2015年11月

風に吹かれて

あるドキュメンタリーを見て書いてみた実験的な小説です。あるいは小説の体になっていないかも知れません。
お話そのものは全くの創作です。特にモデル等はありません。
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 その言葉を聞いたのは友人の何気ない、ひと言からだった。
「伯父が、危なかったんだ。最初救急車を頼んだのだけど、救急隊員の方が、『病院まで行ってからの治療では間に合わない。ドクターカーを要請します』って 言ったんだよね。最初は何だか理解出来なかったのだけど、直ぐにお医者さんが来てくれて、治療してくれたんだ。それで助かってね……」
 その言葉……「ドクターカー」と言う言葉を初めて聞いた。直ぐに調べると、「消防本部からの要請を受け、医師・看護師・救急救命士などをいち早く救急現 場に派遣する車両です。 患者さんが病院に搬送されてくるのを待たず現場で救命処置を始めることができるため、救命率の向上や後遺症の軽減などの効果が期 待されます」と書かれてあった。ジャーナリストの端くれとして今までこんなシステムがあるのを知らなかった。自分の不勉強を恥じた。
 存在を知ると職業柄どうしても取材したくなった。だが仕事が緊急を要する事なので、無闇には申し込めない。調べると全国で五十余りの病院が取り入れてるそうだ。
 そのリストを見ていたら、高校の後輩が事務長をやっている病院があった。地方の中堅都市の市立病院だった。仕事が終わる時間を見はらって早速後輩に電話をしてみる。
「先輩、どうしたんですか」
「いや、暫くぶりだね。皆さんお元気かい?」
「ええ。息災ですけど……」
「それは良かった。ところで君の病院でドクターカーを運用してるよね。良かったら取材させてくれないかな? 色々な場所で発表して、この制度をもっと良く知って貰いたいんだよ」
 私の突然の申し込みに後輩は驚いたが、
「理事長やそのドクターカーのチームにあたってみます」
 そう言って口だけは利いてくれる事になった。

 高速を降りて、目的の病院に向かって行く。インターから車で二十分の場所にそれはあった。
「○□市立病院」と書かれた門を入って行くと広い駐車場に車を止めた。取材の申し込みは簡単に降りた。何でもこの制度を広く知って貰いたいからだそうだ。受付で名前を言って名刺を出すと少し待って理事長と言う人が出て来てくれた。
「理事長の高橋です」
「フリーのジャーナリストの若槻です」
「どうぞこちらへ」
 応接室……とも呼ぶのだろうか、そんな感じの部屋に通されてた。事務員とおぼしき方がお茶を持って来てくれて、一礼して去って行った。こちらも恐縮する。
 事務員さんが去るのを目視して理事長が語りだした。
「日本では、救急車によって救急医療機関に搬送して医師により診察を受ける救急医療体制が長い間続いています。でもその為、治療開始までの時間が長くなり 救命率の低下につながっている事も事実でした。一部の救命センターでは、救急ヘリに搭乗し、現場への医師派遣、広域救急搬送を行っている場合もあります。 しかしながら、ヘリが飛べない悪天候時等や、ヘリの降りる場所が近くにない場合には、救急車による陸路の輸送しか手段がなく、治療開始までに時間がかかっ ていたのです。また、交通事故などの外傷で救出に時間がかかるようなケースでは、現場への医師派遣は初期治療の上でさらに必要性が高かまっていました。そ のため、少しでも早く傷病者が医師と接触できる手段のひとつとして、救急現場等に医師や看護師を運ぶドクターカーが導入されるようになったのです。救急現 場や搬送途中から救命治療を開始する体制を整備し、治療開始までの時間をほぼ半減させることで救命率の向上を図ろうとしています」
 なるほど、その存在意義は大きいと言わなければならないだろう。
「実績としてはどうなんですか?」
「我が市では救命率が格段に向上しました。特に我が市の様な地方都市では住人の平均年令が高いので、従来の救急車だけではどうしようも無かった事は事実です。勿論、ドクターカーと救急車を併用する事が絶対条件だと思っています」
 後から知ったのだが、この高橋理事長は地元の旧家の生まれで、色々な方面に伝手があり、ドクターカーの導入にもそれが随分役に立ったそうだ。市議会や市長など、説得する方面は多かったと思われた。
「それでは、ドクターカーの責任者で「緊急医療科」の山田医師を紹介します。ご案内致します」
 高橋理事長に連れられて、地下に降りて行く。理事長が
「ドクターカーは通常の駐車場や車両の出入り口とは別な所から発車します。表側だと患者さんの車とバッテングする可能性もありますからね。要請を受けてから二分以内に出なければならないので、別に設けたのです。
 地下は色々な検査センターになっており、その奥の一室に「緊急医療科」はあった。脇にはドクターカーが二台止まっていた。白地のライトバンタイプの車 で、脇に大きくドクターカーである事と病院のトレードマークが書かれている。屋根には赤色灯が乗せられていた。二台あるのを見て、医師が複数いるのだと 思った。
「医師は、責任者の山田医師を始め、常駐が二名と研修医が二名居ます。二四時間態勢の為交代勤務になっていますが、手が足りない場合は何処に居ようと連絡して来て戴きます。そのような態勢になっています」
 これまでにも取材があったのだろう。高橋理事長の説明には無駄が無い。
「さあ、どうぞ、これから先は山田医師にお尋ね下さい」
 そう高橋理事長が言って去って言った。私は部屋に入り、自己紹介をして名刺を渡す。
 部屋はやや大きめだが、色々な場所に医療道具が置いてあり、中には充電している機器もあった。出先で使うので電源がある場所とは限らないからだ。
「ここの責任者の山田祐則です」
 短く自己紹介をしてくれたので、早速取材に入る。ちなみに今日は先ほど交代で非番になったそうだ。
「まず初めに、どうしてドクターカーに乗る事になったのですか?」
 私の質問に山田医師はおだやかな顔をして
「以前は緊急救命センターに居ました。でも、そこで手遅れの患者さんが余りにも多いので、このままでは駄目だと思ったんです。何かいい考えが無いかと思っ ていたら、ドイツから帰って来た大学時代の友人が、ドイツでは『ドクターカー』という制度があるって教えてくれたんです。それを聴いて、ドイツまで行って 制度を学んだのです」
「でも、日本でそれを行うには色々と壁があったと思うのですが」
「そうですね。幸い、ここの高橋理事長とは以前から懇意でしたから、相談させて戴きました」
 その時だった。部屋の無線機器が鳴り出して、出動の要請が来た。係の者が出て消防本部指令センターと場所や情報を共有した。隣の部屋で待機していた医師と看護師二名が、機材を乗せて出動して行った。手慣れている感じだったが、その緊張感は私にとって未体験だった。
『毎日こんな緊張感の中を過ごしているのか……』
 それが偽らざる気持ちだった。
「本当に緊急なんですね。現実に見て、それを実感しました」
 私の言葉に山田医師は
「患者さんの命が助かる事が第一です。その為にこのシステムを立ち上げたのですから」
 その時、また部屋の無線機器が鳴り出した。先ほどの出動から数分しか経っていない。今度は山田医師が出向く事になった。情報が消防本部指令センターから送られて来る。なんでも心肺停止になりそうだと言う事だった。
「一緒にどうですか。全てを見て、確実に伝えて下さい」
 その言葉に迷っている暇無かった。カメラとICレコーダーを持ってドクターカーに同乗させて貰う。他の乗員は山田医師と看護師だ。それと運転士兼臨床医 の四名に私だった。場所は病院から数キロ先の一軒家で恐らく農家なのだと思う。入って来る連絡では、家の仕事場で作業中に倒れたのだと言う。
 現場に到着すると、救急車が到着しており、降りて患者の居る場所に向かう山田医師に隊員が色々な情報を提供する。
「止まったのか?」
「はい、先程」
「何分」
「二分ですか」
「すぐに蘇生を開始する」
 素人目には良く判らなかったがAEDと呼ばれる心臓の蘇生装置の本格的なヤツで何回か蘇生を試みる。心臓マッサージを懸命に試みる山田医師……
 何か注射もしている。きっと蘇生に係わる薬剤なのだろう。専門的な言葉が飛び交っている。それらを録音して行く。後で調べて書いて行くつもりだ。
 数回目のショックを試みて、どうやら動き出したようだ。救急車に患者と山田医師が乗って病院に向かって行く。勿論市立病院だ
 その後、その患者さんは助かったと言う事だった。あれがドクターカーでは無く通常の救急車で運搬していたら、まず助からなかったと言う事だった。
 全てが終って、再びインタビューを試みる。
「本当に緊急なんですね。同乗させて戴き、それが良く判りました」
 私の言葉に山田医師は、やや皮肉めいた表情をしながら
「でもね。これは必要ならざる制度なんです。東京などではドクターカーの制度を持っている病院はありません」
 その言葉が以外だった。
「何故ですか? どうして東京など大都会にはドクターカーの制度は無いのですか?」
「それは、都会には近距離に高度医療を受けられる設備が沢山あるからです。ドクターカーの制度と言うのは、言わば、病院の足りなさを補う制度でしか無いんですよ。本当は日本の何処に住んでいても、短時間で病院で診察して貰えなければならないのです」
 山田医師の言葉は私の心の底に深く残った。
「では虚しくなる事が多いと言う事ですか?」
「それとも違いますね。患者さんが助かって嬉しくない医者はいませんよ。そうですねえ……『風に吹かれて』ですね」
「え……ボブ・ディランのですか?」
「そう、Blowin' in the Wind ですよ。どれだけの道を歩けば、一人前と認められるのか、どれだけの人の死を見れば目覚めるのか……答えは風の中にある……それは自分自身の中にあるのです」
「山田さんは未だ五十台でしょう? ボブ・ディランには遅いんじゃ無いですか?」
 私が笑って言うと、山田医師は
「ボブ・ディランはフォークですが、気持ちはロックンロールですよ」
「はあ?」
 どうやら山田医師は禅問答がお好きなようだ。
「ロックンロールですか?」
「そうです。気持ちは常にロックンロールですよ。語源を知っていますか?」
「いいえ、不勉強で……」
「語源は、『さあ行こう!』と言う意味です。ロックンロールは前進する歌なんです。私達ドクターカーの連中も停まっていては駄目なのです。常に前に向かって行かなければ……」

 最後に山田医師始め、ドクターカーの皆さん、高橋理事長に御礼を行って病院を後にした。何か良い記事が書けそうな予感がしていた。

  
    <了>

僕のなつやすみ

 あれは僕が中学一年生の時だった。
 その頃、僕は母方の叔父の家に夏になると遊びに行った。夏休みのうち半分ほどを緑に囲まれた山深い叔父の家で過ごす事が多かった。
 勿論、長逗留するのは僕だけで、母も父も弟さえも二、三日で東京の家に帰ってしまった。
「明彦は田舎が好きなんでしょう」
 僕だけが取り残される理由を問うた時の母の答えだった。言っておくが僕は特別田舎が好きな訳ではなかった。なかんずく、田舎の夜になると窓いっぱいに群 れる蛾や見たこともない虫が鳥肌が立つほど嫌いだった。その頃の僕は休みにはゲームをしたり、録画しておいたアニメを見たりするのが休みを過ごす日常で、 太陽の下、表で遊ぶ等と言う事は考えもしなかったのだ。
 その年も夏休みになると家族四人で叔父の家に遊びにやって来たが、二泊もすると何時も通り僕だけを残して三人は帰って行った。帰り際に二歳下の弟が
「にいちゃん、二学期までには帰って来てね」
 そんな事を言って僕の顔を見ないで車に乗り込んだ。その時はその意味が全く判らなかった。退屈な田舎暮らしが、また続くと思っていただけだった。
 叔父の家には二つ歳上の女の子が居る。明美と言って田舎には珍しいくらいの美人で、中学でもマドンナ的存在だという。だが、僕にとっては従姉妹であり、この家で唯一の同じ価値観で話せる人間だった。
「明、明日、瀧に行こうよ。久しぶりに明と一緒に泳ぎたい!」
 元より、嫌な訳はなく、毎年この先にある滝壺で泳ぐのも楽しみだったのだ。それは色々な意味でだった……

 翌朝、早くに起こされて、叔父の自転車を借りて明美と一緒に走りだした。明美は白いシャツに赤いスカート姿だった。赤と言っても何回も洗濯して色あせて しまった赤だった。明美にとって普段着、それもどちらかと言うと下の方の服だったのだろう。夏の風を受けて明美のシャツの前が膨らんだ。下は何も身に付け ていなかった。僕はそれを横目で見ながら明美は水着を着ないで泳ぐのだろうか? と不安半分、妄想半分で自転車を漕ぎ続けた。夏の朝は既に太陽によって充 分泳ぎたくなる温度に達していた。
 滝壺に通じる小路に自転車を乗り捨てて草むらを下に滑り落ちるように歩いて行くと程なく瀧の音が聞こえて来る。
「ご~ご~」
 唸るような瀧の音に少しばかり胸がワクワクする。
 すぐに滝壺の場所まで辿り着いて荷物を草むらに置く。着替えようとバッグから水着を取り出そうとしたら、横で明美がいっぺんにシャツとスカートを脱ぎ捨て滝壺に素裸のまま飛び込んだ。
「あー気持ちいいよ! 海パンなんか履いてないで明も早く来なよ。気持ちいいよ。どうせ誰も見ていないんだから」
 誰も見て無くてもお互いが見ているじゃないか。と思ったけれど、履きかけた水着を放り出して自分も裸のまま滝壺に飛び込んだ。海とも違う勿論都会のプールなんかとは比べ物にならない清涼感で胸までいっぱいになった。
「気持ちいいな」
「でしょう! 裸のまま泳ぐと気持ち良いのよ。自分もこの自然の一員になった気がするの。そうすると誰に肌を見られても気にならない」
 確かに、そう言い切ってしまえるほどの気持ちよさだった。でも僕はそこまで気持ちが徹底しておらず。つい明美の方を見てしまう。勿論いやらしい気持ちでだ。
「ふふふ、明、見たいんだ……いいわよ。見せてあげる」
 明美はそう言ったかと思うと勢い良く水から立ち上がった。豊満な胸をした明美の体から沢山の水の粒が滴り落ちた。僕は明美から視線を動かす事が出来なかった。
「明の中には虫がいるんだよね。女の子の裸を見たいと言う虫がいるんだよね」
「そ、そんなの男だったら誰でもそうだよ」
「じゃあ、やっぱり虫がいるんだ……でも、あたし、その虫嫌いじゃないよ」
 僕は偉そな事を口にしていても、明美の裸から目を逸らす事が出来なかった。それどころか僕の中の虫は増々大きくなってしまっていた。
「見せてあげたから、もうお終い」
 明美はそう言うと瀧の水が落ちている傍まで泳いで行った。僕より泳ぎの達者な明美はスイスイと瀧のすぐ傍まで行くと
「明も来なよ。瀧のしずくが頭から掛かって気持ちが良いよ」
 だが僕は明美の言う通りにはしなかった。前に、あそこまで行って溺れかけた事があるからだ。
「やめておく。いつかみたいに溺れたら嫌だから」
「勇気がないのね。そうだよね。あたしが裸見せてあげても何もしないんだものね」
 その言葉に反論は出来なかった。実はたわわな胸に触りたかった。でもそんな勇気は少しも持っていなかった。僕が持っていた「スケベの虫」は思ったより小さかったのだ。

その後、散々泳いで明美の裸を見せつけられてから叔父の家に帰って来た。
「お互い内緒だからね」
 明美はそう言うと自分の部屋に行ってしまった。僕は仕方ないので、自分が寝起きしている客間で夏休みの宿題をすることにした。叔父の家に長逗留していても、普段過ごしてることは家でやっている事と余り変わりはない。只、少しばかり環境が違うだけだと僕は思った。
 昼食を食べ終わると明美は友達と逢うと言って出かけて行った。僕は明美が着ていた服から、友達と言うのは彼氏だと思った。それに明美の目が普段の目とは 違っていたからだ。僕は、その間も宿題をすることにする。一日でも早く終わらせたかったからだ。僕は東京に帰れるだけの交通費は持っていた。叔父の家の事 情等から両親が迎えに来る前に自分だけで帰った事があり、それ以来母親は交通費だけは僕に残しておいてくれたからだ。
 そのお金を取り出して眺めながら
『今年はこれを使ってやろうかしら?』
 などと思うのだった。
 ある年だった。急にホームシックになった僕は叔父からお金を借りて、黙って家に帰った事があった。暗くなった表から玄関を開けようとすると、楽しそうな 両親と弟の会話が聞こえて来た。それは僕が居る時には決して聞く事が出来ない楽しそうな団欒の会話だった。僕は結局家に帰らずに、朝まで公園に居て、始発 でまた叔父の家に帰った。叔父は帰って来た僕を見て驚いたが詳しい事は何も聞かずにそのまま家に入れてくれた。それ以来僕は常に家では他所者だと思ってい る。

 夜になり明美が帰って来た。田舎で嫌なのは夜になると網戸いっぱいに虫が集る事だった。見たこともない大きな我や得体の知れない昆虫が窓の網戸いっぱいに停まっていて、始めてそれを見た時は本当に鳥肌がたってしまって身震いが止まらなかった。
「明は怖がりだね」
 明美が言った言葉だ。怖がりなんじゃない。得体が知れないから気味が悪いだけだ。そう返答したら明美は「同じ」だと言ってせせら笑った。
 同じなんかじゃない。僕はホラー映画など見ても全く怖くないが虫が、それもあんなに沢山集まっているのが気味が悪いと言ってるのだ。
 明美の部屋の窓にも数えきれない程の虫が集っている。明美はそれを見ながら
「ねえ、朝のこと驚いた? あたしがいきなり裸になって」
 真顔でそんな言われも返答に困る。
「あたしの裸見て興奮した?」
 興奮はしたのだ。だが緊張の方が勝って肉体的な変化は無かったのだ。それを明美に言うと
「ねえ、面白い事教えてあげようか?」
「なあに、面白い事って?」
「前に、いきなり家に帰った事あったでしょう? あの時一晩で帰って来たよね。訊いたら家に入らずに公園で一晩過ごしていたって……」
「うん。そうだよ」
「もしかして、その時自分が他人じゃ無いかって、思わなかった? そんな感じを受けなかった?」
 明美の言っている事は本当で、実はそう思っていた。
「あたしの名前とあんたの名前に同じ「明」の字が付いてるのって偶然だと思う? 何も感じ無かった?」
 すぐに言ってる意味は判った。でも、なんて返事をしたら良いのだろう? 『そうです』なんて軽々しくは言えない。だが『知らない、思わない』等とも言い切れない自分が居る。どうしようか……答えあぐねていたら
「聞いた話だけど、あたしと明は実は姉弟なんだって。事情があってあんたは伯母さんの家に貰われて行ったそうよ。そうしたら弟が生まれたんだって……本当かどうかは知らない。聞いたの……」
「誰から?」
「それは言えない。約束だから……でも言われたの。あんたが悩んでいたら本当の事を教えてあげて、って……」
 もしかしたらとは考えない事も無かった。あの日玄関で感じた日からずっと思って居たことだ。
「姉弟だから裸見せたの?」
 何だか酷く損をした気分だった。
「嘘よ! みんな嘘! あたしのイタズラの虫のせいよ!」
 明るく笑う明美だったが、僕は笑え無かった。多分、それは本当の事だろうから……
「今日は、彼氏とセックスして来たのか?」
 明美は、その言葉に少し驚いて
「セックスはしてないけど、どうしてあたしが彼氏と逢ったと判ったの?」
 驚いている明美に僕は
「さあね。もしかしたら血のせいかもね」
 そう返答すると明美が嬉しそうに笑った。
            
                               了

氷菓二次創作   紅落の寺にて

 11月も末になるとさすがに神山も寒くなって来ます。神垣内連峰から降りて来る風が一層寒く感じられます。初雪が降るのもそう遠いことではないと思いました。
 手袋を身に付けて来て正解だと思いました。厚手のコートはもうこの時期になると必需品になります。通学時に巻いている薄いピンク色のマフラーも、もう手放せません。
 神山駅の時計で時間を確認すると、約束の時間より少し早かったようです。家からここまで母に車で送って貰いました。今日の目的を話すと母も喜んでくれました。それは関谷の血を引く者にとっては当然のことなのだと思います。
 左手には少し大きめの紙袋を下げています。中には昨日花屋さんで作って貰った墓前に添える花が二対入っています。菊の他には伯父が好きだった花も入れて貰いました。もし、何処かで見ていたら、きっと喜んでくれていると思います。
 肩を軽く叩かれて振り返ると折木さんがトレンチコートに何時ものアイボリーのマフラーを身にまとい立っていました。
「早めに来たつもりだったが、待たせたようだな」
「いえ、わたしも今送って貰って来たばかりですから」
 少しだけ申し訳無さそうに話す折木さんに、気を使わせないように答えます。
「バスの時間まで少し早かったかな」
 腕時計を確認しながら折木さんはバスがやって来る方向を眺めています。その表情がわたしの見間違いでなければ僅かに嬉しそうでした。
「お休みの日に連れ出して申し訳ありません」
「千反田、そんなことは無い。どうせ休みだって何もすることが無いのだから、構わないし、昨年も一緒に行ったのだから気にすることは無い」
 確かにそうなのですが、昨年と今年ではその意味が違っています。折木さんは、それにお気づきでしょうか……
「昨年勘違いしていてな、実際にお墓に行くまで、霊園みたいな場所に新しい墓が立っているのかと思っていた。実際はそんなこと無いのにな」
 折木さんはバスの時刻表を見ながらつぶやくように言います。お墓に行くまできちんと言わなかったわたしが悪いのですが、伯父のお墓とは関谷家の菩提寺の 先祖代々のお墓なのです。お墓の隣の墓誌には伯父の戒名が彫ってあります。それだけが伯父が関谷家の一員としての証なのです。
 当然、遺骨はありませんので骨壷には生前よく使っていた身の回りの者が入っています。もし、世界の何処かで朽ち果てているなら、魂はここに帰って来ると皆信じているからです。他所に立てたなら、伯父は知らないのですから行きようがありません。
「すみません。もっと早く言っておけば良かったのですが……」
「なに、構うことはない。俺が勝手に勘違いしただけだからな。それより、その紙袋俺が持とう。お墓に供える花だろう?」
「ありがとうございます」
 わたしは、左手に持った紙袋を折木さんに渡しました。
「伯父の好きな花も入れて貰ったのです。せめてそれぐらいしか……」
 昨年、折木さんにお墓参りをお願いしたのは、長い間、わたしが忘れていた事を折木さんが明らかにしてくれたこともあり、どうしても折木さんを伯父に紹介 しておきたかったのです。でも今年は違います。わたしは明らかに折木さんを意識してお誘いしました。格技場の真実が判ったと言う事もありますが、本当は昨 年のようなこととは違っていたのです。
「どうした寒いのか?」
 気が付くと、折木さんがわたしの顔を覗き込んでいました。目の前の折木さんの顔が余りにも近いので、頬が赤くなるのが判ります。
「顔が赤いぞ。風邪でも引いたのか?」
「いいえ、少し驚いただけです」
「そうか、ならいいが、今日は特に寒いからな」
 少し遅れてバスがやって来ました。土曜の昼前ですので空いています。一番後ろの席に進行方向に左に折木さん、右にわたしと並んで座ります。バスの中には数人しか乗っていませんでした。
 バスは空いている道を流れて行きます。乗る人も居ないのか幾つものバス停を通りすぎて行きます。やがて、僅かに乗っていた数人も降りてしまいました。バスの中は、わたしと折木さんの二人だけです。
 横を見ると折木さんが、紙袋を持っていない右手を、コートのポケットに入れているのに気が付きました。折木さんは寒いのでしょうか、そこまで思い、折木さんが今日は手袋をしていないことに気が付きました。
「折木さん。手袋して来なかったのですね」
「ああ、そこまで寒いとは思わなかった。今日はかなり時雨れているからな」
 雨こそ降っていませんが、かなり今日は冷え込んでいます。わたしは自分の左の手袋を外すと折木さんに差し出しました。
「折木さん。荷物まで持たせてしまって申し訳ありません。せめて片方だけでもこの手袋を使って下さい」
 折木さんは、わたしの申し出に戸惑っていました。
「千反田、ありがたいが俺が手袋をはめると伸びてしまうぞ、それでは申し訳ない」
「そんなことはありません。お願いです、使って下さい」
 再度頼むと折木さんは
「ありがとう。では遠慮無く使わせて貰おう」
 そう言って手袋をはめて下さいました。
「うん、お前のように暖かいな」
 なんて事をさらっと言うのでしょうか、また頬が赤くなるのが判ります。
「お前は冷たくないのか?」
「大丈夫です左手はコートのポケットに入れますから」
「悪いな……俺が手袋をして来なかった為にすまん」
「折木さんが謝る必要はありません。わたしが、そうして欲しいのです」
 そこまで言うのがやっとでした。本当はもっと言いたいのに気持ちが言葉になりません……

 お互いに触れ合ってる側が手袋をしていません。わたしは左手、折木さんは右手です。不意に折木さんがわたしの左手を掴みました。そしてその手を自分のコートのポケットに入れたのです。大胆な行動にわたしは戸惑ってしまいました。
「折木……さん……」
「悪い、こうして同じポケットに手を入れておけばお互い寒さを凌げると思ってな」
 確かに手は暖かくなりました。でも、わたしの心は暖かさを既に通り抜けています。折木さんのコートのポケットの中でわたしの指が優しく掴まれているのです。わたしの指と左手は折木さんのするがままになっています……わたしは自分の心が高まって行くのが判ります。

 やがてバスは関谷家の菩提寺があるバス停に到着しました。うっかりして乗り過ごすところでした。
「千反田、ここじゃないか?」
 折木さんに言われて慌ててバスを降ります。重く垂れ込めた雲は今にも泣き出しそうでした。寺務所で火の付いたお線香を二輪戴いて桶に水を汲んでお墓に向かいます。
「なあ千反田。俺は不思議な縁で、お前と親しくなり、こうやって関谷純のお墓参りに来ている。昨年の初め頃はそんなこと全く考えていなかった。縁とは不思議なものだな」
「折木さんは、こうなった事を後悔していますか?」
「まさか……俺はむしろ感謝しているぐらいだよ」
 その言葉を聴いて自分の不安が氷解して行くのが判ります。
「嬉しいです」
 わたしは思い切って折木さんの右腕に自分の左腕を絡ませました。そんな、わたしの行動を見て驚く折木さんでしたが、すぐにわたしの腕を引き寄せてくれました。
 墓前に着いて、桶の水でお墓を洗いお線香を備えます。持って来た花束も備えて、亡くなっているなら無事成仏して欲しいこと。何処かで生きているなら達者で居て欲しいと思うのでした。
 落葉がお寺の参道を隠すように積もっています。僅かに残った木々の葉は真っ赤を通り越してもう落ちそうです。その中をわたしと折木さん二人だけがお寺に佇んでいるのです。
「さて、帰るか……帰りに何か暖かいものを食べて帰ろうか。何が良い?」
 絡んだ腕を確かめるようにわたしは
「暖かいおうどんがいいです。美味しいお店知っていますから、そこに行きましょう。このお寺の近くなんですよ!」
「そうか、次のバスまでは時間もあるしな。それも良い」
 二人はお寺の傍にあるお店に向かいました。
 今日、伯父のお墓の前でお祈りした事は、先ほど言ったことだけではありません。もう一つ大事な事をお祈りしたのです。でも、それは、今は誰にも言う訳には行きません。今は、わたしの心の中だけにしまっておくことだからです。
「千反田」
「はい」
「いいや、何でもない」
 わたしは、折木さんのその言い方で、何を言いたかったのか大凡判りました。きっとわたしと同じ想いだと思いました。ならば、今はまだ心の内に停めておくことが良いと想うのです。
何時か、きっとそれは通じるはずですから……


                     <了>
 

氷菓二次創作  二人の時間

 「痛いよ摩耶花。そんなに強く引っ張らなくても、ちゃんと図書館に行くから」
 ふくちゃんが「やっと」と言う感じで、わたしに引っ張られながら来てくれる。ふくちゃんには痛くして悪いけど、何も本当に信じていない訳ではない。それでも強引にふくちゃんを地学講義室から連れ出したのは、折木がやって来るのを見たからだ。この前も同じように見かけたので慌てて部室を脱出した。
「摩耶花、別に少しぐらい四人になった所で構わ無いじゃないか。どうして、ホータローが部室に到着する前に、僕達二人が教室を出なくてはならないんだい?」
 ふくちゃんの言う事は尤もだとわたしも思うが、わたしはちーちゃんの為にも、地学講義室で二人だけにしてあげたかったのだ。
「ふくちゃんだって、ちーちゃんが折木の事どう想っているのか、知っているでしょう?」
 引っ張る手を緩めて一息ついたふくちゃんは、目だけ笑って
「そりゃ知ってるけどさ、こればっかりは二人次第だからさ。僕達が外野で何か言っても仕方ないと思うんだよね」
 そう言って両方の手の平を上に向けた。
「何か言って、どうにかなるならとっくに言っているわよ。そうじゃ無いから行動に出して、なるべく二人だけの時間を、作ってあげようと思ったのじゃない」
 横に並んで、わたしの手を優しく握ったふくちゃんは
「摩耶花は本当に気が効いて、優しいんだね。僕はそこまで、お節介を焼こうとは思わないな。縁があれば、やがて結ばれる二人だし。無ければそれまでだからね」
 確かに、それはそうだが、親友が想っている人と、上手く行くようにしてあげるのも、友情の一つだと思うのだ。
「だからさ、きっと上手く行くよ二人は」
「どうして、そんな事が判るの?」
 微笑を浮かべるふくちゃんに、わたしは問いかける。するとふくちゃんは、繋いだ手をそのまま自分の胸に当てて
「ホーターローも千反田さんの事を憎からず想っているからさ」
 そう言った。それって、ふくちゃんは直接折木から色々と聴いているのかしら?
「僕達が付き合う切っかけとなった、バレンタインの事件があったろう。あの時、雪の不動橋の上で、ホーターローが僕に言ったんだ」
「うん。それは知ってる。あの時もふくちゃんが言ってくれたから」
「でも、ホーターローが何を言ったかまでは、きちんと言わなかったよね」
「そうね……折木は何と言ったの?」
 わたしの質問にふくちゃんは、はっきりと
「『お前は千反田を傷つけた』と僕に言ったんだ。ただの友人と思っていたら、あの言葉は出て来ない。つまりホーターローは、千反田さんが傷つく事を、自分のように感じていると言う事なんだよね。それが何を意味するのかは判るだろう」
 今ならわたしも判る。それが何を意味するのかを……
「なら、一層ふたりだけの時間が大切じゃない」
 わたしの言葉にふくちゃんは真面目な顔になった。その目が真剣なので少し驚いた。
「摩耶花、勘違いしないで欲しいのだけど。僕はホーターローと千反田さんが上手く行くならそうなって欲しいと常々想っているよ。でも、それは結局二人の問題なんだ。今の僕にとっては……」
 そこまで言ったかと思うと強く手を引かれて、わたしはふくちゃんの腕の中に吸い込まれるように抱き締められた。
「摩耶花が一番なのさ」
 ふくちゃんの甘い吐息が掛かると、何も考えられなくなって……


■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■

 「今日も摩耶花さんと福部さんは急いで帰ってしまいました。図書館が混んでいるのでしょうか?」
 わたしはお茶を入れた湯のみを、折木さんの前に置きながら、今しがた摩耶花さんと福部さんが取った行動を話していました。
「それもあるかも知れないが、案外二人が、気を効かせてくれたのかも知れないな」
 折木さんは何気なく口にしましたが、それって何を意味するのでしょうか……
「変な意味ではなく、里志と伊原は二人だけで図書館に行く訳だし。残された俺達はやはり二人だけになるだろう」
 それは、正直言って嬉しい事ですが、摩耶花さんは、それを意識なさっていたのでしょうか? それならば、わたしの気持ちを、お二人が知っていると言う事になります。
「どうした千反田。顔が赤いぞ」
 いけません。想っている事が表情に出てしまいました。心の底で密かに望んでいた事ではありますが、部長としては……
「千反田、せっかく二人が気を効かせてくれたんだ。隣に来ないか?」
 思いがけない折木さんの言葉です。わたしは言われるままに隣の席に座りました。意識して座ると本当に恥ずかしいと感じます。
「今日もいいお天気ですね」
「ああ、そうだな……ところでもうすぐ一周忌か?」
 言われて、すぐに伯父の事だと判りました。
「はい、この前一周忌は過ぎました。お寺でお経を挙げて戴きました。本当の身内だけですが……」
「そうか、やはり行方はわからないのか?」
「そうですね。法律上は亡くなりましたけど、心の何処かでは生きているのは? と想っているのも事実です」
 わたしは自分の、嘘偽り無い気持ちを口にだしました。こんな事は、折木さんと二人だけの時でしか言えません。
「あのう、その事でお願いがあるのですが……」
「何だ。何でも言ってみろ」
「はい、ありがとうございます。時間があればですが、昨年と同じように、また伯父のお墓参りに一緒に行って欲しいのです」
 わたしの望みに、折木さんはうなずきながら
「そうだな。俺もこの前の一件があったから、行った方が良いと思っていたんだ。喜んで一緒に行かせて貰うよ」
 その言葉に、自分の心がざわつきます。やはり、わたしと折木さんは……
 すると、折木さんが、そっと手を握ってくれました。
「大丈夫。心配するな。不安に思う事があれば俺に言えば良い。大した力になれなくても、一緒に悩んでやる事ぐらいは出来る」
 その言葉を聴いて、わたしは胸が熱くなるのでした。


                          <了>

溢れる想い   改題改稿作

共幻文庫で開催されている「短編コンテスト」の第8回「一杯の水」に応募し、落選した作品です。
三人の審査員の先生方に「つまらない」と評されてしまいました。
特に特別審査員の多千花香華子先生には「ティーンズラブはこんなにつまらなくない」と言われてしまいました。
言われてみて、この作品がティーンズラブだったのか! と自覚する始末です(笑
まあ、知恵の足りない者は後から事実を知るんですね……
でも収穫はありました。遅まきながら、自分が何を書きたいのかが、判りました。いったい、それが判るまで何年掛かっているんだよ! と突っ込まれると何も言えないのですが、馬鹿は判るのに時間が掛かると言う事で……
自分なりに、今回判って来た視点で改稿してみました。題も変えてあります。


で、それがこちらです↓

「溢れる想い」

 今年の夏は毎日が楽しくて、充実していて、生まれてこんなに楽しい夏は久しぶりだった。それは、純ちゃんが帰って来てくれたから……。
 今年の春に東京の学校を卒業した純ちゃんは家業の酒屋を継ぐ為にこの街に帰って来た。嬉しくて駅まで迎えに行ったっけ。ドキドキしながら約束の時間に改札口で待っていると、純ちゃんが降りて来た。
 大きな鞄を持って降りて来るのかと思ったら、小さなバッグひとつだけ肩から下げていただけだった。後から聞いたら大きな荷持は送ったのだそうだ。当たり前だよね……。
 手にはシャンパンゴールドのiPhoneを持っていて、なんとなく都会的な感じで、私の白のiPhoneより何だか素敵に見えた。
「おかえり! 純ちゃん」
 そう声を掛けると、少し嬉しそうな、それでいて精一杯背伸びをした顔をして
「おう、ただいま。また宜しくな」
 そう言ってiPhoneを持った左手を上げた。
「うん、こちらこそね」
 私は何だかそれが妙に嬉しくて嬉しくて……。
 兄貴の車で来ていたので、純ちゃんを乗せて家まで送って行く事にする。
「やっぱり他には誰も駅に来てなんかいなかったな。でも、お前が来てくれたたからいいや!」 」
 サイドシートでタバコを咥えながらつぶやく純ちゃんは少し遠い目をしていた。
「俺も向こうで免許取ったのだけど、ペーパーでね。練習しなくちゃな」
 そうなのだ、この街では車が無いと何も出来ない。それに酒屋さんは配達もする。
「ゆっくり練習すればいいじゃない!」
「ああ、そうだな」
 純ちゃんの吐く紫煙が車の窓から流れて行きやがて消えて行く。それをバックミラーで見ながら繁華街の交差点をゆっくりと右に曲がる。交差点に煙の消えかけが残された。

 翌日から私が純ちゃんの運転の練習の講師になった。車は純ちゃんのお店の軽トラ。免許を取ってから数回しか運転したことのない純ちゃんの運転する車のサイドシートに乗るのは正直怖かったけど、自分から「手伝う」と言った手前、そんな顔は出来なかった。
 初めは空いた道ばかりを選んで走って行く。純ちゃんは最初こそ恐々という感じだったけど、段々慣れて来て、何とかまともに走れるようになった。
 そんな練習を暫くしただろうか、季節は夏になっていた。ある日純ちゃんは
「街の外れにある公園まで俺の運転で練習がてらドライブしないか?」
 無論嫌な訳は無かった。純ちゃんは適応能力が高いのか、ここ暫くで、とても上手になっていた。元々免許を持っているのだから当たり前と言えばそうなのだが……。
 当日、純ちゃんは赤いお洒落な小型車に乗って私の家にやって来た。
「綺麗な車だね」
「姉貴のなんだ。今日は特別な日だから、貸してくれたんだ」
 私は純ちゃんが言うまで正直忘れていた。今日が二人にとって特別な日だと言う事を……」
「なあに?」
 すっかり忘れている私に純ちゃんは呆れながら
「五年前の今日、忘れたか? 高校の屋上で……」
 そこまで言われて思い出した。高校三年生の今日……。
「俺は、東京に行く事を決意して、お前に『帰って来るまで待っていて欲しい』って頼んだ日だぞ」
 そうだっだ! だから私は待っていたのだ。でも、私の記憶では卒業式の後となっている。それを言うと
「まあ、その時も言ったけどな……」
 やはり、その時に記憶がすり替わったのだと理解した。
「乗れよ」
 サイドシートに体を滑り込ませると純ちゃんは静かに車を走り出させた。
「上手くなったろ! もう少ししたら配達も咥えタバコも出来るようになるさ」
 配達は兎も角、正直、タバコは止めて欲しい。私は匂いは気にならないけど、体に悪いから出来れば吸って欲しくなかった。
 公園の駐車場に車を停める。何の問題もなく順調にここまでやって来られた。確かに上手くなったと思った。公園の奥の誰も来ない場所に行く事にする。だって二人だけになりたかったから……。
 平日の昼間。地方の公園の一番奥になんか誰も来ない……ベンチに座ると純ちゃんは私を抱き寄せた。
 曇って来た昼間の空の下で、唇を重ねると純ちゃんは小さな声で
「一緒になろう……いいだろう?」
 私は小さく頷いてもう一度唇を重ねた……。

「おべんと作って来たんだ」
 私は、二人分のお弁当と透明なプラスチック製のコップを二つ取り出した。お茶を入れようとすると
「乾杯しようぜ! アルコールは飲めないけど、ノンアルコールビール買って来るからそれで乾杯しよう」
 それも悪くないと思った。
「でも、持って来ていないよ」
「近くのコンビニで買って来るよ。往復十五分もあれば充分さ」
 純ちゃんはそう言って走って行ってしまった。空を見上げると真っ黒な雲が出ていて、私は雨になると直感した。
 純ちゃんの姿が消えて数分もしないうちに、やはり雨が降って来た。私はお弁当をしまって。ベンチの傍にある東屋に逃げ込んだ。その時、うっかりしてベンチに純ちゃんの為に用意したプラスチック製のコップを置きっぱなしにしてしまった事に気がついた。
 取りに行こうとしたその瞬間、前が見えなくなるほどの雨が降って来た。車軸を流すような雨だった。
 ベンチの上に忘れて来たコップにも雨が降り注ぎ、たちまちコップを満たして行く。やがて、雨はコップから溢れだし、ベンチに降った雨と一緒に流れて行く。
 最初は、早く帰って来れば良いと思っていたが、この雨の中を純ちゃんは運転して行ってしまったのだろうか? それとも、何処かで停まって雨宿りしているのだろうか?
 もし、運転していたら、純ちゃんはこの雨の中をちゃんと走る事が出来るのだろうか? 不安が少しずつ増して行く。ベンチのコップからは滔々と雨水が流れ出して行く。それは私の心と同じだった。
 出来れば何処かで休んでいて欲しい。そして運悪く走っていたら、どうか無事でいて欲しい。
 想う事はそれだけだった。純ちゃんさえ無事だったら後は何も要らないと想った。ベンチのコップは横倒しになり、いっぱいになっていた水が全て流れ出して しまっていた。私の心も不安で溢れてしまって……公園の脇の道を救急車がサイレンを鳴らして走って行く。まさか純ちゃんじゃ無いよね。
 もう、まともに公園の風景も目に入って来なかった。あの救急車に純ちゃんが乗っていたのかも知れないと考えてしまった。

 どのくらい経ったろうか、雨が小降りになって来ていた。時計を見るともう三十分以上経っている。何処かで休んでいてくれれば、このくらいの時間は掛かると思うし、何もなかったと想いたかった。
 くだらない事を考えてしまう自分に嫌気を持ちながらも心の不安が消えない。目を瞑って純ちゃんの無事だけを祈った。
 もう一度時計を見ると四十五分経っていた。幾ら何でも遅すぎる。目の前が真っ暗になる気がした。やはり何かあったのだと覚悟をしようとした時だった……。
 真っ暗な私の心と耳に純ちゃんの声が聞こえて来た。
「悪い悪い、すっかり遅くなってしまって……近くのコンビニが売り切れでさあ、遠くまで買いに行っていたんだよ」
「雨は?」
「ああ、車を停めて小降りになるまで待っていたよ。もう自分だけの体じゃ無いんだ。お前の事を考えたさ」
 それを聞いて思い切り抱きついた。普段そんな事はしないので純ちゃんが驚いていたっけ。その後乾杯したノンアルコールビールの味は僅かにしょっぱかった。

   
                       <了>

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