あるドキュメンタリーを見て書いてみた実験的な小説です。あるいは小説の体になっていないかも知れません。
お話そのものは全くの創作です。特にモデル等はありません。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
その言葉を聞いたのは友人の何気ない、ひと言からだった。
「伯父が、危なかったんだ。最初救急車を頼んだのだけど、救急隊員の方が、『病院まで行ってからの治療では間に合わない。ドクターカーを要請します』って 言ったんだよね。最初は何だか理解出来なかったのだけど、直ぐにお医者さんが来てくれて、治療してくれたんだ。それで助かってね……」
その言葉……「ドクターカー」と言う言葉を初めて聞いた。直ぐに調べると、「消防本部からの要請を受け、医師・看護師・救急救命士などをいち早く救急現 場に派遣する車両です。 患者さんが病院に搬送されてくるのを待たず現場で救命処置を始めることができるため、救命率の向上や後遺症の軽減などの効果が期 待されます」と書かれてあった。ジャーナリストの端くれとして今までこんなシステムがあるのを知らなかった。自分の不勉強を恥じた。
存在を知ると職業柄どうしても取材したくなった。だが仕事が緊急を要する事なので、無闇には申し込めない。調べると全国で五十余りの病院が取り入れてるそうだ。
そのリストを見ていたら、高校の後輩が事務長をやっている病院があった。地方の中堅都市の市立病院だった。仕事が終わる時間を見はらって早速後輩に電話をしてみる。
「先輩、どうしたんですか」
「いや、暫くぶりだね。皆さんお元気かい?」
「ええ。息災ですけど……」
「それは良かった。ところで君の病院でドクターカーを運用してるよね。良かったら取材させてくれないかな? 色々な場所で発表して、この制度をもっと良く知って貰いたいんだよ」
私の突然の申し込みに後輩は驚いたが、
「理事長やそのドクターカーのチームにあたってみます」
そう言って口だけは利いてくれる事になった。
高速を降りて、目的の病院に向かって行く。インターから車で二十分の場所にそれはあった。
「○□市立病院」と書かれた門を入って行くと広い駐車場に車を止めた。取材の申し込みは簡単に降りた。何でもこの制度を広く知って貰いたいからだそうだ。受付で名前を言って名刺を出すと少し待って理事長と言う人が出て来てくれた。
「理事長の高橋です」
「フリーのジャーナリストの若槻です」
「どうぞこちらへ」
応接室……とも呼ぶのだろうか、そんな感じの部屋に通されてた。事務員とおぼしき方がお茶を持って来てくれて、一礼して去って行った。こちらも恐縮する。
事務員さんが去るのを目視して理事長が語りだした。
「日本では、救急車によって救急医療機関に搬送して医師により診察を受ける救急医療体制が長い間続いています。でもその為、治療開始までの時間が長くなり 救命率の低下につながっている事も事実でした。一部の救命センターでは、救急ヘリに搭乗し、現場への医師派遣、広域救急搬送を行っている場合もあります。 しかしながら、ヘリが飛べない悪天候時等や、ヘリの降りる場所が近くにない場合には、救急車による陸路の輸送しか手段がなく、治療開始までに時間がかかっ ていたのです。また、交通事故などの外傷で救出に時間がかかるようなケースでは、現場への医師派遣は初期治療の上でさらに必要性が高かまっていました。そ のため、少しでも早く傷病者が医師と接触できる手段のひとつとして、救急現場等に医師や看護師を運ぶドクターカーが導入されるようになったのです。救急現 場や搬送途中から救命治療を開始する体制を整備し、治療開始までの時間をほぼ半減させることで救命率の向上を図ろうとしています」
なるほど、その存在意義は大きいと言わなければならないだろう。
「実績としてはどうなんですか?」
「我が市では救命率が格段に向上しました。特に我が市の様な地方都市では住人の平均年令が高いので、従来の救急車だけではどうしようも無かった事は事実です。勿論、ドクターカーと救急車を併用する事が絶対条件だと思っています」
後から知ったのだが、この高橋理事長は地元の旧家の生まれで、色々な方面に伝手があり、ドクターカーの導入にもそれが随分役に立ったそうだ。市議会や市長など、説得する方面は多かったと思われた。
「それでは、ドクターカーの責任者で「緊急医療科」の山田医師を紹介します。ご案内致します」
高橋理事長に連れられて、地下に降りて行く。理事長が
「ドクターカーは通常の駐車場や車両の出入り口とは別な所から発車します。表側だと患者さんの車とバッテングする可能性もありますからね。要請を受けてから二分以内に出なければならないので、別に設けたのです。
地下は色々な検査センターになっており、その奥の一室に「緊急医療科」はあった。脇にはドクターカーが二台止まっていた。白地のライトバンタイプの車 で、脇に大きくドクターカーである事と病院のトレードマークが書かれている。屋根には赤色灯が乗せられていた。二台あるのを見て、医師が複数いるのだと 思った。
「医師は、責任者の山田医師を始め、常駐が二名と研修医が二名居ます。二四時間態勢の為交代勤務になっていますが、手が足りない場合は何処に居ようと連絡して来て戴きます。そのような態勢になっています」
これまでにも取材があったのだろう。高橋理事長の説明には無駄が無い。
「さあ、どうぞ、これから先は山田医師にお尋ね下さい」
そう高橋理事長が言って去って言った。私は部屋に入り、自己紹介をして名刺を渡す。
部屋はやや大きめだが、色々な場所に医療道具が置いてあり、中には充電している機器もあった。出先で使うので電源がある場所とは限らないからだ。
「ここの責任者の山田祐則です」
短く自己紹介をしてくれたので、早速取材に入る。ちなみに今日は先ほど交代で非番になったそうだ。
「まず初めに、どうしてドクターカーに乗る事になったのですか?」
私の質問に山田医師はおだやかな顔をして
「以前は緊急救命センターに居ました。でも、そこで手遅れの患者さんが余りにも多いので、このままでは駄目だと思ったんです。何かいい考えが無いかと思っ ていたら、ドイツから帰って来た大学時代の友人が、ドイツでは『ドクターカー』という制度があるって教えてくれたんです。それを聴いて、ドイツまで行って 制度を学んだのです」
「でも、日本でそれを行うには色々と壁があったと思うのですが」
「そうですね。幸い、ここの高橋理事長とは以前から懇意でしたから、相談させて戴きました」
その時だった。部屋の無線機器が鳴り出して、出動の要請が来た。係の者が出て消防本部指令センターと場所や情報を共有した。隣の部屋で待機していた医師と看護師二名が、機材を乗せて出動して行った。手慣れている感じだったが、その緊張感は私にとって未体験だった。
『毎日こんな緊張感の中を過ごしているのか……』
それが偽らざる気持ちだった。
「本当に緊急なんですね。現実に見て、それを実感しました」
私の言葉に山田医師は
「患者さんの命が助かる事が第一です。その為にこのシステムを立ち上げたのですから」
その時、また部屋の無線機器が鳴り出した。先ほどの出動から数分しか経っていない。今度は山田医師が出向く事になった。情報が消防本部指令センターから送られて来る。なんでも心肺停止になりそうだと言う事だった。
「一緒にどうですか。全てを見て、確実に伝えて下さい」
その言葉に迷っている暇無かった。カメラとICレコーダーを持ってドクターカーに同乗させて貰う。他の乗員は山田医師と看護師だ。それと運転士兼臨床医 の四名に私だった。場所は病院から数キロ先の一軒家で恐らく農家なのだと思う。入って来る連絡では、家の仕事場で作業中に倒れたのだと言う。
現場に到着すると、救急車が到着しており、降りて患者の居る場所に向かう山田医師に隊員が色々な情報を提供する。
「止まったのか?」
「はい、先程」
「何分」
「二分ですか」
「すぐに蘇生を開始する」
素人目には良く判らなかったがAEDと呼ばれる心臓の蘇生装置の本格的なヤツで何回か蘇生を試みる。心臓マッサージを懸命に試みる山田医師……
何か注射もしている。きっと蘇生に係わる薬剤なのだろう。専門的な言葉が飛び交っている。それらを録音して行く。後で調べて書いて行くつもりだ。
数回目のショックを試みて、どうやら動き出したようだ。救急車に患者と山田医師が乗って病院に向かって行く。勿論市立病院だ
その後、その患者さんは助かったと言う事だった。あれがドクターカーでは無く通常の救急車で運搬していたら、まず助からなかったと言う事だった。
全てが終って、再びインタビューを試みる。
「本当に緊急なんですね。同乗させて戴き、それが良く判りました」
私の言葉に山田医師は、やや皮肉めいた表情をしながら
「でもね。これは必要ならざる制度なんです。東京などではドクターカーの制度を持っている病院はありません」
その言葉が以外だった。
「何故ですか? どうして東京など大都会にはドクターカーの制度は無いのですか?」
「それは、都会には近距離に高度医療を受けられる設備が沢山あるからです。ドクターカーの制度と言うのは、言わば、病院の足りなさを補う制度でしか無いんですよ。本当は日本の何処に住んでいても、短時間で病院で診察して貰えなければならないのです」
山田医師の言葉は私の心の底に深く残った。
「では虚しくなる事が多いと言う事ですか?」
「それとも違いますね。患者さんが助かって嬉しくない医者はいませんよ。そうですねえ……『風に吹かれて』ですね」
「え……ボブ・ディランのですか?」
「そう、Blowin' in the Wind ですよ。どれだけの道を歩けば、一人前と認められるのか、どれだけの人の死を見れば目覚めるのか……答えは風の中にある……それは自分自身の中にあるのです」
「山田さんは未だ五十台でしょう? ボブ・ディランには遅いんじゃ無いですか?」
私が笑って言うと、山田医師は
「ボブ・ディランはフォークですが、気持ちはロックンロールですよ」
「はあ?」
どうやら山田医師は禅問答がお好きなようだ。
「ロックンロールですか?」
「そうです。気持ちは常にロックンロールですよ。語源を知っていますか?」
「いいえ、不勉強で……」
「語源は、『さあ行こう!』と言う意味です。ロックンロールは前進する歌なんです。私達ドクターカーの連中も停まっていては駄目なのです。常に前に向かって行かなければ……」
最後に山田医師始め、ドクターカーの皆さん、高橋理事長に御礼を行って病院を後にした。何か良い記事が書けそうな予感がしていた。
<了>
お話そのものは全くの創作です。特にモデル等はありません。
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その言葉を聞いたのは友人の何気ない、ひと言からだった。
「伯父が、危なかったんだ。最初救急車を頼んだのだけど、救急隊員の方が、『病院まで行ってからの治療では間に合わない。ドクターカーを要請します』って 言ったんだよね。最初は何だか理解出来なかったのだけど、直ぐにお医者さんが来てくれて、治療してくれたんだ。それで助かってね……」
その言葉……「ドクターカー」と言う言葉を初めて聞いた。直ぐに調べると、「消防本部からの要請を受け、医師・看護師・救急救命士などをいち早く救急現 場に派遣する車両です。 患者さんが病院に搬送されてくるのを待たず現場で救命処置を始めることができるため、救命率の向上や後遺症の軽減などの効果が期 待されます」と書かれてあった。ジャーナリストの端くれとして今までこんなシステムがあるのを知らなかった。自分の不勉強を恥じた。
存在を知ると職業柄どうしても取材したくなった。だが仕事が緊急を要する事なので、無闇には申し込めない。調べると全国で五十余りの病院が取り入れてるそうだ。
そのリストを見ていたら、高校の後輩が事務長をやっている病院があった。地方の中堅都市の市立病院だった。仕事が終わる時間を見はらって早速後輩に電話をしてみる。
「先輩、どうしたんですか」
「いや、暫くぶりだね。皆さんお元気かい?」
「ええ。息災ですけど……」
「それは良かった。ところで君の病院でドクターカーを運用してるよね。良かったら取材させてくれないかな? 色々な場所で発表して、この制度をもっと良く知って貰いたいんだよ」
私の突然の申し込みに後輩は驚いたが、
「理事長やそのドクターカーのチームにあたってみます」
そう言って口だけは利いてくれる事になった。
高速を降りて、目的の病院に向かって行く。インターから車で二十分の場所にそれはあった。
「○□市立病院」と書かれた門を入って行くと広い駐車場に車を止めた。取材の申し込みは簡単に降りた。何でもこの制度を広く知って貰いたいからだそうだ。受付で名前を言って名刺を出すと少し待って理事長と言う人が出て来てくれた。
「理事長の高橋です」
「フリーのジャーナリストの若槻です」
「どうぞこちらへ」
応接室……とも呼ぶのだろうか、そんな感じの部屋に通されてた。事務員とおぼしき方がお茶を持って来てくれて、一礼して去って行った。こちらも恐縮する。
事務員さんが去るのを目視して理事長が語りだした。
「日本では、救急車によって救急医療機関に搬送して医師により診察を受ける救急医療体制が長い間続いています。でもその為、治療開始までの時間が長くなり 救命率の低下につながっている事も事実でした。一部の救命センターでは、救急ヘリに搭乗し、現場への医師派遣、広域救急搬送を行っている場合もあります。 しかしながら、ヘリが飛べない悪天候時等や、ヘリの降りる場所が近くにない場合には、救急車による陸路の輸送しか手段がなく、治療開始までに時間がかかっ ていたのです。また、交通事故などの外傷で救出に時間がかかるようなケースでは、現場への医師派遣は初期治療の上でさらに必要性が高かまっていました。そ のため、少しでも早く傷病者が医師と接触できる手段のひとつとして、救急現場等に医師や看護師を運ぶドクターカーが導入されるようになったのです。救急現 場や搬送途中から救命治療を開始する体制を整備し、治療開始までの時間をほぼ半減させることで救命率の向上を図ろうとしています」
なるほど、その存在意義は大きいと言わなければならないだろう。
「実績としてはどうなんですか?」
「我が市では救命率が格段に向上しました。特に我が市の様な地方都市では住人の平均年令が高いので、従来の救急車だけではどうしようも無かった事は事実です。勿論、ドクターカーと救急車を併用する事が絶対条件だと思っています」
後から知ったのだが、この高橋理事長は地元の旧家の生まれで、色々な方面に伝手があり、ドクターカーの導入にもそれが随分役に立ったそうだ。市議会や市長など、説得する方面は多かったと思われた。
「それでは、ドクターカーの責任者で「緊急医療科」の山田医師を紹介します。ご案内致します」
高橋理事長に連れられて、地下に降りて行く。理事長が
「ドクターカーは通常の駐車場や車両の出入り口とは別な所から発車します。表側だと患者さんの車とバッテングする可能性もありますからね。要請を受けてから二分以内に出なければならないので、別に設けたのです。
地下は色々な検査センターになっており、その奥の一室に「緊急医療科」はあった。脇にはドクターカーが二台止まっていた。白地のライトバンタイプの車 で、脇に大きくドクターカーである事と病院のトレードマークが書かれている。屋根には赤色灯が乗せられていた。二台あるのを見て、医師が複数いるのだと 思った。
「医師は、責任者の山田医師を始め、常駐が二名と研修医が二名居ます。二四時間態勢の為交代勤務になっていますが、手が足りない場合は何処に居ようと連絡して来て戴きます。そのような態勢になっています」
これまでにも取材があったのだろう。高橋理事長の説明には無駄が無い。
「さあ、どうぞ、これから先は山田医師にお尋ね下さい」
そう高橋理事長が言って去って言った。私は部屋に入り、自己紹介をして名刺を渡す。
部屋はやや大きめだが、色々な場所に医療道具が置いてあり、中には充電している機器もあった。出先で使うので電源がある場所とは限らないからだ。
「ここの責任者の山田祐則です」
短く自己紹介をしてくれたので、早速取材に入る。ちなみに今日は先ほど交代で非番になったそうだ。
「まず初めに、どうしてドクターカーに乗る事になったのですか?」
私の質問に山田医師はおだやかな顔をして
「以前は緊急救命センターに居ました。でも、そこで手遅れの患者さんが余りにも多いので、このままでは駄目だと思ったんです。何かいい考えが無いかと思っ ていたら、ドイツから帰って来た大学時代の友人が、ドイツでは『ドクターカー』という制度があるって教えてくれたんです。それを聴いて、ドイツまで行って 制度を学んだのです」
「でも、日本でそれを行うには色々と壁があったと思うのですが」
「そうですね。幸い、ここの高橋理事長とは以前から懇意でしたから、相談させて戴きました」
その時だった。部屋の無線機器が鳴り出して、出動の要請が来た。係の者が出て消防本部指令センターと場所や情報を共有した。隣の部屋で待機していた医師と看護師二名が、機材を乗せて出動して行った。手慣れている感じだったが、その緊張感は私にとって未体験だった。
『毎日こんな緊張感の中を過ごしているのか……』
それが偽らざる気持ちだった。
「本当に緊急なんですね。現実に見て、それを実感しました」
私の言葉に山田医師は
「患者さんの命が助かる事が第一です。その為にこのシステムを立ち上げたのですから」
その時、また部屋の無線機器が鳴り出した。先ほどの出動から数分しか経っていない。今度は山田医師が出向く事になった。情報が消防本部指令センターから送られて来る。なんでも心肺停止になりそうだと言う事だった。
「一緒にどうですか。全てを見て、確実に伝えて下さい」
その言葉に迷っている暇無かった。カメラとICレコーダーを持ってドクターカーに同乗させて貰う。他の乗員は山田医師と看護師だ。それと運転士兼臨床医 の四名に私だった。場所は病院から数キロ先の一軒家で恐らく農家なのだと思う。入って来る連絡では、家の仕事場で作業中に倒れたのだと言う。
現場に到着すると、救急車が到着しており、降りて患者の居る場所に向かう山田医師に隊員が色々な情報を提供する。
「止まったのか?」
「はい、先程」
「何分」
「二分ですか」
「すぐに蘇生を開始する」
素人目には良く判らなかったがAEDと呼ばれる心臓の蘇生装置の本格的なヤツで何回か蘇生を試みる。心臓マッサージを懸命に試みる山田医師……
何か注射もしている。きっと蘇生に係わる薬剤なのだろう。専門的な言葉が飛び交っている。それらを録音して行く。後で調べて書いて行くつもりだ。
数回目のショックを試みて、どうやら動き出したようだ。救急車に患者と山田医師が乗って病院に向かって行く。勿論市立病院だ
その後、その患者さんは助かったと言う事だった。あれがドクターカーでは無く通常の救急車で運搬していたら、まず助からなかったと言う事だった。
全てが終って、再びインタビューを試みる。
「本当に緊急なんですね。同乗させて戴き、それが良く判りました」
私の言葉に山田医師は、やや皮肉めいた表情をしながら
「でもね。これは必要ならざる制度なんです。東京などではドクターカーの制度を持っている病院はありません」
その言葉が以外だった。
「何故ですか? どうして東京など大都会にはドクターカーの制度は無いのですか?」
「それは、都会には近距離に高度医療を受けられる設備が沢山あるからです。ドクターカーの制度と言うのは、言わば、病院の足りなさを補う制度でしか無いんですよ。本当は日本の何処に住んでいても、短時間で病院で診察して貰えなければならないのです」
山田医師の言葉は私の心の底に深く残った。
「では虚しくなる事が多いと言う事ですか?」
「それとも違いますね。患者さんが助かって嬉しくない医者はいませんよ。そうですねえ……『風に吹かれて』ですね」
「え……ボブ・ディランのですか?」
「そう、Blowin' in the Wind ですよ。どれだけの道を歩けば、一人前と認められるのか、どれだけの人の死を見れば目覚めるのか……答えは風の中にある……それは自分自身の中にあるのです」
「山田さんは未だ五十台でしょう? ボブ・ディランには遅いんじゃ無いですか?」
私が笑って言うと、山田医師は
「ボブ・ディランはフォークですが、気持ちはロックンロールですよ」
「はあ?」
どうやら山田医師は禅問答がお好きなようだ。
「ロックンロールですか?」
「そうです。気持ちは常にロックンロールですよ。語源を知っていますか?」
「いいえ、不勉強で……」
「語源は、『さあ行こう!』と言う意味です。ロックンロールは前進する歌なんです。私達ドクターカーの連中も停まっていては駄目なのです。常に前に向かって行かなければ……」
最後に山田医師始め、ドクターカーの皆さん、高橋理事長に御礼を行って病院を後にした。何か良い記事が書けそうな予感がしていた。
<了>