「少しだけ悪いことしてますか?」

昨日に続いて「即興小説」です。お題は「漆黒の闇に包まれた軽犯罪」でした。

「ここだけの話だからいいか」
 晴香は僕の顔を見ると少しだけ嬉しそうにほほえむ様に笑うと
「わたしねえ、ちょっと悪い子なんだよ」
 そう言って片目を瞑った。ウインクのつもりなんだろうか? だとしたら全く似合っていない。それに、晴香の言う悪いことって、どうせ大したことでは無いに決まってる。この前だって
「あたしの秘密教えてあげる。絶対に誰にも言っちゃ駄目だよ」
 そう何回も念を押すので、どんな事かと思っていたら
「わたしねえ、シャワー浴びながらオシッコしちゃうんだ。誰にも言っちゃ駄目だからね」
 何の事は無い。そんな事誰だってやってるだろうと言ったら椅子から飛び上がる程驚いて
「ウソー! じゃあ、しんちゃんもやってるの? 何だか幻滅するぅ~」
 大きなお世話だ。別に晴香に幻滅されたって構わない。元からそんな関係ではないはずだ。第一僕と晴香は幼稚園の頃からの付き合いで、お互いにオシッコやうんちを漏らしたのを散々見てきた関係じゃないか。今更、シャワーを浴びながらオシッコしたって構わないと思う。

 だが、そんな悠長な事は言っていられなくなった。前世紀からの環境破壊は今世紀に入っても止む事は無く、今だに続いている始末だ。政府は水資源確保のために、シャワー禁止令を出した。大量の水を使って体を洗う事は重大な犯罪となったのだ。勿論お風呂も禁止されたし、洗濯も水を使わないドライクリーニングが家庭にも導入された。水は飲み水と料理以外には使われなくなった。
 ではトイレはどうなったのか? それは用をたすと便座の下の空間が閉まりそこが真空状態になる。そして一瞬のうちに微細に粉砕されて下水に流れて行くのだ。ここで下水と書いたが、今や水が流れている訳では無い。従来の用語で下水と便宜上言ってるだけなのだ。実際はパイプが接続されてそこに流れて行く。衛生的と言えばそうかも知れない。
 でも、人は長年行って来た、シャワーを浴びながら用を足すと言う快感を忘れる事は出来なかった。『自分は善良な市民だが、ちょとだけ、ほんの少しだけ悪い事もしていますよ』と言う妙な快感を忘れる事はできなかった。言わば、わざわざ軽犯罪を犯す喜びとも言えようか。それは人の心の闇なのだろう。漆黒の闇に包まれた軽犯罪。それを犯す事で精神のバランスを取っているのだと僕は思った。
 
 そんな時だった。晴香が妙な事を言い出した。
「ねえ、しんちゃんも、その昔はシャワーを浴びながらオシッコしていたのでしょう? どうだった。妙に気持ち良かったでしょう?」
 晴香に言われなくても、それは事実で、あの時は晴香の手前粋がって見せただけだ。
「実はねえ……絶対秘密だよ。これは今や非合法だから言ったら駄目だからね」
 春香にしてはやけに言い方が慎重だ。
「何だい非合法って?」
「あのねえ……隠れ会員の秘密倶楽部って言うのがあって、そこに入会すると、シャワーを浴びながらオシッコさせてくれるのよ。今や凄い人気で、入会するのに順番待ちなんだって。どう、しんちゃんも入らない? わたしは、とっくに入っているわよ。気持ちいいわよ~ セックスなんか問題外よ。今なら、わたしの口利きで待たなくても入会出来るわよ」
 やはり晴香は犯罪に手を染めていたのだ。今や晴香の魂は漆黒の闇に包まれているのだ。本当なら僕はここで晴香とサヨナラするべきだったのかも知れない。でも気が弱い僕は誘惑に勝てなかった。
「そこに入るには幾ら費用がいるんだい?」
 僕の口から出た言葉はそんな弱々しいものだった。
「入会金が5000円で月会費が3000円よ。プレミアム会員は10000円だけどね」
「プレミアム会員って何が違うの?」
「バスタオルやフェイスタオルが使い放題。これ、ちゃんと水で洗ったタオルよ。これだけでも凄く魅力的でしょう。しかも、1回の制限時間が一般会員は15分なのにプレミアム会員は倍の30分。その時間だけオシッコし放題よ。どう魅力的でしょう」
 晴香の言葉は僕にとっては悪魔の囁きに近かった。結局僕はプレミアム会員に登録してしまった。晴香の口利きだったので、入会金が免除だった。

 それからの僕は毎日幸せな日々を送っている。あの秘密倶楽部のおかげで、イライラや怒りなどから開放されて楽しい毎日が過ごせている。軽犯罪バンザイさ。
 そうさ、人は何処かで心の平静を保つのだから……


 了