世間がバレンタインデーと騒いでいた2月14日の前日、俺はいつもと変わらず地学講義室にいた。このところ神山も雪の日が多く、節分以来晴れた日は数日しかない。本来ならさっさと家に帰れば良いのだが、生憎、千反田から昨夜電話があったのだ。
「明日、放課後部室にいらしてください」
次の日ならさしずめチョコレートを渡すのだろうと思うだろうが、そもそも千反田の家では親しい者には盆暮れの挨拶をしないとのことだから、バレンタインもやらないそうだ。だから親しい俺には当然、そんなものは無いので別な要件だと思っていた。
伊原は既に用意したのだろう。明日渡すと、言っていたし、昼休みに廊下ですれ違った伊原が
「今日明日は部室には顔を出さないから」
そう言っていたのを思い出した。まあ、好きにすれば良いと思い文庫を読むのを再開する。そして、暫く経った時だった。不意に教室の入り口が開かれた。
「ああ、折木さん。居てくれて良かったです」
息をはぁはぁさせて肩を揺らしている。階段を駆け上がって来たのだと思った。
「お前が来てくれと昨日電話で言っただろう」
「それはそうですが、授業が終わって時間が経ってしまったので、帰ってしまわれたと思っていたのです」
やっと息が治まって来たようだった。
「それで何の用なんだ」
千反田は俺の言葉を待っていたかのように語りだした。
「実は折木さんにお願いがあるのです」
「お願い?」
「はい、実はチョコレートを食べて欲しいのです」
「おいチョコは明日だろう?」
「いえ、そのわたしのでは無いのです」
「お前のではない? 何だそれは」
千反田は少し困ったような顔をしている。本人は判ったつもりで話してるのだろうが、いきなり聴かされた俺は要領を得ない。
「すまんが最初から話してくれないか」
「すいません。実はわたしの友達が明日、好きな人に告白してチョコを送るつもりなのです。チョコは出来上がったのですが、二種類作り、どちらを送れば良いか判断出来なくなってしまったのです。だから第三者に試食してもらって欲しいのです。それを折木さんにお願いが出来ないかと」
何のことはない。要はチョコを試食してどちらが美味しいか判断すれば良いだけのことだ。
「丁度小腹も空いて来たところだ。美味しいチョコにありつけるなら嬉しいな」
「ありがとうございます。助かります」
そう言って千反田は鞄の中から小さなピンク色の包を取り出した。そしてそれを広げると、ハート型のチョコが二つ現れた。
「説明は後で致しますので、まずは一口食べてみてください」
見た限りでは片方は普通のミルクチョコレートに見える。もう片方は少し黒くなっておりビターチョコかと思わせた。大きさはどちらもほぼ同じで横が五センチぐらいで縦も同じぐらいに思えた。
ミルクチョコと思われる方を折って口に入れる。真剣な眼差しで居る千反田を見たら、割らないでそのままカジッた方が良いかと思った。
「ん、甘いな」
チョコだから甘いのは当たり前なのだが、俺にしてみれば、かなり甘さを感じたのだった。
「少し甘すぎないか?」
俺の言葉を聴いて千反田は
「やはり甘いですよね。良かった。わたしも、そう思ったのです」
「送る相手はかなりの甘党なのか?」
俺の言ったことがおかしかったのか、千反田が笑っている
「折木さん、『甘党』とはお酒を呑めない方で甘いものがお好きな方の事です。特に甘い嗜好の方の事ではありません」
そうなのか、そう言われてみればそうかも知れない
「さいですか」
「もう片方もお願いします」
千反田に言われるまでもなく口に入れた。今度はそのままカジる形となった。
こちらのチョコは色からして少し苦味があると思ったが、こちらも甘かった。それに何かを砕いて入れてあった。
「千反田。こちらには何が入っているんだ。さしずめピーナッツでも砕いていれたのか?」
口の中でゴロゴロする食感を楽しみながら尋ねた。
「ピーカンナッツです。正式にはペカンナッツと呼びます。脂肪分の多いナッツですね」
「そうか、それはチョコに入れるものなのか?」
「はい、最近ではペカンナッツそのものにチョコをコーチングしたものの多く出ています」
俺はよく知らないが流行りなのだろう。試食してみて悪くないと思った。甘さはこちらも相当甘いがナッツがそれを中和させていると思った。
「こちらの方が俺は好きだな。さっきのは俺には甘すぎると感じたな。大体の男なら同じことを思うのではないかな」
素直な感想を言った。すると千反田は
「そうですか、わたしは甘さは丁度良いと思ったのですが、やはり折木さんに試食して貰って良かったと思いました。きっと友達も喜ぶと思います」
「残りはどうする?」
二つのハート型のチョコは片方は俺がカジッてしまったが、もう片方は手で割ったので千反田が食べても構わない。
「友達にはペカンナッツの方を勧めます。残りは折木さんが食べてください。実はわたしも持っているのです」
千反田はそう言うと自分の鞄から緑色の包を出した。そしてそれを広げると、数あるチョコから一つを摘んで
「こちらはハート型ではありません。だから折木さんに食べて貰うのはそちらを出したのです」
俺はもしかしたら今千反田が広げた方が俺用で、最初に広げた方が千反田に対して用意されたものだった気がした。千反田は俺の隣に座ると先ほどのピーカンナッツが入って俺がカジッたものを摘んで自分の口に入れた。そして恥ずかしそうに
「折木さんは気がつかれていたかも知れませんんが、本当はこちらが私が貰った方なのです」
やはりそうだった。だがならば何故ハート型なのだろうか?
「わたしが頼んでハート形にして貰ったのです。そしてそれを折木さんに食べて欲しかったのです」
俺はここまで聴いて、もしかしたらチョコを作る時に千反田も手伝ったのではないかと思った。
「一緒に作ったのだろう?」
俺の考えに千反田は頬を少し赤くして
「はい、その通りです。お手伝いをしました。その時、わたしに考えが浮かびました。バレンタインの日は失礼しますが、それ以外の日ならこのチョコを折木さんに食べて貰うのは良いのではないかと言う考えでした」
何のことはない。俺は千反田に上手く載せられたのだ。だがこれも悪くないと思った。正直言って昨年少しは期待したのも事実なのだ。
「俺の口のついた方を食べたがそれは意識してなのか?」
「もちろんです。摩耶花さんは福部さんに口移しでチョコを食べさせてあげると言っていました」
しかし伊原も伊原だ。他人にそんな事を言うなんて。それとも女子は平気でそんな事を語り合うのだろうか?
「羨ましく思ったのか?」
「少し・・・・・・でも学校では出来ないからとも言っていました」
「当たり前だ学校でそんな事をしてはならない」
「でも……」
「でも?」
「こうすることは駄目ではありません」
千反田はそう言うと
「折木さん。あ〜んしてください」
そう言って自分用のチョコから一つを摘んで持ち上げた。そしてだらしない俺の口にそれをそっと入れた。
甘い! このチョコは今日食べたチョコの中でも一番甘く感じた。そして千反田は、嬉しそうな表情をして大胆なことを口にした。
「明日は、折木さんのお家で口移しで食べさせてあげますからね」
それを聴いて少しは悪くないと思うのだった。
<了>
「明日、放課後部室にいらしてください」
次の日ならさしずめチョコレートを渡すのだろうと思うだろうが、そもそも千反田の家では親しい者には盆暮れの挨拶をしないとのことだから、バレンタインもやらないそうだ。だから親しい俺には当然、そんなものは無いので別な要件だと思っていた。
伊原は既に用意したのだろう。明日渡すと、言っていたし、昼休みに廊下ですれ違った伊原が
「今日明日は部室には顔を出さないから」
そう言っていたのを思い出した。まあ、好きにすれば良いと思い文庫を読むのを再開する。そして、暫く経った時だった。不意に教室の入り口が開かれた。
「ああ、折木さん。居てくれて良かったです」
息をはぁはぁさせて肩を揺らしている。階段を駆け上がって来たのだと思った。
「お前が来てくれと昨日電話で言っただろう」
「それはそうですが、授業が終わって時間が経ってしまったので、帰ってしまわれたと思っていたのです」
やっと息が治まって来たようだった。
「それで何の用なんだ」
千反田は俺の言葉を待っていたかのように語りだした。
「実は折木さんにお願いがあるのです」
「お願い?」
「はい、実はチョコレートを食べて欲しいのです」
「おいチョコは明日だろう?」
「いえ、そのわたしのでは無いのです」
「お前のではない? 何だそれは」
千反田は少し困ったような顔をしている。本人は判ったつもりで話してるのだろうが、いきなり聴かされた俺は要領を得ない。
「すまんが最初から話してくれないか」
「すいません。実はわたしの友達が明日、好きな人に告白してチョコを送るつもりなのです。チョコは出来上がったのですが、二種類作り、どちらを送れば良いか判断出来なくなってしまったのです。だから第三者に試食してもらって欲しいのです。それを折木さんにお願いが出来ないかと」
何のことはない。要はチョコを試食してどちらが美味しいか判断すれば良いだけのことだ。
「丁度小腹も空いて来たところだ。美味しいチョコにありつけるなら嬉しいな」
「ありがとうございます。助かります」
そう言って千反田は鞄の中から小さなピンク色の包を取り出した。そしてそれを広げると、ハート型のチョコが二つ現れた。
「説明は後で致しますので、まずは一口食べてみてください」
見た限りでは片方は普通のミルクチョコレートに見える。もう片方は少し黒くなっておりビターチョコかと思わせた。大きさはどちらもほぼ同じで横が五センチぐらいで縦も同じぐらいに思えた。
ミルクチョコと思われる方を折って口に入れる。真剣な眼差しで居る千反田を見たら、割らないでそのままカジッた方が良いかと思った。
「ん、甘いな」
チョコだから甘いのは当たり前なのだが、俺にしてみれば、かなり甘さを感じたのだった。
「少し甘すぎないか?」
俺の言葉を聴いて千反田は
「やはり甘いですよね。良かった。わたしも、そう思ったのです」
「送る相手はかなりの甘党なのか?」
俺の言ったことがおかしかったのか、千反田が笑っている
「折木さん、『甘党』とはお酒を呑めない方で甘いものがお好きな方の事です。特に甘い嗜好の方の事ではありません」
そうなのか、そう言われてみればそうかも知れない
「さいですか」
「もう片方もお願いします」
千反田に言われるまでもなく口に入れた。今度はそのままカジる形となった。
こちらのチョコは色からして少し苦味があると思ったが、こちらも甘かった。それに何かを砕いて入れてあった。
「千反田。こちらには何が入っているんだ。さしずめピーナッツでも砕いていれたのか?」
口の中でゴロゴロする食感を楽しみながら尋ねた。
「ピーカンナッツです。正式にはペカンナッツと呼びます。脂肪分の多いナッツですね」
「そうか、それはチョコに入れるものなのか?」
「はい、最近ではペカンナッツそのものにチョコをコーチングしたものの多く出ています」
俺はよく知らないが流行りなのだろう。試食してみて悪くないと思った。甘さはこちらも相当甘いがナッツがそれを中和させていると思った。
「こちらの方が俺は好きだな。さっきのは俺には甘すぎると感じたな。大体の男なら同じことを思うのではないかな」
素直な感想を言った。すると千反田は
「そうですか、わたしは甘さは丁度良いと思ったのですが、やはり折木さんに試食して貰って良かったと思いました。きっと友達も喜ぶと思います」
「残りはどうする?」
二つのハート型のチョコは片方は俺がカジッてしまったが、もう片方は手で割ったので千反田が食べても構わない。
「友達にはペカンナッツの方を勧めます。残りは折木さんが食べてください。実はわたしも持っているのです」
千反田はそう言うと自分の鞄から緑色の包を出した。そしてそれを広げると、数あるチョコから一つを摘んで
「こちらはハート型ではありません。だから折木さんに食べて貰うのはそちらを出したのです」
俺はもしかしたら今千反田が広げた方が俺用で、最初に広げた方が千反田に対して用意されたものだった気がした。千反田は俺の隣に座ると先ほどのピーカンナッツが入って俺がカジッたものを摘んで自分の口に入れた。そして恥ずかしそうに
「折木さんは気がつかれていたかも知れませんんが、本当はこちらが私が貰った方なのです」
やはりそうだった。だがならば何故ハート型なのだろうか?
「わたしが頼んでハート形にして貰ったのです。そしてそれを折木さんに食べて欲しかったのです」
俺はここまで聴いて、もしかしたらチョコを作る時に千反田も手伝ったのではないかと思った。
「一緒に作ったのだろう?」
俺の考えに千反田は頬を少し赤くして
「はい、その通りです。お手伝いをしました。その時、わたしに考えが浮かびました。バレンタインの日は失礼しますが、それ以外の日ならこのチョコを折木さんに食べて貰うのは良いのではないかと言う考えでした」
何のことはない。俺は千反田に上手く載せられたのだ。だがこれも悪くないと思った。正直言って昨年少しは期待したのも事実なのだ。
「俺の口のついた方を食べたがそれは意識してなのか?」
「もちろんです。摩耶花さんは福部さんに口移しでチョコを食べさせてあげると言っていました」
しかし伊原も伊原だ。他人にそんな事を言うなんて。それとも女子は平気でそんな事を語り合うのだろうか?
「羨ましく思ったのか?」
「少し・・・・・・でも学校では出来ないからとも言っていました」
「当たり前だ学校でそんな事をしてはならない」
「でも……」
「でも?」
「こうすることは駄目ではありません」
千反田はそう言うと
「折木さん。あ〜んしてください」
そう言って自分用のチョコから一つを摘んで持ち上げた。そしてだらしない俺の口にそれをそっと入れた。
甘い! このチョコは今日食べたチョコの中でも一番甘く感じた。そして千反田は、嬉しそうな表情をして大胆なことを口にした。
「明日は、折木さんのお家で口移しで食べさせてあげますからね」
それを聴いて少しは悪くないと思うのだった。
<了>