「あなたといつまでも」
田植えも終り六月もそろそろと言う頃、わたしはタクシーの後部に座っていました。梅雨の垂れこめた雲が重そうに空に游いでいます。
「一雨来ますかねえ?」
運転手さんの言葉に
「そうですね。来るかも知れませんね」
と曖昧に答えます。車は目的の場所に近づきました。
「裏の社務所の方に着けましょうか?」
「いいえ、ここで結構です。石段を登りますから」
そう言って車を停めて貰い、料金を払って車を降りると、湿った風が体を抜けます。空を見ると今のわたしの心の様に重く垂れ込めていました。
今日は千反田を代表して父の名代としてここ荒楠神社にやって来たのです。今日は『一粒万倍日』(いちりゅうまんばいび)にあたり、その上『大土始まり』(おおつち)に当たるので農作業は出来ません。『大土』の日は土をいじつてはならない、とされているのです。
そこで陣出や千反田家では古くからこの田植えが終わったこの日を選んで地元の氏神様に豊作と無事作物が育つ様にお祈りをするのです。
そこで、父が名代として水梨神社に出かけています。わたしは、父の代から親交がある荒楠神社に父の名代としてこうして出向いているのです。この手の事は成人した千反田を継ぐ者に課せられた仕事でもあるのです。
石段を登りながら、考えを巡らします。
先日、折木さんと結納を正式に交わし晴れて婚約者となりました。それは嬉しさで身も心も天に登る気持ちでした。余程の間違いが起こらなければ、秋には夫婦となります。そうですわたしが望んでいた事でした。そして折木さんも同じ気持だと思います。
晴れて婚約者と呼ばれる嬉しさは経験者でなければ実感出来ないかも知れません。
でも……日一日と日が経つに連れて段々とわたしの心に漠然とした不安がもたげて来たのです。
『わたしは果たして千反田の家を上手く継いで行けるのだろうか? 父と折木さんの間を上手く取り持って行けるのだろうか? それに、わたしは折木さんを本当に縛りつける様な事をしていないだろうか?』
そんな気持ちに心が揺れ動いています。何も無かった事になれば、この気持も無くなるのは判っていますが、そんな事はわたしは望みません。
高校時代からお慕いしていた折木さんと晴れて夫婦になれる喜びも大きいからです。でも、それと同時に先程の黒い思いも湧きだして来るのです。その心の状態にわたしの気持も揺れ動いているのです。どうしたら良いのでしょうか……
石段を登りきり拝殿でお参りをしてから社務所を訪れます。拝殿では神様に沢山お願いをしてしまいました。
「本日はご苦労様でした。どうぞこちらにお上がりください」
かほさんが、何時もと変わらなく出迎えてくれました。
「本日は千反田の名代としてお祈りをお願いに参りました。どうぞ宜しくお願い致します」
わたしも口上を述べます。
「さ、える。上がって!」
今度は何時もの口調に戻ってかほさんが笑顔を見せてくれました。社務所に上がらせて戴いて、通された何時もの部屋で座っていると、祭司さんがかほさんの旦那様を伴ってお見えになりました。
「本日は良くおいでなさいました。今日は私が執り行いますが、この者も今後の為に一緒に助手と言う形で一緒にやって貰います。そこをどうかご承知ください」
そうなのです。かほさんは東京の大学で神職の専門の学部に進学して、神主の資格を取ったのです。そしてそこでお婿さんも見つけてしまった。と言う訳なのです。
「はい、こちらこそ宜しくお願い致します」
そう、わたしが返事をして、準備の為にお二人が神殿の方に向かって行きました。
やがて「準備が整いました」と言う声で、わたしも神殿の方に向かいます。かほさんが巫女の装束で先導してくれます。
神殿に入ると司祭さんとかほさんの旦那様が二人で出迎えてくれました。
司祭さんが神殿の前に立ち、その脇にお婿さんが付き添います。そしてお祓いをしてくれ、豊作の文言を唱えてくれます。その後、私が玉串を奉納して、お祓いをしてくれて、儀式は終わりです。
社務所に帰ると父から預かった初穂料をが入った包みをそのまま渡しました。替りにかほさんが、荒楠神社の御札をくださいました。
儀式が全て終ると、かほさんが
「える、婚約おめどとう! いよいよ秋には結婚ね」
かほさんは微笑みながら語りかけてくれます。
「かほさんこそ、東京に行ったと思ったら、素敵な旦那様を連れて戻って来て……」
「まあ、同じ学部だったから手短で調達したのよ」
そう言いますが、それが本心で無い事をわたしは知っています。神社の家系では無い今の旦那様をかほさんは、お父様に婿として入籍させるのに苦心していました。そしてふたりは実力行使に出たのです。その勲章がかほさんのお腹に宿っています。
本当は身も心も賭けた結婚だったのです。
「える、恐らく今は不安が先に立ってるかも知れないけど、折木くんを信じる事が大事よ。彼は必ずえるの為になってくれる人だと思う。頑張って!」
かほさんはわたしの今の心を判ってくれていたのでした。その上でアドバイスしてくれたのです。
「かほさん……わたし……」
「不安で心が押しつぶされそうなんでしょう? でも信じる事よえる。折木くんを信じる事。それが大事よ。私の時は父の反対もあり、不安どころか戦いだったけどね」
かほさんはもう一度言うと笑ってわたしを送り返してくれました。
神社の傍ではタクシーが捕まらないので、とりあえず掴まる場所まで歩いて行きます。神山はもう夏がそこまでやって来てる気配です。重く垂れ込めた雲の合間からたまに覗くお日様はもうすっかり夏の装いです。
「あれ、千反田さんじゃない?」
不意に後ろから声を掛けられて振り向くと福部さんでした。
「珍しい所で会うねえ。どうしたの? 買い物にでも出て来たのかい?」
福部さんは市の職員の制服を着ていました。多分お仕事の途中なのでしょう。
「こんにちは福部さん。お仕事の途中ですか?」
「うん、福祉関係の仕事でね。市内を回って実態を調査しているんだ。千反田さんは?」
そこで私は荒楠神社での事をお話しました。
「ふ~ん、色々と大変なんだね。婚約したのにホータローも参加させれば良かったのに……」
何気ない福部さんの言葉でしたが、わたしは、はっとさせられました。そうなのですよね。普通はやはりそう考えますよね。それが出来なかったのはひとえに私のせいです。わたしにどこか遠慮があったからだと思います。
「摩耶花には宜しく言っておくよ。暇があったら遊びに来てね。それとホータローは使ってやらないと駄目だよ。それじゃね」
福部さんは傍で待たせていたもう一人の方と一緒に市役所の自転車に乗って消えて行きました。
わたしはその姿を見送りながら、やはり古くからの友人には判ってしまうものだと思わずには居られませんでした。
かほさんにも福部さんにも、わたしの迷いが判ってしまっているのでしょうね。自分でも情けないと思います。
家に帰る前に買い物を済ませる事にしました。市内の大きめのスーパーに向かいます。中に入り色々と物色していると今度は福部さんの奥さん、そうです摩耶花さんに出会いました。
「ちーちゃん! 珍しい場所で会うね。ここまで買い物?」
私はつい先程、福部さんに出会った事。そして今日の荒楠神社での事などを簡単に話しました。
「少しお茶飲む時間ある?」
勿論あります。正直、今一番相談したい人でした。もちろん、時間はたっぷりとありますので、近くの紅茶の美味しいお店に二人で入りました。
店内は心地よい空調が効いていて、爽やかな音楽が流れています。お昼近くなので、何人かのお客さんが入っていました。わたし達二人も窓際の席に座り、私はレモンティー、摩耶花さんはオレンジジュースを頼みます。そうですお腹には二人の愛の結晶が宿っているのです。
「今年の夏は暑くなるわね」
摩耶花さんは半分笑いながら顔の汗をハンカチで拭うのでした。
「予定日はいつでしたっけ?」
「12月、暮れなのよ」
きっと楽しみでしょうね。わたしも将来の事を考えると……
「ちーちゃん。どう? 折木と婚約して感じが変わった?」
摩耶花さんはまるで、わたしの気持ちを見透かした様な質問をしました。
「摩耶花さん……わたしの今の気持ちが判るのですか?」
「ちー ちゃん、わたしだって経験者よ。結婚前は色々と考えたわよ。わたしの場合はふくちゃんに妹さんが居たし、ご両親とも顔なじみとは言え、上手くやっていける だろうか? って色々考えたわ。その時、ふくちゃんがわたしをリードしてくれたわ。ちーちゃんは折木にもっと頼って良いと思うわよ。何でも自分ひとりで解 決しないで、頼ったら良いのよ」
摩耶花さんはレモン・スカッシュにストローを刺して軽く吸い込み
「ちーちゃんは一人で何でも頑張り過ぎ! もっと折木をこき使ってやれば良いのよ。きっと折木もその方が喜ぶわよ。変に気を使わない方が上手く行くと思うな……」
そう言ってから摩耶花さんは自分の時の失敗談や、福部さんとの結婚前の事を「今だから言えるけどね」と言いながら話してくれました。
その心遣いが嬉しかったです。
「じゃあ、またね! 電話するから!」
市内の商店街の角でお別れをします。その時のわたしの気持ちはもう迷いはありませんでした。空を見上げると先ほどまでの黒い雲は流れ去り、梅雨の晴れ間が顔を出していました。
タクシーを拾って家に帰ります。高校時代はここで折木さんとお別れをして自転車で家に帰りました。時期にもよりますが、帰る頃にはすっかり暗くなっていて、暗い道は心細かったものでした。
いつでしたか、そんな事を心配して、家に着いた頃に折木さんが電話を掛けてくれた事がありました。その気持がとても嬉しかったです。
そうです、わたしにとってはやはり折木さんがすべてです。そんな当たり前の事すら忘れていたなんて……正直恥ずかしいです。
家に着くと、何と水梨神社の方角から父と一緒に折木さんが歩いて来ます。何故でしょう。今日の事は千反田の家の事なので、父が水梨神社にわたしが荒楠神社に出向いたのですが……
家の門の前で二人を待っていると折木さんがわたしに気がついてくれました。小走りでこちらに来てくれます。
「お かえり、今日は千反田家にとって大事な日だから俺も来てみたんだ。少し遅くなってしまって、一緒に荒楠神社には行けなかったが、代わりにお義父さんと一緒 に水梨神社に出向いたよ。いい勉強になった。これからお前の手助けをして行く上で欠かせない重要な事柄だからな。それに、式までの間、俺はお前の支えにな りたい……そんな大層なモノではないが力になりたいんだ。お前の背負ってる荷物を俺にも分けてくれないか……」
何も言えませんでした。逢ったら、ああも言おう、こうも言おうと頭の中で考えていましたが、そんな必要はありませんでした。
わたしは、わたしは、只、折木さんの胸に飛び込んで行けば良かったのです。
「どうした? うん?」
いつの間にか、わたしは大きな腕の中に抱かれていました。
いつまでも、いつまでも……ずっと、あなたと……
了
田植えも終り六月もそろそろと言う頃、わたしはタクシーの後部に座っていました。梅雨の垂れこめた雲が重そうに空に游いでいます。
「一雨来ますかねえ?」
運転手さんの言葉に
「そうですね。来るかも知れませんね」
と曖昧に答えます。車は目的の場所に近づきました。
「裏の社務所の方に着けましょうか?」
「いいえ、ここで結構です。石段を登りますから」
そう言って車を停めて貰い、料金を払って車を降りると、湿った風が体を抜けます。空を見ると今のわたしの心の様に重く垂れ込めていました。
今日は千反田を代表して父の名代としてここ荒楠神社にやって来たのです。今日は『一粒万倍日』(いちりゅうまんばいび)にあたり、その上『大土始まり』(おおつち)に当たるので農作業は出来ません。『大土』の日は土をいじつてはならない、とされているのです。
そこで陣出や千反田家では古くからこの田植えが終わったこの日を選んで地元の氏神様に豊作と無事作物が育つ様にお祈りをするのです。
そこで、父が名代として水梨神社に出かけています。わたしは、父の代から親交がある荒楠神社に父の名代としてこうして出向いているのです。この手の事は成人した千反田を継ぐ者に課せられた仕事でもあるのです。
石段を登りながら、考えを巡らします。
先日、折木さんと結納を正式に交わし晴れて婚約者となりました。それは嬉しさで身も心も天に登る気持ちでした。余程の間違いが起こらなければ、秋には夫婦となります。そうですわたしが望んでいた事でした。そして折木さんも同じ気持だと思います。
晴れて婚約者と呼ばれる嬉しさは経験者でなければ実感出来ないかも知れません。
でも……日一日と日が経つに連れて段々とわたしの心に漠然とした不安がもたげて来たのです。
『わたしは果たして千反田の家を上手く継いで行けるのだろうか? 父と折木さんの間を上手く取り持って行けるのだろうか? それに、わたしは折木さんを本当に縛りつける様な事をしていないだろうか?』
そんな気持ちに心が揺れ動いています。何も無かった事になれば、この気持も無くなるのは判っていますが、そんな事はわたしは望みません。
高校時代からお慕いしていた折木さんと晴れて夫婦になれる喜びも大きいからです。でも、それと同時に先程の黒い思いも湧きだして来るのです。その心の状態にわたしの気持も揺れ動いているのです。どうしたら良いのでしょうか……
石段を登りきり拝殿でお参りをしてから社務所を訪れます。拝殿では神様に沢山お願いをしてしまいました。
「本日はご苦労様でした。どうぞこちらにお上がりください」
かほさんが、何時もと変わらなく出迎えてくれました。
「本日は千反田の名代としてお祈りをお願いに参りました。どうぞ宜しくお願い致します」
わたしも口上を述べます。
「さ、える。上がって!」
今度は何時もの口調に戻ってかほさんが笑顔を見せてくれました。社務所に上がらせて戴いて、通された何時もの部屋で座っていると、祭司さんがかほさんの旦那様を伴ってお見えになりました。
「本日は良くおいでなさいました。今日は私が執り行いますが、この者も今後の為に一緒に助手と言う形で一緒にやって貰います。そこをどうかご承知ください」
そうなのです。かほさんは東京の大学で神職の専門の学部に進学して、神主の資格を取ったのです。そしてそこでお婿さんも見つけてしまった。と言う訳なのです。
「はい、こちらこそ宜しくお願い致します」
そう、わたしが返事をして、準備の為にお二人が神殿の方に向かって行きました。
やがて「準備が整いました」と言う声で、わたしも神殿の方に向かいます。かほさんが巫女の装束で先導してくれます。
神殿に入ると司祭さんとかほさんの旦那様が二人で出迎えてくれました。
司祭さんが神殿の前に立ち、その脇にお婿さんが付き添います。そしてお祓いをしてくれ、豊作の文言を唱えてくれます。その後、私が玉串を奉納して、お祓いをしてくれて、儀式は終わりです。
社務所に帰ると父から預かった初穂料をが入った包みをそのまま渡しました。替りにかほさんが、荒楠神社の御札をくださいました。
儀式が全て終ると、かほさんが
「える、婚約おめどとう! いよいよ秋には結婚ね」
かほさんは微笑みながら語りかけてくれます。
「かほさんこそ、東京に行ったと思ったら、素敵な旦那様を連れて戻って来て……」
「まあ、同じ学部だったから手短で調達したのよ」
そう言いますが、それが本心で無い事をわたしは知っています。神社の家系では無い今の旦那様をかほさんは、お父様に婿として入籍させるのに苦心していました。そしてふたりは実力行使に出たのです。その勲章がかほさんのお腹に宿っています。
本当は身も心も賭けた結婚だったのです。
「える、恐らく今は不安が先に立ってるかも知れないけど、折木くんを信じる事が大事よ。彼は必ずえるの為になってくれる人だと思う。頑張って!」
かほさんはわたしの今の心を判ってくれていたのでした。その上でアドバイスしてくれたのです。
「かほさん……わたし……」
「不安で心が押しつぶされそうなんでしょう? でも信じる事よえる。折木くんを信じる事。それが大事よ。私の時は父の反対もあり、不安どころか戦いだったけどね」
かほさんはもう一度言うと笑ってわたしを送り返してくれました。
神社の傍ではタクシーが捕まらないので、とりあえず掴まる場所まで歩いて行きます。神山はもう夏がそこまでやって来てる気配です。重く垂れ込めた雲の合間からたまに覗くお日様はもうすっかり夏の装いです。
「あれ、千反田さんじゃない?」
不意に後ろから声を掛けられて振り向くと福部さんでした。
「珍しい所で会うねえ。どうしたの? 買い物にでも出て来たのかい?」
福部さんは市の職員の制服を着ていました。多分お仕事の途中なのでしょう。
「こんにちは福部さん。お仕事の途中ですか?」
「うん、福祉関係の仕事でね。市内を回って実態を調査しているんだ。千反田さんは?」
そこで私は荒楠神社での事をお話しました。
「ふ~ん、色々と大変なんだね。婚約したのにホータローも参加させれば良かったのに……」
何気ない福部さんの言葉でしたが、わたしは、はっとさせられました。そうなのですよね。普通はやはりそう考えますよね。それが出来なかったのはひとえに私のせいです。わたしにどこか遠慮があったからだと思います。
「摩耶花には宜しく言っておくよ。暇があったら遊びに来てね。それとホータローは使ってやらないと駄目だよ。それじゃね」
福部さんは傍で待たせていたもう一人の方と一緒に市役所の自転車に乗って消えて行きました。
わたしはその姿を見送りながら、やはり古くからの友人には判ってしまうものだと思わずには居られませんでした。
かほさんにも福部さんにも、わたしの迷いが判ってしまっているのでしょうね。自分でも情けないと思います。
家に帰る前に買い物を済ませる事にしました。市内の大きめのスーパーに向かいます。中に入り色々と物色していると今度は福部さんの奥さん、そうです摩耶花さんに出会いました。
「ちーちゃん! 珍しい場所で会うね。ここまで買い物?」
私はつい先程、福部さんに出会った事。そして今日の荒楠神社での事などを簡単に話しました。
「少しお茶飲む時間ある?」
勿論あります。正直、今一番相談したい人でした。もちろん、時間はたっぷりとありますので、近くの紅茶の美味しいお店に二人で入りました。
店内は心地よい空調が効いていて、爽やかな音楽が流れています。お昼近くなので、何人かのお客さんが入っていました。わたし達二人も窓際の席に座り、私はレモンティー、摩耶花さんはオレンジジュースを頼みます。そうですお腹には二人の愛の結晶が宿っているのです。
「今年の夏は暑くなるわね」
摩耶花さんは半分笑いながら顔の汗をハンカチで拭うのでした。
「予定日はいつでしたっけ?」
「12月、暮れなのよ」
きっと楽しみでしょうね。わたしも将来の事を考えると……
「ちーちゃん。どう? 折木と婚約して感じが変わった?」
摩耶花さんはまるで、わたしの気持ちを見透かした様な質問をしました。
「摩耶花さん……わたしの今の気持ちが判るのですか?」
「ちー ちゃん、わたしだって経験者よ。結婚前は色々と考えたわよ。わたしの場合はふくちゃんに妹さんが居たし、ご両親とも顔なじみとは言え、上手くやっていける だろうか? って色々考えたわ。その時、ふくちゃんがわたしをリードしてくれたわ。ちーちゃんは折木にもっと頼って良いと思うわよ。何でも自分ひとりで解 決しないで、頼ったら良いのよ」
摩耶花さんはレモン・スカッシュにストローを刺して軽く吸い込み
「ちーちゃんは一人で何でも頑張り過ぎ! もっと折木をこき使ってやれば良いのよ。きっと折木もその方が喜ぶわよ。変に気を使わない方が上手く行くと思うな……」
そう言ってから摩耶花さんは自分の時の失敗談や、福部さんとの結婚前の事を「今だから言えるけどね」と言いながら話してくれました。
その心遣いが嬉しかったです。
「じゃあ、またね! 電話するから!」
市内の商店街の角でお別れをします。その時のわたしの気持ちはもう迷いはありませんでした。空を見上げると先ほどまでの黒い雲は流れ去り、梅雨の晴れ間が顔を出していました。
タクシーを拾って家に帰ります。高校時代はここで折木さんとお別れをして自転車で家に帰りました。時期にもよりますが、帰る頃にはすっかり暗くなっていて、暗い道は心細かったものでした。
いつでしたか、そんな事を心配して、家に着いた頃に折木さんが電話を掛けてくれた事がありました。その気持がとても嬉しかったです。
そうです、わたしにとってはやはり折木さんがすべてです。そんな当たり前の事すら忘れていたなんて……正直恥ずかしいです。
家に着くと、何と水梨神社の方角から父と一緒に折木さんが歩いて来ます。何故でしょう。今日の事は千反田の家の事なので、父が水梨神社にわたしが荒楠神社に出向いたのですが……
家の門の前で二人を待っていると折木さんがわたしに気がついてくれました。小走りでこちらに来てくれます。
「お かえり、今日は千反田家にとって大事な日だから俺も来てみたんだ。少し遅くなってしまって、一緒に荒楠神社には行けなかったが、代わりにお義父さんと一緒 に水梨神社に出向いたよ。いい勉強になった。これからお前の手助けをして行く上で欠かせない重要な事柄だからな。それに、式までの間、俺はお前の支えにな りたい……そんな大層なモノではないが力になりたいんだ。お前の背負ってる荷物を俺にも分けてくれないか……」
何も言えませんでした。逢ったら、ああも言おう、こうも言おうと頭の中で考えていましたが、そんな必要はありませんでした。
わたしは、わたしは、只、折木さんの胸に飛び込んで行けば良かったのです。
「どうした? うん?」
いつの間にか、わたしは大きな腕の中に抱かれていました。
いつまでも、いつまでも……ずっと、あなたと……
了
今年の六月の作ですね。
(だ、か、ら、そういう主旨ぁじゃない?こりゃまた失礼いたしました……っと)
摩耶花が飲むのはオレンジジュースよりはレモンスカッシュではないでしょうか?
やっぱり、えるのモノローグは良いですね。