2015年08月

心の食堂  第3話  満月食堂

 「あれ、あなたは、この前の満月の晩に、鯖味噌定食をお食べになった方ですね」
 厨房の奥から店主で調理を担当している、やや背の高い色白の男が出て来た。
「そうです! 覚えておいてくれましたか」
「一度お見えになったお客様は忘れませんよ。もしかして、あれから毎日この辺りを探していたのですか?」
「はい、毎日仕事が終わると、この辺りを探していました。でもどうしても見つけられなかったのです」
 浩二が今までの事を説明すると、店主は謎めいた表情をして
「この店は、満月の晩しか現れないのです。それ以外はそれを必要とする方しか来られないのですよ」
 店主の説明に浩二は頭を振って
「そんな馬鹿な……それならこの店はこの世のものでは無いと言う事になってしまうじゃないですか?」
 そう言って店主に食い下がった。
「もし、そうならどうしますか?」
 店主は相変わらず謎めいた表情をしている。
「どうしても、そうは思えません。だって自分はあの晩に素晴らしい鯖味噌を食べさせて貰った。あれが幻である訳がありません。それに今だって……」
 浩二はどうしても店主の説明が納得出来なかった。
「やれやれ仕方ありませんな。では本当の事をお教えしましょう。他言無用ですよ。これからも満月の晩にここで食事をなさりたければですがね。尤もこれから言う事を他所で話しても信用されないでしょうけれど、秘密は守って戴けますね?」
 店主は一転凄みを増した表情になって、浩二は思わず唾を飲み込んだ。
「守ります。守る事でここで食事が出来るなら誰にも言いません!」
「そうですか。それを聞いて安心しました。今何か作りますから、それを食べながらでも説明しましょう」
 店主はそう告げると厨房に入って行き、作業を始めた。浩二は何を食べさせてくれるのかと興味津々だった。
 出されて来たのは、豚の「生姜焼き定食」だった。一見何の変哲もない只の生姜焼きに思えた。
「どうぞ、お食べになってみてください」
 女将さんがにこやかに言ってくれる。浩二は鯖味噌の事もあるので、それなりの生姜焼きなのだろうと思って箸を着けた。
 まず、添えられたキャベツの千切りを口に入れる。柔らかい! ふわっとした食感にキャベツ本来の甘みが感じられる。噛むとキャベツの繊維が口に残らなかった。トンカツ店でもキャベツの千切りは良く食べるがこんな感触は初めてだった。
『切り方に秘密があるのだろうか?』
 そう思いながら次は本命の生姜焼きに進んだ。箸で切ろうと動かすと難なく左右に別れた。
『……!』
 別れた片方を口に運ぶ……何とも言いがたい感触が浩二を襲った。豚肉に絡まった生姜焼きのタレの味が半端無かった。複雑で浩二には何が入っているのか判 らなかったが、これが生涯で一番の生姜焼きだと断言できた。更に驚いたのが、幾らも噛まないのに喉の奥に消えてしまった事だった。
『豚のロースなのに何と柔らかいのだろう!』
 前回の鯖味噌の事を考えれば、このレベルで驚く事は無いのだろうが、それでも驚いてしまったのだった。
 味噌汁は和布とじゃがいもで、お新香は白菜だった。これは昌江に出したものと同じだった。
 食べ終て、厨房から店主が出て来た。
「如何でしたか? お気に召しましたか?」
「はい、大満足です。どうしてこんな味が出せるのですか?」
 店主は浩二の問に
「今日の事を説明すると、まず豚肉は、国内の健康的に育てられた豚を選びました。ロースの部位を切る時に豚肉の繊維を完全に切断しました。その為柔らかく なっています。生姜焼きのタレですが、国内産の最高級の生姜や醤油とお酒をベースに自家製の梅酒を加え、更に本来は味醂を加えるのですが、味醂はタンパク 質を引き締める効果があります。煮物等には良いですが、この場合は使えないので、足りない甘みに梨を摺り下ろして入れました。キャベツは国産の無農薬のも のを使っています。上半分は繊維に沿って、下半分は繊維を切断するように切っています。だからシャキシャキで柔らかいのです。他にもありますが、こんな感 じですね」
「道理で、俺なんかには判らなかったんだ……でも、どうしてこれほどの腕があるのに普通に営業しないのですか? やったら大繁盛間違いなしなのに」
 浩二の言葉に店主は笑いながら
「私と妻はその昔、こんな店を持っていました。そこそこ繁盛していましたが、妻が事故で亡くなってしまいましてね。その後、私は暫く経ってフリーの料理人 となりました。弟子も出来ましたが、親から受けついだ体質とも言うのですかな、癌にかかりましてね。この世から去ったのです」
 あっさりととんでもない事を言っていると浩二は思って
「何言っているんですか! 現にこうして俺と話してるじゃないですか」
 そう言って食い下がったが
「満月の晩に月の力を借りて一晩だけ蘇るのですよ。そして、この店を必要とされる方に食事を作っているのです」
「それは、誰かの命令なんですか?」
「それは答えられません。あなたもいずれは判る事ですからね」
「でも、さっきは、『それ以外はそれを必要とする方しか来られない』って……」
 浩二の質問に店主は笑ってしまった。代りに女将さんが
「実態の無い店に来られるのはやはり実態のない方だけですよ」
 そう説明してくれたのだった。
「では、普段は向こうの世界で営業してるのですか?」
「若干違いますが、分かり易く言うとそうですね」
「そうかぁ、だから必死で探していても来る事が出来なかったのか……じゃあ、今日俺に生姜焼きを出したのは何故ですか?」
 浩二は、驚異的な味も勿論だが、その日こちらが求めている物を、どうして判るのかが気になった。
「それはですね。私達は人の心の中に入る事も出来ます。まあ、私達の場合は食に関する事だけなのですがね。だから、今日もあなたが、朝から『生姜焼き定食』を食べたかったと判ったのです」
 店主の説明に全て納得した訳ではなかったが、嘘は言っていないと感じた。嘘をつくならもっと本当らしい嘘をつくと思ったからだ。それに、悪人にはこんな味は出せないと思った。
「さっき、弟子の方が居るって言っていましたけど、店を持っているのですか?」
 浩二は、出来るならそこでも食べて見たかった。
「生憎と、店は持っていません。フリーの出張料理人をしてますよ。べらぼうに高いです」
「そうですか、そんな人も居るって噂では聞いた事あります。俺ぐらいでは無理ですね。じゃあ、満月になる度にここに来ても良いですか?」
「勿論です。歓迎致しますよ。先ほど帰った方も常連ですからね」
 女将さんの嬉しそうな笑顔が印象的だった。
「ごちそうさまでした! また次の満月に来ます! あ、でも雨だったらどうなるんですか?」
 浩二の心配に店主が
「雲の上にはお月様が出ていますから大丈夫です」
「それを聞いて安心しました。じゃ」
 そう言って浩二は帰って行った。二人はそれを見送りながら
「少しずつ常連さんが増えて行きますね」
「ああ、増えて行くのが良いのか悪いのかは、判らないがな」
「どうしてですか?」
「だってさ、ここに来る人が増えて行くと言う事はそれだけ食に対して不満を持っている人が多いと言う事だろう?」
 夫、まさやの言葉に妻のみちこは静かに頷くのだった。

  
                                     続く

心の食堂  第2話 野菜の味

 昌江は日課の散歩をしていた。立ち並んだビルの間をぬうように歩いて行く。脚は天気が悪くなる前は痛む事もあるが、概ね大丈夫だと思っている。
「本当にビルばかりになっちゃったね」
 タオルで汗を拭いながら呟く。昌江はこの街にろくな建物が立って居ない頃から亡くなった夫と暮らして来たのだ。今は、住んでいた土地の上に立ったマンションに一人で暮らしている。
 子供は既に独立して家庭を持っていて、そこには可愛い孫も居る。息子や娘が
「一緒に暮らしましょう」
 と誘ってはくれるが、知人や友人の居ない街に引っ越す気にはならない。ビルが立って様相が一変しても、この街は自分の街だと思っているのだ。
 昌江の散歩は夜が多い。それは朝や昼だと人通りが多いからだ。夜なら人にぶつかる心配は無いし、健康雑誌で『散歩は夜間が良い』と読んだからだ。それ以来夜散歩をすることにしている。幸い日本は治安が良く年寄りが夜散歩しても余り問題になる事は少なかった。
 歩きながら、コンビニに寄るつもりだった。少し遅いが夕食を買って行こうと思っていた。量は要らない。一人暮らしだから自炊するのも面倒だった。夫に先立たれてからは炊事をする機会が少なくなったと思った。
 コンビニに入りかけて、今夜が満月だったと思い出した。それならコンビニに行く必要が無いと思い、足を別な方角に向けた。
 その方角には、不思議な食堂があり、昌江はこの店の常連なのだ。尤も満月の晩しか表れない食堂なのだが……
「今夜は何を食べさせてくれるかねえ」
 期待に胸を膨らませて足を早める。その食堂が普通の食堂では無い事は最初に入った時から何とな感じていた。まるで時代がかった外観と店内。愛想の良い美 人の女店員。どうやら彼女と調理場に居る背の高い色白のちょっといい男の調理人とは夫婦らしかった。でも、そんな事はどうでも良かった。その日出された定 食の味に驚いたのだ。
 昌江は北の生まれだ。今はサハリンと呼ばれている旧領樺太で生まれ、終戦まではそこで育ったのだ。その頃の樺太は内地からの出稼ぎの人間で賑わっていた、人口は二十数万人と言われていたが、実際はその倍近くの人が居たのだ。
 樺太は米は出来なかったが、海の幸が豊富でその恩恵に住民全てが受けていた。春になると海が真っ黒になるほどニシンが産卵の為にやって来る。そして海岸 は真っ白になるのだ。そのニシンを狙って漁船が出て行く。船に乗せられないほどの大漁だ。港に行くと漁師は只で幾らでも採ったニシンをくれた。それを持っ て返って母親に焼いて貰って食べたのだ。それが昌江の原点だった。
 戦後内地に引き上げて来て、小さな会社に勤務した。そこで夫と知り合って結婚したのだ。それから五十年が過ぎていた。
 出された定食は「焼き魚定食」だった。それもニシンだった。ニシンは春の魚だ。季節が違うと思った。外観からして期待はしていなかったが、それにしても季節外れの魚を出すとは……口には出さなかったが、そう思い期待しないで口にした。
 だがその味は全く違っていた。あの頃――港で貰って食べていたニシンの味だった。戦後内地に引き上げて来てからは食べた事が無い味だった。子供の頃の楽しかった記憶が蘇った。
 冬のスキーや炊きたてのご飯にバターや手作りのいくらの醤油漬けを山ほど乗せて食べた事。
 嵐の過ぎ去った後に海岸に行くと石炭の塊が打ち上げられていて、それを拾ってストーブにくべた事……色々な思いでが蘇って来たのだった。
「どうして今時こんな鮮度の良いニシンが手に入ったのですか?」
 思わず訊いてしまった。すると厨房から調理人が姿を表して
「独自なルートがあるのですよ。それは商売上の秘密ですからお教え出来ませんが、お気に召したのなら良かったです」
 昌江は更に尋ねる
「でも、どうして私がニシンを好きだと判ったのですか?」
「あなたの言葉に北海道とか北の地域の独特な訛りと言うかイントネーションがありました。それからの推測です」
 それが本当だとは思わなかったが、この不思議な食堂の事だ。色々と人には言えない事情があるのだと理解した。
「また来ても良いですか?」
「どうぞいらして下さい。満月の晩なら何時でも開いています」
「満月の晩だけですか?」
「そうなんです。それ以外は、それを必要とする方だけに開いているのです。お散歩しているなら又寄って見て下さい」
 多分女将さんだろうと思われる女店員がにこやかにそう言ってくれた。
「じゃあまた、寄らせて貰います」
 昌江はそう言って代金の五百円を払ったのだった。
 
 それから、確かに翌日も行っても、食堂は見つけられなかった。その次の日もそうだった。見つけられたのは次の満月の晩だった。
「やっと見つけられました」
「いらっしゃいませ! 見つけられ無かったと言う事はこの食堂が必要では無かったと言う事ですからね」
 女将さんに言われて、そう言えばこの一月近くは気分的に充実していたと思った。こうして昌江は「心の食堂」と言うかなり変わった店の常連になったのだった。

「こんばんは~」
 昌江は今夜が満月だと思い出して、この店にやって来た。
「いらっしゃいませ!」
 何時ものように女将さんが愛想よく出迎えてくれた。
「今日は何を食べさせてくれるかしら」
 昌江の声に厨房から
「今日は、野菜を食べて戴きます。最近コンビニ弁当ばかりでしょう。良くないですよ。ちゃんとした野菜を食べて貰いますよ!」
 そう言って来た。それは自分の事を本当に心配してくれると感じる言い方で、そんな点も昌江は安心出来るのだった。
「お待ちどう様」
 出された定食は野菜づくしだった。茄子の焼き物は丁寧に皮をむかれ三等分に切られて、上におろし生姜とかつお節が乗せられていた。
 小鉢には里芋の煮物が入っていて、上にひき肉の餡が掛けられていた。味噌汁はじゃがいもに和布。香の物は白菜だった。
 味噌汁も美味しい。昌江はじゃがいもの味噌汁は樺太の頃に良く母親が作ってくれたので食べて、自分でも良く作るが、これは絶品だった。味噌の香りにじゃがいもの甘さが絶妙で合っていて、食材ごとに味噌汁の味噌も変えているのが判った。
 白菜も良い、何より白菜そのものに甘みがあるのだ。だから浅漬になった味が引き立っていた。
 茄子も良かった。味の薄い茄子だが、焼きたてなので僅かに茄子の香りが残っている。どうすればこんな事が出来るのだろうかと思ってしまった。
 だが、里芋を口にした時にそれらが細かい事だと思ってしまった。そんじょそこらに売っている里芋では無かった。土の香りが残っていて、それでいて濃厚な 食感、そして何より里芋そのものの甘味が凄かったのだ。また、それを完全に活かしてる煮方も素晴らしいと思った。やはり、今夜も来て良かったと思った。
「今日も美味しかったわ」
 昌江がそう感想を言うと厨房から主の料理人が出て来て
「あまり、コンビニのお弁当ばかり食べていては良くないですよ」
「でも、便利だからつい買ってしまうのよ。一人暮らしでしょう」
「まあ、仕方無いのですが、あれには良くないものを使っていますからね。基準値以下なので直ぐに体に害はありませんが、野菜なんか美味しく無いですよね。それにサンドイッチやおにぎりなんか、手作りと比べて『何か違う』と思いませんか?」
 確かにそれは感じていた。カットされた野菜は何処か無機質で、野菜本来の味が抜けている感じがした。それに、サンドイッチもそうだった。昌江は一度買っ て食べてやはり自分が作ったものとは『何か違う』と感じてからはサンドイッチは買わなかった。食べたい時は近所にあるベーカリーで買う事にしていた。
「そうねえ。たまには自分で作らないと駄目でね。でも本当は毎日ここが開いていれば良いのだけどね」
 昌江はそう言って笑った。
「ごちそうさま! また次の満月に来るわね」
 五百円を置いて、昌江が去って行って数分後だった。顔色を変えて青年が飛び込んで来た。
「はあ、はあ、やっと見つけた! 俺、毎日探していたんですよ!」
 それはこの前の晩に「鯖味噌煮定食」を食べた浩二だった。


                                続く

心の食堂 第1話 鯖味噌定食

新作を書き始めたので、暫く不定期ですが連載して行きます。

それは、満月の晩だけ登場する食堂で、それ以外は、それもそれを必要としている人にしか見えません。
そんな秘密の食堂で繰り広げられるちょっと変わった人間模様です。
今夜は何を食べさせてくれるでしょうか?

第1話 鯖味噌定食


 後から考えると浩二は本当に偶然だったと思った。それは、浩二が転勤させられて、この大都会の片隅に配属になって、幾らも経たない時期だった。
 覚えたばかりのお得意先に寄って営業をして時計を見ると既にかなり遅い時間になっていた。社に戻ろうか迷ったあげく連絡すると。
「ご苦労さん! 今日は直帰していいよ。俺もこれから帰る所だから」
 課長が直接電話口に出てくれた。
「じゃあ、このまま帰ります」
 ほっとして携帯をしまうと、お腹が減っている事に気がついた。
「何か食べて帰ろう。駅に行けば近くに何かあるだろう」
 そう思って地下鉄の駅に向かって歩き出した。そうしたら、駅に行く道が夜間工事になっていて、通行止めになっていたのだ。
「まいったな……仕方ない回り道をするか」
 そう独り言を呟いて、別な道を歩き出した。『迂回路』と書かれた看板を見て方角だけは確かめたのだ。特別に込み入った地域では無い。迷うはずが無かった。
「おかしいな。こっちのはずなんだがな?」
 浩二は自分が道に迷ったと感じていた。スマホを出して地図アプリで現在位置を確認する。間違ってはいない……だが浩二の目の前にある景色は地図のそれと は全く違っていた。それにさっきから同じ場所を回っている気がした。時計を見ると更に時間が経っていた。お腹がかなり空いていて、どこか適当な食堂でも見 つければ、そこでも良いとさえ思い始めていた。
 何回目だろうかと思って辺りを注意深く見渡して見ると、空には満月が輝いていて、今までとは違って見えた。今歩いている先に食堂らしき立て看板を見つけ た。それはよくある道路の隅に立てられた蛍光灯が内蔵された立て看板で、そこには『心の食堂 まさやとみちこ』と書かれていた。
「おかしな名前の店だな」
 そうは思ったものの、背に腹は代えられないとも言う。黙ってその店の暖簾をくぐって中に入った。
「いらっしやいませ!」
 三十代後半とも見える女性が迎えてくれた。その笑顔を見るとなにか癒やされる気がした。
「空いてる席にどうぞ」
 四人がけのテーブルが二つとカウンターが五つばかりの狭い店だった。狭い店内に比べてカウンター越しに見える調理場は大層広く、そのアンバランスが何か気になった。
「何にしましょう?」
「随分遅いですが、何が出来ますか?」
 浩二はテーブルに置かれたメニューを見て驚いた。メニューに書いてあるのは食堂のメニューと言うより日本料理店のそれだったからだ。
「定食みたいなものは……」
 そう訪ねると女店員は
「勿論出来ますよ。『本日の定食』で良いですか?」
「あ、はい、内容は何ですか?」
 浩二に尋ねられて女店員はカウンターの奥に声を掛ける
「今日は定食何ですか?」
 すると、今まで人の気配が無かったのに、いつの間にか、少し背の高い四十前後と思われる色の白い男が立っていた
「今日は、鯖味噌定食だよ」
 それを聞いて浩二は
「じゃあ、それお願いします」
「かしこまりました」
 女店員がそう言って水を置いて立ち去って行った。その姿を見ながら、店内を良く観察してみる。まるで昭和からやって来た感じの店内で、壁は薄汚れてはい ないものの新しいと言う感じはしない。壁の隅の端には今時珍しくブラウン管テレビが置かれていて、今は何も映っていない。デジタルチューナーに接続されて いなければ、何も映る事はあるまいと思った。
 他には何処か見たことも無い美しい景色のポスターが貼られていて、その景色には思わず、何時迄も見つめて居たいと思ってしまった。
「お待ちどうさまでした」
 ポスターの景色に見とれている間に定食が運ばれて来た。
「あ、すいません」
 そう言って、付いて来た箸を見て驚いた。何と杉箸だったそれも「利久」と呼ばれる高級な箸だった。別名「夫婦利久」とも呼ばれるもので、このような定食屋で使う箸では無い。
 驚きながらも箸を割って湯気が立っている鯖をほぐして口に入れた。その瞬間、浩二は驚いた。鯖は好きな魚で、良くあちこちで鯖味噌を食べるのだが、今口 にした鯖味噌は次元が違っていた。油が乗っている鯖が味噌の味に馴染んでいる。その為、濃厚でありながらさっぱりとしているのだ。それに、味噌も複雑な味 をしていた。僅かにゆずの香りもすれば、味醂の風味も感じる。浩二は、この定食を作った料理人の腕がとてつもない腕だと感じた。
 豆腐と和布に葱が入った味噌汁に口を付けるとこれも信じられない味がする。何より豆腐が正四角形に切られていて、小さいが全て同じ大きさに揃えられていた。
 味噌も鯖とは違っていて、これも色々な味噌が使われていると感じた。それに出汁が素晴らしかった。
『生まれて一番美味しい味噌汁かも知れない』
 口に運びながらそう思っていた。こうなれば御飯も、お新香さえも期待してしまった。結果、それは裏切られる事なく、浩二を心の底から満足させてくれた。
『だから心の食堂なんだろうか?』
 全部たいらげてから、そんな事を思った。
「お勘定お願いします」
「はい、ありがとうございます! 五百円になります」
「え、そんなに安いんですか?」
「はい、ウチは利益は追求していませんから。元値でよいのです」
「はあ……そうですか。なら」
 浩二は五百玉を女店員に手渡すと、奥から調理人が出て来て
「お客さんは、ミネラルと蛋白質が足りない感じでしたからこの献立にしました。お口に合ったでしょう!? 忙しいからとファストフードばかりじゃ、体を壊しますよ」
 そう言って笑っていた。
「そんな事まで判ったのですか?」
「はい、あなたの顔色を見て気が付きました。これでも栄養学を修めましたからね」
 料理人はそう言って奥に消えてしまった。
「ご馳走様でした!」
「ありがとうございました!」
 女店員の声に送られて表に出て暫く歩き、浩二は
「明日も来よう! 通うだけの価値がある店だよ。今まで知らなかったのが損をしてしまった」
 そう思っていた。店の名刺か、何か貰っておけば良かったと思ったが、また明日来れば良いと思い直した。
 何故か、帰りは迷わずに地下鉄の駅にたどり着いたのも不思議だった。
 翌日、仕事が終わり急いで昨日の場所に戻ったのだが、浩二はその日はとうとう見つける事が出来なかった。
「おかしい……どうして昨日あった店が今日は無いのだろう?」
 浩二は夜の街に佇むばかりだった。

   続く 4239722

氷菓二次創作 奉太郎とえる~その愛 第2話 第3話

余り良い出来ではありませんが、氷菓二次創作 奉太郎とえる~その愛の続きを書いてみました。
とりあえずこれで終わりです。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
第3話 不安

 夜の帳が降りて、あたりは静かになっています。わたしは、お布団の中に体を潜り込ませます。布団の中は冷えているはずですが、それが気にならないほどの喜びが体を巡っているのです。

 今日は元旦でした。この日千反田家は親戚や親類それに各地からご挨拶にお見えになる方々に対して、父や母、それにわたしがご挨拶を致します。それ自体は平年の事なのですが、今年はその列に折木さんが並んでいたのです。


 あの日札幌で、お互いの誤解を解き、将来を誓い合いました。そして、その夏の終わりにお互いの両親に紹介をしたのです。

 折木さんの事はわたしの両親もよく知っていましたので、とても喜んでくれました。折木さんの家では、供恵さんがやはり折木さんのお父様に取り繋いでくださいました。既に知った関係ではありましたが、やはりこのように将来に関わる事ですから筋を通したのです。

 その後、東京と京都と離れてはいましたが、順調に愛を育んで来たのです。そして、大学も四年になり折木さんは農業流通関係に職を得ました。わたしは、大学院に進む道もありましたが、一日でも早く陣出の人々の役に立ちたくて、進学をしないで実家に戻る事になったのです。そして、翌年の元旦の今日、皆様にわたしの婚約者として紹介をしたのです。この時の嬉しさは言葉では表せないものでした。

『わたしの選んだ、愛した人を見て下さい

 心の中ではそんな言葉でいっぱいでした。

 夜になり、わたしと折木さんは例年通り、荒楠神社に御酒を持って父の名代として挨拶に出向きました。でも、今年は少し違います。折木さんはもう、列記としたわたしの婚約者なのです。

「える、本当に良かったわ。わたしも自分の事のように嬉しい」

 かほさんも本当に喜んでくれています。今年は、わたしが口上を述べましたが、来年は……

 折木さんはわたしを送ってくださると実家に戻って行きました。少し寂しかったですが、昨夜からずっと一緒に居た事を想うと自分でもおかしくなってしまいました。元旦の夜が静かに過ぎて行きます。


 それから暫くしてでした、父の様子が普段とは違う事に気が付きました。この時期、大学へは殆んど行く用事が無いので、実家に留まっていました。今月末の卒業論文の発表会に向けての準備だけです。恐らく折木さんも日程は兎も角大差ないと思います。

「何かあったのですか

 恐る恐る父に尋ねます

「いいや、なんでも無いんだ。お前は気にしなくて良い」

 父は。そうとしか答えてくれませんでした。わたしは父の言葉を信用しようとしますが、どうも心に引っかかっていて自分でも納得出来ないのです。

 でも、それは唐突にある日判りました。それから数日後、我が家に来客がありました。「新家」(しんや)と呼ばれている千反田家の分家の当主でした。

 千反田家は古い家柄ですから、分家の数はかなり多いです。時代が経つに連れて関係が薄れ苗字を変えていまった家も多くあります。その中でも「新家」は明治の初めに分家した家で、その当時は、分家した場合はある程度の資産を持たせるのが恒例だったそうです。当時の資産とは土地です。すぐに暮らしに困らないように土地を分け与えたのでした。

「新家」が与えられた土地は神山に鉄道が通るようになると、商業地となり、価値が暴騰しました。自身でも事業を起こして成功して、神山でも有数の資産家になりました。その資産は一時は本家を凌ぐほどでした。

 戦後庄之助お祖父さんが随分土地を買い戻してくれたお陰で、こうやって千反田本家で居られますが、一次は全く立場が逆転していたそうです。それに庄之助お祖父さんの投資の時も「新家」では随分相談に乗ったそうです。

 そんな経緯もあり、分家とは言え「新家」は本家に対して色々な事を言って来るようになりました。

 先年わたし達が「同期会」をしたホテルも「新家」の会社が事業を行っています。また、流通業にも進出して、農業関係とも関係が深いのです。今の当主は歳も父より若く「新家」始まって以来の「やり手」と噂されていました。

 その「新家」の当主がやって来たのです。確か元旦にもお見えになり、ご挨拶をしたばかりでした。

 わたしは、客間に通された「新家」の当主にお茶を運びます。挨拶をして帰ろうとするわたしに

「えるさんも、本当にお綺麗になられましたな。将来が益々楽しみですな」

 わたしは無言で礼をして下がりました。過去に幾度となく口は利いていましたが、挨拶以上は滅多にしませんでした。わたしは、胸騒ぎがして、次の間に控えていました。勿論両親にも秘密です。するとやがて……

「では本題に入らせて戴きます。元旦に紹介された、えるさんの婚約者と言う若者ですが、まさか本当にそのまま結婚して婿として千反田家に入れるつもりなのですかな

「新家」の当主は皮肉たっぷりに話を続けます。

「いいですか、もう一度良く考えてください。これからの農業は大問題ばかりです。TPPに始まる農業の自由化や流通の見直し。それに農協の解体とただならぬ事ばかりが待ち構えています。そんな状況で、何処の馬の骨とも判らない未知の男を婿に迎えるのですか まさか、娘さんの恋愛ごっこに同化されたのでは無いでしょうね。だとしたら、バカバカしい話以外にありませんな。もう一度再考願えませんかな」

 わたしとしては驚きでした。このまま何も問題が無く上手く行くと思っていたのです。

「えるの婚約者の折木くんは優秀な若者です。その人格、人柄、情熱、能力。どれを取ってもこの千反田の次期当主に相応しいと思います」

 父の言葉は何時も通りです。婚約者として折木さんと言う存在に驚いた方に何時も言うセリフでした。

「ふん、バカバカしい……結婚とは単なる惚れた腫れたではありません。家と家との繋がりを強化する為のものです。恋愛は楽しめば良いと思っています。でも結婚は違う……更なる発展を願って家と家を結ぶもので無くてはなりません。えるさんには、わたしが、もっと相応しい人物を紹介しましょう……そうすれば、千反田本家もこの陣出の農業も何があっても安心出来ると言う事です」

 そう言って、「新家」の当主はわたしでも知っている名家の名前をあげて行きました。そのどれもが県下に名高い名家ばかりでした。

「どうですか……驚かれましたかな。お望みなら……」

 その時でした。父は

「もう結構です。お帰りください。もう既に決まった事です。この千反田の家に相応しいのは折木奉太郎くんです。それだけは間違いありません

 そう強く言ってくれたのです。嬉しさがこみ上げて来ました。

「そうですか……予想はつきましたがね……では、これからの神山の農業に関しては千反田本家を抜かして考えて行きましょう。失礼しました……」

「新家」の当主はそう言って帰って行きました。

「お父様……」

 わたしは思わず陰から出て父の元に走り寄ります。

「聞いていたのか……なら仕方ない。だが心配するな。お前は何も心配しなくて良い……」

 父はそう言ってくれましたが、その表情にも声にも元気はありませんでした。


 何と言う事でしょうか、先日の元旦では、喜びで眠れぬ夜を過ごしたのに、今日は不安と心配で心が押しつぶされそうで眠れないのです。夜も更けていて申し訳無いと思ったのですが、折木さんにメールをしてしまいました。

『心配事が出来てしまい眠られません……声が聴きたいですが、こんな時刻です。我儘ですよね』

 送信ボタンを押すと、程なく返信が来ました。

『どうした 俺も眠られ無いので論文の見直しをしていた所だ。何かあったのか 何なら電話するぞ

 文面を読んで、電話に切り替えます。最初のコールで折木さんは出てくれました。

『どうした

『こんばんは、こんな時間にすいません』

『わびなんかどうでも良い。本当にどうしたんだ

 そこでわたしは、今日起った事を折木さんに報告しました。

『ああ、その事業を手広くやってる分家の千反田の事は色々と聞いて知っている。随分強引なやり方もしているみたいだな』

 折木さんは既に「新家」の事も知っていました。

『曲がりなりにも千反田に婿に入るんだ。色々な情報は取り寄せて置かないとな』

 さすが折木さんだと思いました。わたしの恋した人は只者ではありませんでした。嬉しくなります。現金なものです。

『今夜は遅い。明日は都合悪いので、明後日逢えるか

『はい』

 時間を約束します。明後日の午前中に市内で逢う事になりました。


 翌日の事です。とんでも無い情報が入って来ました。「新家」の家では農業生産物を流通する会社を作っています。そこには名前だけですが神山の名家も役員に名前を連ねていました。父も名前だけですが役員の一員になっていたのです。それが、この日臨時の役員会が開かれ、父を役員から外す動議だ出され、それが可決したのです。父はその会社から追放されてしまったのでした。

 わたしの不安は大きくなるばかりでした。

     

                          続く




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