2016年09月

「天と鈴」 第9話  母と栗おこわ

 あれほど暑かった日々も最近は朝晩は少し涼しくなって来た。本格的な秋の訪れももうすぐだった。
 鈴は栗を剥いていた。今朝、市場で天が買って来たのだ。早稲物なので多少値段は張ったが、亡くなった菜が好きだったので、この時期、市場に出ると値段を気にせず買って来るのだ。
「栗もいいけどこの皮を剥くのが大変なのよね」
 栗は外側の殻を剥くと中に渋皮と呼ばれる薄い皮に包まれた実が入っている。煮物などではこのまま煮るやり方もあるが、通常は剥いて黄色い実だけを使う。
 鈴が手にしてるのは小刀のような小さな包丁でその刃先だけを使って実を剥いているのだ。
 以前は市場などではこうような実を剥いたり、人参や筍を鶴や亀の形に剥く「剥き物師」という商売もあったが、京都の一部を除いてほとんど無くなってしまった。勿論一流の板前は出来るが、剥き物師の加工はレベルが違う。
 栗の場合、剥いてから煮たり炊いたりするまでの時間が短い方が良い。時間が経ってしまうと味も色も格段に落ちる。最初は中国で加工されたものが入って来ていたが、やはり鮮度が落ちたものが多く、誰も買おうとはしなかったので、入って来なくなった。
「どうだ、大変なら手伝うぞ」
 調理場から天が声を掛けると鈴は
「このぐらい平気だよ。お母さんが好きだったからね」
 そう言って手を動かしている。黄色い実が顕になると、ふと鈴は栗の実がお月様に似ている気がした。だから母親が好きだったとは思えないが、何となく面白いと思った。
「はあ~全部剥けたよ」
「おうご苦労さん。こっちに持って来てくれ」
 天に言われて料理場に持っていく。ボールに入れて塩で揉んで水洗いをする。
「今日は餅米で炊くか?」
 天の提案に鈴の表情が崩れる。鈴はおこわが好きなのだ。
「栗おこわか、大好き!」
「お母さん似だな。血は争えん」
 天が笑いながら調理場の奥から餅米を持って来る。今日は小さい方のガス釜で炊く。
「どのぐらい炊くの?」
「お母さんの分と二人で食べる分。それに膳場さんにもあげたいからな。少し多めに炊こう。余ればサービスで出しても良いしな」
 結局一升ばかし炊くことにした。栗を包丁で半分に割り、餅米の入ったお釜に入れて行く。お酒とだし昆布を入れて、水を計る。
「二十分寝かせてから火をつけるか」
 今日の昼は栗おこわになる。母が生きていた頃は、秋になると何度か炊いてくれた。母の作る栗おこわは信じられないほど美味しかった。
 それから何時ものように仕込みをして行く。店の前を掃除していると吹いて来る風が涼しくなっているのを感じた。日中の日差しは未だ強いが確実に秋になって来ていると感じる。
「炊けたぞ。お母さんに上げて来な」
 店から天が声をかけて来た。その声に急いで店の中に戻るとお釜の蓋を開ける。ボワっと上がる水蒸気の中にはふっくらと炊きあがった栗おこわがあった。しゃもじでかき回して母が使っていた茶碗によそう。炒った黒ゴマを少しだけ掛けて仏壇に備えた。心の中で『たくさん食べてね』と祈る。
 調理場に戻ると少しだけ自分の分を小皿に獲って味見をした。栗の甘さと餅米の粘り気がマッチしていて、我ながら上手く出来たと思った。これなら母も喜んでくれるだろうと思った。

 ランチタイムが終わり、昼食になり先ほど炊いた栗おこわを食べる。天が
「上手く出来たな。これぐらい出来れば上々だよ」
 そう言って目尻を下げた。
「売り物になる?」
「ああ、大丈夫だな」
 それを聞いていた膳場さんが
「こんなに美味しいのは、どこでも買えませんよ」
 そう言ってくれた。
「そう言って貰えると本当に嬉しい!」
 鈴は心の底からそう思った。栗おこわは鈴にとって母との繋がりを意識するものだったからだ。
 昼食が終わると鈴は膳場さんにあげる為にタッパに入れると残りを小さなお握りを作り始めた。
「どうすんだ?」
 天の訝しげな表情に鈴は
「小さいのを作っておいて、夜のお客さんに出してあげようかと思って。夜は常連さんばかりだし、お酒の人も多いから、少しならおこわも良いと思うの」
 そう言って握ったおこわにラップを巻いて行く。
「そうか、いいかも知れないな。常連さんは菜のことも知ってる人多いしな」
 天は感心していた。自分にはそんな事を考えることなど出来はしないと思った。心の中で天は鈴が菜の資質を確実に受け継いでいることが嬉しく思った。

 栗おこわのお握りは、夜の客にも好評だった。古い常連は、おこわを食べながら
「そう言えば亡くなったおかみさんは栗おこわ好きだったなぁ。秋になると良く炊いていたっけね」
 しみじみと呟いていた。それを見て鈴は天に言って出始めの栗を買って来て貰って良かったと思った。出来れば自分が居る間は秋には続けたいと思うのだった。
NDvansKi

「天と鈴」 第8話 秋の訪れ

 八月に入ると暦の上では立秋がやって来る。料理の世界ではもう秋の献立を出し始める。尤も、「菜」では秋の献立と言っても、メニューに秋刀魚が並んだり、煮物の小鉢の中身がさりげなく秋の野菜に変わったりする程度だった。
「今年は秋刀魚、出すの遅いね」
  鈴が店の掃除をしながら天に尋ねると
「ああ、今年は値段が高いし、脂の乗りが悪くてな。ボソボソの秋刀魚なぞ出したくないから様子を見ているんだ」
「そう。私としては大根おろしの量が増えなくて助かるけどね」
 鈴が言ったのは、、秋刀魚の時期には毎日大漁の大根おろしを使う。それをおろすのも鈴の役目だったからだ。大きなタッパいっぱいにおろして、冷蔵庫で保存する。本当は秋刀魚が出る度におろせば良いのだが、それでは間に合わない。大根おろしは基本的にはおろしたてが一番辛味が強いのだ。
「でも代わりに、鯵を仕入れて来た。これも九月の方が旨いのだが、いい秋刀魚が出て来るまで、鯵をフライにして出すことにした」
 天の言葉に料理場を覗くと、大量の鯵を三枚に卸していた。腹骨をとり、水で洗うと皮を剥きバットに並べて行く。
 水気が切れたら塩コショウをして下粉を付けて、溶き卵にくぐらせ、パン粉をまぶす。それを大きなタッパに並べて入れて、冷蔵庫に保存する。注文が入ったら順番に揚げて行くのだ。
 それが終わると、鯵フライに添える千キャベツを切って行く。トントンとリズミカルな音が店にこだまする。
 鈴はそれを聞きながら、本当の秋が近いことを感じるのだった。来週の月遅れのお盆の時期には店は休みなので友人の佐藤美紀と一泊で海に行く約束をしている。何でも彼女の親戚が民宿を営業していて、そこに行くのだと言う。確か以前にも誘われたのだが日程が合わず行くことが出きなかったのだった。それだけに楽しみでもあった。母が亡くなってからは日常を離れて遠くの地に行く事はほとんど無かったからだ。

 その日は思ったより鯵フライ定食が出た。昼食に残した分以外は全て売れてしまった。三枚に下ろした大きめの鯵が一匹分、つまり二枚のフライが千キャベツの上に乗ってトマトと櫛切りしたレモンが添えられていた。
「いただきま~す」
 皿の上でジュウジュウ音を立てている鯵フライにレモンを絞り、ウスターソースを掛けて口に入れる。暑くて、口の中が火傷しそうになるが、次の瞬間鯵の旨味が口いっぱいに広がる。ほんのりとバターの風味を感じた。
「あれ、バターの風味を感じるよ?」
 鈴は天に尋ねてみた
「ああ、九月になるともっと脂が乗るんだが、ちょっと少なかったから、バターを下粉を付ける前に塗ったんだよ。意外とバターと鯵は相性がいいんだ」
「へえ~そうなんだ。ちょっと高級感出てる。これはこれで美味しい。でも鯵の鮮度がいいからだね」
 鈴は、たまに冷凍食品や惣菜で食べる鯵フライの中には、生臭いものがあるのを知っていた。だから家以外では鯵フライを食べることがなかった。一度食べて気持ち悪くなってしまった事があるからだ。
「これなら幾らでも食べられるけど、残りは売れちゃったからね」
 そんな風に言ったのは密かな天に対するリクエストの意味もあった。
「ああ、多分明日も鯵フライになると思う。尤も、いい秋刀魚が入荷したら変えるけどな」
 どうやら天にはお見通しだったようだ。

 それから暫くして、市場に上物の秋刀魚が入荷したようで、天が箱で買って来た。発泡スチロールの蓋を開けると数十匹の秋刀魚が入っていたキラキラと光って輝いていた。触ると身が固く、鮮度が良いことが伺えた。
「大根おろし、よろしくな」
 しげしげと秋刀魚を眺めていた鈴に天が半分笑った表情で言う。先日の会話を踏まえてのことなのだろう。
「判った。早速やるよ」
 鈴は天が買って来た大根数本を並べると先から三分の一程の所から包丁で切断した。元の太い方は妻に使ったりするので、使い難い先の方を大根おろしに使うのだ。
 鈴は大量の出きた大根おろしをタッパに入れて冷蔵庫に保存した。後は天や膳場さんが焼きたての秋刀魚に添えてくれるだけだ。
 この日は、「菜」にとって初の秋刀魚の日だけあって、常連は元より、ほとんどの客が秋刀魚を注文した。皆、天が買ってくる秋刀魚なら信用しているのだ。
「秋刀魚もいいけど、煙が凄いのがね。換気扇から出てる煙が凄いよ」
 常連の蓮さんが焼きたての秋刀魚を頭からかぶりつきながら言うと
「まあ、この煙も秋刀魚の価値ですからね」
 天が料理場から答えると
「確かにね、パサパサの秋刀魚じゃろくに煙も出ないからね」
 そう言って笑っていた。
 この日は結局買って来た秋刀魚のすべてが売れてしまった。それは天の想像を超えていたようで
「まかないの分も売ってしまったな。何か別のまかないを作るかな」
 天がそう言って、別なおかずを拵えていると
「ま、いいじゃない。それだけお客さんに喜んで貰えたのだから」
 鈴がそう言って、暖簾を下げて昼食の支度をする。この日天が秋刀魚の代わりに作ったのは平政のバター焼きだった。
「平政は普通は刺し身だが、正直今日いっぱいだから思い切ってバター焼きにした。悪くないぞ」
 天に言われてレモンを絞り、醤油を掛ける。脂の乗った焼けた平政の上で醤油が弾けて散って行く。その身を箸でほぐして口に運ぶ。刺し身だとプリっとした食感の平政だがこうして焼きて見ると、どこか、ブリにも似た感じで悪くない。元より夏の魚なので、ブリのように濃厚な感じはしないものの、夏に食べる食材としては合っていると鈴は感じた。
「うん、美味しいね!」
 その言葉に天が嬉しそうな顔をした。

「天と鈴」 第7話 鮑

 暑い! 鈴は、開店の暖簾を店先に掛けながら、既に頭上高く昇った太陽を睨んだ。
 例のアイスキャンディーのサービスの効果か、何時もよりは客の減る感じが少ないと思った。それは売上で判る。増加こそしなかったが、今まで梅雨が明けに暑くなると、かなりの客数が減っていたのだ、アイスキャンディーの一人十二円なら良いと思った。
 とは言え、真夏の食堂は作る方も食べる方も暑い。冷房が効いていても食べるうちに体が汗をかき始める。それだけは仕方なかった。
 調理場はもっと暑い、天も膳場さんも汗だくになりながら調理している。ホールの鈴はなるべく顔には汗をかかないように工夫していた。料理を運ぶ者が汗だくなら絵にならないと思ったし、自分が客でも嫌だと思った。その代わり、首から下はぐっしょりと汗をかく。
 ランチタイムが終わり、暖簾を下げると鈴は直ぐさまシャワーを浴びた。こうしないと食欲も湧かない。
 シャワーを浴びて昼食の準備をしようと店に戻ると、天が珍しくステーキ皿を出していた。膳場さんはご飯をよそってるし、メインのおかずが出ればすぐに食べられる様になっていた。
「膳場さん。すみません。手伝わなくて」
「いいのよ、鈴ちゃん可愛そうなぐらい汗かいていたから」
 何もせずにシャワーを浴びてしまった事を詫びると膳場さんは笑っていた。
「今日は何だろう」
 鈴が天の仕事ぶりに疑問を持っていると、天は冷蔵庫からやや小さめの貝を三つ出して、貝剥きで貝殻と身を剥がした。それを見て驚いた。鮑だった。
「それ鮑じゃない! どうすんの?」
「ステーキにして食べるんだよ。三人で昼飯に」
「あ、ああ……そう、でも勿体無いじやない」
「どうして、そう思うんだ。それより食べられる準備をしていろ」
 鈴はたまにだが天が市場で訳ありの品物を仕入れて来ることは知っていたし、それを上手く商売に使う事も判っていたが、自分達で食べる為に鮑を仕入れたとは思わなかった。
 天は大きなフライパンに、にんにくとたっぷりバターを溶かし、剥いてまだ動いている鮑をその中に入れた。塩胡椒をすると、くねくねと鮑が熱で動き出す。表面に火が通ったと見たら、ひっくり返して焼く。そして酒を振りかけ蓋をした。
「刺し身でも食べられる奴だから、芯が温まったらそれで良い」
 そう言って天は鮑を刺し身を切るまな板とは別のまな板に焼けた鮑を乗せると包丁で食べやすくスライスして行く、そして、それを温まった鉄皿に乗せる。そしてフライパンに残っていたソースに軽く醤油を振りかけて、鮑に掛けると、レモンを添えた。
「ほれ出来たぞ、持って行って食べろ!」
 天に言われて、ぼおっと見ていた鈴は慌てて鉄皿を食卓に運ぶ。バターの香りが鼻をくすぐった。途端にお腹の虫が鳴った。
「いただきます」
 箸で、鮑を摘んで口に入れると、濃厚なバターの香りに負けない鮑特有の香りと風味が口の中で踊る。レモンの風味が醤油の味を活かしていた。軽く噛み切れた。
 鈴はもっと硬いかと思っていた。水貝等ではもっとコリコリしていたからだ。
「柔らかいね」
「ああ、この鮑は赤だからな」
「赤? なにそれ。赤があるなら白もあるの?」
 鈴の頓珍漢な質問に天は笑いながら
「鮑には二種類あってな、色で区別している。青いのは身が硬いので水貝や刺し身にしてそのコリコリ感を楽しむ。もう一つが赤で、これは身が柔らかいので、こうしてステーキや煮貝なんかにするんだ」
「煮貝って、あの甲府名物の?」
「ああ、そうだ」
「そうなんだ、何でも鮑なら何をしても良いと言う訳じゃないんだね」
「まあな、基本みたいなものだ。だから値段も青の方が高い。それでも最近はこの法則を無視して、青の鮑をステーキにする所もある」
「硬いじゃないの?」
「ああ、その硬さを楽しむらしい。珍味扱いだな。先祖が考えて伝えてくれた食べ方では無い。それが良いか悪いかは俺には判らん。でもきっと母さんなら答えを出せただろうな」
「どうして?」
「母さんは俺より歳上だったからだ。月の住人は地球の住人より遥かに長生きで歳のとり方もゆっくりなんだ」
「でも、わたしは普通だよ」
「それはお前が地球の人間の血が濃いからだ」
「半分じゃないの?」
「DNAの問題だ」
「じゃあ、これは赤い奴なのね?」
「ああ、小ぶりだから煮貝にすると小さくなるから買い手がつかなかったんだ。売れ残ったら冷凍するんだが、そうしたら捨て値になってしまうからな。ギリギリの値段で仕入れたんだ」
「それは判ったけど、そもそもどうして鮑なんか買ったの?」
「たまには良いだろう。こんな贅沢も。お前や膳場さんにも美味しいものを食べて貰いたかったんだ。ウチはボーナスも無いしな」
 天はそう言って窓の外に視線を移した。きっと自分の言った事が恥ずかしいのだと鈴は思った。
「美味しいよ! これもしかして母さんも好きだったのでしょう? そんな気がする」
「ああ、そうだ。結婚して暫くは良く造ったよ。そうしたら母さんに叱られたな」
「なんて?」
「『わたしの為にこんな高いものを仕入れるのはもう止めて下さいね。わたしはあなたの作るものだったら、何でも喜んで食べますから』って言われたのを、憶えているよ」
 鈴は天の視線が窓の遠くを見ている事に気がついた。そして、これを造ったのは本当は亡くなった菜と料理を通じて逢っていたのでは無いかと思ったのだった。
『母さん、美味しかったよ!』
 鈴は心の中で呟いた。

「天と鈴」 第6話 発案

 真夏になると「菜」も若干ではあるが客足が減る。それは他の店に客が逃げるからだ。常連でも毎日来ていた者が一日置きになったり、三日に一日になったりする。
「暑くなるとさ、食欲減るんだよね。つい、冷たい物に流れたりしちゃうよね」
 常連の蓮さんも
「素麺とかさ、蕎麦とかさ、喉越しの良い物に目が移るんだよね」
 そう言って苦笑いする。それならウチも素麺や麺類をメニューに組み入れれば良いのではないかと鈴は考えた。それを天に言うと
「まかないや、商売に出さないなら、構わないがお金を取るとなると別だよ。俺には無理だな」
 そう言って素気無く断られた事を思い出した。
 天はそう言っていたが、味なら十分に商売になると鈴は思ったが、善場さんが
「麺類の仕込みは料理とは全く違うから無理だと思う。両方やるとどっちも中途半端になるんじゃ無いかしら」
 そう言っていた事も思い出した。きっとそうなのだろう。でも鈴は何とか逃げたお客を取り戻す方法が無いか、考えていた。夏だけの献立でも良いのでは無いかと……。

 ランチタイムが終わって昼食の時に、鈴は天に話してみた
「ねえ、夏だけの何か涼しげな献立なんか出したら、お客が逃げないと思うんだけどな」
 今日の昼は天が作った特性メンチカツである。「肉豆腐定食」に使った牛肉を取っておいて、それを包丁で細かく切り、淡路産の玉葱をみじん切りにして、軽く炒めて、卵と塩胡椒と一緒に牛肉と練り込む。肉を包丁で切るのは肉の組織を壊さない為だ。
 天は増量剤であるパン粉や粘りを出す繋ぎの小麦粉も入れない。肉は塩を入れる事で水分が出てこれが粘りを生むのだ。しっかり練り込む事により、充分な粘りが生まれる。玉葱を軽く炒めたのは、甘みとその残った水分を吸収させる為である。卵を入れれば強度は充分である。
 楕円形に形成して表面に小麦粉をまぶし、溶き卵に浸してパン粉をまぶす。百八十度になった油の鍋に丁寧に入れて行く。
 菜箸で一つ一つを丁寧にひっくり返しながら揚げて行く、揚げる音が高くなり、メンチカツから水分が出て来たら、そろそろ火が通った証拠だ。菜箸で摘んでバットに並べておく。
「いただきま~す」
 鈴は箸の先でメンチカツの真ん中を割ると半透明の肉汁が流れだす。片割れを摘んで口に含むと口いっぱいに肉汁が溢れ出る。
「美味しい! やっぱり包丁で丁寧に切るから機械でミンチにしたのとは違うんだね。それに全部の旨味が流れ出さずに肉にも旨味が沢山残っていて、噛むとほっぺがキューンとなっちゃう」
「ホントね、天さんのメンチは一番美味しいと思うわ」
 鈴と善場さんも褒めてくれるが、これが商売に出来るかと問われれば、そうは行かないだろう。手間と値段が吊り合わない。それは鈴も理解している。
「もっと手軽に出来て、仕込みに時間が掛からない何かがあれば、良いのになぁ」
 天も何か工夫は必要だとは思っていた。夏だけの何か、それが必要だと……。
 秋になれば殆どの客は帰って来てくれるが、全員とは限らない。天は、今年は無理でも来年までには何か考えるつもりだった。

 鈴は店に来るお客の大半に元気が無いことを感じていた。毎日三十五度を越える中で仕事をしているのだ。疲れないことなんて無理だと思っていた。現に自分だって暑さが少々応えていた。
「夏バテに効く何かだな。それが問題なんだよね」
 店の裏で、餌をネダリに来る野良猫のクロスケ相手に呟いていた。クロスケというのは黒猫だから鈴が勝手につけて呼んでる名である。
 最近の猫は野良でもキャットフードしか食べないらしいが、このクロスケは店の魚の残りも喜んで食べる。好き嫌いが無いのだ。
「お前は夏バテ知らずだね。羨ましいな。ほれ、もっと食べるかい?」
 お客が残した鯵をクロスケに与えるとすぐにそれにかぶりついた。
 その時、閃いた
『そうだ、期間限定でサービスにアイスキャンディーを付ければ喜ばれないかしら?』
 安いアイスキャンディーを市場で仕入れて、サービスで暑い期間だけ付ければお客も喜んでくれるのは無いかと考えたのだった。
 急いで店に戻り、奥の四畳半で昼寝をしている天に提案してみた。
「その分利益が減るぞ」
「この前市場で見たら、小さな奴で百本入って千二百円だった。一本十二円だよ。期間限定だし何とかならないかな?」
 鈴が真剣に言うので天も頭の中で考えていた。ランチタイムの客が一日平均五十人で、全員にサービスすると一箱で二日は持つ。旧盆の頃は休むし、明けるともう秋だ。期間としても、そう長く無いと考えた。
「お前が大変だぞ。出来るのか?」
「大丈夫! 頑張るから」
「なら、明日からやってみるか」
 鈴が見たのは一口で食べられてしまう小さなアイスキャンディーで、それなら経済的にも負担にならないだろうと考えたのだった。
 次の日、鈴は天と一緒に市場に行って取り敢えず二箱買って来た。早速、その日のランチタイムから始めた。渡すタイミングはお客が勘定を払う時とした。良く焼肉屋さんが勘定の時に飴やガムをくれるがそれが頭にあったのだった。
「お、鈴ちゃんからのプレゼントかい、嬉しいねえ」
 ほぼ全員のお客が喜んでくれ、確かな手応えを感じたのだった。その夜に高校から帰ると天が
「みんな喜んでいたな。お前が夏休みになっても続けてみるか」
 そう言って喜んでいた。それを耳にした鈴は
「うん!」
 そう言って、今日の分で残ったアイスキャンディーを二本出して天に一本を渡してもう一本を自分で囓った。
「冷たくて甘い!」
「ばか、アイスキャンディーは大抵冷たくて甘いものだ」
 天が鈴の笑顔を見て笑っていた。
「甘いものは人を笑顔にするんだよ」
 明日は高校の終業式だった。
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