「出会い」 第6話

r135za-12 熱海に抜ける真鶴道路を俺の青いアルファは快調に飛ばして行く。海沿いのカーブが続く道は結構ご機嫌な道路だ。左に相模湾で、やがて前方にホテルニューアオイが見えて来た。
「野沢せいこうの家はそこで間違い無いんだな?」
 ハンドルを切りながら薫に尋ねると
「うん、間違い無いと思う。電話で訊いたから」
 薫は今日は半袖の青地に赤い模様の入ったワンピースを着ている。腰には白いベルトをして、オマケに白い帽子まで被っている。足はヒールの高いこれまた白いサンダルだ。こいつのスカート姿は初めて見た。正直、良く似あってるし、想像したより足が綺麗だと思った。
「私が今日こんな格好して来たからちょっと驚いているんでしょう」
 まるでこちらの考えを見透かすようなことを言う。
「まあ、正直、驚いた……でも良く似あってると思ったよ。見直した」
「へへへ、そう言って貰えると私も嬉しい」
 薫はまっすぐ前を向いてそう言って
「私ね、神山さんだったら、抱かれてもいいなって思ってるの」
 いきなりとんでも無いことを言われて危うくハンドルを間違えそうになった。
「こら! 大人をからかうもんじゃ無い」
 そう言ったら黙って口を尖らせた……まさか、こいつ本気か?

 車はやがて熱海市内に入った。一時は多くのホテルや旅館のシャッタが降りていたが、最近は大分復活したみたいで街の中も明るくなった感じがした。
 薫の持って来た地図と住所のメモによると、野沢せいこうの家はホテルニューアオイに行く道を行き、途中で別れる道を行くみたいだ。
 車は市内を抜けると山道に入って行く。ホテルニューアオイと言うのは熱海市内を抜けた先の岬の上に建てられたホテルで、熱海でも一、二を争うほど大きなホテルだ。
 先ほどの事から薫は口を開いていない。相変わらず拗ねた表情をしている。本気なのか? 全く何処まで本気で何処までが冗談か理解し難い。
 大分登った所で道が別れていて、ホテルニューアオイでは無い方の道を選択する。
「今日は、何処かに泊まりましょうよ……折角、熱海まで来たんだから……ね」
 そうか、そう言う含みだったのか、と思った。別にこいつと何処かに泊まっても良い。多分何も起きないと思う。
「最初からそれが目的か?」
「ううん、後で思いついたの……既に一緒に一晩過ごした仲じゃない」
 人訊きの悪いことを言うなと言いたい。
「今日は一応、お前の上司と言う立場で来ているんだぞ。だから上着だって持って来たんだ。それなのに泊まったら上司と不倫か?」
「あれ、神山さん既婚者?」
「いいや」
「じゃいいでしょう~」
 もう少しで野沢せいこうの家と言うところまで来ると薫は
「それは、終わってから決めましょう」
 そう言って仕事モードになったみたいだ。

 野沢せいこうの家は想像していたモダンな西洋風の造りの家ではなく、古い日本の古民家を何処からか移築して、中を現代風に改造した家だった。このようなのは意外と手間が掛かり、費用も馬鹿にならない。
「やあ、良くいらっしゃいました」
 海の見渡せる明るいリビングに案内された。
 野沢せいこうはテレビ等では過激なことを言ってるが、実際会ってみると穏やかな人だった。
「初めまして、株式会社 東洋興産 施設管理業務を担当している神山と申します。今回は我が社の立花がご無理な事をお願い致しまして、申し訳ありませんでした」
 名刺を出しながらそう挨拶をすると、野沢せいこうは
「いえいえこちらこそ、わざわざ熱海まで来て戴いて申し訳ないです。演劇関係の雑誌の記者なんか、私が東京に用事で出かけた際にまとめて取材に来ますからね」
 そう言って笑いながら家政婦さんとおぼしき人が持って来てくれたコーヒーをわざわざ手に取って置いてくれた。
「じゃあ本題に入りますか。あの芝居で音楽を流したのは、実は観客向けでは無いのです」
 驚いた。薫も流石に驚いたのだろう、面白い表情をしている。
「相当驚かれたみたいですが、まあ、あの芝居自体が聾唖の人向けでしたからね。音楽を流しても聞き取れない方ばかりですからね。あの芝居はセリフは全て手話でした。ウチの若い役者に手話を覚えさせて、それで芝居をさせたんです」
 それは判っていたことだ。では何故音楽を流したのか、それも薫が音響効果の人に尋ねたら五曲程使ったという。
「喜怒哀楽に希望の五曲です。これは実は役者に聴かせる為に流したのです」
「役者ですか!」
 俺も薫も同時に反応した。
「何故、役者さんに聴かせたのですか?」
 薫が熱心に尋ねると、野沢せいこうは
「役者は皆健常者です。普段は声で会話し、芝居もしています。手話での芝居は初めてでした。問題は手話に感情を盛り込むことでした。目で見て理解する手話 では感情は伝わりません。勿論表情や仕草で感情を表現出来ますが、芝居ならどうでしょう。遠くの舞台の上での事ですから、伝わり難いです。そこで私は舞台 に、それぞれの感情を表す音楽を効果音として流して役者に聴かせたのです」
「どうなりましたか?」
 薫が熱心にメモを取りながら尋ねると
「役者達は体全体で喜怒哀楽の感情を表すようになったのです。私の狙いもそこでした。こちらの型にハマッた演技ではなく、役者の心から表現される感情が欲しかったのです。役者達は輝きましたよ」
 どうして、そんな事を思いついたかは知らないが、大物演出家と言われるだけの事はあると思った。
 それ以外にも俺と薫は野沢せいこうから色々な演劇界の裏話を聴くことが出来た。失礼する頃にはもう昼さがりとなっていた。
 帰り際に野沢せいこうが薫に向かって
「立花さんって言いましたよね。あなた、容姿が良いから役者に向いてるかも知れないですね」
 そんな事を言って薫を喜ばせた。これはお世辞だろうとその時は思ったのだ。

 それから一時間後、俺と薫は伊豆スカイラインを走っていた。要するに俺は根負けしたのだ。あれから、野沢せいこうの家を辞した後、ずっと「泊まって行こう」と言っていて、それに俺は負けたのだ。うるさいのは嫌いだ。
 このスカイラインの道の途中に俺が個人的に知っている旅館がある。そこに連絡を入れたら泊まれる事になったのだ。そしてそこに行く途中なのである。
 「どうだ、嬉しいか?」
 助手席で鼻歌を歌ッてる薫に訊くと、満面の笑顔で
「はい! 嬉しいですよ。温泉大好きですから」
 そう言って笑う仕草は、悪くはない。
 だが遠く離れた伊豆の山の温泉で、二人だけの夜を過ごす。しかも今日の薫はやけに女ぽいのだ。
 流石の俺でも石部金吉になれるかは自信無かった……