子供の頃の話だが、僕の家は旧家で、その頃住んでいた家は広い敷地に年代物の建物が幾つも建っていた。
 この地域は戦災を免れたので、我が家の他にも年代物の建物はかなりあった。我が家の建物は母家と呼ばれていた一番大きな建物に家族が住んでいて、一つを除いて後は倉庫と化していた。
 例外的なその一つは、離れと呼ばれ、昔、曾祖父が結核を患った時に隔離するために作られたと訊いたことがある。それにしても戦前の話だ。
 だから、小さいながらも一軒の家となっており、三畳ほどの玄関を入ると左が四畳半で正面は廊下がありその右側が台所で六畳はあるだろう。その奥と言うか並びが風呂とトイレだ。
 廊下の左側は六畳となっていて、その更に左側は縁側となっている。すべて和室だ。縁側からは庭が見渡せる様になっていて、家の中からは庭が見えるが、庭 からは木々に邪魔されて家の中は見る事が出来ない。つまり表側からはプライバシーは守られているが、実はこの頃の僕がいた部屋からはこの離れと呼ばれてい た建物が僅かに見えた。

 その離れからたまにだが歌声が聴こえて来た事があった。
「あめふりおつきさん くものをか~げ~ およめにゆくときゃ だれとゆ~く ひとりで、からかささしてゆく~」
 何処か寂しげで、それでいて暖かく、聴いていると切なくなる声だった。特に月が綺麗な晩に聴こえて来た気がした。
 声の主は、父の親戚の家の娘さんだった。若くして実家の政略結婚の道具にされ、婚家で酷い扱いを受け体を壊し、離縁されたのだという。その頃、僕の目から見てもとても美しい人だった。
 出戻り娘は家に置けないということで、我が家にやって来たのだった。実家は資産家なので、娘の為に家を借りたのだった。
 体裁は大きいが、実はかなり貧乏だった我が家にとって金銭的な話だったので父はすぐに賛成したらしい。
 歌声が聴こえるようになったのは、それから間もなくだった。入居する時に挨拶に来られたので、その時父の陰からその人を見た。若くて綺麗な人だと思った。こんな綺麗な人に酷いことをするなんて何て家だと思った。
 確か名前を志津子さんと言った。苗字が高梨で、高梨志津子さんと言う名前だと記憶していた。
 志津子さんは「あめふりお月さん」以外にも色々な歌を歌っていたと記憶しているが、当時の僕には知らない歌が多かった。外国の歌などもあったと思う。僕自身志津子さんが何を言ってかが理解出来ずただメロディーだけを聴いていた事が沢山あったからだ。
 でも一番多かった歌はやはり「あめふりお月さん」だった気がする。僕の思い過ごしかも知れないが……
 月の綺麗な夜に聴こえて来る美しい音色のような歌声に僕は何時も心を奪われた。世の中にこんな美しい歌声があるのだろうか、と毎夜聴く度にそう思った。

 毎日聴いているうちに、歌声に表情がある事に気がついた。何と言うか、喜怒哀楽とも言うべき表情が歌声にある感じなのだ。子供の僕にはその時はそれ以上判らなかったが、何回も聴いているうちにその喜怒哀楽が判って来た気がした。
 それらは当時の僕でも知っていた歌だった。「みかんの花咲く丘」という歌があるが、それを歌っている時は昔の楽しかった思い出を思い出して歌ってる感じがした。これが「楽」だと思った。
 それから、その時は知らなかったのだが、外国の歌も歌っていた。その時は辛い声に聞こえた。後にこれが「モルダウ」という曲だと知った。これが「哀」だと思った。
 変わっていたのは、当時流行っていた歌も歌っていた事で、これは僕も当時ラジオやテレビで聴いていた「イマジン」という曲だった。これを歌う時の志津子さんは怒りや哀しみを表現している感じがした。
 そして、「あめふりお月さん」だ。この歌を歌う時には志津子さんは喜びに溢れていた。当時の僕は人の感情など良く判らなかったので「お嫁に行きたいのかな?」等と感じていた。

「あめふりおつきさん くものをか~げ~ およめにゆくときゃ だれとゆ~く ひとりで、からかささしてゆく~ からかさないときゃ誰と行く~ シャラシャラ シャンシャン 鈴付けた~ お馬にゆられて 濡れてゆく」
 実に喜びに溢れた歌声が僕の寝ていた部屋までも届いていた。僕は毎夜、志津子さんの歌声を聴きながら眠りについていたのだ。

 その頃は良く判らなかったのだが、これには裏話があった。それを知ったのは僕が大人になり、愛とか恋とかを幾らか経験した頃だった。
 ある年、随分久しぶりに志津子さんが尋ねて来たのだ。それは志津子さんが、いきなり離れから居なくなってから初めての事だった。
「お久しぶりです。私の事覚えていらっしゃいますか?」
 あれから二十年は経っているだろか、それなのに志津子さんはほとんど変わらない姿だった。
「勿論、覚えていますよ。あなたの歌声は忘れないです」
「いきなり失踪してごめんなさい。実は事情があって……」
 僕は志津子さんを家に招き入れた。この家にはもはや父も母もいなかった。僕だけがこの家の住人なのだ。
「志津子さん僕はある時気が付きました。あなたが歌っていた歌に意味があった事を……」
 志津子さんは僕に気が付かれていた事を判っていたみたいだった。
「あの時『イマジン』を歌った夜はあなたと恋人の仲を裂かれた怒りを歌い、『モルダウ』の時はその哀しみを……そして「みかんの花咲く丘」の時は昔の楽しさを……そして『あめふりお月さん』を歌う夜は愛しい恋人がやって来た夜だったのですね。
 歌を歌っていたのは、恋人が間違った日にやって来ないように知らせる目的があったのですね。何故なら、あなたは実家の手の者に監視されていたからですね。それを逃れる為に歌を歌って連絡を取っていた」

 僕は、この年月考えていた事を志津子さんに話した。志津子さんは苦笑いしながら
「そうです。良く気が付かれましたね。あなたの事は幼いと思って知られることは無いと思っていました。その通りでした。私には恋人がいたのにも関わらず強 制的に政略結婚を決められて仕舞いました。でもどうしてもその人の事を忘れられ無かったのです。その為に嫁ぎ先では酷い扱いを受けました。病気にもなりま した。そして離縁されたのです」
 志津子さんは、僕の出したコーヒーに口を付けて、口を湿らせると
「実家に戻った私に父は厳しく接しました。人の目もあるため、家を出されこちらにお世話になったのです。あとはご存知の通りです。私は監視されていましたから、それを逃れる為に歌を歌って彼と繋がりをつけたのです。全て、ご推察の通りです」
 志津子さんはあくまでも静かに語ってくれた。僕は、実はもう一つの事も知っていた。失踪して、誰も居ないはずの離れから僅かに歌が聴こえて来ていたことを……
 その事を志津子さんに尋ねると
「そこまでお気づきでしたか……そうです。失踪したと見せかけて、離れの地下室に潜んでいたのです。あそこでほとぼりが冷めるまで暮らしていました」
 やっぱり、そうだったのかと納得する。そうなのだ、志津子さんは何処かに恋人と失踪する事など必要無かったからだ。
 何故なら、志津子さんの恋人とは……僕の父だったからだ!

 その事を僕は志津子さんに告げた。既に亡くなってる父のことだ。今更どうしようもないことだ。
 僕の言葉を最後まで全て聞いて志津子さんはホッとした顔をした。僕にはその意味が良く判らなかった。
「お父さまは大事な事を告げずに行ってしまわれたのですね。確かに私の恋人とはお父さまでした。お父さまが私の家庭教師だったのです。わたし達は愛し合い ました。そして、これからが大事なのですが、愛しあった結果、私は彼との子を授かりました。父は怒りましたが私は相手の方の名前を言いませんでした。
 その結果、父は私が産んだ子を里子に出して仕舞いました。その先は偶然にもこの家だったのです」
 志津子さんは何を言っているのだろう? 父はその頃は結婚していたはずだが……まさか、不倫していたのか……
「あなたのお母様は子宮に欠陥があり妊娠出来ない体でした。子供を大層欲しがっていたそうです。お父様は全てを隠して、私が産んだ子を自分達の子として届 けたのです。旧家のこの家には協力してくれる医師もいました。不法なあっせん行為により、書類上はその子は二人の子となったのです。
 信じられない事ばかりでしょう。でも得てして真実は信じられない事が多いのです……もうお判りでしょう。その男の子とはあなたです」
 あまりの事に頭がクラクラして僕は判断がつかなかった。この目の前にいる志津子さんが僕の実の親だなんて……
「信じてくださらなくても結構です。関係者が全て亡くなってしまった今では、私の言う事が真実だと調べるにはDNA鑑定しかないでしょうね……」
 志津子さんはそう言ったが僕にはもう判っていた。いや、今日出会った時から、いいや本当はあの歌声を聴いていた頃から判っていたのかも知れない。

 あの日から、再び毎晩歌声が聴こえる。僕は……それを聴きながらこの年月を想うのだった……