2017年04月

浮世絵美人よ永遠に 第四話 東海道五十三次

_SX355_  上野の山の一番奥とも言うべき場所に国立博物館は立っている。向かって右が本館。そして左が企画展などをやる平成館だ。今日は右の本館に入って行く。
 本館は一階は彫刻が多い。それも仏像がかなりの割合を占める。お栄さんは、それらも熱心に見ていたが、階段を登り二階の「東海道五十三次」の浮世絵が一同に揃った所に来ると顔つきが変わった。
 浮世絵が置いてある場所は薄暗く、ガラスのショーケースの中だけが灯りが点いている。「東海道五十三次」は江戸から順番に飾られていて、お栄さんはそれらを一枚一枚丁寧に見ていた。俺はさきに小声で
「なあ、後で調べて判ったのだが、俺が最初に江戸に行ったのは確か嘉永六年だったと記憶してるが、広重の保永堂版「東海道五十三次」は天保三年から出ていたじゃないか。この前お栄さんも途中までは見ていたと言っていたし、何故あの時代にわざわざタイムスリップしたんだ? 買い付けは保永堂版の蒲原だけじゃ無かったのじゃないか?」
 俺がこの仕事に慣れてから常に疑問に思っていた事だった。広重は自分だけも都合三回ほど「東海道五十三次」を書いている。その中で一番有名なのが今ここに展示されている「保永堂版東海道五十三次」なのだ。
 俺の疑問にさきは嬉しそうな表情をして
「結婚してから三年経ちました。いつ、それを尋ねてくれるのか待っていたのですよ」
 そう口を開いた。そして
「嘉永六年は、村市版の「東海道五十三次」が出た年です。それが欲しくて、その翌年に買い付けに行ったのですよ。勿論本命は保永堂版の蒲原ですから両方が買える年と言う訳なんです」
「おい、市村版って確か『人物東海道』と呼ばれている奴じゃないか。それも買い付けたのか」
「はい、そうです。あの時あなたに詳しい事を言っても判らないと思い、その事は言わなかったのですよ」
「では『蒲原』の他にも何か買ったのか」
「そうです。でもやはり『蒲原』ですけどね。「人物東海道」の蒲原ですよ。所謂『蒲原』のコレクターだったのです」
 そうか、そんな訳だったのかと納得した。ちなみに、広重は他の絵師とも共同で東海道五十三次は何作か書いている。主なものを上げると、佐野喜版「東海道五十三次」ー「狂歌入東海道」、江崎屋版「東海道五十三次」ー行書東海道、伊場仙版「東海道五十三対」 、丸清版「東海道五十三次」ー「隷書東海道」、藤慶版「東海道五十三図会」ー「美人東海道」、有田屋版「東海道五十三次」、丸久版「双筆五十三次」ー「双筆東海道」、蔦屋版「東海道五拾三次名所図絵」ー竪絵東海道」などがある。このうち蔦屋版には蔦屋重三郎さんが絡んでいるのだが、それはまた……。

 見終わったお栄さんと俺とさきは同じ階にあるラウンジの椅子に腰掛けた。さきが自販機でお茶を買ってそれぞれに配る。この本館には喫茶室は無いからだ。喫茶室のある館まで行ってもよいが、お栄さんも少し疲れが見えたからだ。無理もない慣れない環境に居れば疲れは倍増する。
「ありがとうございます! これの飲み方は教わりました。蓋をしておけば持ち運びも出来るので便利だと思いました」
 お栄さんはペットボトルのお茶を一口飲むと
「実は鉄蔵も『東海道五十三次』は書いてるのですが、全く話題にもなりませんでした。時期が悪かったと版元も言っていましたが、正直、あたしの目から見ても広重さんの作より劣っていたとは思いませんが時期が良くなかったのでしょうね。だから鉄蔵は『富嶽三十六景』を書いたのだと思います」
 お栄さんは遠くを見つめる目をしていた。もしかしたらその見つめる先は江戸の父親だったのかも知れない。
「後の研究者によると、この『保永堂版東海道五十三次』はお父さんの『富嶽三十六景』の影響を大分受けたと言う事なのですが、その辺はどうご覧になられました?」
 俺は素直な気持ちで尋ねてみた。するとお栄さんは
「確かに鉄蔵の影響はあると思いました。構図とか色々な所にそれは伺えます。でも絵師は影響し合う間柄ですから。あたしも色々な絵師の影響を受けて自分の画風を確立させて行きますから、それで良いのでは無いでしょうか」
 広重の絵には他の絵師の構図を参考にしたと思われる絵も多く存在する。まあ、それに一々反応する訳にも行かない。
 博物館の表では、春の風に乗って桜の花びらが舞っている。今日はもうこれでおしまいの予定だ。お栄さんがこちらに泊まれば、未だ時間はあるが本人の希望で一度江戸に帰りたいのだそうだ。八重洲の事務所兼ギャラリーに車を向ける。お栄さんは相変わらず窓から外を眺めて
「本当に変わってしまったのね」
 そう呟いたのが印象的だった。
 帰ると、すぐに着物に着替えた。髪はどうするかと思ったら
「この髪型もちょっといい感じなので、このまま帰ります」
 そう言う本人の希望なので、それを尊重した。江戸の人は着物にポニーテールを見てどう思うだろうか?
 同行するのは誰かと思ったら、さきが一緒に行くと言う。
「あなただったら一旦センターに出向いて、カツラやら着物やらに変えませんとなりません。わたしなら、着物に着替えるだけでも行けますからね」
 確かに、髷にならないと駄目な俺に対して、さきならば着物に着替えるだけで何とかなる。それにさきは普段、ここに自宅から着物一式を持って来て置いてあるのだ。
 さきは髪の毛を纏めると、柘植の櫛で後ろに留めて江戸時代でも可笑しくない髪型にした。それを見たお栄さんは
「あら、素敵。今度自分もやろうかしら」
 そんな事を言って周りを笑わせた。
 技術者の用意が出来たとの知らせに頷いて、転送室に行く二人に
「お栄さん。この次はもっと色々な場所に行きましょう。西洋画を見て回るのも良いですしね。何なら先程言っていたお父さんの『東海道五十三次』も『すみだ北斎美術館』で見る事が出来ますよ」
 俺がそう言うとお栄さんは
「鉄蔵の作品より西洋画が見たいですね。だから必ずまた来ます」
 そう言って転送室に消えて行った。

 今日、一つだけお栄さんには言わなかった事がある。それは彼女の書いた「吉原格子先之図」の事を一切言わなかった事だ。それはタイムスリップをする者として、言ってはいけない事なのだ。今の彼女には恐らくあの絵は書けない。西洋画を見ていない彼女には書けない作品でもあるのだ。我々タイムスリップを行う者は、過去の者にむやみに未来の己の事を教えてはならないのだ。例えば江戸南町奉行所の同心、坂崎さんは、大凡の歴史は知っていても、自分の行く末は知らない。ちなみに何時寿命が尽きるかも、知らされてはいないのだ。それは俺も同じで、漠然と今の世が続いて行くと言うことは知っていても、来年や再来年に何があるかは知らないのだ。それは、さきも同じで、知っているのは、そのうち俺たち夫婦に子供が出来る事だけなのだ。
 未来においては多少の変化はあるみたいだ。確定している部分もあるが、未確定の部分もあると言う事だった。
 この場合、お栄さんが先に「吉原格子先之図」を見てしまうことによりパラドックスに落ちてしまうからだ。だから一切触れなかったのだった。

 さきはこちらの時間では小一時間で帰って来た。帰って来ると五月雨さんに
「向こうでの処理は上手く行きました。次の予定も決めてきました」
 そう報告をしていた。
「そうか、ご苦労さま。それで次は何時なんだ?」
「来週の木曜です。わたしと夫の二人で迎えに行きます」
「坂崎は都合悪いのか?」
 五月雨さんがそう尋ねると
「坂崎さん。実は今度結婚するんです」
 それには五月雨さんや、その場に居た女子社員や俺も驚いた。
「この前、お栄さんを送って来て、すぐに帰ってしまったのは、それがあったからなんです。何でも先輩同心の娘さんで、とても可愛い人でした」
 さきの報告を聞いた五月雨さんは
「そうか、目出度いな。何か皆でお祝いをしたいものだな。それで、その娘さんは幾つなんだ?」
「十八だと言っていましたね」
 坂崎さんは確か三十か三十一だったはずだ。で本来は嘉永の人だから……と考えて頭が痛くなったので止めた。要するに一回り歳下と言う事だと理解した。
「だから、この前も、そそくさと帰ったのですよ」
 それを聞いて納得したのだった。来週には江戸に行くと思うと心が逸る俺だった。

浮世絵美人よ永遠に 第三話 上野で想うこと

 images 国際ビルのエレベータで、地下の駐車場まで降りて行く僅かな時間に、お栄さんは
「この乗り物も最初にセンターで乗った時は驚きましたが、仕組みを教えて貰って、芝居の舞台の迫り(せり)と同じだと思いました。迫りでは人が動かしていましたが、今の世では何か別なもっと大きな力を出せるものが動かしているのだと思いました。そして、自分の居た江戸とここは繋がっているのだと感じたんです」
 人、それぞれ想うことがあり感じ方も違う。俺は江戸に行っても最初は自分の居た世界の過去だとは思えなかった。それをひっくり返したのが、人の気持だった。自分と同じ様な価値観を持ち、それが日本人特有のものであると思った時に、素直に思う事が出来た。
 駐車場に着いて車に乗る時に次に行きたい所を尋ねた。
「お栄さんもう時分ですから、何処かで食事をしましょう。何か食べたいものはありますか?」
 さきが尋ねるとお栄さんは少し考えて
「センターでレクチャーを受けている時に色々なものを食べました。でも正直余り口に合うものはありませんでした。今の世にも蕎麦とかありますか? あるなら細くて腰のある蕎麦が食べたいです」
「江戸前ですね?」
「えどまえ? なんですかそれ」
 そうだった。江戸から来たお栄さんには江戸前と言っても通じない。なんせ当時は全てが江戸前だったのだから。
 車のエンジンを掛けながら、何処の蕎麦屋が良いか考える。神田藪、松乃家、砂場、更科……幾つも蕎麦の名店が頭に浮かぶが、どれも決め手に欠ける。食事をしてから行く先を聞いて場所を決めようと思った。
「午後は何処か行きたい場所はありますか?」
 俺の質問にお栄さんは嬉しそうな表情をして
「出来れば、私の時では未だ完成していない、歌川広重さんの『東海道五十三次』が見たいです」
 お栄さんが居た時代は確か天保四年頃だったと思うが、広重の「東海道五十三次」はこの年から刊行され始めたのだった。
「揃った所が見たいのですね」
「そうなんです。それで江戸に帰ったら、鉄蔵に自慢したくて」
 その時初めて彼女の笑った顔を見た。
 結局、浅草に行く事にした。俺の知ってる限りで、今この時に「東海道五十三次」を揃って見られる所は上野の国立博物館だったからだ。上野には藪もあるが、それなら少し足を伸ばして浅草の並木藪に行っても良いと思った。浅草の並木藪は神田藪、池之端藪と並んで東京三大藪蕎麦とも言われているからだ。
 車を中央通りに出して北に向かう。すぐに高速が見えて来た。その下には日本橋がある。
「お栄さん。これから渡るのが現在の日本橋です」
 そう言ってみたが、正直江戸から来た人には自慢出来ない。高速の下で一日中陰になっているのはどう考えてもおかしいと思うからだ。
「そう……今は人より車の方が多いのですね。日本橋は鉄蔵と一緒に芝神明の黄表紙屋まで行く時に渡った事があります。今は石の橋ですか……なんだか息苦しそうです」
「息苦しさを感じますか?」
 さきが不思議そうに尋ねると。
「何となくですが、そんな感じがします。でも、『美人鑑賞図』素晴らしかった。今のあたしには、あそこまで描くことは出来ない……でも何時かはきっと、あれを乗り越える絵を書きたい。だからこちらに居る間に色々なものを見たいのです」
 流れる車窓を見ながら、そう俺達に教えてくれた。

 浅草について、車を駐車所に駐めたのだが、並木藪は表まで並んでいた。
「この人達はどうして並んでいるのですか?」
「蕎麦を食べる為です」
「は、蕎麦を食べるだけで並んでいるのですか! 呆れた」
 確かにお栄さんから見ればそうなのであろう。すぐに食べられる代表の蕎麦に並んでまで食べると言う行為が理解出来ないのだろう。
 でも、どうしようか考えた。すると、さきが
「尾張屋さんへ行きましょう。本店なら雷門の先ですから、それほど人も多くありませんしね」
 尾張屋と言うのは古くから浅草にある店で、贔屓も多い。有名なのが天麩羅蕎麦と天丼で、上に乗っている海老の天麩羅が大きいのが特徴だ。だからといって蕎麦が不味い訳ではない。細くて腰があって藪系統とも違う更科系の蕎麦を出す店だ。尤も、さきが常連で、俺はさきと付き合う事になってから来たのが初めてだが。
 並木から雷門前のスクランブル交差点を渡る。さきがお栄さんの手をしっかりと握っていて案内役をしてくれている。
「雷門ですね。あたしの居た頃と少し違っていますね」
「これは昭和になってから再建されたものですよ」
 さきの説明に
「再建? と言うことは」
「慶応元年に消失してしまったのです」
「火事ですか……慶応って?」
「お栄さんが来た時より三十年後ですね」
「そうですか……」
 お栄さんは歩きながら何時迄も雷門を見ていた。
「それにしても人が多いですね。異国の人ばかり」
「最近特に多いんです。この辺りは日本人より多いですよ」
 さきは歩きながらお栄さんの疑問に答えて行く。程なくして尾張屋本店に到着した。店自体はそう大きくは無い。引き戸を開けて中に入る。「いらっしゃいませ。どうぞこちらへ」と案内してくれる。俺達三人は店の真ん中にある四人がけのテーブルに座った。女子従業員がお茶を運んでくれる。
「何にします? 蕎麦は温かい方が良いですか、それとも冷たい方位が良いですか?」
 さきの質問にお栄さんは
「冬なら間違いなく温かい方ですが、今日は陽気も良いので冷たい方が良いですね」
「じゃあ、『天ざる』にしましょう」
「天麩羅が付くのですか?」
「ええ、この店の名物でもあるんですよ。大きな海老の天麩羅が付きます」
「はぁ~そうですか。お任せします」
「『天ざる三つ」
 さきが慣れた様子で注文した。
「次は上野に向かいます。上野にある国立博物館なら何時でも『東海道五十三次』を 揃って見る事が出来ます」
 俺が今後の予定を言うと
「上野ですか、寛永寺さんの桜が見事でした。今の時期は桜が咲いていますかね」
 お栄さんが居る事の上野の山はその殆んどが寛永寺の境内だった。あの広大な敷地全てに末寺も含めて寛永寺の色々な建物があったのだ。
「今は寛永寺も大分縮小されました。今も寛永寺はありますが、規模としては問題になりません。その敷地だった所に博物館や動物園が出来ました」
「動物園?」
「色々な動物を一箇所に集めて見せている所です」
「それは一度行ってみたい。行って色々な動物を写生したいですね」
 また一箇所行く所が出来た次第だ。その時、注文したものが運ばれて来た。
「お待ちどう様」
 置かれた長方形のお皿には皿いっぱいの海老の、切り込みを入れられた天麩羅が乗っている
「確かに大きいですね。でも一口大に切ってある。親切ですね。それにしても、あたしの頃から随分経っているのに、蕎麦の食べ方が同じなんて何か不思議」
 俺は江戸の蕎麦屋に入ったことは無いが、蕎麦猪口やザルなどが当時と同じようなものだったのだろう。何の抵抗もなくお栄さんは蕎麦を慣れた手つきで手繰り出した。
「あ、あたしこれ好き!更科みたいで食べ易くて腰があって。汁も辛すぎないで美味しい……」
 横ではさきが自分の連れて来た店が好かれたのが嬉しいのか、しきりに頷いていた。

 蕎麦を食べ終わると浅草寺に参拝をした。スルーする手もあったのだがお栄さんがお参りを希望したのだ。それに俺たちとしても、観音様を前にして横切るだけとは行かない。
「境内の感じも変わっているけど、善男善女の感じは変わりませんねえ。願うことはいつの時代も同じなんでしょうね。何時か、この感じも絵にしてみたいですね」
 そんなお栄さんの言葉が心に残った。
 再び車に乗り込み上野に赴く。山下の駐車場に車を駐める。そのまま脇のエレベータで登っても良かったのだが、お栄さんに位置関係を判って貰う為に三橋の方に向かい、正面から登る事にする。
 上野は風に乗って桜の花びらが舞っていた。そんな風に吹かれながらお栄さんは
「このあたりは見覚えがあります。確か小さな橋が連なっていたのです。そこから三橋と呼ばれていました」
 そうなのだ三橋は決して甘味処の名前では無いのだ。
「上野には良く花見に来ました。飛鳥山や向島と違って上野は静かに花を見られたので、俳句を作る人やあたしと鉄蔵のように絵を描く人などが大勢いましたね。何かすると山役人に怒られるので皆静かなものでした。随分描いたものでした」
 上がって行くと、道の両側一杯に花が咲いていていた。但し今は上野でも酒を飲みながら花を見る事が許されている。それを見たお栄さんは
「ま、仕方が無いのでしょうね」
 そう言って笑っていた。

浮世絵美人よ永遠に 第二話 出光美術館へ

 2722603257_e5a6e3b7b7_o それでは行こうかとなった所で、俺はお栄さんをこのままの姿で連れ出すのは少々不味いのではと思った。
「お栄さんなんだが、このままの姿では不味いのでは無いでしょうか?」
 俺の言葉にさきは事もなげに
「そうでありんあすか? 別段変わった所もなく、このままでもよござんす」
 そんな事を言った。いつの間にか言葉が江戸で使う言葉に変わっている。俺が不味いと思ったのは、このままでは目立ってしまうと思ったからだ。
 頭は幕末に江戸で流行った「割り鹿の子」と言う今では見ない髪の形だし、それに着物を着慣れた女性でも今の人は二十代でこの色の着物は着ない。昔は、若い頃に地味な色や細かい柄の着物を着る事によって若さを引き出させると言う考えの元に若者が地味な着物を着ていたが、それはそれで、若さが際立ったものだった。
 だが今は違う。考え方が今と昔では違って来ているのだ。果たして目立って良いものか俺はその点を危惧したのだ。
「ではどうします?」
 さきが俺に尋ねた所で五月雨さんが
「一応、今の社会人むけの洋服も用意はしてある。ブラウスにスーツだがな」
 そう言って洋装を提案してくれた。
「髪型はどうします?」
「そのままストレートに流しておけば良いかと。あるいはポニーテールにしてもよござんす」
 さきがポニーテールと言ったので、それなら江戸の女性の長い髪も大丈夫なのではと思った。
「わたしが着替えを手伝いますよ。髪型もやります。お栄さんこちらへ」
 さきはお栄さんに声を掛けると一緒に部屋を出て行った。女子社員が二人を案内した。恐らくスーツを用意してある部屋に案内するのだろう。
 残された男三人はぼおっと眺めていたが坂崎さんが
「これから先は俺は必要無いから、江戸に帰らせて貰うかな。今日は非番なんだが、諸々の用事も多くてな」
 そう言って立ち上がって、地下の転送室に向かった。ドアを開きながら
「光彩、江戸で逢えるのを楽しみにしておるぞ、さきにもよろしくな」
 そう言ったのが印象的だった。

 それから小一時間ほどだっただろうか、さきの
「お待たせました」
 と言う声がして、お栄さんとさきが部屋に入って来た。白のブラウウスに若緑とも言う鮮やかな緑色のスーツを身に纏っていた。長い髪は後ろで纏めてある。スーツを同じ色のリボンが付いたヘヤゴムをしていた。足元を見ると黒のパンプスだった。これならお栄さんも歩き易いと思った。俺は正直、余りの綺麗さに見とれてしまったほどだった。さきの視線が痛かったが……。
 よく見るとスーツとヘヤゴムのリボンが違うだけで、さきと同じ格好だった。我が妻も美しいと思った。それにしても江戸からやって来た人とは思えないほど、お栄さんは違和感を感じさせなかった。
「お栄さん。現代の格好は如何ですか?」
 五月雨さんの質問に
「正直言って洋装は窮屈な感じがします。特にこの靴が締められている感じがして、慣れるのに時間がかかりそうですね」
 そんな感想を言っていると、さきが俺の耳元にやって来て、
「実は下着も初めてだったので苦労したんですよ」
 そんな事を言った。お栄さんは今から百五十年ほど前の日本人だ。それだけ違うだけで、我々日本人は全く違ってしまったと思うのだった。
「『美人鑑賞図』はこの先の出光美術館に保管されています。入場料を払えば誰でも見る事が出来ます」
 俺は、そう説明をした。すると
「すぐ傍なんですね。ならば今すぐ見に行きたい」
「じゃあ行きましょう」
 俺とさきはお栄さんを伴って地下の駐車場に降りた。そこにあった車を見ると
「レクチャーとやらでこの時代の事を色々と学んだけど、乗用車と言うものを見たのは初めてです」
 そう言って大層驚いていた。俺は
「実は、時期が良かったです。出光美美術館には常設展示はありません。その時、その時で展示しているものが違うのです。幸い今は勝川春章の特集をやっています。運も良かったですね」
 そう言って時期の良さを言うと、お栄さんは
「そうだったのですね。何か縁(えにし)を感じます」
「さ、お乗り下さい。この辺りは東京でも特に人が多い場所です。何かあったら大変ですからね」
 さきがそう言って後ろのドアを開けると、お栄さんは思ったより簡単に自分の身をシートに滑らせた。
「籠に乗る事を考えれば簡単です。歩く方が今は辛いです」
 確かに、お栄さんにとっては、そうなのだろう。
 車は呉服橋の交差点から永代通りに出て、鉄道のガードを潜って行く。お栄さんとさきが後ろの席に座っている。俺は運転しているので後ろの席の様子は良く判らないが、それでも彼女が前に額をくっつけて外の様子を眺めているのは確認出来た。
 大手町の交差点を左折して真っ直ぐ行き、途中で右折して日比谷通りに出る、すると左手に出光美術館が入っている国際ビルディングが見えて来る。俺は地下の駐車場に車を入れた。
 そのまま専用のエレベータで九階まで登るとそこが出光美術館だ。入場料を払って館内に入る。目的の「美人鑑賞図」は中央の一番広い展示室に飾ってあった。場内は薄暗いが絵の所だけが程よい明るさになっている。
「これが……それなのね。この子供がおっ母さんなのね。そしてこの人がお祖母さん……来て良かった。向こうであのまま生きていたら見る事なんて出来やしなかった」
 そのまま凡そ一時間ほど、お栄さんは「美人鑑賞図」を見つめていた。
「父鉄蔵が言うには、自分も色を塗って手伝ったと言っていました。今の絵からは想像もつかない筆使いです。本当に来て良かった」
 きっとそれは心からの言葉だと俺とさきは感じたのだった。
「何度見ても素晴らしいですね。あの時、あなたがこの絵に関わっていたなんて、今から思えば想像も出来ない事でした」
 さきの言葉では無いが、あの時は夢中だった。実はあの時のもう一枚の方も組織が保管しているのは極秘になっている。表に出したら歴史が変わってしまう可能性もあるからだ。
 帰りにミュージアムショップに寄った。そこで本当なら「美人鑑賞図」の複製画を書いたかったのだが、それを江戸に持って行くと他の人間に見られた場合、色々と具合の悪い事も起きるので、小さいが絵葉書を買う事にした。お栄さんは、「美人鑑賞図」の他にも気に入った作品の絵葉書も選択したので一緒に買った。
「今の世は本当によく出来た複製があるのですね。これなら絵師は必要なくなりますね」
 そんな事を言いながら何時迄も絵葉書を眺めていたのだった。

浮世絵美人よ永遠に 第一話 過去から来た絵師

SC316201-1 桜が咲き、やっと春が来た事を実感出来る陽気になった。俺はどちらかと言うと寒いのが弱い。暑い方が我慢出来る。ところが、俺が仕事で向かった江戸時代は今と違ってろくな暖房設備が無い。家の中の暖房と言えば火鉢ぐらいで、炬燵があればましな方だった。だから転送先が冬の時期だと本当に辛かった。
 普段は東京の八重洲にある「大東興産」の事務所兼画廊及びショールームに勤務しいている。特命があると次元転送装置を動かして、任務先の時代に向かうのだ。俺と妻のさきが主に派遣されるのが主に日本の江戸時代だ。組織の中でも俺たち夫婦は江戸時代に特に詳しい存在となっていた。結婚してはや三年。そろそろ本気で子供が欲しいのだが、今の所その気配は無い。組織の言うには、俺たち夫婦の子供がやがて世界を救う人間を生むらしいのだが、それは何時の事なのか、今の所判らなかった。
 尤も特命と言っても普段はさほど重要な任務は無い。一年半ほど前の「美人鑑賞図」事件以来さほど大きな事件は無い。俺はこの状態が何時迄も続くと考えていた。

 あの事件の後の事だが、北斎の若い頃の名、勝川春朗は、勝川派を破門となった後、名を「こと」と改めたお栄と一緒になった。
 勝川春章の最後を看取ったことは、春朗と一緒に住みだした。実はこの時、春朗は前妻に亡くられていて、一男二女の子供も居た為にかなり困っていたのだった。だから二人が一緒になったのも必然でもあった。
 ことは多吉朗、お栄(応為)お猶の三人の一男二女を儲けたが、三女のお栄(彼女にとっては長女)が成長すると四女のお猶は目が悪く、体も弱かった為北斎、お栄親子とは別れて暮らした。
 絵の才があったお栄は北斎と一緒に暮らして次第にその才能を開花させて行く事になる。

 その日、事務所に出社すると、上司で所長の五月雨さんが俺を呼んでいると受付の女子が教えてくれた。
「なんだろうね?」
「さあ、でもきっとまた江戸ですよ」
 受付の女子も俺が直ちょく江戸に行くので慣れたものだった。江戸時代にはそれぞれの時代に合わせて現地駐在員が居る。特に親しいのが幕末担当の表向きは南町奉行所の坂崎同心だ。それと寛政の頃の駐在員の山城同心だ。この人も南町奉行所の同心を表向きの生業としている。
 江戸に行くなら、また二人と逢えるかなと思って所長室のドアを開けるとそこには五月雨さんの他に二人の人間が立っていた。
 一人はよく知っている坂崎同心だった。見慣れた同心の格好をしていた。だがその横に立っている女性には見覚えが無かった。しいて言えば誰かに似ている感じはしたが、それが誰なのかは直ぐには思い出せなかった。
「坂崎さん。ご無沙汰しています。お元気でしたか?」
 声を掛けると坂崎さんは笑いながら
「おう! 光彩、お主も元気そうじゃのう。達者だったか」
 そう言って再会を祝福した。
「それで、その方は?」
 歳の頃なら二十代後半だろうか、藤色の一重の着物に紅鬱金べにうこんとも言う色の名古屋帯をしていた。
 頭を見ると見たことの無い髪型だったが、後で幕末に流行していた「割り鹿の子」だと知る。当時はかなり流行っていたらしい。
「光彩、聞いて驚くなよ。北斎の娘のお栄だ」
 一瞬、坂崎さんの言葉が理解出来なかった。お栄と言えば、葛飾北斎の娘で、絵の才能を高く認められ、当時から父親の代筆をしたほどだった。自身の名の作画は十点ほどしか残っていないが、それでも浮世絵や西洋画を思わせる画風の絵もあり色々と興味を引かれる人物でもあった。
 残っている自画像では余り美人とは言えないが、俺の前に立っている人物は現代ではかなりの美人に入るだろう。
「初めまして、光彩孝と申します。普段は現代美術を担当していますが、江戸時代にも多少は経験があります」
 俺はそう言って自己紹介した、するとお栄と紹介された女性は
「あたしはお栄と申します。中島八右衛門こと鉄蔵の三女でございます」
 そう言って頭を下げた。
「ま、立ったままではどうしようも無い、座り給え」
 五月雨さんの言葉に促されて革張りのソファーに座る。俺と五月雨さん。坂崎さんとお栄さんという組み合わせて座った。
 俺はこの時若干だが動揺していた。何故ならば、江戸時代の一般の人間を直接この現代に連れて来る事は禁止されているからだ。組織の人間とか、レクチャーを受けた者がたまにやって来る事はあったが、このお栄さんがレクチャーを受けてやって来たとは思えなかった。
「光彩、お栄さんが現代にやって来た理由は、この現代で保管展示されている絵画を見て色々と研修したといと言う事なんだ」
 五月雨さんが銀縁のメガネの縁を右手で触りながらお栄さんが江戸時代からやって来た理由を教えてくれた。
「そうですか、それで私の役目は?」
「君たち夫婦で色々と案内して欲しい」
 やはり思った通りだった。
「でもいきなりお栄さんを現代の街を連れ回すのは良くないと思いますが」
「その点は心配無い。センターで一応レクチャーを受けて貰っている。それにお栄さんの身元引受人は蔦屋重三郎さんだ」
 その名前も聞くのは久しぶりだった。下男の作兵衛さんが亡くなった後に江戸の家を売り払い、センターにやって来て、今ではそこで暮らしている。
 センター暮らしは江戸よりも快適だが、退屈だそうだ。只、健康に関しては江戸とは問題にならないぐらいに発展しているので、その点は安心しているそうだ。
 実はこっそりとこちらにやって来て、海外から来る美術展を見て回っている。それと同じような事をお栄さんにもやらせると言う事なのだと理解した。
「お栄さん。何故、あなたにとって未来の絵を見て回りたいのですか?」
 俺は、それが知りたかった。そんなにも彼女は現代美術に興味があるのだろうか?
 女子社員がお茶を持って来て置いて行った。お栄さんは軽く頭を下げると、茶碗を持って軽く口を着けた。
「江戸で、父から西洋の絵画を見せて貰い、正直、衝撃を受けたんですよ。あの技法を自分の絵に活かしたい。そう考えるようになり、父鉄蔵に言ったんです。もっと見たいと。そうしたら、父鉄蔵は南町の旦那に連絡を取ってくれて……」
 そこから先は言わなくても想像出来た。
「正直驚いたぞ。しばしば北斎殿とは繋をつけておったのじゃが、まさか娘のお栄さんの事だとは正直思わなかった」
 坂崎さんはそう言って簡単な経過を述べた。
 前の事件の後、北斎一家は我々組織の監視下にあったと言っても良い。陰日向になり支援して来たのも事実だった。
「それで今までの事を正直に伝えてたのじゃ」
 坂崎さんが言うとお栄さんも
「その事はお母かさんから何度も聞いたから戸惑いは無かったのです。むしろ益々自分が死んだ先の世の絵を見たいと思ったのも事実なんです」
 その時だった。ドアが開いて、さきが現れた。今日はスーツ姿で着物ではない。
「光彩さきです。夫と一緒にこれからご案内いたします」
 既に任務を聞いていたのだろう。その言葉に迷いはなかった。
「おお、さき。よろしく頼む」
 坂崎さんがそう言ってにこやかな表情をすると、さきは
「坂崎さん。今からお栄さんを連れて行っても構いませんか?」
 そう尋ねた。まさか今からいきなりお栄さんを何処かの美術館に連れて行こうと言うのだろうか。
「大丈夫だ。それは保証する。それにお栄殿には最初にどうしても見たい作品があるのだそうだ」
「それは?」
 さきの言葉にお栄さんは
「おっ母さんの幼い頃やお祖母さんが描かれているという『美人鑑賞図』を見てみたいのです」
 そう言って目を輝かした。無理も無いだろう。きっと彼女は母親から絵の秘密を幾度も聞かされて育ったに違い無いからだ。
「お安い御用さ」
 俺とさきはそう言って笑ったのだった。

この都会の営みの中で  3

src_10136733  時間は瞬く間に過ぎて行く。あっという間に土曜になった。実は泰葉は水島と偶然逢った次の日も、その次の日も水島に逢えるかもしれないと密かに思っていた。友達の学食への誘いも断って購買の列に並んでみたのだが、とうとう逢えなかった。もしかするとあの日は本当の運命の再会では無かったかと少し考え始めていた。
 同居のあかねに相談してみたら
「そうかも知れないし、その彼がわざと泰葉と逢わないように行動してるのかも知れないわよ」
「そんな事して何の得があるの?」
「より印象づけられるじゃない」
「そんな事より、わたしは毎日逢いたい」
「あら、もう恋に落ちたんだ」
「違うわよ。懐かしいじゃない。この東京でわたしの町を知ってるのは、わたしの周りでは、あかねと彼だけだもの」
「随分と狭い世界だこと」
 あかねは笑って自分の部屋に下る
「日曜ありがとうね。泰葉も頑張りなさいよ。彼氏が出来ればわたしも色々と頼みやすいしさ」
 そんな事を言って襖を閉めた。それを見つめながらLINEをしてみた
『明日は宜しくね!』
 返信は期待していなかったが一時間過ぎても既読にならなかった。LINEを開いていないのだろうか、少し気になった。
「まあいいか。明日になれば逢えるから」
 そう考え直して床についた。

 翌日曜、泰葉はあかねの事を考えて少し早く家を出た。自分が出た後で色々とやることがあるだろうと考えたのだった。
 日曜は電車も驚くほど空いていた。それでも自分の育った町よりか人は多かった。
「そうだよね。東京だものね」
 そんな言葉が自然と口をついて出た。
 大学の正門に行くと既に水島が待っていた。すぐに泰葉の姿を認めると
「ごめんね。LINE貰っていたのに返信出来なくて」
「何かあったのかと思っちゃった」
「実は、大学で逢った翌日にスマホを落としてガラスを割ってしまったんだ。それで修理に出していたのだけど、代替え機が機種が違っていてね」
「そうか、納得した」
「でも、今から考えると電話すれば良かったのだと今朝になって気がついたよ」
「それで治ったの?」
「うん、今朝取って来た」
 蓮葉はLINEを立ち上げると先日のメッセージに既読がついていた。
「何処へ行く? それよりお腹空いたかな?」
 水島に言われてそう言えば朝食も食べていない事に気がついた。お腹に手を当てると
「じゃあ、何処かに入ろうか」
 水島はそう言って通りの方に歩いていく。泰葉も一緒に歩き出した。
「何が食べたい?」
「う~ん。うどんが食べたい!」
「うどん?」
「うん。だって東京に出て来てから田舎のようなうどんは食べてないから、お汁が透き通ったうどんが食べたいな」
 水島は泰葉の希望を聴いて少し考えてから
「じゃあ、僕の家の近所のうどん屋で良い?」
「え、水島くんの家の近所なの?」
「うん。そこに同じ街の出身の人がうどん屋を営業してるんだよ」
「そうなの!」
「だから僕は幼い頃から、その店でうどんを食べていたから、町に引っ越しても食生活は困らなかったんだ」
 そう言えば、あの頃水島は東京とは違う町の味付けにも、すんなりと受け入れていた事を思い出した。親戚でさえも違う地方に住んでると町の味には馴染めないものなのに……。
「水島くんの家って何処?」
「地下鉄ですぐだよ。荒川区の町家と言う街さ」
 地図の上で、そんな所があるのは知っていたが、まさか自分が東京に出て来て早々そこに行くとは思わなかった。
 大学の最寄りの駅から地下鉄に乗ると車内は空いていた。車両の中ほどに並んで座った。反対側の黒い窓に二人の姿がくつきりと映っている。それを見るとまるで恋人同士に見えた。心の中でピースをする。
「町家は俗に下町と呼ばれる地域でね。狭い道の左右に沢山の家が立ち並んでいてね。都会的じゃ無いけど、家だけじゃなく人と人も近い距離で生きている街なんだ。東京でも田舎みたいな場所だよ」
 初めて聞く水島の心の内だった。
「下町なのに?」
「下町と言うのはさ、本来は城下の町と言う意味なんだ。だから江戸の場合は江戸城だから、そのすぐ下の町と言うと神田や日本橋となるんだよ。ぜいぜいが本郷までなんだ。むしろ町家なんて在だよ」
「在って?」
「田舎と言う意味さ」
 水島はそう言って笑った。その横顔を見て泰葉は水島に改めて好意を持った。
 地下鉄を町家で降りて、五分ほどの場所に目的のうどん屋はあった。暖簾には「町屋庵」と染め抜かれていた。水島は慣れた感じで暖簾をくぐる。泰葉も後に続く
「いらっしゃい! 毎度。お、今日は彼女連れかい。やっとだなぁ~」
 いきなり店の親方の声が掛かる。
「違いますよ。彼女、親方と同じ町出身なんですよ。この春出て来たんです。今日は田舎のうどんが食べたいと言うから連れて来たんです」
 泰葉は自己紹介をした。
「初めまして、同郷の神城と申します」
 そう言って頭を下げると親方は
「神城……って、棚田の神城さんかい?」
「はい、そうです! 棚田の神城です!」
「そうかい! 誠司さん元気かい?」
「はい父は元気です!」
「そうかい、じゃあ、あんたもしかして泰葉ちゃん?」
「え、わたしを知ってるのですか?」
「ああ、何回か会った事あるよ。さあ座りなよ。それなら特別なのを作ってあげるから」
 親方はそう言って張り切って厨房に入って行ってた。
 水島と泰葉は店の端のテーブルに向かい合って座った。店の人が水を持って来てくれた。
「注文は親方任せで良いですか?」
「はい、お願いします」
 水島はそれだけを店の人に伝えた。
「ねえ。そう言えば今日は、中学の頃好きだった人の事教えてくれる約束よ」
 泰葉の言葉に水島は少し考えてから
「約束だからね。仕方ないな」
 そう言ってコップの水を一口飲むと
「その人は客観的に見ると、特別な美人では無かったかも知れない。でも僕にとっては特別な存在に思えたんだ」
 そう言って泰葉の目を見つめた。その仕草が特別な意味を持っているとはこの時は未だ思っていなかった。
「それで」
 泰葉が催促をすると水島は
「ちょっと控えめでね。それでいて傍に居て欲しいと思った時は必ず傍に居てくれた子だった」
 水島は、その頃の事を思い出したのか、少しはにかんだ表情をした。
「クラス委員だった浅野ゆう子ちゃん?」
「全然違いますねえ」
 水島の目が一層嬉しそうになった。そこまで行った時にうどんが運ばれて来た。青いネギに街の特産の竹輪の天麩羅が乗せられていた。他にも山でたくさん取れるゼンマイの煮たものが器の端に乗せられていた。勿論お汁は澄んでいる。そっと器を両手で持って口に運んだ。
「この味! そうこの味なの!」
「昆布と鰹節とジャコで取った出汁だよね。僕も好きなんだ」
 うどんも柔らかいのに腰がある町のうどんだった。
「徳島のうどんも腰があって好きだけど僕はこのぐらいが丁度いいな」
 水島の言葉に泰葉も頷き
「おじさん! サイコーに美味しい!」
 そう調理場に答えると親方は嬉しそうに頷くのだった。

 支払いをしようとしても、
「同郷だからこの次から貰うよ」
 そう言って受け取らないので、二人とも何回も礼を言って店を出た。
「あ~お腹いっぱい。何処かで休みたいな」
「じゃあ近所の公園にでも行くかい。ちょっと変わってるけど」
「変わってる? なあに」
「行けば判るよ」
 水島は地下鉄の駅の横に走っている都電に乗った。上を見ると電車が走っていた。
「京成線だよ」
 泰葉はちっとも田舎では無いと思った、地下鉄の他に都電や私鉄まで走っている。泰葉の田舎の町とは大違いだと思った。
 都電を二駅で降りた。目の前には大きな工場みたいな建物がある。階段があって上に登れるようになっている。
「下は下水処理場だけど、この上は大きな『荒川自然公園』と言う公園になってるんだ」
 確かに長い階段を登ると一面が大きな公園になっていて、真ん中に大きな噴水があり周りを花壇が取り囲んでいる。
 二人はその広場にあるベンチに腰掛けた。
「ああいい気持ち」
 泰葉が言った通り、空は青く澄んでいて雲一つ無い。春の暖かい風が二人を包んで行く。
「どう悪くない場所だろう」
「そうね。でも何だか判らなくなっちゃった」
「何を?」
「この街の事を水島くんは田舎だって言ったけど、鉄道が三つも走っていて都会だと思ったらこんな広い公園が広がっているなんて」
 泰葉の言葉に水島は
「神城さんは、都会だとか田舎だとか気にし過ぎだよ。何処だってそこに住んでいる人にとっては大事な場所なんだと思う」
 何だか泰葉は自分が酷く子供に思えた。やはり水島は何処か違うと思った。
「そうだ。さっきの続き聞かせて」
「さっき……ああ、好きだった人の事?」
「うん」
「今、目の前に座ってる子さ」
 泰葉は一瞬、水島が何を言っているのか理解出来なかった。
「わ・た・し?」
「そう神城さん。いいや泰葉ちゃん。君だよ! ずっと好きだった。今でも忘れられない。だから僕は神様にお願いしていたんだ」
「何を?」
「一度で良いから、神様泰葉ちゃんに逢わせて下さいって。だから念願が叶ったので実はお礼参りをしてたんだ。神様にちゃんとお礼を出来るまでは自分勝手には行動しないってね。勿論スマホのガラスが割れた事も本当だけどね」
「本当にたしの事を想っていてくれたの?」
「ああ、最初は単に可愛い子だとしか思わなかったけど、三年間同じクラスになって友達として色々な話をして行くうちに惹かれたんだ。でも卒業したら東京に帰る僕には告白する権利さえ無いと考えたんだ。だから今まで言えなかった。今、交際してる人居るの?」
「ううん。いない。わたしがそんなにモテる訳無いから」
「じゃあ、僕と交際して下さい。お願いします!」
 泰葉は今朝までこんな事になるなんて思っても見なかった。まさか……憧れだった水島が恋人になってくれるなんて……これは現実だろうか、思わず自分の頬をつねってみた。
「痛い……本当なのね……こんなわたしで良かったら、宜しくお願いします」
 そう言った瞬間泰葉は水島に思い切り抱きしめられた。どちらかと言うとクールな水島がこんな情熱的な事をするとは信じられ無かった。だから本当に水島が自分の事を想ってくれていたのだと実感出来た。
「水島くん。ちょっと痛いわ」
「ごめん。余りにも嬉しくて……断られたらどうしようかと想っていたんだ」
 何とも言えない水島の表情を見て、泰葉は胸がキュンとなるのだった。泰葉にとって東京での生活は希望に満ちたものになりそうだった。
 空が二人を祝福している感じだった。



                       <了>
タグクラウド
ギャラリー
  • テケツのjジョニー 1
  • 浮世絵美人よ永遠に 第二十一話  未来へ (終)
  • 浮世絵美人よ永遠に 第二十話  吉原格子之先図
  • 浮世絵美人よ永遠に 第十九話  広重の得たもの
  • 浮世絵美人よ永遠に 第十八話  広重、江戸の空を舞う
  • 浮世絵美人よ永遠に 第十七話  センターへ
  • 浮世絵美人よ永遠に 第十六話  蔦屋の狙い
  • 浮世絵美人よ永遠に 第十五話 北斎と広重
  • 浮世絵美人よ永遠に 第十四話 二人の新居