目標 第27話 「我が子~命名~」

 生まれてから二日後、真理ちゃんと俺は我が子に直に触れる事が出来た。最も俺は怖くて抱けなかったが、真理ちゃんはもう母親の顔でお乳を与えていた。
 それまでは搾乳器で出して、看護婦さんが与えていたのだ。乳房に口をあてて頬を凹ませまがらお乳を吸う我が子を見て『沢山飲んで大きくなれよ』と思うのだった。

 真理ちゃんの両親も、生まれた日に来る予定だったが、事情を話したら、この日に出て来る事になった。俺のお袋は、俺たちの後に面会してもう「私がお祖母ちゃんだよ」と保育器の外から語り掛けたらしい。
 お腹一杯になった赤ん坊は母親の横でもう眠っている。それを見ている真理ちゃんの優しげな笑顔を見ていると、俺も優しい気分になって来る。
 お昼前に真理ちゃんの両親が病院に到着して初対面となった。二人共初孫なので、それは嬉しそうだ。
 皆に祝福されて生まれて来たこの子は幸せだとつくづく思う。世の中には自分のせいでは無いのに、忌み嫌われて生まれて来る子もいる。それに比べて幸せだと思うのだ……

 真理ちゃんのお乳も良く出ている様なのでその点は安心だった。出が悪く人口栄養との混合という場合も考えられるからだ。
 理論的には兎も角、やはり母親から直接飲んだ方が安心感はある。その点だけでも俺は良かったと思うのだ。
 例えこの娘が将来障害が残ろうとも、俺が生きている間は支えてやりたいと思うのだった。

 そんな状態で入院の一週間はまたたく間に過ぎて行った。一月の五日は飛鳥も子供を見に来てくれた。
 そして退院の七日になった。俺は昼だけは休ませて貰い、病院でタクシーを呼び、俺とお袋と真理ちゃんと子供が乗って家に帰って来た。
 既にベビーベッドも用意してあるし、肌着や色々なものもちゃんと真理ちゃんに言われた通りにしてある。え? 言いなりじゃ無いかって? そんな事は無い、これは夫としての優しさだと思うのだが……

 赤ん坊は家に帰って来て、興奮しているのか見えていないだろう目をパチクリさせている。細かい事はお袋がやってくれるので助かる。そう思って見ていたら
「お前も早く覚えてやるんだよ」
 そう云われてしまった。でも今日はこれから仕事なので、任せて仕事に向かった。


 正月の店は忙しい。
新年会や、各種の集まりなどがあり、それに加えて冬の味覚が美味しくなる時期だし、何と言っても鍋の季節だから、ただでさえ忙しいのだ。店に顔を出すと、色々と言われたりする。
「正さんはもう親バカになってるんじゃ無いですか」とか
「正さんはもう可愛くて仕方ないんでしょう」と何回も言われてしまった。
 店を終わり、家に帰ると真理ちゃんはうたた寝していた。そうなのだ。この時期赤ん坊は夜中でも授乳させるので、母親は熟睡出来ないのだ。代われるものなら、とも思うがどうしようも無い。
 人口栄養なら、夜中に俺が起きてという事も考えられるが、母乳ではそうはいかない。でも今夜は未だ授乳には時間があるしい。
枕元の目覚ましは二時にセットされていた。それまでは俺も隣で寝る事にする。

 目覚ましの音で目が覚める。ちょうどグッスリと寝込んだ頃だった。真理ちゃんが
「ごめんね。起こしちゃって」
 そう言うが、別に謝る事は無いのだ。
「大丈夫だよ」
 でも俺がやる事は無いのだ。飲み終わると赤ん坊はゲップをする。せいぜい、その時に背中を軽く叩くしか用はないのだ。
 それでも、真理ちゃんを寝かせ、未だ起きている赤ん坊を俺が抱いて寝かせる。ベッドに寝かせる頃には真理ちゃんは既に夢の国に行ってしまってる。こんな暮らしがそれから暫く続いた。
馴れというのは恐ろしいもので、夜中の睡眠不足を俺は休憩時間に寝る事で解消して、
二時の授乳は起きている事にした。それが終わってから寝るのだ。当然、朝の授乳にも付き合う。真理ちゃんは
「寝ていても良いのに」
 と言ってはくれるが、そうは行かないと想うのだ。

「名前、つけなくちゃね」
 そうなのだ、名前を付けなくてはならない。期限は生まれてから十四日だから、もうそんなに時間は無い。
そう二人で話していた時だった。不意に真理ちゃんが
「ねえ、この子、あんな生まれ方してきて他の子とは違う経験をもうしたのよね」
 そう言って寝ていた赤ん坊の頬を優しく触る。
「確かに、そうだな。きっと将来本人は覚えていないだろうけど、それは確かだね」
 俺が答えると真理ちゃんは
「だから、これからこの子が恵まれた人生を送る事が出来る様に、恵、ってどうかしら?」
「恵? めぐみか……いいな! 良い名前だよ。それにしよう!」
 この時俺の長女の名は恵と決まった。

 翌日午前中早くに、区役所に俺でだけで届けに行った。真理ちゃんは未だ外出は無理っぽかったからだ。
 でも、これからは小さくても自動車が必要かも知れないと俺は思った。夜中に恵が発熱したりとか、休日診療所に行く時とか、必要になって来るかもしれない。俺はそう思い始めていた。
 出生届を病院の証明書と共に提出して、正式に名前が恵と決まった。

 その日はそのまま仕事に行ってしまったのだが、夜帰ると、ベッドの所に半紙に墨で「命名 恵」と書いて貼ってあった。
「これ誰が書いたの?」
 そう真理ちゃんに訊くと
「お義母さん。上手いでしょう」
 確かに上手かったというより、お袋がこんなに字が上手いとは今まで知らなかった。それを言うとお袋は
「「能ある鷹は爪を隠す」って言うんだよ」
 そう言って笑っていた。

 この日、俺の娘に「恵」と言う名前がついたのだ……