目標 第25話 「出産」

 真理ちゃんのお腹は本当にせり出して来て、臨月に入ったら下に降りてきたので増々大きく感じた。俺はなるべく一緒にお風呂に入ってやり、体の届き難い場所を洗ってやったりした。
 正直、臨月の妊婦の体は普段と全く違うという事が判った。そうほんとに、もう母親になる準備をしているんだと判った。

 もう準備も整って、何時でも大丈夫と言う具合になった。この時俺は予定日に生まれると完全に思っていた。年末の慌ただしさも尚更だったが、俺は今にもうまれるのでは無いかと気が気じゃなかった。
「駄目だな、こんな事では平常心を失うなんて」
 そうつぶやいていたら、善さんが
「俺も最初の子供の時は包丁が手につかなかったよ」
 そう言ってくれた。店長も
「営業中に生まれたら早引きして帰っていいからな」
 そう云われていたのだが、とうとう二十八日の予定日は何も無かった。
 家に帰って真理ちゃんに
「どう?」と訊くと真理ちゃんも「まだみたい」
 そう言って苦笑いをした。
「この子きっとのんびり屋なんだよ」
 そう言ってお腹をさすっていた。

 結局予定日は何も無く通り過ぎてしまった。二十九日の営業最終日の昼休みに飛鳥から電話が掛かって来た。
「え~生まれ無かったのですか! 初産って早くなるんじゃないでしたっけ?」
「知らんよ、そんな事は」
「正先輩、計算間違えたんでしょう」
「なんで俺が計算するんだ?」
「だって真理ちゃんが間違える訳ありませんからね」
 全く、この前ウチで涙を流していて、あの時は『飛鳥も女の子だったんだな』と思って感心したのに……やっぱり可愛く無い!
「じゃあ、生まれたら兎に角知らせるよ」
 そう言って電話を置いた。この日も何も無かった。

 とうとう三十日になって産科の先生から連絡があり
「年末年始になるから、念の為もう入院した方が良い」というものだった。
 確かに、普段とは違うだろうし、それに先生は
「あんまり遅くなると良い事は無いので、その場合は促進剤を打つから、その為にも入院して欲しい」
 という事だった。確かにそうなのだ。飛鳥も先ほど
「あまり遅いと返って良く無いですよ」
 そう言ってくれたので、俺は、入院させる決断をして、真理ちゃんに、その事を告げた。
「うん、そうだね、私もそう思う」
 俺はタクシーを呼んで、荷物と一緒に真理ちゃんと病院に向かった。お袋も
「しっかりね。頑張るんだよ」
 と何だか変な激励をした。
 そうして入院したのが三十日の夕方で、その日も入院の手続き等で終わってしまった。
「今日も無かったか……」
 俺がつぶやくと、真理ちゃんが
「もう家に帰った方がいいよ。何かあったら病院から連絡が行くから」
「そうか、そうだよね……判った。一旦帰るわ」
 そう俺は言って家に帰った。

 それは、大晦日の夕方にやって来た。病院から連絡があり午後四時に出産準備室に入ったそうだ。生まれるまでは未だ間があるから、慌てないで来て欲しいとの事だった。
 俺はお袋と、水海道の真理ちゃんの親に電話をする。すると、
「明日の朝立つ」との事だった。
 年越し蕎麦を食べて、お袋と病院へ行く。看護婦さんが言うには、恐らく深夜か、早朝では無いか、という事だった。それまでは待合室で待つしか無いのだ。
 年末のテレビが写されているが全く頭に入ってこない。紅白もどうでも良くなった。何処からか、除夜の鐘が聞こえて来た。そうかもう新年かと時計を見ると十二時少し前だった。
「誕生日は元旦か?」
そう思うと何だか可笑しかった。
テレビに「あけましておめでとう」の文字が写り、年が明けたのが判った。
だが、我が家の『おめでとう』はこれからだ。
 ああ、何だかジリジリとする。男親なんて皆こんな気持なんだろうか?やはり女性は強いな、男の俺なんて何もしないのに、こんなにヘタレでいるのに、真理ちゃんは痛みや恐怖と戦っているのだと思うと本当に感謝しなくてはと思うのだ。

 それからどれぐらい経ったろうか、廊下がやけに騒がしい。産科の先生が顔色を変えて分娩室に入って行った。何かあったのだろうか?大丈夫なんだろうか?と不安になる。
 まさか……嫌な予感がする。お袋も
「なんか様子が変だよこれ」
 そう言うので余計にそう感じてしまう。何があったのだろうか?

 それから暫く経って看護婦さんが
「生まれました、女の子です。おめでとうございます」
 そう言って祝福してくれたが、
「事情があり、すぐには面会出来ません」
 そう云うでは無いか?
「何故ですか?どうして我が子に会えないのですか」
 俺はそう言って食い下がると看護婦さんは
「後ほど先生から説明があります」
 そう言って去って行ってしまった。
 一体、どうしたと言うのだろう? なんなのだろう? 不安ばかりが俺を襲うのだった。