2015年03月

苺甘いかすっぱいか……

「ただいま~」
 玄関から弟の情けない声が聞こえる。
「おかえりなさい」
 何も訊かずにすることにする。きっとわたしが訊かなくても自分から言うはずだから。
「インハイ出られなかった。ベスト8止まりだった。姉ちゃんにも迷惑掛けたのに……ゴメン」
 大きなスポーツバッグを肩に掛けたまま、台所の入り口で立っている弟は今にも泣き出しそうだった。
「仕方ないじゃない。勝負は時の運というのよ。強いだけじゃ勝ち抜け無いしさ。運が無かったんだよ今日のあんたは。だから仕方無いと思うよ。あんたがどれだけ努力したか、部の人も知ってるし、勿論わたしも知っているよ」
 そこまで言ったら弟の顔から涙が流れ始めた。大粒の涙がポロポロと落ちている。
「そうは言うけど、あれだけ練習を手伝って貰って期待されてて、それでいてこのザマじゃ申し分けなくて……それに、姉ちゃんにだって、早起きして弁当作って貰ったりしたのに……」
 それを聞いてわたしはハッキリと言う
「ねえ、部の皆もわたしも、何であんたの事応援してくれたと思う?」
「それは……俺がインハイの全国大会に出るようにと……」
 やはりこいつは勘違いしている
「あのね、そんな事じゃ無いの!  皆が応援したのは、あんたが真剣に頑張っていたからでしょう! 本気で取り組んでいたからでしょう! だから応援してくれたんでしょう! 違う?」
 わたしの言葉を聞いて弟は考えながら
「だから、結果を出す事で恩返ししたかったんだよ」
「恩返しは、そんな事じゃない!」
「じゃあ……?」
 やっと泣き止んだ弟に今日帰ったらたべさせようと買っておいた苺をお皿に載せて出す。コンデンスミルクの缶と一緒にだ。
「あんたが無心に頑張ってる姿を見て、皆嬉しかったと思う。純粋に目的に向かって頑張ってる姿は尊いからね。それで充分なんだよ。判ったかい?」
「うん……俺、来年はもっと、今から頑張るよ。約束する!」
 やっと元気が出て来たようだ。
o0370055710917323461「判ったら苺食べなさい。あんたに食べさせようと買っておいたんだから」
 わたしに言われてフォークで突き刺しながら苺を口に運ぶ。
「これ、すっぱいな。甘く無いよ」
「そう、だったらミルク掛けなさいよ」
 わたしが、そう言ったのだが弟はコンデンスミルクを掛けなかった。
「すっぱいけど、苺の味がするから……きっと俺に欠けていたものって……判った気がする」
 そう言って、次々とフォークで苺を口に運ぶ
「本当に大事なのは、結果ではなく、それをして得られる価値観なんだね。それの集大成として結果がついて来るんだね……俺なんとなく判ったよ。目の前の結果を追い求めるよりもっと大事な事があったと判ったよ」
 母の顔さえきっと弟は覚えていないだろう。この子が小学校に入学する前に母は病気で亡くなった。歳の離れたわたしは、当時高校一年生。母の代わりに入学 式に付き添って行った。着物姿に着飾った他の子の母親に混じって、一人高校のセーラー服のまま参加した事が昨日のようだと思った。
 それから母代わりと思ったけれど、代わりにはなれても、それ以上にはなれない。だけど、弟はわたしを信頼してくれている。真っ直ぐに育ったと思う。
 そうだよ、頑張る過程で得られるものが一番尊いんだよ……
 来年、インハイに出た暁には、あんたの嬉しそうな顔を沢山見せて貰うからね。
 そう思いながらわたしも苺を口に入れる……うわっ! すっぱいじゃない! もう少しいい値段のを買えば良かったかな……

 了

花守人

small_features1_image02 桜が咲くと街が一斉に色づき始める。隆はこの時期が一年で一番好きだった。隆の住んでる街は住宅街だが、散歩していると家々にも色々な花が咲いているのが判る。
 桃の花だったり、桜でも八重桜や枝垂れ桜などがある家もある。そんな街並みを散歩するのが好きだった。
 天気の良い日曜の午後、隆は散歩していた。今日歩くコースには大きな桜によく似た木が植わってる家がある。実はここに住んでいた人は老人だったのだが、かなりの大金持ちで街でも有名だったのだ。だが昨年老衰で亡くなり、家は空き家になっていた。それがこの春に誰か引っ越して来たと言う噂だった。それが本当なのか隆は今日の散歩で確かめてみたかった。
 その家がある小路に入る。この辺は大きな家ばかりが続くが、その中でもひときわ大きな家が目的の家だった。
 隆は慎重に観察しながらその家の前を通りかかる。表札が門にはめ込まれていて、確認すると「小鳥遊」としてあった。難解な苗字として今や有名な「小鳥遊」だからすぐに「たかなし」という家だと判った。以前がどうだったのかは覚えていなかった。
 見ると目的の大きな桜に良く似た花をつけた木は今年も沢山の花を咲かせていた。その木や庭に水を撒いてる娘が目に入った。きっと引っ越して来た人なのだろう。どんな娘かと歩きながら見ていると、その娘がこちらに向かって顔をあげた。
 驚くと言うか、あまりの美しさに隆は歩みを停めて見つめてしまった。きっと口も半開きになっていただろう。
 肩にかかった漆黒の髪。二重のパッチリとした目、すうっとした鼻、上品な唇、健康的ながらも色白な肌。全てが隆の理想だった。
 見つめていては悪いと思いながらも視線を外すことが出来ない。吸い寄せられるような感じだ。それはまるで魂を吸い取られる感じにも似ていた。
 すると、その娘と視線が合ったのだ。その途端彼女がニコリと微笑んだのだ。隆はどうして良いか判らず「ど、どうも」とぎこちなく返事をしてしまった。
「今度こちらに引っ越して来た『小鳥遊』です。わたしは小鳥遊薫です。どうぞ宜しくお願い致します」
 美少女はそう言って挨拶をしてくれた。
「ま、丸山隆です。市立高校の今度二年になります」
 まさか、口を効いてくれる等とは思っていなかったので、驚いてしまった。
「まあ、それならわたしと同じ歳ですね。わたしは隣の聖華学園に編入したんです。公立は編入手続き」が難しいので」
 薫はそう言うと
「お花に興味がおありになるのですか?」
 隆に語りかける。その声がとても心地よく感じる
「あ、興味というか、こちらのこの木なんですが、桜に似ていますが、何か違う感じがして、毎年見に来ていたんです。それが、新しく誰か引っ越して来たと言うので、興味が湧いて……すいません」
 隆が半分謝るように言うと薫はニッコリと笑顔を見せて
「いいんです、そのおかげでこうして隆さんとお話が出来ました。これを機にお友達になって戴けませんか?」
 思いがけない言葉だった。自分がこんな美少女と繋がりが出来るなんて夢にも思わなかった。
「僕でよければ……」
「よかった……この街に来て誰も知り合いも居ないんです。隆さんみたいな方と友達になれてとても嬉しいです。良かったら、門からこちらに入っていらっしやいませんか?」
 気がついてみれば隆と薫は垣根越しに会話をしていたのだった。
「それじゃ、おじゃまさせて戴きますね」
 薫が誘ってくれたのだ。遠慮しては申しわけ無いと思い門に回って正面から庭に踏み入れた。その途端、隆は何か体が一瞬軽くなる感じがしたのだ。その時は気のせいだと思ったのだが……
 庭に入っると薫が待っていて、色々な草花を説明してくれる。そして、隆が桜に似ていると思った木は
「これは実はアーモンドの木なんです。桜に良く似ていますし開花時期も同じなのです。日本には余り無いので桜や桃と間違えますけどね。小豆島では栽培されているんですよ」
「薫さんはよくご存知ですね。ここは元は老夫婦が住んでいたと思いましたが……」
「はい、わたしの母の叔父夫婦でした。子どもが無かったので唯一の姪の母が相続したのです。税金が高かったので売却しようとも考えたのですが、大叔父はこのアーモンドの木を大切にしていたので、わたしがその意を受け継いだのです」
「そうだったのですか、確かにこれだけの木なら守るだけの価値はあるかも知れませんね」
 その後、隆は薫の母にも紹介された。薫の母も大層な美人でしかも若い! 黙っていれば高校生の薫と姉妹と思ってしまうほどだった。今なら「美魔女」と言うのではないかと思った。
 お茶でもと誘われ、薫の手作りの菓子を名前も初めて聞く紅茶と一緒に戴くと不意に眠たくなってしまった。居眠りでもしては申しわけ無いと帰ろうとするが体が動かない
「眠くなったら、少しの間、そこのソファーでお休みになったら良いですよ。少しでも眠るとスッキリしますから。薫、隆さんに毛布を持ってきてお上げなさい」
「はいお母様」
 薫は母親に言われた通りに奥から毛布を持って来てソファーに横になった隆に掛けてくれた。その途端意識が薄れて行った……

「どう眠った?」
「はいお母様。眠ってしまいました。これで後は彼から気を戴くだけです」
「このアーモンドの花がこの街の気候では通常咲かないのにね。それが咲いてるのはこの家が結界になっているからなのよね。叔父様が大事に大事に育てて来たこの木、枯らせてはならないわ」
「はいお母様、だからわたしも今日は一生懸命でした。しかも彼は思ったより美少年でした。美しい少年の気を与えてやれば来年もその次もきっと良く花が咲きます」
「あら、あなた、この子が好みのタイプだったのね。それで積極的だったのね」
「もう絶対彼を離しはしません。一生掛かって気を抜かせて貰います。この木に素晴らしい花が咲くように彼には頑張って貰います」
「そうね。これだけの美形なら亡くなった叔父様も文句は言わないでしょう」
「アーモンドの花言葉は『希望、真心の愛、永久の優しさ』ですからね」
 薫はそう言って二つのティーカップに紅茶を注ぐと一つ母親に手渡した。母親はそれを受け取ると
「でも、アーモンドには『無分別、愚かさ』と言う言葉もあるのよ」
 そう言ってニッコリと笑って紅茶に口を付けた。

 それからも小鳥遊家のアーモンドは毎年美しい花を咲かせたのだった。

 その後、近所でも評判の美少年だった丸山隆の姿を見た者はいない。警察がくまなく操作して一時はマスコミでも話題になったが、いつしか「神かくし」として忘れ去られてしまった。だが人々は見ていたのだ。隆の姿を……
 隆がアーモンドの木になり街の人々に語りかけていたのだ。

「誰か僕を、……僕はここに居ます……」
 
 彼は自分の存在を知って貰う為に今年も見事な花を咲かせる……

 了

噺家奇談~噺の命~ 第1話 「野ざらし」

第1話 「野ざらし」

 十月の上旬の昼過ぎ俺は東武浅草駅の前で柳生を待っていた。
「十月の上席なら浅草に出ていますから、都合がいいですよ」
 その柳生の言葉に合わせたのだ。夜席の仲入り前に出る事になっている。トリの次に大事な出番だ。それを見ても彼が席亭や協会で大事にされてるのが判る。
「お待ちどう様」
 不意に声が掛かり振り返ると柳生が自転車に乗っていた。隣にはもう一台自転車があり、弟子の柳星くんが乗っていた。
「近所に贔屓筋がいるんですよ。そこで自転車を二台借りてきました。これで現場を廻りましょう」
 俺はまさか自転車に乗ってやって来るとは思わなかったので面食らっていた。だが冷静になって考えると、細かく短い距離の移動なら自転車の方が楽だと思い直した。
 柳星くんはこれから噺の稽古を付けて貰って夜は寄席の仕事があるそうだ。
「それじゃ失礼します!」
 俺と師匠の柳生に挨拶をして演芸ホールの方向に歩いて行った。
「高座の裏の部屋で稽古するらしいです」
 前座が噺の稽古をする場合はしてくれる師匠や先輩の都合に左右されるのは勿論だが、寄席の中での稽古はポピュラーだ。
「それじゃ行きましょうか」
 柳生の言葉に俺が先になり目の前の吾妻橋を渡って行く。この橋の中程で文七が飛び込もうとして長兵衛が助けるのだ。自転車に乗りながら川面を眺めると吸い込まれそうな感じがする。その視界の中を水上バスが進んで行った。橋をくぐって行く先は浜離宮だろうか……
 橋を渡り、左に曲がる。車に気をつけながら緩やかなカーブを道なりに走ると源森橋の信号だ。ここを左に曲がると墨田公園で右は元は小梅の水戸様の屋敷があったところだ。柳生が横に並んで来て
「隠居の緒方清十郎は三代目春風亭柳好師匠では三廻神社あたりまで行ったと言っていますから、最初はこの辺でも釣りをしたいたんでしょうね」
「野ざらし」という噺は柳生も言ったように、三代目春風亭柳好師が十八番として、一世を風靡した。「唄い調子」と呼ばれるテンポの良い語り口が特徴で、かの黒門町や六代目圓生でさえ認めていて、圓生師に至っては「こちらの協会に欲しい」とまで言ったほどだった。柳好師は芸術協会の所属だったし、柳生にとっては、遠いが同じ一門でもある。
 
 この「野ざらし」を説明しよう……
 ある夜、八五郎が長屋で寝ていると、隣の女嫌いで知られた浪人・尾形清十郎の部屋から女の声が聞こえてくる。
 翌朝、八五郎は、尾形宅に飛び込み、昨夜の事を訊くと。隠居はとぼけてみせるが、八五郎に「ノミで壁に穴開けて、のぞいた」と明かされ、呆れたと同時に観念して、「あれは、この世のものではない。向島で釣りをした帰りに、野ざらしのしゃれこうべを見つけ、哀れに思ってそれに酒を振りかけ、手向けの一句を詠むなど、ねんごろに供養したところ、何とその骨の幽霊がお礼に来てくれた」と語る。それを聞いた八五郎は興奮した様子で「あんな美人が来てくれるなら、幽霊だってかまわねえ」と叫び、尾形の釣り道具を借り、酒を買って向島へ向かった。
 一騒動の後、釣り場所を確保した八五郎は、釣り糸を垂らしつつ、「サイサイ節」をうなりながら、女の来訪を妄想するひとり語りに没頭しはじめる。しかし夢中になりすぎて、そのうちに、自分の鼻に釣り針を引っかけ、「こんな物が付いてるからいけねぇんだ。取っちまえ」と、釣り針を川に放り込んでしまう。すると見ていた人が
「あの人針無しでやってるよ」

 今ではほとんどここで切ってしまうが、この後もあり、八五郎は釣りをあきらめ、アシの間を手でかきわけて骨を探すことにし、なんとか骨を見つけ出すことに成功する。八五郎はふくべの酒を全部それにかけ、自宅の住所を言い聞かせ、「今晩きっとそこに来てくれ」と願う。 この様子を、近くの川面に浮かぶ屋形船の中で聞いていた幇間の新朝(しんちょう)は、仕事欲しさで八五郎宅に乗り込む。
 夜になり、女の幽霊が来ると期待していた八五郎は、新朝を見て驚き、「誰だ」とたずねる。「あたしァ、シンチョウって幇間(タイコ)」
「何、新町の太鼓? ああ、あれは馬の骨だったか」
 と落とすのだが、その昔、浅草新町はかつて多くの太鼓屋が立ち並んでいたし、太鼓には馬の皮が用いられていたのだ。そして「馬の骨」とは素性の判らない者の事で、この噺が三遊亭圓遊によって改作された時はそれで通っていたが、今では全く通じないので演じられないのだ。
 ちなみに元の噺を作ったのは二代目林家正蔵で通称「沢庵の正蔵」と言われ現職の僧侶だったそうだ。この人は「蒟蒻問答」も作っている。
 隅田川の土手を左に見て高速の下を走って行く。土手は桜並木になっていて春はそれは見事だ。そう言えば「百年目」という噺の舞台はこの辺かと思う。なんせこの辺りは噺の舞台にやたらなっているのだ。この企画が流行れば、この辺りも落語の聖地巡りをする者が増えるだろうかと思っていた。
 右手に牛嶋神社を見て通り過ぎ、言問橋を潜るとすぐに三廻神社の赤い鳥居が見える。いつの間にか前を走っていた柳生が自転車を停めて
「お参りして行きましょう。それに写真を撮っておいた方が良いんじゃ無いですか」
 そう言って笑った。確かに数枚は写真も必要なのだ。
 幾つもの赤い鳥居をくぐってお参りを済ませる。
「隠居は吾妻橋を渡って場所を変えながらここまでやって来たんですね。そう距離はありませんけど。ここで問題はこの場所で多聞寺の鐘の音が聞こえるか? という事ですね。まあ、他の師匠なら浅草、金龍山浅草寺なんですがね」
 確かに柳生が参考にしている「野ざらし」は柳好師のだ。これには隠居はここで釣りをしていて、「すわ多門寺の入合の鐘の音が陰に篭ってボ~ンと鳴ったな」と言うセリフがあるのだ。ここで、この上流にある鐘ヶ淵の多門寺まで行ってその距離感を確かめなくてはならない。
 柳生の参拝する写真を撮影して自転車に乗ると
「そこで「長命寺の桜餅」が売ってますから食べて行きましょうよ。名物ですから。今の時期ならこの時間でもあるでしょう」
 「長命寺の桜餅」は流石に俺でも知っている。青いガラス戸を開けると先客が店内で座って桜餅を食べていた。こちらも注文すると杉の入れ物に入ってお茶と一緒に出て来た。餅と呼んでいるが餅の粉を伸ばして平たくしてそれで餡こを巻き、更に塩漬けの桜の葉で包んだものだ。桜色の生地と桜の葉の色が対照的だ。
 早速食べて見る。ここの桜餅は当然本物の塩漬けの桜の葉が使われている。そのまま食べるのが通かと思い店の人に尋ねたら、「桜もちに桜葉の香りは移っているので」と言われた。柳生を見ると残してあり、小さなビニール袋に入れている。
「どうすんだそれ?」
「家でお茶漬けに入れて食べるとこれがイケるんですよ」
 そうなのかと思い俺も真似をする。柳生は俺の分もビニール袋を用意してくれていた。帰ったら薫と二人で半分ずつにしょうと思った。
 桜餅はほんのりと桜の香りと僅かな塩味を感じ餡の甘さが引き立つ感じだ。お茶が美味かった。
 勘定を払って鐘ヶ淵の多聞寺を目指す。長命寺の桜餅を過ぎると墨堤通りに出る。ここを一路北に向かう。暫く行くと明治通りとの交差点だ。左は白鬚橋。右に行くと向島百花園だ。ここを突き進むと左側が塀のような都営団地が続く。何でも震災の時、下町の炎を都心に入れないように建てたのだと言う。中に住んでる人は堪らない。
 やがて道が地下に潜り立体交差になると左に水神大橋、右には鐘ヶ淵の駅が見える。
「ここを右折して最初の信号を左に行きます。実はその道が江戸時代以前からある古道なんですよ」
 柳生が解説してくれるので、ICレコーダーに彼の言った事を吹き込む。あとで記事を書く為だ。柳生の言う古道に入る。なるほど、そう思ってみると道が自然な感じで曲がっていて自転車で漕いでも気分的に楽な感じがする。直線路だと先が長い、等と思ってしまうのだが、これは不思議だ。
「この道はね。水戸道や日光道の脇道、間道だったのですよ。千住宿を通らないでその先に行く道で、今は荒川で切れてしまっていますけど、それ以前はその先で小菅で水戸道に繋がっていたんです。だから結構な人が行来したみたいですね。多聞寺はだから結構当時は有名なお寺だったんですよ」
 そうなのか、だから柳好の噺にも出てきたのか。時代が下がって有名では無くなった多聞寺の代わりに浅草寺が出て来たという訳なんだと俺は理解した。そういえば編集部に江戸時代の道と今の道を重ねて見られるデジタル地図があったと思いだした。帰ったら起動させて確認してみよう……
 多聞寺まではさほどの距離は無かった。門構えからして古風な感じがして趣のあるお寺だった。ここで点いた鐘の音が三廻神社まで届いただろうと実感出来た。
「ご本尊は毘沙門天様だそうで、毘沙門天像は弘法大 師作と伝えられているんですよ」
 柳生の解説を聴き、その詳しさに舌を巻く。俺は境内を散策しながら
「噺を覚える時にやって来たのかい?」
 それを確認しておきたかった。その事も記事に入れるつもりだった。
「ええ、二つ目の頃なんで、遠くなら行けませんけど近くですからね。ここまで来て荒川の土手にも上りました」
 柳生ならそうだろうと思った。誘われてすぐ近くの荒川に向かうと土手と並行して東武線が走っていた。
「この東武線も荒川が出来る前は川の真ん中を走っていたんです。圓遊師がこの噺を作り替えた頃はきっとそうでした。そう思ってこの噺をやっています」
 見ると荒川を船が下流に向かっていた。
「さあ帰りますか! 今日は『野ざらしを』やりますよ」
 そう言った柳生の顔には自信がみなぎっていた。その晩の柳生の「野ざらし」は見事なものだったと記しておく……

噺家奇談 ~続章 噺の命~ プロローグ

081029-1jpg噺家奇談の続きですが、話の方向が若干違う為に新しく立ち上げました。
 これから不定期ですが連載していきます。

こちらに乗せなかった「噺家奇談」(落語シリーズ)の続きはこちらで読むことが出来ます。
噺家奇談

~神山は編集部から新しい仕事を任命される。それは、古典落語の舞台を噺家と訪れ、そのレポートとその噺に纏わる人々のかかわり合いを記事にすることだった。
 新しい仕事に準備をする神山。やることは多い。ゆくゆくは訪れた噺を落語会で披露するという趣向もあるという。
果たして神山は順調にこなすことが出来るだろうか?~

★ プロローグ

 秋分の日を過ぎるとやっと幾らか涼しくなって来た。とは言え未だまだエアコンのお世話にならないと過ごせない陽気だった。
 俺は今朝から開かれていた「編集会議」をやっと抜け出した所だった。それが許されたのも、来年の新年号から新しい企画が立ち上がる事になり、それを俺が担当する事になったからだ。
 どのような企画かと言うと、古典落語の舞台になった場所を噺家が訪れてレポートすると言うものだ。良く昔は落語雑誌で見られた記事だが、ほとんどは単発 で連載というのは少なかった。社では好評なら数年単位での連載も考えていると言う。そう古典落語はかなりの数があるからだ。
 俺のする事は多い。まず同行してくれる噺家の選択と依頼。場所の選定。記事は俺が書くのだが、噺家との会話も入れたいとの事だった。そのフォーマットも 考えなければならない。それに取材費の関係でカメラマンの高梨は同行出来ないのだ。写真も担当する事になった。いざとなったら佐伯や他のスタッフも手伝っ てくれるかも知れんが、今から期待はできない。まずは企画を話して賛同してくれる噺家を探す事だった。

 その日から俺は寄席や落語会に出かけ、数人の噺家に打診してみたが、皆「忙しくて」と言う答えだった。忙しいのも事実だが本当はギャラの安さだったと思う。本音では「それぐらいなら寄席に出た方が勉強になる」だろうと思う。俺でさえそう思うのだから……
 そんな訳で人選は壁に突き当たっていた。これはと思う噺家にことごとく断られて、実際「この企画はボツかな」と思ったほどだった。
 そんな時、編集部で別な仕事をしていたら柳生が顔を出した。
「よお、暫くだな。相変わらず忙しそうで何よりだ」
 夏が過ぎたのに相変わらず白い顔をした柳生は
「面白い話聞きましたよ。なんでも面白そうな企画があるそうじゃ無いですか? 何で声を掛けてくれないんですか? 水くさい」
 実は真っ先に柳生の顔が浮かんだのだが、協会や所属の事務所に問い合わせてみると、柳生のスケジュールがかなりキツイ事が判って断念したのだ。そのことを言うと
「事務所なんかに問い合わせたら駄目ですよ。お金にならない仕事は受けないんですから……直接電話してくれたら良かったんですよ」
 そう言って半分むくれている。こんな表情の柳生を見るのは初めてだった。
「じゃあ、改めて頼む。引き受けてくれるかい」
 俺の言葉が終わると同時に
「勿論です。そこで提案なんですが、何人かの噺家でローテーションを組んだらどうでしょうか? この噺はこの人が得意だから担当して貰うとか、どうでしょうか?」
「確かにそれは魅力的だが、今までことごとく断られて来たんだ。今更誰に頼むんだい?」
 実際問題として、これから誰が引き受けてくれるかが、問題だと思った。
「何言ってるんですか! 神山さんの人脈の噺家に頼めば良いんですよ」
 ニヤリとした柳生の顔を見て三人の噺家の顔が浮かんだ。だがそのうち二人は高齢だ、引き受けてくれるだろうか?
「私も一緒に行きますよ。丁度これから圓盛くんに稽古をつける約束なんです。そこで話してみますよ」
 俺は柳生に企画書を見せて理解して貰った。もとより聡明な柳生の事だ、その真意を理解してくれた。
「後から連絡しますよ」
 そう言い残して柳生は去って行った。もし四人でローテーションを組めるならこんな良い事はない。
 若手ナンバーワンの柳生、名手の圓盛師、幻の噺家の圓海師、そして若手真打で進境著しい盛喬となればこれは読者も付いて来ると思ったのだ。

 夜になり残業を終えて帰ろうとした時に電話が鳴った。出てみると柳生だった。
『神山さん、了解取れましたよ。三人供OKです』
 弾んだ声が俺の耳に届いた。
「そうか、ありがとう! よく引き受けてくれたな」
『それは皆、何かあったら神山さんの手助けがしたいと思っていたからですよ』
 それは違う、俺は自分が正しいと思って来た事をやっただけだ。
「一度皆で集まっらないとな」
『それも含めてもう一度伺いますよ』
 柳生はそう言って通話を切った。さて、どこかで呑まさないとならないと考えた。
 家に帰り今日の事を薫に言うと、新しい俺の仕事を喜んでくれて
「それならウチに呼べば良いじゃない。わたし、料理沢山作るから来て貰えれば嬉しいな」
 そんな事を言って俺を慌てさせた。
「だってお前、大変だぞ、身重なのに」
「身重は関係ないわよ。今ね食べ物が美味しいの! だからきっと料理も美味しく作れると思うんだ」
 どういう理屈でそうなるのかは良く判らないが薫がそうしたいなら良いだろう。後片付けは俺がやれば良い。そう考え直した。
 翌週、我が家に圓海、圓盛、柳生、盛喬の四人の噺家に集まって貰った。薫の作ったコールドビーフや焼き鳥、その他の料理を口にしながら、幾つかの事を決めた。

 1.季節に沿った噺を取り上げる。
 2.その噺を得意な噺家が担当する。
 3.神山が書いた原稿を一応監査する。
 等と言う事が確認された。原稿を監査すると言うのは大げさだが、要するに間違いが無いか確認すると言う意味だ。
 相談しながら圓海師が
「ワシは粋な場所担当がいいな~」
 そう言ったら弟弟子の圓盛師が
「兄さん、それはずるいですよ」
 そう言ったので皆で笑ってしまった。そして、企画の色々な事が決まった。
 企画のタイトルが「古典落語の舞台を尋ねて ~噺の命~」と決まった。
 そして最初の噺が「野ざらし」で尋ねる場所は隅田川沿いとなった。勿論、向島の多門寺も尋ねる。そして最初の担当の噺家は麗々亭柳生と決まったのだ。
 いよいよ企画が動き出す……

流星群の夜

 以前投稿した「節分の宵」の世界観です。二人の出会いの場面です。

 わたしには三つ違いの兄がいます。名前を朔太郎、橘朔太郎(たちばなさくたろう)と言います。申し遅れましたがわたしの名前は楓、橘楓(たちばなかえで)と申します。
 それは兄が大学に、わたしが高校に入学して間もない頃でした。その日は土曜日で、わたしと母は庭に植えられた満開の桃の花を縁側から眺めていました。穏やかな日差しと暖かい風に乗り桃の花の香りが辺り一面に漂っていました。
 そんな昼下がりの穏やかな午後の空気が兄が帰宅して賑やかな感じに一転しました。兄は丑年ですが周りの人をも巻き込んで陽気な感じを振りまく人なのです。
「ただいま~友達連れて来たんだ。何か食わせてくれないか」
 わたしと母が出迎えると大柄な兄に負けない背の高い方が兄の後ろで立っていました。
「おう、紹介するよ。同じクラスになった香月凛太郎くんだ。こちらは母と妹の楓だ」
 兄に紹介された香月凛太郎さんは一礼をして
「香月凛太郎です。宜しくお願い致します。朔太郎くんにはいつもお世話になっています」
 そう自己紹介をなさりました。その姿を見て「とても礼儀正しい方」だと思いました。
「さあ、上がってください。朔太郎と同じもので良かったら用意してありますから、どうぞ」
 母の言葉に二人が上がります。脱ぎっぱなしでそのまま歩いて行ってしまう兄とは対照的に凛太郎さんは後ろ向きになり自分の履物をきちんと揃えられまし た。「そのような事はこちらがしますから」と言うと凛太郎さんは「いいえ、自分の事ですから」とお笑いになりました。靴を揃える姿と、言い訳の言葉が慣れ ていらっしゃるので、きっと御両親の躾がきちんとなされた方なのだと思いました。兄も他所の家に行ったら同じようにして欲しいとその時思いました。
 わたしと母は既にお昼は終えていますので、兄と凛太郎さんの二人が食堂で並んで座っています。今日のお昼はうどんでした。
 もう季節が終わるから、と母の里から牡蠣が送られて来たのです。昨夜は生牡蠣で家族で食べたのですが、残ってしまったので母が「牡蠣うどん」にしたのでした。
 うどんは水沢うどんを使い、醤油のお出しで薄味に仕立てます。葱を斜め切りにして沢山入れます。そこに別な鍋で片栗粉をまぶして茹でた牡蠣を入れるのです。プリプリの牡蠣と腰のあるうどんに葱の甘みが絡んでわたし達家族の好きな一品です。
 凛太郎さんはうどんを目にして
「牡蠣ですか! 暫く食べてないなぁ~」
 と顔を輝かせています。
「凛太郎さんも牡蠣がお好きなのですか?」
 わたしの質問に凛太郎さんはニコニコしていて 
「大好きなんです。でもこの冬は食べてなかったので、今日こうして目にして喜び爆発と言ったところです」
 そのおどけた言い方で本当にお好きなのだと判りました。
 
「ご馳走さまでした。美味しかったです。うどんのお汁が出汁が効いていて旨味があって牡蠣と良く合いました」
 兄もそうですが、男の方の食べる仕草は見ていて気持ち良いものだと思います。
 食べ終わると兄が
「今夜は何とか流星群が見られるそうじゃないか、それで香月を連れて来たんだよ。こいつの家は街中で、真冬なら空気が澄んでるから夜空も綺麗に見られるそうだが春になるとやはり霞んでしまうらしい。それで今日は連れて来たんだ。だから今夜は泊まらせるから、宜しくな」
 兄が凛太郎さんを我が家に連れて来た理由が判りました。わたしも両親も賑やかなのが好きなので大歓迎です。
 凛太郎さんが夕食を一緒になさるならわたしも母のお手伝いをして一緒に夕食を作ります。いつも手伝っているのですが、何だか今日は気持ちにも張り合いがあります。おかしなものですね。
 夕食はポークソテーにしました。キャロットグラッセと粉ふきいもを添えます。サラダはサラダボールに山盛りの生野菜を入れて各自コングで自分の小さなボールに取り分けて戴きます。お好きなドレッシングを掛けて貰います。
 そこに揚げ出し豆腐が加わります。降ろした生姜と白髪葱が沢山載っているのです。凛太郎さんは初めて見たのか、食べる前にしげしげと眺めていました。わたしはそれを見て申しわけ無いと思いましたが少し笑ってしまいました。わたしは未だ子どもなのだとその時自覚しました。

 流星群は夜の十時過ぎから見られるそうです。時間になると縁側に両親とわたし。庭に兄と凛太郎さんが立っています。
 煌々と月が輝いています。果たして流星群は見られるでしょうか? 
 それからどのぐらいでしょうか? 皆で雑談をしていたら西の空を指さして凛太郎さんが
「楓さん、ほらあそこ!」
 凛太郎さんの指さした方向を見ると小さな流れ星が落ちて行くのが判りました。思わずわたしはお願い事を頼んでしまいました。『ここに居る皆がいつまでも平穏に暮らせますように』と願ったのです。
「楓さん。願いごとならこれから沢山見られるから大丈夫ですよ」
 凛太郎さんに言われて、確かにそうだと思いました。慌ててしまって少し恥ずかしかったです。
 兄がその様子を見て微笑んでいました。
 その後沢山の流星群が流れて行きます。わたしはその都度心の中で同じ願い事をしたのでした。

 了

追伸……RS計画の公式から「RS計画を応援して下さって大変ありがたいのですが、宣伝方法がやや適切でない可能性があるため、できれば作品を取り下げて貰いたい」というような趣旨の連絡を貰いましたので、pixiviの作品は取り下げました。ブログでは宣伝することはOKを戴きましたので、これからも宜しくお願い致します。
おかげさまで「RS計画」は順調に再生数を伸ばしています。
どうか、引き続き応援を宜しくお願い致します。m(_ _)m
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