくなっている。

 二人が結ばれた翌年。わたしは都内の四年生の大学に進学した。家から通える範囲の大学という条件だったのでわたしの街を通っている私鉄の沿線にキャンパスがある大学にした。生憎、顕さんのおばあちゃんの家のある東向島とは都内でも反対方向となってしまった。でも顕さんが都内で仕事がある時はなるべく逢うようにしていた。

 一方翠は、本人は進学するつもりなぞ全く無く、当初は派遣にでも登録して馬富さんと一緒に暮らすつもりだったらしいが、親が

「せめて短大ぐらいは」

 というので、仕方なく都内の短大に進学した。翠いわく

「わたしは勉強好きじゃないのに」

 そう言ったそうだが、親に押し切られた格好となった。進学してくれれば馬富さんと一緒に暮らすのも許可するという条件だったからだ。それでは仕方ない。

 二つ目になってから毎月、馬富さん、袁市さんと三人で行ってる勉強会も好評で、会場も大きい所に変更した。勿論たまには地元でも開催するが、この前は市民会館の大ホールでやった。そこが結構一杯埋まったのにはわたしも驚いた。どうも馬富さんに人気が出始めているそうだ。翠が言っていた。

 彼女とは頻繁に連絡を取り合っていて、時間があると逢っている。

「賢ちゃんは今の若手じゃ一番のイケメンだものね。そこに噺の上手さが加われば人気が出るのは当然だと思うわ」

 そんなことを言っているが、わたしから見ると顕さんだって結構イケメンだと思うのだが、身贔屓だろうか?

 大学には一年生だから結構朝が早いので基本電車で行くが、時間がある時はバイクで行く。やはりバイクは気持ちが良い。

 この前、顕さんを駅に夜遅く迎えに行った時のことだ。顕さんを後ろに載せて走り出すと。わたしの胸を掴んで来た。最初に載せた時はお腹に腕を回していたのに。

「エッチ」

 ヘルメット越しにそう言うと顕さんは

「結構大きくなったね」

 そんなことを嬉しそうに言う。全くスケベなんだからと思うが、胸を掴みながら体をわたしに預けて来る顕さんを感じながら

『わたしに癒やしを求めているのだ』

 と感じた。

 途中の実咲公園にバイクを停めて奥のベンチに二人で座る。キスをしながら思い切り強く抱き合う。

「逢いたかった」

 その日は久しぶりに逢ったからだ。

「わたしも」

 そう言った口を、もう一度塞がれる。

「膝枕して」

「ここで?」

「うん。里菜の膝が恋しい」

 そう言われたら仕方ないので膝に顕さんの頭を乗せる。

「ああいい景色だ。お星様と里菜の顔が一緒に見られるなんて」

 何を言ってるのかと可笑しかったが、程なく寝息をたてていた。疲れているんだと思った。正直、同期の馬富さんが人気が出始めている。まだ二つ目だから、人気より修行だとは思うが、それでも心に焦りが生まれているのでは無いだろうか。

 そんなことを思う。わたしという存在が少しでも癒やしになれば良いと思って夜が更けて行った。

 そんな中、翠が短大の学祭で行われたミスキャンパスコンテストで優勝してミスキャンパスになったのだ

「凄いじゃない」

 翠と大学近くのコーヒーショップで逢った時に言うと

「うん、賢ちゃんが出ろって言ってくれたから」

 翠は高校の頃より少し痩せて綺麗になっていた。スタイルは一層磨きがかかり、街を歩けば誰もが振り返るほどだった。

「馬富さんは心配だろうね」

「どうして?」

「翠が余りにもモテるだろうから」

 わたしの言ったことが可笑しかったのか翠は笑い出し

「関係無いわ。わたしは賢ちゃんの人気がもっと上がる事が一番大事。そして上手くなって早く真打になれば良いと思ってるの。そのためなら、わたしは賢ちゃんに尽くすの」

 まさか、そこまで翠が考えているとは思っていなかった。

「食事や健康のことも考えてあげているんだ。丁度入ったのが家政学部だからね」

「いい女将さんになるのか……」

 わたしの言葉をどう受け取ったのかは判らなかったが翠は嬉しそうに頷いた。

 その帰り道、電車に揺られながら自分と顕さんの事を考えていた。わたしは顕さんの為になっているのだろうか?

 逢えばお互い求め合い、感情の赴くまま過ごしている。今まではそれで良いと思っていた。まだ若いからそれで良いと……。

 でも翠はもっと先を見ている。五年後いや十年後まで考えているのだ。酷く自分が幼く思えた。

 そうしたら思いがけないニュースが飛び込んで来た。ミスキャンパスに選ばれた翠が某プロダクションから声が掛かったのだという。

「グラビアアイドルだって。凄いよね」

 顕さんはそう言って笑っていたが、わたしは翠はそれを受けるとは思えなかった。馬富さんが強く言えば本気で考えたかも知れないが、今の翠の視野に自分が芸能界にデビューすることは考えていない気がしたからだ。

「もしかして断るかも知れないよ」

「ええ、どうして? あんなに綺麗なのに」

 やっぱり顕さんも翠のことを綺麗だと思っているんだ。わたしは情けなかったがそんな事が少し頭を過った。

「翠の希望は馬富さんが一日でも早く真打になる事だから」

「確かに翠ちゃんの献身的な働きは頭が下がるよ。仲間内でも評判なんだ」

「だから断るかも知れない」

「そうだね。でも俺は馬富を羨ましいとは思わない」

 顕さんは東向島のおばあちゃんの家で、わたしにそう言った。

「どうして?」

「それはね。今は俺たちは修行中なんだ。実力をつける為の努力をしなくちゃいけない。人気が出るのは実力がついてからで良いんだ。それに俺には里菜が居てくれるから」

 その言葉を聴いて、わたしは安心した。ちゃんと地に足がついていると思った。

「わたしは翠ほど役には立たないかも知れないけど、わたしに出来ることがあったら何でも言ってね。出来る限り協力するから」

 そう言うと顕さんはわたしを抱きしめて

「ありがとう。俺も頑張るからさ」

 そう言って飛び切りの笑顔を見せてくれた。

 翠がプロダクションに断りを入れたのはそれから数日後だった。

氷菓二次創作「翼の飛び方教えてください」

 今年の神山の夏は暑いのでしょうか。それともそれほどでは無いのでしょうか?
 何も感じることが出来ずに夏休みが過ぎて行きました。さすがに家の人々もわたしの様子の変化に気が付き始めました。わたし自身はそれほど様子が変わったとは意識していなかったのですが、家の跡取りという立場が変わってしまった今、それまでとは心の持ちようが変わるのは仕方ないことだと思っています。
 それにしても考えるのはあの時の事だけです。雨の降る中バスに乗ってわたしを迎えに来てくれた人。今となっては家族以上にわたしの心情を理解してくれていてる人。 
 その人の名は折木奉太郎。神山高校の同級生で同じ古典部員であり、わたしが一番心を許せる人です。

 今日は古典部の集まりがあります。秋の文化祭で販売する文集「氷菓」の編集会議です。既にテーマは決まっていて各自が原稿を書いてるはずです。今日はその進行状況の報告です。
 テーマは神山高校と神山市の歴史についてです。神山高校の存在や卒業者が神山の街とどのように関わって来たのかを各自が自由に書くのです。わたしは、わたしの家の者で神山高校の卒業者が数名居ますが、彼らが神山とどのように関わって来たかを書くことになっています。資料は揃いましたが、どうしても書く気にならず、まだ原稿は手付かずなのです。
 折木さんや福部さん。それに摩耶花さんや大日向さんも原稿を書きます。編集は摩耶花さんが大日向さんと一緒に行い来年以降に備えます。
 古典部の部室である地学講義室の扉を開けると折木さんが一人でいつもの席に座っていました。その姿を目にして心が安らぐのを感じます。自分でも表情が緩むのを自覚します。
「こんにちは折木さん」
 声を掛けると折木さんは読んでいた本を脇に置いて振り返り
「おう千反田か。どうだ少しは落ち着いたか?」
 折木さんはわたしの状態を酷く気にしていました。その具合は家族以上と言っても良かったでしょう。
「落ち着きはしましたが、まだ先の事を考える余裕はありません」
 正直に己の心を伝えます。それが折木さんに対するわたしの誠意だと思うからです。今日こうして少し早く来たのも実は折木さんと二人だけで話がしたかったからです。多分、下校時にも話をすることは出来るでしょう。でも、誰とも会う前に折木さんと話がしたかったのです。そして恐らく折木さんは、わたしがそう思っている事を見抜いて早く来てくれると思ったからです。やはりそうでした。
「そうか仕方ないか、今になって急にだからな」
「いまさらなんです。いまさら翼をくれても飛び方が判りません」
「そうだよな」
「家を継がなくても良いと言われても、わたしはやはり千反田の娘なんです。それは変わることがありません。だから……」
「何をしても良いとは思えないか」
 やはり折木さんは判ってくれていました。嬉しくて目の奥が熱くなります。思わずハンカチで目頭を抑えます
「どうした。大丈夫か? 家の中でそんなに辛い立場なのか?」
「違うんです。この世界にたった一人だけでも自分のことを理解してくれる人が居ると思うと」
「まあ頼りないかも知らんが俺はお前の味方だからな」
 前にも言ってくれた事ですがやはり、ハッキリと言ってくれると嬉しいです。でも……。
「折木さん。これからは味方以上の存在になって欲しいと言ったら軽蔑しますか?」
「それは……」
 そこまで言いかけた時でした。教室の扉が開き
「あ、ちーちゃんもう来ていたんだ。折木も早いじゃん」
「こんにちは~ あ、お二人は早いですね」
 摩耶花さんと大日向さんが入って来ました。
「おう伊原と大日向か、里志はどうした?」
 折木さんが摩耶花さんに尋ねると
「ふくちゃんは手芸部に何か提出物があるからと寄ってから来るって」
「そうか、里志は両方だから大変だな」
「それはそうだけど、だからといって昨年みたく原稿が遅くなるのは許さないからね」
 摩耶花さんはそう言って笑っています。わたしは「許さない」という言い方が二人の信頼の深さを表していると思い少し羨ましく感じました。わたしは折木さんにあのような言葉は使えませんし折木さんも、わたしには言わないと思います。
 そんな事を考えていたら福部さんがやって来ました。
「遅れてゴメン。早速始めようか」
 その言葉で編集会議が始まりました。今年はそれぞれが順調に進んでいる事が確認出来ました。一番遅れているのがわたしのようでした。

「それじゃ、今度は二学期の前ね」
「それじゃ失礼します」
「じゃホータロー、千反田さんまたね」
 三人が手をひらひらさせて帰って行きました。また二人だけになります。少しぼおっとしていたら
「どうした?」
 眼の前に折木さんの顔がありました。思わず少し引きます。
「何でも無いのですが、さっき摩耶花さんが福部さんの原稿の事で遅れるのは許さないと言っていました」
「ああ、あいつらしいと思ったよ。昨年は大変だったからな」
「わたしは羨ましいと思いました」
「羨ましい?」
 折木さんは判らないという表情をしています。
「だって、そう思いませんか? 古くからの友人とは言え、人の前であのような言い方をするという事はどれだけ二人の絆が強いのだろうかと思いました」
 わたしの言葉を折木さんは聴いて少し考えてから
「図書室で最初に伊原に会った時の事覚えているか?」
「はい覚えています。神高ベストカップルだとかどうとか」
「いや、そうじゃなくて、里志は伊原の事なんて呼んでいた」
「摩耶花と呼んでいました」
「そう、その通り。それで判らないか?」
「何がですか」
 わたしが折木さんの真意を理解出来ていないので折木さんは説明をしてくれました。
「暑いな。窓を開けよう」
 窓を開けると夏の風が入って来てカーテンを揺らします。
「あの時、二人はまだ交際していなかった。伊原の告白を受けていたが里志はそれを拒否していたんだ」
「そうでした」
「そんな関係なら普通はどう呼ぶ?」
「ええと……伊原とか名字かあだ名かですか?」
「まあ通常はそうだろうな。言っておくが里志は俺たちとは小学校は違う。中学で二人は出会ったんだ」
「あ……」
 わたしは今まで折木さんが摩耶花さんと小学校以来の付き合いなので福部さんも同じと思っていました。
「つまり中学の三年間で、二人は心の中を慮る(おもんばかる)程の関係を築いていたと言う事なんだ」
 折木さんの言いたい事は判りました。摩耶花さんと福部さんは交際する前からお互いの心情を深く理解していた仲だったと言う事なのです。
 風の入って来る窓辺に立ちます。折木さんがそっと後ろに付いてくれます。
「わたしのお願い聞いてくれますか?」
「お願い?」
「はい。貰った翼の飛び方を一緒に考えてくれますか?」
 ここ数日思っていた事でした。わたしの一番大事な人だからお願いしたのです。
「ああ、俺で良かったら一緒に考えよう」
 折木さんはそう言って後ろからそっと抱きしめてくれました。嬉しさと恥ずかしさで体温が上がるのが判ります。でもこの状態が何時までも続けば良いと思うのでした。


                          、<了>

「バイクと恋と噺家と」第16話

 顕さんは本気ではなかったようで、わたしから離れると
「ごはん食べよう。お腹空いたね」
 そう言ってダイニングのテーブルに座った。カウンターキッチンなので隣にわたしも座る。わざと肩が触れるように椅子を近づける。上着を脱いで半袖のシャツになった顕さんの二の腕にわたしの二の腕が僅かに触れる。少しくすぐったいような感触が襲う。
 ただ腕が触れているだけなのにお互いの気持ちが伝わって来るようだ。これがもう少し強引に近づいてしまうと何かが台無しになる気がした。わたしは取皿に色々なおかずを取り分け顕さんに渡した。
「ありがとう。買って来た惣菜でもこうして食べると一味違うね」
 わたしは嬉しそうな顕さんの顔を見て、キスされて先ほどみたいに胸を弄られたいと思ってしまった。何を考えているんだろう、わたし……。
「確かにひと味ちがうかも」
 わたしも惣菜を口にして正直な感想を言う。でも頭の中はこの先起こることを想像してドキドキしているのだ。
「お風呂のスイッチ入れておいたから、沸いたら入ればいいよ。汗を流した方がスッキリするだろう」
「うん。ありがとう」
 色々な事が頭の中を巡っていたのに出た言葉はそれだけだった。段々何を食べているのか判らなくなりそうだった。わたし、怖いのかな?
 怖い訳ないよね。だって好きな人と今夜結ばれるのだから……。それって恋する乙女だったら皆が願うことでしょ? だよね。だからこの胸にある若干の不安は何なのだろう。こんなことなら翠にもっと詳しく訊いておくんだったと後悔する。
 食事が終わって後片付けをする。テーブルを片して綺麗に拭いて、洗い物を洗う。わたしが洗って顕さんが拭いてしまう役だった。
「怖い?」
「え」
「さっきから心ここに非ずという感じだからね。話ににも生返事が多くてさ」
 わたし、そんな感じだったんだ。言われないと判らなかった。
「ごめん。そんなつもりじゃ無かったんだけど」
「別にそれは良いんだ。でもそんなに里菜を不安にさせているなら俺の責任だと思ってね」
 顕さんはわたしの方を見ながら少し微笑んだ。その表情を見て顕さんも緊張してるのだと思った。
「実は俺も不安なんだ」
「え?」
「里菜に嫌われたらどうしようと思ってね」
「わたしから顕さんを嫌いになる訳がないじゃない」
「判らないよ。俺が強引なことしたりして」
「それだけは無いとわたしは思う」
「どうして?」
「判るんだ。顕さんはそんな強引なことはしないって」
 そう、今なら判る。顕さんは人の嫌がるような事を強引にはしない人だと。
 食器は綺麗に片付いた。流しの回りを拭いて磨き上げる。
「綺麗になった。これならおばあちゃんも喜ぶだろう。歳を取ると細かい所まで見えなくなってるから、磨き落としがあるんだ」
 そうなのか。わたしは年寄りと一緒に暮らしたことが無いから、そんな事は判らなかった。
「お腹がこなれるまでテレビでも見ようか」
 顕さんはそう言ってくれたけど、それなら顕さんの部屋にあった落語が聴きたいと思った。
「落語を聴きたいな。部屋にあったやつ」
「ああ、俺のじゃなくてね」
「駄目?」
「構わないよ。何がいい?」
「見て決めたい」
 一緒に部屋まで行って、わたしは棚を眺めていた。
「これがいいな」
 わたしが手にしたのは古琴亭志ん夕という人の「宮戸川」という噺だった。
「大師匠のだな。知っていた?」
「ううん。知らなかった。亭号が同じだから関係はあるかなとは思ったけど」
 どうやら、顕さんこと古琴亭小鮒さんの師匠の師匠らしかった。後で知ったのだがミスター落語とまで言われた人だったそうだ。でも六十三歳でガンで亡くなってしまったそうだ。勿論顕さんが今の師匠に入門する前の事だ。
 顕さんはわたしが選んだCDをプレーヤーに掛けてくれた。出囃子とともに再生が始まった。顕さんのベッドに座って噺を聴く。
「え〜男女の縁というものは実に不思議なものでして……」
 マクラが始まる。なんと言うか噺を始めただけでその場の空気がパーッと明るくなった気がした。
「凄い! この人凄い!」
 思わず口に出してしまうと顕さんが
「やはり判るんだね。そうなんだ。凄いんだ」
 この噺は……将棋で帰りが遅くなって締め出しを食った小網町の半七は、霊岸島の叔父さんのところに泊めて貰おうと思っていると、向かいのお花もカルタで遅くなり同じように閉め出されてしまいます。お花は叔父さんの所に一晩泊めて貰えないかと頼むのですが、半七は早合点の叔父さんだから嫌だと断ります。お花から離れようと駆けだしていると、お花の方が速く、脇を走って追い越して、一緒に叔父さんの所に着きます。
 飲み込みの良すぎる叔父さんは、案の定お花と半七をいい仲と勘違いして、二階に上げてしまいます。
 しかたなく背中合わせで寝ることにしましたが、背中を向け合っていたのですが、折からの激しい落雷が近くに落ちたので、驚いてお花はが半七に抱きつきます。真っ赤な緋縮緬の長襦袢から伸びるお花の真っ白な脚。それを見た半七は思わず……この先は本が破れて判りませんでしたと下げていた。
「面白かった」
 わたしの感想を聞きながら顕さんはCDをしまうと、わたしの隣に座り直り抱き締めて口づけをした。わたしはからだの力が抜けてしまい、もう何も出来なかった。
「わたしお風呂入ってないから汚いよ」
 出来ればシャワーでも浴びて綺麗な体でしたかった。
「二人の間には汚いものなんて無いんだよ。気にしなくても良いよ。里菜の匂も何も全てが今日は俺のものだから」
「ホント?」
「ああ、嘘なんか言ってどうするのさ」
 着ているものを脱がされてお互いに一糸まとわぬ体になった。
「すごく綺麗だよ」
 顕さんがそう言ってくれた。それが嘘やお世辞では無い事がわたしには理解出来た。顕さんんで良かったと思った。
 その夕、わたしと顕さんは身も心も一つになった。痛かったけど、それを上回る幸福感がわたしを包んでいた。幸せだと思った。
 その後一緒にお風呂に入った。さっき「二人では入れない」と言っていたが、それは湯船のことだった。流し場は二人で入れる広さだった。さっきはベッドの上では裸を見られても恥ずかしくなかったが、今は顕さんの目の前で裸を晒すのが、何故か少し恥ずかしく感じてしまった。
 お風呂から上がって冷たいものを口にする。隣には最愛の人が居てくれる。こんな幸福感は今まで感じたことが無かった。その後、顕さんのベッドで腕枕をされて眠りに着いた。ドキドキして中々寝付かれないわたしの瞼に顕さんが軽くキスをしてくれた。安心感を感じて、そうしたらいつの間にか眠りについていた。
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