「氷菓」二次創作 再会 2

 新幹線のこだま号は、岐阜羽島のホームに滑り込むように到着しました。 滋賀県湖南市のある会社の研究所から数時間かかりましたが、駅には父が車で迎えに来てくれていました。今夜は実家に泊まり明日の同期会に備えます。
 昨年と一昨年は色々とあり同期会には出席出来ませんでした。特に昨年は正直それどころでは無かったのです。会社の同僚の元夫との離婚の問題が上がっていたからです。元夫とは会社の研究施設で出会いました。最初は特に気にも留めなかったのですが、同じ研究でチームを組むと、「同士」という気持ちが湧いてきたのです。それはかって在籍した神山高校の古典部の頃を思わせました。
 折木さんとの関係が自然消滅してから数年。久しく忘れていた感触でした。彼も同じ想いだったのかも知れません。やがて同僚以上の関係になり結婚をしました。そこにかっての同級生であり同士だった折木さんの影を見たのは事実かも知れません。
 でも結婚生活は思っていたようには行きませんでした。わたしは妻として夫を支えながら研究者としてやっていた積りでしたが、彼としてみれば、自分の研究を優先させて欲しいと考えていたのでした。自分の早番の時に昨夜、遅番だったわたしが彼の為に早起きをして朝食の準備などをしていたのですが、それが彼にとっては重荷になったみたいです。
 わたしの気持ちが彼には段々通じなくなって行くのが判りました。一年を過ぎる頃にはとうとう別居に進んでしまいました。わたしは一人で思い悩んでいました。そんな時に折木さんから年賀状を戴きました。わたしは、これは何かの天啓だと感じたのです。はがきに書いてあった住所に年賀状のお礼の言葉と「実は相談したいことがあります」と書いて年賀状を出したのです。
 返事はすぐに来ました。そこには自分の携帯の番号が書かれており、「いつでも連絡して欲しい」と書かれていました。わたしは、折木さんの仕事に差し障りのない時刻を選んで電話をしてみました。
「もしもし折木さんですか。えるです。千反田えるだったえるです」
 そんな奇妙な言葉が口から出てしましました。折木さんは半分笑いながら砕けた感じで
「久しぶりだな。どうやら余り元気そうではないな」
「わたしの一言で判るのですか?」
「まあ、相談があると言う前段があるからな。没交渉だった俺に相談なぞするのは、よっぽどの事だろうとは想像がつく。それに今の言い方でも間違いの無いように名乗ったろう。普通はあんな言い方はしない。素直に『千反田です』と言うだろう。俺はお前が結婚して名字が変わった事もその後住所が変わったはがきも貰っている。おおよその想像はつくというものさ」
 さすがは折木さんだと思いました。わたしは嬉しくなり、心に貯まっていたものを折木さんに聴いて貰いました。そうしたら
「そうか、そんなに混み入っているなら電話ではなく一度逢おうか。直に聞きたいからな。そっちに都合はつけるよ」
 いきなり電話しただけでも大変なのに、その上直に相談に乗って貰えるとは思ってもいませんでした。
「ありがとうございます! では……」
 日時と場所を約束しました。場所は京都まで折木さんが来て下さることになりました。京都なら割合すぐに出られます。
 逢った折木さんは姿は大人になっていましたが、表情や面影は昔のままでした。それが嬉しかったです。わたしは正直に経過を話しました。今や、お互いの想いが離れてしまっている今の状態では傷が浅い内に別れた方が良いといアドバイスをくれました。その考えがわたしと同じ想いだったのが心強かったです。
 その後の離婚までの交渉は大変でしたが、何とか協議離婚が成立しました。折木さんにも電話ですが報告しました。そうしたら
「とにかく、良かったな」
 多くは言いませんでしたが、一緒に喜んでくれました。 仕事上の元夫との関係ですが、結婚した時に、彼は研究所から付属の専門学校の教授になり、別な職場になっていました。大きな農場に研究施設とその技術者を育てる専門学校が併設されています。両者は農場の左右に別れているので顔を会わせる事は殆どありません。それだけは有難かったです。
 父の運転する車で実家に向かいます。陣出が近づくに連れて心にやすらぎが浮かんで来るのが判ります。父は
「二三日ゆっくりして行けるのか?」
 ハンドルを握りながら前を向いたまま話かけます
「はい三日ほど休暇を戴きました」
「そうか」
 父はほっとした言い方でそう口にしただけでした。やがて車は坂を登り陣出に降りて行きました。
 
 摩耶花さんがわたしの膝を軽く突きます。私も「はっ」として立ち上がり折木さんの後を追います。
「どうした千反田」
「いいえ、折木さんの為に何か料理をよそってあげようかと思いまして。折木さん好きなものしか採らないと思いましたから」
「はは見抜かれていたか。でも元気そうで何よりだ」
「折木さんのおかげです」
「俺は何もしなてない」
「でも、折木さんの言葉があったから、わたしは行動に移せたのです」
「みんなお前が自分で成し遂げたことさ。ところでグレープフルーツジュースでいいか?」
「あ、はいそれでお願いします」
 わたしが折木さんの食べる料理を幾つかの小皿に載せて運びます。折木さんは両手にグラスを持って歩いて行きます。わたしは後ろから
「二次会へは出られますか?」
 そう尋ねると
「ああ、そのつもりだ。休暇を取って来たからな」
「そうですか、それは嬉しいです。それと報告があるのです」
「報告? なんだ」
「はい、十月の秋の移動で茨城の研究所に移動になります」
「茨木というと霞ヶ浦を望むあの農場兼研究所か」
「ご存知なのですか?」
「ああ、仕事で年中訪れているよ。俺の勤務先は商社の農業部門だからな」
 そう言って後ろを振り向きました。その表情を見てわたしは、もしかしたらこれから、わたしと折木さんの新しい関係が始まるのではないかと思うのでした。

「氷菓」二次創作 再会 1

 夏の日差しの中を高原から降りて来る風が木々の葉をを揺らして吹き抜けて行く。会場のホテルへは自宅から歩いて行ける距離だった。高校を卒業して幾度目の同期会だろうか。思わず指を折って数えてしまう。わたしの隣ではふくちゃんが受付の名簿に名前を書いてくれている。男女とも在学中の名前と今の名前を書き込む。わたしの場合は「伊原摩耶花」と「福部摩耶花」となる。ふくちゃんはそのままだ。
「摩耶花の分も書いたからね」
「ありがとう」
 礼を言って会場の中を見渡す。
「居たかい?」
「ううん。未だみたい」
「そうか。でも今日は来ると言っていたんだろう?」
 夫の質問に昨晩の電話での会話が思い出された。
『ちーちゃん。明日は来るのでしょう?』
『はい。やっと落ち着いたので今回は参加させて戴こうと思っています』
 電話の向こうのちーちゃんの声は弾んでいた。無理もない。半年前、彼女は離婚をしたのだ。その後の色々な処理がやっと終わったのだろう。わたしは離婚を経験した事はないが、一時、ふくちゃんと疎遠になったことはある。わたしが高校を卒業して美術系の短大に進学したのだが、在学中に大きなコンテストに入賞して作品が漫画雑誌に連載されたのだ。そしてプロとして歩み始めた頃だった。学業に連載に忙しくて毎日時間が足らなかった。その頃、半年ばかりふくちゃんと音信不通になってしまったのだ。
 やっと落ち着いて、わたしはふくちゃんと連絡を取っていない事に気がついたのだ。そして暫くぶりに連絡を取ってみた。恐る恐るだった。怒られるだろう。なじられるかも知れない。そんな気持ちだった。
 でも、電話に出たふくちゃんの第一声は、わたしのことを心配する言葉だった。それを耳にした時『わたしは絶対この人を離しては駄目だ』と強く思ったのだった。そしてふくちゃんの大学卒業を待ってわたしたちは結婚をした。
 ちーちゃんは京都の国立大の農学部に進学した。千反田の家を継がなくても良くなったとはいえ、やはり彼女の想いは陣出にあり、農作物の研究をしたかったのだと言う。同じ古典部で活動していた折木奉太郎は関西の大学には進学せず東京の大学に進学し、二人の関係は疎遠になった。当初は連絡を取り合っていたみたいだが、ちーちゃんの研究が忙しくなると、それもままならなくなったみたいだ。
 ちーちゃんは大学を卒業すると種苗会社に就職した。今や農家にとって種苗会社との関係は深い。なくてはならない存在でもある。そして、そこでの研究は彼女の想いを達成するのに近道だったのだろう。
 わたしは、ちーちゃんと頻繁に連絡を取っていたが折木からは年賀状が届く程度だったそうだ。その後ちーちゃんは会社の人と一緒になった。でも1年半で結婚生活は破綻したのだ。それが半年前のことだった。離婚の理由は研究者同士の暮らしではしっかりとした家庭を築けなかったことだった。ちーちゃんも相手の人も会社での研究中心の生活だったそうだ。今ではちーちゃんも姓は「千反田」に戻っている。
「今日、ホータローは来るかな」
 ふくちゃんとしても久しぶりに折木と話がしたいのだろう。その言い方で判った。
「さあ、連絡はあったの」
「少し前に電話したんだ。そうしたら出席の返事はしたと言っていたよ。だから来れば良いと思うんだよね」
 その時だった後ろから声を掛けられた
「摩耶花さん。こんにちは。時間に間に合いました」
 後ろを振り向くとちーちゃんだった。背中まで伸びた長い髪。夏らしいオフホワイトのワンピースが涼しそうだった。素直に綺麗だと思った。
「良かった。もしかしたらと思ったのよ」
「大丈夫ですよ。もう元の生活に戻りましたから」
 ニッコリと微笑んだ姿は元のちーちゃんだった。
「そろそろ中に」
 幹事の声で三人で会場に入る。今日は立食で会場の四隅に椅子とテーブルが置かれている、その傍に料理や飲み物が置かれているのだ。まあ同期会などではそれぞれが旧友との会話に忙しく料理をゆっくりと食べている暇なぞない。だからちゃんとしたコース料理より立食の方が都合が良いのだ。

 学年の教務主任だった先生の乾杯の挨拶が終わり同期会が始まった。それぞれが料理を取りに向かう。そして懐かしい相手と楽しい時間が始まった。
 わたしの所のテーブルには、わたし、ふくちゃん、ちーちゃん。そして十文字さんとが一緒になった。一通りの会話が終わると十文字さんがちーちゃんに
「える。今日は折木君来るのでしょう?」
 いきなり突っ込む
「そうなんですか!? 摩耶花さんから聞いてはいますが未だ来ていないようですね」
 ちーちゃんはそう言って遠い目で会場の入り口を見ていた
「もし折木くんが来たらどうする」
「どうすると言っても……わたしはバツイチですし」
 そう言って下を向くので、わたしは
「そんなの関係ないと思う。ちーちゃんが折木の事を本当はどう思っているのかが大事じゃない」
 思わず心に思っていた事が口から出てしまう。ふくちゃんが
「どうやらその人物が来たみたいだよ」
 そう言って入り口の方に顔を向けた。そこには背広姿の折木が受付名簿に名前を書いている所だった.
「ホータロー! こっち!」
 早速ふくちゃんが手を挙げて折木を呼び込む。それを確認した折木はゆっくりと歩いて来る。その目がちーちゃんに注がれているのが判った。やがて折木がわたしたちのテーブルにやって来た。
「列車が遅れてね。もう一本早いヤツにすれば良かったよ」
 そう言って丸いテーブルのちーちゃんの向かいに座った。
「何か取って来たら」
 わたしがそう言って勧める。ちーちゃんが一緒に行って何かよそってあげたら良いと考えたのだ。
「ああ、そうだな今のうちに何か腹に入れておくかな」
 そう言って立ち上がって歩き出したので、わたしはちちゃんを突っいた。ちーちゃんも慌てて立ち上がって折木の後ろを追いかけて行った。
 後ろから見ていると二人は自然な感じで会話をしていた。ちーちゃんがお皿に色々な料理をよそって行く。折木は飲み物を二つ選んでいる。一つはビールだろう。もう一つはアルコールの飲めないちーちゃんの為にグレープフルーツのジュースだった。
 席に戻って来ると高校の時と同じような雰囲気で会話が弾む。わたしもふくちゃんも、十文字さんも、そして折木とちーちゃんも、あの頃に戻っていた。そうしたらちーちゃんが折木に
「折木さん、色々とありがとうございました。おかげで助かりました」
 そんなことを言う。すると折木は
「いいや大した事はしてない」
 そう言ってグラスのビールに口を着けた。
「え、二人は連絡を取っていたの?」
 十文字さんが驚いてフォークに挿した生ハムをお皿に落としてしまった。わたしも初耳だった。
「まあ、最初は結婚生活が上手く行かない相談を受けたのが始まりだけどな」
 わたしも折木に質問する
「なんであんたに相談したの?」
「そんなの俺には判らないが、年賀状だけは毎年出していたからな」
 折木がそう推測するとちーちゃんが
「そうなんです。わたしと元夫の中を余り知らない折木さんなら、どのような結論を出してくれるか気になりまして」
 そうか、わたしや十文字さんは色々な事情を知りすぎている、それに昔からちーちゃんは折木の推理を聴きたがっていた。
「ま色々な事情を聴いて別れたほうが良いと思ってアドバイスしたんだ」
「そうだったの。全然知らなかった」
 全くわたしも十文字さんと同じだった。
「でも最終の結論は自分で出したのですよ」
 何故かそう言ってちーちゃんは嬉しそうな表情をした。
「そう言えば折木は結婚は?」
「俺なんかのしがないサラリーマンには嫁の来ては無いよ。未だに独り者だ」
 そう言って笑っている。でも、わたしは少し嬉しかった。離婚の相談とはいえちーちゃんと折木の関係が復活したのだから。
 今後、この二人がどのようになるかは誰にも判らない。昔のような関係になるのか、友達のままなのか。それはきっと本人達にも判らないだろう。わたしや周りの人間は只見守るだけなのかも知れない。

「氷菓」二次創作 奉太郎と弓を射る千反田さん

 それは、あの事件の記憶も冷めやらぬ頃だった。これは記録として残しておきたいと思いここに記す。但し、他の誰でもない自分の為に。

 高二の夏休みも八月に入っていた。二週間も経った今では、あの雨の中を迎えに行ったのさえ本当だったのか怪しいものに感じていた。
 その日は特に暑く、家でクーラーの申し子と成り果てていた。こんな時学生はありがたい。姉貴などは社会人なので気ままな暮らしは出来ない。それは仕方ないだろう。但し貧乏な高校生にはお金は無い。
 朝から高校野球の中継が掛かっていて、何とも無くそれを視界の隅に留めていた。他に新聞を読むでも無く、小説を読む気力も残ってはいなかった。何気なしに電話の方を見たら、俺の視線に気がついたのか突然鳴り出した。徐に受話器を手に取る。
「はい折木ですが」
「ああ、折木さんですか、良かったです」
 電話の主は千反田だった。思ったより元気そうだった。あいつの身に何が起きたのかは判らないが、その声を耳にしただけでこちらの気持ちが和らいだ。
「どうした。また何かあったのか?」
「いいえ、先日は本当にお世話になりました。心より感謝しています」
「そうか。それは何よりだ」
「本当なんですよ!」
「別に嘘とは言っていない。それに何の用で電話をしたのだ?」
「ああそうでした。忘れるところでした」
「忘れるほど軽い事なのか?」
「まあそうですね。それほど重大ではありません」
「じゃ切るぞ!」
「ああ待ってください。今日はお暇ですか?」
「今日か? 家でゴロゴロする用事がある」
「大事な御用ですか?」
「そうでもないが休養は大事だ」
「そうですね。でも少しお出かけして見ようとは思いませんか?」
「どこにだ?」
「市のスポーツセンターです。そこの弓道場です」
「弓道場? お前弓道なんかやるのか?」
「前から少しやっていましたよ。趣味にもならないぐらいですが」
 千反田の言葉を耳にして、ある思いが浮かんだ
「もしかして『神山令嬢倶楽部』か?」
「そうです。今日は『神山令嬢倶楽部』の有志が集まり、市のスポーツセンターの弓道場で弓を射るのです」
 そこまで言って千反田の思惑が読めて来た。要するにコイツは自分の弓を射る姿を俺に見せたいのだと思った。
「お前、人に見せるほど上手な腕前なのか?」
「そうですね。入須さん程ではありませんが、倶楽部の中ではそこそこだと思います」
 頭の中で千反田が弓道着に身を包み弓を射る姿を想像してみる。案外見ものかも知れないと思った。
「何時からだ?」
「午後の二時からです。会場は二時間抑えてありますが、事実上一時間もやれば良い方だと思います。来て頂けますか?」
 正直、夏の勝っ盛りに炎天下を移動するのは辛いと思ったが、千反田の弓道着姿を見たくて返事をしてしまった。
「判った。市のスポーツセンターの弓道場だな?」
「はいそうです」
「午後二時からなんだな?」
「はい。お待ちしています」
 千反田の期待を込めた声を耳に残して受話器を置いて時を確認すると午前十一時を少し過ぎた頃だった。昼飯を済ませてもたっぷりと時間はあった。

 炎天下の中、自転車を走らせる。スポーツセンター迄は二十分もあれば着くはずだった。自転車置き場に自転車を置いて「弓道場」と書かれた案内板を頼りに進む。時間を確認すると一時四十五分になろうとしていた。余裕だと思った。
 長い廊下を歩いて行くと突き当りが「弓道場」らしかった。入り口のドアを開けると手前が観覧出来るようになっており、その奥が弓を射る場所でその先が開けていて、かなり遠くの突き当りに的が等間隔に並んでいた。あそこの中心に弓を射るのだろう。的は全部で七つあった。つまり七人が同時に射ることが出来るという訳だ。弓道場は壁も床も木目で出来ていて木の香が心地よかった。
「あ、折木さん。もう来てくれたのですね」
 その声に振り向くと千反田を初め、大勢の女性が姿を表した。その中に入須先輩の姿もあった。
「おや折木くんじゃないか。久しぶりだな。君も弓道に興味があるとは思わなかったよ……ああ、そうか千反田がらみか。ならちゃんと見て行った方が良い。君の想い人は素晴らしい腕だからな」
「入須さんそんな事を言っては……」
「半分は本当。もう半分は冗談だ」
 入須先輩はそう言ったが、想い人というのは少なくても当たってはいる。
 千反田を初め、女性陣は白い上着にレザーの胸あてをして黒の袴をしている。袴の帯はそれぞれが好みの色を使っているみたいだ。白い足袋が眩しい。
 各人が矢筒や弓を取り出して準備をしていく。準備の出来た者から射るみたいだ。試合では無いので各人が徐に射るみたいだ。
 千反田も準備が出来たみたいだ。長い髪を頭の後ろで纏めてあり、普段では見られない姿と相まって中々の見ものだった。
「折木さん。私の弓道着姿いかがですか?」
 嬉しそうに言うその声は明るかった
「ああ良く似合っているよ。旧家なんだからやっていても当然なのかもな」
「そう言って頂けると嬉しいです。それでは射りますから見ていてくださいね」
 千反田はそう言って弓と矢を持って射る場所に移動した。俺は千反田の姿が良く見える位地に移動した。
 千反田は右手で矢を掴むと弓の弦に当てて思い切り強く弓を引いた。そして狙いを定める。千反田の視線が真剣なのが分かる。
 恐らく己の呼吸と感覚を調整しているのだろう。精神を集中しているのが分かる。そして、それがピークになった瞬間、矢が放たれた。
 矢は真っ直ぐ飛んで的の中央に突き刺さった。見事なものだと思った。
「千反田、中々良いぞ!」
 入須先輩が声を掛ける。俺も
「見事だったな」
 そう言って褒めた。千反田は少し嬉しそうな表情をしただけだった。恐らく集中力を切らしたく無いのだろう。続けて二本目を射ると今度も的の中央に突き刺さった。千反田の集中力は素直に凄いと思った。
 真剣な眼差しで的を睨んでる千反田の表情も中々良いものだと思った。凛とした格好良さとでも言うのだろうか。
 結局最初は五本射って三本が的の中央に当たり、二本が僅かに逸れたのだった。その後は他の者と交代となった
 俺の所に千反田がやって来て二人で並んで観る事にする。
入須先輩は五本全部が中央に当たった。
「やはり入須先輩は凄いです」
 千反田はそう言ったが、俺にとっては千反田の凛とした姿や表情の方が収穫があった。
「なあ千反田。次の時も声を掛けてくれよな」
 そう言ったら千反田は嬉しそうな表情をして
「もちろんです。折木さんが見に来て下さると、わたしの成績も上がりますから」
 そう言った。その表情を見て本当に来てよかったと思う。もしかしたら千反田が射抜いた的は俺の心だったのかも知れないと思った。


                      <了>

「氷菓」二次創作 Moment to fell in love(恋におちた瞬間)

 夕日がもう真っ赤に街を照らしていました。何時もの商店街の交差点で折木さんと別れ家に向かって自転車を漕ぎ始めました。
 先ほど感じた胸の高鳴りは、まだ収まりそうにありません。今まででこんな経験は初めてです。どうしたのか自分でも良く判りません。
 折木さんが語った言葉『無神経というか、つまり人の気も知らないでという感じか。多分二度と小木には会わないから、人の気も何もないんだが』が今でも耳の奥に残っています。 
 その言葉を聴いて、わたしは折木さんの本当の優しさを見た気がしました。二度と会う事もない人のことまで気にかけておく……普通はそんなことまで気が回りません。それなのに……。
 普段は『やらなくても良いことはやらない。やらなければならないことは手短に』などと言っている人ですが、わたしは、そんなことを実行してる折木さんの姿は見たことがありません。それよりも、寧ろ常に人の為に行動している方だと感じていました。普段から例のモットーを口にしているのは、本心を知られたくない照れ隠しだと感じていたのです。
 でも本心が判った今、わたしの心は揺れています。常に人に対して先までのことを考えている人なのだと思いました。
 もう日が暮れてしまっています。その中をライトの灯りを頼りに自転車を漕いでいます。ありえないことですが、ここに折木さんが一緒に並んで走っていてくれれば、どんなに素敵だろうかと思ってしまいました。普段はそんなことを一度も思ったことさえ無いのにです。
 折木さんはもう家に着いたでしょうか。明日も古典部に顔を出してくれるでしょうか。もし幸いに二人だけなら、真っ先に美味しいお茶を入れてあげようと思います。そして二人で楽しい会話をしたいと思いました。
 もうすぐ家です。この辺りまで帰って来て、わたしは自分がおかしいことに気が付きました。先程から折木さんのことばかり考えているのです。こんなことは今まで一度もありませんでした。
 頭の中に、いいえ心の中に折木さんが住み着いてしまった感じなのです。それは折木さんは同級生ですし、同じ古典部の仲間でもあります。親しいのは当たり前です。一緒に合宿もして幽霊の謎を調べました。雛のわたしに傘をさしてくれました。その時わたしは判りました。あの頃から折木さんはわたしの心の中に住んでいたのだと。
 つまり、わたしは恋に落ちたのだと自覚しました。これが恋なのですね。人を愛するということなのですね。何を考えても心に想う人が真っ先に浮かび、それを想うと心が苦しくさえなる……。これが恋なのですね。
 でも、でもそれならば恋とは何んて素晴らしいのでしょうか。人を好きになるという幸せをわたしは感じながら家に着きました。
「おかえりなさい」
「ただいま帰りました」
 恐らく母はわたしの状態が普段とは少し違うと言うことに気がついたでしょうか。
 夕食を食べて、お風呂に入って、授業の予習をします。机に向かっていても視線の先に浮かぶのは折木さんの姿なのです。明日も逢いたい。出来れば二人だけで……わたしは何と恥ずかしいことを考えているのでしょうか。でも、でもそれが本心なのです。
 机に向かっていても勉強が全く進まないので寝ることにします。布団を敷いて横になります。暖かい掛け布団を掛けて眠りに就こうと思いますが、やはり心に思い浮かぶのは折木さんのことばかりです。今日の会話は勿論、より以前に交わした会話までもが心の中を巡るのです。

 いつの間にか朝日が差し込んでいました。眠れたのか眠られなかったのか判らないまま朝が来てしまいました。
 何時ものように顔を洗って、学校に行く支度をします。その後朝食を戴いて家を出ます。春らしくなって来たと感じます。でも自分の心は放課後に飛んでいるのです。本当にわたしおかしいです。折木さんの顔を見れば収まるのでしょうか。多分そうなのでしょうね。
 放課後古典部の部室に顔を出すと既に折木さんが何時もの席に座っていました。昨日と同じ文庫本を読んでいます。
「折木さんこんにちは早いですね」
 なるべく嬉しさを出さないように表情に気を使います。すると折木さんは
「千反田。昨日はありがとうな。遅くなってしまったろう。悪かったな」
 そう言ってくれました。早く来たのは昨日わたしが遅くなってしまったことを気に掛けてくれたのだと理解しました。本当に細かい所まで気を配ってくれます。でも、そんなことは良いのです。わたしは
「大丈夫ですよ。遅くなることは良くありましたから。それより昨日は折木さんの隠れた一面を発見致しました」
 そう伝えました。すると
「何だか随分嬉しそうだな。俺の何を発見したんだ」
 そんなことを言います。わたしは
「それは、わたしだけの秘密です。摩耶花さんにも福部さんにも言いません。わたしの心に大事にしまっておきます」
「まあ何だか判らないがそれならそれで良いだろう」
 折木さんは半分呆れて、また本を読み始めました。私はお湯を沸かすとお茶を入れて折木さんの元に持って行きました
「ありがとう。千反田の入れてくれたお茶は本当に美味しいよ」
 この言葉も何回も聴きましたが今日は一層心に残ります。
 わたしはこの二人だけの時間が何時までも続けば良いと考えていました。

「氷菓」二次創作 「こぶしの理由」

 四月になり今年も千反田は「生雛祭り」で雛の役をやった。恐らく人生で最後の雛の役だそうだ。
 俺は今年は見物させて貰った。本来の傘持ち役の子が今年は参加した。堂々としていて昨年の俺よりも大役を無難にこなしていた。俺は祭りを手伝った訳でもないので、その夕方の慰労会には呼ばれなかった。ひとこと千反田と言葉を交わしたかったが、千反田の忙しさでは、それも無理なので里志や伊原と一緒に自転車で帰って来た。そうしたら家に着いた途端電話が鳴り出した。
「はい折木ですが」
「千反田です。折木さん帰ってしまうなんて酷いじゃありませんか」
 電話の主は千反田本人だった。その声は明らかに怒りを含んでいるのが明らかだった。
「いや、すまん。お前が忙しいと思ってな」
 そんな言い訳を言う
「酷いです! 終わったら折木さんと昨年のように二人でお話がしたかったのです」
 話と言っても昨年みたく変わった事があった訳ではなく、ここの所は春休みなので逢ってはいないが、その前は部室で毎日色々な話をしたのだ。こっちのネタは尽きている。だがそんな事は口には出せないので一応取り繕う
「すまん。お前がそんな事を考えているなんで思わなかったんだ」
 そう言ったら千反田の怒りは少しは収まったようだった。だが次の一言が俺の想像の範疇を越えていた。
「では、これからお邪魔しても宜しいですか?」
「は? すまん。もう一度言ってくれ」
「未だ陽が高いですからこれから折木さんのお宅にお邪魔しても宜しいですか?」
 千反田がそんな事を言い出すなんて全く考えていなかった。特に今は春休みだ。時間なら明日も明後日もある。
「今からか?」
「駄目でしょうか」
 ここで断れば、やっと機嫌が直りかけている千反田の心情を悪くする。それだけは避けたいと考えた。
「来ても良いが帰りは暗くなるぞ」
「大丈夫です。バスは遅くまでありますから」
 市民文化会館と陣出を結ぶバスは、かって俺も乗った。休日だと一時間に一本運行している。このバスが陣出の人々の生命線という事もあり、神山郊外としては少し遅くまで運行しているのだ。自転車を選択しなかったのは雪解けで道がぬかるんでいる箇所があるからだろうと想像した。
 幸いというか、何と言うか今日は家には俺一人だけだった。姉貴は仕事で海外出張中だし、親父も帰りは遅くなると言っていた。
「そうか来るなら構わないが」
「では伺わせて戴きます。色々とお話がしたいのです」
 電話の向こうの千反田は少し興奮してる感じだった。
「でもお前は用事は無いのか? 慰労会に出なくて良いのか」
「以前から出ていませんでしたから。未成年ですからお酒は呑めませんから出ていないのです。慰労会が始まるまで未だ時間もありますし。それに今からなら次のバスに間に合います」
「そうか、なら待っているよ」
 そう言って受話器を置いた。時計を見ると三時を少し回った頃だった。千反田が言うには例年だと行列は午後一時から三十分行われるのだが、今年は時間が早まって十二時からだった。だから例年だと午後の四時頃にならないと開放されないのだが、今年は今の時間で既に千反田は役から開放されていたのだった。
「やっぱり待っていてやれば良かったかな」
 そう思い直したが後の祭りだった。

 四時近くになって家のインターフォンが鳴った。出て見ると千反田だった。本当に直ぐのバスに乗ったのだと思った。
「よく来たな。どうぞ」
 千反田を招き入れる。
「すいません。押しかけたみたいで」
 そう言った千反田からは怒りの感情は伺えなかった。何時もの千反田だった。
 リビングに招き入れて座らせる
「紅茶でいいか?」
「あ、はい」
 台所で電気ポットから湯をティーポットに注ぐ。そしてそのまま千反田にカップと一緒に出した。
「少し経つと飲み頃になると思う」
「ありがとうございます」
 千反田はティーポットからカップに紅茶を注ぎながら
「実は来る時のバスの中で気になることがあったのです」
 そう言って徐に顔を上げて俺の方を見つめた。その瞳は明らかに輝いていた。仕方ないと覚悟をする。休みの間は極力頭を働かせたくはなかったのだが仕方ない。
「どうしたんだ」
 俺の言葉に千反田は嬉しそうな表情をして
「実はバスでここまで来る時に、あるご老人に席を譲ったのですが、やんわりと断られてしまいました。その理由がわたしには判らないのです」
 そう言って千反田は紅茶に口を着けた。
「ああ、美味しいです。供恵さんが選んだ銘柄ですよね。素晴らしいです」
 確かに姉貴が買ったものだが、姉貴が買った紅茶の銘柄はこれだけでは無い。色々と買ったのだ。その中から千反田が好みそうな銘柄を選んだのは俺なのだが、それは口にしなかった。
「どんな状況だったんだ?」
 俺の質問に千反田はなるべく俺に判るように話だした。
「陣出から市民文化会館に向かうバスは、折木さんも利用されたことがあるのでお判りだと思いますが、一部山道を走りますが殆どは平坦な道を走っています」
 俺はその言葉に昨年の夏のことを思い出していた。決して良い思い出とは言えないが、あの事があり今の俺と千反田がある。それも事実なのだ。
「南陣出の停留所からご老人が乗ってこられたのです。バスは『生き雛祭り』を見た人々が乗っていて、何時もとは違って結構混んでいました。わたしは始発という事もあり座れたので、そのご老人に席を譲ったのですが、断られてしまいました」
「何と言われたんだ」
「はい、『ありがとう。でも事情があり席には座りたくないんだよ。』と仰ったのです」
「事情があると言ったんだな。その事情を探りたいという訳か」
「はい、そうなのです」
「バスで席に座る。車内は結構混んでいたんだな」
「はい、かなり混んでいまして、立っている方も大勢いました。満員に近かったと思います」
「そうか、ところでバスの席は進行方向に向かって前向きだったか」
「ああ、そういえば何時もはそうなのですが、今日は『生き雛祭り』が行われるので、大勢の方が乗れる進行方向に向かって横向きで、反対側の席と向かい合うタイプの車両でした」
「そうか、それでも満員に近かったのだな」
「そうです」
「じゃあ、例えば座ってしまうと反対側の車窓の景色は見られない訳だな」
「はい。わたしも座っていましたから、人が前に立っていたので反対側の景色は見られませんでした」
 それを聴いて俺はある考えが浮かんだ。姉貴の部屋に行き神山市の地図を持って来た。それを千反田の前で広げる。
「バスのルートを指で示してくれ」
 千反田は訳が判らないという表情をしていたが
「ここが陣出の停留所ですから」
 ゆっくりと千反田が地図の上で人差し指を動かして行く。南陣出を過ぎて暫く行ったところで
「そこだ。そこに理由がある」
 俺はそう言い切った。その言葉に千反田は
「ここは停留所ではありませんが」
 そう言って困惑していた。
 神山市の東北部にある陣出から市民文化会館に向かうバスの路線は地図の上では右上から左下に下がって行く形になっている。南陣出を過ぎて暫くしたあたりに「野麦のこぶし」と書かれた印があった。地図の上ではバス路線の上の方に書かれている。
「お前はもしかして進行方向左側に座っていたんじゃ無いのか?」
「あ、はい運転席とは反対側に座っていました」
「その席に座ってしまうと、この『野麦のこぶし』は見ることが出来ない。もしかすると、その人は『野麦のこぶし』が見たかったんだろう。丁度今は満開だろう」
「そう言えば市役所のこぶしも満開でした」
『野麦のこぶし』とは、樹齢三百年にも及ぶこぶしの大樹で、幹が八メートルもあると言う市の記念物に指定されている。その昔、長野県岡谷の製糸工場に向かう女工たちが雪解けのこの道を通って通ったそうだ。その歴史から名付けられたのだ。神山ではちょっとした名所になっている。
「これは俺の想像だが、そのご老人は、どうしてもこぶしの満開の様子が見たかったのだと思う。バスが空いていれば反対側に座っても見られるが、今日みたく観光客でいっぱいなら、立って窓の方を見ていなければ見る事が出来ないからな」
 俺の想像を聞いた千反田は
「そう言えばそのご老人は反対側に向かって立っていました」
「もしかしたら、その昔の紡績の女工さんと何か関係があるのかも知れないし、あのこぶしに特別な思い出があるのかも知れない。こぶしはバス停からだとかなり歩くだろう。でもバスからなら簡単に見られる」
「そうでしたか、わたしも毎年見ているのでウッカリ忘れていました。でもあのご老人は、あのこぶしにどの様な思い出があるのでしょうね」
 俺の言葉に千反田が遠い目をした。
「折木さんとわたしなら、さしずめ、あの狂い咲きの枝垂れ櫻ですね」
 千反田は嬉しそうな顔をした。
「今年はコースが例年どおりなので、あそこは通りませんでしたが、恐らく咲いてないでしょうね。昨年はまさに奇跡だったのかも知れません。狂い咲きの桜と折木さんが傘持ちをしてくれたことと言い」
 千反田は思い出に浸っていた。このままでは何か言われるかも知れないと考えて
「ところで、それとは別に何か話があったのだろう?」
 そう言って千反田を現実の世界に引き戻した
「ああ、そうでした。父が『今年は折木くんは来たのかい? 姿が見えないので皆心配していたんだよ。そして、お前との仲はどうなっているのか』と訊かれたのです。ですから、その……」
「その?」
「もう意地悪です! 父にはちゃんと説明しました。ここに来る許可も貰いました」
 そうか、高校を卒業するまで一年を切ったのだと思った。それまでの間どのような事があるのかと思うのだった。そんな事を考えていたら千反田が
「折木さん。今夜は泊まって行っても良いですか? 父の許可も貰っています」
 いきなり、そんな事を言い出した。まさか鉄吾さんの許可とは……。
「お前、泊まるって……」
 正直、今夜この家で二人だけになったら、何も起きないという保証はしない。いや多分出来ないだろう
「ふふふ、嘘です。今夜は最終バスで帰ります。それまでは二人だけです。本当は二人だけになりたかったのです」
 そう言って千反田は俺の懐に飛び込んで来た。抱きしめると千反田の甘い香りに包まれた。その香に迷いそうだった。

                                 <了>

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