2014年11月

氷菓二次創作   「春雷は恋色に煙る」

 それは高校3年もそろそろ卒業が見えて来た頃の事でした。
 わたしたちの進学先も決まり、やっと一息ついた時でした。
「供恵さんが婚約!」
 地学講義室で折木さんが、わたしと摩耶花さん、それに福部さん相手に、そう語ったのです。
「へえ~それはめでたいじゃないか、大学の友達か誰かかい?」
 福部さんが興味深そうに尋ねると摩耶花さんが
「折木、式はいつごろなの?」
 と二人で質問をしました。わたしも凄く興味があります。と言うのも良く知っている方がお嫁に行くなんて始めてだからです。
「式は、俺が大学に行った後だから、秋あたりじゃないかな。それで相手だが大学の先輩で県の職員をやってるそうだ。但し将来を嘱望されているそうだ」
「ほお、それは楽しみだね」
 福部さんは、自分の事の様に嬉しそうに言いました。摩耶花さんが
「じゃあ、結婚後もあの家に住むのね」
 そう確認をすると
「ああ、そう言う事だ。そこで俺は都会に出て行くと言う訳さ」
 折木さんは諦める様な感じでそう言いました。その理由をわたしは知っています。
 進学先ですが、福部さんと摩耶花さんは県内の大学に進学する事が決まりました。摩耶花さんが少しレベルを下げたのです。でも二人で同じ大学へ進学するなら、そんな事は気にならないと思います。
 わたしは京都の国立大の農学部に決まりました。折木さんは東京の私立大に進学します。一緒にこうしてお話ができるのもそう多くありません。お別れが近づいています。

 わたしも正直言ってこのままでは進学するのには多少の憂いもあります。でもそれは自分だけではどうしようもない事なのです。
 それは、わたしと折木さんの事なのです。
  わたしたちはお付き合いをしてる様なしていない様な感じなのです。恐らく周囲は二人の事をカップルだと見ていると思いますが、二人の間には何の約束もあり ません。恐らくこのまま卒業と言う事になり、次第に疎遠になって行くのでしょうか……語尾をハッキリと言えなかったのはわたしの弱さです……

「兎に角、家の事は姉貴が面倒を見る事で決着がついたと言う事さ」
 折木さんはさっぱりとした顔で言うとすかさず福部さんが
「じゃあホータローは堂々と婿入り出来ると言う事だね」
 そう言うと折木さんは黙ってしまいまいした。他の人から見ればそうなのでしょうが、わたしと折木さんの間では何の話もある訳ではないからです。
 「それとこれは別だ。第一俺が大学を卒業しても東京に残ると言う選択もあるかも知れないしな」
 折木さんがそんな事を言うと、それまで黙って聞いていた摩耶花さんが
「ちょっと折木、まさかちーちゃんを放ったらかしにするんじゃ無いでしょうね。そんな事したらわたしが許さないからね」
 真剣にそう言って牽制をしました。
 わたしは、ただ待つだけなのでしょうか……もっと積極的に出れば良かったでしょうか?
 ふとそんな気持ちがわたしの心の隅によぎりました。折木さんは摩耶花さんの言葉には直接答えずに少しだけ笑う様な顔をしました。照れ笑いでしょうか……

  進学が決まってから、ほぼ毎日折木さんと一緒に帰っています。わたしが自転車の時は一旦折木さんの家に寄って自転車に乗って送ってくれます。バスの時は校 門の前のバス停から一緒に乗って北陣出まで一緒に乗ってくれます。折木さんはそのバスで折り返してそのまま帰って行くのです。本当に優しい方です。わたし がお礼を言うと「ついでだから」と言って少しも驕る事がありません。わたしには過ぎた方だと思います。

今日も自転車で家まで一緒でした。帰る時は古典部では言えなかった事等もお互いに言うのです。本当の二人だけの時間なのかも知れません。
 でも……わたしは、折木さんの口からちゃんと言って貰った事は無いのです。わたしも女の子です。その時はちゃんと言って欲しいと思っています……
「千反田、こっちにいる間に何回か携帯で連絡してみるよ。メールの練習等も兼ねてな」
 考え事をしていたので、折木さんの言葉を聞き逃してしまいました。
「あの……携帯って……」
 わたしの戸惑った表情と言葉を見た折木さんは
「携帯だよ。慣れておかなくてはならないから、こっちに居る間に練習がてら掛けて見るって言ったんだよ。メールもな」
 そう言う事だったのですか、そうです、大学に行く事になり家を離れるので、お互いに携帯を持ったのです。最もわたしはスマホで折木さんは携帯でした。
「通話とメールしかしないだろうから、スマホなんて無駄だ。その金で東京に行ったら秋葉で中古のノートパソコンでも買って早い回線の契約をするさ」
 そう言って携帯である事を気にしませんでした。わたしも自分のノートパソコンは持って行きます。入居するアパートは光回線が敷いてあるので、引っ越した日からすぐに使えます。折木さんが入居するアパートは回線が敷いて無い様です。
「毎日連絡するからな。最低メールはするよ」
「はい、わたしも毎日します」
 そう言う会話はするのですが……



 俺の進学先が東京の私大と決まった時の千反田の落胆ぶりは傍で見ていても可哀想な程だった。俺としてもなるべくなら京都にある私大にしたかったのだが、 いかんせん希望の学部のある大学がなかった。大阪や神戸まで足を伸ばせばあったのだが、それなら東京でも変わりはしないと思ったのだ。
 それに、第一俺自身に未だに迷いがあった。何のことは無い、千反田の背負っている荷物の大きさに俺は尻込みをしているだけなのだ。
 卒業までには答えが出せると思っていたが、それも目前に迫っている。それでも未だ俺は決められないのだ。
 全く、俺自身こんなに優柔不断だったとはお笑いぐさだ。
 その償いと言う訳では無いが卒業までは必ず毎日い送って行くと決めた。雨が降っても風が吹いてもだ。
 それは俺自身の千反田に対する贖罪か? それは俺自身にも判らない。ただ、少しでも一緒に居たい。千反田と二人だけで語り合いたい。それだけの想いだった。
 楽しい時間はすぐに過ぎてしまう。千反田は家が近づくと、ペダルを漕ぐ速さを遅くして時間を稼いでいる。同じなのだ。気持ちは俺と同じなのだ。なら何故……

「今日もありがとうございました。また明日」
 千反田の明るい言葉で我に返る。
「あ、ああまた明日な」
 それだけを言うと今来た道を帰って行く――毎日同じ事の繰り返し……俺は何をやっているのだろう……

  帰り道、ゆっくりと坂を登って行く。坂の頂上で自転車を止めて、後ろを振り返る。陣出の一帯が目に入る。その中にはこんもりとした木々に囲まれて千反田邸 が見える。あいつは、あいつはこの地域を、ここに住んでいる人々のすべてを背負うとしている。その為に京都の国立大の農学部に進学しようとしている。も し、俺が、同じ立場だったら、どう思うだろうか?
 好きな人と同じ大学に行く、里志や伊原と同じ様に……それが自然じゃ無いのか? それが出来な い。それをしたくてもする事が許されないと言う現実とあいつは今まで戦って来たのでは無いのか? 俺は、俺は、そんな現実を判っていながら見て見ぬふりを していたのでは無いのか? 俺は千反田の苦しみを判っていながらそこから逃げていたのだ。改めて自分に言い聞かせる。
 
 曇り空だったが、どうやら雨が降って来たようだ。道に雨粒の跡がついて行く。見る見るうちに道が濡れて行き乾いた所を無くして行く。それはまるで俺の気持ちに決断を迫る様に感じた。
 雨は段々激しくなり、俺の肩を濡らし始める。頭に、足に、体に雨が俺を襲う様に降り続ける。顔を空に向けて雨を直接顔に受けると、俺の心も洗い流されて行く様だ。
 その時、不意に思った『言わなくてはならない』『いま言わなくては』――雨が顔に当たる度に決断が強くなって行く。それは、今まで俺の中にあった迷いを洗い流してくれる様だった。
 無駄に過ごした時間を恨めしく思う。だが今なら間に合う……今なら伝えられる……
 俺は自転車を再度反対に向けるともう一度千反田の家に向かって走り出した―決断を伝える為に……

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氷菓二次創作  「松茸の味」

「松茸の味」  ※奉太郎と千反田さんは大学生で同棲している設定です。

 八月も後半に入りますと、街にも秋の気配を感じる事ができます。
 今日は八百屋さんの店先に松茸を見つけました。買って行き奉太郎さんに松茸ご飯を作ってあげようかと考えました。
 神山高校の卒業時に両家で話し合って、正式な結納ではありませんが、婚約の確認を致しました。
 わたしと奉太郎さんは婚約者になったのです。それは、わたしの進学先が名古屋大学農学部生物環境科学科で、奉太郎さんの進学先が同じ名古屋の私立大学の経営科だったので、名古屋市内で一緒に暮すことになったのです。
 何故名古屋になったのかというと、父が「余り遠い所では……」と難色を示したからです。その点では名古屋というのは丁度良い距離だったのです。
 高校在学時に奉太郎さんは車とバイクの免許を取りました。そして知人がバイクを譲ってくれたので、奉太郎さんはちょくちょくそのバイクで神山に帰るのです。
 わたしは実験があり、名古屋を中々離れられません。その代わりに奉太郎さんが事あるごとに神山の千反田の家に帰り、父の手伝いをしているのです。その時も通学にも使っているバイクで帰ります。
 二百五十CCのバイクは高速も乗れます。わたしも、たまですが後ろのシートに載せて貰います。最初は怖かったですが、慣れて奉太郎さんの背中にしがみついて走るのは気持ちが良いです。わたしも自分がそんなことを感じるとは思いませんでした。
 二人で暮らしているアパートから高速を使うと二時間と少しで陣出の千反田家まで到着します。雪が降らない時期、奉太郎さんは度々バイクで帰るのです。

 八百屋の店先で、松茸を見て、一週間ぶりに帰って来る奉太郎さんに食べさせてあげたくなりました。奉太郎さんはこの夏休みに千反田の手伝いをするために一週間前から帰っているのです。
 寂しいです。わたしは実験があるので、おいそれと帰られません。この前のお盆の時の二日の帰省もやりくりが大変だったのです。そこで奉太郎さんが
「えるの代わりに俺がなるべく手伝いに帰るから」
 そう言ってくれて、甘えてしまっているのです。でも、恋しいです。毎晩電話で話をして声は聞けますが、尚更寂しさが募ります。
 店先で想いに耽っていたら、八百屋の小父さんに声を掛けられました。
「学生さん、松茸かい? これは中国産だけどモノは良いやつだよ。まけておくから一つどうだい!」
 松茸は中国産といえども値段は張ります。実家にいた頃は九月になると自分の土地の赤松林に生える松茸を食べていました。こうして、親元を離れて暮らしていると自分がいかに恵まれた環境で育ったかが判ります。
「そうですね。本当におまけして下さいますか?」
 わたしが乗ってきたので小父さんは
「ああ、美人さんだからまけてあげるよ」

 小父さんの好意で随分おまけして戴きました。今日は松茸ご飯を炊きましょう。お米はもちろん千反田米です。
 他にも色々と買ってアパートに帰ります。実は先日、教授のお手伝いをしたのですが、その時のお小遣いを戴きました。今日はそのお金で買えました。
 奉太郎さんが陣出に行っている間は自然と研究室に居る時間が多くなります。そんなわたしの姿を見て教授がお仕事をさせてくれたのです。ありがたいことです。
 今日は奉太郎さんが帰って来る日なので、実験の当番を変わって貰いました。
「ああ、今日は彼が帰って来る日なのね。いいわよ! えるには何時もお世話になってるから、今日はうんと彼に甘えていらっしゃい」
 などと冷やかされてしまいましたが、恥ずかしかったですが、嬉しかったです。

 アパートに帰り夕飯の支度をします。今日はわたしがやりますが、奉太郎さんが支度をしてくれる方が実は多いのです。
 理系の学生は実験や研究中心ですから、中々時間が取れません。でも奉太郎さんはそこを理解してくれて、自ら進んで家事や雑用をしてくれます。本当に申し訳なく思っているのです。
 出汁を採り、松茸を切って、醤油、お酒、それに味醂を少々、今日は人参や油揚げも入れます。
 お米を研いで、具材と汁を入れてお釜のスイッチを入れます。そして次は別のおかずに取り掛かります。
 残った出汁に松茸の残りと三つ葉、それに油抜きをした油揚げも少しだけ入れ、お吸い物にします。冷凍してあったゆずの皮を薄く切ってお椀にいれておきます。これで、奉太郎さんが帰って来たら出汁を温めて入れればよいのです。
 今日のメインは豚肉ロースの味噌漬けです。先日スーパーで安売りしていたロース肉を買って来て味噌漬けにしたのです。今日はそれを焼きます。
 後は胡瓜の一夜漬けと、実家で育った椎茸と毎日出汁を採る時に使う昆布を細切りにして佃煮にしました。今では、奉太郎さんの好物です。「える、美味しいよ」と言ってくれました。嬉しくて暫くはぼおっとしてしまいました。
 そんな事を思い出しながら料理をしていると、携帯が鳴りました。奉太郎さんです!
「もしもし、はいえるです」
「ああ、俺だ、後小一時間で帰れると思う。早く逢いたいよ」
「わたしもです、奉太郎さん」
 会話はそれだけです。奉太郎さんよりわたしが早く帰る日は必ず帰る前に電話をくれるのです。誠実な方だと本当に思います。わたしは、幸せだと思います。

 奉太郎さんの電話から丁度一時間後にアパートのドアが開きました。
「ただいま~ える!」
 わたしは急いで玄関に出ます。玄関と言っても猫の額より小さな空間です。
「える! 逢いたかったぞ!」
 奉太郎さんが両腕を広げてわたしを包み込むように抱きしめてくれます。
「一週間は長かったです。毎日、毎日寂しかったです」
「ああ、すまんな。でも田んぼや畑の仕事は一段落したから、来月までは行かなくても良い。二人だけで暮らせるぞ」
「嬉しいです。奉太郎さんのいないここは灰色の世界でした」
「俺も、本当にえるの顔が見たかった」
 奉太郎さんは思い切り抱きしめてくれます。いつしか口づけをしていました。
 嬉しくて薄っすらと目頭に滲んだ涙を奉太郎さんがハンカチで拭いてくれます。
「泣くな……そんな顔を見たらもう陣出に行けなくなる」
「それは困ります……」
「だから、泣くな……な!」
「はい! ご飯にしますか? 今日は松茸ご飯なんですよ」
 それを訊いた奉太郎さんはニヤリと笑い
「実はな。帰る時に、お義父さんが、今年一番に山で採れた松茸を持たせてくれようとしたんだ。だが、俺は、今日はきっとお前のことだから、松茸を買っているんじゃ無いかと思ったんだ。だから貰わずに帰って来たんだ」
「そうでしたか、でもウチのは中国産ですよ」
「何処産でも、えるが作ってくれれば世界で一番美味しいよ」

 その後、お風呂に入って汗を流した奉太郎さんと一緒に夕食を採りました。奉太郎さんは
「美味しい、美味しい」と言って沢山食べてくれました。その姿を見ているだけで、わたしは嬉しくって胸が一杯になりました。

 その晩は、二つ布団を敷きます。でもわたし達は同じ布団に入ります。奉太郎さんが、優しく抱きしめてくれます。顔をくっつけて、お互いの息もかかるぐらい重なって、陣出で起きた事などを話してくれます。
 奉太郎さんの手がわたしの色々な場所をまさぐります。何時もはオイタをすると嗜めるのですが、今日はされるままになっています。恋しい恋しい人に抱きしめられて、今夜は良く眠られそうです。
 でも明日は少しお寝坊させて下さい……

電気を大切に

ショートショートを目指しましたが、上手く書けませんでした。


 あなたは灰色の烏を見たことがありますか?
 それは。不幸をもたらす烏だと言われています。それを見た人は1週間以内に不幸が訪れると言う……
 そんな都市伝説をあなたは信じますか……

 村上七郎は友人の友則和巳に先程から彼の携帯に電話をかけていた。だが一向に出る気配がなかった。
「おかしいな。いつもは大抵出るのだがな?」
 村上は数日前の友則が言っていたことが気がかりだった。
「灰色の烏を見たんだ!」
 スマホをしまって。とりあえず彼の家に行ってみることにした。駐めてあった白いスポーツカーのドアを開けると、やや乱暴に乗り込む。皮のシートが体重で 僅かに歪んで皺を作った。エンジンを掛けるとV6の鼓動があたりに鳴り響く。DOHCツインカムターボのエンジンは軽くスロットルペダルを踏み込むだけ で、猛獣と化すだけのパワーを秘めていた。
 既に日付が変わろうとしていたが、友則はこの時間ならいつもは家に居るはずだった。ハンドルを握りながらも、電話に出ないという事が変だと思っていた。今まで一度も無かったことだ。
 50キロ制限の道を100キロ近くで走行する。邪魔をするような遅い車はこの時間ならこの辺では走っていなかった。10分ほどで友則のアパートに到着した。見上げると部屋の明かりは点いていた。
「なんだ居るなら電話に出ればいいじゃないか」
 村上は口の中でブツブツと愚痴を言いながら階段を上がる。二階の廊下の端に立って見ると、友則の部屋のドアが少し開いていて、明かりが漏れている。
「開けっ放しかよ。不用心だな……尤も俺らが言う言葉じゃねえな」
 苦笑しながら友則の部屋の前に立ってドアに手をかけて開く。そこには人間が一人寝転がっていた。ただごとでは無いとすぐさま近づき顔を確かめると人相が判らないほど潰されていた。
「酷えことしやがる。顔が判らないから誰かは判り難いが、着てるものや体の特徴は友則だな」
 誰に言う訳ではないが、仕事上の癖でつい独り言を言ってしまう。
「警察に連絡するか、鑑定して貰えばハッキリするしな。商売上、警察は嫌いだがな」
 またもや独り言を言うとスマホをだして、119と押した。
 その後、嫌と言うほど警察じ事情を訊かれ、うんざりした頃に開放された。指紋から友則和巳だと判明した。友則はかなり前だが前科があり、簡単に指紋を照合出来た。
「七郎さん。何か知ってるんでしょう。隠し事はためになりませんよ」
 知り合いの刑事が半分脅かすように言うと村上は
「何も知らないんだ。だから、会う約束をしていたんだよ昨夜はさ。それが来ないので電話したんだ。そしたら出ないので家まで行ってみたと言う訳さ」
 昨夜から何回も言った言葉を繰り返して言うと刑事は
「それは本当だろうが、友則を殺った奴に心当たりがあるんだろう」
 そう言って煙草に火を点けて吸い込むと白い煙を吐き出した。
「警察は禁煙じゃないんですか、遅れていますね」
 廊下にあった自販機でコーヒーを買うと村上は
「知らないんですよ、本当に、でも1週間前にあいつが言っていたんですよ」
 缶のプルトップを引いて開けると一口飲んだ。
「なんて言っていたんだ?」
「知ってるか、どうか判りませんけど、『灰色の烏がやって来た。俺の前に飛んで来て舞い降りたんだ』ってね」
「灰色の烏だって……ただの都市伝説だろう」
 刑事は短くなった煙草を灰皿で消すと
「それが本当なら、俺達ではなく、お前さんの領分じゃないか」
「そうですかね。でも友達ですからね。余り気が進まないのですよ。そっちでやって貰えませんか」
「勿論、表向きはこっちがやるが、お前さんも協力してくれないと解決しないぞ」
「そうですか、でもやるとなったら、こっちも商売ですからね。タダではねえ……」
 村上は缶コーヒーを飲み干して空き缶入れに投げ込むと
「課長か部長に言って下さいよ。正規の以来にするように」
 そう言って刑事を見つめた。怪しい目つきだった。
「判った。言うだけ言ってみるよ。でも灰色の烏のこと本当なんだろうな」
 確かめるように言うと、村上は
「そんなことで嘘は言いませんよ。だから本当のことを話したんです。まあ、正直に言いますとね。一人でもやるつもりでした。そっちに迷惑を掛けることになりますがね」
 半分笑いながら心のうちを言うと刑事は
「だろうと思ったよ。勝手にやられると後でこっちが始末に困るからな。多少以来金がかかっても警察の以来となれば、そう無茶は出来ないからな」
 そう言ってニヤリと笑った。
 すぐさま捜査本部が設置され、村上は特別顧問として、操作に加わるのだった。
  つづく……

 楽しみにしていたハードボイルド推理小説の連載を読み終わってしまった。これで来月号まで読むことが出来ない。主人公の村上七郎は霊能力探偵で、いつも 捜査に協力するのだ。そして難事件を解決して行く。それは、普通の捜査では解明出来ないことも、村上七郎なら霊能力で真実を追求出来るからだ。
 いつもは、霊能情報屋の友則和巳と組んでいるのだが、その相棒が殺されてしまった。さてどうなるのか。殺されていたのはどうしてか? 本当に友則なのか? 謎が謎を呼んでいまから来月号が楽しみだ。
 この「霊能力探偵シリーズ」はここでは大人気で、図書館では、どのシリーズも人気でいつも買い出し中の札がついているし、連載の雑誌は発売とともに直ぐに売り切れる始末だ。
 いい加減、人気の本は電子書籍化すれば良いが、電気は今や貴重品だ。石油が枯渇し、天然ガスも自動車などに使われる為に電気は太陽光や風力、など再生可 能エネルギーに頼っている始末なのだ。だから、電力を食うテレビは無くなってしまい。人々の娯楽はラジオや読書になってしまったのだ。その読書も夜は禁止 されている。自然光で読める昼間だけが許可されているのだ。そして、紙を作るのはかなりのエネルギーが必要な為、必要最低限の本以外は発売されなくなって いた。その為人々は至る所に出来た図書館で借りて読むようになったのだ。何より電気は貴重品なのだからその節約にもなる。
 原子力はどうなったかと問いたいだろうが、原子力は先の大戦で核爆弾を使用してしまったたために、この技術を封印してしまっていた。
 人類はそこまで愚かではなかった。自分達の便利のために資源をやたら使ったり、環境破壊をすることはなかったのだ。
 え? 違うだろうって?
 違いはしないが、これは地球の話ではないのだから。今からずっと遥か昔の遠い宇宙のある星でのことでした。

 終わり

送る日

「送る日」

 幸子の住む街は春の訪れが遅い。今日も空は鉛色の雲で覆われている。
「ほら、ちゃんと荷持は揃えたの? 何かあっても母さんがすぐには行けないんだからね」
 幸子の言葉に娘の翠は少々うんざりとした表情で
「大丈夫だよ。それに結婚する訳じゃないんだから」
「じゃあ、ただの同棲で、どうしてそんな遠くに住むのよ。電車で二時間もかかるような場所なんだから」
「それは、勤務するのがそっちだし、家賃も安かったし、猫のミイも一緒に住んでも良いって言う条件だから……」
 翠はこの前からの理由、いいや母親の幸子からしてみたら「言い訳」を繰り返すのみだった。

 翠はこの春大学を卒業して就職した。薬剤師として大手の薬局チェーンに務めることになったのだ。そして、その勤務地が隣の市だったのだ。
 さらに、幸子にとって腹立たしかったのは、高校の頃から付き合っていた年上の孝とこれを機に一緒に暮らすと言い始めたことで、既に部屋も借りてると言うことだった。
「事後承諾じゃない!」
 先日、孝が挨拶に来た時に幸子はあまりの事に大きな声を上げてしまった。横で夫の耕太郎が
「一人娘を出すのだから、もっと事前に相談して欲しかったね。翠もなんで今まで黙っていたんだ? どうせ反対するから事後承諾で良いと思ったのか」
 耕太郎はややもすると激情する幸子とは違い、あくまでも理路整然としている。翠にとってはそこが実は一番の難関だった。
「あんたなんか、今までろくに家事だってやって来なかったでしょう。大学に入ればすぐにバイト始めて、ゆっくり家に居る暇なんか無かったし、それに普段からろくに掃除もしないんだもの。いきなり一緒に暮らして出来るの? 仕事だって今までのようなバイトじゃないのよ。大変なんだから……」
 幸子の心配は尤もだと耕太郎も思っていた。だが翠と孝が声を揃えて
「家事は二人でやりますから、大丈夫だと思います」
 そう言って胸を張ったのだ。そして孝が
「実は僕は掃除や洗濯が好きなんです。今でも実家の洗濯は僕がやってるんです」
 そんな事を言うと翠が調子に乗り
「だから、多少わたしが下手でも大丈夫なの」
 そう言って孝の顔を見つめるので、
「あんた私の娘の割にはお馬鹿ね。男の人は仕事第一でしょう。遅くだってなるだろうし、結局女のあんたが皆やることになるんだよ。そんな事も判らないの! 近ければ私がちょこちょこ行ってやれるけど、二時間もかかるんじゃ行けやしないじゃない!」
 痛いところを突かれて翠も孝も黙ってしまった。実は、そんなことも話していたのだが、楽天的な二人は
「ゴミで死んだ人はいない。いざとなったらコンビニで何か買えばよい。むしろその方が無駄が出なくて良いよ」
 などという事を話していたのだ。幸子は娘の性格からして、そんな事を考えているだろうと言う事はお見通しだった。
「まあ、嫁にやると決めた時から出て行くのは覚悟出来ていたけどな」
 耕太郎が淡々と言うのを見て幸子はかなり我慢をしているのだと理解した。
「それにねえ、普通は学校を卒業したら少しは家に居るものでしょう。私はそうしたわよ。今まで迷惑かけた分一生懸命に親孝行しようと思ったわよ。それが、卒業したらもう親は必要ありません。と言ってるみたいじゃない」
 幸子の怒りは留まることがなかった。
 結局、部屋は既に借りてあるので、今月の末から孝が移り住んで、環境が整っ
たら翠が行くと決まった。いや決まっていたのを聞かされたのだった。

 孝が帰るので翠がバス停まで送って行くので二人が居なくなると幸子は
「この前、私は黙ってるって言ったのに、私ばかり喋ってしまったわね」
 そう言って幸太郎にコーヒーを入れて差し出した。
 マグカップに手をだしながら幸太郎は
「何年一緒にいるんだ。君が真っ先に何か言うと思っていたよ。まあ言わなかったら俺がネチネチと虐めてやろうかと思っていたんだがな」
 そんな事を言って僅かに笑った。
 幸子もそれは判っていた。でも、それを夫にやらせてしまうと収拾が付かなくなると思ったのだ。だから自分が前に出ておけば良いと思ったのだ。ああやって爆発してしまえば、返って収拾が付け易くなると思った。
「実はね。学資保険のお金が残っていたから、持たせてやろうかと思っていたんだけど、少し待ってみる。二人の収入でやって行けるのか判らないしね」
「そう、結婚資金だって貯めるつもりなんだろう。貯金出来るのかい?」
「さあ、今のうちは出来ると思ってるんじゃないのかしら」
 そこまで言って、幸太郎はコーヒーを飲むと
「俺たちの時も大変だったな」
 そう言って幸子を見る。
「そう、私たちは社会人だったからお互いに貯金もあったけど、それでも、あなたは大変だった。私の親が『人並みの式は挙げて貰わないとね』なんて言うもんだから、あなた、休日出勤や残業を沢山して」
「その為に一緒に暮らしたは良いが、部屋に帰るとバタンキューでな。怒っていたっけな」
 昔の事を思い出して、幸子は大変だったが充実していた若い頃を思い出した。式を挙げたらすぐに妊娠して、難産の末に生まれた一人娘。もう一人は欲しかったが遂に出来る事はなかった。だから、その分も含めて大事に育てて来たつもりだった。
 その娘が自分たちと同じような事をしようとしている……そんなことを思ったら頬を涙が流れていた。
「実はな、亡くなった俺の親父がお袋と一緒になった経緯も同じような事だったそうだ。お袋がポツリと漏らした事がある」
 耕太郎の言葉にではこれは血筋だと思った。この家に脈々と流れている血筋だと……

「忘れ物は無いの? ちゃんと持ったわね?」
「大丈夫、でも多分、向こうで暮らし始めて気がつく事もあるかな? そんな時は纏めて取りに来るよ」
「纏めてじゃ無くても構わないわよ」
 幸子がそんな軽口を言って、翠が玄関を開けると表は白いものが落ちていた。幸子は傘を持つと
「雪が降りだしたから荷物一つ持ってバス停まで行ってあげるわよ」
「え、いいわよ。大丈夫だから」
「バカ、こういう時は素直にハイって言うものよ」
 翠は判っていた。でも自分で決めたことだから、今更甘える訳には行かなかった。これからは親には頼れない暮らしが始まるのだから……
「ありがとう……じゃあ頼もうかな」
 大きなキャスターの付いたスーツケースを翠が押して、ショルダーバッグを幸子が肩に掛けて傘をさして歩き出す。
「積もるかな?」
 翠の心配に幸子は
「春の雪だから積もらないと思うわよ」
 だが、辺り地面は既に真っ白となっていた。
「あんたの門出に相応しいかも知れないわね」
 幸子の言葉に翠は不思議そうに
「なんで? 意味が良く判らない」
 そう言って顔を傾げる姿に幸子は
「これから、あなた達の暮らしが始まるのよ。今はまだこの雪のように真っ白なの。これからここに二人で色々な事を描いて行くのよ。頑張りなさい」
「お母さん!」
 翠は泣くまいと思っていた。泣けば幸子の事だ、きっと余計な心配をするだろうと思って、脳天気なふりをしていたのだ。だが、母としてのその言葉を聞いた時に涙腺が緩んでしまった。
「あ~んダメダメ、泣くのは式の時まで取って置きなさい。まだ、ただの同棲なんだから」
 そう言われて翠も涙を我慢した。二人の上を春の雪が降り続く。


   了

氷菓二次創作  「口では言えないこと」

「口では言えないこと」

 それは5月のある日の事だった。俺はこれから迎える週末をどのように有意義に過ごすかを考えていた。
 既に時計は午後十時を回ろうとしていた。そんな時だった、階下で家の電話が鳴り出した。電話に出たのはどうやら姉貴の様だった。かすかに姉貴の話す声が聞こえる
「……いいえ、いいのよ……いるわよ……」
 親戚か? ならば親父だろう。少なくとも俺では無い。だがもう一つの可能性のほうが高いと俺の第六感が命令していた。すぐさま階下で俺を呼ぶ声が聞こえる
「奉太郎、電話よ。えるちゃんから」
 やはり俺の第六感は当たった様だ。「いま行く」と返事をして降りて行く。電話に出ると
「夜分遅くすいません。実は、明日なのですが、お昼ごろお時間あるでしょうか?」
 その声はいかにも申し訳無い感じだったが、明らかに俺が「用事は無い」と言う事を期待してる口ぶりだった。
「別に用事は無いが……」
 恐らく千反田が望んでいた返事をすると、嬉しそうに
「では、十一時に荒楠神社に来て戴けるでしょうか?」
 そう言って俺の返事を待った。
「十一時か、十文字の所だな」
 俺の頭の中にはいつぞやの稲荷神社の掃除の事や今年の初詣に千反田と二人でお参りをした事が思い出された。
「はい! 申し訳ありませんが……」
「何の用事なのだ?」
 こいつは例によって肝心な事を言わない。
「あ、そうでした。忘れていました。実はかほさんが奉納のお神楽を舞うのです。珍しいので是非見学しようと思いまして。それに千反田の家も多少関係ありますので……」
 十文字は荒楠神社の跡取り娘だ。神社では良く巫女の姿をしている事もある。散歩がてら何回か見た事もあるからだ。
「お前の家が関係しているとは、どういう事なんだ?」
 千反田は「奉納神楽」と言った。そう言う熟語は使わ無かったが、そう言う事だと思う。ならば農業関係の事だろう。
「実は、神山の農協が今年の田植えを前にして今年の農業の無事や豊作を祈願してお神楽を舞って貰い奉納するのです」
 やはり思った通りだった。
「十文字も大変だな。それじゃもしかして見学じゃ無く、その場に列席するんじゃ無いのか?」
 俺は改めて千反田に問いただすと、しれっとして
「ええ、そう言う言い方もあると思います……駄目ですか?」
 何の事は無い、俺もそこに一緒に列席してくれと言う事なのだ。何時迄も千反田の言い方が変わらないと思っていた俺の不覚だった。
「そんな農協も出る様な公式行事にどうして俺が出るのだ? それに関係者でもない俺が出ても良いのか?」
 疑問は後者なのだが、千反田は
「それは折木さんはわたしと一緒と言う事で大丈夫だと確認しています」
 そこまで進められているなら無駄な抵抗はしないほうが省エネだ。
「判った。服装はどうする? まさかスーツか?」
「制服で良いと思います。わたし達は神山の若者の代表と言う事ですから」
 そこまで訊いて、やっと全体像が見えて来た。要するに神山の色々な庶民がお神楽を奉納して今年の豊作をお祈りする儀式と言う事だと納得出来たのだった。
「よろしいですよね?」
 今更「いやだ」とは言えないだろう。こうして俺の貴重な休みの一日が消えたのだった。

 翌日、俺は制服に身を包んで荒楠神社へと向かった。今日は自転車では無く歩いて行く。階段さえ無ければ歩いても大した距離では無い。俺は余裕を持って家を出た。
 俺が荒楠神社の石段を登り始めたら、車が一台石段の前で止まり、中から千反田が降りて来た。車は彼女一人を降ろすと神社の裏手の方に走り去って行った。
 千反田は石段を何段か上がった俺に向かって下から
「折木さん。お早うございます。車からお姿が見えたのでここで降ろして貰いました」
 そう言いながら少し早足で登って来た。そう急がなくても時間はタップリとある。昨日自分で言っていた様に何時もの制服姿だ。何だか学校行事の延長の様な感じがしてくる。

 一緒に石段を登りながら横を見ると千反田は何だか嬉しそうだ。何かいい事でもあったのだろうか?
「なあ、今日は市のお偉い方々も来るんのだろう?」
 昨夜、事情を姉貴に言うと何故かその事に詳しく
「農協はおろか商工会議所とか神山選出の県会議員さんなんかも列席するのよ。かほちゃん、中学の頃から奉納神楽を舞ってるから上手なのよね」
 はあ? 姉貴は十文字まで知っていたのか……俺は同級生なのに千反田と初詣に行くまで知らなかったのに……一体姉貴の頭の中はどうなっているのか知りたいものだ。そんな事を思っていたら千反田が
「そうですね。でもわたし達には殆ど関係ありませんから……わたし達は神山の青少年の代表ですから」
 何ともあっさりと言い切るのはやはり場馴れしているせいだろうか?

 石段を上がり切ると毎度の事ながら十文字が待っていてくれて
「本日はご奉納並びにお参りありがとうございます」と頭を下げた。
「本日は宜しくお願い致します」
 こちらは千反田が深々と頭を下げる。俺も形だけ真似して頭を下げた。
「さあ、まだ時間があるから向こうでお茶でも飲んでいて」
 そう言って十文字は奥の社務所の一角を指した。俺と千反田はその指示に従って恐らく控室みたいなものであろう部屋に入る。そこには誰も居なかったので千反田は
「父も、陣出の人達もきっと祭司さんにご挨拶しているのだと思います。皆さんがいらっしゃるまで、わたし達はお参りを済ませてしまいましょう」
 そう言って俺の手を取り拝殿の方に歩き出した。千反田に連れ回されるなんて久しぶりだ。

 
 拝殿でお参りをする。前は何だか空々しくて形ばかりだったが、横で一心に祈っている千反田を見ると何時の間にかこちらも神妙に手を合わせるようになった。
 何をお祈りしたのかは判らないが千反田のことだ、家族の健康とか豊作祈願とかそう言うものだろうと思った。
「折木さん、この先もお参りしましょう」
 千反田が言ったのはこの先の坂を登った上にある稲荷社だ。ここには昨年から不思議と縁がある。
 散歩に出て偶然寄ったここで千反田と一緒に掃除をしたり、二の午の祭礼の手伝いをしたり、当然初詣もここにに来た。
 俺達にとって縁のある稲荷社なのだ……
 
 もう何回目かは忘れたが、拝殿の脇の道を進み、稲荷社に到達すると早速千反田は辺りを片付け始めた。
「少しでも綺麗な方が良いですから……」
 千反田は汚れるのも構わずにい落ちている葉や枝等を片付ける。俺も見てるだけには行かなくなり手伝うはめになった。
 あらかた片付けが終ると、今度は財布を出して、百円を出して賽銭箱に入れると二拍二礼をして両の手を合わせてお祈りをした。一心に祈ってる様は先程よりも真剣に感じた。
 そして、俺の目を見て
「口では言えない事をお願いしました」
 そう言って僅かに俯いた。
 その仕草や言葉に感じるものがあった。だが俺はそれに対して未だ、何のすべも持ってはいなかった。この時、とても千反田がいじらしくて、抱きしめてしまいたかった。
「そろそろ戻ろう、皆さんがお見えになってるかも知れない……」
 それだけを言うのが精一杯だった。
 見るまいと思ったが千反田の表情を見てしまった。それは、わずかな悲しみを湛えている様に感じた。

 社務所に戻ると、殆んどの列席者が揃っていた。奉納神楽が始まるまで後わずかだった。
 祭司さんの「そろそろ神殿の方に」と言う言葉に列席者が神殿殿に向かう。
 神殿は拝殿の下にあり、拝殿が古く狭いので新たに社務所と同じ位置に作られた建物で、結婚式などもここで執り行う。
 ここは広いので、神楽を舞うには持ってこいなのだ。
 奉納神楽舞に列席するのは、農協の組合長や理事。ここに鉄吾さんも含まれる。商工会議所の会頭や役員の方々。それに地元選出の県会議員。そして俺達だ。
 全員が神殿に並んで座ると白い衣装に朱の袴姿の巫女姿をして、手には大きな鈴と御榊を持った十文字が右手から出て来て我々に一礼をすると、左側に座った太鼓や笛や笙を演奏する人が座っている。

 やがて演奏が始まり、舞者の十文字が演奏に合わせて大きく手を広げて舞が始まった。
 右手に鈴、左手に御榊を持ちゆっくりと体を動かして舞い始めた。それは優雅で神殿一杯を使って舞っている。
 俺は、およそこの様な事には無知だが、それでも厳かな気持ちにさせられた。そして心の底から今年の神山の作物が豊作になれば良いと想った。
  十文字は最後に神殿の正面に飾られた祭壇に向かって座り、一礼をして神楽舞が終わった。すると十文字はくるりと向きを変えて我々の方にすり足で歩いて来る と、正面で止まり、鈴を上下に振って鳴らし、御榊を左右に振ってお祓いをしてくれた。そして最後に一礼をして終わった。
 その後は祭司さんが我々一人一人に御榊を手渡してくれて、それを神殿に奉納して二拍二礼で拝んで全てが終わった。
「これで奉納神楽舞が終わりました。ご苦労様でした」
 祭司さんの言葉に一同はぞろぞろと社務所に戻る。
 社務所では軽く呑める支度がしてあり、お神酒を戴いて解散となるみたいだ。恐らく鉄吾さんやお偉いさんはその後一席あるのだろうが、俺と千反田は烏龍茶を飲んで解散となった。



「若葉を通って来る風が心地よいから、表に出ませんか」
 千反田が誘うので境内に出て見る。確かに心地よい風が体を吹き抜ける。暫く涼んでいると神楽舞を終えた十文字がやって来た。
「かほさんお疲れ様です。とても素晴らしかったです」
 十文字に千反田がねぎらいの言葉を述べると
「きょうはどうもありがとうね。えるも無理やり出させてられてご苦労様、折木くんもね」
 何時もの十文字に戻っていた。
「でも、以前に比べると、とても上達したと思いました。専門的な事は判りませんが、何と言うか動きがとても優雅になった様な気がします」
 幼い頃から知っている間柄ゆえの言葉だと想った。
「ありがとう……それは……わたしもそうだけど、えるも生まれた時から家を継ぐ事が決まっていて、それを運命だと受け入れて今まで生きて来た訳でしょう……最近思うのだけど、折木くんはもっと自覚したほうが良いって」
 いきなり話が俺の方に振られた……一体どうした事だと思う。
「わ たしね、えるは良い人を見つけたと思っているの。えるの将来はわたしなんかよりも厳しいものになる。それに対処して行くのにはやはり能力、言い換えれば才 能のある人じゃ無ければならないと想っていたの。でも、えるは相応しい人を見つけた……好きになった人が才能ある人だったと言う事なんだろうけど、二人は とてもお似合いだと思ったわ」
 十文字にしては随分突っ込んだ事を言うと思ったし、それに俺の事は買いかぶりだと感じた。
「かほさん、わたし……」
 千反田は真っ赤になり俯いてしまった。これは不味いのでは無いかと感じる。只でさえ先ほど稲荷社で千反田が何を祈ったのか想像出来たからだ。
「十文字、何故、今それを言う?」
 俺の疑問を見越していたかのように十文字は
「折木くん……この神山で、家を継がなかればならない女の子はわたしとえるの他にも大勢居るわ。でもその中でもあなた達は理想的だと思うの。神高で運命的な出会いをして、お互いに好意を持った……そしてお互いが自分の人生を変えるほどの人だった……素敵じゃない。
 わたしは、恐らく神主の資格を持った人と一緒になると思う。それは好きになった人が神主の資格を取ってくれれば最高だけれど、せめて、一緒になる人が素敵な人なら構わないと思っているの……あなた達とは違う。だから、だから折木くんには自分を自覚して欲しいの」
 十文字はそこまでを語り、俺と千反田を見つめていた。
「かほさん……そんなことまで……」
「折木くん、君には才能がある……それを自覚して欲しいの。そしてえるの望みを叶えてやって欲しいの。わたし今日の御神楽で、実はその想いも込めて舞ったのよ。言いたかった事はそれだけ……じゃあね」
 それだけを言うと十文字はさっさと戻って行った。俺はその後ろ姿を眺めながら、考えていた……才能? 俺にそれがあるのだろうか? ……もしあるならば……
 俺の中で次第に決意が固まって行くのが判った。
「折木さん。あのかほさんの言った事ですが……」
 千反田が心配そうに俺の顔を眺めている。大丈夫だ、そんな顔をしなくても良い。お前の困る様な事はしない……それに、俺は自分で既に自覚している。
「千反田、もう少し時間をくれ。きっとお前の望む答えを出せると思う。だがその為にはもう少し、ほんの少しだけ時間をくれないか」
 今の俺の正直な気持ちを千反田にぶつけると
「はい、わたし、お待ちしています。わたしが選んだ人ですから」
 そう言って嬉しそうに俺の肩に寄り添った。
 抱き締めたい、思い切り、だが今はその手を握り離さない様にする事ぐらいしか出来なかった。

続く?
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