2015年12月

正月を迎える前に

 実家に帰るのは数年ぶりだった。親父が亡くなって、お袋を呼ぼうとしたのだが
「歳取って知らない場所で暮らすのは、まっぴら御免よ」
 そう言って一緒に暮らすのを拒否したのだ。それ以来となる。高速を降りて、国道を走る。目的地はお袋が暮らす俺の産まれた実家だ。後小一時間も走れば嫌でも到着する。
 助手席の妻は高速を降りてから殆ど口を開かなくなった。明らかにお袋と会うのを意識しているのだ。大体、妻とお袋は数える程しか会っていない。それでもお袋が妻の名前を覚えていたのが奇跡のように思えた。
「悦子さんも一緒に来るのかい。それは楽しみだね。愛衣や隆二も一緒かい?」
 残念ながら長男の隆二は受験が近い。家や進学塾で勉強するので一緒には来なかったし、長女の愛衣は海外旅行に出掛けてしまっている。大学生とは随分暇があるのだと高卒の俺は思った。
「そうかい、仕方が無いね。まあ、死ぬまでには逢えるだろうさ」
 恐らく、それはお袋の本音ではなかったかも知れないが、俺は表面上同意した。
「ああ、夏には連れてくるよ」
 冬は何も無いが夏になれば近くの河で魚釣りも出来るし、泉では信じられないほど綺麗な水の中で泳げる。子供の頃はふたりとも随分来たがっていたものだが……。

 国道を実家のある方角に行く為に曲がると、横断歩道に人が渡っていた。その姿を見て妻が
「あれ、お義父さん!?」
 俺は横の信号の変化ばかり見ていたので誰が横断歩道を渡っていたかなぞ全く見ていなかった。
「え? まさか」
 妻の指差す方角を見ると、なるほど老人が杖を突きながら横断歩道を渡り終える所だった。
「他人の空似だろ。それに親父は死ぬまで杖なんか使っていなかった」
「でも、あれはお義父さんだったよ」
 何度も言うので、完全に角を曲がってから車を停めて、降りて先ほどの老人を追った。前に回って顔を見ると似ても似つかなかった。車に戻り
「完全な人違いだよ。それに、親父が出て来たら幽霊か化物だよ。もう墓に眠っているのだから……」
 そう言って妻を納得させた。今回の帰省には親父の墓参りも兼ねている。俺はロクに墓参もしない駄目な息子だった。
 そんな思いが妻に伝わり幻を見させたのだろうか? 運転しながらそんな事を考えていた。
 暫く走ると実家のある街に入る。久しぶりだが街の感じは変わっていないが、商店が閉まっているのが増えた気がする。尤も自分の住んでいる街だってシャッター通りと呼ばれているけど……。
 程なく実家に到着する。荒れた庭の隅に車を停めて荷物を持ち玄関のベルを押す。何の音もしない、恐らく呼び鈴の電池が無くなっているのだろう。お袋には そんな理屈は判りそうも無かった。それに必要無いのだろう。訪ねて来る人も皆顔見知りだけだからだ。恐らく家に鍵も掛けずにいるのではと思う。俺が居た頃 もそうだった。街で鍵を掛けるなぞと言うのは何日も家を開ける時だけで、それでも隣に頼んでから出掛けたものだ。
 玄関の引き戸を引っ張ると簡単に開いた。
「ただいま~ 今帰ったよ」
 そう言ったが、果たして「帰った」で良かったのだろうか? もしかして「来たよ」の方が正しいのではないかと頭を過ぎった。
「おかえり!」
 薄暗い家の中からお袋が姿を表した。心なしかくたびれた感じがした。土産の品を前にして上がる。後ろから妻も
「お久しぶりですお義母さん。たまにはウチにも遊びに来て下さい」
 そんな取り付くような事を言う。そんな所だけは如才ないのが特徴だ。あれ、これは如才無いじゃなくて、厚かましいの間違いかな?
 三越や高島屋と言ったデパートの紙袋に入ったお菓子を幾つも母の前に並べる。袋は豪華だが中身はスーパーで売ってるのと同じだ。都会人のハッタリだと思う。
「お父さんにお供えしてね」
 言われなくてもそれぐらいは判る。仏壇に供えてから線香をあげる。妻もそれに倣う。
「よく来たよ。仕事だって忙しいのだろう? 悦子さんだって仕事持ってるんだから、こっちは気にしなくて良いのよ」
「でも。お義母さん。本当は最低でも年に二回は来なくてはならないのに……」
 これは妻の本音だと思った。本音だが実行する気は無い……。
「あのさ、親父の墓を移してさ、一緒に住まないか? そうすれば孫とも一緒に暮らせるよ。家を立てる時にはそんな事も考えていたから余裕があるんだ。これで子供が外に出てしまえばガランとしてしまう」
 そうなのだ。自分でも口にしたが、大学生の悦子は卒業したら外に出て行くと言っている。なんでも友達と「シェアハウス」とやらをするのだと言う。息子も第一志望の大学に入れば家からは通えない距離なので家を出る事になる。危機は実は目前に迫っているのだ。
「この前も言ったけど、今更他所の土地で暮らすのは嫌だわ。いいのよ、朝誰かが訪ねて来たら死んでいた、と言う事になっても。その方が面倒臭くなくていいわ」
 この前と同じだ。そっちが良くてもこっちが困る
「それじゃあんまりだし……」
 結局、この事に関しては堂々巡りだった。結論は出ない。もう少しこっちに帰って来てお袋と話さないと駄目だと思った。

 夕食は、妻とお袋が共同で拵えてくれた料理を食べる。結婚して判ったのだが、妻はお袋の料理が口に合うらしく、結構一緒に料理を作るのを楽しみにしている。そんな関係もあって一緒に住んで炊事をやって貰えればと考えてもいたのだ。
 実家の傍の酒屋で地元の地酒を買って来て呑む。妻もイケル口だが後片付けがあるから軽くしか口にしなかった。お袋は元々呑める方では無いので、余ってしまった、まあ、明日も呑めば良いのだと考えた。
 明日は親父の墓参りに行くので風呂に入って寝る事にする。何時の間にか風呂がガス釜から給湯器に変わっていた。
「変えたんだ?」
「うん。これだとボタンひとつで沸くから」
「金は?」
「あんたが前に送ってくれたのと玲子が少し出してくれてね」
 玲子とは妹のことだ。今は旦那に従ってシンガポールで暮らしている。良くメールが来る
『お母さんの事ちゃんと頼むからね。今年の暮は帰ってね!』
 同じような文面を幾つもよこした。そんなに心配ならお前がシンガポールから帰って来いよ。と返信したくなるのを我慢した。
「一日運転していたから疲れたでしょう。寝たほうが良いわよ」
 妻が俺の状態を見て忠告する。実は先ほどから風呂あがりに又呑んでいるのだ。こんな酒の呑み方は親父似だと自分でも思う。
「お前はどうするんだ?」
「あたしは、お義母さんに訊く事があるから、それを聞いてから眠るから先に寝ていてよ。まさかいい歳して一緒に居ないと寝られない。なんて言うのでは無いでしょうね」
 呆れたのは俺の方だ。若い頃は毎日のように一緒に寝たがっていたのはどっちだか……。
「まさか……じゃあ先に寝るよ」
 そう言い残して、奥の寝室になっている昔の俺の部屋に行く。重たい昔ながらの布団を掛けるとすぐに意識が無くなった。

 何時頃だろうか、響くような大きな声がいきなり轟いた。
「起きろ! 何時だと思ってるんだ!」
 慌てて飛び起きて辺りを見ると、隣で妻が寝ていた。シーンと静まり返った家の中は冷たく暗く、人の気配も無かった。
「夢か?」
 ひとりでにそんな思いが口から出たが、夢とは思わなかった。確かに聞こえたのだ。
 起きてしまったのは仕方が無い。トイレに行って台所で水を飲んで布団に潜り込む。すぐにまた意識が無くなった。
 今度はどれぐらいだろうか、いきなり水を掛けられた。あまりの冷たさに飛び起きて布団を蹴飛ばした。濡れた寝具を交換しなければと思い触ってみるが何も濡れていなかった。俺が煩かったのか隣の布団で寝ていた妻が起きてしまった。
「どうしたの? 何かあったの?」
「いや、水を掛けられてさ……」
「は? 誰に?」
 そうなのだこの家の人間は俺を含めて皆眠っていた。水なぞ掛ける人間は居ないのだ。
「寝ぼけていたのでしょう。いい歳してオネショしないでね」
 そう言うと妻は再び寝てしまった。俺は残されて辺りを調べて見る。やはり何も濡れてはいない……だが思い出した。その昔、学校をサボって寝ていたら親父に起こされた事や反抗していたらいきなり水を掛けられた事を。
 それで俺は理解した。きっと親父が墓を移動する事に反対しているのだと……親父はこの地で眠っていたいのだと理解した。
 俺は決意した。少なくともお袋が亡くなるまではこのままにしようと……

 翌日の墓参りはいいお天気で、空に山々がくっきりと映えていた。その何処かで親父が喜んでいるような気がした。GWにもまた帰ってこようと考えた。


                                         <了>

心の食堂  第14話 「手料理の向こう側」

 今年は満月とクリスマスが重なった珍しい年だそうだ。世間の喧騒とはかけ離れた場所に今夜も「心の食堂」は店を開いていた。
 浩二と満代が早々とやって来て腹ごしらえを済ますと
「今夜は二人だけで過ごしますので……」
 そう言って照れながら姿を消すと、店の中は静かになった。まさやが厨房から出て来て
「こんな夜なら誰も来ないかもな」
 そう呟くと間もなく一人の女性が店にやって来た。歳の頃なら五十台後半か六十前後に見えた。頭は白くなっておらず短いが黒々とした髪をしていた。
「いらっしゃいませ」
 幸子の声に迎えられるとその女性は
「あのう……実はご相談があってやって来ました」
 そう言ってコートも脱がぬまま店に立ち尽くしていた。それを見たまさやは
「どのような事かは存じませんが、我々でお力になれるならお聞き致しますが」
 そう言って、その女性に席を薦めた。
「ありがとうございます」
 女性はコートを脱ぐと薦められた椅子に座った。心なしか少し安堵した表情が受け取れた。
「どのような事かおっしゃって下さい」
 まさやの言葉に女性はポツポツと語り出した。
「私は美武秀麗と申します。名前から判るように両親は戦後大陸から渡って来ました。もう両親共々帰化して随分経ちますが、両親の生まれは向こうなのです。 私は日本で生まれましたが、大陸で育った両親の影響で中国料理がやはり好きです。幼い頃から食べていた味がやはり自分の好みになっています」
 幸子が出したお茶を一口付けると
「美味しいお茶ですね。私はお茶は日本のが好きなのです」
 そう言って僅かに嬉しそうな顔をした。
「それで、ご相談とは」
「はい、実はたまにですが母が作ってくれた料理なのですが、料理の名前も判らないのです。街の中華料理店を回ってもそれらしい料理がメニューに置いていないのです。私は日本だから無いので大陸や台湾に行けばあると思って色々と探しました。でも何処にもありませんでした」
 女性の話を聞いてまさやは、「もしかしたら……」と思い始めていた。過去に同じような相談を受けた事があったからだ。
「それはどのような料理でしたか?」
 まさやの質問に女性は記憶を手繰るように語り出した。
「両親は広東省の出身です。海の近くの街で育ったそうです。戦後は八路軍が嫌で外に逃げようとしましたが、台湾はもうかなりの人が渡り始めていたので、 迷った挙句日本にしたそうです。理由は親類が横浜で働いていたからで、少しでも知人が居る方が良いだろうと言う事でした。両親はお互いが遠縁にあたるそう ですが、日本に行く船で初めて逢ったそうです。父が二十歳、母が十八の時でした。
 日本に着いてからは縁者の紹介でやはり横浜の中華街で働き始めました。やがて二人は結婚し私が生まれました。それを期に家族は帰化したのです。
 母は私が幼い頃から大陸の色々な料理を作って食べさせてくれました。正直母の手料理はどの中華レストランよりも美味しかったです。その中の一つが今回どうしても忘れられない料理なのです。それは甘酸っぱくてカリカリとして熱っくて……」
 どうも女性の話が思い出に行きそうなのでまさやが引き戻す。
「具体的には何が入っていましたか?」
「ああ、すいません。簡単に言うと『海老ワンタンの甘酢がけ』とも言うのでしょうか、揚げた海老ワンタンに甘酢が野菜と一緒に掛かっているのです」
 それを聞いて今度は幸子が言う
「野菜は人参、竹の子、ピーマン、玉葱、椎茸等ですか? たまにはパイナップル等が入っていましたか?」
 女性は幸子がいきなり言ったので驚いてしまった。
「どうしてご存知ですか? 誰も知らないと思っていましたのに……」
 まさやが笑って
「それは多分、『タンツー・ホントン』と呼ばれる料理ですよ」
 難なくまさやが言ってしまったので女性は只驚いているだけだった。
「実はね、昔、ある方から教わったのです。その方もやはり戦後こちらにやって来て帰化された方でしたがね。やっぱり広東省だと言っていました。これは向こうの家庭料理なので日本では余り広がらなかったのでしょう。それに近いものに酢豚がありますからね」
「そうでしたか……こちらに来て良かったと本当に思いました」
「ここには誰からお訊きになったのですか?」
「はい、やはり帰化されて広く事業をなさっている方からです」
 それを聞いてまさやは心当たりがあったが今は黙っていた。元気な事が判ればそれで良いと思った。
「丁度材料がありますからお作りしましょうか?」
「はい! お願い致します」
「お母さんのよりは落ちるとは思いますがね」
 まさやは笑うと厨房に入って行った。まさやは人参、竹の子、ピーマン、玉葱、椎茸等に油通をして、火の通った状態にした。次に海老のすり身をワンタンの皮に包んでいく。
かなりの数が出来上がると、それを油で揚げ始めた。
揚がったワンタンを別の中華鍋に入れて、先ほどの野菜を加えて行く。
適当に混ざった頃を見て、醤油、ケチャップ、お酢、砂糖、オイスターソース等が混ざった調味料を加えて行く。
適度に絡める様に鍋を何回か廻して最後に片栗粉でとろみをつけて、仕上げに胡麻油を少し絡めて出来上がった。
「さあ食べて見て下さい。熱くてワンタンがカリカリの内が命です」
 女性は出された料理に口を付けると
「これです! この味です! 殆ど母の味と変わりません。素晴らしいです」
 そう言って感嘆の声を挙げた。
「やはりでしたね。実はお酢を控えて、やや甘めにしてあるのです。あなたが食べた時は子供でしたから、お母さんならお酢を控えると思ったからです。やはり手料理には真心が篭っていますからね。我々は想像でそれを補うだけです」
「でも、素晴らしいです! 母の心理状態まで推測して料理を作るなんて……」
 女性は宝物を慈しむように料理を食べて行く。
「恐らく日本ではウチしか出していない料理です。お母さんに会いたくなったら、満月の夜にまたやって来て下さい。何時でも歓迎しますよ」
 幸子が笑顔で伝えると女性も
「是非、また寄らせて貰います。次は別なものを頼みます!」
 そう言って笑ったのだった。
 
 まさやは想う……料理の向こう側にはそれぞれの想いが存在するのだと……

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

「タンツー・ホントン」は実際にある料理です。
この話の中では色々な野菜を入れていますが、実際は丸く包んだワンタンを揚げて、
ケチャップ入のタレでさっと絡めて、柔かい甘酸っぱさのタレが絡んだカリカリのワンタンを楽しむ料理です。
私も良く作ります。
お酢も少しは入れますが、ケチャップの柔らかい甘酸っぱさが美味しく感じる料理です。
本文中にある様にパイナップルの缶詰を入れても良いです。
カリカリ感が無くならないうちに熱々を食べましょう。

                         作者

にわか高校生探偵団の事件簿シリーズ(葉山君シリーズ)二次創作  定期公演に潜む闇 1

え~新しいエピソードです。ミステリー書けない者が学園ミステリーの二次創作を書いてるのもおかしいのですが、グデグデにならないように進めたいと思います。多分、少し長めです。

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 ゴールデンウィークも終わり、市立は日常の装いを取り戻していた。僕は美術室で一人秋の文化祭に出す作品の下描きを始めようとしていた。この時期から始 めるのは早過ぎる気もするのだが、伊神さん曰く「事件を引き付ける体質」だそうなのでこの先、夏になるに従って何かあっても困るので早めに始める事にした のだ。百目鬼先生も
「まあ、葉山は部長なんだから好きにすれば良い」
 とお墨付きを貰っている。それに今週の末の土曜日は演劇部の定期公演があり、裏方として手伝いを頼まれているのだ。
 そんな事を考えていたら天童翠ちゃんが息を弾ませて美術室に飛び込んで来た。ちなみに彼女は苗字は違うが伊神さんの異母兄弟で、二人は仲が非常に良い。
「遅れてすみませんでした。掃除当番でしたので」
 赤い顔をして翠ちゃんは遅れた詫びを言った。
「いや、構わないよ。僕が早いだけだからね」
「何を描いてるのですか?」
 翠ちゃんから言えば、まさか秋の準備とは思わないのだろう。僕は先程の事を最初から説明する。すると翠ちゃん残念そうな顔をした。
「ええ! 十四日は都合が悪いのですか?」
 何の事だろう? 確か演劇部の手伝いの事は予め伝えてあったと思ったが……それに翠ちゃんは手伝いには入っていないから、その日は自由なはずだった。
「あ、手伝いは僕だけだから構わないんだよ」
「違うんです! 十四、十五と兄の大学で『五月祭』があるので、十四日なら兄の都合も良いので案内をしてくれると言うので先輩と一緒に行けたらと思っていたのです」
 そうか、『五月祭』と被るのか、今まで身近でそんな事が話題にもならなかったし、昨年は事件の解決で伊神さん自身もそれどころでは無かったので、五月祭が話題になるのは今回が初めてと言う事になると思ったのだ。
 十五日なら大丈夫だよ……と言いかけて、その日は柳瀬さんから用事を頼まれていた事を思い出した。
「残念だね……来年は都合つけるよ」
 そう言ってシマッタと思った。
「来年は先輩がいません!」
 頬を膨らませて怒った表情も中々可愛いが、先約があるのは仕方がない。
「兄弟水入らずで愉しめば良いと思うよ」
 それが気に入らなかったのか翠ちゃんは
「じゃあ、兄に案内して貰うのを十五日にして、十四日は私も美術部員として演劇部のお手伝いをします。来年の為にも今年参加していないと困りますから……それに……」
「それに?」
「いいです! その先は私事ですから」
 恐らく、柳瀬さんの事だったのでは無いかと思った。僕も柳瀬さんが来ない訳は無いと思っていたからだ。
「じゃあ、一緒に手伝おう。来年はきっと埋め合わせするから」
 僕のあてにならない言い訳を耳にした翠ちゃんはやっと笑顔を浮かべたのだった。

 金曜の放課後になると演劇部のOB達がバンを三台持って市立までやって来てくれた。この車に大道具や小道具、それに衣装やかつらを乗せて運んで行くのだ。
 演劇部の連中と一緒になって大道具を運び込む。舞台にセットして補修すべき箇所があれば補修するのが僕たち美術部の仕事なのだ。
 車に全てを乗せ終わると先輩OBが運転して市民ホールに向かった。残された在校生は自転車で後を追う。ちなみに翠ちゃんは車の助手席に乗せて貰った。まあ、あれだけの美少女だから声は掛かるだろうと思った。
 市民ホールに着いてみると、三台のうち一台が未だやって来ていなかった。衣装やかつらを乗せた車だった。市立を一番早く出た車だったはずだ。翠ちゃんも車から降りてスマホで時間を確認して
「遅いですね。私達の乗った車より早く着いていなければならないですよね」
 そう言って心配をしている。ミノも時計を確認して
「遅いな……まさか……」
 どうやらミノには何か思っている事があるみたいだった。その目つきで僕にも大凡判って来た。でも翠ちゃんは判らないようだ。
「ミノ先輩。何処に行ったのかアテがあるのですか?」
 ミノは言葉に困っている。そこで僕が
「もう少し待っていれば判ると思うよ」
 そう言って助け舟をだす。ミノはニヤッと笑い
「葉山にも判ったか、まあそうだよな」
 そんな事を言っていると、案の定車が到着した。その助手席から降りて来たのは、前演劇部長、柳瀬沙織さんだった。今日はライトグリーンのサマーセーターにアイボリーのカーデガンにミニスカートと言う出立ちだった。
「部長あいかわらずスタイルがいいなぁ~」
 待っていた他の三年生の部員からため息のような言葉が漏れる。その意見には賛同するが、一箇所間違っている。部長ではなく前部長だと言う事だ。
「電話したら丁度こっちに来る途中と言うから大学に寄って貰ったのよ」
 よく考えると衣装やかつらを乗せた車を運転していたのは柳瀬さんと同級の先輩で在校中は一切頭が上がらない人だったと思い出した。
「じゃあ、さっさと運び込もう」
 ミノが部員に言って資材の運搬が始まった。僕も大道具を一緒になって運び込んだ。各自の責任者が荷物の確認をする。ミノがホールの人と打ち合わせをするので中に入って行き、大道具は勿論、小道具、かつら、そして最後に衣装のチェックをしていた時だった。衣装係の女子が
「痛ッ!」
 と声を上げた。
「どうしたの?」
 柳瀬さん始め皆が注目をすると、指先から鮮血が滴り落ちている。
「衣装に仕付け針があったみたいです」
 別な生徒がその持っていた衣装を調べてみると衣装の裾の部分に針があったのだ。先ほどの生徒はそれに気が付かず挿してしまったようだった。
「おかしい! 昨日最後の稽古が終って衣装箱にその衣装を入れた時には針なんて無かった」
 別な部員が言う。今の演劇部の部員は柳瀬さんに憧れて入部した者が殆どで、女子が多い、部員数も多いのだが、何故か僕たち美術部の部員も何かあると借り出されるのだ。
「それは確かなのね?」
 柳瀬さんがその部員に確かめると、僕に近寄って来て
「ゆーくん、早速の出番よ。事件の現場に葉山くんありってね」
 そんな事を言いながら僕の事を横目で見ているのだ。こんな場所で困るのだが……
「事件って……仕付け針を取り忘れただけでしょう? 事件も何も……」
 僕がそこまで言った時だった。
「ああ、酷い! 衣装の縫い目が解かれている」
 仕付け針など無いと言った部員が衣装を広げて驚いていた。
「どうしたの今度は」
 柳瀬さんがその部員の所に行く。僕と翠ちゃんも後ろから眺めると先ほどの針が混入していた衣装が縫い目が解かれていて、その分が大きく穴が開いていた。
「この衣装はヒロインのよね?」
 柳瀬さんが尋ねると部員は
「そうです! ヒロインの着る衣装です。今から直ぐに縫い直します」
「そうね。それと平行して他の子も手伝って他の衣装にもイタズラがしてあるか調べてちょうだい!」
 さすが柳瀬さんだ。テキパキと指示を出す。そこにホールの人と打ち合わせが終ったミノが帰って来た。
「どうした? 何かあったのか」
 そこで僕は針の一件を説明した。柳瀬さんが僕たちの所にやって来て
「これはやはり事件じゃないかしら? 誰かが、わざとやったのよ。嫌がらせかも知れないわね」
 そう言って僕の耳元で
「あの娘が居るのがちょっと邪魔だけど。これは二人で解決してみたくなって来ない?」
 そう言って耳に息を吹きかけてニヤッと笑った。その表情と息を吹きかけられたので僕はゾクッとなってしまった。
 どうやら僕は柳瀬さんの術中に落ちてしまったみたいだった。

続く

晴れ舞台

共幻文庫 第5回 短編コンテスト 取り下げの小説です。お題は「卒業」でした。
ベタで拙い作品です。

それでも良ければ……続きを読む

衷心」(ちゅうしん)

 戦争が激しさを増していました。暮らしは段々苦しくなり、嫌でも自分達にとって不利な状況になっているのが判っていました。そんな不安な気持ちが人々の心に入り込み世情も荒廃し始めていました。
 そんな時でした。窓の外では飼い犬のポチが吠えていて、私は来客でも来たのかと窓から家の門の方を覗くように見ました。すると、ポチが懐かしい人に甘えていました。その様子を見て自分も心が浮き立つのを感じました。
 私は食べかけのチョコレートを銀紙に包むと、冷蔵庫にそれをしまって玄関に向かいました。今時チョコレートなどとは贅沢ですが、父の仕事の関係で何とか手に入れてくれたのです。勿論秘密です。恐らく今時この近所でチョコレートがある家などは私の所しかないでしょう。
 家の中でも暖房が効いていない廊下では息が白くなるほどです。節約の為暖房も最小限にしています。寒さを感じる指先に息を吹きかけると、少しだけ指先が甘い香りになり暖かくなりました。
 程なく呼び鈴が鳴って玄関の引き戸が開けられる音がしました。
「ごめんください……ああ、もう出迎えてくれていたんだ。お久しぶりです」
「ようこそいらっしゃいました。ポチの喜ぶ声で、もしかしたらとは思いました。遠い所へようこそ。さあ、上がって下さい。ここは寒いですが、部屋の中は温かいですよ」
 遠来のお客様にスリッパを出すと、彼は荷持を抱えながら私の後に付いて来てくれました。
 応接間に彼を通して、とりあえず座って貰い、私は台所で紅茶を入れる準備をします。無論この紅茶も秘密です。同じように父が持って来てくれたものなのです。
 先ほどまで自分が口にしていたチョコレートの残りを、おしゃれな入れ物に入れて並べて彼の前に置きました。
「何もありませんが……」
「いえ、とんでもないです。それにしてもこのご時世に良く……ああ、お父様のおみやげですね」
 父とも面識のある彼は事情を理解してくれました。そして、出された紅茶をひと口飲むと
「ああ美味しい! 紅茶にチョコレートなぞ久しぶりです」
 そう言って彼は笑ってから、本題に入りました。自分の鞄を明けて一通の白い封書を出します。
「これが、お兄さんの手紙です。最前線に行く前の晩に自分の兵舎に来まして、『妹の麗子に渡して欲しい』と言われました。どうぞ、お渡しします」
「ありがとうございます! 不躾ですが、開封して読んでも構いませんか?」
「どうぞ、そのためにお持ちしたのですから……」
 優しい彼の言葉に甘えて、鋏で封を切り便箋を取り出します。開くと、そこには懐かしい兄の文字が並んでいました。内容は、自分がこれから戦地に向かう 事。そこは最前線である事。必ず生きて帰って来るつもりだが、万が一の場合には両親の事を頼むと書いてあり、お前も早く良い人を見つけて結婚して子供を作 れと続いていました。
「ありがとうございます! 兄はもう戦っているのですね」
 私の言葉を紅茶を飲みながら聴いていた彼は
「そうですね。士官ですから最前線といっても、本部に近い場所で指揮を取ることになると思います。この戦いを上手く納めれば、我が軍も状況が良くなります。そうすれば、さらなる昇進が待っている事でしょう」
 正直、彼はそう言ってくれましたけれど、私の想いは違っていました。私は、兄には昇進の事よりも例え敗戦して捕虜となっても生き延びて帰って来て欲しい と思っていました。それだけを望んでいるのです。でも、今のこの状況では、そんな事は口が裂けても言えません。誰も心の中に秘密として守っているのです。 それは目の前の彼も判っている事でした。彼は、私の正面に座り直すと、真剣な眼差しで
「お兄さんは立派な軍人でもありますが良き兄でもあると思います」
 彼の言い方に私の心に想ってる事も理解してくれているのだと判りました。彼の表情を見ると、微笑んでくれています。それで全てが判りました。
「お兄さんは、あなたを悲しませる事は望んでいないと思います。私も今月の末には、お兄さんとは違う方面ですが前線に赴きます」
 そこまで言うと一旦言葉を区切り、意を決したように
「それでもし、生きてこの戦争に決着が着き、理不尽な戦いを終わらせる事が出来て、自分が帰って来られたら……本当は軍人として生きて帰って来る。なんて言えない事ですが、その時は僕と結婚して戴けませんか。結婚するなら、以前から、あなたと決めていました!」
 正直、びっくりしました。でも不思議な事に、その言葉は意外ではありませんでした。私は兄の友人である彼に恋心を抱いていました。そして、彼も私を思っ てくれることを望んでもいました。彼は、私の兄に対する思いをすぐに察してくれました、そんな彼ですから私の思いが通じたのだと判ったのです。彼も私も、 お互いの事を想う気持ちは心にしまって置かなくても良くなりました。本当に心の底から嬉しかったです。でも……。
「もし、生きてお戻りになれなかったら私はどうなるのですか?」
 そんな返事をするとは思ってもみなかったのでしょう。彼は目を見開いた顔をしていました。そんな彼に私は訴えます。
「どうか約束して下さい! 必ず生きて帰って来ると……例え捕虜になっても何時かは生きて帰って来ると」
 私の何ひとつ無い本当の心でした。それを聞いて、私の気持ちが真剣だと判った彼は
「判りました。必ず生きて帰って来ます。生きて帰ってあなたを妻に娶ります」
 真剣で、強く言ってくれて、それを聴いた自分の頭の中が痺れて行くのが判ります。嬉しさで何も考えられなくなってしまいました。広げてくれた彼の腕の中 へ、崩れるように飛び込みました。正直、一度で良い思い切り抱きしめて欲しかったのです。でもそんな想いは嫁入り前の娘として秘密にして心にしまっていな ければなりませんでした。彼はそれを理解してくれて、答えてくれたのです……つかの間の幸せな時間が過ぎて行きます。
 私は、テーブルの上のチョコレートのかけらを、口に含んで彼に口移しにします。彼は驚きながらも受け取ってくれ、もう一度私を強く抱きしめてくれました。
「正直驚いた。あなたが、まさかこんな大胆な事をするなんて……」
 それを聞いて、自分の頬が真っ赤になるのが判ります。自分でもそう思いました。
「今のが初めてでした。最初は好きな人と決めていましたから……」
 後から考えると良くそんなことが言えたと思います。きっと高揚感で自分自身が判らなくなっていたのでしょう。
「これを持って行って下さい」
 以前、お守りを二つ手作りしました。ひとつは兄が出向く時に持たせ、もうひとつは彼に渡せたら良いと思っていたのです。じっと機会があればと待っていました。
「ありがとう! 大切にするから……」
 お守りを懐にしまうと、今度は彼の方から求めて来たのでそれに答えます。今度はチョコが無いのに先ほどよりも甘く感じました。
「もう帰らないと……時間迄に兵舎に帰らなければなりません」
 彼が時計を確認します。
「出来ればお手紙下さい。でもご自身のご無事が何よりです」
「ありがとう! 決してあなたを泣かせるような事はしませんよ」
 玄関を出て門の外まで見送りに出ます。ポチが先ほどと同じようにはしゃいでいます。
「ご武運を……」
「今度来る時はあなたを娶る時です」
 そう言って去って行く彼の後ろ姿を見送りながら佇んでいると、頬に冷たいモノが当たりました。空を見上げると空から白い結晶が落ち始めています。白くぼ やける視界の中を彼が去って行きます。今度お見えになる時は桜の花が咲く春でしょうか? それとも太陽が照りつける夏でしょうか?
 降り落ちる雪を眺め、来年の冬迄にはと思いました。

 地球が外の星からの攻撃を受け始めて早三年になろうとしていました。未知の敵との戦いは激しさを増すばかりです。
 地球防衛軍士官学校の同級生の兄と彼は今、地球防衛軍の士官となっています。激しさを増す前線に若い彼らが赴いて行くのでした。
 恒星の外で戦う彼らの無事を……
 でも、私は願うのです。例え人から何と言われようと、自分の愛しい人の無事を願わずにはおられないと……。

                                                 了
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