今年の春に書いた作品です。季節外れです。


「二人のひな祭り」
 今年の雛祭りは月曜なので前日の日曜にお祝いをしました。
 当日は、麻耶花さんの家でやはりお祝いをした福部さん共々一緒に来て下さいました。もちろん折木さんもお誘いしました。
「姉貴の雛人形が家のリビングを占めているので、今日は誘ってくれて有り難かったよ」
 そんな事を言いながら折木さんはやって来られました。飾ってある人形を眺めて
「千反田、この雛人形は何か特別な作りなのか? 何かウチにあるような姉貴の人形とは作りが違う感じがするな。俺はこう言うのに疎いが、それでも分かるな」
 折木さんにしては珍しくじっくりと雛人形を眺めていました。すると福部さんが
「ホータローそりゃ旧家の千反田家ともなればそこらの雛人形とは違うと思うよ」
 福部さんは、あのように仰いましたが、事実は少し違うのです。
 
 お祝いは楽しく過ぎて行きました。わたしも麻耶花さんも一口だけ白酒を戴きました。一応縁起物と言う事ですね。折木さんはわたしが飲み過ぎない様に気を使ってくれていましたが、大丈夫でした。
 楽しいのも今日だけです。今週の火曜からは期末試験が始まるのです。ですから既に部活動は禁止期間に入っています。皆さんと会うのも久しぶりなのです。

 楽しいひとときが終わり、皆さんを見送ると、わたしも試験の勉強を始めます。
 普通は雛祭りが終わったら、すぐに片づけるのが普通ですが、わたしは婿取りなので、ゆっくりと片づけます。お天気の良い空気が乾燥した日に片づけるのです。
 それには人形を大事にしたいと言う想いが込められています。

 その晩の事でした。折木さんから電話があったのです。折木さん自身から電話があるのはそう珍しい事ではありませんが、今日の昼、会ったばかりなのに電話をくれるのは珍しいと思ったのです。
「もしもし、ああ、千反田か、今日はご馳走様だった。それにこんなに遅く済まない。勉強中だったのだろう?」
 折木さんにしては、少し言い方が丁寧で、どうも傍にお姉さんがいらっしゃるのでは? と思いました。
「いいえ、大した事も出来ませんでした。それでご用とは?」
 わたしの方が直接尋ねて仕舞いました。
「実は頼みごとなのだが、今日見せて貰った雛人形だが、あれは結構大変なものでは無いのか? 里志とも話したのだが、曰くがあったら聞かせて欲しいと思ってな。それで片づける時に手伝うので聞かせてくれればと思ってな……」
 折木さんの電話の内容は以上の様なものでした。わたしは嫌な事などありませんでした。むしろ、折木さんが興味を持ってくれた事が嬉しいぐらいでした。そうなのです。この雛人形にはちょっとイワクがあるのです。
「ありがとうございます。喜んでお聞かせしますよ。ウチは片づけは遅いのでお天気が良ければ、期末試験後の土曜8日に仕舞いますので、午前中にいらしてください」
 そう折木さんにお伝えします。試験の後に折木さんがまた家にやって来てくれます……

 試験の結果はまずまずでした。自分の持てるちからは出しきったと思います。帰りに摩耶花さんと福部さんにお会いしましたが、福部さんはこれから再試に向けて摩耶花さんと勉強だそうです。
「ちーちゃん。それじゃね」
 と明るい声でお別れを言ってました。
 わたしは空を眺めて明日のお天気を伺います。予報では晴れて快晴となる様です。わたしは明日人形を仕舞うと言う事よりも、折木さんとお逢い出来る事を心待ちにしている自分に気が付きました。


 翌日、午前9時になると呼び鈴が押されて、出て見ると折木さんでした。
「早かったかな? 午前中にしまうと訊いたので、早い方がよかろうと思ってな」
「いいえ、調度良いタイミングでした」
 折木さんを人形が飾ってある部屋に通します。折木さんは人形をまじまじと見て
「七段ではなく八段飾りなんだな。誰が増えているんだ?」
「菅原道真、小野小町、柿本人麻呂の三歌人ですよ」
 わたしが説明すると、折木さんは飾りを眺めながら
「ああ、そうか、今日ちゃんと見てやっと分かったよ。でも千反田、この雛人形はもしかして特別なものでは無いのか?」
 さすが折木さんです。きっとわたしには判らない理由で、この雛人形が他のとは違う理由がある事を悟ったのだと思います。
「折木さん。そのことについてお話させて貰っても宜しいですか?」
 私の問い掛けに折木さんは
「ああ、千反田が良いのなら聞かせてくれないか」
「判りました……」
 わたしはこの雛人形にまつわる話を語り始めたのです。


「……この雛人形は、この陣出の奥で、人形を作っていた方がいました。わたしの家では、親戚や知人に『初節句』があるとここで色々な人形を買って送っていました。
 父はわたしが生まれた時もここで雛人形を買うつもりだったそうです。その時偶然ですが、この家の息子さん夫婦にも女の子が誕生しました。お祖父さんの人形師のかたは、普段とは別の自分の孫に送るための雛人形を作りました。そして初節句を心待ちにしていたのです。
  ですが、不幸な事があり、お孫さんはお節句前に亡くなって仕舞いました。父はその事を知り、この宙に浮いた雛人形を買い取り、合わせてお孫さんの冥福を 祈ったのです。ですから、この八段飾りの雛人形を飾ると言う事は人形師の方の想いとお孫さんの冥福をお祈りする意味もあるのです」
 わたしは父から何回も聞かされて来た事を折木さんに話しました。でもどうして折木さんはこの雛人形にいわくがあると思ったのでしょうか? その事を折木さんに伝えると
「それはな千反田、俺は、そう雛人形に詳しくは無いが、このお飾りには普通では考えられないものが飾ってあったので、気になったのだ」
「折木さんが気になったのですか?」
「ああ、今度ばかりは俺が気になったのだ」
「折木さんでも、そう言う事があるのですね」
 わたしはおかしくて笑って仕舞いました。
「でも、そのお飾りとは何ですか?」
 わたしが尋ねると折木さんは
「これだよ」
 そう言って一つのお道具を指しました。
 それは「ゆりかご」でした。他のお道具と同じ様に黒地に蒔絵の模様が書き入れられていますが、考えればそうでした。ゆりかごが付いた雛飾りなど他所では見たことがありませんでした。
「俺は、この「ゆりかご」は千反田じゃ無く本来は誰かの為に用意されたのでは無いかと思ったのだ。だが俺もこれに関しては詳しく無いので、お前に訊いたのさ」
 折木さんは何時もの折木さんになっていました。

 それから、二人では箱にお人形を仕舞って行きます。顔に和紙の紙を巻き、それから身体全体を今度は大きめの人形専用の和紙で包んで仕舞います。
 お内裏様、お姫様、三人官女、五人囃子、そして、菅原道真、小野小町、柿本人麻呂の三歌人、右大臣に左大臣と続きます。各箱には専用の防虫剤を入れます。
 金屏風に金箔に紙を挟み保護して畳み箱に仕舞うのです。ぼんぼりも分解して丁寧に入れます。桜や橘も箱に入れて行きます。
  最後はお道具を小箱に入れて大きな箱に仕舞って行きます。この順番が悪いとちゃんと収まりません。折木さんは最初、調子良く仕舞っていましたが、最後で詰 まってしまい、最初からやり直していました。それをわたしが笑うと折木さんは恥ずかしそうにしていたのが印象的でした。
 そのお道具にある「ゆりかご」をわたしは忘れません。

 幾つかの大きな箱に収まったら、今度は段を拵えていた組み立て式のスタンドを分解していきます。これは今回は折木さんと二人でしたから楽でした。これも長い箱に仕舞います。
 全部がきちんと箱に収まると、折木さんとわたしが持って奥の納戸に納めに行きます。
「千反田、良かったら来年は出す時も手伝うから呼んでくれるか?」
 思いがけない折木さんの嬉しい言葉です。わたしが返事に詰まっていると。
「やっぱり駄目か? そうだよな女の子のお祭りだからな」
 そう言うのでわたしは折木さんの顔の前に近づいて
「駄目なわけがないです……約束ですよ……」
 嬉しくて小指を出します。返事に詰まっていたのは嬉しかったからです。
「嘘ついたら針千本の~ます!」
 約束しました。自分の人生でも心から信頼している方がここまで言ってくれた喜びは格別でした。

 お昼をご馳走させて戴きます。一緒にお手伝いをしてくれた折木さんには、お昼だけで申し訳ありませんが、わたしにとってはこれも嬉しい事です。
 わたしの作ったお昼ごはんを折木さんは「美味しい」と言ってくれ沢山食べてくれました。
「なあ、千反田、『生き雛祭』の前に二人でどこか遊びに行かないか?」
 思いがけない折木さんのお誘いにわたしは気が動転して仕舞いました。
「お、折木さん。それ本当ですか?……何処にしましょうか?」
「場所は千反田が考えてくれ。俺は何処でも付き合うぞ」
 実はわたしは、折木さんと一緒に行きたい場所があったのです。でも中々言えませんでした。それなのに、こうも早く実現するとは……
 見ると折木さんの頬にご飯粒が付いていました。私は「お弁当が付いていますよ」と言って、ご飯粒を手て摘むと自分の口に入れました。
 他の誰にも見せられない光景です。
 折木さんがわたしの肩を優しく抱いてくれ
「楽しみにしているからな」
 そう言ってくれたのです。

 陣出の春はやっと始まったばかりです……


 了