「松茸の味」  ※奉太郎と千反田さんは大学生で同棲している設定です。

 八月も後半に入りますと、街にも秋の気配を感じる事ができます。
 今日は八百屋さんの店先に松茸を見つけました。買って行き奉太郎さんに松茸ご飯を作ってあげようかと考えました。
 神山高校の卒業時に両家で話し合って、正式な結納ではありませんが、婚約の確認を致しました。
 わたしと奉太郎さんは婚約者になったのです。それは、わたしの進学先が名古屋大学農学部生物環境科学科で、奉太郎さんの進学先が同じ名古屋の私立大学の経営科だったので、名古屋市内で一緒に暮すことになったのです。
 何故名古屋になったのかというと、父が「余り遠い所では……」と難色を示したからです。その点では名古屋というのは丁度良い距離だったのです。
 高校在学時に奉太郎さんは車とバイクの免許を取りました。そして知人がバイクを譲ってくれたので、奉太郎さんはちょくちょくそのバイクで神山に帰るのです。
 わたしは実験があり、名古屋を中々離れられません。その代わりに奉太郎さんが事あるごとに神山の千反田の家に帰り、父の手伝いをしているのです。その時も通学にも使っているバイクで帰ります。
 二百五十CCのバイクは高速も乗れます。わたしも、たまですが後ろのシートに載せて貰います。最初は怖かったですが、慣れて奉太郎さんの背中にしがみついて走るのは気持ちが良いです。わたしも自分がそんなことを感じるとは思いませんでした。
 二人で暮らしているアパートから高速を使うと二時間と少しで陣出の千反田家まで到着します。雪が降らない時期、奉太郎さんは度々バイクで帰るのです。

 八百屋の店先で、松茸を見て、一週間ぶりに帰って来る奉太郎さんに食べさせてあげたくなりました。奉太郎さんはこの夏休みに千反田の手伝いをするために一週間前から帰っているのです。
 寂しいです。わたしは実験があるので、おいそれと帰られません。この前のお盆の時の二日の帰省もやりくりが大変だったのです。そこで奉太郎さんが
「えるの代わりに俺がなるべく手伝いに帰るから」
 そう言ってくれて、甘えてしまっているのです。でも、恋しいです。毎晩電話で話をして声は聞けますが、尚更寂しさが募ります。
 店先で想いに耽っていたら、八百屋の小父さんに声を掛けられました。
「学生さん、松茸かい? これは中国産だけどモノは良いやつだよ。まけておくから一つどうだい!」
 松茸は中国産といえども値段は張ります。実家にいた頃は九月になると自分の土地の赤松林に生える松茸を食べていました。こうして、親元を離れて暮らしていると自分がいかに恵まれた環境で育ったかが判ります。
「そうですね。本当におまけして下さいますか?」
 わたしが乗ってきたので小父さんは
「ああ、美人さんだからまけてあげるよ」

 小父さんの好意で随分おまけして戴きました。今日は松茸ご飯を炊きましょう。お米はもちろん千反田米です。
 他にも色々と買ってアパートに帰ります。実は先日、教授のお手伝いをしたのですが、その時のお小遣いを戴きました。今日はそのお金で買えました。
 奉太郎さんが陣出に行っている間は自然と研究室に居る時間が多くなります。そんなわたしの姿を見て教授がお仕事をさせてくれたのです。ありがたいことです。
 今日は奉太郎さんが帰って来る日なので、実験の当番を変わって貰いました。
「ああ、今日は彼が帰って来る日なのね。いいわよ! えるには何時もお世話になってるから、今日はうんと彼に甘えていらっしゃい」
 などと冷やかされてしまいましたが、恥ずかしかったですが、嬉しかったです。

 アパートに帰り夕飯の支度をします。今日はわたしがやりますが、奉太郎さんが支度をしてくれる方が実は多いのです。
 理系の学生は実験や研究中心ですから、中々時間が取れません。でも奉太郎さんはそこを理解してくれて、自ら進んで家事や雑用をしてくれます。本当に申し訳なく思っているのです。
 出汁を採り、松茸を切って、醤油、お酒、それに味醂を少々、今日は人参や油揚げも入れます。
 お米を研いで、具材と汁を入れてお釜のスイッチを入れます。そして次は別のおかずに取り掛かります。
 残った出汁に松茸の残りと三つ葉、それに油抜きをした油揚げも少しだけ入れ、お吸い物にします。冷凍してあったゆずの皮を薄く切ってお椀にいれておきます。これで、奉太郎さんが帰って来たら出汁を温めて入れればよいのです。
 今日のメインは豚肉ロースの味噌漬けです。先日スーパーで安売りしていたロース肉を買って来て味噌漬けにしたのです。今日はそれを焼きます。
 後は胡瓜の一夜漬けと、実家で育った椎茸と毎日出汁を採る時に使う昆布を細切りにして佃煮にしました。今では、奉太郎さんの好物です。「える、美味しいよ」と言ってくれました。嬉しくて暫くはぼおっとしてしまいました。
 そんな事を思い出しながら料理をしていると、携帯が鳴りました。奉太郎さんです!
「もしもし、はいえるです」
「ああ、俺だ、後小一時間で帰れると思う。早く逢いたいよ」
「わたしもです、奉太郎さん」
 会話はそれだけです。奉太郎さんよりわたしが早く帰る日は必ず帰る前に電話をくれるのです。誠実な方だと本当に思います。わたしは、幸せだと思います。

 奉太郎さんの電話から丁度一時間後にアパートのドアが開きました。
「ただいま~ える!」
 わたしは急いで玄関に出ます。玄関と言っても猫の額より小さな空間です。
「える! 逢いたかったぞ!」
 奉太郎さんが両腕を広げてわたしを包み込むように抱きしめてくれます。
「一週間は長かったです。毎日、毎日寂しかったです」
「ああ、すまんな。でも田んぼや畑の仕事は一段落したから、来月までは行かなくても良い。二人だけで暮らせるぞ」
「嬉しいです。奉太郎さんのいないここは灰色の世界でした」
「俺も、本当にえるの顔が見たかった」
 奉太郎さんは思い切り抱きしめてくれます。いつしか口づけをしていました。
 嬉しくて薄っすらと目頭に滲んだ涙を奉太郎さんがハンカチで拭いてくれます。
「泣くな……そんな顔を見たらもう陣出に行けなくなる」
「それは困ります……」
「だから、泣くな……な!」
「はい! ご飯にしますか? 今日は松茸ご飯なんですよ」
 それを訊いた奉太郎さんはニヤリと笑い
「実はな。帰る時に、お義父さんが、今年一番に山で採れた松茸を持たせてくれようとしたんだ。だが、俺は、今日はきっとお前のことだから、松茸を買っているんじゃ無いかと思ったんだ。だから貰わずに帰って来たんだ」
「そうでしたか、でもウチのは中国産ですよ」
「何処産でも、えるが作ってくれれば世界で一番美味しいよ」

 その後、お風呂に入って汗を流した奉太郎さんと一緒に夕食を採りました。奉太郎さんは
「美味しい、美味しい」と言って沢山食べてくれました。その姿を見ているだけで、わたしは嬉しくって胸が一杯になりました。

 その晩は、二つ布団を敷きます。でもわたし達は同じ布団に入ります。奉太郎さんが、優しく抱きしめてくれます。顔をくっつけて、お互いの息もかかるぐらい重なって、陣出で起きた事などを話してくれます。
 奉太郎さんの手がわたしの色々な場所をまさぐります。何時もはオイタをすると嗜めるのですが、今日はされるままになっています。恋しい恋しい人に抱きしめられて、今夜は良く眠られそうです。
 でも明日は少しお寝坊させて下さい……