目標 第29話 「見舞い」

 柴崎さんがらしくない言葉を残して帰ってから一週間後、入院したと訊いて、俺は、やはりな、と思って、病気の具合がどのようなモノなのか出版社の編集部に電話をして訊いてみた。
 すると幸運にも俺の事を柴崎さんから聞いたことのある人が電話に出てくれた。その人によると、やはり胃の具合が悪いので、一応検査入院をするという。
 だが、その人は「ここだけの話」と断って、柴崎さん自身は「胃がんじゃ無いかと思う」自分ではそう言っていたと教えてくれた。

 それを聞いて俺は胃がんなら胃を切除すれば助かるだろうが、一年間は思うように食事が取れなくなると思い、それは柴崎さんには辛い事だと思ったのだ。
 家に帰って来て妻の真理ちゃんにその事を言うと真理ちゃんも大層驚いて
「お見舞いなら私も一緒に行きます!」
 そう言って俺の顔を見つめるのだ。
「手術前に行くか?」
 そう訊くと真理ちゃんも
「そうねえ……でも、手術後の姿を柴崎さんはきっと見られたく無いと思うの」
 俺も同じ考えだった。夫婦で気が合うのは喜ばしい。それに術後だったら、もっと後で体力が回復した頃が最適だと思った。
「手術前に行こう!」
 そう言って柴崎さんの予定を探り出して、手術の前と思われる日に行く事に決めた。

 その日、俺と真理ちゃんはベビーカーに恵を乗せて柴崎さんが入院している病院に向かった。受付で部屋を訊いて、その階にエレベーターで向かう。
 エレベーターを降りてナースステーションの前を通り過ぎて行く。その部屋の前まで来て中を覗くとベッドが三つ並んでいて、一番手前のベッドの柴崎さんは座って本を読んでいた。どうやら隣のベッドはどうやら空いているようだ。
「こんにちは柴崎さん」
 真理ちゃんが優しく声を掛ける。本を読んでいた顔を上げて、目線をこちらに向けると
「なんだ、バレていたのか!あちこちに緘口令敷いたのにな」
 そう言って苦笑いをしている。
「この前、店に来た時、なんか変で、らしくない事を話していたので、若しかしたらと思ったんですよ。そしたら、やはり……」
 俺はそう言って柴崎さんの顔を見ると柴崎さんも思わず笑う。しかし、それを誤魔化す様に
「おっ! その子が恵ちゃんか」
 そう言って話を恵の話にそらす。
「正にそっくりだな。う~ん奥さんの真理ちゃんに似れば幸せな一生を過ごせたのにな」
 そう言って笑ってる。
「柴崎さん、そのうち母親に似てきますよ」
 俺がそう言うと真理ちゃんも
「そうですよ。でも正さんもそれほど酷く無いです!」
 そう言って反論する。
「ありゃ、これは言われたな」
 柴崎さんは笑って恵の顔を見ている。

「検査の結果はどうでした?」
 俺は肝心の事を訊いてみると、柴崎さんは
「ああ、立派な胃がんだったよ。一週間後手術だ。そうなると当分旨いものは食え無くなる」
「やっぱりそうでしたか……食べる事が好きな柴崎さんが胃がんだなんて……」
「そう言うな!一年もすれば前と同じ様になる。最もその前に店に言って我侭放題の注文をするから覚悟しておけよ」
 柴崎さんはそう言って笑っていた。これだけの口が利ければ、大丈夫だろうと思い、長くなっても失礼なので、それからバカ話をして失礼する。
 帰り際、そっと真理ちゃんが「お見舞い」を枕の下に滑り込ませる。
「そんないいのに……」
 そう言っていたが、いくらあっても困る事はないのでそのまま置いて行く。帰る時に柴崎さんの奥さんと入れ替わる様に出会う。挨拶をして、奥さんにお礼を言われ、恐縮して、病室を後にする。
「やはり、来て良かったな」
「うん、そうだね」
 二人でそんな事を言って今、出て来た病院をもう一度見上げて心の中で
「必ず戻って来て下さいね」
 そう思うのだった。

 それから一週間後、柴崎さんの手術が成功したと伝えられた。店の皆で喜ぶ。本当に良かった。
 何にしろ、転移してなかったのが良かったと思うのだ。
 だが、柴崎さんの大変な思いはこれからだと思う。何でも胃を三分の二を削除したそうだ。どうか、短気を起こさないで、リハビリをして欲しいと思うのだ。
 その日、までに、もう一度柴崎さんが店に来るまでに俺は、本当の板前になりたいと思うのだった。