2014年05月

300字小説 自作後悔じゃなく公開

え~中日新聞に投稿した拙作ですが、落選は間違い無いので、ここでひっそりと公開します。
まず、最初に

「素麺」

 衣替の季節になり半袖が心地よくなると、夏の太陽が顔を覗かせる。その頃から母は良くお昼に素麺を茹でてくれた。竹で編んだザルに山盛りになるほど茹でてくれた。

 わたしや弟は、その中の赤や緑の色の素麺を取られない様に真っ先に食べてから残りの白いのを食べたものだ。色のついたのを何本食べたか何時も自慢しあっていた。

 子供のうちは葱が辛いから嫌いだったが、いつの間にか好きになった。
 玉子焼きも胡瓜もさくらんぼも無かったけれど……思い出す。
 残って茹で過ぎた素麺は夕食に形を変えて出て来た。その変身した素麺もどきをウンザリしながらも食べていた。

 今年も夏が来る……母の新盆には素麺を茹でてあげようと想った。


「初鰹」

 5月も連休が終ると、新緑が目に眩しくなる。これから梅雨に入るまでが一年で一番過ごしやすい。

「目に青葉、山ほととぎす、初がつお」と言う俳句がある。まさに今の時期を詠んだ句だろう。
 
昔からこの時期になると鰹が食べたくなる。それもたたきでは無く刺し身でだ。思い立つと我慢出来なくなったので、早速スーパーに買いに行く。綺麗に盛られたのもあるが、ここは柵になったのを買ってきてこの日の為に買ったマイ刺身包丁で切って食べたい。

「病膏肓に入る」と言う諺通りだと自分でも呆れる。

 江戸時代の人は和辛子をつけて食べたそうだ。それに倣って自分もそうしてみる。
 
古風な味がして、少しだけ昔の人になった気がした。


この二作を一応公開してみました。
落ちたらまた載せます!

出張料理人 雅也 11

「自分に出来ること」

 サブは今日は休みなので、何処かに出かけようとしていた。そこへ雅也が起きて来て
「何処か行くのか?」
 そう訊いてきたので、サブは
「ええ、映画でも見て来ようと思って、親方はどうするんですか」
「ああ、俺か……俺は「風の子園」で学芸会があるから、それを見に行く」
 それを訊いてサブは
「なんだ親方、そうなら言ってくださいよ、水くさいですよ」
「じゃあ、一緒に行くか?」
「勿論ですよ」
 そう言ってサブは今日も雅也と一緒に行動する事になった。

 1時間後、二人は車中の人となった。車を走らせながらサブは
「一度ちゃんと訊こうと思っていたのですが、姐さんは「風の子園」で育ったのですよね?」
「ああ、そうだよ」
「じゃあ、この前玉子焼きを持って行った姐さんの御両親って……」
 サブがそこまで言って言葉に詰まった。いわゆる話が食い違うと言う事なのだろう。
「その事か……知りたいか?」
「ええ、知りたいです」
 サブはそう言ってハンドルを握る雅也を見つめた。
「長い話になるが……いいか?」
「はい、構いません」
 それを訊いて雅也は話しだした……

「今から35.6年前に東北のある地方都市で市内のほとんどを焼きつくす火事があったんだ。あいつは、その街で生まれて、その時は3歳になっていたんだ。両親は共働きだったから、保育園にあずけていた。
 その時に火事が起こって、その保育園も焼けてしまった。勿論、両親が働いていた会社や工場も全焼してしまった。
 幸い、アイツも両親も命は無事だったが、生き別れとなってしまったんだ。
 引き取リ手のいない子供となってしまったんだな。何故なら、両親は二人とも命は助かったが、焼け出されて火傷やゲガをしてしまったんだ。
 意識不明が数日続いてしまった。その間に引き取り手の無い子供はアイツを始め数人いたそうだ。
 その子らを引き取ったのが「風の子園」の園長で、その子らを連れて行ったんだ」

「両親は判らなかったんですか?」
「当時は混乱していて、判らなかったのかも知れなかったのだろうな」

「暫くして、病院を退院した両親は自分の子を探したがすぐには見つから無かった。それに、全てを無くし、仕事さえ失った二人の生活は楽ではなかった。
 1年以上かかって、両親は自分の娘の行方を見つける事が出来たが、そこは関東だった。それでも、迎えに行ったそうだ。でも、二人の窮状が判った園長は「生活が楽になってからでも」と言ってくれたそうだ。
それから更に1年後にちゃんと迎える事が出来たそうだよ」

「でも、姐さんは18まで居たって……」
 サブが不思議な顔をする。それに対して雅也は
「それはな、アイツは中学を卒業すると「風の子園」にボランティアをするためにやって来たんだ」
「ボランティアですか……それで……」

 表向きは園児の一人と見られていたが、事実上は色々な雑用をやっていた。そして18歳で、園を出ると俺と出会ったんだ。
「そうでしたか、色々と複雑な事があったんですね。知りませんでした」
「当たり前だよ。俺も誰にも言ってないしな」
「今日は学芸会に呼ばれていたのですか?」
 サブが尋ねると雅也は
「それもあるが、その後が本番だ」
「その後?」
「学芸会が終わった後で、慰労会があるんだ、その料理でも作れたらと思ってな」
「なんだ、それならやっぱりちゃんと声掛けてくださいよ。ホント水くさいんだから」
「いや、今日は休みだから、強制は出来ないよ」
 サブは、文句を言いながらも、そういう雅也が好きだった……

「風の子園」に到着すると、雅也は園長に挨拶をして、早速給食室にお邪魔した。
「まあ、雅也さん」
 給食の係の人も皆、歓迎である。お昼は給食があるので、午前中のこの時間は皆大忙しである。雅也とサブは持って来た白衣に着替えると、手伝いとして加わって行った。
「いいんですよ、今日は来賓なんですから、講堂で座っていてください」
 そう言われたのだが、それでもこうして作業をしていた方が落ち着くのだった。

 給食の支度が終わると午前の最後のプログラムだけを、一番後ろで立ったままサブと二人で見学した。
 舞台に立っている園児も雅也が見ている事に気がついた子もいるみたいだった。雅也の姿を見て思わず笑顔になるのだった。
 それを見てサブは
「親方、子供に愛されていますね」
 そう言って笑ったのだった。
「バカ……」
 苦笑いする雅也だった。

 お昼は園児に混じって一緒に給食を採る。ここでも、二人は人気だった。
 そうなのだ、このような私立の施設に来客が来るなんて事は殆んど無いのだ。雅也とサブは年に何回か来ては園児と一緒に遊んで行く。それが、彼らにとって、どんなに楽しい事か……
 その証拠に必ず「今度は何時来てくれるの?」そう言われるのだ。
「近いうちに必ず来るからな、また遊ぼう」
 雅也はそう言っていた。本当はハッキリと日時を言った方が良いとは思っていたが、それはこのような商売をしている限り無理だった。

 午後になり昼の給食もすっかり片付け終わると、いよいよ二人の出番だ。調理の材料は今日の昼に届く様に発注してあった。その荷を解き、仕事にかかる。
 午後の給食室に雅也とサブの包丁の音が響いている。今は、雅也もサブも調理人の顔をしている。
 先ほどの子供と会話をしている時の顔ではない。だが、二人の頭の中には、出来上がった料理を食べて、楽しんで笑顔をしている人々の姿が想像出来ているのだ。

 学芸会が終わり、夕日が真っ赤に西の空を染め上げる頃には講堂はテーブルが並べられ二人の作った料理が並べられている。
 これから、子供も含めて慰労会が始まるのだ。雅也は、自分が生きているうちは、続けたいと思うのだった。

出張料理人 雅也 10

「遠くにありて想うもの」

 雅也は夕方買い物から帰ると夕食の準備を始めた。休みだと思ってダラダラしていたサブが慌てて手伝う。
「料理するなら言って下さいよ。いきなり始めるから驚きましたよ」
 そう言って口を尖らせると雅也は
「ははは、悪い悪い、今夜の料理は俺だけで作ろうと思っていたんだ。なに、大したものじゃ無いし、おまえの参考にもならんと思ってな」
 そう言って苦笑いをした。
「それでも、俺も手伝いますよ」
 そう言いながら玉葱の皮をむき始める。雅也はむきえびを包丁で細かく刻み始めていた。
「親方、今夜は何を作るんですか?」
 そう訊くサブに雅也は
「タンツー・ホントンさ」
「中華料理ですか、珍しいですね」
「ああ、今日はこれを好きだった人の誕生日だから、作ってみたくなったんだ」
「へえ~なんかありそうですね」
 サブが興味深そうな顔をしている。サブはピーマンを切ると竹の子と人参の処理にかかっていた。
「よかったら後で教えてくださいよ」
 そう頼むと雅也は
「つまらない話だぞ、いいのか?」
「親方が話す事でつまらない事はありませんよ」
「随分買われたものだな。じゃあ後で話す事にするか」
 そう言って笑ったのだった。

 雅也はエビのすり身をワンタンの皮に包んでいく。かなりの数が出来上がると、それを油で揚げ始めた。
 すでに、人参、竹の子、ピーマン、玉葱、椎茸等が油通しをされて、火の通った状態になっている。

 揚がったワンタンを別の中華鍋に入れて、先ほどの野菜を加えて行く。適当に混ざった頃を見て、醤油、ケチャップ、お酢、砂糖、オイスターソース等が混ざった調味料を加えて行く。
 適度に絡める様に鍋を何回か廻して最後に片栗粉でとろみをつけて、仕上げに胡麻油を少し絡めて出来上がった。

「さあ、食べよう。熱いうちがいい」
 雅也がそう言って皿によそって、サブに促す。二人でテーブルに向き合い箸をつける
「アチアチ、熱々ですね。旨いけど、これなんか酢豚に似ていますね、と言うよりワンタンと豚肉を替えるとまんま酢豚ですね」
 サブはそう言って口をほおばらせていた。

「まあ、そうだ」
「でも日本じゃ余り見かけない料理ですね。手間はちょっと掛かりますけど、もっと知られていても良いですね」
 サブは料理の合い間にご飯を口に入れていた。
「ゆっくりと食べろよ。早食いは体に悪い」
「はい、判っていますけど、先ほどの事話して下さいよ」
 そう言ってサブが話をねだるので雅也もぽつりぽつりと語りだした。


 あれは俺が店を畳んでお前を解雇してこの商売を始めた頃の事だ。店を畳んでからお前が俺の行方を探してここに訪ねて来るまで1年位の期間があったろう? その間の事さ。

 「俺はこの商売を立ち上げて、店の常連さんに案内状なんかを送っていたんだ。まあ多少の宣伝も必要だからな。
その中に及川さんがいたんだ。今でもたまに注文してくれる。及川商店の社長だ。
 その知り合いで林田さんという方が俺の処に見えてな、
『子供の頃に食べた料理を再現して欲しい』そう言って来たんだ。
 俺は中華なんか良く知らないから一旦は断ったんだが、どうしてもと言われて確約は出来ないが努力はする。と言ったんだ。

 そしてその料理の名前がこれだったんだ。漢字でどう書くかは知らないが「タン」は甘いという意味、「ツー」は酸っぱいという意味で、「ホントン」はワンタンの意味だと教えられた。
 つまり訳すと「揚げワンタンの甘酢あんかけがらめ」といった処かな。
からめと付けてのは絡めるからだな。ちなみにパイナップルも混ぜても良いそうだ。

 ちょうど、あいつが残してくれた中華料理の本に載っていたんだ。あいつは俺と一緒になってから調理師学校へ通ったから、その時のテキストに載っていたんだ。
 俺はそれを見て、知り合いの中華料理人に訊いて作ってみたんだ。
そして、それを林田さんに食べさせた。
喜んでくれて「母の味です」と言ってくれて、俺に自分の事を話してくれた。
 林田さんは、在日2世と自分では言っていたが、すでに帰化していた。両親が戦前に広東省からやって来たのだそうだ。その時の林田さんは小学校入学前だったらしい。
 横浜の中華街に住んで、あの辺りで両親は仕事をしていたそうだ。その頃の名前が林 正夫 と言ったそうだ。
 今の名が 林田 正夫だから田の字だけしか変わってないとなるな。

 林田さんは戦後、自分の過去を抹殺した。横浜も空襲でやられて戸籍も原本がなくなってしまった所もあった。
 そこで林田さんは戸籍が復活する時には多くが自分の申請だったそうだ。
 帰化の資料もおそらくは無くなっていたのだろう。すんなりと通ったそうだ。
 それはそうだったろう、名前、住所も全て本当の事を申請したのだから。
 だが、伝えない情報もあった。それが自分が中国から来て帰化したという事実だった。自分で起こした林田製作所も大きくなっていたし、両親も亡くなっていた。
 林田さんは両親の苦労を見ていて、『この国で成功するなら日本人になりきらなくては』と思ったと言う。
 俺は、それについて何か言うつもりは無いが当時はそんな事があちこちで行われていたのだろう。責める事はできないと俺は思う……」

 そこまで言って雅也は冷めかけている料理を口に運び
「ほら、カリカリ感が無くなると味が落ちるぞ」
 そう言ってサブに早く食べろと催促する。
「その後、どうしたのですか?」
 サブが続きを促す。
「ああ、その後、林田さんは事業で成功した。会社も大きくなって来て、今は少なくなったみたいだが、「中国帰国者」ってあったろう? あれの支援を始めたんだよ。
 具体的には会社で帰国者を雇うと言う事なんだけどな。その中に、ある若い女性がいた。その娘は帰国者の娘だったが、林田さんの会社で働いていたんだ。

 ある日、林田さんは雑談の中で自分の好きな料理の事を話していた。林田さんによると、中国に旅行に行った時に食べて好きになった、と言う事にして「タンツー・ホントン」を食べた、として話したそうだが、その中で「ケチャップが入って」と言ったそうなんだ。
 その帰国者の娘さんは、その時に『この人は元中国人だ』と確信したそうなんだ。その場では言わず、後で二人で会社に残った時に言ったらしい。

 林田さんは大層驚いて、何故判ったのか問いただしたそうだ。
 その時にその帰国者の娘は『あれは家庭料理で旅行者がお店で食べる料理じゃ無いから、そしてケチャップを使うのは家庭料理だから』と言って、『自分の母の養父母は満州に行く前は広東に住んでいて、自分も母にこれを作って貰って良く食べていた』と言ったそうだ。
 林田さんは、その時縁と言うものを感じたそうだ。そして、独身を貫こうとしていたが、その娘と結婚したんだ。
 今は、二人の息子さんが会社を経営している」

 雅也は料理をすっかり平らげるとサブも急いで食べる。
「林田さんは今はどうなされたんですか?」
 サブが不思議そうに訊くと雅也は
「生まれ故郷に技術指導に行っているよ。林田さんは経営者でもあったが技術者でもあるからな」
「そうですか、だからこうして偲んでいるんですね」
「ああ、それから林田さんも随分注文を受けたからな。向こうでも元気にやっていて欲しいと思ってな」
 雅也はそう言って、マンションの窓から遠くを見ていた。
「親方、俺、たまにこれ作りますね」
 サブが雅也の横顔をみながらつぶやくと
「そうだな、たまにはな」
そう言って笑ったのだった。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
作者より
「タンツー・ホントン」は実際にある料理です。
 この話の中では色々な野菜を入れていますが、実際は丸く包んだワンタンを揚げて、ケチャップ入のタレでさっと絡めて、柔かい甘酸っぱさのタレが絡んだカリカリのワンタンを楽しむ料理です。私も良く作ります。
 お酢も少しは入れますが、ケチャップの柔らかい甘酸っぱさが美味しく感じる料理です。
 本文中にある様にパイナップルの缶詰を入れても良いです。
 カリカリ感が無くならないうちに熱々を食べましょう。

出張料理人 雅也 9

「父の想い」

 ある日、雅也のマンションの電話が鳴った。
「はい、出張料理人雅也ですが」
「あのう、仕事を依頼したいのですが……」
 声の主は若い女性だった。
「はい、こちらの条件はご存知ですか」
 雅也はその女性に訊いてみると
「はい、承知しています。でも私は身体障害者で車椅子なので、簡単にはそちらに行けないのですが、やはり不味いですか?」
「いいえ、打ち合わせは殆んどの方は電話だけで済ませます。特別な事情があれば別ですが……」
 雅也がそう言うほ電話の向こうの女性は安心した声で
「そうでしたか、それを訊いて安心しました。実は父が海外に赴任するのです。それで、赴任する前に美味しい日本料理を、心に残る料理を食べさせてあげたいのです」
 そういって来たのだ。
「それなら、一流のお店に行った方が安あがりですよ」
「駄目なんです。母と暮らしたこの家で食べさせてあげたいのです」
「お母さまはどうなされたのですか?」
 雅也が訊くと、女性はややトーンを落として
「三年前に病気で亡くなりました。だから父は単身赴任なんです。一人で海外へいくんです。もう40も大分過ぎているのに、父は『最後の奉公だ』なんて笑っていましたが、だからこそ美味しい日本料理を自宅で食べさせてあげたいのです」
「そうですか……お話は良く判りました。では日時と時間と住所とお名前、電話番号を……」
全てを訊くと雅也は電話を切った。
「サブ、仕事だ。今度の日曜だ」
 言われたサブは
「ここの処結構忙しいですね」
 そう言って笑っている。
「忙しいのは良い証拠だろう」
 雅也の言葉にサブも
「そうですね。張り切ってやりましょう」
 そう答えたのだった。

 それまでの間、雅也は色々な事を調べた様だった。詳しくはサブにも判らない。そして当日、朝から二人は依頼人の自宅に来ていた。
 鯛を裁き、出汁を採り、仕込みを進めて行く。家庭用なので火力が弱いので、強い火力が必要な料理は出来ない。その点は理解して貰った。
「さあ、準備が出来ました」
 その声に依頼人も彼女の父親も期待に胸をふくらませている。今日は人数が少ないのに明美に来て貰っている。サブは、それを不思議だと思っていたが、雅也なりに考えがあるのだろう、と思っていた。

 前菜から明美が運んで行く。春の季節らしく、桜豆腐に蕗味噌、黄金白魚、翡翠豆とした。
 桜豆腐は桜の花びらを思わせる桃色をした豆腐としんじょを掛けあわせたもので、これを蕗のとうの味噌を付けて食べる。
 黄金白魚は白魚を数の子で和えたもので、数の子を細かくしている。
翡翠豆とはこの時期では中々手に入らないそら豆を翡翠色に茹で上げたもので、皮は剥いてある。いずれも、吟醸酒を飲みながらだと応えられない。

 酢の物は、青柳を使った辛子酢味噌和えで、これも春のものだ。
 刺し身は春鯛で、この時期の鯛が一番美味い。それに、春の魚サヨリをあしらえてある。油っけは無いが旨味が強い。

 こんな調子で、この時期の日本でなければ食べられないものばかりだった。
 焼き物は穂付筍の蒸し焼きだった。僅かに塗られた木の芽味噌が堪らない。

 全てが終わって、後はデザートだと思っていた依頼者だったが、ここで雅也が
「実は、今日はここにもう一人お客さんを呼んであります。そして実は今日は料理の品が一品少ないのです。それは、これから本日のスペシャルメニューを食べて貰う為なのです」
 そう言って雅也は隣の部屋からある青年を招き入れた。

「うそ!定志くん!どうしてここに……」
「その理由はお父様から娘さんへ仰ってください」
 雅也の言葉に依頼者の父親は
「晶子、今日は有難うな。お父さん本当に堪能したよ。美味しかった。本当だよ。私が海外へ行ってる間、お前はヘルパーさんを頼むつもりだった様だが、一人では大変だ。お父さん、本当に心配したんだ。だから中々決断出来なかった……
 そうしたらね、定志くんがやって来てね。『自分と晶子さんの結婚を認めてください』って言って来たんだ。
 お父さん驚いてね、事情を訊いたら、もうお前とは合意してるって言うじゃ無いか、体の不自由なお前を貰ってくれるなんて、お父さん初めは信じられなかった。
 でも、定志くんの誠実な言葉にお父さんうたれてね。最後は『晶子をお願いします』と言っていたよ。
定志くんは私が居なくなったら、この家でお前と一緒に暮すつもりだそうだ。それならお父さんも安心して行ける。
 そう長くはないと思う2~3年くらいかな。それまでは定志くんにお願いするつもりだ。
 そこでね、結婚する晶子にどうしても食べて欲しい料理があってね。今日は雅也さんに無理を言って作って貰ったんだよ。それじゃ雅也さんお願いします」
 お父さんの長い言葉に、依頼者の晶子は驚いている。今日初めて知った事ばかりだった。
 定志との事も父親が帰って来てからの事だと思っていた。正直、一人暮らしに不安が無い訳では無かったし、心配もしていたが、それを父親には見せたく無 かった。安心させて送り出してあげたかった。それが、全てを父親に知られていて、なおかつ定志との事まで打ち合わせしていたとは……もう何も言え無かっ た。

 雅也が作って明美が三人の前に出したのは「五目ずし」だった。
「これは……母は春と秋のお彼岸に必ず作ってくれたのです」
そう言って晶子は一口食べると
「母の味、そのままです……」
 そう言って頬を濡らした。
「晶子さん。お母様は亡くなる前に貴方に、ご自分の料理を教えておきたくて、ノートにレシピを遺しました。でも急激に溶体が悪くなったお母様は直接貴方に言う事は出来なかった。
 それを知っていたお父様は今回、ご自分が海外へ赴任するにあたって、このノートをどうすれば良いか。私に相談なされました。
 そこで今回、料理の一番最後に「五目ずし」を出して、貴方にお母様の味を伝えたかったのです。ここにそのノートがあります。
 私はこの家に来て驚きました。調理台が普通に比べて低く、それにあちらこちらに工夫が伺えます。これは普段貴方がお父様に料理を拵えているのですね。私はそう感じました。
 そんな貴方なら、婚約者の定志さんと一緒にこのノートを見て、お母様の料理を再現なされるのも難しくは無いと思います。どうか、お二人で頑張ってください。それが、お父様の望みでもあるのです」
 雅也はそう言ってノートを晶子に手渡した。

「晶子、お前が私のことを思ってくれていた様に私もお前の事を思っていたんだよ。そしてそれは定志くんも一緒だったんだよ」
 お父さんの言葉に三人が抱き合い、肩を震わせていました。

 片付けの終わった台所を、雅也とサブ、それに明美がそっと抜け出す。
「親方、報酬は?」
 サブが訊くと雅也は
「お父さんから前払いで貰ってるよ。それに経費も大目に戴いているから、後でこっちから多い分は返却するよ」
「まあ、貰っておけばいいのに……誰かさんも馬鹿正直なんだから」
 明美がそう言ってこっそりと笑ったのだった。

出張料理人 雅也 8

「心を込めた味」

 ある日の午後、雅也は若い女性の訪問を受けていた。顧客である。
「実は、主人のことで相談がありまして……」
「ちょっと待って下さい、私は料理人です。人生相談は門外漢ですよ」
 雅也はそう言って苦笑いした。
「いえ、それは判っています。実は食事の事なんです」
「食べ物の事ですか?」
「はい、訊いて戴けるでしょうか?」
 雅也はその女性の表情を観察した。まるきり嘘をついているとは思えない。
「お話を訊いてから判断しても良いですか?」
 そう雅也が問い正すと女性は
「もちろんです。実は私もこちらにお願いするのが良いかどうか判らないのです」
 そう言って不安な表情を隠そうとはしなかった。

「実は夫、主人は酷い味覚オンチでその上偏食が酷いのです。それでどうして良いか判らないので困っていたら、あるかたからこちらを紹介されまして『判らないけど一度相談だけでもしてみたら』と言われたのです」
 雅也は大体誰がそう言ったのか判った。
「あの人だ……全く……俺を何だと思っているのだろう」
 雅也は苦笑いが止まらなかった。

「偏食というのは、大体育てられた環境が左右すると言われています。いわば心の問題ですね。それから味覚オンチというのはどういう事でしょうか?」
 雅也は持論を展開すると、問題の依頼者の夫の味覚オンチについて尋ねてみた。
「はい、味に鈍いというか、何か何を食べても感動しないというか、好物はあるのですが、食べる事を楽しむというより生きる為に楽しむという感じなのです」
「旦那様は失礼ですが、どのようなお仕事ですか?」
 雅也の問に依頼者は
「はい、夫は会社を経営しています」
 そう言って有名なIT関係の企業を上げた。なるほど、あそこなら紹介した人とも繋がりがあると雅也は思って納得した。

「味覚オンチと言われる人の殆んどは亜鉛不足から来る味覚障害だと言われています。でも、偏食とセットになってるとすると、育った環境から来てる可能性がありますね。酷いストレスがたまると食事をするのも苦痛になって来て味覚障害になるとも言われています。
 私がお役に立つかどうかは判りませんが、よければ協力しましょう。私の条件はご存知ですね?」
「はい存じています」
 依頼者はそう言って雅也が引き受けてくれた事に安堵した。

 それから、1時間後、雅也はあるものを依頼者に渡した。
「いいですか、これを毎日、朝と晩の食事前に交互にかならず食べさせてください。1週間後にお伺いします」
 そう言って依頼者を帰したのだった。
「親方、あんなもので効果があるのですか?」
 サブが不思議そうに訊いて来る。
「まあ、判らないが、可能性に掛けたんだ。味覚障害が亜鉛不足以外で起きると言う事ならば俺が考えられるのは二つだけだ。その片方の為だな」
 サブは何だか良く判らなかった。

 1週間後、雅也はIT企業で有名な経営者の家に来ていた。そこの主が
「今日は何を食べさしてくれるのか楽しみにしていたんだ」
 そう言ってニコニコしている。雅也は依頼者の妻に
「最初はこれを食べさせてください」
 そう言って蓮の薄切りを出した。
「これですか?」
「そうです」
 妻は言われるままに、それを夫の前に出した。怪訝そうな表情をしながらその薄切りの蓮を口に運ぶ。
「これは固いな……それに酸っぱい!」
「ちゃんと噛んで飲み込んでください」
 雅也がそう指示をすると夫はしぶしぶと言う感じでそれを噛んで飲み込んだ
「うあっ、鼻が……」
 夫の目から涙が流れ落ちた。それを見た雅也は
「効果があった様ですね」
 そう言って満足気な顔をした。

 不思議そうな顔で妻が訊く
「この1週間ちゃんと指示通りにしましたけど、効果があったのですか?」
 不安げな表情が未だ、雅也の言った事を理解出来ていない様だった。
「大丈夫だと思いますよ」
 そう言ってから、雅也は、僅かに塩味を付けた出汁を暖めてお椀によそると、三つ葉とゆずを落として妻に出ささせた。
「う~ん三つ葉の香りってこういうのだったのか。それにゆずもいい香りだ。今までこんな良い物を判らずに生きて来たなんて、そのうちにPCから香りも出る様になったら俺なんか失格だな」
 そう言って笑っている。それを見た妻は夫の味覚障害が治ったと思い、心から喜んだのだ。

 雅也が口を開く
「説明しましょう、相談なされた日に私が渡したのは、生のネギにわさびを練り込んだものと、生姜をすりおろしたものに蜂蜜を混ぜたものです。それをネギと生姜を毎日交互に朝と晩に食べさせて欲しいとお願いしました。そして今日は酢蓮を食べて戴きました。
いずれもある目的に沿った食べ物だったからです。それは味覚障害でした。
 味覚障害の多くは亜鉛不足から来るものですが、ご主人の場合には幼い頃からの食事に対するストレスから来ていました。
 ご主人のお母様は厳格な方で、食事の時は黙って食べる事。背筋を伸ばして笑ったりしない。そしてよく噛んで飲み込む。
 そんな内容だったと言う事です。これでは食事をすることが苦行となって仕舞います。いつの間にか食事そのものがストレスとして溜まって行ったのです。
 それが第一で、次が口から鼻に抜ける香りについて麻痺していた可能性です。香りと味覚は実は密接な関係があります。
 口に入れた食べ物は舌の色々な部分で味を感じます。そして噛んでいる時に香りが発生し、それは口から気道を通って鼻に抜けます。この時に鼻の奥で匂いを感じるのです。旦那さんはここが麻痺していました。
 私は医者じゃ無いのでハッキリと判りませんが、ストレスや過労あるいは鼻炎などが重なり、段々と麻痺してきたのだと思います。
 そこで、私は鼻に抜けたり、複雑な味をするものを食べて貰ったのです。ネギとわさび等は普通の人ならばとても食べられませんし、鼻がきつくなります。でも、最初の頃の旦那さんは平気で食べれたと伺っています。
 次が、生姜と蜂蜜です。辛い生姜、この辛さは唐辛子の様な単純な辛さではありません。複雑な辛さです。それに甘い蜂蜜を加えました。この甘さも砂糖とは 違い色々複雑な甘さです。これを繰り返して貰う事で麻痺していた機能を復元して貰ったのです。そして仕上げが、今日の酢蓮です。それもとびきりの酸度の高 いお酢を使い、甘みは加えませんでした。
 酸っぱさは鼻に抜けます。涙を流されたと言う事はきちんと鼻で感じてくれたと言う事で、機能が回復したと確信しました」

 そこまで言うと雅也はコップを飲んで喉を潤した。
「ここまでは前座で、これからが本番です。旦那さまの極度の偏食を少しずつ直して戴きます」
 そう言って、雅也は鶏の唐揚げを出した。
「これは奥様が私の指示通りでしたが、きちんと貴方の為に作られた料理です。貴方は鶏肉が食べられない。それは、幼い頃にブロイラーの鶏肉を食べさせられ たからです。貴方は臭いブロイラーは嫌いだった。本当の鶏肉とは違って美味しく無いし油が臭いからです。でも貴方は反抗する事は許され無かった。次第に貴 方は偏食になって行った……食べて見て下さい。
 それはブロイラーなんかではありません。健康に育った地鶏です。それをきちんと処理をして、その肉を臭みが出ない様に処理をして作ったものです。貴方の事を思った奥様が愛情を持って作った料理なのです」

 雅也の言葉に夫は頷き、箸を持って唐揚げを口に持って行くが、寸前の処で箸が止まる。
「だ、ダメだ……俺には鶏は食べられない……」
「あなた、無理しないでいいわ、ゆっくりと直しましょう」
 そう言って箸を降ろさせようとする。
「旦那さん、いいのですか? 今挑戦しないと貴方は食の世界では一生負けですよ」
「負け……そうか……俺は挑戦もしないで降りようとしていたのか……」
 夫はどうやら覚悟が出来た様だ。
「そうです。食べて見て駄目ならそれで良いじゃ無いですか、それから次を考えれば良いと思います」
 雅也の言葉に夫は
「判りました。その通りでした。私は仕事では常に挑戦して勝ち上がって来ました。それをいつの間にか忘れていた様です」
 そう言って箸に摘まれた唐揚げを口に運ぶ
「……う、旨い!美味しいよ!」
「あなた、良かった!私嬉しいです!」
 夫婦は抱き合って喜んでいる。
「サブ、じゃあそろそろ次の料理を出す準備にかかろう」
「はい、親方!」
 雅也とサブはそれから次の料理に取り掛かるのだった。
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