2016年06月

「梅色ごよみ」 第4話 秋祭りの季節

九月になると、あの八月の猛暑も一段落する。昨今は十二分に暑いのだが、それでも幾分か柔らかくなったお陽様だった。
 今月の中旬にはわたしの住んでいる地域でも秋祭りが開かれる。元は農業中心だった場所だから、このお祭りは「収穫祭」でもあったのだ。だが今は、以前の農地は宅地化され、都会から新しい住人が移り住んでいる。その人達に取っては、街のお祭りと言う感覚なのだろう。それでも構わないと神主さんは言う。
「皆さんが参加してくだされば、それで良いのです」
 今年のお祭りの打合せに夫が睦の一員として参加した時に言ったのだそうだ。
 わたしが住んでいる地域にはお祭りの睦が二つあり、それぞれ神社を境にして南北に別れている。
 わたしの家があるのは南の地域で、代々南の睦の世話人をしている。今は夫がやっているのだが、以前、父が元気だった頃は神社の氏子総代もやったのだ。まあ、家が古いので、このような役目が廻って来るのだろう。氏子総代は何かと物入りなので母が
「だからウチは貧乏なのよ」
 とよく冗談を言っていた。
 お祭りには「本祭り」と「陰祭り」があり、三年に一度「本祭り」が開かれる。この時は神社から大神輿が出され、各地から大勢担ぎ手が集まる。静かだった街が活気を取り戻す。
 神社の大神輿、南北の睦の神輿、それにそれぞれ子供神輿に子供の山車が出る。もう街は何処へ行っても「わっしょい」とか「せいや」と言う掛け声で溢れかえっている。
 子供の頃は、わたしは女の子だったから子供神輿は担げなかったが、山車は良く引いた。最後まで引くと睦の神酒所でお菓子などをくれるので、それが楽しみだった。今から思えば駄菓子の詰め合わせなのだが、当時は宝物のように感じたものだ。毎日少しずつ取り出して食べて、暫く楽しんだものだった。
 ある年、大きな梨をくれたことがあった。恐らく近所の農家が寄付してくれたのだろう。わたしは子供心にもそれが嬉しかった。落とさない様に大事に持って帰って母に剥いて貰った。秋とはいえ炎天下に置いてあったのだ。今なら冷蔵庫で冷やしてから食べるのだろうが、その時はそんな事は考えもしなかった。
 

 母は大きな梨を八つに切り分けてくれた。急いでそのひとつを口に入れると甘くて少し酸っぱい味が口いっぱいに広がった。そのみずみずしさで喉の渇きも癒やされた。
 半分食べて一息ついて、そこで思いついた。
『母の分も……』
 わたしは自分の事しか考えていなかった。お祭りだからと浴衣を縫ってくれた母。帯を買ってくれた祖母。お祭りは自分だけでは無かったと。
「半分あげる」
「もういいの? 全部食べても良いのよ」
「大きいから、もうお腹いっぱい。お母さん食べて」
「そう、じゃあお祖母さんと半分こしましょうね」
 母はそう言って祖母と二個ずつ口にした。
「甘いわねえ」
 祖母の言葉に少し自分が恥ずかしくなった。
 今思うと、あの梨は本当に美味しかったのだろうか? わたしの記憶の美化だろうか? 今でも時々お祭りになると思い出す。梨の記憶。
 あれ以来、もっと美味しい梨を沢山食べているのだろうが、記憶に残らないのだ。あの温かった梨がわたしの基準。


 今年は「本祭り」なので、お祭は盛大だ。普段、眠った街が興奮状態になる。
 その晩、夫がお祭りの手伝いから帰って来て、
「戴いたんだ」
 と梨を三つ置いた。夫は睦のお神輿の交通整理をしたのだという。その時に未だ近所の梨農家の人から貰ったので、皆で分けたのだと言う。
「冷やして後で食べよう」
 夫の言葉にわたしは
「そうね、食べましょう。でもお祭りの梨は冷やさない方が美味しいのよ」
 そう言うと怪訝な顔をした。それを母が見て、どうやら昔を思い出したようだ。
「あんた、未だあんな頃の事を覚えているのね、感心するわ!」
 思わず二人で笑ってしまったが、間に入った夫だけが訳が判らず困惑している。今夜にでも枕元で話してあげよう。
 夕食後に冷蔵庫にしまってあった梨を出して皮を剥く。切り分けてガラスの器に盛り付け、爪楊枝を添えると夫と母の手が伸びて来た。
「シャリ、シャリ」
 二人が梨を口にする音が聞こえる。遠くで祭り囃子が鳴っていた。わたしも手を伸ばして梨を口にする。
「シャリ」
 冷たくて甘い感触が口に広がる。そう言えば、あの時火照った体に口にした梨は甘かったがもっと酸っぱかった。でもそれが心地よく感じたと思い出した。
「何を考えているんだ?」
 夫が不思議そうに見つめるので
「昔は梨ももっと酸っぱく感じた。と思ったのよ」
「今とは品種も違うからな」
「それもあるけど、昔は何も無かったから、それでも美味しく感じたのよ」
 母が庭の先の祭り囃子が聞こえる彼方を眺めながら呟く。
「そうだな、俺も神輿や山車を引っ張って色んなものを貰たな。それが楽しみでさ」
 誰かが祭りの夜空に打ち上げ花火を上げた。その光を見ながら、時間がゆっくりと過ぎて行くのを感じていた。

氷菓二次創作 「大切なこと」

 神山の夏の陽は早く明けます。東の空が僅かに明るくなる頃、夫は作業に出かける為に布団を抜け出します。わたしが起きないように気を使っているのです。

 でも、それが判らない訳はありません。夫が起きだす少し前にわたしも起きて夫の身支度を手伝うのです。

「すまないな。起こしてしまって」

「何を言っているのですか、当たり前じゃありませんか」

「だが、これは俺の意思でこの時間に起きているのだ。お義父さんも、遅くても良いと言ってくれているしな、だから……」

「判っています。あなたは高校生の頃から、わたしの事を気にかけて下さいました。あの頃、不安な日々を送っていたわたしを支えてくださったのは、あなたじゃありませんか奉太郎さん。結婚以来、あなたは頑張っています。一刻も早くこの陣出に溶け込もうと努力なさっているのは誰よりもわたしが知っています。だからあなたを支えるのは妻であるわたしの役目なのです」

「ありがとう。助かるよ。じゃ、行って来る。朝食までには戻って来るから」

「行ってらっしゃい。温かいお味噌汁を用意しておきますね」

 奉太郎さんは、今朝も千反田の田圃や畑の見回りにでかけました。結婚して落ち着くとすぐに朝の見回りを始めたのです。本当に良く続くと思います。誰にも言わずに続けているのです。恐らく知っているのは、わたしだけではないでしょうか

 でも、少し無理が過ぎると感じているのも事実なのです。農作業は毎日のことです。特別なことではありません。日々これこそが大事なのです。だから、無理は禁物なのですが、今のところ奉太郎さんは頑張っています。やりがいも感じているのでしょう。それを止めてしまうことは、わたしには出来ません。それは、奉太郎さんが悲しむことになるからです。奉太郎さんが悲しむことなぞ、妻である今のわたしには出来はしないのです。


 朝食の準備が出来た頃に奉太郎さんは帰って来ました。今朝は。鯵の干物に和布と豆腐の味噌汁。それに胡瓜の一夜漬け、畑で採れたトマトに家の養鶏場で採れた産みたての生卵を用意しました。少しでも精をつけて欲しいからです。

「旨そうだな。戴きます」

 結婚当初ということもあり、暫くは二人だけで暮らすようにと父や母からも言われました。なんでも二人もそうして貰ったそうです。正直言って、二人だけで暮らせるのは嬉しいのですが、奉太郎さんのやり過ぎを止める役目が居ないのが少し困るところです。

「今朝も美味しかったよ」

 輝くような笑顔を見せて感想を言ってくれました。食後は二人だけの楽しみが待っています。僅かの時間ですが、農作業に出かけるまでは時間があります。その僅かな時間に奉太郎さんはわたしの膝枕で、うたた寝をするのが日課なのです。

 ソファーの端にわたしが座り、奉太郎さんがわたしの膝を枕にソファーに横になります。きっと疲れているのでしょう。すぐに安らかな寝息が聞こえて来ます。わたしは奉太郎さんの額を柔らかく撫でながら、そのくせっ毛を指ですくってみます。疲れていない訳がありませんよね。この後は昼まで田圃や畑で農作業です。作業員の先頭に立っての作業なので気が抜けません。

 昼食後はひと息入れると、もう午後の作業が始まります。それが三時の休憩を除き、夕刻まで続きます。

 家に帰って来て、お風呂に入って汗を流し、夕食を食べます。一緒に食事をしながらも、奉太郎さんは陣出のことをわたしに尋ねて来ます。

 わたしが片付けをしている間、奉太郎さんは明日の農作業のことや地域のことなどを調べます。そうこうしているうちに夜も深まって来ます。やっと二人だけの時間がやって来ました。一緒の布団に包まりながら、わたしは奉太郎さんの胸に抱かれるのです。わたしもですが、奉太郎さんも早く子供が欲しいと常々語っています。

 幸せです。これ以上望むものがないはずです。でも、わたしは胸のうちに言い知れぬ不安が過るのです。


 そんな想いを胸に秘めて日々は過ぎて行きました。ある日のことでした。その日、奉太郎さんは農協に用事で出掛けていました。その合間に父がわたしと奉太郎さんが暮らす離れにやって来たのです。

 わたしは父を上がらせ、部屋に通してお茶を出しました。父は一口お茶を飲むと

「うん、うまいな。奉太郎くんは幸せかな

 わたしは父の言葉の最後の疑問が不思議に思いました。

「お父様、どうかなされたのですか

 わたしの言葉に父は暫く黙っていましたが

「これは、お前の胸の内にしまって欲しいのだが、奉太郎くんは良くやってくれている。作業員の人からの信頼も厚く着実にスキルも向上している。その点では大したものだと思っているよ。でもな、傍から見て判るのだが、少々無理をしてる気がするのだよ。無理が重なると必ず失敗をする。それは仕方ない。だからと言って、お前が無理をするなと言っても言うことを聞くような奉太郎くんではあるまい。そこでだ……」

「そこで わたしは何をすれば良いのでしょうか

 父は、そこで湯呑みのお茶を再び口にすると

「その時、優しく迎えて欲しい。無論、我々だって彼の失敗を責めることなぞありはしない。だが彼はそうは思わないだろう。だから、お前から優しく言って欲しいのだよ」

 わたしは、この時何故、父が何故奉太郎さんが失敗をすると思っているのか不思議でした。そんなわたしの表情を読んだのか父は

「跡を継いで間もない頃は皆無理をするものさ。そして失敗をする。だけどな、失敗して学ぶことも沢山あるのだよ。それも判って欲しいのさ。わたしには母さんが居た。奉太郎くんにはお前が居る。そう言うことだ」

 そうでしたか、わたしが生まれる前のことですが、きっと父もお祖父様の跡を継いだばかりの頃は無理を重ねていたのでしょうね。体験したからこそ言えるのだと感じました。


 それから、暫くのことでした。奉太郎さんは作業から帰って来ると青ざめた暗い顔をしていました。

「お帰りなさい。どうましたか

 わたしの言葉に奉太郎さんは

「える、今日の作業で取り返しのつかないことをやってしまった」

 そう言って座り込むと頭を抱えてしまいました。

「どうなさったのですか」

「農作業の耕運機なんだが、違ってオイルの挿入口にガソリンを入れてしまったのさ。おかげで機械が使えず作業の予定が狂ってしまった。機械も壊してしまった。皆に迷惑をかけてしまった」

 奉太郎さんは体から生気が抜けたような感じでした。わたしは、奉太郎さんの隣に座り優しく抱きしめました。体中から奉太郎さんのガッカリした感じが伝わって来ました。悲しみがわたしにも伝わって来ます。愛しい人の悲しみはわたしも同じ想いです。

「実は、ここの所、かなり無理を重ねているように見えました。頑張っているのは判っていたので、何も言いませんでした。機械のことなら何とかなります。遅れた作業なら、皆さんで頑張ればきっと取り返せます。人に何か間違いがあったり、あなたが怪我でもなさったので無いなら良かったです。お金で何とかなるなら、大丈夫です。それよりも、あなたが今度のことで落ち込んで次の作業でミスをして、今度こそ命に繋がる取り返しのつかないことをなさる方が心配です。わたしにとって大切なことは、あなたがここに居てくれることです。あなたがわたしの隣に居てくれること。これこそが一番大事で大切なことなんです」

 わたしは奉太郎さんを優しくもしっかりと抱きしめました。暫くすると奉太郎さんが落ち着くのが判りました。腕の中を覗くと、奉太郎さんが優しい顔をしていました。

「お前の胸、気持ちがいい」

「うふ もっとそのままでもいいですよ」

 今度は奉太郎さんが、わたしを抱きしめてくれました。そして手を伸ばして灯りを消します。


 その後のことですが、耕運機は吉田さんの息子さんがオイルタンクからガソリンを抜いてくれて、オイルを何回も入れ替えてくれて、無事に直ったそうです。奉太郎さんは喜んで酒好きの息子さんに千反田米で作ったお酒を送り感謝しました。

 それから、わたしのお腹に新しい命が宿りました。あの時に宿ったのかも知れません。きっと生まれて来る子は優しい子になると想うのです。

                 

                                                                                                      了

梅色ごよみ  第4話 秋祭りの季節

 九月になると、あの八月の猛暑も一段落する。昨今は十二分に暑いのだが、それでも幾分か柔らかくなったお陽様だった。
 今月の中旬にはわたしの住んでいる地域でも秋祭りが開かれる。元は農業中心だった場所だから、このお祭りは「収穫祭」でもあったのだ。だが今は、以前の農地は宅地化され、都会から新しい住人が移り住んでいる。その人達に取っては、街のお祭りと言う感覚なのだろう。それでも構わないと神主さんは言う。
「皆さんが参加してくだされば、それで良いのです」
 今年のお祭りの打合せに夫が睦の一員として参加した時に言ったのだそうだ。
 わたしが住んでいる地域にはお祭りの睦が二つあり、それぞれ神社を境にして南北に別れている。
 わたしの家があるのは南の地域で、代々南の睦の世話人をしている。今は夫がやっているのだが、以前、父が元気だった頃は神社の氏子総代もやったのだ。まあ、家が古いので、このような役目が廻って来るのだろう。氏子総代は何かと物入りなので母が
「だからウチは貧乏なのよ」
 とよく冗談を言っていた。
 お祭りには「本祭り」と「陰祭り」があり、三年に一度「本祭り」が開かれる。この時は神社から大神輿が出され、各地から大勢担ぎ手が集まる。静かだった街が活気を取り戻す。
 神社の大神輿、南北の睦の神輿、それにそれぞれ子供神輿に子供の山車が出る。もう街は何処へ行っても「わっしょい」とか「せいや」と言う掛け声で溢れかえっている。
 子供の頃は、わたしは女の子だったから子供神輿は担げなかったが、山車は良く引いた。最後まで引くと睦の神酒所でお菓子などをくれるので、それが楽しみだった。今から思えば駄菓子の詰め合わせなのだが、当時は宝物のように感じたものだ。毎日少しずつ取り出して食べて、暫く楽しんだものだった。
 ある年、大きな梨をくれたことがあった。恐らく近所の農家が寄付してくれたのだろう。わたしは子供心にもそれが嬉しかった。落とさない様に大事に持って帰って母に剥いて貰った。秋とはいえ炎天下に置いてあったのだ。今なら冷蔵庫で冷やしてから食べるのだろうが、その時はそんな事は考えもしなかった。
 

 母は大きな梨を八つに切り分けてくれた。急いでそのひとつを口に入れると甘くて少し酸っぱい味が口いっぱいに広がった。そのみずみずしさで喉の渇きも癒やされた。
 半分食べて一息ついて、そこで思いついた。
『母の分も……』
 わたしは自分の事しか考えていなかった。お祭りだからと浴衣を縫ってくれた母。帯を買ってくれた祖母。お祭りは自分だけでは無かったと。
「半分あげる」
「もういいの? 全部食べても良いのよ」
「大きいから、もうお腹いっぱい。お母さん食べて」
「そう、じゃあお祖母さんと半分こしましょうね」
 母はそう言って祖母と二個ずつ口にした。
「甘いわねえ」
 祖母の言葉に少し自分が恥ずかしくなった。
 今思うと、あの梨は本当に美味しかったのだろうか? わたしの記憶の美化だろうか? 今でも時々お祭りになると思い出す。梨の記憶。
 あれ以来、もっと美味しい梨を沢山食べているのだろうが、記憶に残らないのだ。あの温かった梨がわたしの基準。


 今年は「本祭り」なので、お祭は盛大だ。普段、眠った街が興奮状態になる。
 その晩、夫がお祭りの手伝いから帰って来て、
「戴いたんだ」
 と梨を三つ置いた。夫は睦のお神輿の交通整理をしたのだという。その時に未だ近所の梨農家の人から貰ったので、皆で分けたのだと言う。
「冷やして後で食べよう」
 夫の言葉にわたしは
「そうね、食べましょう。でもお祭りの梨は冷やさない方が美味しいのよ」
 そう言うと怪訝な顔をした。それを母が見て、どうやら昔を思い出したようだ。
「あんた、未だあんな頃の事を覚えているのね、感心するわ!」
 思わず二人で笑ってしまったが、間に入った夫だけが訳が判らず困惑している。今夜にでも枕元で話してあげよう。
 夕食後に冷蔵庫にしまってあった梨を出して皮を剥く。切り分けてガラスの器に盛り付け、爪楊枝を添えると夫と母の手が伸びて来た。
「シャリ、シャリ」
 二人が梨を口にする音が聞こえる。遠くで祭り囃子が鳴っていた。わたしも手を伸ばして梨を口にする。
「シャリ」
 冷たくて甘い感触が口に広がる。そう言えば、あの時火照った体に口にした梨は甘かったがもっと酸っぱかった。でもそれが心地よく感じたと思い出した。
「何を考えているんだ?」
 夫が不思議そうに見つめるので
「昔は梨ももっと酸っぱく感じた。と思ったのよ」
「今とは品種も違うからな」
「それもあるけど、昔は何も無かったから、それでも美味しく感じたのよ」
 母が庭の先の祭り囃子が聞こえる彼方を眺めながら呟く。
「そうだな、俺も神輿や山車を引っ張って色んなものを貰たな。それが楽しみでさ」
 誰かが祭りの夜空に打ち上げ花火を上げた。その光を見ながら、時間がゆっくりと過ぎて行くのを感じていた。

「笑いの神」

共幻文庫短編コンテスト2016の第1回 「笑い」の落選作です。一次審査も通りませんでした。


 満員なら三〇〇人以上は入ろうかという客席にお客は半分ほど……それでも平日なら良い方だと思った。 
 夏の寄席は冷房が効いているとはいえ、 高座の上はライト等の影響で客席よりも数度気温が高い。最初は収まっていた汗も噺の最後の方では自然と汗が額に浮かんでいた。それを手元に置いたまんだら (手ぬぐい)で押さえると、噺の最後のオチを言って頭を下げて高座を降りた。高座の袖に戻る俺にパラパラと拍手が追って来た。まるで終ったことを喜んでい る感じがした。 俺の名は春光亭亮太。昨年、苦節一六年の末にやっと真打になったばかりだ。高座返しをする前座が袖で待っていて
「お疲れ様でした」
 と声をかけてくれた。もとより本音ではない、儀式みたいなものだ。楽屋に帰ると先輩や兄さん達に
「お先に勉強させて戴きました」
  そう挨拶をする。そう、これも儀式みたいなものだが、寄席は勉強の場なのだ。ワリと呼ばれる出演料も驚くほど少ないし、うっかりタクシーなんかで通えば足 が出てしまう。落語会や自分の会では自分贔屓の客しか来ない。どうしても笑いに対して甘くなる。だが、寄席はそうではない。自分を聴きに来た客以外に自分 の芸を見せることが修行に繋がるのだ。そんな客を笑せることが出きたら一人前さ。今日も半分は俺の噺を聴いているのかいないのか反応が薄かった。
 楽屋の前座に手伝って貰い着替えを始めると、他の一門の先輩が
「今日は良かったんじゃないの? 少しずつだけど上手くなってるよ」
 そう褒めてくれた。この兄さんは俺が入門した時に「立前座」と呼ばれる前座では一番上の先輩だった。何も知らない俺に色々な寄席のしきたりを教えてくれた。ありがたい……。
「ありがとうございます!」
「でも同期にあいつが居るからやり難いよね。まあ俺の一門だけどさ」
「はあ……」
 あいつとは俺と同期で入門した奴で享楽亭祐輔と言う奴だ。大学を卒業して師匠春光亭陽太に入門した俺と違い祐輔は大学を中退して享楽亭遊楽師匠に入門した。
 享楽亭遊楽と言えば落語界では名門中の名門で、代々の遊楽と言えば皆落語の歴史に残る名人ばかりだ。当代もその名声は日本中に響き渡っている。
  当然入門志願者も多いが、一門の決まりで数ヶ月見習いをさせて見込みがなければ辞めさせられる。だから祐輔は師匠の目に留まったのだ。先ほど俺に声をかけ てくれた兄さんは祐輔の兄弟子である。祐輔は、やはり昨年俺と同時に真打に昇進した。それも、当初は一人昇進を打診されていたのだが、師匠遊楽師がわざと 二年ほど昇進を遅らせたのだ。一人昇進とは抜群の芸がなければ勤まるものではない。その辺を師匠が考慮して昇進を送らせてまで勉強させたのだ。満を持して の昇進という訳だ。だから昇進してからの祐輔は人気が爆発して、何処の寄席でもトリを取らせていたし、大きな落語会でも引っ張りだこだった。今の芝居(興 行)もアイツがトリなのだ。

 高座では色物の太神楽が終わりを迎えようとしていた。色物とは寄席では落語以外の芸を朱色の字で書くのでこう呼ばれている。つまり漫才も紙切りも慢談も色物なのだ。
  太神楽の二人の師匠が高座を降りて来ると一斉に「お疲れ様でした」と声がかかる。それと入れ替えに先ほどの兄さんが高座に出て行く。前座に見送られながら 兄さんは高座に出て行った。この後は「仲入り」と言って休憩時間となる。その直前に出る噺家はトリと呼ばれるその日の最後の噺家の次に大事なポジション だ。実力がなければ勤まらない。俺などとは違う……。
 まして、仲入り後に出るなら兎も角、その前に出る俺のようなのは単なる数合わせに過ぎないことを俺は感じていた。
 寄席では初日、中日、千秋楽と終わると打ち上げがある。ようするに呑み会だ。トリの真打が費用を持ち、皆を誘って芸の話をしながら呑むのだ。それは建て前で、芸の話なぞはしない。皆自分の芸の不味い所は知っているからだ。
 それに真打昇進以来、あちこちでトリを取ってる祐輔とトリどころか、たまにしか寄席に出して貰えない俺とでは既に差が開きつつあった。
「十年に一人」とか「久しぶりの本格派」などと呼ばれて若手真打としてその地位を固めつつある祐輔の酒は気持ち的に呑む気になれなかった。
 先ほどの兄さんから
「打ち上げ行かないのかい?」
 と言われたが
「今日はこの後もありますんで」
 そんな見栄を張って楽屋口を後にした
 外に出るとやっと陽が暮れようとしていた。今日はこの後は仕事も用事もない。家に帰るしかなかったが、素直に帰る気にはならなかった。少し呑んでから帰ろうかと考えが浮かぶ。
 ぶらぶらと当てもなく歩いて良さ気な店を物色していると、不意に後ろから声をかけられた。振り返るとネクタイこそ締めていないがグレーのスーツ姿の男が立っていた。年は俺よりも幾つか歳上だと感じた。
「師匠、お帰りですか?」
 どこか陽気な声で思わず返事をしてしまった。普段ならこんな態度は取らないのだが……。
「ええ、まあ出番は終わりましたからね」
 そう返事をすると男は口角を上げて
「今日の『野ざらし』良かったですよ。久々にあの噺で笑いましたよ」
 俺も一七年噺家をやっていると、寄席にどんな客が来ていたかは高座に出れば判る。今日はこの男の姿は覚えが無かった。
「客席にいらしたのですか? 気が付きませんでしたよ」
 覚えがなくとも今日俺がやったのは確かに「野ざらし」だった。初日から今日まででこの噺を俺がやったのは今日が初めてだ。それから言うとこの男は確かに今日、寄席の何処かに居たのだろう。それだけは間違いがなさそうだった。
「あの噺で笑ったのは久々でした。最近あの噺をやる人は、八五郎がどこか白けていましてね、面白くないんです。噺家自身が自分の心の中で『こんな奴はいない』と思いながら演じてるんでしょうねえ。だからそれがこちらにも伝わって面白く無いのです」
 そんなことを言ったので素人とは思えなかった。
「随分お詳しいのですね」
「いや、これしか趣味がありませんでしてね。ところで、もしお暇ならお連れしたい場所があるのですがね」
 正直、初対面の男と一緒に何処かに行きたくはなかった。出来れば避けたかった。遠回しに断ろうとした時だった。
「師匠、私は決して怪しい者ではありません。それに、お酒とかの誘いでもありません。お見せしたいものがあるんです。決して後悔はさせません」
 見せたいもの? オレには想像がつかなかった。それに怪しい奴が自分から怪しいとは言わないだろうと考えた。ならば着いて行ってもそう悪いことにはならないだろうと考えた。
「何を見せてくれるのですか?」
「それは見てのお楽しみです」
 その時不思議にも、俺は俺は男に着いて行く覚悟をした。
「ではこちらです」
  男が歩き出した道は不思議なことに今まで俺が知らない道だった。この辺りなら寄席に来る度に幾度も歩いた道だが、こんな道は今まで気が付かなかった。振り 返るとその光景も見知った街のものではなかった。それにいつの間にか陽が暮れていて商店街の街灯に明かりが灯っていた。
「何処に連れて行くのですか?」
 あまりの不安な気持ちに男に問うと
「大丈夫ですよ。私の後に着いてくれば何の心配もありません」
 そういってドンドン先に歩いて行く。仕方ないので覚悟を決めて後を付いて行くことにした。男は歩きながらも時々振り返り
「きっと師匠に喜んで貰えると思いますよ」
 そんなことを言って俺を安心させようとしていた。
 どれぐらい歩いただろうか? 随分歩いたと思えばそんな感じがするし、短かったと言えばそんな気もする。男はある建物の前で止まった。
「ここですよ師匠」
 そう言って右手で指し示したのはどう見ても寄席だった。おかしい、この辺りには俺が出演している寄席以外は無いはずだった。第一、都内に寄席は四軒しかない。国立演芸場を入れても五軒しかないのだ。
  寄席の入り口には噺家の名前を書いた木札や提灯で埋め尽くされている。その名前を見ながら気がついたことがあった。出演している噺家の名前が随分古いと 思った。春光亭朝太、確か俺の師匠が今の名前を襲名する前の名だ。それに亡くなって随分経つ大師匠春光亭光春の名もある。この春光亭光春というのは逆さに 読んでも同じなので代々目出度い名前とされている。今はこの名は空席となっている。だから出演する訳がないのだ。いったい何時の時代なんだ。
「驚きましたか? 中に入ってみればもっと驚きますよ。さあお入りなさい。この寄席にはテケツ(切符売場)はありませんから」
  気がついて見てみると確かに窓口はなかった。ふらふらとそのまま中に入って行く。入り口を入ると小さなソファーが置いてあり、その先はもう客席に入る扉が あった。その扉を引き中に入っる。ほぼ満員だが不思議と立っている者はいない。自然と一番後ろの端の席に腰掛けた。高座では子供の頃にテレビで見た手品師 が手品をしていた。懐かしい、あの頃は夢中で見ていた。
 手品が終わると知った出囃子が流れて、前座さんが出てきて高座返しをして出演者を書いためくりを捲った。出て来た名前は「光春」と書かれてあった大師匠だ!
 高座の袖から大師匠がゆっくりと歩いて出て来た。俺の知ってる大師匠ではなく、もっと若い頃の大師匠だった。歳の頃から言うの今の俺とそう変わらない歳頃だと思った。
「え~ようこそのお運びで御礼を申し上げます。良く疝気(せんき)は男の苦しむところ悋気は女の慎むところ等と申しますが……」
 これは「悋気の火の玉 」という噺の出だしだ。かって名人で、黒門町と呼ばれた八代目桂文楽師匠が得意としていた噺で、師の生前時は誰もやり手がなかったというぐらいの噺だ。それを大師匠は平然と高座にかけていた。
  この噺はヤキモチ焼きの奥さんとお妾さんが共に亡くなってしまったのだが、亡くなってからも火の玉となって喧嘩をしているというので、旦那がその仲裁に赴 くのだが、その時に煙草が吸いたくなり火を借りようと最初はお妾さんの火の玉に借りる。もう一服というので今度は奥さんに借りようとするのだが、火が付く 寸前で奥さんの火の玉が逃げてしまう。どうしたのかと尋ねると奥さんの火の玉が「どうせあたしのじゃ美味しく無いでしょ。ふん!」
 と下げる噺である。大師匠は若いが流石に上手い。この難しくも馬鹿馬鹿しい噺を上手に進めて行く。俺は改めて大師匠の力量に舌を巻いた。俺もこの噺をやるが、とてもここまでは出来ない。
 呆然としているうちに大師匠はサゲを言って高座を降りてしまった。俺は直ぐに楽屋に直行しようとしたが、あの男に止められた。
「何処に行くのですか?」
「いや、大師匠に挨拶に」
 自分で言って気がついた。俺が入門した頃は大師匠はもうかなりの歳だった。あんなに若くはない。
「そうか……俺なんか生まれていない頃なんだ」
「ま、そのあたりの解釈はお任せしますが、今の光春師はあなたのことは全く知りません。それだけは確かです」
  俺もそのことに気がついた。その時、寄席では滅多にかからない出囃子が鳴り響いた。この出囃子は名人の享楽亭遊楽師の出囃子だ。それも今のではない。歴代 が名人揃いと言う享楽亭遊楽師だがその中でもとりわけ名人の名を欲しいままにした先代遊楽の出囃子だった。俺はこの時体が震えて来て、膝頭が止まらないほ ど揺れてしまっていた。
「もしかして、先代……」
「さすがですね。そうです。今日はこれを見せたくてお連れしました。どうぞご覧なさい」
 そう男は言うと何時の間にか姿が消えていた。俺はそれを呆然しながらも気持ちは高座に向いてしまっていた。もうすぐ歴史上の名人の高座を見られるのだ。噺家として笑いに関わる者としてこれが興奮せずにいられようか。
 出囃子に乗って先代遊楽師が登場する。それまで静かだった客席が一瞬で沸騰したように沸き返る。それはこれからどんな素晴らしい噺を聴かせてくれるのかという期待と興奮なのだ。今でも大看板の師匠が出た時は似たようになるが、ここまでではない。
「待ってました!」
「名人!」
「たっぷり!」
 幾重にも声がかかる。その中を遊楽師は悠然と歩いて座布団の上に座った。
「え~、噺家として声をかけて戴き本当にありがとうございます! この声ってものは本当に嬉しいものでございますよ」
 客席を笑わして枕に入る。
「昔 は浅草の北方に吉原という大変素晴らしい場所がありまして、余りにも素晴らしいのでそこに行った者は帰って来られなかったなんてお話がありまして、なかん ずく若旦那と世間で呼ばれるようなお人は、もう何日も居続けなんかしまして、それが幾度も繰り返されるとさすがに親戚一同が集まりまして親族会議となりま す」
 ここまで聴いて夏の人情噺「唐茄子屋政談」だと直感した。この後若旦那は親戚の忠告を聞かず。勘当になってしまう。だがどこも頼れる身がないことが判り身投げしようとした所、本所の伯父さんに助けられる。この伯父は一番若旦那のことを心配してくれたのだった。
  伯父の忠告で翌日から唐茄子売りとして働く事になった若旦那。慣れないながらも手伝ってくれる人も現れて何とか売って歩く。昼になって長屋に売りに行くと 貧乏で困っている母子を見て、可哀想になり、それまでの売り溜めと残った唐茄子をあげて帰って来てしまう。疑った伯父さんに事情を言って、伯父さんと二人 で確かめに戻って来ると、長屋は大騒ぎ。訊くと若旦那があげた売り溜めの金銭を大家が全部持って行ってしまったという。女将さんは若旦那に申し訳ないと首 をくくってしまったのだと言う。その騒ぎの真っ最中だった。
 事情を聴いた若旦那は大家の家に乗り込んで行き、大家を懲らしめるのだった。このことがお上に判り大家はきついお仕置きを受け、女将さんは一命を取り留めたと言う。またこの善行が親の知れる事になり勘当が解かれると言う噺なのだ。
 遊楽師匠はさすが上手い。若旦那の改心のシーンも聴いている者が涙を流してしまうほど完璧に演じている。
 もう観客は噺の若旦那と一緒の気持ちになっている。終盤の大家に対する怒りも全ての客が共有している感じだった。ここまで高座と客席が一体となった状況を俺は見たことがなかった。
凄まじいばかりの熱が寄席全体を包んでいた。
「……という訳で勘当が解かれるという。唐茄子屋政談でございました」
 サゲを言うと場内から凄まじい拍手が沸き起こる。座布団を降りて挨拶をする遊楽師匠。
「ありがとうございました! ありがとうございました!」
 何度も礼をしている師匠の上に緞帳が静かに降りて行く。それを見送るとお客は一斉に帰り支度にとりかかる。俺も興奮の内に寄席の外に出た。表で先程の男が待っていた。
「如何でした。名人の高座は」
「凄かったです。余りにも凄くて、それ以上は何も言えません」
「そうですか」
「今の俺には出来ない領域です。でも俺も噺家の端くれです。決して一生を通じて出来ないとは言いたくありません。いつの日か、俺が噺家である限り、きっと遊楽師を乗り越えて見せます。そう決意出来ました」
 俺の言葉を聴いた男はニッコリと笑い
「そうですか、それは良かった。安心しました。あなたに頑張って貰わないと後の世で困るんですよ。頑張って下さいね。名人の系譜は絶えさせてはなりませんよ」
 男はそう言って俺の前から消えて行った。気が付くと寄席の前だった。後の世……いったいどのような意味だろうか?

「あれ師匠、まだ居らしたのですか? もう祐輔師のトリですよ」
 表の様子を伺いに出て来た前座に声をかけられた。
「そうか、ならば祐輔なら聴いて行くかな」
「珍しいこともありますね」
 そんな口を利いた前座の頭を軽く叩くと俺は楽屋に戻って行った。そうさ、まずは祐輔の噺を聴いて俺に何が足りないかを考えることからだと思った。焦らなくても良い。じっくりと考えて稽古して行けば良い。結果と評判は後から付いて来る。覚悟は出来ていた。
 高座では、祐輔の出囃子が陽気に鳴っていた。


                                <了>
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