2014年05月

出張料理人 雅也 16

「雅也の正月」

 朝の陽光が雅也の顔を照らすと、眩しくて目を覚ました。時計を見ると8時を過ぎていた。
「もう少し寝ていようか?」
 そんな事を思っていると、不意にコーヒーが飲みたくなった。
「起きるか、何をする訳じゃ無いが、新年早々だらだらしてるのもな……」
 そんな事を呟きながら起き上がる。トイレに行き顔を洗って口を濯いで、調理場のガズ台に水を入れた薬缶を乗せる。電気ポットもあるが、自分だけの時はコ ンセントを抜いている。それは自分一人ならば無駄と考えているからだ。沸かした湯は普通のポットに入れておく、それで充分だと思ったからだ。

 部屋着に着替えてコーヒーをペーパードリップで入れて、テーブルに置き椅子に腰掛けて口にする。
「このペーパードリップは紙臭いのが玉に瑕だな、だが一人なら仕方ないな」
 昨年までだったら、サブが居たのだが、今は楓先生と一緒に暮らしている。
「思えば一人で新年を迎えるのは久しぶりなんだな」
 そんな事を思いながらコーヒーを飲んでいて、TVを点けてみた。くだらないバラエティは避けて、ニュースを選択する。
 何気なく見ていたら、気になるニュースをやっていた。それは、某ホテルで大晦日に集団食中毒が出たという内容だった。
 TVだけでは詳細が判らないので、PCを起ちあげ、ネットに接続してニュースを検索する。すると、あるサイトで詳しく載っていた。それによると……
「昨夜、都内の東都ホテルで100人規模の新年カウントダウンパーティが開かれていたのだが、12時になる前にパーティの料理を食べたお客から、腹痛や吐 き気や下痢を訴える者が続出したのだった。ホテルの地域の保健所は休日返上で、原因の究明を行っているが、医者や各施設が正月休みの為に作業が遅れてい る」
 そんな内容だった。雅也は、今の時期に中毒を起こす可能性について考えていたが、推測するには余りにも情報が少なかった。
 業者には同情するが、「致し方ない」というのが偽ざる心境だった。
「俺も気を付けないとな」
 そう思いながら、サブに調理師の免許を取らせた時の事を思い出した。
 調理師免許を取得するには、中学を卒業していること、実業に2年間従事していること。等があげられる。逆に言えば調理をする仕事で2年以上働いていれば受験資格は取れるのだ。
 まあ、それだけではとても合格しないから、講習会を受けてたりするのだ。だが中学卒で働く者の殆んどが机の上の勉強が嫌いである。
 だから、この講習会でちゃんと勉強する事が出来る者がそんなにいないのだ。

 サブも最初は講習会についていけずに、途中で寝てしまったり、早退して帰って来てしまったりしていた。
 雅也が申し込んだのは朝の9時から夕方の5時まで、昼休みを除き、6日間の講習会だった。つまり1週間ぴっちりと授業があるのだ。
 サブにとっては初回はそれが駄目で当然受験しても落ちてしまった。2回目はそれを反省して、講習会の教科書を普段から少しずつ勉強したので、その時の講習会ではちゃんと勉強できたので、2回目の試験では合格したのだ。

 その時に、1回目の講習会では食中毒の時に出なかったのが、カンピロバクターとノロウイルスだった。試験ではやはり細心の知識が求められるので、やはり最新の講義が必要だった。
 カンピロバクターとは、カンピロバクター属菌の感染を原因とするヒトおよび家畜の感染症で、主に保菌動物のふん等が汚染源となり、食品や肉に付着して感染する。生食や加熱不十分、飲料水、サラダ、未殺菌の牛乳等も重要な要素となる。
 つまり簡単に言うと、焼き肉屋さんで、生で肉を食べない事。肉を焼く箸で食事しないことが求められるのだ。良く火を通して食べていれば発生しない。

 ノロウイルスは、非細菌性急性胃腸炎を引き起こすウイルスの一種で、カキなどの貝類の摂食による食中毒の原因になるほか、感染したヒトの糞便や吐瀉物、 あるいはそれらが乾燥したものから出る塵埃を介して経口感染する。つまり、簡単に言うと洗濯して干してあった洗濯物にもウイルスが付着するという事で、こ れも実際は人を介して感染発生する事が多い。防ぐには良く手を洗うことが求められている。
感染すると激しい下痢を引き出して、脱水症になり、病弱者や老人等は死に至る事もあるのだ。

「あの時も、サブに必死で教えたっけ……」
 雅也はそんな事を思い出していた。未だ店をやっている時で、雅也の妻がサブにつきっきりで教えていた事も今は懐かしかった。
 暮れに、妻の墓には参拝して、サブが独立して楓先生と一緒に暮らした事を報告したのだが、雅也が墓に行った時には既に花が手向けられていた。それを見て雅也は、サブと楓先生が先に報告に来たのだと理解した。楓先生は妻の事をとても慕っていたからだ。

 それにしても静かな正月だと思っていると、玄関のチャイムが鳴った。
「新年早々いったい誰なのだ?」
 と思ってドアを覗いてみると明美だった。何やら手に持っている。ドアを開けると明美が
「あけましておめでとうございます。旧年中は大変お世話になりました。本年も宜しくお願い致します」
 と挨拶をするので、雅也も
「こちらこそ宜しくお願い致します」
 と返した。
「いったい、どう言う風の吹き回しだい?」
 笑いながら尋ねると明美も笑いながら
「サブちゃんも居ないし、寂しい正月を侘びしく送っていると思ってね。一緒の呑もうと思って来てあげたのよ!」
 みると、何やら風呂敷包を下げている。
「何だそれは?」
 雅也がそう頭を捻りながら考えると明美はおかしそうに
「たまには他人の作ったのを食べながら呑むのも悪く無いでしょう?」
 ダイニングに上がり込んで、風呂敷を広げると、三段重ねのお重だった。
「ほお~これは、凄いな! 一人で作ったのかい? なら大したものだ」
「姐さんを偲んで呑めるのは雅也さんしか居ないでしょう! 付き合いなさいよ」
 そう言ってドンドン勝手に支度を始める。勝手知ったる家である。
「まいったな~」
 そう言いながらも雅也も笑っている。
 今日は楽しい酒になりそうだと、雅也は思うのだった。

出張料理人 雅也 15

「年の暮れと黒豆」

 年の暮れ、雅也は、常連のお客からの注文で、おせち料理を重箱に詰めていた。数日前から色々な食材を加工して、おせち料理を拵えていたのだ。サブは料理を詰めながらも雅也に
「おせち料理って保存しやすい料理なんですよね?」
 そう訪ねていた。昨今の元旦から店が開いているご時世では、その価値もどうかと思っていたのだ。
「まあ、それもあるが、縁起の良い料理という事もあり、昔から伝えられて来た伝統だな」
「そうなんですね。俺もこの仕事すると、ああ正月が来るな、と思いますよ」
そう言ってせっせと詰めていた。
 詰め終わるとサブと二手に別れて、注文主に届けに行く。
 雅也は、サブには自分のボルボを、自分は明美から借りた軽を運転して出て行った。

 サブに自分のボルボを運転させたのは、サブが自分の代理であると言う事を強く印象付ける目的だったからだ。雅也の見慣れた車を見れば、誰が来たのかがすぐに判ると思ったからだ。
 無論この先、楓先生と華燭の典を控えているサブに怪我はさせられない。その点ボルボならば多少の事故には強いからだった。
  おせち料理は殆んどが決まったものだが、雅也に注文する常連客は舌の肥えた者ばかりなので、作る時も気を抜けない。サブもその時は神経を集中していた。
 だが、黒豆だけは、雅也は伝統的な方法では無く、「土井式」と呼ばれる方法で煮ていた。
 サブはそれが不思議で、帰ったら訊いてみようと思っていた。

「ありがとうございました。来年も宜しくお願い致します」
 サブは注文のおせちを渡し、代金を受けとると、領収書と挨拶のタオルを手渡した。正月に挨拶回りはしないが、暮れのこの時にタオルを置いて来るのが恒例となっていた。
 何軒かはサブにとポチ袋に包んだ物を渡してくれた。雅也がサブに配達に行かせるのはこの様な事も想定したいたのだ。

「ただいま帰りました」
マンションの玄関を開けると、台所の調理台の上に「サブと楓先生へ」と書かれた手紙と三段重ねの重箱が置いてあった。
「あれ? 親方……」
 サブは不思議に思いながらも、その手紙を開けてみるとそこには……
「サブ、これは俺がお前と楓先生に一緒に食べて貰いたくて作ったおせちだ。
注文されて作ったものとは若干違っている。正月に食べてくれ。 雅也」
 サブは、雅也の想いが嬉しかった。帰って来たら礼を言おうと思っていたら、雅也からメールが来た。それを開けてみると
「今日は配達が終わったら、風の子園に行くから帰りが遅くなる。早く帰れ!」
 それを見て、サブは雅也が早く幸子の元に持って行けと言ってるのだと理解した。
「全く、素直じゃ無いんだから……」
 サブはそう、つぶやき、苦笑しながらも雅也に感謝して、再びボルボに乗って楓と一緒に暮らしてるアパートを目指した。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
土井式の黒豆の煮方とは……

【分量】
黒豆‥‥‥300g
砂糖‥‥‥250g
塩‥‥‥‥大さじ半分
醤油‥‥‥50cc
重曹‥‥‥小さじ1/2
水‥‥‥‥カップ10
錆びた釘5~6cm長を15本(鉄玉子でもOK)

1.黒豆をきれいに洗い、ざるにあげる。

2.それからクギをざっと洗い、さらしやガーゼで作った袋に入れて、口をくくる。

3.できるだけ厚手の大なべに水10カップを入れ、煮立ったら、砂糖、塩、しょうゆ、重曹、クギ袋を入れて火を止め、洗った黒豆を加えてそのまま4、5時間つけておく。

4.なべを中火にかける。煮立ったらアクをすくいとり、さし水100ccを加える。すぐに再び煮立つので、もう一度さし水100ccを入れ、アクを全部とる。

5.落としぶたをし、さらになべのふたをし、ふきこぼれないよう、ごく弱火で7、8時間煮る。グラグラ沸騰させません。この間、ふたはあけない。落としぶたは、豆が煮汁から顔を出さないように紙蓋がよいです。キッチンペーパーなどで作りましょう。

6.豆がふっくらとし、煮汁がひたひたぐらいになったら火を止める。落としぶたとなべのふたをし、クギも入れたまま、煮汁につけて一昼夜おき、味を十分ふくませれば完成。

※サビ釘を一緒に煮るのは、黒豆を真っ黒つやつやに仕上げるため。
  このようにして煮る方式ですが、料理研究家の土井勝先生が15年の歳月を掛けて作りあげたやり方です。私も毎年この方式で煮ています。失敗は全く無いですね。
 豆が古い場合は漬けておく時間を増やせば良いのです。
たった一つの注意点は、豆を空気に触れさせてはならないという事です。これさえ守れば、失敗はありません。
 それから、砂糖に代わって黒砂糖を使う時は甘さに注意して下さい。釘は古釘の方が良いです。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 雅也は「風の子園」で園長や子供達都一緒に暮れの掃除をしていた。
「毎年すいません。子供達の分など量が多いから大変だったでしょう?」
「いいえ、注文された残りですから、気にしないで下さい。ただ、この子達が此処を卒業して行って社会に出た時に、風の子園では正月におせち料理をたべたな……そう思いだしてくれれば良いんです」
そう言った雅也は、亡き妻が生前
「そういえばね、園では簡単なおせちしか出してあげられ無かったからね。一度ちゃんとしたおせち料理を食べさせてあげたいな……」
 そう言った言葉が頭に残っていたのだ。
 黒豆を土井式で煮るのは、このやり方に雅也の恩師の相沢なおみが関わっていたからだ。雅也も相沢を通じて土井先生の苦労は判っていた。

 ピカピカになった園の廊下や教室等で子供達が今度は正月の飾り付をしている。
 それを見ながら雅也は
「明日は、墓参りに行くか……」
 そう心に想うのだった。

出張料理人 雅也 14

「よもぎ団子の思い出」

 師走の風が吹いている表の寒さをよそに、雅也のマンションは暖房が効いていた。サブは自分の携帯を耳から外して通話時間を確認すると
「ありゃ、随分電話していたんだな」
 そう言って自分で笑っていた。雅也がそれを見て
「耳が真っ赤になってるぞ」
 そう言って冷やかす。

「決まったのか? 」
 雅也がそうサブに尋ねると恥ずかしげに
「はい、3月頃に『風の子園』の教会でやろうと纏まりました」
「そうか、それは良かったな。住む場所も決めたのか?」
「はいそれも、ほぼ決まりました。結局ここに1時間で向こうに30分少しのあたりにしました」
「そうか、向こうに押し切られたか!」
 雅也はそう言って笑っていたが
「楓先生の肉親って居るのか?」そう尋ねるとサブは
「いいえ、いないと思いますよ。さっちゃんは、あそこで育ちましたから、高校を卒業すると、本当は4年制の大学へ進みたかったのですが、短大だと特待生で しかも返済しなくて良い奨学金も貰えるので短大に行って保育士の資格を取ったのです。だから親戚のたぐいは無いんです」そう言って暗い顔をした。

 雅也は、もしかしたら、サブ自身も唯一の身内に連絡しないのでは無いかと思い
「なあ、お前の方はどうなんだ? お袋さんは……」
「親方、俺にお袋は居ません! 俺が中学を卒業すると男を作って出て行った女なんかお袋じゃありません。俺はそれから中卒でもやって行ける様に板前になりました。だからいいんです。俺には親方や『風の子園』の皆が身内の様なものです」
 そう言うと自分の部屋に入ってしまった。雅也は、それを見て何かを考えていた……

 年末の忙しい時期だったが、忙中閑あり、でその日は何も用事が無かった。サブは幸子を呼んで、色々な相談事をしていた。こういう相談は楽しいものだ。二人は自分たちの世界に入っていた。
 そこに呼び鈴の音が鳴った。
「誰が来たんだろう?」
 来客を迎えるのはサブの役目なので、玄関に出ると、サブの顔色が変わるのが判った。
 幸子は何時までたっても、サブが戻って来ないので、自分も玄関に出て見た処、サブが真っ赤になって立ち尽くしていた。

「何で来たんだよ。今更……良くも顔を出せたな……」
そのサブの言葉で幸子は、その人物が誰であるか判った。
余りサブが話したがらない人物だった。
 その女性は小さな声で
「ごめんね……でも、お前の親方に呼ばれたから……」
 その時、雅也が奥から出て来て
「俺がお母さんを呼んだんだ。サブ、お前も家庭を持つんだ、これを期に関係を修復したらどうなんだ?」
 雅也がそう言うとサブは
「親方、駄目ですよ!駄目なんです……俺はどうしても許せないんです……どうしても……」
 そう言うとこの前見たく自分の部屋に入ろうとした。
「サブ、お母さんのお詫びの言葉もその理由も訊かずに自分の殻に閉じこもるのか?」
 雅也がそう言ってサブを引き止めた。

「三郎、本当に御免ね。今まで何回も謝ろうとここまで来たけど、貴方は入れてくれなかった。許してくれなんて言うつもりは無いけど、只、貴方に謝りたかっ たの……それだけなの……せめて立派になった貴方の顔だけ見られれば良いと思って、今日は雅也さんに云われてやって来たのよ」
 サブの母親はそう言って背中を向けているサブに向かって頭を下げた。

「サブ、許せないか……ならこれを食べて考えてみろ」
 雅也はダイニングのテーブルに緑の餅の様なものを置いた。
「お母さんも上がって下さい。楓先生もどうぞ。サブ、これを食べてからもう一度考えてみろ」
 雅也に云われて三人はテーブルに座った。手前にサブと幸子。奥にサブの母親と雅也。そして、テーブルの上のお皿には、緑色した団子の様な餅が乗っていた。
「食べてみろサブ」
 雅也に云われてサブがそれを口にした。
「こ、これは……親方、どうしてこれがここに……親方、ずるいですよ……」
 サブはそう言ってその目から涙を流していた。
 テーブルの上にはたちまちサブの涙で濡れてしまっていた。
 幸子がハンカチを出してサブの涙を拭うが、追いつかない。雅也からタオルを借りて、それで涙を拭いていた。

 そんな状況をいまいち理解できない幸子は雅也に尋ねる
「あのう、このお餅は何か特別なんですか?」
 その問に雅也は
「実はこれはヨモギ団子です。サブの育った地域はヨモギが沢山採れるそうです。サブはその摘んだヨモギでこのようなヨモギ団子を作って貰っていたそうで す。そしてそれはサブの好物でもありました。お母さんは、サブを残して失踪してから、サブを思ってヨモギを摘んでいたそうです。これに使ったヨモギはサブ の田舎で春に採れたヨモギを使いました。
風味が多少飛んでいますが、作り方等は私がサブのお母さんに訊いて作りました。楓先生も食べて見て下さい」
 云われて幸子は一つをつまんで食べて見ると
「香りが強くてとても清々しい味です。売り物のヨモギ団子とは全く違います。それに繊維も良く切られていてとても食べ易く、これなら子供にも最適です」
 幸子もそう言ってこの団子が丁寧に作られている事を確認した。

 サブがぽつりぽつりと語り出した。
「そうさ、子供の頃に俺は草原に行くと良くヨモギを摘んで帰ったものさ。そのヨモギで団子を作って貰って食べるのが楽しみだったんだ。親父が死んで、母一 人子一人で暮らしていたけど、俺がひがんだり、暗くならずに育ててくれたのは、お袋がこうやって何時も俺に手作りのものを食べさせてくれたからだ。
それは、判っている……なのに、なのにお袋は俺を捨てて男に走ったんだ……」

 サブはそう言いながら、団子を食べて涙を流している。それを見て雅也は
「お母さんにも事情があったみたいだぞ……訊くぐらいはいいだろう……」
 そう言って、母親に促す。やがて母親が語りだした。
「御免ね本当に、一時の気の迷いで男にふらふらと付いて行ってしまったのは事実よ。でも落ち着いたら貴方に直ぐ連絡を取る積もりだったの……でもね……男は私を海外に売り飛ばしてしまったのよ……それが判って騙さたと知った時はもう貨物船に載せられて海の上だったの」
 サブの母親が静かに語っていく。黙ってサブも幸子も訊いている。
「それから7年間必死で働いたわ。やがて年季が開けて日本に帰って来たの。帰って来られただけでも幸運だったと思うわ。多くの同僚が無くなったから。私は、貴方にひと目逢いたかった。逢って謝りたかった。バカな母親として貴方に謝りたかった。
 人生の大事な時期に何もしてやれなかった私が母親ですなんて言えないけど、ただ、謝りたかったの……それが事実なの」
 それから続けて
「貴方の事は色々と調べてここでお世話になっている事は判って何回か連絡したけど、貴方は「会いたく無い」というだけで、直ぐに電話を切ってしまっていた わ……無理かも知れない……そう思っていた時に、雅也さんから連絡を貰ったの。それで今日やって来たのよ。その連絡を貰った時にね雅也さんは「息子さんが 子供の頃好きだった食べ物って何ですか? って尋ねられたから、このヨモギ団子を話したのよ……日本に帰って来てから毎年、ヨモギは摘んでいたわ、そして保存していたの、いつの日か貴方にヨモギ団 子を作ってあげられる日が来るかも知れないって……役に立って良かった……」

 サブの顔に変化が見られた。それを幸子が敏感に察知する。
「ねえ、サブちゃん……もう許してあげようよ……ねえ……」
 幸子の言葉にサブは堪え切れなくなった見たいで、幸子の胸に顔を埋めると激しく泣きだした。 その背中を優しく幸子がさすってあげる。それを見た雅也は、サブのお母さんに
「想いは通じたみたいですよ」
 そう言ったのだった。

 後日、サブと幸子の結婚式に一番後にそこでは、あまり見かけ無い女性が座っていたと言う……

出張料理人 雅也 13

「雪うさぎ」

 その日雅也はお客を迎えていた。東都四菱銀行の頭取である。
 何も雅也が都市銀行でも大手の東都四菱と揉め事を起こしている訳では無い。

「頭取、何もお見えにならなくても、何時もの様に秘書の方に電話させて戴ければ良かったんですよ」
 雅也はそう言って、サブが出してくれたコーヒーを進めた。
「熱いうちにどうぞ」
「あ、すいません」
 頭取はコーヒーにクリームだけを入れてスプーンでかき回した。ウエッジウッドのカップだと例えインスタントでもそれらしく感じるから不思議である。一口飲んだ頭取はカップを置くと
「いや、一度雅也さんには、きちんと挨拶をしておかないといけないと思いまして」
 そう言ってまたコーヒーを口にした。

「今回は三回忌の精進落しのお願いに参りました」
 そう言ってから続けて頭取は
「それにつきまして、相談があるのです」
 その口調は、かなり真剣だったのだ。
 雅也は昨年の事を思い出していた……

 元から頭取とは色々なパーティーの料理を担当したので、知り合いだったのだ。
「東都四菱の四菱達也です」
 そう言って自己紹介をしてくれ、雅也も名刺を渡したのだった。それから暫くは何も無かったんだが、昨年頭取の父親が亡くなり、四十九日の納骨の法要の後の精進落しの料理を頼まれたのだ。

 お通夜や告別式では大勢に見送られるが納骨となると故人と特別な関係の者と親戚だけとなる。
 その時は20名余りだった。その時に出したデザートに雅也は「雪うさぎ」と名づけた和菓子を出したのだ。
 これは、上新粉で餅を作り、食紅でうさぎの顔や耳の内側のピンクの部分を書いて、外見をうさぎそっくりにして、中に蓮の餡を入れた菓子だった。
 飾りに、白いんげんの白餡で雪を作り、緑の食紅で草なども拵えたのだった。これを、無くなった頭取の父親の細君、つまり頭取の母親が大層気に言って、1周忌の時もこれを出して欲しいと言ったのだった。

 事件はその1周期に起きた。
 明美が全員に「雪うさぎ」を配り終えると、確かに配ったハズなのに、頭取の母親の所だけが空いていた。
 明美は「おかしいな」と思いつつもその場では表に出さず、雅也に「もうひとつありますか?」と確認して、出したので問題は表面化されなかったのだが、後で支払いの時に頭取は雅也に「母親の病気」の事を話したのだった。

 それは、頭取の母親は瑠依子と言い、さる旧男爵家から嫁に来た所謂お嬢様だった。
 四菱家と言えばこれは戦前からの名家である。瑠依子は子育てが終わると、ある病気が表に出て来る様になった。所謂、万引きである。
 最も、それを行うのは行きつけの店ばかりであり、その点では表沙汰にならず、これまで来たのだった。
 行きつけの店でも瑠依子が来るとちゃんとチェックしていて、月末に請求書と明細が来る。
 そこには詳しく書かれていて、それを見て四菱家では支払いをしていたのだった。瑠依子は常連の店しか使わなかったので、今まではそれで済んでいたのだ。

 だが、「自分の気に言った」ものは手段を選ばずに自分の物にしたいという欲求と、ついふらふらと手が出てしまうと言う半場病気とも思える事は今まで治らなかったのだ。
 それが、この日も出てしまった……頭取はそう言い訳をしたのだった……

「昨年の事がありますので、今年も母はあの「雪うさぎ」が良いと言ってまして……」
 頭取の言い方は歯切れが悪かった。
 それはそうだろう、「雪うさぎ」を出したら、また確実に自分の分を隠して素知らぬ顔をして、別に要求する事が判っているのだから。
 雅也は頭取が困っているので
「大丈夫ですよ。今回はちょっと趣向を考えていますから」そう言って微笑んだ。
「ホントですか? それは助かります」
 雅也が笑顔で言ったので頭取も安心したようだ。

 当日、法要が終わり、四菱家にはパーティー等に使う大きな部屋があるのだが、そこに17名ばかりの人々が座っていて、正面には遺影と陰膳が用意されていた。
 明美は順序良く、料理を出していく。
 彼女にとってはこのくらいの数は普通にサービスをこなす事が出来る。雅也にとってはそこも頼もしくあるのだった。

 やがて、最後のデザートの時間となった。
 明美は雅也の指示どおりに「雪うさぎ」を出して行く。瑠依子の前ににも「雪うさぎ」が出され、それを見た彼女は嬉しそうだった。
 全員に配り終わり一旦雅也の所まで戻って来ると、やはり瑠依子の前だけが空いている。
『ああ、またやったのね』
 明美はそう思って雅也からもう一皿受け取ると瑠依子の前に出した。それを見てまたまた嬉しそうにする瑠依子だったのだ。

 だが、精進落しが終わり全員が帰ってみると、瑠依子の席には「雪うさぎ」の皿が2枚残されていた。
 一枚は半分食べかけで、もう一枚は手付かずだった。それを見て、思わず笑ってしまう明美。雅也も効果があった事を実感した。
 会計の時に頭取は不思議そうに雅也に尋ねた。
「あのう、今回何故母は『雪うさぎ』を残したのでしょう?
 それに対して雅也は言ったのは……

「今まで、『雪うさぎ』は中に蓮餡を入れていました。蓮を餡にするのは日本の和菓子ではあまりやりませんが、中国では高級な菓子に使われます。上品な感じがとても良い餡です」
「ええ、食べる度に私もそう思っていました」
 そう頭取が返すと雅也は
「お母様はその蓮の餡が大層お気に召したみたいですね。法要が終わってからも自分で楽しんでみたいと思ったのでしょう。ちゃんと仰ってくれれば良いのに貴方に気を使って、幼い事をなされた……私もこの前まではそう思っていました」
「違うのですか?」頭取は意外な顔をした。
「実は半分は違っていました。お知りになりたいですか?」
 雅也が訊くと頭取は
「勿論です!」そう強く言い切った。

「実は昨年の一周忌の時に貴方は陰膳を忘れて仕舞いましたね。陰膳自体はやらない家もありますから、あの時私は何も言いませんでした。だから、お母様はあの時に自分の分を仕舞ってしまい、後からお父様の遺影を飾って一緒に食べたのです。
 勿論、例の悪い癖があった事は言う間でもありません。そこで私は、今回『雪うさぎ』の餡に蓮では無く、白いんげんを使いました。
 お母様はそれに気が付き、自分のしたことがバレたと思って、余計な分は残したのです」
 雅也がそう言い終わると頭取は
「そうでしたか、今年は陰膳を頼みましたが、確かに昨年は陰膳を忘れてしまっていたのです、初めての事だったので私もうっかりしていました……そうですか、それで母が……でも雅也さんはそれを知っていて……

 頭取の疑問に雅也は
「まあ、お母様の悪い癖が多少でも治ったらと思ったのですが、あれぐらいで治るとは思って無いですがね。でも全て残した、と言う事はこれからは多少の変化があるかも知れません……それとこれをお母様にあげて下さい」
 雅也はそう言って白い箱を差し出した。中を開けてみると『雪うさぎ』がペアで入っていた。
「一つはお父様に、もう一つはお母様がお父様と一緒に食べて下さい」
「でも、これは、中身は……」
「これは蓮餡で作りましたから、意地の悪い事をして申し訳無かったと謝っておいて下さい。これは俺からのお詫びです」
「判りました。母も喜ぶと思います」

 その後の話によると、母親はこの『雪うさぎ』を大層喜び、その後、四菱家に届く請求書はがくんと減ったと言う。

出張料理人 雅也 12

「サブの過去と未来」

 サブが雅也の指示通りに調理を進めていく。
 最近では特別な献立で無い限りは細かく言われる事も少なくなった。それはサブの腕が上がって来ているからなのだが、本人はそう言う処にはいたって無頓着で、ただ日々の仕事を淡々と正確にしているつもりだった。
 ふと、手を止めて雅也と出会ってから何年になるだろうと回想する。

 サブが始めて雅也と出会ったのはサブが中学を出て、雅也が調理長をしている店に小僧として入店した時だった。
 勉強が嫌いで、中学ではいっぱしの名を売っていたサブだったが、板前の世界に入って、それまでの勢いなぞ何の役にも立たない事が判ってしまった。
「ちゃんと気合を入れて行かないと大変な事になる」
 そう思ったサブはそれまでのリーゼントの髪をバッサリと切り短く揃えて入店したのだ。
「勉強は嫌いだから、会社員や役人にはなれないけど、手に職をつけて俺は成功するんだ」
 その思いがあったから悪さは学校までと決めていた。
「宜しくお願いします!」
 居並ぶ先輩や雅也の前でサブは両手を膝につけて頭を下げて挨拶をした。

 同じ調理場でも、サブの居る洗い方の流しと、雅也が包丁をふるっている板場ではまるきり世界が違っていた。
 それでも、たまに見る雅也の鮮やかな包丁捌きは、うっとりとする程素晴らしかった。
「俺も何時かはああなりたい!」
 その日から雅也はサブにとって憧れであり目標となったのだ。
「是絶対一生付いて行く」そうも思ったのだ。

 雅也が独立する時にも一緒に店を辞めてついて行った。
「給料が出せないかもしれないぞ」
 そう言われたが、サブは「それでも構いません」そう言って半場強引に雅也の店に勤めたのだ。

 転機が訪れたのは、雅也の妻子が亡くなって、店を畳んだ時だった。雅也は一冊の預金通帳をサブに渡して
「お前がウチに来てから給料から少しずつ天引きしていてな、多少貯まっている。これを持って何処か他所に行け。何なら紹介状を書いてやる」
 そう云われたのだが、サブは納得がいかずに食い下がったが、雅也は
「暫くは、もう何もする気が起こらないんだ」
 そう言うのみで、そのうち、店と住居もう売り払ってしまった。

 行く処が無くなったサブだが、他の店には行かずにアルバイトで食いつないでいた。
 それやこれやで1年が過ぎようとした頃に、ある噂を耳にした。
 それは、出張料理だが、凄腕だが特別高い料金を取る板前が居る、と言う噂だった。サブはその噂を聞いた時に「もしかしたら、雅也かも知れない」と思った。
 大分耳に入って来る噂では腕は超一流だが法外とも言える料金がかかる。態度が高圧的だ、とか言うものだったが、サブにはその意味が良く判っていた。
 雅也だったら、本当に味の判る者だけを選別する為にそうしていると言う事が理解出来たからだ。
 それからは、噂を調べて、注文した者を尋ねて、電話番号を訊き、住所を調べて、雅也の今の住所に訪ねて行ったのだ。

 その時の事をサブは今でも忘れない。呼び鈴を押して出て来た雅也はサブを見ると
「良くここが判ったな……まあ、上がれ」
 そう言ってサブを中に入れたのだ。そして、もう一度自分を置いて欲しいとサブが頼むと初めは断っていたが、サブがあの時の預金通帳を見せた。
 中身を見た雅也は、この1年間に僅かだがサブがお金を貯めていた事が判った。
「それを、もう一度預かって下さい」
 そう言うサブの熱意に雅也は負けて、サブを入れる事にした。
「だが、給料は安定しないかも知れないぞ」
 そう云われたが、サブは雅也の下で働けるなら、それで満足だった。


 翌日は仕事は休みだった。サブは朝からおめかしをして、いそいそと何やら支度をしている。雅也が起きて来てサブに
「なんだ?今日はデートか?」
 そう言うとサブは「あ、いえ、デートなんてもんじゃ無いですよ。ちょっと友達と……」
 そう言って戸惑どうサブに
「『風の子園』の楓先生か?」そう言ってニヤリと笑う。
「な、何だ知っていたんですか、親方も人が悪い」
「当たり前だろう、この前だって二人で色々と話していたみたいだったし、アレに気が付かないはずが無いだろう」
 云われて見ればその通りだった。もう、大分前からサブは「風の子園」で保育士をしている楓幸子先生と付き合っていたのだ。
「そうか、栃木まで行くから早起きか、ご苦労さんだな」
 雅也はそう言って笑っていた。

 雅也にからかわれ様がサブは真剣に交際をしていた。
 今日も、栃木市内でデートの約束だったのだ。栃木の駅を降りて時計を見ると時間より少し早かった。
 まだ、来ないと思っていると、改札で幸子が待っていた。
「早いね。俺の方が早いと思っていたんだけどね」
 サブがそう言って幸子を見つめる。歳は幸子の方が一つ上だが、サブとしてみれば出身が近いので、気楽に会話出来るのだった。
「何処行く?」
「私はサブちゃんとなら何処でも良いわ」
 幸子がそう言ってニコニコしている。
「じゃあ、とりあえずお茶でも飲もうよ」
 そう言って二人は幸子が推薦する喫茶店に入って行った。

 楽しい話が続いていたが、やがて二人の将来の事に及んだ。
 どうするか……サブとしては勿論結婚したいと思っていた。幸子は特別な美人とは言えなかったが、気立てが優しく、良く気がついて、「風の子園」でも子供達に人気の先生だった。
 優しさが顔にも出ていて、そんな幸子にサブは惹かれたのだった。
 幸子も全く違う世界で板前と聞いて恐いイメージがあったのだが、ひょうきんで、そのくせ仕事には情熱を持って打ち込んでいるサブに興味を持ち、二人はいつの間にか愛し合う様になったのだ。なので、自然と会話は将来の暮らしについての事が中心となる。
 その点ではサブは正直、胸を張れなかった。今は、雅也のマンションに居候している身だ。
 それに収入でも一家を支えるのは難しい。共稼ぎとなるのだろうが、そうなると幸子が「風の子園」に勤務出来る近くが良い。
 そう言う相反する事があるので、サブは悩んでいたのだった。
 話が暗くなるのを察した幸子は話題を別なものに変えた。それを感じたサブは「済まない」と心で思うのだった。

 デートは楽しかったし、休日としては充実していたと思う。だがマンションに帰って来て頭に浮かぶのは、結婚に話が及んだ時に自分が見せた戸惑い……
 それをすぐに感じて咄嗟に話題を変えた時の幸子の寂しげな顔……それが頭から離れなかった。

 そんなサブを見て、雅也はある預金通帳をサブの前に置いた。
 それは以前、サブが受け取って、ここに来た時に渡した通帳とは別のものだった。
「親方、これは……」
 戸惑うサブに雅也は
「前の通帳は、あれからお前が天引きしてくれと言うので、月2万ずつ積んでいる。これは俺がお前にボーナス代わりにと思って貯めていたものだ。お前のだ、好きに使え」
 云われて中を見ると7桁の数字が並んでいた。
「親方……」驚くサブに雅也は
「それだけあれば、何処かに部屋ぐらい借りられて、ちょっとした家具なんか買えるだろう。ここから新栃木まで電車で1時間半だ。まん中あたりで借りれば45分だ、両方とも通勤出来ない距離じゃ無い。それに何かあればここに泊まっても良いしな」
 そう言った雅也はすべて判っていたみたいだった。
「親方、どうして、俺とさっちゃんで結婚の事が気まずくなっているのか判ったんですか?」
 サブの質問に雅也は
「なあに、この前園長先生から相談されたんだ、それだけだよ。電話して安心させてやれ」
「はい!」
 サブは直ぐに携帯で連絡を取っていた。その様子を見た雅也は一言
「お金は生き金を使わないとな、価値が違って来る」
 そうポツリと言ったのだった。
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