「出会い」 第7話

12062636 伊豆の山深く、天城の温泉に俺と薫は居る。
 俺が姿を見せた時に旅館の女将が、意味ありげな表情をしたので、首を左右に振っておいたが、通じたかは判らない。
「わぁ~下に川が流れていて、緑が濃くて素敵な部屋ですねえ~」
 薫は部屋に案内され、仲居さんが部屋を出て行くと、部屋の窓の下を眺めながら嬉しそうな言葉を口にした。
「あれ? 下って河原が露天風呂になっているんですね。いいですねえ。温泉に入りながら横に清流が流れているなんて、まるで人魚になった気分を味わえるかも知れませんね」
 人魚はアンデルセンで、海だろうと返そうとして、俺はとんでもないことに気がついた。そう、下の露天風呂は混浴だったことを……
 こいつのことだ、一緒に入ろうなんて言い出しかねないと思う。別に嫌じゃないが、男としてどうだと言うことだと思う。
 何の事を言ってるのか判らないかも知れないが、つまり、子どもと一緒に風呂に入る訳ではない。薫は痩せて背が高い娘だが、天下の女子大生だ。つまり大人の女だ。そんな存在と一緒に露天風呂に入って俺はどうすればいいんだ?
 薫の女性の部分を無視して扱えば良いのか、あるいは、イヤラシイ中年男丸出しで接すれば良いのか、あるいは……
 恋人でもない、部下でもない、まして赤の他人でも行きずりの愛人でもない。そんな俺達はどうすれば良いのか、答えが出せなかった。
 そんな俺の思惑を無視して薫は
「下の露天風呂に入ってきますね。さっき番頭さんが言っていたのは、あそこの事だったのですね」
「番頭さんが何か言っていたか?」
 俺は考え事をしていて聞き逃したのかも知れなかった。
「ほら、『このあたりの土地は皆旅館の土地だから、露天風呂も安心して下さい』って」
 そういえば言っていた気がするが、俺としては既に確認事項だから耳に入らなかったのだと思う。
「わたし、先に入ってますね。待っていますからね」
 薫はタオルを持ち、いつの間にか浴衣に着替えていた。
「お前、いつ着替えたんだ?」
「あらいやだ。今着替えますから後ろ見ないで下さいって言いましたよ」
 どうやら俺は相当おかしいらしい。そんな言葉も聞こえないなんて……
「じゃ、待ってますから」
 そう言って薫は部屋から出て行った。俺だけが一人広い部屋に残された。

 この旅館には普通の男女の浴場と露天風呂がある。それらは男女別に分けられている。薫が向かったのが、『特別露天風呂』で、旅館の下を流れる清流の脇に石で作られた露天風呂だ。ここだけが混浴となっている。
 一階の旅館の玄関を通り過ぎると突き当りがガラス戸になっていて、そこから先が渡り廊下となっている。そして、そこから階段を降りると脱衣場で、そこから目の前の露天風呂までは裸足で行くのだ。
 俺はこの期に及んでも考えがまとまらなかった。一回り以上も歳が離れている娘にどう接すれば良いのか、一緒に露天風呂に入ってもよいのか……考えているうちに脱衣場まで着いてしまった。
 脱衣場の籠を見るとどうやら薫の他にも人が入っていた。俺はここで、目の前が明るくなる想いだった。
 そうなのだ、特別な事ではない。自然で良いのだと想い直した。自分も浴衣と下着を脱いて露天風呂に向かった。
 細かく敷き詰められた小石の上を歩いて行くと程なく露天風呂に着く。中では薫が幼稚園ぐらいの女の子を連れた三十ぐらいの女性と話をしていた。奥にはその女性の旦那さんとおぼしき男性が二人の様子をニコニコしながら黙って見ていた。
 何事もなく自然だった。変に意識することはない。
「こんにちは」
 以前に挨拶が出た。
「こんにちは~」
 恐らく夫婦なのだろう。揃って挨拶を返してくれた。
「遅かったですねえ~何かありましたか?」
 薫が口を少しばかり尖らせていると、くだんの幼稚園児が笑っている。自分が笑われていることに気がついた薫は恥ずかしそうに笑いながら、露天風呂の奥の川と接してる部分に行った。そして露天風呂と川を隔てている積み上げた石を上半身だけ乗り越えて、手を川に漬けて
「不思議です! こっちは暖かいのに川の方はとても冷たいんです」
 俺の方を向いていたので、薫の様子が見えてしまった。綺麗だと思った。卓球で鍛えた体は筋肉が良く発達していてその上に女性特有の柔らかさが加味されて いた。この前背負った時に感じたが胸も想像以上あると思った。だが不思議とイヤラシイとは思わなかった。景色の一部のように馴染んでいた。
「こっち来て触って見ると面白いですよ」
 薫の誘いに乗って俺もその場所に行く。そして手を伸ばして川の水に触ってみる。確かに冷たい。それも心地よい冷たさだ。
 その水を薫の顔に掛けてやる。文句を言うかと思ったら
「つめたくて気持ち良いです。のぼせそうになったら、川で泳ぐのもありですね。ここは旅館の土地で周りは進入禁止にしてあるそうですから、自由が利きますね」
 確かに、そうやる奴も居るのだ。現に昔俺がやった。その事を薫に言うと
「やっぱり~ 神山さんだったらやると思ってました」
 そんなことを言って笑ってる。
「お先に……」
 夫婦と幼稚園児連れが先に上がって挨拶をして出て行った。残るは二人だけとなった。

「気持ち良いですねえ~、ホント別天地みたい」
 周りを木々に囲まれた清流のほとりの露天風呂に浸かりながら薫は語りだした。
「神山さん、今日は無理言ってすいませんでした。我儘聞いて貰って嬉しかったです。本当はわたし、自分が無理難題を言ってそれを神山さんが叶えてくれる事で、自分が大事にされているということを実感したかったんです」
 薫は俺の方を見ずに清流を眺めながら話を進める
「わたし、最初は自分の気持ちが良く判りませんでした。神山さんに対して、ちょっと父親のような感じを持っていたことは事実です。でも、果たしてそれだけ なのか……自分なりに考えました。そして、それは違うと気が付きました。わたし、男性として神山さんが好きです! 就職のこと無理言って頼んだのも、本当 は神山さんと繋がりを持っていたかったから……そうしたら本当にやりがいのある仕事をくれて、とても嬉しかったと同時に気持ちは揺るぎないものになりまし た。だから、こうやって一緒の露天風呂に入って自分の姿を見て貰うのも恥ずかしくはありませんでした。素のわたしを見て欲しかったんです」
 そこまで言って薫は俺の方に向き直って、湯船から立ち上がった。
「見て下さい、これがわたしです、立花薫です」
 俺の目の前には美しい裸身が立っていた。観賞するには充分過ぎるほど生々しかった。
「判った。座れ、充分に観賞させて貰った。気持ちは嬉しい。本当だ! 俺のような中年男を好きになってくれて、本当に有難いよ。君のような綺麗な娘が俺みたいな男なんて不釣り合いじゃないか、そうだろう……」
「いいえ、そうは思いません。神山さんほど素敵な人は同世代ではいません」
 再び湯船に浸かった薫は今度は俺の目を見つめて言い放った。これは本気の目だ。ならば俺も覚悟を決めよう。

「なあ、俺はお前とひょんなことから出会って、そして今まで付き合いとも言えぬ付き合いをして来た。俺のような中年の男にそう言って貰えて、正直嬉しい よ。これは本当さ、そしてお前のことを可愛く思って来た。可愛くて仕方がない。何でも我儘を聞いてやりたい。でもな、それって女性としてかと問われれば自 分でも正直判らない。今だってお前の綺麗な体を見て心がときめいたよ。だからって、今晩俺はお前を抱いていいのだろうか? お前と自分に嘘をついて抱いて 良いのだろうか? それはお前に対しても偽ることになる。だから、だから少しだけ待ってくれ……お前に恥をかかすようなことはしない……虫の良い話だと思 う。でもお前のことが大事だから嘘はつきたくないんだ」
 俺は思っていたことを一気に口にした。薫は最後まで黙って聞いていたが、恥ずかしそうに
「わたしも抱かれても良い、なんて偉そうに口にしましたけど、わたし男の人知らないんです。高校大学と卓球に明け暮れていて、恋人とか男女交際なんて余裕 なかったんです。まあ、モテなかったんですけどね……だから、色んな、普通だったらこの歳で知ってるような事も知らないんです……おかしいですよね」
 俺からの目線を僅かに外して少し俯いて話す仕草は、恐らく誰の目からも可愛く見えるだろう。
「なあ、なら改めて仕切り直しにしないか? 俺も何時迄も待たせるような事はしないから」
「はい、判りました。わたしのことそれほど思ってくれて嬉しいです」
 そう言って薫は俺に抱きついて来た。その感触が最高だったのは言うまでも無い。

 その晩、川のせせらぎを聴きながら、二つ引かれた布団の中にいた。
「ねえ、手を繋いでくれますか? 今夜だけ……次からは同じ布団ですよね。今夜だけせめて手を繋いで……」
 その言葉にそっと布団から腕を伸ばして差し出す。柔らかい手がそれに絡んで来た。
「わたし、やっぱり間違った人を選びませんでした。間違わなかったです」
 絡んだ指が少しだけ湿った気がした。