2017年12月

夜の調理室 11 蜆の効果

 翌日の朝早く、僕は父親と一緒に市場に出かけた。今までも一緒に行く事は多かったのだが、今日は特別な目的があった。

「なんだ、今日はやけに気合が入っているように見えるが、何かあったのか?」

 父親がハンドルを握りながら僕に尋ねる。隠すことでもないので正直に

「友達がB型肝炎でね。蜆のエキスを飲みたいって言うから蜆を買って来て作ってやろうかと思ってね」

 僕の言葉をどうのように受け取ったのかは判らないが父親は一言だけ呟いた

「そうか女がらみか……うまくやれよ」

「いや、そんな」

「違うのか?」

 父親は助手席の僕の方を全く見ずに前だけを見て運転している。

「友達だから……男じゃないけど」

 全くキスまでしながら友達もあったもんじゃないとは僕も思った。

「何処が違うんだ? 男女で」

「いや、深い関係にはなってないと言うか、その心の底から治してあげたいと思っているんだ」

「それは好きだからだろう?」

「判った?」

「顔に書いてある」

 そこまで判っているなら仕方ないと思った。

 市場で適当なものを物色する。蜆そのものを食べる訳ではないので、大きさには拘らなかった。小さくても良質のものが欲しかった。勿論単価が安ければ文句はない。

「これなんか安くて良いよ。少し小粒だけど宍道湖のだしね」

 蜆は宍道湖産が良いとされている。関東のものは黒っぽいが関西や西の方の蜆は色が若干薄く茶系統の色をしている。

「じゃそれください」

 黒い網の袋に入った蜆を買った三キロだった。これだけあれば結構な量を取れる。家に帰って来ると砂抜きをするためにボールに入れて水を張る。半日から一日あれば砂は抜ける。

 昼過ぎに見ると砂をかなり吐いていた。一応「砂抜き」と表示してあっても余りあてにならない。

 更に、それをよく洗う。その後にザルで水気を切って鍋に入れて蓋をして火に掛ける。暫くすると蓋の合間から泡がブクブクと湧いて来るので、手で押さえて汁が出ないようにする。若干収まった感がしたら蓋を開けて蜆の貝殻が開いているのを確認する。

 開いていたら鍋をボールを敷いたざるに空け、汁気を切る。このボールに溜まった青白い汁が蜆のエキスだ。冷まして適当な瓶に入れる。これで一応は出来上がり。冷やして飲めば良い。

 実は肝炎を治すにはもう一つ方法があって、これは匂いとか出るので嫌がる人も居るのだが、エキスを搾り取った貝殻を身も一緒に布の袋に入れて口を縛り、お風呂に入れて入浴するのだ。通常は家族で一緒に入っているなら、終い風呂しか出来ないし、一日経っと匂いが出て来るので一人で入っていても水を交換しなくてはならない。蜆の費用も含めて結構な出費となる。

 僕は瓶に入れたエキスとビニール袋に入れた蜆の貝殻を銀色の保冷バッグに入れて学校に持って行った。急いで自分のロッカーにしまう。余り人目に晒したくない。でも門倉さんと飯岡さんにはきちんと事情を説明した。二人共、節子さんに同情してくれた。ちなみに二人は結婚を前提に交際している。

 授業が終わると僕と節子さんは彼女の家に急ぐ。早くエキスを冷蔵庫にしまっておきたかったし、お風呂の件もあったからだ。

 アパートに到着すると、小さめのグラスを出して貰って、そこにエキスを注いだ。青白く少しどろりとした感じがする。でも実際はサラリとしているのだが……。

「飲んでみて」

「うん」

 節子さんはグラスを傾けて少しだけエキスを口に含んだ。

「あ、思ったより飲みやすいわ。これなら私飲める」

 節子さんはそう言ってグラスを一気に空けた。

「美味しいわ」

 新鮮なうちに搾り取ったエキスは確かに美味しいのだ。だが日数が経ってしまうと飲みにくいエキスとなってしまう。急いだ甲斐があったと思った。

「美味しいと言う事はやはり体が悪いから必要としてるのね」

 そんな理屈も理解出来るが僕には続けて行く為にも味に抵抗が無いのは救いだった。

「良かった。続けて飲まないとね。この量を毎日飲んでね」

「寝る前でいいの?」

「肝炎の薬と一緒の方が良いな」

「判った。そうする。それからこの蜆のお金」

 僕の気質から言うと、断りたかった。『僕が出すからいいよ』と言ってみたかったのだが、そうしてしまうと僕と節子さんの仲が長くは続かないと考えた。

「じゃあ実費だけ貰うね」

「手間とかガスの費用は?」

「それぐらい出させてよ。どうせ店の費用で落とすから」

 確かに僕は店のガス台でエキスを搾り取ったのだった。

「ありがとう。じゃ甘えさせて貰うわね」

「お風呂の方はどう?」

「やって見る。それが肝炎に良いなら私入る!」

 節子さんはお風呂にお湯を張り始めた。予め手拭いで作ってあった綿の袋に僕の持って来た蜆の殻を入れると口を縛って湯船に落とした。そして追い焚きをした。

「最初だから本当は一緒に入って欲しいけど、アパートのお風呂は二人は無理だから、せめてここに居てくれない?」

 本当は一緒に入って節子さんの状態を見たかった。でも彼女は病気なのだ。嫌らしい妄想は駄目だ。

「私、病気を治して翔くんと身も心も一緒になりたい。だから、それまで待っていてくれる?」

 僕もそのつもりだった。中途半端な事はしたくなかった。黙って頷いた。

「ありがとう。一日も早く治すわ」

 そう言って節子さんは僕の目の前で下着姿になるとタオルを手にお風呂に入って行った。僕は節子さんの圧倒的な美しさに只感激するだけだった。

 出てきた節子さんは

「全然匂いも気にならなかった。これなら毎日続けられる。明日も入れそうよ」

 季節的には日を追って気温が下がって行く時期だったから、二日ぐらいは入れるかと思った。後に母に尋ねたら二日ぐらいは平気だそうだ。返って二日目の方が濃いエキスが溶け出すので体に良いそうだ。

「もう終電が近いから帰るよ」

「本当は泊まって行って欲しいけど。無茶言っては駄目ね」

 僕が成人しいていたら恐らく泊まって行ったと思う。でも僕は未だ十九歳なのだ。自動車の運転免許を持っていても、二十歳ではないのだ。今は我慢しなくてはならない。それは節子さんも理解してくれた。

 こうして投薬と蜆の療法を暫く続けて行く事となった。

 三月が過ぎる頃に効果が出始めた。節子さんの体調が著しく良くなったのだ。肝臓の値もかなり改善されていて、彼女も「調子が良い」と口にすることが多くなって来た。僕も節子さんも希望が見えて来たと思うのだった。


夜の調理室 10 告白

 試験が終わるとまた新しい授業が始まる。それは僕にとって嬉しい事でもあった。何故なら一日も早く立派な板前になりたかったからだ。

 この頃僕はもう日本料理の道に進む事に決めていた。白衣を着て調理実習をするのは楽しい事だったし、科学的な説明を聞くと感心したりした。

「何故、リンゴやじゃがいもは皮を剥くと黄色く変色するのか」とか「青い野菜を茹でる時には何故塩を入れる必要があるのか」とかは僕の料理に関する目を開かせてくれるのに充分な事だった。

 ちなみに前者は「褐変」と言い、表面が酸化するからだ。後者は塩と言うよりナトリウムと野菜の青い成分が結合してクロロフィルに変わるので、塩を入れないとクロロフィルにならないからだ。

 僕と節子さんの関係は相変わらずで、キス以上の進展はない。学校の帰りにお茶をする程度だった。当時の僕はそれでも結構満足していたし、それ以上を望めば節子さんと深い関係になるのも訳はないと思っていた。全く子供だったのだ。

 ある日、節子さんが学校を休んだ。週末の金曜日だったから休みを取ったのかも知れないと考えた。帰ってから節子さんの家に連絡をしてみた。

 結果として節子さんは電話には出なかった。やはり何処かに旅行にでも行っているのかも知れないと思った。来週学校に出て来たら訊いてみようと考えた。

 翌週の月曜日、節子さんは学校に出て来た。しか普段より体調が悪そうだった。僕は

「どうしたの、具合が悪いの?」

 そう言って節子さんの顔色を見ると明らかに悪い。これは尋ねなくても具合が悪いのだと直感した。

「無理しない方が良いよ」

「ありがとう。でも金曜も休んじゃったから今日は授業受けないと」

 それは理解出来たが、出席日数的には問題ないだろうと思った。僕の記憶ではこの前の金曜日が初めての欠席だと思った。

 悪いと思ったが額に手をあてた。熱があると思ったからだった。僕の手に感じる節子さんの額の熱は少し熱く感じた。微熱ぐらいはあると考えた。

「熱あるんじゃない?」

 僕の問いかけに節子さんは無理をして笑顔を作って

「うん。少しだけだから。それに私、平熱が高いから平気」

 その言葉に無理があるのは判ったが、今はそれ以上詮索しない事にした。節子さんの想いも理解出来るからだ。

 授業が終わると僕はすぐに節子さんの前に行き

「家まで送って行くよ。一人では帰せないよ」

 そう言って送って行く事を宣言した

「ありがとう。悪いわ。一人でも大丈夫だと思う」

 そう言いながらも立つのもやっとと言う感じだった。僕は節子さんの腕を支えて一緒に教室を出て行った。

 電車の中でも座らせて、なるべく体力の低下を防いだ。彼女は座ると目を瞑って動かなくなった。やはりそうだ、起きているだけで精一杯だったのだと思った。

 節子さんのアパートは駅からそう遠くないので、僕は彼女を抱きかかえるように一緒に歩いた。アパートに着くと一人で階段を登ろうとするので僕は彼女をお姫様抱っこして階段を登った。

「凄い。翔ちゃん見かけより力があるのね」

「一応僕も男ですから。それに今日の節子さんは軽い。殆ど食べて無いのじゃない?」

 僕の質問に節子さんは黙って目を瞑った。その通りなのだろう。

 部屋のベッドに上着を脱がせて、そのまま寝かせる。節子さんが元気ならそのまま全て脱がせたい所だが今はそんな気は起きない。

「ありがとうね。助かったわ。正直言うと、今日はどうしても翔ちゃんの顔が見たかったの。だから無理して行っちゃった」

 節子さんはベッドから起き上がりブラウスを脱ぎ始めた。僕は慌てて後ろを向いたが

「構わないわ。こんな病人の下着姿を見ても何とも思わないでしょう」

 確かに今はそんな気は無い。元のように節子さんの方を向く。節子さんはスリップ姿だった。いつの間にかスカートも脱いでいた。そして、そのスリップも脱ぎブラジャーとパンツ姿になった。そして

「これが私の下着姿よ。色っぽくも何ともないでしょう。悪いけどその足元に掛かっているパジャマを取ってくれないかな」

 節子さんに言われるまで僕は彼女の下着姿に見とれていた。体調が悪くても節子さんは綺麗だったからだ。胸の谷間も僕の想像より遥かに深かった。着痩せするのだと思った。そして言われたようにパジャマを取って差し出した。

「ありがとうね。正直、助かったわ。本当は一人では一歩も歩けないと思ったの。翔くんのお陰でこうやって部屋まで帰ってこれたわ」

「お礼なんてとんでもない。当たり前でしょう」

 僕としてみれば当然の事をしたまでだった。節子さんはブラジャーも外してパジャマの上着を羽織った。僕はその時だけは横を向いた。

「わたしね。翔くんに隠してる事があるの。そして嘘もついているの」

 僕は節子さんを横にならせて毛布と布団を掛けた。

「熱があるんだから横になった方が良いよ。でも嘘って?」

 僕の言葉に節子さんはベッドの脇まで寄って。近くに感じていたいの」

 そ言葉に僕は節子さんの顔にくっつく様に座った。

「これでいい?」

「うん」

「それじゃ続きを」

 僕の言葉に節子さんは話しだした。

「嘘と言うは最初の受験の時に志望理由を『弟のため』と言ったけど。それが

嘘なの。私には妹はいるけど弟はいないのよ。本当の理由は、自分で料理の勉強がしたかったから」

「それだけ? ならわざわざ資格を取らなくても」

「それが次の隠してる事と繋がるのよ」

「隠してる事って。誰か恋人が居るとか……」

 僕の言っていることが余りにも幼稚だったのか節子さんは笑いだした

「あはは。また面白い事を。私には今は好きな人は翔くんだけよ。他には誰もいないわ。一番好きなあなたにだけは本当の事を知って欲しいの」

 思ったより重い内容だと推測で出来た。

「本当の事って……」

 僕の言葉を待っていたかのように節子さんは語りだした。

「私ね実はキャリアなの」

「キャリア?」

「B型肝炎のキャリアよ」

 実は僕の周りでB型肝炎に掛かった人は僕を産んでくれた母だけだった。僕を産んだ後に結核にかかった。その当時には薬も出来たてはいたが、母の衰弱が酷く薬の効果が望めなかった。仕方ないので輸血して体力の回復を図ったのだった。

 当時は「売血」の時代でそれらの血液は良く検査されずに輸血された。僕の母はその時に感染したのだった。幼かった僕は今でもその時の事は覚えている。長い間の入院を経てやっと回復したのだった。だから僕は物心ついた時に傍に母の姿は無かった。遠くの病院に月に二三度行く時に逢える存在だったのだ。だから「B型肝炎」と聞いて他人事とは思えなかった。

「いつ頃掛かったの?」

「子供の頃かな。何かの予防接種で針の使い回しで感染したの。暫く判らなかった。中学の頃かな、夜遅くまで勉強して無理した頃から何か怠くなってね。それに熱ぽいし、それで近所のお医者さんに診察して貰ったの。そうしたら」

「そうしたら」

「B型肝炎と診断されたの」

「それからずっと治療を?」

「うん。このところは発病しなかったのだけどね。色々と無理したから出たのかも知れない」

「医者に行ったの?」

「うん。薬も貰った。それで金曜は休んだの。先生も数日は寝ていなさいって言うからね」

「じゃあ今日も寝ていないと」

「でもね。金土日って寝ていると翔くんの事だけ考えちゃってね。本音を言うと翔くんに傍に居て欲しかった。でも真実を言ったら、きっと私嫌われる。そう思ったの。電話かけてくれたでしょう? すぐにあなただと判った。でも出たら来て欲しいって言ってしまうのが怖くて出られなかった。私嫌われたくなかったの」

 僕は苦笑いしか出来なかった。

「実はね……」

 僕は自分の母の事を話した。それは節子さんにとって驚きだったようだ。所々で驚きの感想を述べながら頷いていた。

「お母さんはどうやって直したの」

「基本的には薬だけど。薬が百%効くようにしたんだ」

「何をしたの」

 そこで僕は母がやった事を話した。それは蜆を沢山買って来て砂を抜いてから大きな鍋に入れて蒸すのだった。そうすると蜆は青白い液体を吐き出して殻が開く。これをザルに取り液体を絞ってそれを毎日すこしずつ飲むのだ。

 慣れないうちは飲み難いが、段々と慣れて来る。母はこれをやりだしてから見違えるように回復して行ったのだった。それまでは怠くて階段も登れないほどだった。

「わたし、やってみようかな。蜆って市場で買える?」

「ああ、買えるよ。僕が手伝ってあげるよ」

「ほんと! 嬉しい。今まで一人でやってきたの。誰にも怖くて言えなかった」

「大丈夫。今日から僕がついているから」

 ベッドから出した節子さんの手をしっかりと握った。

「ごめんねキスでも伝染るかも知れない。もう翔ちゃんに伝染ったかな」

「大丈夫だよ。僕にはうつらない。母の結核だって平気だったしね」

 そうなのだ。結核の母に接触しても僕には感染しなかった。僕にはそんな所がある。

「じゃあキスして」

 この時から僕は本気で彼女を愛して行く事になった。




※第16回「星の砂賞」で三田誠広先生より審査員特別賞を戴きました。応援して戴いた皆様。本当にありがとうございます。m(_ _)m

夜の調理室 9 深夜のスポンジケーキ

 製菓のスポンジケーキの提出期限はその週の金曜日だった。本試験の後試験休み数日あり、秋分の日の前日、僕は家の台所で提出のスポンジケーキを焼いていた。分量が決められており、勝手な変更は認められなかった。その分量は
・薄力粉 百グラム
・上白糖 百グラム
・卵(中)四個
・牛乳  大さじ二杯
・ショートニング又はサラダ油 適量
 となっていて、分量の勝手な変更は、認められていなかった。判った場合はその場で落第する。
 手順は僕としては簡単だと感じた。まず卵を卵白と卵黄とに分離する。そして卵白を冷えたボールに入れ、泡立て器で泡立てるのだ。今は電動式のものがあるが、この頃は出始めで手でやるのが普通だった。
 コツは冷えたボールを使う事と手早くかき混ぜることだった。確かに労力は使うが特別に難しいことは無い。
 泡立て器で泡を立たせて立っほど固くなったらそれで良い。そこに、振るいに掛けた上白糖を入れる。製菓とか調理師学校では普通の砂糖の事は「上白糖」と呼び、他の砂糖とはそれぞれ区別している。
 これはかき混ぜると簡単に溶けるので、それにやはり振るいに掛けた薄力粉を入れる。ここで木杓子を使って粘りが出ないように切るように粉を溶かして行く。次に牛乳を入れてかき混ぜる。完全に溶けて生地状になったら、そこに卵黄を入れてやはり切るようにかき混ぜる。これでスポンジの生地が出来た。
 あとは、型にショートニングを塗って、製菓用の焼く型紙を入れる。内側にもショートニングを塗っておく。
 この型に生地を流し込んで行く。ちなみに指定された型の大きさは直径18~16センチとなっている。僕はスーパーで18センチのを買って来た。
 流し込んだら、生地から空気を抜く為に数回数センチの高さから落として気泡を出す。それが終わったら、オーブンで百八十度で二十分焼くのだ。温度の目安はオーブンの中に手を差し出して五秒で熱さを感じたら適温と言う事だった。電気式のオーブンなら温度を指定出来るがこの当時のプロのガスオーブン(ストーブ)では温度の管理は手動で行うのが常で、しかも自分たちは一応プロを目指しているのだから、温度の管理が出来なければお話にならなかったのだ。
 僕はわざと少し低くなるようにガスの目盛りを落とした。それは温度が低ければ状態を見て焼く時間を伸ばせば良いと思ったからだ。学校で先生の前で焼くなら、きちんと指定を守らねばならないが、出来上がりだけをチェックするなら、好きにすれば良いと思った。
 結局、三十五分ほど焼いて、指定のスポンジが焼きあがった。
「上手く出来た」
 自分でも感心するぐらいの出来栄えだった。それに気を良くした僕はそれから幾つもスポンジを焼いて家族に食べさせた。これは思ったより好評で、喜んでくれた。
 そんな事があり、あとは提出するだけと安心していた秋分の日の夜だった。家の電話が鳴った。電話の近くには丁度僕が居たので電話に出た。
「はい、風間ですが」
「ああ、翔ちゃん! 助けて欲しいの!」
 それは節子さんの悲鳴に近い声だった。
「どうしたんですか?」
「スポンジが焼けないの……わたし出来ないの。何回やっても駄目で……もう、どして良いか判らなくて」
 確かに試験でもスポンジを焼いたのは節子さんの班だった。確かあの時は、オーブンの温度管理に失敗して焦がしてしまったのだった。あの時温度を見ていたのが節子さんとは班のメンバーから聞いてはいた。
「駄目って、焦がしてしまうの?」
「そうなの。よくわかったわね?」
「何となくそう思った。でもオーブンは何を使っているの」
 そう尋ねた。僕の記憶では節子さんのアパートの台所にはオーブンは無かったと思った。オーブントースターならあった可能性はあるが、それでは焼けない。
「何って、学校で買ったやつよ。あれで焼けって先生言って無かった?」
 確かに、先生は「オーブンの無い人は入学時に買った簡易オーブンで焼きなさい」とは言ってはいた。でも僕は家のオーブンで焼くつもりだったので本気で聞いてはいなかった。
「どれぐらいやったの」
「昨日の夜から何回も作ったのだけど、皆焦げてしまったの」
 入学時に買わされた簡易オーブンはガス台の上にお釜上の金属の物体を載せて簡易的に中をオーブンの状態にして焼くものだった。その為の中皿もあった。そこに型を入れて焼いたのだろうと想像した。
「僕が作ったので良ければそれを持って行けば良いよ。どうせ誰が作ったのか判りはしないし。手順を完全に覚えれば問題ないと思うよ」
「手順って尋ねられるかしら?」
「『どうやって作ったの』ぐらいは訊かれると思うけどね」
「そうか、まあ手順は言えると思うけど……大丈夫かしら。先生『これ風間くんと同じじゃない』とかバレないかしら?」
「大丈夫だよ。僕が幾つか作って一番違うのを渡すからさ」
「そう、ありがとう! それを聞いてて安心したわ」
「それで何処で何時渡す?」
 暫く間があって、
「今日は水曜日で提出は金曜日でしょう? 翔ちゃんは何時が都合つけられる?」
「節子さんに合わせますよ。何なら持って行っても良いし」
「じゃあ今からなんて……駄目よね」
 僕は壁の時計を眺めて
「電車まだあるし。もし行ったら朝まで帰れないですよ。それでも?」
「良いわよ!」
 そう返事をした節子さんの声は少し潤んで聴こえた。

 節子さんの分は新しく焼いた。時間はさほど掛からなかったが、時間が少し遅くなってしまった。そこで僕は電車ではなくバイクで行く事にした。自動二輪の免許は高校の頃に取ってあった。自分の家では父親の125のスクータに乗っていたが、基本制限の無い免許だった。
 スクーターの後ろのボックスにスポンジを焼いた箱を入れた。動かないように箱をテープで止めてボックスの蓋を閉める。ヘルメットを被ってスクーターを走らせた。
 深夜の道は空いている。スピードを出したくなる所だが車に群れない程度の速さで走らせる。乱暴な運転をしたら後ろのスポンジが心配だからだ。
 三十分ほどで節子さんのアパートの前に着いた。スポンジの箱を持ちながら静かに階段を昇る。ドアをノックするとすぐに節子さんが顔を出した。
「本当に来てくれたのね! 上がって!」
 節子さんは僕の手を引いてくれたので、ありがたく上がらせて貰う。部屋の中は甘い匂いが充満していた。これはスポンジを焼いていた匂いだとすぐに判った。
 台所に行くと、無残にも焦げたスポンジの残骸が無数にあった。
「本当に駄目だったんだね」
「そうなの」
 僕は自分が持って来たスポンジを渡した。
「ああ、嬉しい! 翔ちゃんて料理の才能があるのね。卵焼きだって先生に褒められたし、スポンジだって簡単に作ってしまうし。凄いわ」
「そんな事ないよ。大体、昔から不器用だったのだから」
 節子さんは受け取ったスポンジを大事にテーブルの上に置いてから、いきなり僕に抱きついた。いきなり抱きつかれたので、僕はよろけて部屋の方に下がって行き、崩れるように倒れてしまって仰向けになった。その上に節子さんが覆いかぶさる。これって本来逆じゃないのかと頭の隅で考えたが何か言う前に口を塞がれた。
「ん……」
 この前とは比べられないほど濃厚な口づけだった。
 息が続くかと思った時に唇が開放された。とおでこがくっつく様な目の前で節子さんの口が開いた。
「節子さん……」
 もう一度口を塞がれた。
「駄目な私が泣き言を言って慰めて貰おうと電話したら、すぐに持って来てくれるなんて……もう、なんて言っていいか判らない!」
 「当然でしょう。困ってるのに後でなんて言えないですよ」
 寝転がったままお互い抱きしめ合った。節子さんの柔らかい躰が心地よかった。でも僕は節子さんの思惑を見抜いていた。
「僕の作ったのは保険でしょう? これから金曜の提出まで自分でちゃんとしたのを作ってみるつもりでしょう」
「何だ、判っていたのね」
「それぐらい節子さんの事なら判りますよ」
「もう年下なのに賢いんだから」
 半分拗ねたような。それでいて嬉しそうな表情は僕にとってはとても魅力的だった。
「それなら、これから一緒に作りませんか? 僕が教えますよ」
「ほんと! 嬉しい」
 それから節子さんの入れてくれたコーヒーを飲んでから早速スポンジを焼く事にした。そこで判った事は僕の考えていた通り、ガスの火が強かったせいだった。
「このお釜なら火は最低で良いと思いますよ」
「でも、それじゃじゃ時間通りに焼けないと思うけど」
「二十分で焼け無ければ時間を伸ばせば良いんですよ。何も先生の前じゃ無いのだから指定の時間は守る必要は無いと思いますよ」
「ああ、そうか! そうよね、私勘違いしていたわ」
 その後、このお釜で焼くと容積が小さいので火が高温になりやすい事が判った。そこで僕は本当に最低の火加減にして焼いたのだった。
「出来たけど翔くんの焼いた方が綺麗ね」
「そえなら僕の方を出せば良いですよ」
僕は節子さんにそう言った。その後は朝まで一緒に居て色々な事を話した。僕はますます節子さんに魅了され、そんな事を考えながら朝の家に帰った。幸い家族は誰も気がついていなかった。
 追試の提出日、先生はナイフでスポンジを切り、焼いた温度と時間を尋ねた。僕は指定通りの答えを言って合格を貰った。節子さんも僕の指定通りの答えを言って合格を貰った。その時先生は
「少し焼きが甘いけど、まあいいわ」
 そんな事を言ったとそうだ。合格を貰って節子さんは僕に
「お礼に今度二人でも何処か行きたいわね」
 そう言って嬉しそうな顔をした。

夜の調理室 8 最初の試験 

 調理師学校では栄養学とか公衆衛生とか、あるいは食品衛生学とかその他諸々の食に対する学問の授業がある。それは専門的で中には本当にここまで必要とされているのか? と疑問に思うような内容もあるが、一応国が決めた基準をクリアしていなくてはならない。
 尤も、僕が入学した学校は、他の専門学校よりも進んでいて、知識の分野では国の基準を上回る内容を教えている。それはこの学校が本来は栄養士を育成するために作られた学校であることから来ている。
 昼間部は一年。僕の通っている夜間部は一年半となっている。昼間の部は判らないが夜間部は半年毎に試験がある。各科目のペーパー試験と調理の実習試験だ。調理は、日本料理、フランス料理、中華料理、そして製菓と四科目ある。それにこの調理の科目も驚くなかれ、ペーパー試験があるのだ。噂だとフランス料理の試験はフランス語で書かれていて、答えもそれでなくてはならないらしい。大体英語だってろくに出来ないのにフランス語なんて無理だろう。そう思っていたら飯岡さんが
「大丈夫だよ。料理の基礎的な用語だと思うよ。例えば『アッシェ』とかさ」
 そんな気楽な事を言っていた。ちなみに『アッシェ』はみじん切りのことだ。その位なら何とかなると思った。フランス料理の最初の時に先生が黒板に色々な料理用語をフランス語で書いてくれたからだ。皆、それをノートに書き写している。
 実技試験で最大の難題は日本料理で、厚焼き玉子を先生が見ている前で拵えるのだ。分量が決められていて。手順も教えられた通りでなくてはならない。
「試験前は卵をたくさん買って練習しなくちゃならないわね」
 節子さんもそう言っていた。門倉さんは
「私卵焼きは得意なんだけど、これは勝手が違うから大変よ」
 やはりそんな事を言っていた。
 僕はと言えば、厚焼き玉子なんて作ったことが無い。先生の実演を見て頭の中に手順を叩き込んだ。
 家を探すとやはり料理屋だけの事はあり、卵焼き器は幾つもあった。他の人は恐らく合羽橋か、東急ハンズで買っているのかも知れない。僕はその中で一番大きさが学校で使うのに近い大きさの卵焼き器を出して来た。それはかなりの時代もので、かつ長い間使われていなかったので表面がはげていた。
 このような時は、油を引いて焼きを入れるのだ。「焼きを入れる」とはフライパン等の金属の鍋等を使えるようにするために、薄く油を引いて火に掛けるのだ。すると鍋からはやがて白い煙が昇るようになる。これを暫くの間放置するのだ。煙が少し治まって来たら次の油を引くのだ。これを何度も繰り返して、鍋の表面に膜を作るのだ。この作業をすると、炒め物をしても食材がくっつかなくなるのだ。
 休みの日、僕は朝から卵焼き器にこの作業をした。初めての事だったが、良い出来だったと思う。
 今から思えば日本料理だけが個人の試験で、他の料理は各班ごとの共同作業だった。出来が悪ければ班の皆が落第をする。そう言うシステムだった。
 試験は九月の終わりに行われる。だから夏休みは僕は家の仕事の合間に卵焼きの練習をした。家の手伝いをして貰える金額のかなりの部分が卵に消えた。
 その被害を被ったのが家族だった。毎日僕が作った厚焼き玉子を食べさせられたからだ。後に祖母は
「これまで食べてきたのと同じぐらいの量を食べさせられた」
 と言い、他の者は
「暫く卵は見たくない」
 そう言ったほどだった。
 厚焼き玉子の焼き方は、卵焼き器に油を引いて火に掛ける。温まって来たら、お玉一杯ほどの卵に出汁と砂糖が溶けている溶液を流し入れる。卵焼き器を回してむらなく流したら、焼けて来るので、すぐに向こう側の端を箸で押さえて手首を返して卵の生地を最初は三等分に折りたたむ。卵焼き器の向こう側半分が空くのでその部分に油を引いて折りたたんだ生地を向こう側に流す。そしてこちら側に油を引いて、次の溶液を流し込む。今度は箸で先程の生地を持ち上げその下に新しい溶液を流し込むのだ。あとは焼けて来たら半分に折りたたむ。この繰り返しで溶液が無くなるまで続けるのだ。焼けたなら、お皿に取っても良いし、巻き簾に巻いて丸く加工しても良い。大切なのは手首を使って生地を返せるかだ。これはフランス料理のフライ返しにも通じるので料理人としての基本中の基本となる。これが出来ないなら料理の道は変えた方が良い。
 夏の暑い間。僕は海やプールにも行かずに家でガス台の前で一生懸命に練習した。そのおかげで手首を使って返すコツは判って来て。ちゃんと出来るようになった。後は、本番に弱い僕だから先生の前で上がらない事だけだった。

 九月になり二学期が始まった。節子さんと逢うのは久しぶりだった。たまに連絡を取っていたが、彼女は事務所の先生が海外に長期旅行に出かけてしまったので、その間事務所は休みで実家に帰っていたのだ。だから東京の僕とは、逢う事は出来なかった。
「ひ・さ・し・ぶ・り!」
「ホント、久しぶりにですね」
「なぁに。何か冷たい感じ」
「え、そうですか。そんな事ないですよ。東京に帰って来たら連絡くれるかと思っていました」
「そう、それは悪かったわね。でも電話で話した感じでは、連日、卵焼きの練習していたみたいだし。翔くんは私とは違って将来は家を継いで板前になるのでしょう? ならばここはちゃんと練習しないと駄目だと思ったの。デートなら試験が終わってからでも出来るでしょう」
 確かにその通りだった。試験が終わるまでは色恋に狂ってる暇は無いのが本当だった。
 九月の末になり試験が始まった。最初はペーパー試験が最初で、一日二課目ずつ済ませて行く。内容はかなり高度だが、結局は暗記する科目が多い、食中毒の事など教科書を殆ど丸暗記しないと駄目だった。
 ようやく、ペーパー試験が終わった。心配だったフランス料理の試験は確かに全問フランス語で書かれていたし、答えも半分は記号を選択。もう半分がフランス語の単語を書くものだった。どれもフランス料理の時間に先生が黒板に書いたものだった。全問とは行かなかったが殆どを書くことが出来た。
 そして試験の後半である実技の試験が始まった。フランス料理と製菓の組み合わせだった。二つの班が共同して作業に当たる。僕たちの班は節子さんが居る班と共同になった。失敗すれば連帯責任となる。
 フランス料理の課題は「デミグラスソース」を作る事。製菓は「スポンジケーキ」を作る事だった。
 僕たちの班が「デミグラスソース」を、節子さんの班が「スポンジケーキ」を焼く事になった。
 結果だが「デミグラスソース」は何とか及第点を貰ったが「スポンジケーキ」は温度を間違えて少し焦がしてしまったのだ。結果は不合格となった。二つの班全員が一週間後まで各自それぞれ「スポンジケーキ」を焼いて、提出日に先生に提出する事となった。レシピは黒板に書かれてありその分量で作らねばならない。
「御免ね!」
「すみません」
 節子さんの班長さんが僕たちにも謝ってくれたが、終わってしまった事は仕方ないと思った。自分の家で焼けば良いと思ったら僕は返って気が楽になった。
 そしていよいよ、日本料理と中華料理だった。中華料理は切り方の試験だった。これは簡単だったが、その代わりに卒業時に「中華料理」と言うテーマで論文を提出する事となった。これはこれで大変だったのを覚えている。
 そして日本料理の試験となった。五人ずつ前に出て先生の前で厚焼き玉子を焼いて行く。僕は思ったより緊張しなくてスムーズに出来た。手首の返しは完全に身につていたからだ。
 結果から言うと僕はクラス五十人中トップだった。皆が終わると、その場で先生が点数と順位を言ったので判った。
 最後に名前を呼ばれた時にはクラスの目が一斉に向けられた。正直恥ずかしかった。
「風間はきちんと手首の返しが出来ていた。箸は添えてるだけできちんと出来ていた。中々のものだったよ」
 その言葉が嬉しかったの言う間でもない。凡そ、人から褒められる事なぞ今まで一度も無かったからだ。この日からクラスで僕を見る目が少しずつ変わって来たのをその時の僕は未だ知らない。
 そして、問題が起きた。
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