目標 第30話 「板前になって……」

 柴崎さんの手術の件が一段落した頃に、飛鳥から俺と真理ちゃんに連絡があった。真理ちゃん曰く
「都合のいい時に斎藤さんとお邪魔しても良いか? 」と言う事だそうだ。
 それを訊いて俺は飛鳥とその交際している斎藤さんとの婚約の事だと推測した。

 その日は結局火曜日で、祭日の日が選ばれた。朝から俺も真理ちゃんも何か落ち着かなく、恵までもが何か親の様子が判るのか、何やら興奮しているみたいなのだ。
「こういうのって伝わるんだね」
 真理ちゃんが恵を抱きかかえながら、そう言って笑ってる。
「お昼でも食べながら」
 と言う事だったので、俺は簡単な支度だけしておいた。十一時過ぎになって、二人がやって来た。正直、俺は斎藤さんと会うのは初めてだ。
「初めまして、斎藤と申します。以前は真理さんには大変お世話になっていまして」
 そう挨拶され俺も丁寧に挨拶を返す。

「正さん、真理さん、私達、正式に結納を交わして婚約する事になりました」
 斎藤さんがそう言って飛鳥を見ると飛鳥も斎藤さんを見て微笑む。う~んかなり熱い関係になってると言わざるを得ない。それでも二人ともお祝いの言葉を言って祝福する。まあ、この頃は皆熱いよなと、思っていたりする。
 だが、二人はとんでもない事を言い出したのだ。
「実はですね。僕達を紹介してくれた正さん御夫婦に仲人をやって戴きたいのですが……」
 はあ?仲人? 今はそんなものを立てる結納なんか無いだろうと俺は思った。真理ちゃんも、目を丸くして驚いている。それはそうだろう。それに恵も未だ小さいからこれは無理だと俺は思った。
「いや、それは無理だと思いますけど」
 そう俺が言うと飛鳥は
「やはり、そうですか、そうですよね」
 と肩を落として諦めの表情をする。俺は二人に
「今は、ほとんど仲人を立てない形式で結納すると思いますが、どちらかの家が、その様な事に煩い家柄なんですか」
 そう聞き返すと斎藤さんは
「実は私の家が、その方面に煩いのです」
 そう言うので俺は
「それなら、尚更俺たちじゃ不味いと思いますが……」
 俺はそう反論した。それはそうだろうと思うのだ。
 こんな若造夫婦だったら、親戚だとかがいい顔をしないと思う、例え本当に結びの神でもだ。誰か世間的にも良い人を立てる方が良いと思ったのだ。
「実際に夫婦の間で何かあったら、私達が相談に乗りますが……」
 そう言って、やっと納得してくれた。最も、後で考えるとこれは飛鳥の作戦では無かったかと俺は思い直したのだが、それは、結婚後に訊いてみようと思う。

 それはさておき、今日の為に用意したのは鯛の昆布締めを薄造りにしたものと、人参で鶴、筍で亀を切って、南京と煮た煮物、それに紅白のはんぺんの吸い物と言う献立だった。
 まあ鶴や亀などは余り店では作らないので、俺も久しぶりに作って技術を温存したという訳だ。飛鳥はそれを見て感心して
「うわ~、正さん今度教えて下さいよ」
 そんな事を言ってる。
「教えてもいいけど、ちゃんと出来るかな?」
 俺はそう言言い返したが、きっと飛鳥ならすぐに出来る様になるだろうと思う。こいつは努力家だから……

「いや~本当に美味しいですね」
 斎藤さんもそう言って褒めてくれたが。店に出れば善さんのほうが更に俺の上を行く。俺は未だまだなのだ。
 その気持を忘れてはならないとつくづく感じたのだった。

 昼過ぎに二人は帰って行ったが、最後まで飛鳥は
「気が変わったら、連絡くださいね」
 と言って本気だかなんだか判らない言葉を残して行った。

 俺と、真理ちゃんは天気がいいので、近くの公園に恵を連れて行く事にした。恵も首が座り、ベンチにも短時間なら座れる様にはなって来ていた。大きな瞳が良く動き、本当に愛くるしい。
 親バカにはなりたく無いが、なってしまう心も理解出来る様な気がした。乳母車から恵を出して、膝の上に乗せる。女の子なのに何か重い気がするのだが、気のせいだろうか。
「結構重たいでしょう」
 そう言いながら真理ちゃんが笑っている。
「この子、女の子なのにズシって重たいから、良く男の子に間違われるの」
 なんて言う事だろう、こんなにカワイイ子を男の子だなんて……うん? これが親バカなのか? そうなのか?
「でも、他の人はどう言おうが、この子は俺たちにとっては特別な存在だ」
 そう俺が言うと真理ちゃんも
「そうね、そうだよね」
 たまには親子で公園を散歩するのも悪く無いと思うのだった。

 店で仕事をいていると、柴崎さんの、その後の情報が色々と入って来る。どうやら、内視鏡で切除したので、本人には大手術をしたという感覚が余り無いそうで、その点で色々とあったらしい。
 何でも前と同じ様に食べてしまい、途中でトイレに行くはめになったとか、注文した量の半分も食べられなかったとか、試行錯誤を繰り返しているそうだ。
 そこで俺は柴崎さんに連絡をして、体調の良い日に店に来てくれる様に頼んだのだ。柴崎さんは喜んでくれて、日時を約束してくれた。
 その日は柴崎さんが好きだった料理を何点か用意していた。基本的には食べる時にゆっくりと良く噛んで食べる事が特に大事だと調べて判ったので、消化しやすく又噛みやすい献立にしたのだった。こういう事も今まで俺は良く知らないから勉強になる。

「正、御招きに預かりやって来たぞ。今日はどんなものを食べさせてくれるんだい」
 柴崎さんがニコニコしながらカウンターに座る。そう、この店も俺が居ない間に改装してカウンターを拵えたのだ。俺はゆっくりと柴崎さんに料理を前菜から出して行く
「量が少なくないか?」
 そう柴崎さんが言うが、俺は笑って誤魔化す。今の柴崎さんには量は必要無いのだ。ゆっくりと楽しむ事が大事だと俺は思ったのだった。

 最後のデザートまで柴崎さんは殆どを食べた。
「いや、旨かったよ。量も今の俺にはピッタリだしな」
「それは良かったです」
「腕を上げたな」
 俺は、まさか柴崎さんから本気でそんな言葉を貰えるとは思っていなかったので、驚いてしまった。
「相手の事を想ってこれだけの料理が作れる様になった。もう一人前と呼んでもいいな! だが料理にれで良いと言う事は無い。これからも精進して俺に旨いものを食わせてくれよ」
 そう言って柴崎さんは笑ったのだった。
 俺はこの時ほど、板前になって良かったと思えた時は無かったのだった……