2015年02月

たらちね死神

 若い頃は東京の冬がこんなに寒いと恭一郎は感じたことはなかった。それは今年四十五歳になるが今までにも寒い年は確かにあったが、自分の体がこんなに芯から冷えてしまうと感じたことも無かったのだ。
 部屋のストーブに火を入れて手をかざすと一層寒さが身に染みた。
「ああ、寒いな。全くどうしたのか」
 何気なく独り言を呟くと、斜め後ろから
「そりゃあお前が歳とったからだよ」
 いきなりの声に驚て振り向くと、歳は七十を既に超えていようか、白髪の髪が肩の下まで伸び、顔は深い皺に刻まれていた。着ているものは以前はちゃんとした色があったのだろうが、もはや元の色も判らないほど薄汚れていた。
 自分しかこの部屋には居ないと思っていた恭一郎は腰を抜かして
「あ、あんた誰? それにどうやってここに入ったの?」
 それだけを言うのが精一杯だった。
「俺か? 俺は『死神』だ。そうお前らが死ぬと俺達があの世に案内する習わしになっているんだ。それなのに、お前らと来たら、最近は長生きばかりで、ろくに死やしねえ。俺達はな、お前らが死なないとおまんまの食い上げになっちまうんだ。だから見ろ! こんな薄汚れた格好しか出来ねえじゃねえか」
「し、死神さん……ですか? じゃあ~僕死んじゃうんですか?」
 恭一郎は驚きながらもやっとそれだけを尋ねた。
「早合点するな。お前の寿命はまだ沢山残ってるわ。今日お前の前に現れたのはな、俺らが暇なもう一つの理由を少しでも解消する為に現れたんだ」
「もうひとつの理由って何ですか?」
 恭一郎は思ったより死神が怖くないので何とか普通の口を利けるようになって来た。
「それはな、お前らが結婚せずに子供を作らないからだ。子供が生まれて子沢山になれば、人口が増える。そうなれば俺達の仕事も活況を呈すると言うものだ」
 恭一郎は、そんなものかと感心していたが
「お前のことだぞ! いい年しやがって独身で、子供も作らないと来ている。全くお前のような奴が居るから俺らが困るんだ」
 何だか言いがかりのような気もしたが、でもそれでどうするのだろうかと気になった。自慢じゃないが彼女なぞ大学の時に振られて以来、全く出来る気配も無かった。会社に入っても出世とは縁がなく、未だに平社員だし嫁さんもいない。そんな自分に誰か世話してくれるのだろうか? もしそうなら恭一郎はこの侘しい一人暮らしに決着を着けることが出来るなら自分にとっても素晴らしいことだと思った。
「死神さん。でも僕、彼女いない歴二十三年なんですよ。そんな僕に誰かいますでしょうか? モテない事にかけては自信があるんです。上司が世話してくれたお見合いも連続五十回振られましてね。未だに独身なんです」
 恭一郎の言葉を最後まで聞いた死神は
「あのな、俺だって仕事なんだ。それに飯の種だから、ヘマはしない。今回お前に丁度良い相応しい娘が見つかったから現れたと言うものだ」
 そうか、死神は成功確実な所にしかやって来ないと言う訳かと恭一郎は思い
「あの、どんな娘なんですか、僕に釣り合う娘というとやはり歳なんかは四十過ぎの熟女かなんかですかねえ?」
 自分のことにかけては全く自信が無い恭一郎だから、ついこんな事も言ってしまう。
「馬鹿! 四十過ぎなら子供を作れないだろう! お前だってあと五年も過ぎれば種が薄くなって子供を作りたくても出来難くなるんだぞ」
 そんな仕組みになってるとは思わなかった。のんびりと暮らして来たが、タイムリミットはあと五年なのかと思った。
「判ったか! お前に紹介するのはこの娘だ」
 死神は懐からタブレットを取り出すと指で操作して画像を表示させて恭一郎の前に見せた。
「今どきの死神さんは便利なもの持っていますね。僕もスマホなら持ってますがタブレットは持ってないです。あれ、これiPadじゃないですか、それも最新の!」
 驚いて覗き込む恭一郎に死神は
「最近はな、色々と地獄庁が煩くてな。それにあの男、スティーブ・ジョブズがやって来て地獄の機械を全部リンゴマークに変えよった。それから支給されるのはこればかりよ。そんな事より、どうだ、この娘は」
 死神の手にあるiPadに写された画像は、着物を着ていて日本髪の娘だったが、かなりの美人でカワイイ娘だった。踊りか何かの時に写したのだろうか? 写真の後ろの景色も見慣れない光景だった。
「この娘なあ、実は九州の佐賀の出身でな、事情があって今は東京に暮らしているのだが、いざ結婚となると、もしかしたら向こうに住むかも知れんのだ。それはどうかな?」
 そんな事は構わなかった。東京生まれの恭一郎だが、別に結婚してどこで暮らしても構わないと思った。会社も、佐賀には支社があり希望すれば転任させてくれる社風だったからだ。
「いいですよ! この写真見るだけではちょっと古風ですが、この娘幾つなんですか?」
 恭一郎の問に死神はやや間を置いて
「幾つぐらいに見える?」
 逆に質問して来た
「そうですね~二十三か二十二ぐらいですかね?」
「惜しいな。聞いて驚くなよ。十八だ!」
 十八にしては老けていると思ったが、こういう娘の方がいつまでも変わらない感じで四十を過ぎても全く老けないと思う恭一郎だった。
「どうだ、逢って見たいか? ならばここに連れて来てやってもいいぞ」
「今からですか?」
「ああ、嫌か?」
「いいえ、出来れば今直ぐにでも。善は急げって言うじゃないですか」
「これは善なのか? 死神の俺がか?」
「何でもいいじゃないですか。これで上手く行って結婚して子供が沢山出来れば死神さんだって万々歳なんでしょう?」
 今度は死神は恭一郎に言われて納得する番だった。
「よし、判った。ちょっと待っていろ」
 そう言ったかと思うと死神の姿が風のように消えていた。

 ひとりになって見ると恭一郎は今あったことが事実かどうか自信が無かった。だってそうだろう、得体の知れない老人がいきなり現れて自分が『死神』だと名乗り、あまつさえ独身の自分の嫁さんを世話してくれるという。そんな都合の良い現実があるとは思われなかった。
「きっと夢だ。これは俺が見ている夢なんだ」
 そう思い込むことにした。だが、その決意も直ぐに破られる。さっきの『死神』と名乗った老人が再び現れたのだ。しかも今度は黒いブラウスにミニスカート姿の髪の長い女の子を連れていた。
「よう、待たせたな。約束通り連れて来てやったぜ。この前に居るのが恭一郎だ。歳は多少喰ってるが気のいいやつだ。挨拶しな」
「初めまして、この度死神のおじさまから紹介されました、たま、と申します。どうぞ宜しくお願い致します」
 三指をついた丁寧な挨拶に思わず恭一郎も
「あ、初めまして恭一郎と申します。どうぞ宜しくお願い致します」
 両手をついて挨拶をしてしまった。
「どうだ? いい娘だろう。お前特別だからな。上手くやれよ。俺は邪魔者になるから消えるからよ。ああ、それからこいつ犬だけは駄目だからな。そのう……犬アレルギーという奴だ。それだけだ。それじゃな。産めよ増やせよ……どこかで聞いたセリフだな。まあいいや」
 死神は自分の言いたいことだけを言うと風の様に消えてしまった。
「……消えちゃいましたね死神さん。あのう、たまさんとおっしゃいましたけど、たま子とかたま江とか言う名前なのですか?」
 恭一郎は自分の目の前でにこにこしながら座っている少女に尋ねてみた。
「いいえ、ただ、たまって言うんです。ちなみに苗字もありません。だから一緒になれば恭一郎様の苗字がわたしの苗字になります。どうぞ宜しく願い致しますニャ」
「ニャ? って……」
「ああ、なんでも無いですニャ……あ」
 そう言いながら恭一郎に向って頭を下げると白いブラウスの胸の前が広がり豊かな谷間が覗いた。思わす目が行きそうになるのを必死で抑える。
「やはり気になるなぁ~その語尾のニャって癖なの。それとも確か死神さんが佐賀出身って言っていたから、そっちの方言なの?」
 恭一郎はあくまでも語尾が気になるのだった。たまは最初は笑っていたが、段々と辛くなって来たみたいで、それほど恭一郎の視線が痛かったのだ。
「佐賀ってさぁ~昔は鍋島藩だったよね。あそこって化け猫の伝説があったね。色々と昔は映画にもなったよね? なんか気になるんだよね。でも今の世の中、そんなこと無いか、まさかたまちゃんが、その化け猫だなんてさ、俺ね大学の頃は落研だったんだ。だからその辺詳しいんだ」
 冗談半分のつもりだった。そう本当にただのいたずら心だったのだが……たまは突然
「申し訳ありませんでした。恭一郎様を騙すつもりはなかったのですが、わたし達も子孫繁栄のために、わたしのお婿さんになってくれる方を探していたのです。それで知り合いの死神さんに相談した訳です。最近あの方そっちの方に力を入れていましたから……」
「ということは、たまちゃんは、その……もしかして……」
「はい、佐賀鍋島藩の化け猫の子孫です。化け猫なんですが代々人間界で暮らして来たので殆ど人間みたいなものです」
 殆ど人間みたいなものって、人間じゃ無いと言うことじゃないかと恭一郎は思った。それと同時に、自分が猫好きであること、このまま暮らしていても嫁さんは愚か、彼女だって出来やしないと判ってることを考えるのだった。
「あのさ、子孫繁栄って、やはりすることするの?」
「勿論です! それは人間も猫も変わりません。大丈夫です。わたしの一族は多産系ですから、いっぱい恭一郎様の子供を産んで見せます」
「いや、見せますと言われてもなぁ~」
「駄目でしょうか? 恭一郎様素敵です!」
 そんなことを言われたのは初めてだった。いま、目の前の美少女を見ていると、人間ならば何の文句もない! ならば何が問題かと恭一郎は自問自答した。答えはやはり、この“たま”なる娘が一見美少女に見えるが本当は猫で、自分が見ている姿が幻ではなかろうかということだった。
「もし、一緒になれたら、恭一郎様は文字通り、わたしのご主人様になります。毎日『ご主人様行ってらっしゃいませ』とか『お帰りなさいませご主人様』とか言えます。それを言うのが夢だったのです」
 何と言う健気さだろうか。だが、恭一郎にはそこまでやるならもうひとつだけ確認したいことがあった。
「その時の格好は?」
「勿論! エプロン姿です。エプロンだけでもいいですよ」
「じゃあ、もしかして、『猫耳』なんかは?」
「得意ですニャ」
 たまはそう言って艶やかな髪の毛の間から可愛らしい小さな三角の耳を出して見せたのだった。
 決まりだ! 恭一郎は心の中で喝采を叫んだ。全て叶った。自分の人生で、可愛くて、髪が長く、巨乳で脚が綺麗で、そして従順で、おまけに「猫耳」まである。しかも本物! これ以上望むものがあろうか。
「判った! こちらこそ宜しくお願い致します」
 恭一郎はたまに向って頭を下げた。

 それから数年後、恭一郎とたまの間には沢山の子供が生まれ、日本の少子化を食い止める一助になったのだった。めでたしめでたし。その頃、死神は

「全く、俺も気が長いよな。生まれた子供が寿命で死ぬことを待ってるんだからな。だが猫の子なら寿命はそんなに長くはないだろう。それだけが救いさ

 二人の家の屋根の上で死神は呟くのだった

 了


桃の香りの風はわたしを未来に連れて行く

桃の香りの風はわたしを未来に連れて行く  お題「風、桃、交差点」

 正直、腹が立っていた。余りにも身勝手な言い分に最後まで話しを聞かずに出て来てしまったのだ。教室から急いで飛び出し、やっと駅前の交差点まで辿り着いた。ここまで来ればもう追って来ないだろう。そう思うと一安心する。
 高校一年の時から交際して来た隆がいきなり「別れてくれ」と言って来たのだ。何の前触れも無く今日、正確にはつい先程、教室で言われたのだ。驚きと同時に腹が立ってここまで走って来てしまった。だから、隆の言い訳の何も耳にしていなかった。
 まあ良い、早く家に帰って、お母さんの用意してくれたお菓子でも食べよう……わたしは、その時はそんな事を考えていた。
 信号が変わったので、横断歩道を渡りだすと、この辺りには不似合いな桃の実の匂いが漂って来た。
 この辺に果物屋や八百屋は無い。すぐ傍で誰かが桃のジュースでも飲んでいるのかと思ったが、そんな人はいなかった。
 気のせいかと思い直して交差点を渡って行くと、今度は突風が吹いて来て目を開けていられなかった。両方の手のひらで顔を覆って真っ直ぐに歩く。もう少しで向こう側に渡れる場所まで歩いていたので、すぐに渡り終わった。
 目を開けると、わたしの知らない世界だった……いや正確には見覚えのある景色だし、今までわたしが歩いていた交差点なのだが、季節が違っていた。
 並木のポプラは葉を落とし、先ほどとは違って冷たい風が吹いている。周りを歩く人をみても今がつい先程までの初夏では無いと判る。
 銀行の掲示板を見ると十二月三日午後三時二十一分としてあった。半年以上も違う。いったいどうした事だろうか……
 それに十二月だそうだが、前の時期より進んでいるのか、戻っているのかが判らなかった。
 年が判ればそれで判る。そう思って自分の携帯を確認すると前のままだった。これでは何の役にもたちはしない。
 コンビニに入り、お弁当の賞味期限を確認する。年は同じだった……どうやらわたしは半年先の世界へやって来てしまったようだった。
 どうすれば良いか、歩きながら考える。とりあえず家に行ってみようと思った。でも、そこに半年先の自分が居れば、もう自分には居る場所は無い。困った事になる。その場合、わたしはわたしだがわたしではなくなるのだ。不思議な感じだ。
 兎に角、じっとしていてもしょうが無いので、家に向かって歩き出す。冬なのに夏服を着てるから寒いことおびただしい。家で冬服に着替えたかった。
 家の前まで来て、暫く様子見る事にする。時間だけは元の世界と変わって無かったので、この時間のわたしはこれから学校に帰って来るのだと推理した。なら ば今がチャンスかも知れない。自分が帰って来る前にわたしが家に入ればお母さんはきっと学校から帰って来たと勘違いするだろう。そう考えた。
「ただいまー~」
 何気ない声で言ってみるとお母さんの声で「おかえり、早いわね」
 そんな声がした。適当に答えて自分の部屋に入る。机の写真立てには隆とわたしの並んで写ってる写真が飾ってある。これは覚えがある。わたしにとっては先週一緒に遊園地に行った時に遊園地の係の人に写して貰ったからだ。
「印刷したんだ……」
 思わず声が出てしまった。そう思ったらいきなり後ろから肩を叩かれた。振り向くと半年後の自分が居た。
「あ、わたしは、わたしで……」
 何を言って良いか判らず口が空回りすると、半年後のわたしは
「あなたが今日ここにやって来るのは知っていたから、早く帰って来て押入れに入って待っていたのよ」
 そうか、彼女も自分だから今のわたしがする行動は既に経験済みだったと気がついた。
「あなた、隆の言葉を良く聞かないで飛び出したでしょう。だから大事な事も知らないのね。隆はねえ、もう学校には居ないのよ。転校してしまったのよ。だから『別れて欲しい』って言っていたのよ。それを良く聞きもしないで飛び出すから……」
 そうだったのか、それは失敗してしまった。
「で、結局わかれたの?」
「遠距離恋愛よ。あなたが飛び出したから隆は結局別れをちゃんと言えず、そのままになったから手紙やメール、それに電話やLINEで連絡を取ってるわ」
 そうか、ならば結局怪我の功名ではないかと思ったのだった。
「判ったなら、帰りなさい」
 半年後のわたしは事もなげに言うが、来たくて来たのでは無い。どうやって帰れば良いか判らない。
「簡単よ。あの交差点を今度は反対に渡れば良いのよ。さあ、行きなさい」
 言われてわたしは交差点に戻って来た。信号が変わるのを待って歩き出す。すると先ほどと同じように風が強く吹き桃の香りがした。やはり目を瞑って交差点 を渡り終わり、目を開けると元の五月の風が吹いていた。わたしは元の時間に戻った事を確認して、学校に戻った。途中で学校から飛び出した子とすれ違った。 良く見ると先ほどのわたしだった。
 わたしは彼女を見送ると学校に入って行った。そして隆に「遠距離でも構わない」と伝えたのだった。


氷菓二次創作  「摩耶花の嘘」

氷菓二次創作  「摩耶花の嘘」

 二月のバレンタインの騒動は今年も神高中を巻き込んで賑やかに繰り広げました。当日は校内の至るところで女生徒から真心が篭ったチョコを貰う男子生徒の姿が見られました。
 古典部でもわたしの親友の摩耶花さんが今年も本当に素敵なチョコを作り、今年は無事に福部さんに手渡すことが出来ました。
 でも、それを知ったのは翌日でした。なぜなら、お二人は十四日は古典部にはいらっしゃらなかったからです。
 きっとお二人何処かで行なったのだと思うのです。それもきっと水入らずで素敵だと思います。
 その日の古典部はわたしと折木さんだけでした。二年になり「漫研」を退部なされた摩耶花さんはかなり頻繁に古典部に顔を出してくれるようになりました。でもこの日はわたしと折木さんだけだったのです。
 わたしと言えば相変わらず今年も折木さんにバレンタインの贈り物はしませんでした。折木さんもそれが判っていたようで、普段と変わりありませんでした。
 お茶を入れて、わたしが家から持って来た貰い物のお菓子を出して、二人で食べたのです。何時もと変わり無い時間が過ぎて行きました。そして翌日、摩耶花さんから無事に福部さんにチョコが渡った事を聞かされたのです。心の底から良かったと思います。昨年のような事は二度とあってはならないと思うのです。
「ちーちゃんは、今年も折木にあげなかったんだ?」
「はい、それは事前に伝えてありますから」
「でも意外だな。料理上手のちーちゃんが、作らないなんて……何か不思議。でもあげない事が何よりの愛情表現なら仕方無いわね」
 愛情表現はオーバーですが、折木さんは事情を理解してくれていますから……
 そう思っていたのですが……

 バレンタインから数日後のことでした。掃除当番でしたので、教室を掃除したゴミをゴミ箱ごと焼却場に持って行った時でした。
 わたしが行った時には数人の生徒が並んでいました。わたしは一番後ろに並んで順番を待っていました。その時です。かなり前の方から男子生徒同士の声が聞こえました。
「折木の奴、誰からもチョコ貰え無かったみたいだぜ。義理も無かったそうだ」
「折木って言えば確か……いたろう? 名前は……」
「千反田さんだろう!」
「そう、千反田さん。彼女と付き合ってるんじゃ無かったのか? あれは単なる噂に過ぎないのか?」
「そうだな……じゃあ、俺がアタックしてみるか!」
「ムリムリ、相手は神山でも名家の令嬢だぜ。俺たちとは違うよ」
「そうだな~誰か相応しい相手を探すことにするよ」
 どんな顔をしているのかは確認出来ませんでした。二人はゴミを捨てるとわたしが来た方とは逆の方に歩いて行ってしまったからです。でも、話の内容からきっと折木さんと同じクラスだと感じました。
 わたしは、その話を聞いて折木さんに申し訳なく思いました。自分の都合だけで、折木さんにつまらない思いをさせてしまったからです。
 形だけでもあげれば良かったと後悔しました。
 掃除が終わり古典部に向かいます。地学講義室には既に摩耶花さんがいました。
「あ、ちーちゃん、どうしたの? そんな暗い顔をして?」
 わたしの思っていたことが顔に出ていたのでしょうか? 摩耶花さんには嘘はつけないと思いました。正直に先ほど聞いた事を話します。
「なんだ! そんなこと気にしなければ良いのよ。事情を全く知ら無い人間の言う事なんか気にしない方が良いわよ」
 摩耶花さんの言う通りなのでしょう。でもわたしとしては心苦しいことに変わりはありませんでした。
「でも折木にはクラスの者がそんな噂をしていたなんて言えないわね。でも気にしなくて良いと思う」
 摩耶花さんはそう言ってくれて、その後迎えに来た福部さんと一緒に帰って行きました。今日は折木さんは来ませんでした。何か用があったのでしょう……

 それから折木さんは古典部にあまり来なくなりました。摩耶花さんに尋ねても良く知らないそうです。気がつけば福部さんも元々総務委員の仕事で来られない方でしたが、ここの処益々来る回数が減って来た感じがします。
 三月に入り期末試験の季節になりました。部活動が禁止されたので、皆さんに合う機会も減ってしまいました。
 試験が終わるとすぐにホワイトデーがやって来ます。わたしのクラスの女子の間でも本命のチョコを送った相手から良い返事が貰えるか、そんな噂で持ちきりでした。
 摩耶花さんは福部さんからどんなものを貰うのでしょうか? わたし気になります!
 わたしの場合は元々折木さんに差し上げていないので、折木さんがわたしにくれるはずがありません。その点では気が楽です。
 十四日になりました。校内ではあちこちで先月とは逆の事が行われています。きっと摩耶花さんと福部さんは先月と同じように、二人だけになると思っていました。
 でも、その日、古典部に摩耶花さんはいらしたのです。
「あれ、お一人ですか? 福部さんは?」
「ああ、今日は用事があるそうなのよ。だから古典部には顔を出せないから宜しくって」
 以外な言葉でした。すると朝のうちに摩耶花さんは戴いたのでしょうか? その事を尋ねると
「ううん。今日はふくちゃんには逢えないのよ」
 摩耶花さんはそんな事を言って平気な顔をしています。昨年が昨年だったから、今年はと思ったのですか……
「うん、今年は無いのよ。福ちゃんの気持ちはもう判ってるし、わたしの気持ちもちゃんと判って貰ってるから、いいの!」
 摩耶花さんはそう言ってくれました。摩耶花さんが納得しているなら、わたしが何か言う立場ではありません。
 それに今日も折木さんはいらっしゃりませんでした。最近極端に出席率が悪くなってきました。何か大事な用でもあるのでしょうか。ならば、わたしにも打ち明けて欲しいです。チョコやクッキーよりもその事の方が大事です。
 
 三学期は期末試験が終わると気の抜けた感じになります。球技大会などがありますが、勉強の方は余り真剣にはやりません。でも来年の今頃は受験の結果が出てると思うとわたし達二年生に残された時間がそう多くないと感じます。恐らくこの春休みが最後なのでしょう。
 そんな事を想いながら地学講義室の窓から校庭を眺めていました。すると摩耶花さんと福部さんが手を繋いで帰って行く姿が目に入りました。今日は摩耶花さんは嬉しいだろうと思います。最近は一人で帰る事が多かったので尚更です。

「どうした? 珍しいものでもあったのか?」
 後ろから不意に声を掛けられました。振り返ると折木さんがすぐ後ろに立っていました。
「折木さん……随分逢ってない感じがします。今日は御用は無いのですか?」
 わたしの質問に折木さんは笑いながら
「すまん、随分一人にさせてしまったな。実は話がある」
 そう言ってくれました。話とは何でしょうか? 折木さんはわたしの隣に座ると
「まず、里志は伊原を春休みにUSJに連れて行くそうだ。ホワイトデーのお返しとしてな。その為にバイトしていたんだ」
 そうだったのですか! それなら摩耶花さんも判っていたのですね。では何故、あの時嘘を言ったのでしょうか?
「それはな、お前に気を使ったのと、びっくりさせるためさ」
「びっくりって、確かに驚きはしましたが……」
 呆然としているわたしに折木さんは
「里志が一人でバイトしていたと思うかい?」
 そうでしたか! 折木さんも一緒だったのですね。
「俺達も行かないか? 京都に……そのついでにK大学を見学するというのはどうだ?」
 わたしは最初折木さんが何を言ってるか理解出来ませんでした。
「バレンタインにチョコなど貰わなくてもお前の心は判っているつもりだ。だからそんなお前の心に応えたくて、里志と一緒にバイトして、お前を希望するK大学の見学に連れて行ってやりたかったのさ。この事を直接俺の口から伝えたくて伊原は嘘を言ってくれたんだ」
 折木さんの口から真実が伝えられて、わたしは驚き、そして興奮しています。二人だけで早春の京都を散策して、そしてk大学を見学するという……なんて素敵なのでしょうか?
「でも、甘えてしまって宜しいのでしょうか? 何だか余りにもわたしが……」
「お前の喜ぶ顔が見たくて頑張ったんだ。甘えてくれ……」
 優しく折木さんはわたしのからだを抱きしめてくれました。
「はい、ご一緒させて下さい……」
 早春の午後の光が軟らかく二人を包みます。このまま暫く……

 了

氷菓二次創作 「戸惑い」

氷菓二次創作 「戸惑い」

 表には春の風が吹いています。恐らく春一番なのでしょう。待ちに待った季節がやって来たというのに、わたしの心には未だ冬のままなのです。将来を誓ってくれた人は今は遠い地にいるのです。それも、わたしは知りませんでした。
 僅か数日のことだとは判っているのです。でも、最後に交わした言葉がわたしの不安を掻き立てるのです。
「お前がそう思うのならそれでいい。俺はお前が思っているような事なぞ考えてはいない。信じて貰えないなら仕方がないな。暫く時間を置くのもいいかも知れない」
 彼はそう言って、わたしとの連絡を絶ちました。それから、僅かばかりの事でした。福部さんから連絡を貰ったのです。
「千反田さん、ホータローが東京に行くって話聞いてる? 何だか摩耶花も知らないみたいでね。千反田さんなら知ってるかと思ったんだけど」
 全くの初耳でした。彼、折木さんがこの春休みを利用して東京に行くなんて全く知らなかったのです。
「そうか……千反田さんが知らないとなると、何を考えているのだろうね」
  福部さんには先日喧嘩したなどとは言えません。最初はつまらない事だったのです。わたしが期末試験が終わった日に古典部に行くのに折木さんの教室に迎えに 行った時のことでした。職員室で部室の鍵を借りて折木さんのクラスに迎えに行ったのです。未だかなりの生徒が教室に残っていました。当然折木さんもいまし た。どうやら試験の答えをクラスと人と合わせているみたいでした。
 その中に女生徒がいました。名前は確か……すいませんその後に起こった事が衝撃的だったので忘れてしまいました。
  折木さんは彼女にいくつかの答えを訊いていました。割合近くで会話なされていました。その時でした。折木さんの顔に何かが付いていると指摘されましたが、 折木さんはどのあたりか、把握出来ない様子でした。するとその彼女は自分のハンカチを出して折木さんの頬に付いた汚れを拭いてあげたのです。
 わたしは目を疑いました。わたし以外の女の方とあんなに親しくしている姿を見たのは始めてでした。声が出ていたでしょうか?
『あ、千反田』
 驚いたような折木さんの顔を見て、その場にいたたまれなくなってしまいました。追いかけて来る折木さんを振りきって辿り着いた先は地学講義室でした。
 急いで扉を締め鍵を掛け、いつも自分が座ってる席で目を瞑り机に臥せりました。やや遅れてドアを叩く音がします。
「千反田、開けてくれ! あれは違うんだ!」
 折木さんの声が聞こえます。多分そうなのでしょう。折木さんがわたし以外の女生徒と特別な関係があるなんて思ってもみません。でも一瞬でも疑ってしまった自分の心が許せないのです。
「すいません一人にしていて下さい」
 それだけを言うのが精一杯でした。
「判った。ただ、これだけは言っておく、俺はやましいことはしていない。もしそう見えてしまったのなら謝る」
 それだけを言うと足音が遠くなって行きました。わたしはそっと入り口の鍵を開けて扉を開き折木さんの後ろ姿を目で追いました。
『ごめんください……』
 心の中で謝ります。わたしの心は醜いです。とても折木さんには見せられません。心に鉛を抱えたまま下校しました。
  その後、終業式まで折木さんが古典部にやって来ることはありませんでした。摩耶花さんが折木さんと親しげにしていた女生徒のことを話してくれました。それ によると、彼女は摩耶花さんと同じように小学校から幾度と無く同じクラスになった幼なじみみたいな存在で、折木さんの数少ない存在だったそうです。勿論男 女の感情はありはしない。と教えてくれました。
 また摩耶花さんは福部さんを通じて折木さんに色々と言ってくれたみたいですが、折木さんは「別にあのことがあって古典部に顔を出せないのでは無いんだ。あることを考えているから学期内は顔を出せない。そう伝えて欲しい」
 そう言ったそうです。それならわたしから言うことはありません。そのような訳でついぞ心が晴れることはありませんでした。
 終業式の日、偶然折木さんと出会いました。その時冒頭のことを言われたのです。折木さんのことを信じきれなかった自分が良くないのです。それは判っていたのですが……
 そして、春休みに入ってから福部さんから、折木さんが一人で東京に行ったと聞かされたのです。
  ひと言いって欲しかったです。何の用で東京に行ったのかは判りませんが、春休みに入れば元のようになると漠然と思っていました。でも、折木さんの伝言を戴 いてから未だに顔を合わせてはいないのです。それなのに……東京はわたしよりも魅力的なのでしょうか? つまらないことを考えてしまいました。

 その晩夢を見ました。誰かがわたしに忠告をしてくれている夢です。その方が
「もし、時間をあの時に戻せたらどうしますか?」
 その問にわたしは迷うことなく
「折木さんに笑って声を掛けます。だってわたしは折木さんを信用していますから……」
 そう答えると、その方は
「で は、どうして、あの時は逃げてしまったの? そのことを良く考えましたか? ちゃんと考えないと同じことが起きますよ。彼はあなた以外の女性は心に無いの です。だから、誰からも何をされても心が動かいのです。そこを理解しないとなりません。強くなりなさい。あなたは彼に一番愛されているのですから……」
 言われた事は最もなことばかりでした。
「あなたは何方ですか?」
「あなたを一番知ってる者ですよ……」
 追いかけて行こうとして目が覚めました。

 その日の午後でした。
「ごめんください!」
 玄関で声が聞こえました。わたしの耳が確かならば聞き覚えのある声です。急いで玄関に出ます。
「おう、千反田。しばらくぶりだったな。元気そうで何よりだ。実は用事で東京に行っていたんだ。これは土産だが何を買って良いか判らないからこんな物を買ってしまった」
 そう言って渡されたのは東京のお菓子の「東京ハバナ」でした。
「ありがとうございます! 上がって下さい」
 本当は抱きつきたいほどでしたが、ここは我慢しました。
 奥の部屋に折木さんを通します。コーヒーを入れて持って行くと美味しそうに飲んでくれました。
「実は東京に行っていたのは希望する大学を見て来たからなんだ。勿論名目上は姉貴の用事の使いだったのだがな。その旅行の費用を捻出するためにバイトをしていたんだ。それで暫く古典部には顔を出せなかった。悪かったな……」
 そんな訳があったと始めて知りました。やはりひと言いってくれれば良かったと思いました。その事を言うと
「すまん。あの時、実はお前にまずい所を見られたと思って、その後言い難くなってしまった。後で説明しようとは思ったのだがな」
 折木さんはわたしの入れたコーヒーをひと口飲むと
「旨いな。実はお前の入れてくれたお茶が飲めなくて寂しい思いをしていたんだ」
 そう言って笑っています。わたしは折木さんの傍に寄り
「寂しかったのはお茶だけですか? わたしはずっと寂しかったです」
 折木さんの目を見つめながら訴えるように問いただします。そうしたら、いきなり口を塞がれました。
「これが答えだ。納得してくれたかい?」
 痺れるような感覚が頭に残りました。
「今回だけは納得してあげます……でも、もういちど……」
 折木さんの腕にしっかりと抱きしめられてもう一度唇が塞がれました……

「東京で大学を見に行ったとのことですが、もう進学先を決めたのですか?」
 わたしは、今度はそれが気になりました。実はわたしの希望は京都のK大学なので、一緒には暮らせなくなります。
「今 は色々と調べているんだ。東京は何と言っても大学の数が多い。選択肢が広がる。欲を言えば千反田と同じ大学に進みたいが学力のレベルが違いすぎるからな。 それは諦めている。問題はこれからの俺とお前の為には妥協したくない、と言うことだ。それが第一だ。離れ離れになるのは身を切られるより辛いが、俺はお前 を支えて生きて行くと約束した」
 白川郷での一夜が思い出され身が熱くなるのを覚えます。あの晩、折木さんと同じ布団で温まりながら熱い想いを語ってくれました。きっとあの頃から色々と考えていたのだと思います。でも正直、それならわたしも同じ東京に行きたいです。
 客間の片隅で折木さんはわたしを後ろから抱きしめながら
「心配するな……俺だってお前と離れたくはない。きっと上手く行くさ……きっと……」
 その言葉がいつまでも耳に残りました。その晩の事です。昨夜、夢に表れた方が再び現れました。そしてわたしの心配を知っていて
「大丈夫ですよ。いずれは上手く行きます。心配は無用ですよ」
「あなたはどなたですか?」
「……わたしは三十年後のあなたですよ……」
 それだけを言うと霧のように消えてしまいました。目が覚め時計を見ると未だ真夜中です。裏口から庭に出てみます。春とはいえ身を切るような寒さです。煌々と輝く月を眺めながら、わたしは折木さんに付いて行く決心をしたのでした。

 了


☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

本日、小説投稿サイト「ノベルジム」の「トレーナーのアドバイス」コーナーにここでも連載した、拙作の
「花蓮荘の人々」が採用されました。
レトロ昭和の人情事件簿とおばあちゃんの秘密――『花蓮荘の人々』

節分の宵

 それは節分の日のことでした。大学に通ってる兄が友達を連れて来たのです。その方はわたしもよく知っている方でした。
「こいつ正月も実家に帰れなかったんだ。可哀想だから偶には家庭の味を味わさせてやろうと思ってな」
 いかにも陽気な事が好きな兄らしいと思いました。困ってる人がいると見捨てておけないのです。
「おじゃまします! 香月凛太郎です。今日は家族団欒の所お邪魔して申し訳ありません」
 凛太郎さんは被っていた帽子を取りながらペコリと頭を下げました。今どき学生帽と言うのも珍しいと思いましたが、以前と違って頭が丸坊主だったのが以外でした。わたしの表情が驚きだったので凛太郎さんは
「いや、これは掛けに負けましてね。それで丸坊主になったんです。そのままでは格好がつかないので、それなら返って目立つように学生帽を被っているのです」
 頭を掻きながら言い訳のように説明する凛太郎さんが、わたしには好ましく感じました。
「よくお似合いです。さあ、こちらへいらして下さい」
 わたしは凛太郎さんの手首を掴むとダイニングに招き入れました。ちょうどこれから夕食になろうかと言う時刻だったのです。そして、わたしの行動が積極的だと思った兄は目を丸くして驚いていました。
「香月、遠慮なく食べろよな」
 両親に挨拶を済ませると凛太郎さんが加わって五人での夕食が始まりました。大学にいる時に兄が連絡をしてくれたのでちゃんと人数分用意することが出来ました。
 我が家では最近流行りの恵方巻きは食べる習慣がありません。そのことを話題にすると凛太郎さんも
「僕の家は東北ですからやはり、そんな習慣はありません。本当につい最近ですよね」
 ぶりの照り焼きに箸をつけながらそんな事を言って話題に花が咲きました。今夜はぶりの照焼に野菜の煮物、揚げ出し豆腐、それにじゃがいもと玉ねぎの味噌汁となっています。
 その他に漬け物や佃煮が並ぶのは言うまでもありません。
「いっぱい食べて下さいね」
 母が凛太郎さんにそう言ってお茶碗にお代わりのご飯をよそいます。わたしは、凛太郎さんが食べる光景に見とれてしまっていました。
「おい楓、そんなに見つめていたら香月が食べ難いだろう」
 兄に言われて我に返り、恥ずかしいことをしていたと思いました。

 食後にはわたしがコーヒーを入れて凛太郎さんや兄、それに両親も喜んで飲んでくれました。その後兄と凛太郎さんは、奥の兄の部屋で調べものがあると言っ て部屋に行ってしまいました。これから節分の豆まきをするのに変だと思ったのですが、きっとわたしには判らない難しい事を調べるのだろうと考えていまし た。
 それから暫く経って父が
「そろそろ豆を撒くか」
 そう言って神棚に上げてあった枡を持って来ました。中には溢れるほどの豆が入っています。子供の頃はこの豆が大豆と知って『これからお豆腐が出来るんだ』と思い、こっそりと幾らか隠して後で豆を砕いて豆腐を作ろうとした事がありました。そのわたしの様子を見ていた母が
「楓ちゃん。何をやってるの? 炒った大豆からお豆腐は出来ませんよ」
 そう言われ、悪い事が母にバレてしまったと思い狼狽えたわたしは
「ああ、そうですか、もしかして焼き豆腐が出来るのではないかと思いました」
 そんな事を口走ってしまいました。今でも笑い話になっています。
「おい、和夫と凛太郎くんはどうしたのかな?」
 父の言葉に奥から二人が何と鬼の面を付けて表れたのです。しかもちゃんと虎の毛皮のパンツや赤と青の全身タイツまで履いています。そうです部屋に篭ったのは仮装する為だったのです。
「いやだお兄さま。まさか鬼になるなんて」
 思わず笑い声になってしまいます。
「どうせなら、こんな事を一度やってみたかったのさ」
「でも凛太郎さんまで鬼にするなんて……」
「ああ、でもそもそもこいつが、やろうと提案したんだぜ」
 そうだったのですが、驚きながら凛太郎さんを見ると穏やかな笑顔を見せてくれていました。凛太郎さんは逞しい外見とは裏腹でユーモアのある素敵な方だと思いました。

「おにわーそと!」
「ふくわーうち!」
 父が声を出しながら枡に入った豆を兄と凛太郎さんが扮してる赤鬼と青鬼に投げつけます。
「いや~結構痛いなこれは!」
 兄がおどけながら父から逃げまわります。すると父が
「ほら楓、お前も豆を凛太郎くんに投げつけなさい。せっかく鬼に扮してくれたんだ。その気持を大切にしなくてはならないよ」
 確かにそうです。剽軽な兄の頼みとは言え、こんな役は本来ならやりたく無いですね。わたしは父の持っている枡からひとつかみ豆を握ると「鬼は~外」と言って青鬼に扮した凛太郎さんに投げつけました。
 パラパラと力のない豆が青鬼の凛太郎さんに降りかかります。
「楓さん。もっと力強くても良いですよ」
 お面をずらして素顔を覗かせながら凛太郎さんが笑顔を見せてくれます。その涼し気な笑顔を見てわたしは自分の心にある感情が芽生える兆しを感じたのでした。

 全てが終わるとわたしと母で撒かれた豆のお掃除をします。それが終わると皆で歳の数だけ豆を食べるのです。
 ダイニングのテーブルの上に置かれた入れ物に豆が入っています。各自思い思いに手を伸ばして豆を数えています。
 わたしも手を伸ばすと凛太郎さんの指先に触れてしまいました。思わず顔をあげます。するとそこには、やはりわたしと同じような表情をした凛太郎さんの視線と重なりました。
「どうぞお先に」
 やっとの想いでそれだけが口をついて出ます
「ありがとうございます! 僕は二十一粒ですが楓さんは十八粒ですね。僕なんか直ぐに食べてしまいます」
「口が寂しかったら、もっとお食べになっても構わないと思うのですが……」
 わたしの言葉を待っていたように父が
「じゃあ、次はこれだな」
 そう言ってお酒をテーブルの上に出します。兄と凛太郎さんの顔が綻ぶのが判りました。

 その後宴席は遅くまで続きました。
 季節を分けるこの宵にわたしと凛太郎さんの心に兆しが生まれました。

 了
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