子供の頃、夏休みの楽しみと言えば、母の実家に遊びに行く事だった。
当時は何回も電車を乗り換えて行った記憶もあり、見渡すばかりの田圃だったので、かなりの田舎なのかと思っていた。だが、高校生の時にその実家に住んでいた祖父が亡くなって葬式に行った時に、思っていたほど田舎ではないのだと判った。
もしかしたら、俺の小学生の時代から高校生になるまでの数年間で発展したのかも知れなかった。なんせ当時は夜になると田圃の上で蛍が妖しく乱舞するのが信じられなかったからだ。その時、生まれて初めて飛んでいる生の蛍を見た。その興奮と衝撃は今でも体のどこかに残っている気がする。
祖父が作ってくれた即席の虫かごに捕まえた数匹の蛍を入れたのだが、その蛍は朝には死んでいた。夜の間は綺麗に光っていたのだが、朝見た虫かごの中は無惨な様子を呈していた。子供心に『あのまま飛ばせていれば良かった』と思った。
祖父の葬式の時は真冬だったので蛍は居なかったが、祖母の言うにはその頃には蛍の数もめっきり少なくなっていたそうだ。
実はその時が数年ぶりの母の実家だった。中学一年の時が最後で、冬になると祖父や祖母は東京に住んでる子供の家に泊まり歩いていたせいで、こちらから行くと言う事はしなかったのだ。
結局、それが田舎に行った最後となった。一人暮らしをさせられないと、母の兄弟が相談した結果。比較的裕福な暮らしをしている一番下の叔父が引き取る事になった。田舎の家は売却して、そのお金が祖母の持参金となった。
その持参金がどうなったかは俺には判らない。だが、祖母が亡くなった後で、遺産のもめ事が無かったので、それまでには残っていなかったのだろう。
そんな母が家で酒を飲んで酔って一度だけ言った事がある。
「本当はあんたにも幾らか残せるほどあったのだけどね」
それが祖母の持参金の事だと判ったのは暫く後の事だった。
その母だが、今はやっと四十になったが、見かけは三十そこそこにしか見えない。恐ろしく若く見える。街を歩いていても良く声を掛けられるそうだ。
女の子には判らないが、男の子には思春期に少しだけ、あるいは一瞬の間だけ、母を「おんな」として見てしまう時期がある。単なる通過儀礼なのだが、俺にもあった、その時期には母の事を恐ろしく魅力的に見えてしまった事があった。高校生の俺は
「なんで父親みたいな人と結婚したのだろうか? 母ならもっと良い所があったのでは無いか」
等と考えた。別に父が嫌いな訳ではない。世間に良くある、父親と息子が反発しあってる。等と言う事は我が家には無かった。父は良き父親だったが、特別の美観を誇る母とは釣り合いが取れない感じがしたのだ。
俺が成長して判った事だが、俺が幼い頃から母には常に愛人が居たそうだ。やはり周りの男が放って置かなかったのだ。俺が高校生の頃、母は三十代だったが、子供から見てもその美しさは輝くばかりだった。学校の参観日等では綺麗な母が誇らしかった。そんな俺の気持なぞ理解しない母は家では無造作に俺の前で着替えたりしていた。俺はそれを目にしながら心に黒い感情が湧くのを押さえられなかった。
高校を卒業すると進学せずに就職した。本来勉強の嫌いな俺が大学に行くなんて事は考えられなかった。でも学校の成績が悪かった訳ではない。進学担当の先生も
「もったいない。大抵の所なら狙えるぞ」
等と言ってくれたが、本人に全くその気が無いのだから仕方がない。
結局考えていた日本料理の道に進む事にした。子供の頃から何か料理を作る事が好きだったし、それを食べて喜ぶ顔を見るのが嬉しかったからだ。それに、有名な料亭は、住み込みで修行しなければならない。その為には家を出なくてはならない。正直、母と一つ屋根の下で暮らしたくは無かった。この頃母の行動は次第に大胆になっており、平気で愛人に家の前まで送らせるような事をしていた。父が気がつけば、すぐに問題になると思っていた。俺はそんな家から逃げ出したかったのだ。
料理の修行は辛かった。でもそれは覚悟の上だった。半年で同期で入った者が半分になった。最初の半年では包丁はおろか、食材も触らせて貰えない。掃除や洗い物がメインで、後は食材が市場から届くとそれを運ぶ事。ビール等を冷蔵のビールクーラーに運んだりする力仕事が殆どだった。
一年すると、食材に触らせて貰えるようになる。それは食材の保存だ。冷蔵庫の管理をさせられるようになるのだ。この時は少し嬉しかった。それに店でも包丁は無理だが、大根おろしや山葵をおろす事などもさせられるようになる。そして、今までと違うのは「まなかい」を作るようになる事だった。決められた金額を女将さんから阿預かって、店の従業員全員の夕食を作るのだ。一人で作る事もあるが、同期の仲間と一緒に作る事もある。でもこの頃には同期は俺の他には一人だけになってしまっていた。結局、これが料理の修行になるのだから、お互いに交代でやる事にした。
店の営業が終わってから夕食になる。店によってはホールと板場で別々に食事をする所が多いそうだが、俺の店は全員が揃って食べる決まりだった。
板場とホールの者が一緒に食事をして、今日の反省会となる。色々な意見が出るのだが、それが店の為になるのだ。
そして、その夕食の場は、当然味の品評の場となる。誉められる事なぞ殆ど無い。板場の先輩は技術的なことを注意してくれる。それは本当に有り難い。ホールの仲居さん達は、お客の好みから来る感想を言ってくれる。これはこれで有り難い。板場に居たのでは得られない情報だからだ。
そんなことをして瞬く間に二年が過ぎた。この頃にはやっと包丁を持たせて貰えた。切る材料は野菜ばかりだったが、それでも嬉しかった。板前としてやっと歩き出した実感がしたからだ。下の者も出来て、俺にも少しは教える事が出来たのが嬉しかった。
だから家には毎年、正月休みにだけ一日のみ帰っていた。その日は正月では無かったが、連休で休みが続くので思い切って帰って見る事にしたのだ。
久しぶりの家には、茶の間に父だけがぼんやりとテレビを見て座っていた。その姿が少し寂しそうだった。
「ただいま。母さんは?」
「おう、お帰り。出かけているよ。それにしても久しぶりじゃないか。正月以外で帰って来るなんてさ」
元から静かな人だった。だがそれは表面的であり、本来は何か得体の知れないものを持っている人だとは感じていた。だがそれが俺の前で出た事はない。
「また、男の所?」
父は苦笑いを浮かべた。
父は母が浮気を繰り返しても俺の前で母をなじるような事はしなかった。高校を卒業して家を出る前に父に尋ねた事がある。
「どうして父さんは母さんが浮気を繰り返しても何も言わないのさ!」
その時、父からはハッキリとした答えを貰った記憶は無かった。
一つだけ覚えているのは、父が
「小学生の頃、お母さんの実家に行って、蛍を見たのを覚えているか?」
そんな、全く関係ない事を逆に俺に尋ねた事だった。
「ああ、覚えているよ。あんな光景忘れられないに決まってるじゃない」
俺がそう答えると父は薄笑いを浮かべて
「やはりお前は俺の息子なんだな」
そんな事を呟いたのを覚えていた。
「もうすぐ帰って来るんじゃないかな。今日はお前が帰って来るのを知って出かけたからな」
普通の母親は息子が帰って来る日には家にいるものだ。少なくとも俺の知人や友人の所はそうだ。
父の言葉が終わって間もなくだった。家の前で車が停まり、ドアの開閉音が聴こえた。
「ただいま~」
母の陽気な声が聴こえた。テレビを見ていて、動かない父に代わり、玄関まで出て見た。
母が登場すると何処でもその場がパッと明るくなる。
玄関から上がって来た母は、初夏に相応しいモスグリーンのカットソーを着ていた。薄い生地で透けていて涼しさを感じさせた。しかし、母はその下に大きく胸の開いたタンクトップを着ていて、胸の谷間が露わになっていた。いかにも今まで男と情事をしていた事が伺えた。それに息から少しアルコール臭がした。正式にはアセトアルデヒドなんだろうが……。俺の姿を見ると
「もう帰っていたんだ。夕方かと思ってた」
カットソーを脱ぐと俺に手渡し居間に向かった。母が通り過ぎた後に化粧の残り香が鼻を突いた。その後を追って居間に行くと母は父の隣に座り
「ただいま。朝からわたしが居なくて寂しかった?」
そう言って父に持たれかかった。以前の母は息子の前でこんな事はしなかった。
「なんだ、随分大胆な格好で出かけたんだな」
父がそんな事を言っているが顔は言葉とは裏腹で紅色そうな表情をしていた。今までもこうだったのだろうか? 俺が子供だったので気が付かなかったのだろうか?
「だって、こんな格好をすると皆喜ぶんだもの」
そう言って大きく躰を揺すった。揺れる胸の谷間を見て、父も満更でもなさそうだった。
それにしても、己の母親ながら、若い! 実際は四十に手が届きそうな年齢なのに、どう見ても三十前にしか見えない。それに加えて若い頃から周りの男どもを魅了したと言われる美観。こればかりは化物じみてるとしか言えない。恐らく顔だけではなく躰、スタイルも若い頃の体型を保っているのだろう。
「皆じゃなくて男が喜ぶんだろう?」
父はまるで母が他の男にモテるのが嬉しいような素振りを見せている。俺が高校を卒業してから夫婦ふたりだけの生活になり、二人の関係があからさまになったのだろうか?
「今夜は泊まって行くんでしょう?」
父の躰に持たれながら俺に尋ねる
「ああ、連休中は店も休みだし。寮に帰っても誰も居ないしね」
店の隣にある寮では十人ほどの住み込みの者がいたが、この連休で皆実家に帰っていて、残ってる者は居なかった。居ても自分で食事の用意をしなければならず。返って面倒くさかった。
その夜は昔と同じように親子三人で夕食を採った。只、以前と違っていたのは、母が俺の前でも「おんな」の部分を隠そうとしなくなった事だった。
連休の終わりに、色々な事を考えながら店に戻った。よく夫婦の事を『割れ鍋に綴じ蓋』と言うが、俺の親もそうなのだと思う事にした。理想では自分の親は理想の親であって欲しかったし、それは今でも変わりは無い。
例えそれが手に入れる事が出来ない幻想だとしてもだ……。
それから半年後の年の暮。俺は思いがけなく『焼き方』に昇進した。同期の奴と一緒だったが、やがて同期の奴は同じ系列店に移って行った。これからは別々の店になるが、あいつにだけは負けられないと思った。それからは休みの日でも包丁の練習をした。少しでも上の仕事をしたかったからだ。
だから、その正月は親に事情を言って家には帰らなかった。今思えばそれが良くなかったのだろうか。年が明けて春になった頃にそれは起きた。店で仕事をしていた時だった。 春と言うのは昔は歓送迎会などがあり忙しかったのだが、最近の日本人はそれをしなくなったらしく、さほど忙しい日では無かった。店の店長が俺に
「電話が掛かって来ている。伯母さんとか言っていたぞ」
そう教えてくれた
「ありがとうございます!」
そう言って急いで手を洗って店の事務室にある電話に飛びついた。電話の主は母の姉の伯母だった。あの田舎の母の実家で母と一緒に育った人だった。
「あんた、お店の電話が判らなくて苦労したのよ。大変なのよ! テレビ見て無かったの?」
伯母が何を言っているのか理解出来なかった。
「テレビ見てないから……俺、仕事してたし」
俺の頓珍漢な答えを聴いて伯母は
「お父さんがお母さんを刺したのよ!」
あまりのことでその後暫くの事は記憶残っていない。気がつけば何処かの病院の霊安室に居た。寝台には布を掛けられた母の遺体が横たわっていた。伯母が教えてくれた所によると、隣家の人が母の絶叫を聞いて急いで来てみたら、父が真っ赤な血に染まった包丁を握って立ち尽くしていたそうだ。その足元には母が横たわっていて、隣家の人は急いで百十番に電話をしたのだという。
そっと布をめくって母の顔を見た。まるで眠っているようだった。声を掛ければ起きるのでは無いだろうかと思った。それほど綺麗な顔だった。
救急車が到着した時には、未だ息があったのだそうだ。だが病院に運ばれてすぐに息を引き取ったという。父はそのまま現行犯で警察に逮捕された。包丁を持ったままで、特別に抵抗しなかったという。
いったい何が二人の間であったのだろうか? 父は母の放蕩にキレてしまったのだろうか? 普通ならそう思うのだろうが、俺にはそれでは無いと思った。父は母の行動を認めていたのだ。家庭を壊さない範囲。家庭に自分の関係を持ち込まない範囲なら、むしろ父は認めていた節さえあった。いいや、むしろ楽しんでいたのでは無いだろうか?
伯母は母とは全く正反対の性格で、母の行動を心配していた。俺とたまにだが顔を合わすと母の事を心配していた。
「あんな事続けていると、いつか問題になるからね」
そんな事を決まり事のように言っていた。生憎それが現実となってしまった訳だ。
その後はお決まりのコースだった。母の葬儀を行い。四十九日の納骨まではすぐだった。俺はその度に店を休まなくてはならないのが申し訳無かった。店で俺に対する視線が違って来たのはすぐに判った。殺人者の息子であり、被害者の息子でもある訳だが、今までとは違って見られる事になった。
父は殺人罪で起訴され、すぐに結審して懲役七年の実刑となった。思ったより軽かったのは、母の日頃の行動……つまり浮気に業を煮やした父が母と口論となりカッとなって思わず台所にあった包丁を持って来て刺してしまった、突発的な事件だと結論付けられたからだ。母の夫婦関係を破綻させる行動は簡単に立証出来たので、初犯だし情状酌量の余地もあり思ったより軽くなったのだ。弁護士は国選だったが
「もう少し頑張れば五年まで縮まりますよ」
と言ったが父は刑をそのまま受け入れた。
刑務所は長野刑務所に収監された。初犯で暴力団と繋がりの無い八年未満の刑期という事らしい。
長野には面会に行くつもりだったし、刑期を終えて出て来る時は迎えに行くつもりだった。
結局五年を過ぎた頃に模範囚となり仮釈放された。俺はその頃一人で暮らしていた。実家は父の意向で売却されてしまっていたので、俺は少し広いアパートを借りて父を迎い入れるつもりだった。
店の方は結局別な店に移動させられた。そこは俺の事なぞ誰も知らない場所だった。父の起こした事件はマスコミには夫婦喧嘩の末の痴情という扱いで少しはワイドショーに取り上げられたがそれ以上話題になる事もなかった。
父が仮釈放される頃には誰も覚えていなかった。俺の事もそんな事件に関わる者とは全く思われていなかった。
新しい店では今ではこの春から『煮方』をやらせて貰っている。少し早いかも知れなかったが店の親方が俺の事を買ってくれたのだ。期待には応えなくてはならない。俺は頑張しかなかったからだ。
道の脇が一段下がっていて、そこが歩道となっている。コンクリートの高い塀の上が金属の網が張られた塀が乗って、その塀が道なりに続いている。そう、ここは長野刑務所だ。今日は父の仮出所の日で俺は店を休んで車を借りて迎えに来たのだった。
やがてスライド式の門扉が開かれ、ボストンバッグを持った一人の男が中から出て来た。それにしても刑務所なのに小学校の門の様な門扉だと思った。守衛さんにお礼を言って頭を下げると、俺の姿を見つけ僅かに嬉しそうな顔をした。
「お疲れさん」
「ああ、ありがとう。迎えに来てくれたのかい」
「うん。このまま東京まで帰ろうと思ってね。明日は店に出ないとならないし」
「そうか、悪かったな」
「まあ良いよ。乗りなよ」
助手席のドアを開けて父を座らせる。自分も乗り込むとエンジンを掛けて車を走らせた。
父はまっすぐ前を見ていた。俺はその横顔をチラチラと見ながら、何か話さねばと考えていた。すると
「高速に乗ったら少し話をする事があるんだ」
父がそんな事を言いだした。
「何で高速に乗ってからなのさ」
「街中だと、驚いて運転ミスしたらヤバイだろう、人も歩いているし」
良く判らないが、それだけ驚く内容なのだろうか。
街中を抜けると、車は高速に入った。順調に流れているみたいだった。
「で、話って何さ」
「ああ、実は所長の世話で就職が決まってるんだ。長野の会社でな。お前の所で少し居て、準備が整ったら長野に戻るわ」
実は父はある特殊技能の資格を持っていて、その方面では常に人手不足なので母を刺すまで、前の会社でも結構良い給料を稼いでいた。
犯した罪も償った今は、その会社も父の技能が欲しいのだろう。その方面では父は優秀だったからだ。知る人ぞ知るという訳だった。
「そう、良かったじゃない。東京から離れた方が良いかもね。母さんの思い出とか色々あるだろうし」
サービスエリアが近づいて来た。
「何か食べる?」
「ああ、そうだな。今食べておけば東京まで寄らなくても済むかもな」
俺は車線を外れてサービスエリアの駐車場に車を駐めた。思ったより混んではいなかった。平日ともなれば、こんなものなのだろう。
レストランに入ってそれぞれ注文をする。俺はトンカツ定食、親父は迷った挙句刺身定食にした。この山の地方で刺し身かよ、と思ったが、
「パフェも頼んでいいか?」
そんな事を訊いて来た。
「ああ良いよ。でも甘いもの好きだったけ」
「いや、中では甘いものは食べられないからな。それと刺し身なんかもな」
そうか、父は普通の状態では無かったと思い出した。七年の間、食べたい物が食べられ無かったのだ。そうなるかと納得した。
注文したものが運ばれて来て食べながら
「家を売った金な。半分お前にやるよ。本来なら遺残相続でお前に行くはずだったからな」
家を売った金は父の高座に入っていた。中からでも預金の管理は出来る。勿論俺とか弁護士の協力が必要だが。
「ありがとう。いいのかい。それと東京に戻ったら弁護士の先生に挨拶に行くんだろう?」
「行かないと不味いな」
「そうだね」
実際刑事事件で挨拶に行く者は余り居ないそうだが、父の場合は行っても罰は当たらないと思った。
と言うのも、当時、父と母は区役所の相談所に離婚の相談をしていたのだ。母が相談に訪れたらしい。裁判ではそのことが重要視され、離婚したがっていた母と離婚したくない父の対立が元からあり、それが事件の下敷きになっていると、弁護士が論点を展開したのだ。元より計画的犯行の跡は感じられず。その意見が採用され、カッとなった時の犯行と結論づけられたのだった。
「母さんは本当にいい女だったよ」
刺身定食を食べ、デザートのパフェに口を付けながら父が思い出したように言い出した。
「魔性の女と呼んでも良かったな。兎に角、何処へ行っても男が放おって置かなかった」
確かに母の美しさ、妖艶さは息子の俺が見ても、信じられないぐらいだった。そこで俺はこの数年間疑問に思っていた事を尋ねる事にした。予てから父が出所したら訊いてみるつもりだった。
「あのさ、母さんが浮気していたのは随分昔からだったじゃない。父さんはそれを認めていたのでしょう。なら何故急に怒ったりしたのさ。母さんが離婚しようと言って来たから?」
父はパフェのイチゴを惜しそうに口に入れると
「母さんが離婚を口走ていたのは毎度の事さ。新しい男が出来ると口癖の様に『離婚しようかな』と言っていたさ。そんな事では俺は動じないよ。本当の事を言うのは構わないがここでは駄目だな。車の中で走りながら話すよ」
その言葉に俺は飲みかけのコーヒーを口に流し込んだ。
車は信越道を東京に向かっていた。渋滞も無く、スムーズに流れている。ぼんやりしてると眠くなりそうだった。
「実はな、お前はできちゃった婚だったんだ」
それはかなり前に誰かから聞いた事があった。別に驚くような事では無かった。
「母さんが短大の時でな。この頃既に母さんには交際してる男が複数居た。俺が知ってるだけでも二人は居たから、本当はもっと居たかも知れん」
まあ、後の母さんの異常なモテぶりからすれば、想像出来る事だった。
「それで父さんが勝ち取ったのか」
「勝ち取った言うより、俺の子だって言うからな」
「それじゃ、母さんは他の男とは何も無かったの?」
「まさか、避妊をしなかったのが俺だけだったという事さ。安心しろ、お前は確実に俺と母さんの子だから」
別に特別安心はしないが、今更、真実の親を探して歩きたくは無い。
「母さんな、実は事件の時付き合っていた男の子供が欲しいと言い出したんだ。だから離婚してくれと……」
それは初めて知った。まさかそんな理由を離婚相談には話せない。
「色々な事を許していた俺だったが、それだけは許せなかった。それに若く見えても四十だしな。アイツはどんなに外で遊んでいても、やがて必ず俺の元に帰って来る。戻る所は俺の所しかない。というのが俺の自負でもあった。事実母さんは外で他の男に抱かれた後は必ず俺に抱かれたがった。それは可愛いものだったよ。この魔性の女は俺のものだと実感出来たからな」
そうか、その想いが父を夫婦関係を支えていたのだと実感した。
「だから永遠に母さんを俺のモノにする事にしたんだ」
それは……それが殺人の本当の理由?
「じゃあ、咄嗟に頭に来て刺したのじゃ無いの?」
父はそれには直接答えず
「お前は知らんだろうが、あの包丁な、昔お前がくれたものでな。母さん大切にして一度も使わなかった。新品のままだった」
よく殺人が計画的だった場合、包丁の入所ルートを調べられる事があるが、俺が母に買ってあげたのはかなり前だ。それも家庭仕様の店ではなく俺が仕事の包丁を買ってる店で買ったものだった。作りが違う。
あの裁判では包丁の入手ルートは勘案されなかった。計画的な犯行では無いとされたからだ。
「何時やろうかじっくりと考えた。勿論口論になったら何時でも使えるように用意していたけどな」
「じゃあ父さんは母さんを殺す事を計画していたの?」
「殺すと言うより、母さんは永遠に俺のものになったのさ。誰にも渡さないのさ」
計画的であろうと無かろうと俺の母を殺したのは助手席に座っている父なのだ。
胸糞が悪くなるという表現があるが、まさにその想いだった。でも俺はここに来て、思春期の頃母の着替え姿を見たり、母のだらしない格好を見たりした時の黒い感情が何かのか理解出来た。それは今から思えば「嫉妬」だったのだろう。子供として愛して欲しいと常に思っていた俺の嫉妬なのだ。
「母さんは蛍なんだよ。野に居れば毎夜、怪しい光で人々を魅了するが、籠に入れてしまえば、すぐに死んでしまう。だから母さんは他の男の子供を産んで……まあ歳もあるから難しいとは思ったがね。人のものになって籠に入ってはならないんだよ。そうなったらすぐに光を失ってしまうだろう。だから彼女の真の理解者は俺しか居なかったのさ」
俺は父の呟きを耳にしながら車を東京に向かって走らせていた。俺は男として密かに父に嫉妬と殺意が湧いて来るのを抑えられなかった。
当時は何回も電車を乗り換えて行った記憶もあり、見渡すばかりの田圃だったので、かなりの田舎なのかと思っていた。だが、高校生の時にその実家に住んでいた祖父が亡くなって葬式に行った時に、思っていたほど田舎ではないのだと判った。
もしかしたら、俺の小学生の時代から高校生になるまでの数年間で発展したのかも知れなかった。なんせ当時は夜になると田圃の上で蛍が妖しく乱舞するのが信じられなかったからだ。その時、生まれて初めて飛んでいる生の蛍を見た。その興奮と衝撃は今でも体のどこかに残っている気がする。
祖父が作ってくれた即席の虫かごに捕まえた数匹の蛍を入れたのだが、その蛍は朝には死んでいた。夜の間は綺麗に光っていたのだが、朝見た虫かごの中は無惨な様子を呈していた。子供心に『あのまま飛ばせていれば良かった』と思った。
祖父の葬式の時は真冬だったので蛍は居なかったが、祖母の言うにはその頃には蛍の数もめっきり少なくなっていたそうだ。
実はその時が数年ぶりの母の実家だった。中学一年の時が最後で、冬になると祖父や祖母は東京に住んでる子供の家に泊まり歩いていたせいで、こちらから行くと言う事はしなかったのだ。
結局、それが田舎に行った最後となった。一人暮らしをさせられないと、母の兄弟が相談した結果。比較的裕福な暮らしをしている一番下の叔父が引き取る事になった。田舎の家は売却して、そのお金が祖母の持参金となった。
その持参金がどうなったかは俺には判らない。だが、祖母が亡くなった後で、遺産のもめ事が無かったので、それまでには残っていなかったのだろう。
そんな母が家で酒を飲んで酔って一度だけ言った事がある。
「本当はあんたにも幾らか残せるほどあったのだけどね」
それが祖母の持参金の事だと判ったのは暫く後の事だった。
その母だが、今はやっと四十になったが、見かけは三十そこそこにしか見えない。恐ろしく若く見える。街を歩いていても良く声を掛けられるそうだ。
女の子には判らないが、男の子には思春期に少しだけ、あるいは一瞬の間だけ、母を「おんな」として見てしまう時期がある。単なる通過儀礼なのだが、俺にもあった、その時期には母の事を恐ろしく魅力的に見えてしまった事があった。高校生の俺は
「なんで父親みたいな人と結婚したのだろうか? 母ならもっと良い所があったのでは無いか」
等と考えた。別に父が嫌いな訳ではない。世間に良くある、父親と息子が反発しあってる。等と言う事は我が家には無かった。父は良き父親だったが、特別の美観を誇る母とは釣り合いが取れない感じがしたのだ。
俺が成長して判った事だが、俺が幼い頃から母には常に愛人が居たそうだ。やはり周りの男が放って置かなかったのだ。俺が高校生の頃、母は三十代だったが、子供から見てもその美しさは輝くばかりだった。学校の参観日等では綺麗な母が誇らしかった。そんな俺の気持なぞ理解しない母は家では無造作に俺の前で着替えたりしていた。俺はそれを目にしながら心に黒い感情が湧くのを押さえられなかった。
高校を卒業すると進学せずに就職した。本来勉強の嫌いな俺が大学に行くなんて事は考えられなかった。でも学校の成績が悪かった訳ではない。進学担当の先生も
「もったいない。大抵の所なら狙えるぞ」
等と言ってくれたが、本人に全くその気が無いのだから仕方がない。
結局考えていた日本料理の道に進む事にした。子供の頃から何か料理を作る事が好きだったし、それを食べて喜ぶ顔を見るのが嬉しかったからだ。それに、有名な料亭は、住み込みで修行しなければならない。その為には家を出なくてはならない。正直、母と一つ屋根の下で暮らしたくは無かった。この頃母の行動は次第に大胆になっており、平気で愛人に家の前まで送らせるような事をしていた。父が気がつけば、すぐに問題になると思っていた。俺はそんな家から逃げ出したかったのだ。
料理の修行は辛かった。でもそれは覚悟の上だった。半年で同期で入った者が半分になった。最初の半年では包丁はおろか、食材も触らせて貰えない。掃除や洗い物がメインで、後は食材が市場から届くとそれを運ぶ事。ビール等を冷蔵のビールクーラーに運んだりする力仕事が殆どだった。
一年すると、食材に触らせて貰えるようになる。それは食材の保存だ。冷蔵庫の管理をさせられるようになるのだ。この時は少し嬉しかった。それに店でも包丁は無理だが、大根おろしや山葵をおろす事などもさせられるようになる。そして、今までと違うのは「まなかい」を作るようになる事だった。決められた金額を女将さんから阿預かって、店の従業員全員の夕食を作るのだ。一人で作る事もあるが、同期の仲間と一緒に作る事もある。でもこの頃には同期は俺の他には一人だけになってしまっていた。結局、これが料理の修行になるのだから、お互いに交代でやる事にした。
店の営業が終わってから夕食になる。店によってはホールと板場で別々に食事をする所が多いそうだが、俺の店は全員が揃って食べる決まりだった。
板場とホールの者が一緒に食事をして、今日の反省会となる。色々な意見が出るのだが、それが店の為になるのだ。
そして、その夕食の場は、当然味の品評の場となる。誉められる事なぞ殆ど無い。板場の先輩は技術的なことを注意してくれる。それは本当に有り難い。ホールの仲居さん達は、お客の好みから来る感想を言ってくれる。これはこれで有り難い。板場に居たのでは得られない情報だからだ。
そんなことをして瞬く間に二年が過ぎた。この頃にはやっと包丁を持たせて貰えた。切る材料は野菜ばかりだったが、それでも嬉しかった。板前としてやっと歩き出した実感がしたからだ。下の者も出来て、俺にも少しは教える事が出来たのが嬉しかった。
だから家には毎年、正月休みにだけ一日のみ帰っていた。その日は正月では無かったが、連休で休みが続くので思い切って帰って見る事にしたのだ。
久しぶりの家には、茶の間に父だけがぼんやりとテレビを見て座っていた。その姿が少し寂しそうだった。
「ただいま。母さんは?」
「おう、お帰り。出かけているよ。それにしても久しぶりじゃないか。正月以外で帰って来るなんてさ」
元から静かな人だった。だがそれは表面的であり、本来は何か得体の知れないものを持っている人だとは感じていた。だがそれが俺の前で出た事はない。
「また、男の所?」
父は苦笑いを浮かべた。
父は母が浮気を繰り返しても俺の前で母をなじるような事はしなかった。高校を卒業して家を出る前に父に尋ねた事がある。
「どうして父さんは母さんが浮気を繰り返しても何も言わないのさ!」
その時、父からはハッキリとした答えを貰った記憶は無かった。
一つだけ覚えているのは、父が
「小学生の頃、お母さんの実家に行って、蛍を見たのを覚えているか?」
そんな、全く関係ない事を逆に俺に尋ねた事だった。
「ああ、覚えているよ。あんな光景忘れられないに決まってるじゃない」
俺がそう答えると父は薄笑いを浮かべて
「やはりお前は俺の息子なんだな」
そんな事を呟いたのを覚えていた。
「もうすぐ帰って来るんじゃないかな。今日はお前が帰って来るのを知って出かけたからな」
普通の母親は息子が帰って来る日には家にいるものだ。少なくとも俺の知人や友人の所はそうだ。
父の言葉が終わって間もなくだった。家の前で車が停まり、ドアの開閉音が聴こえた。
「ただいま~」
母の陽気な声が聴こえた。テレビを見ていて、動かない父に代わり、玄関まで出て見た。
母が登場すると何処でもその場がパッと明るくなる。
玄関から上がって来た母は、初夏に相応しいモスグリーンのカットソーを着ていた。薄い生地で透けていて涼しさを感じさせた。しかし、母はその下に大きく胸の開いたタンクトップを着ていて、胸の谷間が露わになっていた。いかにも今まで男と情事をしていた事が伺えた。それに息から少しアルコール臭がした。正式にはアセトアルデヒドなんだろうが……。俺の姿を見ると
「もう帰っていたんだ。夕方かと思ってた」
カットソーを脱ぐと俺に手渡し居間に向かった。母が通り過ぎた後に化粧の残り香が鼻を突いた。その後を追って居間に行くと母は父の隣に座り
「ただいま。朝からわたしが居なくて寂しかった?」
そう言って父に持たれかかった。以前の母は息子の前でこんな事はしなかった。
「なんだ、随分大胆な格好で出かけたんだな」
父がそんな事を言っているが顔は言葉とは裏腹で紅色そうな表情をしていた。今までもこうだったのだろうか? 俺が子供だったので気が付かなかったのだろうか?
「だって、こんな格好をすると皆喜ぶんだもの」
そう言って大きく躰を揺すった。揺れる胸の谷間を見て、父も満更でもなさそうだった。
それにしても、己の母親ながら、若い! 実際は四十に手が届きそうな年齢なのに、どう見ても三十前にしか見えない。それに加えて若い頃から周りの男どもを魅了したと言われる美観。こればかりは化物じみてるとしか言えない。恐らく顔だけではなく躰、スタイルも若い頃の体型を保っているのだろう。
「皆じゃなくて男が喜ぶんだろう?」
父はまるで母が他の男にモテるのが嬉しいような素振りを見せている。俺が高校を卒業してから夫婦ふたりだけの生活になり、二人の関係があからさまになったのだろうか?
「今夜は泊まって行くんでしょう?」
父の躰に持たれながら俺に尋ねる
「ああ、連休中は店も休みだし。寮に帰っても誰も居ないしね」
店の隣にある寮では十人ほどの住み込みの者がいたが、この連休で皆実家に帰っていて、残ってる者は居なかった。居ても自分で食事の用意をしなければならず。返って面倒くさかった。
その夜は昔と同じように親子三人で夕食を採った。只、以前と違っていたのは、母が俺の前でも「おんな」の部分を隠そうとしなくなった事だった。
連休の終わりに、色々な事を考えながら店に戻った。よく夫婦の事を『割れ鍋に綴じ蓋』と言うが、俺の親もそうなのだと思う事にした。理想では自分の親は理想の親であって欲しかったし、それは今でも変わりは無い。
例えそれが手に入れる事が出来ない幻想だとしてもだ……。
それから半年後の年の暮。俺は思いがけなく『焼き方』に昇進した。同期の奴と一緒だったが、やがて同期の奴は同じ系列店に移って行った。これからは別々の店になるが、あいつにだけは負けられないと思った。それからは休みの日でも包丁の練習をした。少しでも上の仕事をしたかったからだ。
だから、その正月は親に事情を言って家には帰らなかった。今思えばそれが良くなかったのだろうか。年が明けて春になった頃にそれは起きた。店で仕事をしていた時だった。 春と言うのは昔は歓送迎会などがあり忙しかったのだが、最近の日本人はそれをしなくなったらしく、さほど忙しい日では無かった。店の店長が俺に
「電話が掛かって来ている。伯母さんとか言っていたぞ」
そう教えてくれた
「ありがとうございます!」
そう言って急いで手を洗って店の事務室にある電話に飛びついた。電話の主は母の姉の伯母だった。あの田舎の母の実家で母と一緒に育った人だった。
「あんた、お店の電話が判らなくて苦労したのよ。大変なのよ! テレビ見て無かったの?」
伯母が何を言っているのか理解出来なかった。
「テレビ見てないから……俺、仕事してたし」
俺の頓珍漢な答えを聴いて伯母は
「お父さんがお母さんを刺したのよ!」
あまりのことでその後暫くの事は記憶残っていない。気がつけば何処かの病院の霊安室に居た。寝台には布を掛けられた母の遺体が横たわっていた。伯母が教えてくれた所によると、隣家の人が母の絶叫を聞いて急いで来てみたら、父が真っ赤な血に染まった包丁を握って立ち尽くしていたそうだ。その足元には母が横たわっていて、隣家の人は急いで百十番に電話をしたのだという。
そっと布をめくって母の顔を見た。まるで眠っているようだった。声を掛ければ起きるのでは無いだろうかと思った。それほど綺麗な顔だった。
救急車が到着した時には、未だ息があったのだそうだ。だが病院に運ばれてすぐに息を引き取ったという。父はそのまま現行犯で警察に逮捕された。包丁を持ったままで、特別に抵抗しなかったという。
いったい何が二人の間であったのだろうか? 父は母の放蕩にキレてしまったのだろうか? 普通ならそう思うのだろうが、俺にはそれでは無いと思った。父は母の行動を認めていたのだ。家庭を壊さない範囲。家庭に自分の関係を持ち込まない範囲なら、むしろ父は認めていた節さえあった。いいや、むしろ楽しんでいたのでは無いだろうか?
伯母は母とは全く正反対の性格で、母の行動を心配していた。俺とたまにだが顔を合わすと母の事を心配していた。
「あんな事続けていると、いつか問題になるからね」
そんな事を決まり事のように言っていた。生憎それが現実となってしまった訳だ。
その後はお決まりのコースだった。母の葬儀を行い。四十九日の納骨まではすぐだった。俺はその度に店を休まなくてはならないのが申し訳無かった。店で俺に対する視線が違って来たのはすぐに判った。殺人者の息子であり、被害者の息子でもある訳だが、今までとは違って見られる事になった。
父は殺人罪で起訴され、すぐに結審して懲役七年の実刑となった。思ったより軽かったのは、母の日頃の行動……つまり浮気に業を煮やした父が母と口論となりカッとなって思わず台所にあった包丁を持って来て刺してしまった、突発的な事件だと結論付けられたからだ。母の夫婦関係を破綻させる行動は簡単に立証出来たので、初犯だし情状酌量の余地もあり思ったより軽くなったのだ。弁護士は国選だったが
「もう少し頑張れば五年まで縮まりますよ」
と言ったが父は刑をそのまま受け入れた。
刑務所は長野刑務所に収監された。初犯で暴力団と繋がりの無い八年未満の刑期という事らしい。
長野には面会に行くつもりだったし、刑期を終えて出て来る時は迎えに行くつもりだった。
結局五年を過ぎた頃に模範囚となり仮釈放された。俺はその頃一人で暮らしていた。実家は父の意向で売却されてしまっていたので、俺は少し広いアパートを借りて父を迎い入れるつもりだった。
店の方は結局別な店に移動させられた。そこは俺の事なぞ誰も知らない場所だった。父の起こした事件はマスコミには夫婦喧嘩の末の痴情という扱いで少しはワイドショーに取り上げられたがそれ以上話題になる事もなかった。
父が仮釈放される頃には誰も覚えていなかった。俺の事もそんな事件に関わる者とは全く思われていなかった。
新しい店では今ではこの春から『煮方』をやらせて貰っている。少し早いかも知れなかったが店の親方が俺の事を買ってくれたのだ。期待には応えなくてはならない。俺は頑張しかなかったからだ。
道の脇が一段下がっていて、そこが歩道となっている。コンクリートの高い塀の上が金属の網が張られた塀が乗って、その塀が道なりに続いている。そう、ここは長野刑務所だ。今日は父の仮出所の日で俺は店を休んで車を借りて迎えに来たのだった。
やがてスライド式の門扉が開かれ、ボストンバッグを持った一人の男が中から出て来た。それにしても刑務所なのに小学校の門の様な門扉だと思った。守衛さんにお礼を言って頭を下げると、俺の姿を見つけ僅かに嬉しそうな顔をした。
「お疲れさん」
「ああ、ありがとう。迎えに来てくれたのかい」
「うん。このまま東京まで帰ろうと思ってね。明日は店に出ないとならないし」
「そうか、悪かったな」
「まあ良いよ。乗りなよ」
助手席のドアを開けて父を座らせる。自分も乗り込むとエンジンを掛けて車を走らせた。
父はまっすぐ前を見ていた。俺はその横顔をチラチラと見ながら、何か話さねばと考えていた。すると
「高速に乗ったら少し話をする事があるんだ」
父がそんな事を言いだした。
「何で高速に乗ってからなのさ」
「街中だと、驚いて運転ミスしたらヤバイだろう、人も歩いているし」
良く判らないが、それだけ驚く内容なのだろうか。
街中を抜けると、車は高速に入った。順調に流れているみたいだった。
「で、話って何さ」
「ああ、実は所長の世話で就職が決まってるんだ。長野の会社でな。お前の所で少し居て、準備が整ったら長野に戻るわ」
実は父はある特殊技能の資格を持っていて、その方面では常に人手不足なので母を刺すまで、前の会社でも結構良い給料を稼いでいた。
犯した罪も償った今は、その会社も父の技能が欲しいのだろう。その方面では父は優秀だったからだ。知る人ぞ知るという訳だった。
「そう、良かったじゃない。東京から離れた方が良いかもね。母さんの思い出とか色々あるだろうし」
サービスエリアが近づいて来た。
「何か食べる?」
「ああ、そうだな。今食べておけば東京まで寄らなくても済むかもな」
俺は車線を外れてサービスエリアの駐車場に車を駐めた。思ったより混んではいなかった。平日ともなれば、こんなものなのだろう。
レストランに入ってそれぞれ注文をする。俺はトンカツ定食、親父は迷った挙句刺身定食にした。この山の地方で刺し身かよ、と思ったが、
「パフェも頼んでいいか?」
そんな事を訊いて来た。
「ああ良いよ。でも甘いもの好きだったけ」
「いや、中では甘いものは食べられないからな。それと刺し身なんかもな」
そうか、父は普通の状態では無かったと思い出した。七年の間、食べたい物が食べられ無かったのだ。そうなるかと納得した。
注文したものが運ばれて来て食べながら
「家を売った金な。半分お前にやるよ。本来なら遺残相続でお前に行くはずだったからな」
家を売った金は父の高座に入っていた。中からでも預金の管理は出来る。勿論俺とか弁護士の協力が必要だが。
「ありがとう。いいのかい。それと東京に戻ったら弁護士の先生に挨拶に行くんだろう?」
「行かないと不味いな」
「そうだね」
実際刑事事件で挨拶に行く者は余り居ないそうだが、父の場合は行っても罰は当たらないと思った。
と言うのも、当時、父と母は区役所の相談所に離婚の相談をしていたのだ。母が相談に訪れたらしい。裁判ではそのことが重要視され、離婚したがっていた母と離婚したくない父の対立が元からあり、それが事件の下敷きになっていると、弁護士が論点を展開したのだ。元より計画的犯行の跡は感じられず。その意見が採用され、カッとなった時の犯行と結論づけられたのだった。
「母さんは本当にいい女だったよ」
刺身定食を食べ、デザートのパフェに口を付けながら父が思い出したように言い出した。
「魔性の女と呼んでも良かったな。兎に角、何処へ行っても男が放おって置かなかった」
確かに母の美しさ、妖艶さは息子の俺が見ても、信じられないぐらいだった。そこで俺はこの数年間疑問に思っていた事を尋ねる事にした。予てから父が出所したら訊いてみるつもりだった。
「あのさ、母さんが浮気していたのは随分昔からだったじゃない。父さんはそれを認めていたのでしょう。なら何故急に怒ったりしたのさ。母さんが離婚しようと言って来たから?」
父はパフェのイチゴを惜しそうに口に入れると
「母さんが離婚を口走ていたのは毎度の事さ。新しい男が出来ると口癖の様に『離婚しようかな』と言っていたさ。そんな事では俺は動じないよ。本当の事を言うのは構わないがここでは駄目だな。車の中で走りながら話すよ」
その言葉に俺は飲みかけのコーヒーを口に流し込んだ。
車は信越道を東京に向かっていた。渋滞も無く、スムーズに流れている。ぼんやりしてると眠くなりそうだった。
「実はな、お前はできちゃった婚だったんだ」
それはかなり前に誰かから聞いた事があった。別に驚くような事では無かった。
「母さんが短大の時でな。この頃既に母さんには交際してる男が複数居た。俺が知ってるだけでも二人は居たから、本当はもっと居たかも知れん」
まあ、後の母さんの異常なモテぶりからすれば、想像出来る事だった。
「それで父さんが勝ち取ったのか」
「勝ち取った言うより、俺の子だって言うからな」
「それじゃ、母さんは他の男とは何も無かったの?」
「まさか、避妊をしなかったのが俺だけだったという事さ。安心しろ、お前は確実に俺と母さんの子だから」
別に特別安心はしないが、今更、真実の親を探して歩きたくは無い。
「母さんな、実は事件の時付き合っていた男の子供が欲しいと言い出したんだ。だから離婚してくれと……」
それは初めて知った。まさかそんな理由を離婚相談には話せない。
「色々な事を許していた俺だったが、それだけは許せなかった。それに若く見えても四十だしな。アイツはどんなに外で遊んでいても、やがて必ず俺の元に帰って来る。戻る所は俺の所しかない。というのが俺の自負でもあった。事実母さんは外で他の男に抱かれた後は必ず俺に抱かれたがった。それは可愛いものだったよ。この魔性の女は俺のものだと実感出来たからな」
そうか、その想いが父を夫婦関係を支えていたのだと実感した。
「だから永遠に母さんを俺のモノにする事にしたんだ」
それは……それが殺人の本当の理由?
「じゃあ、咄嗟に頭に来て刺したのじゃ無いの?」
父はそれには直接答えず
「お前は知らんだろうが、あの包丁な、昔お前がくれたものでな。母さん大切にして一度も使わなかった。新品のままだった」
よく殺人が計画的だった場合、包丁の入所ルートを調べられる事があるが、俺が母に買ってあげたのはかなり前だ。それも家庭仕様の店ではなく俺が仕事の包丁を買ってる店で買ったものだった。作りが違う。
あの裁判では包丁の入手ルートは勘案されなかった。計画的な犯行では無いとされたからだ。
「何時やろうかじっくりと考えた。勿論口論になったら何時でも使えるように用意していたけどな」
「じゃあ父さんは母さんを殺す事を計画していたの?」
「殺すと言うより、母さんは永遠に俺のものになったのさ。誰にも渡さないのさ」
計画的であろうと無かろうと俺の母を殺したのは助手席に座っている父なのだ。
胸糞が悪くなるという表現があるが、まさにその想いだった。でも俺はここに来て、思春期の頃母の着替え姿を見たり、母のだらしない格好を見たりした時の黒い感情が何かのか理解出来た。それは今から思えば「嫉妬」だったのだろう。子供として愛して欲しいと常に思っていた俺の嫉妬なのだ。
「母さんは蛍なんだよ。野に居れば毎夜、怪しい光で人々を魅了するが、籠に入れてしまえば、すぐに死んでしまう。だから母さんは他の男の子供を産んで……まあ歳もあるから難しいとは思ったがね。人のものになって籠に入ってはならないんだよ。そうなったらすぐに光を失ってしまうだろう。だから彼女の真の理解者は俺しか居なかったのさ」
俺は父の呟きを耳にしながら車を東京に向かって走らせていた。俺は男として密かに父に嫉妬と殺意が湧いて来るのを抑えられなかった。