2016年04月

心の食堂  第二十話  心の春

 満月の夜に、ひっそりと店を開く食堂、人呼んで心の食堂という……。

 満月の晩に限らず、店が開いている限り、やって来たのが浩二と満代の二人だ。今夜も店に訪れると、まさやは何も言わずに笹の葉を敷いた青磁の皿に見事に焼けた鯛を乗せて出して来た。

「おめでとうございます! 正式に婚約なされたのですね。結納を交わしたのですか?」

 突然の事に二人共戸惑ってしまった。確かに、以前二人で結婚の約束をした事はまさやに伝えたが、正式な婚約のことは言ってはいなかった。だから、今夜突然、それも二人が姿を表わすといきなり鯛が出て来たことに驚いたのだった。

「どうして、僕達が正式な婚約をしたことが判ったのですか?」

 浩二が首を傾げながら言うとまさやが

「だって、満代さんの左の薬指を見れば判りますよ」

「よく光って満代さんにお似合いですよ」

 まさやとさちこがにこやかな表情で述べると

「あ、そうでしたか! 嬉しくてデートの時は付けているのです。その他は大事なものだからしまってあります」

 満代の言葉に浩二が

「無くすと困るから置いて来い、って言ってるんですけどね」

 言いながら、満更でもない顔をする

「おめでとうございます!」

「ありがとうございます!」

「正式な結納をなさったのですか?」

 さちこの質問に浩二が

「はい、最近はやらない家が多いそうですが、やはり僕は昔ながらのやり方にしたくて……それに、そう思って貯金もして来ましたから」

 言いながら満代の顔を見た。

「私は、どっちでも良いって言ったのですが、浩二さんが、どうしてもって言うので……それにウチの両親も喜んでいましたし……」

 満代は本当に嬉しいのだろう。左手の薬指にはめた指輪を慈しむように眺めていた。

「今夜は、おめでたい料理にしましょう。ウチからのお祝いの代わりです」

「あ、ありがとうございます!」

 礼を言ったかと思うと、目の前に前菜が出された。

「煮貝と雲丹の取り合わせです」

 さちこの説明に目の前を見ると、黒い扇型の皿に半円を描くように、スライスされた鮑の煮貝が並べられている。その中心には黄色い雲丹がこんもりとの乗せられている。松葉が二本、雲丹から鮑に差し掛かるように添えられている。

 満代は箸で煮貝を摘んで口に運んだ。鮑の旨さが濃縮されたような味が口いっぱいに広がる。柔らかく煮えた鮑は数回噛むと口の中から余韻を残して消え去った。

「……煮貝って、こんなにも旨味が濃縮されていたんですね!」

 満代が感激した感じで感想を述べるとまさやは

「今度は鮑に雲丹を乗せて食べて見て下さい。新しい味だと思いますよ」

 不思議なことを言うものだと浩二は思い、その通りにする。すると、鮑の旨味を引き立てるように雲丹の濃厚な感触が口の中で広がった。

「ああ、これは海の中だ。この口の中に海が広がってる!」

 浩二が何処か遠くを見つめる目で感想を述べると満代も

「ほんと! 海の恵みを感じるの!」

 そんな感想を言って浩二に賛同した。

 食べながらも浩二はあることに気がついた。

「もしかして、これは、別々な二人が家庭を持って、新しい家族になる象徴みたいな料理なんですね?」

 「まあ、ちょっとはそんな事もあります。さ、次の料理です」

 まさやが、そう言って、さちこが運んで来たのは、子持ち昆布を細く切り、三杯酢で和えてたものだった。

「これも美味しい! つぶつぶ感がたまりません」

 満代が感想を言うと、浩二も

「本当、縁起の良い物ばかりですね」

 そうまさやに伝えると

「まあ、特別な献立ですから」

 まさやが、そんな事を言って次の料理に取り掛かる。次は刺身だった。

「やはり、このような時は鯛ですね。これは天然の鯛の昆布締です。それに牡丹海老とこの時期ですので鰹にしました。鯛の赤は、神様が好む色、邪気を祓う色とされています。そんな意味もあります」

 浩二は鯛の昆布締めの見事さに驚いた。これほどのものは未だ食べたことが無かった。大抵は昆布の味が勝ってしまうか、逆に鯛の味が濃厚過ぎてしまうことが多かったが、今夜のはバランスが取れていて、両方の味が絡み合って旨味を増してした。

 次は揚げ物だった。車海老二本がそれぞれ紅白の真挽粉がついて揚げてあった。

「軽く塩味をつけていますが、添えてあるかぼすを絞って食べてください」

 これも天麩羅とは違って新しい食感だった。そして、ご飯が出された。あさりの炊き込みご飯だった。具材の中に生姜が入っていてあさりの味を引き立てていた。手毬麩と湯葉、それに三つ葉が入った吸い物が添えられた。

 最後はバニラと苺の二食のアイスクリームだった。どれも、他では食べられないと浩二も満代も思った。

「如何でした?」

 食べ終わると、まさやが感想を聴きにやって来た。

「はい、どれも細部まで神経が行き届いて、本当に美味しかったです。それに今夜のは料理ひとつひとつに意味があるのでは無く、献立全体を通して意味があると感じました。違っていましたか?」

 浩二の言葉にまさやは、

「そうです。それがお判りなら、お二人はきっと素晴らしい家庭を築かれる事でしょう。どうか、私達の分も幸せになってください」

 まさやの言葉に浩二はやはりこの料理にはまさやの想いが篭っていたのだと思った。


 二人は料金を受け取らないまさやとさちこに礼を述べて、店を出た。帰りながら満代が浩二に

「私も判ったけど、今日の料理は皆、単独の味ではなく、二つの味が交わって新しい味を引き出していたのね。まさやさんはこれから家庭を築く私達に合わせてくれたのね」

 そう言って腕を絡めると浩二は

「そう、それと生前は幸せな家庭を長く築けなかった、まさやさんとさちこさんの想いも入っていたんだ。食べているうちに痛いほど判ったよ」

 そう言って満代の手を握った。

「だからと言う訳ではないが、必ず幸せになろうな」

「うん、私も頑張る!」

 夜道を歩く二人を初夏の満月が照らしていた。

心の食堂 第19話 笑顔をもう一度

 満月の夜だけひっそりと開く食堂。今夜も色々な思いを持った人が扉を開いて暖簾を潜ります。
「こんばんは、こんな遅い時間ですが、まだ大丈夫でしょうか?」
 かなりの年輩と思われる女性だった。
「はい大丈夫ですよ。夜明けまでやっています」
 さちこが、にこやかに迎え入れるとメニューを差し出した。
 女性はそれを受け取ると静かなため息を吐き出した。
「実はここが不思議な食堂だと聞いてやって来たのです。どうしても確認したいことがありまして……」
 何やら訳がありそうな感じに思えると、奥の調理場からまさやが出て来た。
「よろしかったら、事情をお話してくれませんか?」
 まさやが女性に話しかけると
「はい、訊いて戴けるだけでも本望だと思ってやって来ました。私は郊外に住むものです。先日、長患いの主人を見送ったところです」
「そうでしたか、それはご愁傷さまでした」
「ありがとうございます。主人は六十代の中頃に脳血栓の発作で倒れました。その時はリハビリで何とか戻ったのですが、それから十年後にまた発作で倒れました。今度は重傷でした。ほとんどの事を自分では行えず。私の介護が必要になりました。食べることが好きだった主人は自分の好きではない薄い味付けのものばかりを食べることになり、食も進みませんでした。言語傷害が出ましたので、話すことも億劫みたいでした。枕元にメモ帳と鉛筆を置いていたので、それで会話をしていました。
 それでも症状は段々進みました。家では面倒を見きれなくなりまして、病身に入院させました。その時、私は夫に病院暮らしをさせる事を謝りました。
 主人はその答えに首を振って答えてくれました。その時です。やっとの想いで主人が『もういちど、おまえとあれがたべたかった』と言ったのです。その時はもっとたどたどしく話したのですが、他の人には兎も角、私にはそう聞こえました。
 それから主人は病院で亡くなりました。最後は意識もあったのか分かりませんでした。子供も来てくれて、良い最後だったと思います。でも、あの時主人が何を私と食べたかったのかが遂に分かりませんでした。それだけが心残りなのです」
 女性の長い告白が終わった。まさやは、女性に
「旦那さんは病になってから、あなたに感謝していましたか?」
「はい、それは口が利ける内は毎日口癖のように話していました」
「そうですか……ご主人は心の底から感謝していたのでしょうね」
 さちこがしみじみと答えると
「旦那様は濃い味付けが好みでしたか?」
 まさやが料理を作る為の質問をし出した。
「はい、お酒が好きだったので濃い味付けを好んでいました。それが良くないとは分かっていたのですが、案外わがままなところもありまして」
 血圧系の病気で倒れる人は殆ど濃い味付けが好みなことが多い。
「ところで、あなたは何が好きですか? 例えば旅行や外食をした時にはどのようなものを食べられましたか?」
 自分の夫のことなのに、何故自分の好みを訊くのか、女性は理解できなかったが
「はい、私は主人とは全く反対で、さっぱりしたものが好きなのです。とりわけ豆腐が好きで毎日でも良いぐらいです。生前に京都に行き、湯豆腐を食べた事が良い思い出です」
 遠い目をして女性が語るとまさやは
「その時旦那様はどうしてました?」
 まさやの問いかけに、その時のことを思い出したのか、
「はい、珍しく主人も一緒に食べていました。尤もその時もお酒を呑んではいたのですがね」
 懐かしそうに語る女性を見て、まさやは
「少々お待ち願えますか? 材料を調達いたしますから」
 そう女性に言うと
「え? 今の話であの時主人が何を食べたかったのかが分かったのですか?」
「はい、分かりました。お任せください」
 まさやは、何処かに電話をした。
「京都の醍醐寺の豆腐が欲しい。持って来てくれ!」
 電話を終えるとまさやは調理場から小鉢を出して来た。
「葱ぬたです。すぐに豆腐が来ますので、それで繋いでおいてください」
 女性は出された葱ぬたを口にして驚いた。味噌とお酢のバランスが抜群なのだ。酸っぱ過ぎず。味噌の風味が濃厚で葱の甘さを引き立てていた。それに感心をしていると、店の扉が開かれ黒ずくめの男が入って来て、まさやに荷物を渡した。宅配業者だろうか?
「さ、豆腐と水が手に入りました。あなたの旦那様があなあともう一度一緒に食べたかった料理を作りましょう」
 まさやはそう言って調理場に入った。さちこが、空の小鉢と卓上の陶製の焜炉。中には炭が真っ赤に起きていた。それに木杓子を添えた。間もなく大き目な土鍋をまさやが持って来て焜炉の上に置いた。蓋を取ると湯気が立ち登る。土鍋の中には出汁昆布が敷かれ、その上には四角く切られた豆腐が入っていた。さちこが薬味が入った小さめの小鉢を脇に置いた。
「これが、あなたが好きで、旦那様がもう一度食べたがった京都の湯豆腐ですよ。たった今、醍醐寺の傍にある豆腐屋から取り寄せました。水も京都の名水です。豆腐はやはり地元の水で食べると、より美味しくなります。お好みの薬味で食べてみてください」
 まさやに言われた通りに小葱や色々な薬味で豆腐を掬って口に入れた。
「美味しいです! あの時主人と一緒に食べたお豆腐の味です! でも、どうして分かったのですか? 私はてっきり、主人は自分の好きなステーキや明太子を食べたいと思っていたと考えていました」
 女性の質問にまさやは
「自分が最後に食べたいと思う料理、この場合、ご主人があなたに感謝していたら、あなたが喜ぶことをなさりたいと思うのではないでしょうか? それだけ京都の旅が印象に残っていたのでしょう。だから自分の好みでは無く、妻であるあなたの喜ぶ顔を見てから、入院したいと思ったので無いでしょうか。旦那様はそれが最後だと感じていたではと思いました。心の底から感謝していたからこそ、あなたの笑顔を見たかったのかも知れません。私にはそう思えるのです」
 まさやが自分の心根を言うと女性も
「そうでしたか……そういえば旅行から帰って来て、もう一度京都に行こうと語っていました。倒れてそれは叶いませんでしたが……」
「さ、暖かいうちです。食べてください。きっと向こうで旦那様も喜んでいると思いますよ」
 まさやに勧められ、女性は最後まで食べてから帰って行った。まさやとさちこに感謝しながら……。

 今夜も色々な人がそれぞれの想いを持ってこの店の暖簾を潜る。ここは「心の食堂」。
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心の食堂  第18話  オムレツの味

 満月の夜にだけ、ひっそりと場末の街に現れる店。人呼んで「心の食堂」といつしか呼ばれるようになり、いつの間にかそれが店の名前になったという。
 果たして今夜はどんな人がこの店の暖簾を潜るだろうか……。
 
「すいません。遅い時刻ですが、何か食べさせて貰えますか?」
 暖簾を潜って入って来たのは歳の頃なら四十前後の女性だった。一目見てさちこはOLではないし、かと言って主婦にも見えなかった。大抵の場合は大凡だがどんな感じかは判るのだが、この女性には今までの感覚が当てはまらなかった。
「大丈夫ですよ。ウチは夜しかやっていませんから。この時間でもフルメニューが食べられます」
 さちこの言葉に女性は安堵の表情を浮かべた。
「良かった……珍しく友達と逢って喫茶店で話していたらこんな時間になってしまって……本当は母が待っているので直ぐに帰らないとならないのですが、お昼から何も食べていないのに気がついてお腹が減ってしまったのです」
 女性は店にあるテーブルに腰掛けると目を閉じてこめかみ押さえた。さちこには、その表情がとても疲れた感じに見えたのだ。
「お疲れのようですね。何にしますか?」
 さちこがグラスに水を入れて持って行くと
「ここでは、オムレツが出来ますか?」
 メニューも見ずにそう訊いた。それを見て調理場に居たまさやは、何か事情があるのかも知れないと思った。
「出来ますが、プレーンですか? それとも何か注文がありますか?」
 さちこが尋ねると女性は
「あのう……中にじゃがいもと、シメジ、それにベーコンに玉ねぎが入っていて、最後にチーズも中に入れる奴ですが……」
 女性の注文にさちこが
「まるでスペイン風オムレツみたいですね」
 さちこが丸く台形にケーキのように焼くスペイン風オムレツのことを言うと
「ちょっと違うんです。形は普通のオムレツなんです。良く母が作ってくれたのですが、急に食べたくなってしまって……」
 そこまで女性が話した時に、奥からまさやが顔を出して
「材料は全てありますから、作ってみましょう。お母さんと同じでは無いかも知れませんがね」
 そう言ってさちこに訳ありの顔をした。
「お願いします」
「判りました」
 そう言ってまさは調理場に引っ込んだ。
 暫くして、やや大きめの皿に、真ん中が膨らんで両端が細くなつた黄色いオムレツを乗せて運んで来た。
「どうぞ食べてみて下さい。オムレツは普通はナイフとフォークですが、今日は箸の方が良いのじゃありませんか?」
 まさやの言葉に女性は驚きながらも、さちこの用意した夫婦利休箸を手にした。
「さ、熱いうちに食べてみて下さい。冷めると価値が無くなります」
 まさやの言葉に女性は箸でオムレツの真ん中を割った。すると中から濃厚なチーズが湯気と共に流れだした。それを箸で摘んで口に入れる。
「美味しい! 母の作ってくれたモノと形は同じですが、比べられない程美味しいです」
 女性は卵の皮にじゃがいもと焼けたベーコン、それにたっぷりと乗ったチーズを一緒に口に入れた。女性の目に涙が浮かんだ。
 食べ終わると女性は自分の事を語りだした。
「母は今でも家に居ます。要介護になっていて、痴呆症が進んでいます。私が介護しています。ヘルパーさんもたまに頼むのですが、中々手が回りません。父は 既に亡くなり、弟がいますが、独身でしかも今は九州に居ますので介護を頼めないのです。かと言って有料の施設に入れるほど裕福ではありません。
 私も以前は一流と呼ばれる会社に勤務していましたが、母が倒れたので介護の時間を作り易いアルバイトに変えました。だからお金も生活費に消えてしまいます。介護保険などの費用は弟が仕送りしてくれますので何とかなっています。でも……」
「でも?」
 さちこがその先を尋ねると
「正直言って疲れてしまって……朝は母にご飯を食べさせ、洗濯、掃除をしてからアルバイトに出掛けます。お昼になって急いで帰って来て、朝作ってあったお昼を母に食べさせ、下の世話をして、自分も急いでパンをかじってアルバイト先に戻ります。
 夕方、買い物をして帰って来て、母の世話をします。それから夕食を作って母に食べさせ、それから自分も食事をします。
 その後、母をお風呂に入れ、自分も入浴します。寝床を綺麗にしてあげて母を寝かせます。それから自分の事をして寝るのはもうかなり遅いんです。
 夜中に二回母の下の世話で起きます。これが辛いんです。熟睡出来ません。こんな生活があとどれ位続くのかと思うと、何もかも嫌になってしまって……今夜 は友達と逢っていたなんて嘘なんです。母を早く寝かしつけてから、ふらふらと出歩いたんです。そうしたら、何時かネットで見た不思議な食堂の話を思い出 し。この辺りだと見当をつけてやって来たのです」
 今まで心に貯めていた思いを一気に話したのだろう。言い終わると女性はハッとして
「違うんです。だからと言って母が嫌いだとか、憎いなんてことは無いんです。呑んだくれでろくに家にお金も入れなかった父の代わりに、母は働いて私と弟を 育ててくれました。感謝こそすれ、そんな想いなんて全く無いのです。ただ、少し疲れてしまって……そんな時に母が作ってくれて、子供の頃に一番楽しみだっ たオムレツをもう一度食べてみたかっただけなのです」
 それまで言うと泣き出してしまった。さちこがハンカチっを差し出した。
「涙をお拭きなさい。泣いていると料理の味が判らなくなりますよ」
 さちこに言われて女性はハンカチで涙を拭く。まさやが
「ここは満月の夜にしかやっていませんが、時間が作れたら、またいらして下さい。何時でもあなたが元気になれる料理をお作りします。夜中でも営業していますから」
「ありがとうございます! 夜なら来れると思います。実は色々と母が作ってくれた料理があるのです。私は料理が下手なので作っても同じ味にならないのです」
 女性はそう言ってオムレツの残りを口に運んだ。
「あなたが子供の頃にこんなチーズをたっぷりと使った料理を作るなんて、お母さんはよほどの料理上手だったのですね」
 まさやがそんな感想を言うと、女性は少し微笑んで
「母は北海道の生まれで、酪農家の家に生まれたのです。だからチーズは毎日食べていたそうです」
 遠い目をして語った。まさやはそれを聞いて
「そうですか、ちょっと待っていて下さい。お母さんにおみやげを作りましょう。持って帰って明日の朝でも食べさせて下さい」
 そう言って、調理場に戻って、少し経って戻って来た。手には十センチ四方のタッパを持っていた。
「開けてみて下さい」
 まさやに言われて蓋を取って見ると、そこには烏賊が姿のまま煮たものが二杯入っていた。
「烏賊飯です。今はどこでも買えますが、これは特別の烏賊と滅多に手に入らないもち米で作りました。食べさせてあげて下さい」
 女性は驚くばかりだった。「烏賊飯」は母の好物だったからだ。それに、まるで自分が今夜この店に来るのが判っていたような事も驚きだった。。
「良いのですか? 何だか……」
「代金は戴きますよ」
「え?」
「五百円です!」
 さちこの言葉に女性は半分笑って半分泣いて良く判らない感情のまま財布から五百円玉を取り出した。
「ありがとうございます! また来月お待ちしています。介護は辛いですが、必ず終わる時が来ます。そしてお母さんは、あなたに心の底から感謝してると思いますよ」
「ありがとうございます! 何とかやって行けそうです。辛くなったら必ずここに来ます。また美味しものを食べさせて下さい!」
「何時でも歓迎致しますよ」
 まさやとさちこは笑顔を見せる。女性は明るい表情で一礼すると帰って行った。

「あの人、誰にも言えないので色々な想いが溜まっていたのですね」
「ああ、そうだな。そんな時はたまに吐き出さないとね」
 今夜も空には満月が煌々と照らしていた。

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