2015年10月

心の食堂  第9話 心の味を求めて

 満月の夜だけ現れる食堂……店の暖簾には「心の食堂」と書かれている。今夜もそれを潜り新しいお客がやって来た……
「こんばんは~、満月の夜だけ現れる食堂と言うのはここですか?」
「いらっしゃいませ~、はい、そうですよ。ここが『心の食堂』です」
 みちこはが愛想よく答えると、暖簾から半身だけ店の中に入れていた娘は扉を開いて完全にその姿を店の中に入れた。歳の頃なら高校生ぐらいの感じの少女だった。短くカットした髪の毛が僅かに頬まで伸びていた。
「実はお願いがあってやって来たんです」
「お願い? ここは食堂だから、食べる事以外は出来ないのよ」
 みちこの言葉に少女は訴えるように
「沢山の人に訊いて、色々な噂を耳にして、ここしか無いと思って、何ヶ月も探して来たのです」
 どうやら、単に食事に来たのでは無いと奥の調理場に居るまさやも感じていた。
「良かったら詳しく話してみて下さい。お力になれるかは、聞いてからですね」
 まさやの言葉に少女は頷いて話し始めた。
「私は、近県の県立高校に通う高校二年生です。名前を若井彩音(わかいあやね)と言います。母は随分前に病で亡くなりました。今は父と弟との三人暮らしです。経済的に困っている訳ではありません。ごく普通の暮らしをしています」
 高校二年生にしては随分大人びた感じがした。体格は小柄だが、目つきがしっかりしていて目に力があった。色白で赤い唇が印象的だった。
「それで、何を頼みたいのかな?」
 まさやは直感でこの少女の頼みがおおよそ想像出来ていた。それでも、こちらから聴き出すような事はしない。あくまでも相手が言うのを待つのだった。
「あのう……母の味を教えて欲しいのです!」
「彩音ちゃんって言ったけ? 俺はあなたのお母さんとは知り合いでは無いのだけどね」
「それは判っているのです。でも、ここに来ればどうにかなると思って……すいません。無茶なのは良く判っているのです。実は私ではなく弟の為なのです」
「弟さんの為?」
 みちこが小首を傾げて不思議がると、後ろに立っていたまさやは、みちこの前に出て来て
「どういう事なのか、何か事情があるみたいだが……良かったら聞かせてくれないかな」
 まさやの言葉に彩音は事情を語り出した。
「母が亡くなったのは私が小学五年生の時でした。癌でした。私は事情を良く判っていましたが、当時幼稚園児だった弟は良く判らなくて。実際母の記憶も殆ど 無いのです。今年、弟もあの時の私と同じ年令になりました。学校の授業で色々な事を学びます。そのひとつに「おふくろの味」という言葉が国語の教科書に出 て来たそうなんです。先生の説明に、クラスの他の子は皆両親が揃っていますが、弟は母の顔さえ知りません。学校から帰って来てポツリと『姉ちゃん。俺、お ふくろの味ってもう一生味わえないんだね』って言ったのです。亡くなった母は料理上手で色々な料理を拵えて食べさせてくれました。私は覚えています。母の 料理の美味しさを……でも弟は何も覚えていないのです。それが判ると姉として私は弟に母の味を味わらせてあげたいと思ったのです」
 まさやは「心の食堂」を開いてから、尤も難関な問題が持ち込まれたと思った。この次の満月の夜までなら向こうの世界で本人を探して来るという事も出来なくはないが、既に生まれ変わっていればお手上げだ。残るはまさやの知識を総動員して突き止めなければならなくなった。
「おふくろの味と言うと良く引き合いに出されるのが『肉じゃが』ですが、お母さんは作っていましたか?」
 まさやの問い掛けに彩音は
「はい、良く作ってくれていました。ですから私も記憶を頼りに作ってみたのですが……」
 そう言ってうなだれた。
「どの様なのを作りましたか?」
「普通のです。じゃがいもと人参と玉葱ときのこも入っていました。椎茸とかシメジとか」
「肉は?」
「牛肉と豚肉でも作りましたが、何か違っていました。母のとは違うのです」
 彩音の言葉を聞いてまさやは、彩音の母親が何処の出身か気になった。
「お母さんは何処の生まれですか?」
 まさやの質問に彩音は記憶を辿るように考えてから
「確か秋田です。秋田の生まれと言っていました」
 それを聞いてまさやはある事が思い当たった。秋田の一部では「肉じゃが」に比内鳥を使う所があるのだ。以前自分も秋田に行った時に食べた事があった。正直「肉じゃが」というより「鶏とじゃがいもの煮込み」と言った感じだったのを思い出した。
 まさやは彩音に「少し待っててね」と伝えると調理場に入って行った。そして何やら作業を始めたのだった。
 暫くしてまさやは深めのお皿を手にして調理場から出て来た。
「純粋な比内鳥では無いけど比内鶏と地鶏の掛け合わせの鶏で作った「肉じゃが」です。これでは無いですか?」
 出された「肉じゃが」を一口食べた彩音は
「美味しい! 物凄く美味しいです……でも、この味じゃありません。すいません…でも少し思い出しましたが、何か赤い肉だった気がしました。牛肉みたいな色でしたが、風味が違っていました」
 まさやの知識では「肉じゃが」に使う肉の種類だが、地方によって違うが大体は牛肉か豚肉だ。主に西が牛、東が豚と言われている。その他には秋田の比内鳥や地域によっては鯨を使う所もあるのだ。
「お父さんは味を覚えて無いのかな?」
 まさやは、このような時は夫でもある父親が覚えていたりするものだがと考えた」
「父は母の作った料理は『旨か旨か!』と言って食べていました」
 まさやは、それを聞いて、ある考えが浮かんだ。そして急いで何処かに電話をした。
「そうか、あるんだな。直ぐに持ってこれるか?……そうか、じゃ宜しく頼む」
 まさやはそう言って電話を切ると彩音に向かって
「暫く待ってくれれば望みにものが食べさせられると思うよ」
 そう言って彩音を喜ばせた。
「本当ですか!」
「ああ、君のお父さんは熊本生まれだね?」
「はい、でもそれが……」
「それで判ったんだ。あれを使っていたら、風味が全く違うからね」
 彩音は、父の言った一言だけで判ったまさを、凄いと思った。
 やがて、黒一色の格好をした業者が何かをまさやに届けてくれた。一体彼は何処から来たのだろうか?
「材料が届いたから、少し待っていてね」
 それだけを言うとまさやは再び調理場に入って行った。

 料理場からは圧力鍋の蒸気が規則的に「シュ、シュ」と噴上がる音がする。やがてそれが消えるとまさやは忙しそうに手を動かし始めた。そして材料を鍋に入れて火に掛けた……
「さあ出来たよ。今度は間違い無いと思う。君のお母さんが作った「肉じゃが」に近い味がするはずだ」
 出された「肉じゃが」を一口食べて彩音の表情が輝いた。そして頬を涙が流れて行く。
「これです! この味です。これが母が良く作ってくれた『肉じゃが』の味です。でもこの風味は……」
 不思議がる彩音に
「これは馬スジを柔らかくなるまで煮込んでいます。牛とも豚とも違う独特の風味です。さっぱりしてるのに旨味が強い。馬ならではの味なんです」
「でも、どうして、馬だと判ったのですか?」
「あなたのお父さんの『旨か』という言葉からです。それは九州の言葉ですね。それも熊本地方の表現です。熊本は馬を良く食べます。馬スジの郷土料理も沢山 あります。当然「肉じゃが」にも馬スジを使います。あなたのお母さんは自分の故郷の比内鶏ではなく、夫の故郷の馬スジを使ったのです。素晴らしいお母さん ですね」
「そうだったのですか……私は全く知りませんでした。ひとつ両親の良い所を教えて貰いまいした。ありがとうございます!」
「きちんとしたレシピを書いておきます手間は掛かりますが、それだけの事のある料理ですよ」
 まさやの言葉に彩音は涙を浮かべながら
「ありがとうございます! これで弟も喜びます」
「判らない事があれば満月の夜にはここに居ます。また来て下さい」
「はい、今度は弟も連れてお礼に来ます!」
 彩音は慈しむように、馬スジの肉じゃがを楽しむのだった。彼女にとって暫くぶりの母の味でもあったからだ。

心の食堂  第8話  女性の好きな秋の味覚

 満月と言うのは人の心を怪しくもさせ、また色々に変化(へんげ)させるものなのかも知れない……
 浩二は、窓の外に浮かぶ満ちた月を眺めていた。隣には一人の女性が浩二の肩に頭をもたげていた。そっと右腕を伸ばしてその華奢な肩を抱くと
「やっぱり、あのお店って不思議なお店なのね。まさか、この前まで浩二くんと恋人の関係になるなんて思わなかったもの」
「ああ、そうだね。それは僕もそう感じていた所さ。人の縁の不思議さをね」
 二人は一枚の毛布に包まりながら何時迄も月を眺めていた。

 満月食堂に現れる度にやって来る浩二が困惑した表情で暖簾をくぐって店に入って来た。
「いらっしゃい! あら、どうしたの? 思い詰めた顔をして……」
 みちこが浩二を心配して声を掛けると
「ああ、すいません。考えごとしていたものでして……ああ、そうか、まさやさんとみちこさんに相談すれば良かったのか!」
 浩二の言った内容が食べ物の事だと見抜いたみちこは奥の調理場に向かって
「浩二さんが相談あるみたいよ」
 声を掛けると中から白衣姿のまさやが姿を見せた。
「どうしました? 食べ物の事で悩んでいるなら多少はお役に立てるかも知れませんね。多分こんなサラダがうってつけなんじゃ無いですか?」
 この食堂が不思議なのは今に始まった事では無いが、それにしても未だに口にしていない自分の悩みまで判っているとは驚きだった。そして出された料理を見て驚いた。それは今まで浩二が見たことの無いものだったからだ。
「これは……サラダですか?」
 浩二がガラスの器に目を落としたまま尋ねると
「そうです。薩摩芋と栗のサラダです。白く掛かっているのはソースです。それを付けて食べてみて下さい」
 まさやはそう言って銀の小さなスプーンを手渡した。このガラスの器も銀のスプーンも、うらぶれた感のあるこの食堂にはおよそ相応しくない感じがした。だ が言われた通りに潰された薩摩芋と細かくカットされた栗、それの上にたっぷりと掛かった白いソースの部分をスプーンで掬って口に入れた。
 何と言う味だろうか! 薩摩芋の甘さと栗の甘さが程よく口の中で融け合っていた。それを濃厚な白いソースが皿に贅沢な感触を与えていた。
「こんなの今まで食べた事が無い! これはいったい?」
 浩二の驚きが少し収まるのを待って、まさやが解説をする。
「この薩摩芋は実は特殊な種類でしてね。伝手で手に入れたのです。確か、生のままでは鹿児島県からは出せないと思いました。栗は丹波篠山のものです。薩摩 芋は石焼で蒸すように火を通しました。薩摩芋のデンプンは時間を掛けてやればやるほど甘さが増します。これを木の包丁でざっくりとほぐしました。栗は皮を 剥いて甘露煮にしました。但し、この場合は甘さを抑えています。程よい甘さと薩摩芋のほくほく感を損なわないようにしました。
 浩二は言われてガラスの器に目を落とすと刻まれた栗が艶やかに光っていた。まるで、それは宝石の輝きにも似ていると思った。
「どうりで、口の中の感触が最高でした。でも、このソースが半端なかったです。これは生クリームが使われているのは判りましたが、それだけでは無いと……」
 浩二の質問にまさやは
「そうですね。ベースはジャージー種の牛乳から作った生クリームです。それにヨーグルトや砂糖、それに色々な調味料を入れてます。濃厚でそれでいてさっぱりと感じて貰えたと思います」
 浩二は、もう一度スプーンで掬って同じように口に入れてみた。ホクホクした薩摩芋の甘さに僅かに固い栗の甘さが舌の上で絡みあう。その後を濃厚でそれで いて爽やかなソースが覆い尽くして行く。浩二は食べる事が官能であるとこの時初めて感じていた。そして、その時会社での出来事を思い出していた。
 それは同じ課の満代と言う女子社員の事だった。来客や顧客からの電話の受け答えも愛想良く、気の使い方も浩二は気に入っていた。特別な美人では無かったが、性格の良さが顔にも出ていて、魅力的な女性だった。
 浩二は以前からこの満代をデートに誘おうと努力していたが、食事等は二度ばかし誘う事が出来たが、食事代を払おうとすると「割り勘で」と言われ、目論見は上手く行かなかった。
 それからデートに誘っても余り上手く行かなかったのだ。その満代が同僚の女子社員と話している会話を偶然耳にしたのだった。
 それは「秋の味覚」についてだった。どうも「一風変わった美味しいものが食べたい」と言う内容だった。
 まさやの出してくれたサラダを口にして浩二は「これだ!」と閃いたのだった。
「でも、どうして判ったのですか? ……まあ、今更なんですが」
 途中まで口にして思わず笑ってしまった。このような不思議な事は今までも幾らもあったからだ。
「これ、次の満月にある娘を連れて来ますから、もう一度食べさせてくれますか?」
 浩二の頼みにまさやは首を傾げた
「う~ん次の満月だと栗は兎も角、薩摩芋が特殊なのでそのままでは難しいですね。でも『秋の味覚』なら若干アレンジしたものを出しますよ」
 その言葉を聞いて浩二は安堵した。まさやが、そう言うなら安心出来たからだ。
「じゃあ、お願いします!」
 その後、鯖味噌定食を楽しんで浩二は帰って行った。それを見送ったみちこは
「浩二さん。本気で口説きに掛かってるのね。真剣なんだ……良いわね~私達も、あんな頃もあったわね」
 みちこの言葉にまさやは
「今だってそうだろう!」
 そう言ってみちこの頭を軽く指先で叩くのだった。

 さて、次の満月の夜である。果たして浩二は満代を連れて来る事が出来るだろうか……
「本当なんだよ。信じて欲しいんだ。必ず君を満足させるから!」
 裏道を二人で歩きながら、一生懸命に話しているのはどうやら浩二のようだった。隣にはスタイルの良い女性が一緒に歩いている。
「まあ、良いわ。信じてあげる。結局は何時ものようにデートの口実でしょ。それも悪くないけど、何だか言い訳ぽい感じがするわね。いつもの浩二くんらしくないわ」
「いや、そう言われてもそれが真実だから。僕は欲得ずくで言ってるんじゃ無いんだ。そこの店の主は必ず満代ちゃんを満足させられるから」
「そう……じゃあ、本当に私が心の底から満足したら、付き合ってあげる。そこまで私の事を想ってくれるなら、本望よ!」
 満代の言葉を耳にして浩二は気持ちが高まって来るのを自分でも感じるのだった。
「こんばんは~」
「いらっしゃいませ~ あら本当に連れて来たのね」
 浩二が暖簾をくぐって入って来るとみちこは笑顔でそう出迎えた。
「はい、連れて来ました。今日は宜しくお願いします」
 浩二がそう言って何時もの席に満代と並んで座った。みちこは調理場に入るとまさやに向かって
「浩二さん、何かいい雰囲気なんじゃ無いかしら。普通は向かい合いで座るものだけど、並んで座ると言う事は女の子も満更じゃ無いのね」
「それはそうだろう。嫌な奴と一緒にこんな場末には来ないよ。さて、これだ、持って行ってくれ」
 みちこはまさやからガラスの器を受け取ると浩二と満代の所に持って行った。この前の様に銀のスプーンが添えられていた。
「今日は薩摩芋の代わりに南瓜を使いました。まずは食べて見て下さい。後ほど店主が説明します」
 みちこが下がると浩二は満代の前にガラスの器を滑らせて
「食べて見て! 絶対満足するはずだから」
 浩二に言われて満代は銀のスプーンで南瓜と栗とそれに掛かっているソースの部分を掬うと口に入れた。一瞬の後、満代の顔が輝いた。
「これ! 凄い! こんなの初めて!」
 輝く満代の表情を横目で見ながら浩二は深い満足を得ていた。やはり頼んで、そして連れて来て良かったと思った。
「浩二くん。不束者ですが宜しくね」
 満代が浩二に抱きついていた。その様子を調理場から覗いていたまさやはみちこに向かって
「どうやら上手く行ったみたいだな。良かったよ」
 そう言って店の方に出て来た。
「ご満足戴いて良かったです。浩二さんにはこの前言っておいたのですが、今日は薩摩芋の代わりに南瓜を使いました。北海道産のえびすかぼちゃです。水分が 少なくとてもホクホクしています。栗は丹波篠山産ですし、ソースにはジャージー種の牛乳から作った生クリームをベースにヨーグルトや砂糖、それに色々な調 味料を入れてます」
 まさやの説明に満代は
「南瓜に栗がこんなに合うなんて知りませんでした。南瓜のサラダと言うとレーズンだとばかりだと思っていました」
「栗も合うでしょう。気に入って貰えましたか?」
「はい」
「これは、このサラダのレシピです。家でも作ってみて下さい。これには南瓜が大事になるので、出来るだけ良いものを使って下さいね。それから栗は市販の甘露煮を使っても出来ます。一から作るのは栗の場合は大変ですからね」
「ありがとうございます! 家でも作ってみます!」
 満代はまさやとみちこに礼を言った。その後、浩二の好きな例の定食を食べて帰って行った。その姿を見送りながらまさやは
「満代さんは前から浩二君の事を想っていたんだな。だから今回も浩二君と一緒に来たのだな」
 そう言うと、みちこは嬉しそうに
「切っ掛けって大事なんですよ。少しでも若い人の背中を押せたら良いじゃないですか」
 そう答えてまさやの手を握った。

 一枚の毛布に包まりながら満代は浩二に
「満月の度に連れて行ってね。約束よ」
「ああ、必ず連れて行くよ」

 今夜も満月が天空に輝いていた。
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