目覚ましを止め着替えて、仕入れ用の小さな手にぶら下げる鞄を持って表の戸を開くと、身を引き締めさせる様な冷たい空気が身を包んだ。
「そうか、今日は立冬か。早いなこの前まで暑いと言っていたのにな」
独り言を呟くと後ろから
「気をつけてね」
声の主は鈴だ。何か無ければ仕入れには一緒に行かないが、やはりこの時間に目が醒める。いつの間にか、それが体に染み付いてしまった。
「ああ、行って来る」
天がそう言って戸を閉めると鈴は再びカーテンを閉めた。変に開けていると通りがかりに覗いて行く奴がいるのだ。
「もう冬なんだ……」
鈴はカーテンを閉めながら。硝子越しに煌々と輝く明星を眺めていた。もし、月に行ったらこれも見えなくなるのだろうかと思うのだった。
「考えても仕方ないか。答えは決まっているのだから」
鈴も独り言を呟くと、帰って来る天の為に朝御飯の支度を始めるのだった。
「野菜が高くて困ったよ」
納豆をかき混ぜながら天が鈴に仕入れの状態を説明している。
「そうなんだよね。いつまで続くのかしら。困ってしまうよね。我々のような商売は」
「全くだがな、もう鍋もメニューに入れないとならないだろう。値段変えるか?」
「駄目だよ。信用問題になるから、駄目」
「じゃあ量を調節するとか?」
「それも駄目」
「仕方ないか」
「うん。仕方ないよ」
二人で考えていたが結局いい案は浮かばなかった。
そんな二人の想いとは関係なく今日も店は繁盛している。むしろここの所お客が増えているのだ。最初はその理由が判らなかったが、常連の一人が
「ここの野菜料理が評判良いんだよ。今高いからさ。それに他所では量を減らしてる所もあるけど、ここは前と変わらないから皆来てるんだよ」
そんな事を言ってくれた。確かに野菜料理が良く出るとは思っていたが、晩秋だからと考えていたのだ。里芋や南瓜、それに栗を使った野菜の煮物などもよく出ていた。そんな事を聞かされたなら値上げや量を減らす事は出来ない。
「やっぱり変えなくてよかったね」
ランチタイムが終わって昼食を採っていた時の事だった鈴が天に先程の常連客の言葉の事を言った。
「ああ、出る量が増えれば仕入れでまけさせる事も出来るからな。その点は有り難いよ」
「鍋も始めるんでしょう?」
「ああ、始める。今年は一人利用の鍋なんてどうかなと思ってるんだ」
「一人用? だって鍋って大勢でワイワイ言いながら食べるのが良いんでしょう?」
鈴は鍋とは家族や仲間皆で突き合うものだと思っていたから天が変な事を言いだしたと思ったのだ。
「ああ、基本はそうだが、ウチに来る客の殆どが一人で食べに来るお客さんだ。彼らは今までの鍋だったら注文する事は無いし、出来ない。つまり食べる事は出来ないと言う訳だ。だから昨年までは宴会の時ぐらいしか鍋は出なかった。そこで考えていたんだ」
天の説明に鈴は尤もだとは思ったが、果たして常連客が鍋など頼むのか疑問に思った。
「出るかしら?」
「冬になれば牛丼のファストフードでも出してるじゃないか。毎年出してると言う事は数が出ているからだろう」
確かにテレビを見れば煩いほどCMを流していた。気にはなっていたが自分の店とは関係が無いと思っていたのだ。
「じゃあやって見る? 道具買わないと……」
「一人用鍋に卓上コンロに燃料だな」
「数は?」
「三十もあれば充分だろう。燃料は20ずつ市場で売ってるから、それを買って来れば良い。鍋とコンロはカッパ橋に行って買って来るか」
「ネットでも売ってるけど」
「一度見てみないとな。同じ品ならネットで注文しても良いけどな」
カッパ橋商店街は料理や調理関係の物は何でもあるが、値段はそれほど安くは無い。数が出ればまけてはくれるがネットの業者の値段とは比べられない。
「明日でも昼休みに見て来るよ。それをネットで探せば良いな」
「そうだね」
その日はそれだけで終わり、翌日の昼休みに天はバイクに跨ってカッパ橋に出かけて行った。天曰く
「電車や車よりバイクの方が早い」
そう言ってでかけたのだが、バイクは仕入れでも使うので125ccのカブを持っている。鈴はバイクに乗りたいとは思ったことは無いが菜は結婚前は天の運転する大型バイクの後席に乗って良くツーリングをしたそうだ。
天は夕方の開店前に帰って来た。遅くなるようなら高校は遅れて行くつもりだったが、その心配は無かった。
「良いのがセットで格安で売っていたから頼んで来た。明日届く」
「え、もう買っちゃったの?」
「ああ、ネットで見て目を付けていたのが在庫処分で出ていたんだ。三十五個纏めて買ってくれれば更に値引きしてくれると言うからさ。計算したらネットより安くなったし、送料も要らないと言うからさ」
天の言葉で鈴にもどの品物を買ったのか判った。安く買えたならそれで良いと思った。
鍋とコンロが到着して次は中身の問題だ。天は
「基本は寄せ鍋からやろうと思う。鍋には牡蠣の土手鍋なんてのもあるが、最初はオーソドックスな寄せ鍋だな」
「何を入れるの?」
「白菜、白滝、豆腐、エノキ、しめじ、春菊。野菜はそんな所かな?」
「魚は?」
「ホタテに鱈に小海老に小さな蛤かな」
中身が決まったので試作してみた。鍋の汁はオーソドックスに昆布と鰹出汁で、それを醤油と味醂に塩で味を付けてた。
「美味しいよ」
「ああ、鍋の具から旨味も出るからこのぐらい、あっさりしていた方が良い。その方が具合が良くなるのさ」
天が買ってきた固形燃料は通常の状態で十五~二十分燃える燃料で、尤も一般的なものだった。
鍋は仕込みの時に、具材を詰めて冷蔵庫に保存しておく。それを注文を受けて冷蔵庫から出して、温まった出汁を鍋に入れてコンロごとお客の前に運んで火を付ける。青白い炎が立って鍋を温めて行く。
しばらく経つと鍋がグツグツと言い出して、やがて蛤が口を開ける。こうなるとそろそろ食べ時だ。
「野菜も煮えた。食べてみろ」
鈴は小さな鍋様の木杓子(スプーン)で中身をよそって取り皿に入れる。湯気がふわっと顔を包む。
白菜や魚を一つずつ口に運ぶ
「うん、美味しい! 出汁が良く出ていて、更に美味しくなってる。これでうどん食べたくなっちゃった」
「うどんか、そうかそれも用意しておこう。考えてもなかったな」
こうして天と鈴で考えた「一人用の寄せ鍋」は店でも好評で三十五の小鍋はフル回転したそうだ。
「そうか、今日は立冬か。早いなこの前まで暑いと言っていたのにな」
独り言を呟くと後ろから
「気をつけてね」
声の主は鈴だ。何か無ければ仕入れには一緒に行かないが、やはりこの時間に目が醒める。いつの間にか、それが体に染み付いてしまった。
「ああ、行って来る」
天がそう言って戸を閉めると鈴は再びカーテンを閉めた。変に開けていると通りがかりに覗いて行く奴がいるのだ。
「もう冬なんだ……」
鈴はカーテンを閉めながら。硝子越しに煌々と輝く明星を眺めていた。もし、月に行ったらこれも見えなくなるのだろうかと思うのだった。
「考えても仕方ないか。答えは決まっているのだから」
鈴も独り言を呟くと、帰って来る天の為に朝御飯の支度を始めるのだった。
「野菜が高くて困ったよ」
納豆をかき混ぜながら天が鈴に仕入れの状態を説明している。
「そうなんだよね。いつまで続くのかしら。困ってしまうよね。我々のような商売は」
「全くだがな、もう鍋もメニューに入れないとならないだろう。値段変えるか?」
「駄目だよ。信用問題になるから、駄目」
「じゃあ量を調節するとか?」
「それも駄目」
「仕方ないか」
「うん。仕方ないよ」
二人で考えていたが結局いい案は浮かばなかった。
そんな二人の想いとは関係なく今日も店は繁盛している。むしろここの所お客が増えているのだ。最初はその理由が判らなかったが、常連の一人が
「ここの野菜料理が評判良いんだよ。今高いからさ。それに他所では量を減らしてる所もあるけど、ここは前と変わらないから皆来てるんだよ」
そんな事を言ってくれた。確かに野菜料理が良く出るとは思っていたが、晩秋だからと考えていたのだ。里芋や南瓜、それに栗を使った野菜の煮物などもよく出ていた。そんな事を聞かされたなら値上げや量を減らす事は出来ない。
「やっぱり変えなくてよかったね」
ランチタイムが終わって昼食を採っていた時の事だった鈴が天に先程の常連客の言葉の事を言った。
「ああ、出る量が増えれば仕入れでまけさせる事も出来るからな。その点は有り難いよ」
「鍋も始めるんでしょう?」
「ああ、始める。今年は一人利用の鍋なんてどうかなと思ってるんだ」
「一人用? だって鍋って大勢でワイワイ言いながら食べるのが良いんでしょう?」
鈴は鍋とは家族や仲間皆で突き合うものだと思っていたから天が変な事を言いだしたと思ったのだ。
「ああ、基本はそうだが、ウチに来る客の殆どが一人で食べに来るお客さんだ。彼らは今までの鍋だったら注文する事は無いし、出来ない。つまり食べる事は出来ないと言う訳だ。だから昨年までは宴会の時ぐらいしか鍋は出なかった。そこで考えていたんだ」
天の説明に鈴は尤もだとは思ったが、果たして常連客が鍋など頼むのか疑問に思った。
「出るかしら?」
「冬になれば牛丼のファストフードでも出してるじゃないか。毎年出してると言う事は数が出ているからだろう」
確かにテレビを見れば煩いほどCMを流していた。気にはなっていたが自分の店とは関係が無いと思っていたのだ。
「じゃあやって見る? 道具買わないと……」
「一人用鍋に卓上コンロに燃料だな」
「数は?」
「三十もあれば充分だろう。燃料は20ずつ市場で売ってるから、それを買って来れば良い。鍋とコンロはカッパ橋に行って買って来るか」
「ネットでも売ってるけど」
「一度見てみないとな。同じ品ならネットで注文しても良いけどな」
カッパ橋商店街は料理や調理関係の物は何でもあるが、値段はそれほど安くは無い。数が出ればまけてはくれるがネットの業者の値段とは比べられない。
「明日でも昼休みに見て来るよ。それをネットで探せば良いな」
「そうだね」
その日はそれだけで終わり、翌日の昼休みに天はバイクに跨ってカッパ橋に出かけて行った。天曰く
「電車や車よりバイクの方が早い」
そう言ってでかけたのだが、バイクは仕入れでも使うので125ccのカブを持っている。鈴はバイクに乗りたいとは思ったことは無いが菜は結婚前は天の運転する大型バイクの後席に乗って良くツーリングをしたそうだ。
天は夕方の開店前に帰って来た。遅くなるようなら高校は遅れて行くつもりだったが、その心配は無かった。
「良いのがセットで格安で売っていたから頼んで来た。明日届く」
「え、もう買っちゃったの?」
「ああ、ネットで見て目を付けていたのが在庫処分で出ていたんだ。三十五個纏めて買ってくれれば更に値引きしてくれると言うからさ。計算したらネットより安くなったし、送料も要らないと言うからさ」
天の言葉で鈴にもどの品物を買ったのか判った。安く買えたならそれで良いと思った。
鍋とコンロが到着して次は中身の問題だ。天は
「基本は寄せ鍋からやろうと思う。鍋には牡蠣の土手鍋なんてのもあるが、最初はオーソドックスな寄せ鍋だな」
「何を入れるの?」
「白菜、白滝、豆腐、エノキ、しめじ、春菊。野菜はそんな所かな?」
「魚は?」
「ホタテに鱈に小海老に小さな蛤かな」
中身が決まったので試作してみた。鍋の汁はオーソドックスに昆布と鰹出汁で、それを醤油と味醂に塩で味を付けてた。
「美味しいよ」
「ああ、鍋の具から旨味も出るからこのぐらい、あっさりしていた方が良い。その方が具合が良くなるのさ」
天が買ってきた固形燃料は通常の状態で十五~二十分燃える燃料で、尤も一般的なものだった。
鍋は仕込みの時に、具材を詰めて冷蔵庫に保存しておく。それを注文を受けて冷蔵庫から出して、温まった出汁を鍋に入れてコンロごとお客の前に運んで火を付ける。青白い炎が立って鍋を温めて行く。
しばらく経つと鍋がグツグツと言い出して、やがて蛤が口を開ける。こうなるとそろそろ食べ時だ。
「野菜も煮えた。食べてみろ」
鈴は小さな鍋様の木杓子(スプーン)で中身をよそって取り皿に入れる。湯気がふわっと顔を包む。
白菜や魚を一つずつ口に運ぶ
「うん、美味しい! 出汁が良く出ていて、更に美味しくなってる。これでうどん食べたくなっちゃった」
「うどんか、そうかそれも用意しておこう。考えてもなかったな」
こうして天と鈴で考えた「一人用の寄せ鍋」は店でも好評で三十五の小鍋はフル回転したそうだ。