2014年09月

氷菓二次創作  「二人の距離」

今日も二次創作です……すいません……

「二人の距離」

 春未だ浅い3月、俺は放課後になり、帰ろうか古典部に寄ろうか思案していたが、教室に伊原がやって来て
「折木、ちーちゃんは家の用事で今日は部活休むそうよ。伝えておいて欲しいと頼まれたから伝えたからね」
 それだけを言うと伊原はさっさと教室を出て行った。出て行く時に俺の方を何回か振り返っていた。別にわざわざ言いに来てくれなくても良かったのだ。千反田が今日早く帰ると言う事は大体想像がついたからだ。
 それは昨夜俺の所に電話を掛けて来て
「明日は、もしかして古典部に行けないかも知れないのです。申し訳ありません」
 恐らく電話の向こうで頭でも下げて居るのではないかと思った。
「判った。わざわざ言う程ことなのか?」
 俺の言い方が悪かったのか、あるいは千反田には別の理由があったのか
「すいません。わたしの本意では無いのですが、家の用事も兼ねていますので……」
 何とも歯切れの悪い言い方だった。それが何を意味するのか、俺は深く考え無かった。いや正直に言えば考えたく無かったのだ。

 千反田が来なければ恐らく部室には誰も来まい。ならば俺も帰るしか無いと言う訳だ。のろのろと昇降口で靴を履き替えて家に向かう。歩きながら千反田が昨夜言っていた事の意味を考える。
 金曜の夕方から夜にかけての用事だそうだが、色々と想像がつく。そしてわたしの本意ではないと言う事と千反田が俺に謝ると言う事を絡めて考えると、正直あまり良い気分はしない。
 伊原が何も言わずにそれでいて未練たらしく帰ったのは、その理由を千反田から訊いていたのではないか? 
 まあ、今の俺にはいかんともしがたいのだが……千反田は今夜、鉄吾氏の仕事がらみで見合いに近い事をする。あるいはその為に人と合う。
 それが俺が出した結論だった。多分そう間違ってはいないと思う。それに俺が何かを言う資格も無い訳だし、致し方無い。
 それが判っているから伊原はさっさと教室を後にしたのだし、千反田が、直接俺に言わずに持って回った言い方をしたのもそのせいだと俺は理解した。

 俺と千反田の関係は、春の「生き雛祭り」の状態から大して進歩していない。色々な事があり、千反田は多少、俺と言う存在を信用してくれているが、それから先は未だにあまり進歩はない。
 それは、部室で二人だけで本を読みながら色々な事を話すが、それで一層千反田の考え方が良く判る様になったが、それは千反田も同じで、何時かの稲荷神社の掃除の時に俺が何故「省エネ主義」を唱える様になったかを話したし。その事で千反田に礼も言われた。
 関係は恐らく少しずつ近づいているのだろうとは思うが、その物差しが良く判らないと言うのが正直な処だ。

 家に帰ると案の定誰もいなかった。恐らく姉貴は大学へ行っているのでは無いと思う。親父は仕事で今夜も遅いのだろう。故に俺は一人なのだ。課題でもやって時間を潰すかと思い、自分の部屋では無くリビングに課題を持ってきてすることにした。
 思いのほか捗ったので、予定よりも早く終わってしまった。そろそろ夕飯の支度をしなければならないと思い冷蔵庫を点検すると、人参と馬鈴薯、それに玉ねぎ、更に牛肉があった。
 牛乳もたっぷりあるし、シチューのルーも見つけた。今夜はクリームシチューにすると決めた。
 材料を切って水を入れて火に掛けると玄関の呼び鈴が鳴った。こんな中途半端な時間に来訪するのは誰だろうと思いドアを開けると千反田が立っていた。

「どうした? 今日は家の用事があるんじゃ無かったのか?」
 わざと気がつかないふりをして尋ねると千反田は
「そうなんですが……お邪魔しても良いですか?」
 その目は俺に何かを訊いて欲しいと言ってる感じがした。
「まあ、上がれ、歓迎するよ。良かった丁度シチューを作っていたんだ。量が多いから食べて貰えると嬉しい」
 半分は本当の事だった。正直言えば、一人で食べる食事より千反田と一緒に食べた方が旨いに決まってる。だがそうは言えなかった。
「はい、ありがとうございます。それじゃお邪魔します」
 千反田はコートの下はオフホワイトのワンピースを着ていた。そのデザインからして普段着では無いと思った。
 ダイニングに座らせ、ティーバッグの紅茶を入れて千反田の前に出す。
「ありがとうございます。紅茶の入れ方も出来る様になったのですね」
 茶色い液体に口をつけながら半分笑いながら言う。まるで『その事はわたしだけが知ってる事ですよね』と言外に語ってる様だ。
「美味しいです。濃さと言い味と言い丁度良いですね。このティーバッグは高級品ですから、味が良いですね」
 千反田は恐らく料理だけでは無く、紅茶にも詳しいのだろう。もしかしたら俺よりもコーヒーに詳しいかも知れないと思った。

「実は、用事先から、『急用を思いだした』と言って別れて来ちゃいました」
 やはり、用事とは俺が思っていた事なのかと思い
「意に沿わなかったのか?」
 あからさまだと思ったが、直接訊いてみた。
「……さすがに判ってしまいましたか……実は、仕事がらみでの半分お見合いみたいなものだったのです。でもわたしが居るのは此処じゃないと思い、二人だけになった時に先ほど言った理由で別れて来て仕舞いました。……気がついたら折木さんの家の前に立っていました」
 千反田はやや俯いてスプーンでカップの中をかき回している。その姿を見て、恐らくそうだったのだろうとは思っていたが、ずばり正解だった。
「千反田、正直昨日の電話の言い方で、大体は想像ついた。それに今日の伊原の感じでもそう確信した。だが俺は何も出来なかった。いやしなかった」
 俺の言葉を訊いて千反田は頭を振り
「そ れは違います。折木さんは勘違いなされています。正直言います。わたしは折木さんに好意以上の感情を抱いています。そして折木さんも、わたしの欲目でしょ うが、わたしに対して好意を持ってくれていると感じています。それに、そう思ったのはわたしの方が先だと思います。だからわたしは今日、ここにやって来た のだと思います。わたしが想う人の所へ行かなくてはと……」
 千反田の決意の表れだった……俺は千反田が悩んだ末に此処に来たのだと判った。
「千反田、考えた末なんだな?」
「はい、折木さんでなければなりません」
「鉄吾さんは……どう思うだろうか?」
「父は早くから判っていたみたいです。初詣に折木さんを誘った時点で見抜いていたみたいです。もしかしたら今日の事もわたしの決断を早めさせるのが目的だったのかも知れません」

 台所で鍋が沸騰していた。俺は火を小さくして、席に戻ろうとすると千反田がやって来て
「しめじとかエリンギは無いのですか? 入れるといい味が出ますよ。台所拝見しますね」
 そう言ってあちこち探していたが、そのうち見つけたようだ
「ありました。エリンギとしめじです。これを入れましょう」
 その後は千反田が作った様なものだった。台所中をあちこちと探して色々なものを探し出すと鍋に入れたりしていた。

「さあ、出来ましたよ」
 千反田が作り上げたシチューは俺の想像とは大分違っていた。コーンがはいっていたり、先程のきのこが入っていたりして風味豊かだった。
 更に千反田は冷蔵庫の残り物で2品のおかずを作り上げていた。
「お姉さんはお帰りじゃ無いのですか?」
「ああ、何処へ行ったか検討もつかん」
「お父様は?」
「仕事で帰りは遅い」
「じゃあ、二人だけなんですね」
「そういう事だ」
 千反田はそれを訊くと嬉しそうにして
「じゃあ二人で食べましょうか」
 そう言ってシチュー皿を出してシチューを入れて俺の前に置く。良い香りが鼻をつく
「いただきます!」
 そう声を合わせて手を合わせて、スプーンを口に運ぶ。勿論味は俺が作ったのとは段違いの旨さだ。
「美味しいよ千反田」
 そう言って褒めると千反田は耳まで真っ赤にして嬉しそうに
「はい! 気に入って貰い良かったです」
 そう俺に告げる……その笑顔も悪く無い……俺はそう想い始めていた。
 
 この先、俺と千反田の関係は進んで行く……それも俺が望んだ事だ。恐らく後戻りは出来ないだろし、そんな気持ちも俺は持ちあわせて無かった。
 今まで千反田の好意を感じていなかったと言うのは正直嘘だが、決断出来ない俺が居たのも確かだ。
 気が付くと千反田の顔が目の前にあった。
「どうした?」
「頬にシチューが付いています」
 そう言ってハンカチを出して俺の頬を拭いてくれた。悪くはないと想った。
「今度は、うちでご飯を食べて下さいね」
 笑顔でおかわりをよそう千反田は本当に嬉しそうだった。

 了
 

氷菓二次創作  「善意の破綻」

え~今日も二次創作です。今日のは少し長いです。

「善意の破綻」

 やあ、僕の名前は福部里志、神山高校に通う3年生さ。今度無事に最上級生になれたのは、僕が心から愛している麻耶花のおかげなのだけどね。
 麻耶花は伊原麻耶花と言って、中学時代からの付き合いなのだけど、ちゃんと交際を始めてからはまだ一年ほどしか経っていない。だけど麻耶花は僕の事をもう何年も思っていてくれる。実は、僕にとって、その事はとても大事で、もったいない事だと思っているんだ。

  麻耶花は趣味で漫画を書いている。門外漢の僕から見てもなかなかの出来だと思うけど、麻耶花自身は「まだまだ」と言って僕が誉めてもお世辞だと思っている らしい。そこで僕は、普段の同人誌の即売会で販売しているだけでは無くて、最近はネットの漫画の投稿サイト等も盛んだから、そういう処で行われているコン テストに応募してみたらと言ってみたんだ。
 麻耶花は、僕の提案に最初は消極的だったけど、僕が強く押したので最後は納得して、これまでの一番の自信作を投稿したのさ。
 この時も大騒ぎだった。何しろ麻耶花は自分のパソコンをまだ持っていなかったのだから……
 それじゃあどうしたのか? と言うと、原画を僕の家に持って来て、家族で使っている複合機のプリンターのスキャナー機能を使って、これも家族で共用しているパソコンに取り込んだのさ。それをネットの投稿サイトにアカウントを作成して投稿したと言う訳さ。
 メールは麻耶花の携帯のメールで登録出来たので何の問題も無かった。
 家族で共用しているパソコンは自分専用のモードで切り替え式になっていて、各家族のモードはパスワードで守られているから、誰か僕以外の人間に見られる心配は無いと言う寸法さ。

 そうして、僕と麻耶花は期待しながら結果の発表を待った。
 このコンテストの大賞は賞金30万円と電子書籍の漫画雑誌への掲載が約束され、後に書籍化されるのだ。作品の評判が良ければそのままプロとしてデビューが約束される。
 特別賞は3名で賞金が5万とこれも同じ電子書籍の漫画雑誌に掲載される。
 そして佳作には賞金として5千円と詳しい講評と評価、そしてプロの漫画家からのアドバイスが貰える。
 素敵だと思わないかい? 僕は正直麻耶花の実力ならば、最低でも佳作には入ると思っていた。ところが、発表前に届いた内定のメールには何と特別賞に内定したとの連絡が麻耶花の携帯に届いたのさ。
 僕と麻耶花は興奮した。何と言ってもこんなに早く結果が出るとは思っても見なかった。やはり僕が睨んだ通りに麻耶花の才能は本物だったんだ!

 麻耶花は、賞を貰ったら自分専用のパソコンと複合機、それにペンタブレットを買いたいと言う。麻耶花はそれらを買いたい為にアルバイトをコツコツとして来たのだから……その資格もあると僕は思ったんだ。

 ところが、正式発表を前にして、神高の中でとんでもない噂を耳にした。それは……
「3年の誰かが今度ネットの何かの漫画の賞を取ったそうだ」と言う噂で、何でも描いた作家のペンネームと、限定的だがその漫画の画像まで出回っていると言う事だった。
 これって摩耶花の事で間違い無い。そして、ゆゆしき問題だよ。だって、正式な受賞前にこんな事が漏れてしまったら、麻耶花の受賞は無くなり、別の誰かに変えられてしまうと思ったのさ。
 騒ぎが広がる前に何とかしなければと思ったが、生憎と僕にはこの騒ぎの犯人を割り出したり治めると言う能力も持ち合わせてはいない。
 そう考えた時にこの様な事に最適の人物が居ると思い当たった。そう、それは僕の親友の折木奉太郎その人だった……

 □

 里志は事情を一気に言うと俺に両手を併せて頼んで来た。傍には伊原が泣きそうな顔で立っている。
「分かった。俺で良ければ力を貸すが、必ず解決出来るとは思わないでくれよな」
 俺はまず始めに言い訳を言っておく。
 それにしても、里志も伊原も何故、こんな簡単な事が判らないのかと思う。
「里志、漫画のデータを盗んだ犯人なのだが、お前の家のパソコンにデーターがある以上そこから流失したと思って間違い無いだろうな」
 こんな事は誰でも考えつくだろう。そう里志と伊原以外で神高に関係した人物と言えば一人しかいない……そう、それは里志の妹だ。
 何故そこに二人とも気がつかないのだろう……俺は里志と伊原を呼んでその事を伝えると以外にも二人は
「僕も、初めはそう思ったさ。でも妹は生憎、家のパソコンには興味が無いんだ。それに妹は最近スマホを入手してネットの接続する事は自分のスマホで済ましていて、全くと言って良いほどパソコンには触っていないんだ」
 なるほど、里志の妹はシロだと言う訳なんだな。
「判った、状況を整理して、考えて見るが、その流失した漫画は伊原ので間違い無いんだな?」
 俺は一番肝心な事を最後に確かめた。
「それは間違い無い。摩耶花も僕も確認した」
「具体的にどのような形で流失しているんだ?」
 俺は、まず最初にそこの部分に疑問を持った。すると伊原が
「ほら、学校の掲示板があるでしょう。学校のホームページでチャットが出来る場所。あそこにほんの少しだけど貼り付けてあったの。そこには私のペンネームは書かれていなくて、そっちは校内の噂として出回っているのよ」
 そう伊原は事情を説明してくれた。
「判った、少し時間をくれ、考えて見る」
 俺の答えに二人は
「じゃあ、頼んだよ。なるべく部室に顔を出すから」
「折木、本当に御免ね」
 里志と伊原は心配そうな声を出しながら俺のクラスの教室から出て行った。昼休みの時間はそう残っていなかった。

  考えに集中しようとしたら廊下を千反田が歩いているのが見えた。こんな離れた教室まで来るのも、珍しい事もあるものだと思っていたら俺の所に用事があって 来たらしいと判った。千反田がたまにだが顔を出すとクラスの男子が煩い。そして、千反田が俺と話をしているのを見ると非難の目で見るのだ。あれだけは止め て貰いたい。

「どうした? 何か用か?」
「はい、折木さんにどうしても聞いて欲しい事が出来たのです」
「放課後まで待てないほどの事なのか?」
「そうですね。早ければ早いほど良いと思いまして」
 千反田は俺の前の席が空いていたので、そこに横向きに座って俺に迫る様に告げる。
「摩耶花さんが何か漫画の賞を受賞なさったとか言う噂が流れているのをご存知ですか?」
 千反田は今俺が訊いたばかりの事を持ち込んで来たので、俺は今し方の事を話すと
「やはり本当なのですね。摩耶花さんは才能のある方ですからねえ」
 そう言って単純に喜んでいるので、先程の里志が言った、情報の流出の事も教えておく。
「それは、困りましたね。折木さん摩耶花さんの為にも解決してあげてください!」
 そう言って千反田は目を輝かせて俺に迫って来た。
「わ、判ったよ。二人にもそう言った処だ」
 俺と千反田が余りにも接近しているので、クラスの男子の視線が痛い……

 その日、千反田と帰りながら、俺の知らない伊原の事等を教えて貰う。
「そうですね。折木さんは摩耶花さんが漫画を書いていらっしゃる事はご存知でしょうが、今度の事でも判る様にかなりのハイレベルです。それに最近では色々な方から助言なども戴いているとも仰っていました」
 伊原がかなりの漫画を書くという事自体は里志がたまに口にしていたので知ってはいたが、助言をしてくれる者がいたというのは初耳だった。
 バスが北陣出に到着したので降りて千反田邸に向かう。帰り着くと中から何と鉄吾さんが出迎えてくれた
「やあ、折木君、いらっしゃい! いつもえるを送って貰ってすまないねえ。さあ上がり給え。今日は夕食でも食べて帰れば良い。なんなら私が送って行こう」
 そう云われて半強制的に上がらされてしまった。横では千反田が笑っていた。

「そうだ、確かお前は自分専用にパソコンを持っていたな?」
「はい持っていますが……」
「ならば、神高のホームページを開いて、掲示板に貼り付けられた伊原の漫画の画像を見せてくれないか?」
 俺は、千反田にそう言って頼むと
「いいですよ。私も見たいので早速アクセスしてみましょう」
 千反田は制服を着替えもせずにノートパソコンの電源を入れ、立ち上がると早速プラウザを立ち上げて神山高校のホームページを開いてみせた。
「う~んと、あ、ここですね」
 千反田が「掲示板」と書かれた場所をクリックすると生徒IDの入力を求められたので、千反田は自分のIDを入力して行き、中に入る。
 掲示板の表示にはスレッドの一覧があるので、順に目で追って行くが、それらしいスレッドが見当たらない。
「どうも無いみたいですねえ~大した数じゃ無いので順番に見て行きましょうか」
「ああ、大変で無ければそうして貰えると助かる」
 俺の頼みを千反田は快く受け入れて、スレッドを順に開いて行く。最後のスレッドまで見たがそれらしい情報は無かった。
 昨日、里志が見た時は確かにあったそうだ……という事はそれから今までの間に削除されてしまったという事だと思った。
「このスレッドは管理人以外は削除出来ないのか?」
 千反田に尋ねるとやはりこのHPに詳しい。
「そうですね。削除出来るのは管理人とスレッドを立てた生徒だけですね」
「という事は昨日から今までの間にそのスレッドを立てた者が削除したと言う事か……伊原本人が流失の情報を俺に教えてから間もないというのは、案外身近な者なのかも知れないと思った。

 そこまで考えていたら、千反田のお母さんが
「折木さん。少し早いですが夕食の用意が出来ました。ご一緒に如何ですか?」
 そう言って誘ってくれた。無論俺に異論は無い。今日は姉貴はゼミの事で遅くなるから夕食は入らないと言っていたし、親父は出張中だ。俺としてはむしろ、ありがたい程だった。
「はい、ご馳走になります」
 そう返事をしてパソコンを閉めるとダイニングに向かう。それにしてもこの家は広い……

 ダイニングでは鉄吾さんが収穫したばかりの枝豆を茹でてそれを摘みながらビールを飲んでいた。俺は鉄吾さんと九十度真横の席に座らされた。成り行き上目の前のビールを鉄吾さんのグラスに入れる
「いや~将来はこうやって毎晩一緒に晩酌が出来ると嬉しいものだな」
 そんな事を言っているが、千反田を見ると耳まで真っ赤にして俯いている。鉄吾さん酔ったせいでつい口が滑ったのだろうか? まあ兎に角曖昧な返事をしておく。
 結局飲んでしまった鉄吾さんに変って、お母さんが運転して送ってくれた。何でも出先で鉄吾さんが呑んでしまい、良く送迎を頼まれるのだそうだ。車内でお母さんが千反田に
「えるも運転免許は必ず取るのですよ。将来送迎する事になりますからね。実際にその時になったらわたしが色々と教えてあげますからね」
 そんな事を言って、自分に弟子入りさせる様な感じだった。きっと神山の名士の送迎などもするのだろうと思った。そのノウハウを教わるのは実の母で経験者というのはふさわしいと感じたが、千反田は平静な感じだった。その意味が判っているのだろうか……

 家に帰って来て、誰も居ない暗いリビングで里志と伊原に頼まれた事を考えていたら、姉貴が帰って来た。
「あら、いたんだ。 今日は誰も居ないからあんたもてっきり遅くなると思っていたのよ」
 少し疲れた顔をして姉貴はソファに座ると少しため息をついた。
「千反田の家に寄って晩飯をご馳走になった。先ほど送って貰って帰って来たばかりだ」
 冷蔵庫からアイスコーヒーを出すとガラスに注ぎ姉貴に手渡す。
「ありがとう。やっぱりカワイイ弟ね」
 どこまで本気で言っているのか判らないが姉貴は機嫌が良いらしい。
「あんた、河内亜也子って娘、知ってる? あんたの一年上だけど」
「さあ、訊いた事無い名前だが、それが何か?」
「ウン、私のゼミに今年入って来たのよ。久しぶりの神高出身の娘だからつい嬉しくなってね」
 神高生と言っても一学年三百五十人は居る。かっての二年F組の人間だったら多少は知ってるが、河内という名前は訊いた事なかった。
「でも、向こうはアンタの事知っていたわよ。折木という私の苗字を訊いて『弟さんはいますか?』とわたしに訊いて来たからね」
 俺はそんなにあの学年で有名だったのか? まさかな……あの二年F組の映画の事件関係以外で俺の事を知ってるとすれば総務委員長だった田名辺とせいぜいその親友の生徒会長の陸山だろうと思う。ならば、何故彼女が俺の名前を知っていたのか……余計な謎が増えた。
「姉貴、その河内という先輩は他に何か言っていたか?」
「う~ん、そうねえ、ああ里志君の彼女、何と言ったけ……ま、摩耶花ちゃん! 彼女と親しいから、そこからアンタの事訊いたんじゃない」
 姉貴はあっさりと俺の疑問を氷解してくれた。そうか、伊原がらみか……伊原……「漫研」か……
 河内先輩と伊原は「漫研」をやめても繋がりがあったのか……
 俺はそこで先程の車内での千反田のお母さんの言葉を思い出した。そう、送迎のノウハウを教えると言う内容だった。
 もしかして、河内先輩と伊原も同じような関係だったのではないだろうか? 所謂師弟に近い関係では無かったのか……俺は姉貴に頼み事をした。
「姉貴、その河内先輩に連絡は直ぐつくかな?」
 俺の頼みに姉貴はニヤつきながら
「何か問題があって、それを解決するヒントを思いついたみたいね。連絡してあげるわよ。彼女、案外家が近いのよ。何なら呼んであげる」
 そう言って連絡をしてくれた。
「今、暇だからこれから来るそうよ」
 いきなりとは驚いたが、大学のそれもゼミの一年生と四年生では天と地ほども違うという事を知ったのは後ほどの事だった。
 少しの間の後玄関の呼び鈴が押されて、俺と姉貴は玄関に向かえに出ると、そこには髪の長い若い女性が立っていた。
「夜遅く、悪かったわね。ウチの弟が亜他子に何か話があるって言うから」
 姉貴の言葉にその女性は
「いいんです。暇でしたし折木先輩の用なら喜んで来ますから……こちらが弟さんですか、こんにちは河内亜他子です。いつも伊原から話は訊いています。今日はおてやわかにね」
 「ああ、はじめまして、折木奉太郎です。今日は本当にありがとうございます。さあ上がってください」
 俺はそれだけを言うのがやっとだった。河内亜他子先輩は俺が想像していたよりも親しみ易く、しかも相当な注目を集める容姿だった。

 翌日、学校に行くと伊原が里志を連れて俺の所へやって来た。
「あのね折木、昨日頼んだ件だけど、あのスレッド自体が削除されちゃって、画像が流失する可能性は低くなったから、折木も犯人を突き止め無くても良くなったと言うか無理してくれなくいても良い事になったから……色々とありがとうね」
 およそ、何時もの伊原らしくない言葉で俺に「もういいから」と断りを入れたのだ。何時もの俺なら「そうか」と言ってこの問題に興味を失っていただろう。だが、俺は気づいてしまった。この事件の裏にある悲しい事実を……
「里志、伊原、今日は古典部に来られるか?」
 そう尋ねると二人とも「行けると思うけど」そう言ってくれたので
「放課後、部室で全てを話す。俺が推理して判った事を全てな……」
 それを訊いた伊原の顔が驚きに溢れていた。
「昨日の今日でもう判ったの?!」
「ああ、ほとんどは推理だがまず間違ってはいないと思う」


 放課後になった。俺は荷物をまとめると地学講義室に足を向けた。既に千反田にも来る様に言ってある。正直、この四人以外の前では話したく無いからだ。
 職員室に寄ると既に鍵は借りられていた。もう誰かが居るという証拠だ。階段を四階まで上り、神高の果てまで来ると部室の地学講義室の扉を開ける。そこに居たのは伊原だった。ある意味俺の予想通りだった。
「早いな……里志は?」
「後で来る……わたしだけ先に来たの。どうしても折木に謝りたくて……」
 伊原は何時もの俺に対する態度とはおよそかけ離れた表情をしていた。
「伊原、お前が謝る事は無いのじゃないか、むしろお前は完全な被害者だろう」
 俺の言っている意味が判ったのか
「うん、そうなんだけど……いや半分はわたしの責任かも知れないし……」
「そうかも知れないが、兎に角俺は古典部の面々だけには真相を知って欲しいと思った。それにお前の知らない事実もある」
 俺の最後の言葉に伊原は覚悟を決めたみたいだった。

「こんにちは折木さん摩耶花さん」
 扉が開いて千反田が顔を出した。千反田にも今日の放課後、事実を話すと言ってある。心なしか千反田も緊張した感じがする。
「千反田、昨夜はありがとうな、お袋さんにも宜しく言っておいてくれ。おかげで時間がとれたので解決することが出来た」
 千反田は俺の言った言葉の半分しか理解出来なかったみたいだが、それでもこれから始まる事に興味を持ってくれたみたいだった。
「里志が来たら話を始めよう」
 俺はそう言って何時もの席に座った。それから暫くして里志がやって来た。
「ごめん、総務委員会に寄っていたから」
 里志一流の気の使い方だ。そのくらいは俺にも判る様になってきた。
「適当な場所に座ってくれ」
 その言葉を訊いて里志は伊原の隣に、千反田は俺のすぐ横に座った。お互いが体面したカタチだった。

「それじゃ始める……まず結論から言うと伊原の漫画の原稿と特別賞の情報を流失させたのは俺達の一年先輩の河内亜也子だ。いや、本当は彼女と親しい者だろう」
 俺のいきなりの結論に千反田は驚き
「折木さん、学外の人の仕業だったのですか? 驚きです」
 眼の色が変わってきたのが判った。里志と伊原は黙って訊いている。
「俺自身は彼女の事は全く知らなかった。知ったのは姉貴と同じ大学へ進学して同じゼミに入ったからだ。昨夜姉貴から訊いて知った所存だ。そして姉貴に連絡を取って夜だか来て貰った。そして俺は彼女に俺の推理をぶつけてみた」
「どんな推理なんですか?」
 千反田の興奮はいよいよ高まって来たみたいだった。
「河 内亜也子という人は神山高校時代は「漫研」に所属していて伊原とも顔なじみだったそうだ。それどころか、あの「夕べには躯に」が活躍した「十文字事件」の 時の文化祭以降、それまで敵対関係にあった二人は急速に接近した。それは伊原が二番目に敬愛した作品「ボディトーク」の作者だったからだ」
「そんな秘密があったのですか!」
 千反田はいよいよ瞳が輝きだした。
「伊原、ここまでは間違っていないな?」
 俺の質問に小さく頷く。それを確認して俺は続きを話す。
「伊原も自分が敬愛する作品の作者と知って色々と交流するのは益が多かった。次第に河内は技術的な指導をする事になる。それを快く思わなかったのが伊原と同学 年で河内の取り巻き連中だった。いわば、ジェラシーという奴だな。その指導のおかげで、伊原の腕はドンドン上達して行ったそうだ。河内が話してくれた。
 伊原が二年進級時に「漫研」を辞めたのは、河内が三年になり部を引退したので、かばってくれていた存在が無くなり、伊原への攻撃がいよいよ強くなって来たからだ。間違っていないな伊原」
 そこまでを確認すると伊原は
「そう、進めてくれたのは河内先輩だった。技術なら自分が教えるから止めた方が良いって……」
 恐らく、そういうものだろう。もうきっとこの頃の「漫研」は二人の理想とはかけ離れた存在になっていたのだろうと思った。
「以前よりも一層親密となった河内は自分の持っているものを全て伊原に教え込んだ。その結果、伊原の才能が開花した。それを自分の事の様に喜んだのだろう。そして実力試しにコンテストに応募する事を河内と里志にも進められる。それに答える伊原……」
 伊原は黙って訊いている。何時もならば軽い寸鉄のようなツッコミが入るのだが今はその口も閉じられていた。
「そ して、と言うかやはりと言うか伊原が河内の指導を受けて書いた作品はコンテストでも大賞こそ逃したが特別賞に入選した。河内は喜んでくれただろうな。自分が 叶わなかった漫画家への道を後輩が進んでいてくれる……嬉しかったに違いない……だが同時に何とも言えない寂しさがあったのも事実だろう。何故ならその夢 は彼女自身の夢でもあったからだ。才能ある後輩がそれを開花させ、自分は開花させる事が出来なかった……複雑だったのだろうな……」
 そこまで言った所で伊原が口を開いた
「先輩は、河内先輩の葛藤は判っていたつもりだった。きっと本当は自分がコンテストに応募したかったと思ったら、何か切なくなって……」
 伊原はハンカチを取り出して目頭を拭った。里志が優しく肩を抱く。
「そこで、河内は伊原と同じくらい親しくしている後輩、それも神山高校生に伊原がコピーしてくれた原稿を見せて、コンテストに入賞した事を教えた。この作品がせめて自分の指導の元に出来上がったという事実を語る事で自分の気持ちを収める事にしたんだ。」
 伊原の顔を見るとどうやら心当たりがある様だった。
「そ の人物は学校の掲示板ならそう噂にもならないだろうと思いスレッドを作って載せた。問題が思ったより大きくなって困惑したその人物は河内に相談した。河内 は直ぐにスレッドごと削除する様に指導した結果、昨日の放課後にはもう削除されていたという訳だ。そして、その人物とは……入り給え」
 俺は地学準備室との通路の扉に向かって声をかけた。それに呼応する様に静かに扉が開いた。
 そこに居たのは里志の妹だった。一緒には大日向が寄り添っている。
「大日向ご苦労さんだったな」
 俺は大日向に労を労うと里志の妹に向かい合った。
「喜びのあまり、学校の掲示板なら問題無いと思ったのだな。そうだろう?」
 里志の妹は黙って頷いて、そして
「お兄ちゃんの最愛の人が賞を貰う事になったって訊いて、わたしも河内先輩から指導を受けているから人事じゃ無いくらいに嬉しくて……こんな学校中に広まるなんて思わなかったんです。ゴメンなさい」
 里志の妹は膝に頭が付くくらい深々とお辞儀をした。
 それを見て伊原がそっと近づいて肩を抱いて慰める。
「うん、いいの、貴方だと河内先輩から訊いた時わたし嬉しかった。本当よ。福ちゃんの妹さんが心の底から喜んでくれた事が本当に嬉しかったの」
「摩耶花さん。わたし本当に軽率な事をしてすみませんでした」
 伊原と里志の妹は抱き合って泣いている。それを大日向と里志が寄り添うようにしている。俺は千反田と並んでその光景を見ていた。

 その日の帰り道、今日は自転車で千反田の家まで送ってく事にした。途中並びながら
「そ れにしても、問題が大きくならなくて良かったです。でも自分を乗り越えて行く後輩というのは自分が現役なら嬉しくとも少し寂しいものでしょうね。それと、 もしかしたら将来自分の義姉となる人がそんな賞を受賞する事になって、しかも同じ人から教わっていたなら尚更ですね」
 千反田は初夏の風に髪をなびかせながら颯爽と自転車を漕いで行く。その先は昨日と同じ様に千反田邸がある。
 俺は今日は鉄吾さんに見つからない様に帰るつもりだった。坂を下って千反田邸が見える場所まで来ると「今日はここで帰る。ご両親に宜しく伝えてくれ」
 そう言って自転車を反対に向けた。
 
 家に帰ると姉貴が大学から帰って来ていて俺の姿を見ると
「さっ きまで河内が来ていたのよ。くれぐれも宜しくって言って帰って行ったわ。そうそう、わたしに変な事言っていたわ。『先輩弟さんは決まった相手がいるので しょうか』って言うから『弟の事を想ってる娘はいるみたいだけど、アイツはハッキリとしないから判らない』って答えておいたわ。頑張んなさい」
 そう言って自分の部屋に下がってしまった。冗談じゃない。何でそんな事を言うのだろうか……
 その日から俺の悩みがひとつ増えたのだった。いや、千反田との余計な軋轢を考えると二つかも知れない。
 伊原は無事に特別賞を受賞し、賞金にバイトのお金を足して、自分専用のパソコンとモニターそれに複合プリンターにペンタブレットも揃える事が出来たのだった。


 了

氷菓二次創作  「遠く離れて想うこと」

「遠く離れて想うこと」

 今日も夏の暑い太陽が燦々と光を降り注ぎます。わたしが大学に入学してから四ヶ月が経ちました。やっと学校にも慣れて来た処です。
 前期のレポート提出なども終わり学校は早々と夏休みに入りました。わたしは、この際バイトをしようと思い色々と探していましたが、同じクラスの娘が
「私がバイトしてるファミレスでしない?」
 とお誘いを戴いたので、この際初めての経験ですがやってみる事にしました。
 面接に行った処、先鋒の店長さんもわたしの事を気に入ってくれたのか、すぐに採用が決まりました。夏休みの間はランチタイムを中心にやることが決まり、気持ちが逸るのを抑えられません。

「千反田さんはこういう調理の補助も随分出来るんだねえ。きっと料理好きなんだね」
 忙しくくて調理が手を回らない時は調理場にお手伝いに入ったりするのですが、そこでそう言われました。するとホールの娘からは
「千反田さんはホールの人なんだからすぐに返してくださいね」
 と声が掛かります。店長さんは
「全く千反田さんが来てくれてから、千反田さんが居る時間の売上が伸びていてね。この前なんか新記録を上げたよ」
 そう言ってニコニコしています。
わたしのせいでは無いのでしょうが、わたしが少しでも売上のアップに貢献出来たら嬉しいです。
「店長!当たり前でしょう。最近みんな若い男の子は千反田さん目当てで来るんですよ。この前なんかお休みの日は皆がっかりしてましたよ」
 ホールの娘がそう言いますが、そんな事は無いとわたしは思っています。やはりお店の雰囲気とか味が良いからだと思うのです。
「いや~まあ、実はそうなんだよね。出来れば千反田さんの勤務時間を伸ばして貰いたいくらいだよね」
 店長さんまでそう言うのです。わたしは恥ずかしくなって仕舞います。でも今度のお盆には神山に帰ります……必ず……


「へ~え、これがちーちゃんのファミレスのウエイトレス姿かあ。可愛いいしミニの制服だから中々セクシーだよね。どう折木」
 伊原が俺に先日千反田から来た手紙に同封されていた写真を見ながら軽口を言う。
「どう?って言われても、どうしようも無いだろう。どうすりゃいいんだ?」
「まあ、そうだよね。ごめん。深く考えないで言って……」
 思いもがけなく伊原がしゅんとなった。こちらもそう言うつもりで言ったではないのだが……
 すると里志が「まあでも千反田さんがバイトするとはねえ、以外だったな。その様な暇があれば勉強する人だと思っていたからね」
「なんか心境の変化があったのかも知れないわね」
 伊原がさっと合いの手の様に言葉を繰り出す。本当にこの二人はお似合いだと思う。

俺は先日来た千反田の手紙を二人に見せた。

拝啓
 真夏の日差しがぎらぎらと照りつける日が続いておりますが如何お過ごしでしょうか。
 わたしは前期の日程も順調にこなし、学校にも慣れた来た今日此の頃です。
 折木さんを始め、摩耶花さんや福部さんもお元気でしょうか?
 都会には神山の様な自然が乏しいので、時として息が詰まりそうな時もありますが、そんな時は近くの公園で神山の日々を懐かしく思い出しています。
 さてこの度、わたしはアルバイトを始める事になりました。大学の同じクラスの娘の紹介でレストランでウエイトレスをすることになりました。
 始めての事ですが、何事も経験と思い、またこの機会に自分が与えられえた環境が如何に恵まれていたかを知るいい機会になると思っています。同僚の娘が撮ってくれた写真を同封します。
 8月のお盆に皆様と会えるのを楽しみにしております。

折木奉太郎様

千反田える


「ふう~ん。恵まれた環境ねえ。たしかに学費とかは心配しなくて良い家だけど」
 何やら伊原は納得しない感じだ。
「それはさ、手紙じゃこういう形式になるのは無理無いんじゃ無いかな」
 里志の言葉に何か納得しない伊原は
「そんなもんかな?」
 と譲らない
「そうさ。電話だったらもっと言い方もあるだろうけどね」
「そうか……」

 俺の目の前で二人が話しているが、実は便箋は二枚あり、片方はとても二人には見せられない俺だけに宛てた手紙だったのだ。。それは、千反田の心の叫びが書いてあり、千反田のありのままの想いが書かれてあった。

 今年の春、千反田は都会の大学に進学したが、俺は家の事情で神山を離れる訳に行かなかった。何とか自宅から通える大学に進んだのだが、そこは里志と伊原も進学していた。そこで、俺達三人は事あるごとに集まるのだった。俺は楽しそうに語り合う二人を前にして、鞄の中にあり、二人には見せられない便箋に書かれた文言を思い出していた……


折木さん……いいえ奉太郎さん!こう呼ばして下さい。

春にお別れしてから、奉太郎さんのことを想わぬ日はありません。

大学でも少し似た男の人を見かけると、つい目が追って仕舞います。

毎日恋しくて枕を濡らさぬ夜はありませんでした。

世界の果てに居る訳でも無いのに、ホンの少し離れて暮らしているだけなのに

この想いは何なのだろうと自分を責めて仕舞います。

大学の授業がある時はそれに打ち込み時を稼ぎます。

クラスメイトとお喋りをすれば気持ちが紛れます。

でも……何もしない時は奉太郎さんの事ばかり考えて仕舞います。

夏休みになりました。最初は一刻も早く神山に帰り、お顔を見たかったのですが、

わたしは弱い自分の心を鍛える為と奉太郎さんの事ばかり考える暇をなくす為に

アルバイトを始めました。仕事をしている間は気が紛れるからです。

でも、でも本当は今すぐにでもお逢いしたいのです。

あなたの事を思うと本当に心が張り裂けそうです。

自分で選んだ道ですが、あなたに逢えない日々がこんなにも辛いとは誰が思ったでしょう。

お盆には何としても帰ります。

そうしたら、そうしたら思い切り抱きしめてくれますか?

こんな、わたしを許してくれますか?

それを夢見ながら筆を置きます。

折木奉太郎様

千反田える



 俺は暗記するほど何回もこの手紙を読んだ。
 たまにだがする電話ではいつも陽気にしか言わないのだが、言葉の裏には辛い事もあるだろうとは思っていたが、こうまで赤裸々に想いを伝えて来るとは思わなかった。
 正直、すぐにでも行ってやりたい。だがきっとそれは千反田の本意では無いのだろう……
 俺は少なくともそう判断した。
 お盆に帰って来たら誰の前でもいい、思い切り抱きしめてやりたいと想いながら、俺は鞄の中の便箋に手を伸ばして、そっとそれに触れていた……




氷菓二次創作  「思いがけない存在」

 「思いがけない存在」

え~、在庫がなくなりましたので、再び二次創作から在庫を出す事にします。
例によって、甘いだけの話ですので、ご注意を……続きを読む

残すということ…… 

「残すということ……」

 先日、人間国宝に柳家小しん治師匠がなることが決まったが、この時巷の一部で「なるのではないか?」と噂されていた師匠がいた。
 噺家芸術協会の会長の桂音丸師匠だ。入門当初は新作派だったが、途中から古典に切り替えて、今では第一人者と目されている。
 特に圓朝師の残した作品の復活に情熱を持っており「真景累ヶ淵」では故六代目圓生師が「聖天山」までしか演じていなかったのだが、音丸師はこの先も高座に掛けて、録音も残していて、題を「お熊の懺悔」と名づけている。
 噺は前半部分は、高利貸の鍼医・皆川宗悦が金を貸した酒乱の旗本・深見新左衛門に斬り殺されたことを発端に両者の子孫が次々と不幸に見舞われていく物語 で音丸師はこの噺の一応の決着がつくまで演じたのだった。後半部分も名主の妻への横恋慕を発端とする敵討ちの物語は圓生師も音丸師も「今ではつまらない」 と同じように言っていた。
 以前、音丸師匠に佐伯がインタビューしていた。確か「真景累ヶ淵」の「お熊の懺悔」のCDを発売した時で、その意義を訊いたのだった。だがインタビュー は脇にそれてしまい、音丸師匠が何故六代目圓生師がやらなかった処まで演じたのかかがイマイチ良く判らなかったのだ。俺は、これは訊いて見るしか無いか な? と思い始めていた。

 そんな時だった。音丸師匠から直々に編集部に連絡があった。丁度、俺が電話に出ると師匠は
「ああ、神山さん!? ちょうど良かった。実は圓朝師がらみでお話があるのですが、実はスケジュールが忙しくて、時間が作れないのですよ。そんなに急ぐ話でも無いのですが、この前の事件聞きましたよ。それも圓朝師の噺を語っている者として是非お訊きしたいのですが……」
 音丸師がワザワザ電話を掛けて来た理由が判った。要は、この前の盛喬の一件を直接俺から訊きたいのだろう。ならばこちらも佐伯が上手く引っ張り出せなかった師匠の本音を引き出すまでだと思い直した。
「お時間さえ作って戴けたらこちらから伺いますよ。そんなに遠くでは無理ですがね」
「では、申し訳無いのですが、今度の土曜に茨城の五浦温泉で私の独演会があるのです。日曜は朝のうちだけ用事がありその後は時間が取れますから、おいで願えないでしょうか?」
 茨城の五浦温泉は俺も何回か行った事がある。だがそんな場所で師匠の独演会なんて少しおかしいと思ったら
「私の「後援会」の行事を兼ねていまして、バスで行くのですが、私も一緒に行くんです。向こうで到着して温泉に入ったりして、本番はその夜なんですよ。翌日の日曜は見送りだけですから、その後は帰るだけなんです。どうでしょうか」
「判りました。私もその晩は同じホテルに宿を取りましょう。そして翌朝お話をお伺いするという手はずで如何でしょうか?」
 俺の提案に師匠は喜んで承諾した。土日は本来なら取材の日ではない。それはそうだ「東京よみうり版」は公には土日は休日となっている。だが、そんな事は 言っていられない、電話を取り、師匠が泊まるホテルに電話を掛け、二人分の予約を取った。もう一人は薫を連れて行くつもりだった。
 俺と薫は、この前二人で薫の実家に正式に挨拶して「お嬢さんをください!」と頭を下げたのだ。勿論何回か遊びに行き顔なじみになっている薫の両親は『こ んな娘でいいんですか?』と逆に言われてしまった。結納などは無いが、式の日取りだけは決めて薫の実家の近くの式場を予約した。だが未だ式までは半年あ る。そこで俺は給料の三ヶ月分を叩いて婚約指輪を拵えた。
 それを薫に渡すと柄にもなく、あいつは目を潤ませた。
「大事にするね……」
 涙声でそれだけをやっと言って、俺に抱きついて来た。
 俺達は婚約者となった訳だった。初めて会ったあの時からどのくらい経ったろうか、就活の女子大生だった薫は、今や立派な女優業をしている。時が経ち女は変われば変わるものだと思う……

 家に帰ると薫が自分のマンションから荷持を運んでいた。そうなのだ、結婚してもここに住むそうだ。このようになるなら引っ越さなければ良かった。
「お帰りなさい。ご飯出来てるわよ」
 実際、家に帰って何もしないで夕飯が出て来るのはありがたい。薫はこれでも料理は結構やるのだ。これには俺も驚いている。
「じゃあご馳走になるかな」
 そう言って食卓につき、食事をしながら土曜の事を言う。例の音丸師匠の件だ。
「行く! 孝之さんとなら何処でも行くわ」
「仕事はどうなんだ? 大丈夫なのか。土日が潰れるぞ」
 薫の仕事の心配をすると薫は
「大丈夫! 今度の土日はオフなの」
「仕事がらみだけどな……」
「うん、大丈夫! それでも嬉しい!」
 全く、こういう事になると薫は本当に健気だと思う。そんな部分に俺は惹かれるのかも知れない。
「今日はカレーを作ったの。後はサラダと……」
 薫が作った夕食の献立を言いながら並べている。それを見ながら俺はこいつと俺の過ごした年月を思い出していた。諦めの良い俺に対して諦めの悪い薫。中々ユニークな組み合わせだと思った。
 そのまま泊まって行くのかと思ったら
「明日も荷物運んで来るから、今日は帰る。旅行楽しみにしてるからね」
 そう言い残して帰って行った。明日も来ると言う事だ。

 土曜日、俺はツインスパークの助手席に薫を載せて常磐自動車道を北に走っていた。五浦温泉は北茨城ICで降りてその先にある。野口雨情の記念館が傍にある。
「いい天気ね。取材は明日の朝なんだ。私はそこら辺で時間潰してる? それとも邪魔じゃ無かったら居ても良い?」
 薄い色のサングラス越しに横目で俺を見ながら薫は俺の事を気にしている。以前はこうではなかった。自分のしたい事が真っ先で、その次に俺の事情を考えていた。薫の意識が少しずつ変わって来たのだと理解した。
「どっちでも良いよ。でも師匠はお前のファンらしいぞ」
「なら、一緒に居てサービスしちゃおう」
 嬉しそうに言うその表情は、もうすぐ俺の妻になる事を充分に理解している感じだった。
「五浦観光ホテル別館」の駐車場にツインスパークを駐めたのは午後三時を少し回った頃だった。取材する約束をしてあると申し出、身分を明かし、フロントで音丸師匠の一行の事を尋ねると
「午後四時頃の到着です」と告げられた。
 チェックインして先に部屋に入る事にする。海に面した眺めの良い部屋だった。
「混む前にひとっ風呂浴びて来よう」
 そう言って二人で大浴場に行く。ここの大浴場は太平洋が眺められるのが特徴だ。ここの他に本館があるがそちらは海は見えないそうだ。まあここは混浴ではないので騒ぎの元がないので安心出来る。
 風呂から上がってロビーで薫を待っていると、音丸師匠一行が到着した。今夜はここの六階の多目的会場で落語会が開かれる。後援会の人達の他に地元の人に も開放されていて、千五百円の料金で師匠の独演会を聴く事が出来る。会場は300人程入るそうだ。落語の会場としては丁度良い大きさだ。
 ファンクラブの人達が皆降りて、チエックインした後に師匠が降りて来て、ロビーに居る俺を見つけた。
「神山さん早いですね。今夜の高座、見て下さいね」
「何をやるんですか」
「今日は「牡丹灯籠」の「お露と信三郎」の下りから「御札剥がし」までをやります。一番面白い処です」
 そうなのだ。「牡丹灯籠」もお露と信三郎の噺と宗悦殺しの下りの敵討が複雑に絡み合っている噺で、これも最近はちゃんと演じられた事が余りない。敵討の 方がおざなりにされて、お露と信三郎の件と伴蔵の悪事がメインとなっている。噺の中でも特に面白く笑いも多い箇所だ。きっとお客も喜ぶだろうと思ったの だ。
 師匠と話をしていると、女風呂の方から薫がやって来て音丸師匠に挨拶をした。驚いたのは師匠の方だった。まさか女優の橘薫子が俺の連れでこんな場所にいるのが信じられないと言った顔をしていた。
「神山さんと橘さんは一緒に旅行する仲だったのですか?」
 驚きの表情で問い掛ける師匠に薫が
「先日、婚約したんです。やっと捕まえました」
 そう言って笑ってる
「そうですか、それはお目出度うございます。未だマスコミには流れていないですよね。なら私が一番先に知った訳ですね。これは良い! 今夜のマクラで使わせて貰っていいですか?」
 俺も薫もそれを了解した。いずれ劇団から正式な発表がある。それまでのネタだが……
 師匠は「それじゃ、後で……」 そう言って別れた。

 師匠の独演会は午後七時半から九時までとなっていた。途中十分の休憩を挟む。前半の「お露と信三郎」が三十分程で、後半の「御札剥がし」に時間を割り当てるつもりだと思った。
 会場は満員で、俺と薫は一番後ろの隅に何とか座る事が出来た。出囃子が流れて、師匠が登場すると一斉に拍手が起こる。赤い毛氈を引いた高座に師匠が座ってお辞儀をするとまたもや拍手が沸き上がった。
「今夜は、ここ五浦温泉での独演会でございますが、私の後援会の方の他に地元の方も沢山お見えになって、本当に有難いと思っております。一段高い場所からですが、改めて御礼を申し上げます」
 師匠が今夜の礼を言って噺のマクラに入った。途中で俺たちの事にも触れて、会場は一斉に驚きの声が上がった。当然俺たちは立ち上がって挨拶をする。そして、その後噺に入って行った。
 お露と信三郎との出会い。そしてお互いに一目惚れしてしまった様子が語られて行く。音丸師匠は圓生師や正蔵師ほど自分の個性を出さない。だが女性の表現は中々上手いと思う。今日の高座でもお露や下女のお米の演じ方は上手いと思った。
 そして仲入り後にいよいよ今日の本編とも言える「御札剥がし」に入って行く。これは今更あらすじの要らないほど有名な噺だが、ここでもお米の不気味さが良く出ていた。これで、信三郎の描写がもっと真に迫ってれば、歴代の大師匠に引けは取らないと思うのだがそこが惜しい。
 俺は記事や明日のインタビューに使う為に色々とメモをしながら今日の高座を聴いた。

 終演後楽屋を訪れ、明日の十時に後援会の方を見送ってからロビーで取材のインタビューをする事が決まった。師匠は薫のファンだと言ったので、薫がサインをして二人で一緒の写真を撮影した。師匠は大喜びだった。
 薫も師匠の高座に影響を受けたみたいで、部屋に帰ってからも俺に色々と訪ねたり自分の感想を述べたりした。
「圓生師匠のはCDで聴いた事あるけど、生の高座で聴いたのは始めてだったから、ちょっと噺にのめり込んじゃった」
 薫はそう言って敷かれた隣の布団にうつ伏せになりながら俺に今日の感想を述べると
「お噺なんだけど、解決方法って無かったのかしら? 今だったら恋しい人の所には自分から進んで行く子が多いけど、昔はそんな事思いもよらなかったのでしょうね」
 薫はまさに自分が言った通りの事をやったので、今ここに居る訳なのだが……
「まあ、今の常識で考えると噺の理解は出来ないな」
 そう言って部屋の灯りを消すと、隣の布団の薫が滑るようにこちらに移って来た……
 
 翌朝、約束通り十時に俺と薫、そして音丸師匠はロビーに居た。まず最初に、盛喬の一件を俺がありのままに話す。圓朝師の墓で線香の煙の中に師匠が浮かんだ事も含めて語ると音丸師匠は大層感心をして
「やはり、噺家の端くれとして、圓朝師の思いは良く判ります。それは私が圓朝師の噺を復活させて残している事に繋がります」
 話は以外にスムーズに俺が訊きたかった方向に向かっていた。
「師匠はそもそも何故、故圓朝師の噺を残そうと思ったのですか?」
 ずばり核心を訊く。それに対して音丸師匠は少し考えて
「そうですね。最初に圓生師の「圓生百席」がありました。あれは私達噺家にとって、素晴らしい贈り物でした。スタジオでの時間を気にしない録音。それはまさに噺の全てを残してくれたのです。
 あれだけの物になるとコアな落語ファン以外はおいそれと手が出せません。今では図書館にも収められていて気軽に借りて聴けますが、全部を一気と言う訳には行かないでしょう。
 それに、内容は必ずしも高座で掛けているものとは内容が違っています。あれは本来は「落語の教科書」だと思っています。
 ならば、我々はそれを利用し、伝えて行かなくてはなりません。圓生師亡き後それを実行した者は数える程しかおりません。
 ならば、私が力及ばずともやって見ようと思ったのです。ですから、「真景累ヶ淵」の「聖天山」以後の圓生師が残していない部分も含めて録音したのです。
 正直言って、私の力量は圓生師や正蔵師には及びません。でも、逆に私のような色の無い噺家が残しておけば、将来、どの噺家も自分なりに演出を出来ると思ったのです。
 売る側としてはこんな話は載せる訳に行きませんので、今まで黙っていました。でも、先日の一件を聞いて、今日、神山さんから事のあらましをお伺いして、私ははっきりと理解しました。
 私のやった事は間違っていないと……」
 言い切った師匠の顔は晴れ晴れとしていた。俺の横で薫が
「音丸師匠、昨夜のお露さんの描写、女優としてとても感じました。今回一緒に来て師匠の高座を拝見出来てとても良かったです」
 そんな事を言ったのが印象的だった。他に今後の抱負等を訊いてインタビューを終了した。別れ際に音丸師匠が笑いながら
「神山さん。もし、もう一度圓朝師が出て来たら、宜しく言っておいて下さい。こんな老いぼれでも頑張っていますと……」
 その顔はとても晴れやかで、ちょっぴり自負が伺えた。そしてそれは俺の心に何時迄も残ったのだった。

   了
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