「出会い」 第10話 

 「ああ気持ち良かった! お先に貰いました」
 体にバスタオルを巻いて、頭をタオルでゴシゴシと拭きながら薫がバスルームから出て来た。
「神山さん。お湯、張ったままですけど、わたしの入った後じゃ気持ち悪いですか? なら抜きますけど」
 頭のピンクのタオルを被ったまま俺に言う様は何か余裕さえ感じさせた。
「構わんよ。俺も入る」
 バスタオルだけ出して俺もバスルームに入った。烏の行水で腰にタオルだけ巻いて出る。
 薫はパジャマに着替えていた。それを横目で見ながら、ベッドルームにある下着が入っているタンスから新しいパンツを出して履く。そういえば薫の替えの下着のことまで考えていなかった。
「お前、下着はどうする? 今からコンビニに買いに行くか?」
 そう俺が言うと薫は笑いながら
「洗濯機ありますよね? それで洗います。乾燥機能付いています?」
 洗濯機はドラム式の新しいやつだ。勿論乾燥機能も付いている。そうで無ければ一人暮らしは不便だ。
「一緒に神山さんのも洗いましょう。わたしだけじゃ勿体無いですから」
 そう言うと薫は俺の洗い物と自分のものを抱えて、俺が案内する洗濯機の場所に行った。
 慣れた手つきで操作すると
「これで、明日の朝には乾いています。それまで必要無いですよね?」
 そう言って俺を見つめる目が少し妖しかった。

 ソファーの上に二人で並んでいる。部屋の明りは落としてあり小さな照明だけが僅かに薫の姿を照らしている。
 その薫の唇にキスをして、パジャマのボタンをひとつひとつ外して行く。
 全て外して襟を左右に広げると、ふくよかな膨らみが飛び出した。俺の手のひらよりも僅かに余る膨らみの感触を楽しみながら、その先端を軽く指の先で転がすようにすると、薫の口からは今まで聴いた事の無い甘い吐息が漏れた。
 パジャマの上着を脱がし、下も脱がせ一糸まとわぬ姿にする。そして、素裸の薫を横向きに抱きかかえると、自分のベッドに運んで行った。初めてという薫に対して慎重に接して行く。充分になったと感じて、俺達はひとつになり、他人ではなくなった。初めての事で、俺と結ばれた喜びもひとしおだった様だ。その様子が可愛くて、恥ずかしい話しだが俺も興奮して、朝まで何回も求めてしまった。そして、そのまま抱き合って昼過ぎまで寝ていた。

 
 
 四万六千日が過ぎて東京にも夏が今年もやって来た。仕事が終わりマンションに帰りテレビを点けると、馴染みの女優が画面に出ていた。こいつのドラマは一応全部録画することに決めている。
 このドラマでは準主役ともいうべき役柄で、二年ほど前の放映したドラマでブレイクしたのだ。
 三年近く前、こいつと俺が結ばれたなんて、今では信じられない感じだった。だが売れて良かったと思った。やはり野沢せいこうは大したものだと思った。
 「役者座」に入った当初はよく電話を掛けて来たり、泊まって行き、色々な裏話等を話してくれたが、ドラマで売れ出すとその間隔は遠のいて行った。
 売れればそうなると思っていたし、彼女もゴシップ週刊誌に色々な記事が載るようになった。それだけ見ても出世だと思う。
「売れて良かったよな薫」
 氷を入れたバーボンの入ったグラスを傾けながら、俺は感慨に耽っていた。俺があいつにしてやったことは女の喜びを教えてやったことぐらいだった。
 画面を通してでも、今の薫は輝いている。周りの男が放って置かないだろう。
 少なくともあの頃は本気で俺の事を好きだった。その好きな人と結ばれるという喜びを与えてやれた事だけでもあいつの芝居に役にたったのかと思う。
 
 今年は少し長い夏休みが取れた。だから何処かに行くつもりだった。場所は何処でも良い。生まれ育った場所に行っても良いし、何処か誰も知らない場所でも良かった。
 来月の頭から10日ほど休めることが決まった。それまでに行く場所を決めておこう。
 そんな事を思っていた時だった。久しぶりにアイツからメールが来た。
『八月一日、午前七時に羽田空港のANAの出発口に旅行用の支度をして来て下さいお話があります』
 と、それだけが書かれていた。
 何だ? 午前七時とはばかに早いな。そうか、ロケにでも行くので、俺に話があるが、こっちには来れないので、ここに来いという訳だと理解した。だが話と は何だろう……俺には思い当たる事はない。アイツの就職だって、正式に取り消した。問題は何も残ってはいない。まあ、当日行けば判ると思い直す。丁度その 日から俺は休暇なのだから……
 それきり、何の連絡も無いので実は忘れていた。思い出したのは前夜にまたメールがあったからだ。
「よっぽど大事な話なのか、メールや電話じゃ駄目な話なんだな」
 携帯を閉じながらそんな独り言が口から出ていた。
 その晩は久しぶりにアイツの夢を見た。夢の中のアイツは女優なんかでは無く女子大生のままだった。どうやら俺の中では、アイツは進歩が無いらしい。

 IMG_1763翌朝、羽田までは電車で行けるので、地下鉄に乗り込む。『旅行の支度』と書いてあったので、話が終わったらキャンセル待ちで何処かに行こうと思い数日分の支度だけはして出て来たのだ。
 約束の時間より随分早く到着したので、場所の確認だけしたらモーニングのコーヒーでも飲みに行くつもりだった。
 未だ、人もまばらな空港のコンコースにかって知った女が、大きめのスーツケースを持って立っていた。
 その姿に近づき声を描ける。
「よお、元気そうだな。何時もテレビで見ているよ。ところで今日は何かな? 話とは何だ?」
 俺の言葉にアイツは少しむくれた顔をして
「約束忘れたんですか? ひどい……」
 その顔は売れっ子になった女優の顔ではなかった。
「約束? 何かしたか、いま、芸能界を騒がしている旬の女優さんと……」
「やっぱり、忘れている……」
 アイツいや薫は真剣な顔になり
「わたしが野沢先生の所へ行く時に期間限定で頑張ってみろって、言ったじゃないですか! だからわたし、期限付きで頑張ったんですよ」
 そうか、そう言えばそんな事も言った気がする。
「まあ、三年経ったけどな……それで、どうしたんだ?」
 俺の質問を待っていたかのように薫は
「わたし、女優辞めたんです。野沢先生にもお許しを貰いました。退団しても良いって……」
 よく許してくれたものだと思う。週刊誌によれば薫と野沢せいこうとは愛人関係にあるとかないとか、書かれていたが……
「それは無いですよ。だって先生、女の子より男の子の方が好きなんですから」
 ほお、そうだったのか、それは知らなかった。週刊誌の記事は偽装か。
「そういう事です。でも最初は引き止められましたが、わたしが強く言って許して貰いました。あの世界は正直わたしには合いません。人の足の引っ張り合い や、陰での中傷なんか、つくづく嫌になりました。この三年、神山さんと一緒にいた頃の楽しさや、安らぎなんて一度もありませんでした。わたし、判ったんで す。わたしにとって喜びとは神山さんと一緒にいる事だって……」
 随分俺も見込まれたものだ。それで、今期では薫の出るドラマが無かったのか……
「神山さん、今日から十日間の休みでしょう。会社に電話したら教えてくれましたよ。だから一緒に南の島に行こうと思って誘い出したんです。行きましょう! チケットも押さえてあります」
 薫はバッグから二枚の航空券を出して見せた。
「さ、チェックインしましょう」
 俺は薫に押されてカウンターに歩き出した。良いだろう、ここに来て俺もジタバタしないつもりだ。三年の間、薫も世間を見て大人になったと思った。今の薫はあの頃よりも遥かに磨かれて綺麗になっている。だけど心のうちがあの頃のままだと判り俺は嬉しくなった。
「芸能マスコミが騒ぎ出すぞ」
 冗談半分で言うと薫は
「それでも良いじゃないですか。わたし達はその頃は南の島で二人だけです。新婚旅行にしましょう。帰ったら籍入れて、荷物をマンションに運びますね」
「おいおい、あそこで暮すのか?」
「そうですよ。これからはサラリーマンの妻ですから」
 そう言って笑った笑顔は、この間の俺の心の空白を埋めるのに充分な価値があると思った。

出会い   了