彼女の秘密  第4話 ゆき現代のテクノロジーに驚く

 台所ではゆきと母親が一緒に料理を作っている。その後ろ姿に向かって高志は
「ねえ、宗十郎って確かご先祖さんだよね」
 そう母親に尋ねると
「そうね、わたしのお爺さんの父親かな。確か明治の人よ」
 そう返事が帰って来た。するとゆきが
「宗十郎様は学業の出来が良いので将来を嘱望されています」
 そう言って宗十郎の人となりを語る。二人にとっては、実感の湧かない人物だが、ゆきに言われると自分たちと繋がっている事が実感できた。
「何をお手伝いすれば宜しいでしょうか?」
 ゆきが母親に尋ねると
「そうねえ。お味噌汁を作りましょうか」
「お味噌汁……御御御付のことですね」
「あら、古い言葉知ってるのねえ……そうか明治だものね。今日は和布と豆腐にしましょう」
 母親がそう言うとゆきは
「では出汁を取りますので鰹節は何処でしょうか? 私、鰹節を削るのが得意なのです。それにだし昆布も要りますね」
 ゆきの言葉を聴いて母親は
「あのね。今はお店などではするのでしょうけど、家庭ではもっと便利なものがあるのよ」
 そう言って顆粒の出汁の素を出して見せた。
「これは?」
 戸惑うゆきに母親は
「舐めてご覧なさい」
 そう言われたので小指でそっと顆粒を掬って口に入れてみた
「あ、鰹の味がします! それに昆布の旨味も感じます」
 驚くゆきに母親は
「今はね皆忙しいからこれで代用するのよ」
 そう言って笑って見せた
「そうなんですか」
 ゆきの目の前で母親は鍋に水道の蛇口を捻って水を入れた
「はぁ〜水も捻ると出るのですか! これは便利です」
 そう言って驚いている目の前で今度は鍋をガス台に乗せてレバーを捻った。「ボッ」と音がして青い炎が鍋を包む
「これが今の竃(へっつい)ですか!」
「竃?……ああ、かまどのことね。今はガスという燃える空気が各家庭に送られているのでこうやって簡単に火が使えるのよ」
 それを聴いてゆきは
「本当に便利なのですね。明治では藁に火を点けて薪をくべていました。種火を無くさないようにするのも大変でした」
「まあこんなに便利になったのもそれほど昔じゃなけいけどね」
 母親は明治からの歴史をゆきに教えるには未だ早いと感じていた。
「そうそう、わたしの名前は深山幸子よ。これからは名前で呼んでね」
「幸子さんですね。ご新造様では駄目なのですね」
「そうねえ。今はそういう呼び方はしないわ。知らない間なら、奥さんとか呼ぶけどね」
「武士の家でなくてもですか?」
「そうねえ。今は普通にそう呼ぶわ。でなければ「お母さん」でも良いわ。その方が呼ばれ慣れてるし」
「判りました。今後はそうさせて戴きます」
 幸子はゆきの言葉や態度を見て、やはり階級は低くても武士の娘だと思った」
「そんなこと言ってる間にお湯が沸いたわ。和布と豆腐をいれましょう」
「では私が塩抜きを致します」
 ゆきはそう言って棚にあったボールを手に取った。ゆきにもボールがそのような目的に使うものだと判ったようだ。
「ゆきちゃん。今は昔ながらの塩漬けの和布もあるけど、大体はこれを使うのよ」
 そう言って台所の引き出しからカットワカメの袋を取り出した。
「これは? 袋に和布の絵が書いてありますが」
 本当は絵ではなく写真だったのだが……。
「これはね。和布を湯通しして小さく切って乾燥させたものなの。だからこのまま使えるのよ」
 幸子はそう言って鍋の中にカットワカメを振り入れた。たちまち大きく戻って行く。それを見てゆきは
「凄いです! まるで妖術ですね」
 後ろで聴いていた高志は『そこは魔術だろう』と思ったが、「魔術」という言葉が明治初年では無いのだと気がついた。近代の概念の熟語は明治の頃に作られたものが多い。明治初年では未だなのだ。
「次はお豆腐よ。ゆきちゃんの目の前にあるでしょう」
 幸子に言われて、ゆきは目の前を見たが彼女にとっての豆腐は何処にもなかった。
「あの、何処に……」
「ああ、悪い! 目の前の白い四角いものがあるでしょ」
「あ、これですか? これが豆腐ですか?」
「パッケージされているのよ」
「パッケージ?」
 訳が判らないゆきの目の前で幸子が豆腐の表面のフイルムを剥がして見せた
「ああ透明な膜が剥がれて中から絹ごしが!」
 幸子はそれをひっくり返してまな板の上に乗せた
「さ、ここまでやれば賽の目に切れる?」
 幸子がそう言うと、ゆきは目を輝かせて
「はい! 大丈夫です」
 そう言って幸子から包丁を受け取ると鮮やかに賽の目に切って見せた
「凄いわゆきちゃん。切ったお豆腐が皆同じ大きさに揃ってる!」
 幸子は今の包丁の使い方だけで、ゆきがどれだけ料理慣れしていて、しかも腕が相当良い事が判った。
 幸子はゆきが切った賽の目状の豆腐を鍋に入れると
「さあ最後にお味噌を入れましょう」
 そう言って冷蔵庫から味噌のパックを取り出した。
「この大きな箱は何だと思っていたのですが、食べ物をしまっておく場所だったのですね。中が冷たくなっていて氷室になってるのですね。これなら食材も保存出来ますね」
 冷蔵庫に感心をしていると幸子が味噌を溶かす網を取り出した。お玉で掬って網で濾して行く
「味噌も瓶に入ってるのでは無いのですね」
 ゆきが感心していると幸子が
「まあ、瓶で保存してる所もあるけどね。うちはそこまでやらないわ。さ、出来たわ。味見してみる?」
「はい是非!」
 ゆきは興味があった。自分の居た時代とはかなり違っていたが、手順としては同じだった。小皿に幸子が味噌汁を少し掬ってゆきに手渡す。
「ああ、確かに味噌汁です」
「味は?」
「はい、少し鰹の香りが薄いですが美味しいです。こんなに簡単に作れるのですね」
「今の主婦は忙しいからね。さ、ご飯はもう炊けているからね」
 幸子はそう言って電気釜を指した。
「これがお釜ですか?」
「そうよ、電気で炊けるのよ。お米を研いで水を張り、スイッチを入れれば約一時間で炊けるわ。あ一時間というのは春や秋の小半時ね」
「そうですか。そう言って頂けると私にも理解出来ます。その電気というのは便利なのですね。先程のガスでは駄目なのですか?」
「無論大丈夫よガスで炊くお釜もあるわ。でも電気だとタイマーが使えるから便利なのよ」
「タイマーって何ですか?」
「タイマーってのは自分が決めた時間にご飯が炊けるとか出来上がりの時間を指定出来る機能かな」
「へぇ〜本当に便利なのですね」
 ゆきは心の底から感心してみたいだ。そこに高志の妹の翠が帰って来た。
「ただいま〜 お客さん?」
 妹の質問に幸子が
「お帰り! 紹介するわね。急にだけど今日からウチにホームステイすることになった篠山ゆきちゃん。十七歳なのよ」
「初めまして篠山ゆきと申します。この度はご迷惑をお掛けしますが、宜しくお願い致します」
 ゆきが両手を膝について挨拶をした。高志はホームステイとは上手いと思った。
「あ、わたしはこの家の長女で深山翠と言います。中学三年の十五歳です。部活で陸上をやっています」
 そんな自己紹介を聞いてもゆきには半分も判らないだろうと高志は思った。
「ホームステイってどれぐらい居るのですか?」
 翠の質問に高志が横から
「ちゃんとは決まっていないんだよね。少し経つと更新する制度だから長いかも知れないし短いかも知れない」
 高志は我ながら上手い考えだと思った横を見ると母親の幸子がニヤニヤしている
「そうなんだ。でも今時着物なんて珍しいわね。歳は二歳私よりお姉さんだけど背はわたしの方が少し高いかな」
 翠はそう言ってゆきの隣に並んで背格好を比べている。高志は自分の妹ながらおかしなことをすると思った。翠は陸上をやつてるだけあって、スラリとして背が高い。よく高校生に間違われるのだ。
「ゆきさん。宜しくお願い致します!」
 翠はそう言ってゆきの両手を掴んだ。
「こちらこそ宜しくお願い致します」
 少し戸惑ったゆきを見て翠が
「ゆきさんって何だか昔の人みたい。古風な感じがする。そこが凄く魅力的! 私ね、お姉さんが欲しかったんだ。それも私より美人のお姉さんが。ゆきさんはそんな私の願望を備えた人みたい」
 高志は翠の言葉を聞いて、その鋭さに舌を巻いた。だがゆきのことを気に入ってくれたので一安心するのだった。

彼女の秘密  第3話 母親の秘密

 高志は、ゆきを連れて母親が居る台所に向かった。廊下の角から顔を出して確認をすると、母親はガス台に向かって何かを煮ていた。醤油の匂いが鼻をつく。その母親の後ろ姿に向かって
「あの母さん。少し話があるのだけど」
 そう声を掛けた。すると母親はそのままで
「なぁ〜に。話って小遣い頂戴とか? あなたも高二なんだからバイトぐらいしなさいよ」
 そんなことを言う。高志は思い切って
「違うんだよ。もっと大事なことなんだ。お願いなんだけどさ」
 そこまで言って高志の言い方が普通では無いと気が付き。高志の方を振り向いた。高志は台所と繋がっている廊下に自分と一緒にゆきを立たせた。
「この子、篠山ゆきちゃんって言うのだけど。事情があって家に帰れなくなってしまったんだ。だから少しの間。ゆきちゃんが家に帰れるまで、この家に置いて欲しいんだ」
 高志は詳しい事情は避けて取り敢えず大事なことだけ伝えた。すると母親は
「その子、高志の彼女さん? あんたも遂に彼女が出来たの! カワイイ子じゃない。でも絣の着物って最近の子じゃ珍しいわね。それにその柄も最近のものじゃ無さそうね」
 高志の母親はゆきの格好から何かを感じた様だった。高志は、母親に言われてまじまじとゆきの着物の柄を確認した。実は納戸では薄暗く、自分の部屋では興奮状態にあり着物の柄まではしっかりと見ていなかった。
「ゆきちゃんの着物って……」
 高志の言葉を遮るように母親が
「お洒落で着ている訳では無さそうね」
 母親がそう言って何かを知ってる素振りをした。高志が着物の事を言い淀んでいるので、ゆきが自分で説明をする。
「はい藍染に梅の柄です。これは深山家で働いている女は皆この柄の絣を着ています。柄が梅なのは深山家の紋所が『梅鉢』だからです。この辺りでこの梅の柄の着物を着ていれば深山家の奉公人だと区別がつきます」
 高志は制服的な意味もあり、昔は土地の権力者でもあった深山家に関わる者なら安全を保証されたのだろう、と何となく考えた。高志は、ゆきが過去の深山家からやって来た事実をどう説明しようか考えていたが、母親の次の一言で事態が一転した。
「アンタ、もしかして納戸の奥の戸を開けたのね。ゆきちゃんって言ったかしら。あなたは何時頃から来たの?」
「え、母さん納戸の秘密知っていたの?」
「知っていたわよ。わたしはこの家の娘よ。幼い頃から聞かされていたし、自分でも扉を開けた事もあるわよ」
 全く知らなかった。確かに母親はこの家の娘で、父親が婿入りしていた。だが、高志は今迄、納戸の秘密のことなぞ知らなかった。
「僕は知らなかった!」
「それは母さんが昔過去に行った時、こちらに帰って来る時に向こうから封印して貰ったからよ」
「封印……それって何時頃?」
「昭和の始め頃よ。あまり昔だと色々と不便だから、」その時代に遊びに行ったのよ。そのうち向こうから、『もう来ちゃイケナイ』と言われたのよ」
 それを聴いてゆきが
「わたしは明治初年からやって参りました」
 そう返事をした
「ああ、だから未だ封印して無かったのね。迷い込んじゃったの?」
「あの、家宝の『古伊万里四季絵柄焼』を仕舞うので間違って開かずの扉を開けてしまったのです」
「ああ、あのお皿、そう言えば行方不明になっていたのよね。家の財産の収録簿には記載されているのに無いからね。そうか開かずの扉の中にあったのか。納得したわ」
「母さん、そのお皿って価値があるの?」
「まあ、今なら重文か国宝級ね。後で取り出しておこう」
 高志はゆきが穴から出て来た事だけでも信じられない出来事なのに、母親までも過去に行ったことがあると言う事がショックだった。
「ゆきちゃんは明治の初年にここ深山家で奉公していた訳ね」
「はい。そうなのです。お皿の置き場所を間違ってしまって……」
「帰れなかったの?」
「はい扉が急に閉まってしまったのです。どうしても開かなかったので、逆の方向に進んだのです。そしたら急に前の扉が開いて」
「それで高志がいたのね」
「はい、そうみたいです。それでお腹が空いていたのでお皿に載っていたサンドイッチとか言うものを食べてしまいました。牛の乳も戴きました」
「そう。サンドイッチ美味しかった?」
「はい! それはもう!」
 ここに来て高志は食べられなかったサンドイッチを思い出して急に腹が減って来た。
「腹減ったな〜」
「今夕飯作ってるから我慢しなさい。ところでゆきちゃんはどうする。ウチに居ても良いの?」
 母親の言葉にゆきは
「出来れば帰りたいですが……何度やっても開かなかったので」
 そう言って困惑した表情をした。それを見て母親は
「あの扉はどうも月の満ち欠けと関係があるらしいのよね」
 そんなことを言うので、高志はゆきが先程言った事を思い出した
「新月だからとか?」
 高志の言葉に母親は
「それもあるかも知れないけど、開かなくなったのは向こうの人が開いてるから閉めたのが原因だと思う。それに何時でも通じてる訳じゃ無さそうよ。通じていても何処の時代に通じるのかはマチマチみたいだし」
 そう推測してみせた。ゆきは
「じゃあもうわたしは、帰れないのですか」
 そう言って悲しそうな表情をした。
「ま、そのうち帰れるわよ。心配してもしょうがないわ。ゆきちゃん。ウチで良かったら帰れるまで居なさい」
 母親がそう言ってくれたので高志は心の底からホッとしたのだった。
「ありがとうございます! わたし奉公人ですから色々とお手伝いします。何でも言いつけてください」
 ゆきがそう言うので母親は
「ありがとう。じゃあ一緒に夕食を作ってくれる?」
「はい! 喜んで! わたし向こうでも台所のご用事をしていたのです」
「何だ。じゃ得意なんだ」
「はい!」
 ゆきは母親から紐を借りると袖をたすき掛けにして畳んだ。高志はそれを見て何かカッコイイと感じた。そう言えばゆきの顔の輪郭は卵型をしていて、目は結構パッチリだった。
「綺麗な顔をしている」
 そう感じた。長い髪を後ろで纏めており、素っ気ない感じだがそれがシンプルな感じがしていた。
 これから何時までだか判らないがひとつ屋根の下に暮らすのだと思うと不思議な縁を感じるのだった。

彼女の秘密  第2話 百五十年前から来た少女

 闇の中から現れたのは絣の着物を来た高志と同じくらいの少女だった。
「君は誰?」
 着物姿とはいえ、少女の格好がおしゃれで着物を着ているのでは無く作業着らしいと言う事は推測出来た。その上で高志は恐る恐る尋ねたのだ。すると少女は
「わたしは篠山ゆきと言います。今は深山家の台所で働いています」
 そう言って緊張した表情をした。
「深山家って……ここがそうだけど」
「はい。それは承知です」
 ゆきはそのあたりは堂々としたものだった。高志はありえない事だが、もしかしてと思い尋ねてみた。
「深山宗十郎って言ったけど、その人は僕のご先祖の名前で確か明治の初めの頃の人だよ」
「明治ってこの前変わったばかりの年号ですよね」
「この前変わった?」
 それを聞いて高志はこの少女が過去から来た可能性があると思った。
「違うんですか? 今でも慶応なんですか?」
「いや、今は令和だよ」
「令和?」
 訳の判らないという表情をしているゆきに高志は
「明治、大正、昭和、平成、そして令和さ」
「いつの間にそんなに変わったのですか?」
「ま令和は今年変わったのだけどね。今は西暦二千十九年さ」
「二千十九年!」
 驚くゆきに高志は
「もしかして君は明治元年頃からやって来たのかい?」
 高志に言われてゆきは少し考えてから
「九月に明治に変わったのです。今は十月ですよね」
「まあそうだけど。多分違う」
「違う?」
「明治元年の頃は旧暦だからさ」
「旧暦?」
 ゆきは全く訳が判らないという表情をしている。
「明治五年に太陰暦から太陽暦に変わったのさ。一年は十二ヶ月に固定され、日数は三百六十五日になった。尤も四年に一度閏年があって一日増えるけどね。つまり簡単に言うと君、ゆきちゃんは百五十年後の世界にやって来たんだよ」
「ひゃくごじゅうねん……」
 それを聞いたゆきは泣き出しそうだった。
「まあ兎に角、暗い所に居ないでこっちに来なよ」
 高志はそう言って手を差し出してゆきの手を掴んだ。実はちょっとドキドキしたのは秘密だった。
 高志は納戸からゆきを連れ出し自分の部屋に案内した。内心、自分って大胆だと思った。
「初対面の女子を自分の部屋に連れ込んじゃうなんて凄い!」
 そんな事を思っていたのだ。
「さてこれで一応安心だ」
 高志は自分の部屋にゆきを連れ込むと廊下を確かめて誰にも見つかっていない事を確認した。
「これで一応安心だ……さて、ゆきちゃんだっけ、君は過去の深山家で働いていたのかい?」
 台所の事は先程ゆきが自分で語っていた事だった。
「はい。深山家で奉公をしていました。主に台所中心の用事でした」
「昔の深山家ってそんなに奉公人が居たのか。凄かったんだね」
 そう驚く高志にゆきは自信ありげに言う
「深山家はこの辺りの名主様で並ぶものがありません」
 幼かった頃に存命していた曾祖母ちゃんから少しは聴いた記憶があるが、理解していた訳ではない。
「それどうして納戸に居たんだい」
 高志の疑問にゆきは
「はい、収穫のお祝いをする宴会があり、家宝のお皿を使ったのです。宴席が終わりお皿を箱に入れて納屋に仕舞ったのですが、わたしが間違えて『開かずの扉』を開けてしまったのです。本当は違う場所だったのですが、わたしは勘違いしてその扉の中に仕舞ったのです。でも帰って来たら場所が違うと言われ、もう一度納戸に入ってその扉を開いて中に入ったのです。そうしたら自然と扉が閉まり出られなくなってしまったのです。仕方なくわたしは奥に奥に進みました。そうしたら引き戸がありそこを開けたらここの納戸だったのです。最初は怖くて震えていましたら、たまに声が聞こえるので変な場所では無いと思ったのですが、安心したら空腹を感じました。誰か人が来る気配を感じたので中に戻ってひっそりとしていたのです。そうしたらいきなり引き戸が開いて驚きました。でも直ぐに居なくなってホッとしたら、目の前に食べ物があったので、悪いとは思いましたが空腹に耐えきれず食べてしまいました。一緒にあった牛の乳は以前にも飲んだ事があるので美味しく戴きました。申し訳ありません」
 落ち着いて来たとは言え、ここまでの経過をしっかりと話すところは、只の奉公人ではないと高志は感じた。ある程度の教養を感じた。
「それはいいけどさ、ゆきちゃんの家は武士だったの?」
「はい、父は貧乏御家人でした。今は幕府が無くなったので浪人というより無職です」
 やはりと思った言葉遣いや態度がきちんと教育を受けて育った者だと思ったのだ。
「ところで歳は幾つ? 僕と同じくらいな感じだけど」
「今年で十九になりました」
「それって数えだよね」
「数え? 歳は新しい年が明けると増えるものですが」
「それが数えなんだよね。つまり満では?」
「ああ、満では十八になります。未だですが」
「そうか高校なら三年だね。僕より一つお姉さんだね」
「あ、そうなのですか。それは知りませんでした」
 ゆきはそう言って頭を下げた。
 高志は昔の深山家で伝わっていた伝承を尋ねてみた。
「あのさその開かずの扉って?」
 高志の質問にゆきは
「はい、何でも知らない場所に通じてる穴があるから開けてはならないと言う言い伝えでしたが、代々の深山家の方々は子供頃に一度は入った事があるそうですが、一度もおかしな事は起きなかったそうです。わたしの時だけ異変が起きました」
「戻ろうとは思わなかったの?」
「それが戻っても扉が開かなかったのです。それで諦めました」
「そうか、そこに何か秘密があるのかもね」
「もしかしたら、新月だったかも知れません」
 新月とは月の出ない夜の事だが、陰暦を使っていた昔は空に月が出ている事は重要だったのだ。夜間の照明が無い時代では新月の夜は暗闇になるからだ。
「過去にも帰れないか。過去に行けるなら僕も一度は昔の世を見てみたいけどね。さて、どうするか、だよね。信じて貰えるか判らないけど、ウチの親に話してみるかな」
 高志としてはそれしか選択技がなかった。まさか明治初年から来た少女を街中に放り出す訳にもいかなかった。
「そうして戴ければ取り敢えず飢えなくて済みます」
 今どき餓死はありえない。
「ところで、わたしが先程失敬して食べたものは何だったのですか」
 高志は、そうかサンドイッチというものを知らないのだと思った。
「あれはサンドイッチというものでパンを薄く切って野菜やハムなどを間に挟んだものだよ。片手で食べられる。イギリスのサンドイッチという伯爵が考案したそうだよ」
 本当化かどうかは判らないが一応通説として知られている事を言った。
「あれは確か胡瓜にハム。それと卵サンドだった」
「そうでした、中を開けたら胡瓜が入っていたので食べられるものだと思ったのです。もうひとつは卵でした。わたしの居た頃は卵は高かったのです。贅沢だと思いました」
「今は卵は安いんだ。さて母親を紹介するよ。そしてゆきちゃんがウチに居られるように頼んで見るよ」
 高志はそう言ってゆきを連れて部屋を出て台所に、向かった。

彼女の秘密  第1話 秘密の部屋

 二学期が始まり真夏ほどの暑さは無くなったが、それでも昼間は二十五度を超える日もある。高校の授業が終わりバス停から家に帰る途中、高志は空腹を覚えた。だが家に変えれば母親が何か作っていてくれると思ってコンビニに寄るのは止めて真っ直ぐに家に帰る事にした。 
 深山高志は東京に住む高校生だ。高志の家は一応二十三区にあるが、そこは都心より隣の県に近い場所にあり、現在は家が密集しているが、高志の父親が子供の頃までは田圃が広がっていたそうだ。
「腹が減る訳だよ。まさか午後の体育の時間にマラソンさせられるとは思わなかったよ」
 そんな独り言を呟きながら家の玄関を開けた。深山家はこの地域ではかなりの旧家で、太平洋戦前まではそれなりの土地を有してしたそうだ。だが戦後の農地改革で殆どを手放してしまい、現在は残った僅かな土地も人に貸している。だが住んでる家はそのまま残ったので大きくそして古いので、そこは旧家を思わせる。
「高志、帰ったの?」
 母親の幸子の声だ。どうやら台所に居るらしい。
「帰ったよ。お腹空いた。何かある?」
 期待を込めて尋ねる
「冷蔵庫にサンドイッチがあるから、それ食べなさい」
「判った」
 やっおぱりと思い、嬉しくなって冷蔵庫を開けると、白い皿にラップを掛けられたサンドイッチがあった。牛乳と一緒に取り出す。グラスに牛乳を入れて戻して、サンドイッチと牛乳の入ったグラスを持って自分の部屋に向かった。部屋でyoutubeでも見ながら食べるつもりだった。
「ああそうそう。食べてからで良いから奥の納戸から火鉢出しておいてくれる?」
 母親が台所から顔だけ出して言う
「火鉢? 未だ暑いよ」
「違うのよ。何でも小学校の歴史と社会の時間で生徒に見せるから貸して欲しいって言われているのよ」
「誰から?」
「校長先生」
 そう言えば自分などは普段から家にあるから何とも思わな無いだろうが、中には火鉢を見たことのない子も居るだと改めて思った。    
「何処に運んでおくの?」
「玄関の脇の小部屋」
「判った。食べたら運んでおくよ」
 そうは言ったものの、やはりゆっくりと食べながらyoutubuを見たいと思い、一旦自分の部屋にサンドイッチと牛乳を置くと、家の中でも一番北にあり、普段から陽の刺さない薄暗い部屋に向かった。
 納戸と呼ばれている部屋は十畳以上の広さがあり、この深山家の古いものが仕舞われている。歴史研究家が見ればお宝の山なのかも知れないが、この家の者にとっては「とりあえず価値の無いもの」でしかない。
 納戸は木の引き戸で仕切られており、そこを開けると襖がある。それを開くとやっと部屋に入れるのだ。部屋は一部が畳敷きだが半分以上は板敷きだった。
「さて、火鉢は何処にあったかな」
 高志が探しているのは一抱えもある大きな焼き物の火鉢で、何でも「古伊万里」だそうだ。無論高志は「古伊万里」の価値を知らない。
「あったあった」
 部屋の奥の左側にそれはあり、薄暗い中でも存在を見せていた。
「あれ」
 高志は火鉢をどかすとその奥に小さな襖の引き戸があるのを見つけた
「ここに戸があったんだ。知らなかったなぁ。中には何があるんだ」
 今まで見たことの無かったので高志は興味が湧いた。もしかしたら何か面白いものがあるかも知れない。そう思って中を探して見る気になった。襖の大きさは普通の一間の襖の半分ほどの高さで幅は人が一人通れるぐらいの幅だった。暫く開けてないので開くのかと思って引き戸に手を掛けると簡単に横に滑って開いた。かなり広そうな感じだったが、真っ暗で何も見えなかった。これでは懐中電灯がなければ、どうしようもないと思った。
 高志はとりあえず言いつけられた事を済ましてしまうと思い、火鉢を抱えて運び出した。玄関脇の部屋に置くと母親に
「置いておくからね」
「ありがとう]
 その声を聴くと、納戸に戻ろうとして、あの小さな襖の奥を見るには懐中電灯が必要だと思い自分の部屋に一旦帰る事にした。部屋に戻ると置いてあったサンドイッチと牛乳があった。
「これ持って行くか」
 部屋にあった懐中電灯を首に掛け、お盆に載せたサンドイッチとグラスに入った牛乳を持って納戸に向かった。納戸に入って奥に進み奥の襖の所にやって来ると床に座り自分の横にサンドイッチと牛乳が載ったお盆を置いた。
 奥の襖は先程に高志が開けたままになっており先程閉め忘れたと思い出した。その時に台所の母親から自分を呼ぶ声が聞こえた
「高志、ちょっと来てくれる」
 何事かと思ったが、取り敢えず母親の所に向かうと
「校長先生が火鉢を取りに来てくれたのだけど、重くて運べないから、アンタ校長先生の車に載せてくれない」
 こともなげにそう言うのだ。高志は心の中で「やっぱり」と思いながら玄関脇の小部屋に向かう。そこには小学校の校長が居て
「ああ、深山君悪いね」
 そう言って感謝する。さすがに感謝されると悪い気はしない
「運びますから車のドア開けておいてください」
 そう頼むと校長は玄関前に止めてあった軽自動車の後ろのハッチを開けた
「ここに載せてくれるかな」
 校長に言われた通りに載せてハッチを閉めた。
「いやいやありがとう! 大事に見させて貰うからね」
 そう感謝して校長は自分で運転して学校に帰って行った。
「さて食べるかな」
 そう言って納戸に戻る。置いてあったサンドイッチを食べようとすると、皿だけがあり中身が無くなっていた。
「あれおかしいな。誰か食べたのか」
 そんな人物に心当たりは無かった。おまけに牛乳も無くなっていて空のグラスだけが残されていた。
「こりゃ誰かここに来たな。誰だろう」
 今、この家に居るのは自分と母親だけだ。高志には妹が居るが今は帰って来ていない。妹は中学では陸上部の部活をやってるので帰りは遅いのだ。まして父親は仕事中だ。
「いったい誰が……まさか泥棒か?」
 あり得なくは無かった。この家は古いので玄関以外からも簡単に侵入出来る。夜なぞは戸締まりするのに時間が掛かるのだ。ちなみにこれは高志の父親と高志が半分ずつ行っている。
 その時高志はこの部屋に自分の他に誰か居る気配を感じた
「誰?」
 部屋の中を見渡しても誰もいない。持ってきた懐中電灯で部屋を見ても誰も居なかった。でも、先程から開いたままになっている小さな襖には懐中電灯を照らしてはいなかった。
「まさかこの中に隠れたのかな?」
 どう考えても、この真っ暗な空間の先以外には考えられなかった。そっと灯りを照らして見る。襖の敷居から少しの間には誰もいなかった。襖の中は板敷きになっており更に奥に続いていそうだった。
 ここで高志は気がついた。この納戸はかなり広いがそれでもこの部屋の向こう側には別な部屋もある。限りがあるのだ。でも目の前に広がってる闇はそれ以上広そうだった。
「まさか、何処かに続いているのか?」
 高志は俄然興味が湧いて来た。この先が何処まで続いているのか確かめたくなったのだ。
「よし、中に入ってみるか」
 高志は決意して四つん這いになり片手に懐中電灯を持って暗闇の中に入って行った。そこで高志はおかしな事に気がついた。自分が進んでいる板張りの床に埃が積もっていないのだ。ここがどれだけ閉鎖されていたのか判らないが埃が無いという事が変だと感じた。
「入って来たのは誰?」
 いきなり闇の向こうから女性の声がした。と言うより声を掛けられたのだ。これは心底驚いた。叫びそうになるのを必死で抑えて
「誰だい! そこに誰か居るのかい。泥棒だな」
 声を聴く限りは女性の声で、しかも向こうも怯えている感じが伺われた。それが判り高志は少しだけ落ち着いた。
「僕はこの家の者で深山高志という者だ。僕のサンドイッチを食べたのは君だね。怒らないから出て来な。人の家に勝手に入っちゃ駄目だよ」
 高志としては当然の事を言ったまでだが闇の向こうの者は
「お皿の上のものを食べたのは謝ります。珍しいので牛の乳も飲みました。でもあなたの言う事は嘘です。この家には高志という人はいません」
「は? 何を言ってるんだ。僕はこの家の息子だ」
「深山家の坊っちゃんは宗十郎様です」
 宗十郎と聞いて高志は聞いた事があると思った。何処で聞いたのか少し考える。そして思い出した
「深山宗十郎は僕のご先祖さんだ!」
「え!」
 闇の向こうの者はかなり驚いた様で、こちらに近づいて来る気配を感じた。そして高志の懐中電灯の灯りに照らされたのは同じ歳ぐらいの絣の着物を着た少女だった。

「氷菓」二次創作 奉えるファーマーズ 後編

 わたしと折木さんは高速を名古屋に向かって走っています。季節はもう秋になっていました。神山の稲の取り入れまではもう少しありますが、早稲はもう刈り入れが済んでる所もあります。
 今回、車で向かう事にしたのは神山での足の確保と時間を有効に使う為です。わたしも折木さんも運転は出来るので交代でなら、長距離でも苦にならないと思ったのです。
「千反田。実は隠し玉も持って来たんだ」
「隠し玉ですか?」
「そう。お前にも関係のあるものだ」
「関係のあるもの……。それってわたしが研究に関わったものですか?」
「まあ、そういうことさ。楽しみにしてくれ」
 折木さんが何をしようとしているのかは判りませんでしたが、わたしはその明るい表情を見て希望が湧くのでした。
 やがて車は千反田邸に到着します。わたしが先に降りて玄関に立ちます
「只今帰りました。今回は折木さんをお連れしました」
 奥から父と母が出て来ました。
「初めまして折木奉太郎です」
 折木さんが自己紹介をして頭を下げます
「えるの父親の千反田鉄吾です。こちらは母親です」
「宜しくお願いします」
 その後、客間に通されました。そしてお茶を母が運んで来ます。わたしは母に呼ばれて控えの間で一緒に様子を伺うことになりました。
「早速だが本題に入らせて貰うことにしたい」
「こちらも望むところです」
「このレポートは良く出来ている。確かに我々『千反田農産』の弱点が書かれている。よくこれほど調べたものだね」
 父はやはり感心したようでした。
「わたしは関東支店に勤務していますが、中部にも支社はあります。そこには神山を担当する者も居ます。その者は幸いに自分の後輩でした。その彼から情報を提供して貰い分析したのです」
「そうか農協繋がりか。確か農協は君の会社と取引があったな」
「そうですね。神山農協はウチのお得意様でもあります」
「だが、それだけではあるまい」
「それはそうです。貰った情報を分析し、他の地方でも起きてる事象を神山にも当てはめました。今現在、日本の農業は分岐点に差し掛かっています。今までのやり方では大きく後退してしまうでしょう。特に農産品の輸入自由化は待ったなしです。早急にそれらに対処しなくてはなりません。その点で『千反田米』が好評な神山は遅れていました。その中でもここ陣出地区は特にそれが目立っていました。だからとりあえずシステムの変更をした方が良いと提案したのです」
 折木さんはそこまで語るとお茶を一口飲みました。
「懐かしい味ですね。高校時代、毎日のようにこのお茶を飲んでいました」
 折木さんはそう言って遠い目をしました。
「しかし、ここに書かれているだけの変更で済むのかね」
「取り敢えずです。本格的な変更には時間も費用も掛かります。それまでは待てませんから」
 父は改めてレポートに目を通しています。
「今回のは、特に角費用は掛かりません。でも時間は待ってくれません。収穫ももうすぐでしょう。変更するなら今の内です。刈り入れが済んでからでは遅いです」
「そうか、それなら君の提言通りにシステムの変更をしよう。だがもし効果が無かったらどうする」
「そうですね。効果が無くても金銭的な損害は起きないと思いますが、その時は千反田……もといお嬢さんを諦めます」
「二言は無いな」
「男に二言はありません。でも効果があった時には……」
「効果があった時?」
「そうです。その時には新たな提案があります」
「新たな提案? そんなものまで考えているのかね」
「勿論です。俺とお嬢さんの仲が上手く行くならどんな事でも考えますよ」
「どうやら本気なのだな」
「本気でなければここまで来ません」
 折木さんは車で言った事を話すみたいです。わたしも興味があります。
「それはこれです」
 そう言って折木さんは、ポケットから取り出したビニール袋から何かの種のような籾のようなものをテーブルの上に広げました。父がしげしげと見てそれを摘みました。わたしはそれが何か直ぐに判りました。
「これは小麦だな」
「そうです。小麦です。これをこの陣出で栽培するのが次の提案です」
 折木さんの言葉に父は
「馬鹿な。ここ神山では小麦は育たん。例え育ったとしても今の米の時期と重なるから無理だ」
 そう言って否定しました。でも折木さんは
「普通の小麦なら、その通りです。でもこれは違うのです。これは『農林10号』という早稲でしかも耐寒耐雪性が強い品種をお嬢さんの会社が更に改良したものです。無論彼女も関わっています。通常小麦は本越年生の植物です。秋に種をまいて越年させ、春に発芽し夏に収穫するのが基本形なのです。これは、発芽のためにある程度の低温期間が継続する必要があるためでした。でも品種の改良や突然変異などによって耐寒耐雪性が強い品種が誕生しました。今日持って来た小麦は米の収穫後に籾を撒きます。そして冬のうちに発芽します。その後はゆっくりと発育して行きます。途中で雪が降っても発育は止まりません。そして収穫は5月上旬です。これなら陣出の田植えの時期である5月下旬から6月に間に合います。勿論休耕田を活用すれば、苦労は少なくて済みます」
 それを聴いた時の父の驚きようは普通ではありませんでした。
「君はそんなことまで考えていたのかね」
「勿論です。俺はお嬢さんを愛しています。高校時代に交際をしていましたが、その後疎遠になってしまいました。彼女が他の男性と結婚したと聞いた時は、正直心の底から落胆しました。そして自分が如何に彼女を愛していたのかを悟ったのです。もう二度とあのような想いはしたくありません。だから今回のことで自分の能力を最大に発揮して提案したのです」
「そうか、それは理解した。しかし新しい品種とはいえ小麦とは意外だった」
「国産小麦は今や人気商品です。麺類やパンの材料として引く手あまたです。国産小麦は以前のものはグルテンの含有量が少なく、麺類以外には向かないと言われていましたが、今の品種は外国産以上の品質です。それに政府の保証もありますから一時の人気に左右されることがありません。野菜などだと一時の流行で価格が大きく変わりますが政府が関わる小麦なら安定して収入が入ります。陣出の人々としても将来の色々な計画を立てやすいと思うのです」
「君の考えは理解した。取り敢えずこのシステムの変更をしてみよう。結果がどうなるか楽しみだ」
「上手く行くことを祈っていますよ」
 最後に折木さんは、そう言って立ち上がりました。今から三ヶ月後とは暮からお正月です。上手く行けばまた折木さんと初詣が出来るのですね。そう思うと胸が熱くなりました。
 それからは摩耶花さんや福部さん。それに十文字さん達と逢って色々な話をしました。中でも十文字さんは
「あの折木くんが、鉄吾さん相手にそこまでやったんだ。本当に本気なのね。良かったね、える!」
 そう言って一緒に喜んでくれました。でも結果は三ヶ月後なのにです。

 その後、お正月に折木さんは父に呼ばれました。それも一般の新年の挨拶の客様が見える元旦ではなく、身内が集まる二日でした。それが何を意味するのかは、わたしでも判ります。
 結果だけを言うと折木さんの提言で会社の利益が向上したそうです。父はそれを高く評価しました。お正月に呼んだのは例の小麦の話の続きもする意味もありました。


 お正月の二日に呼ばれるということは身内に紹介する意味もあります。それがどのような意味を持つのか、わたしにも判ります。でも折木さんはそこで小麦の話の続きをするつもりです。
 と言うのも、九月に折木さんと父は話をしたのですが、その後に折木さんの提唱したシステムに変更した途端、効果が出始めたので、父は小麦のことを真剣に考え始めました。そして、わたしを通じて折木さんにコンタクトを取ったのです。電話での会話でしたが、稲の刈り入れが終わったばかりの田圃と休耕田に、それぞれ一枚の田圃にあの小麦を試験的に蒔いてみたいと話したのです。
『そうですか。それならウチから試験用の籾を提供しますよ』
『無償提供かね?』
『勿論です。ウチとしても実際の栽培のデータが欲しいですからね。だから経過をウチの者に観察させて戴きますけどね』
『それは構わんが、収穫した小麦は?』
『それはそちらでご自由に使ってください』
『そうか、判った』
『撒く日時が判ったら連絡ください。俺が行ければ行きますし、最低でも担当の者をやらせます』
『本音では君が来てくれれば幸いだがな』
 凡そこんな会話がなされたそうです。神山に向かう車の中でわたしは折木さんに
「小麦。育っていれば良いですね」
 そう言うと折木さんは
「もう発芽はしてるそうだ。雪が降っても順調に育っていると連絡が入っている」
「籾を撒く時は、わたしの会社からも指導員を派遣しました」
「あれは助かった」
「ウチとしても将来がかかった商品ですから」
「確かにな。その意味ではウチの会社も同じだ。これが上手く行けば、千反家を始め陣出の農家、俺の会社、そしてお前の会社の三者にとって大きな成功になる。大事な試験栽培なんだ」
「そうですね。わたしも研究をしていた時のことを思い出しました」
 やがて車は高速を降りて神山に向かって行きます。陣出の坂を登ると実家が見えて来ました。陣出に入ると折木さんは、試験栽培をしている田圃に車を向かわせました。
「見ろ、順調だ。このまま行けば良いな」
 窓の外の田圃には雪の間に青い麦の芽が見えていました。
「ウチの会社で試験栽培した時よりも順調です」
「もしかしたら、ここが栽培に適しているのかもな。改良したとは言え、麦はある程度の寒冷な気候は必要だからな」
 この田圃は、わたしには希望の田圃に見えました。やがて実家に到着します。以前とは打って変わって父が真っ先に出迎えてくれました。
「おめでとう。お帰り。麦の様子を見て来たかな」
「おめでとうございます!はい。しっかりと見て来ました」
「そうか。折木君の言った通りになりそうで、わたしとしても嬉しいよ」
「あけましておめでとうございます。本年も宜しくお願い致します」
「ああ、おめでとう。みな君の言った通りになってるよ。本当に感心した」
「いえ、本当に大事なのはこれからです」
「そうだな。ま、今日は正月だ。祝おうじゃないか。上がってくれたまえ」
 父の言葉に従って家に上がります。広間ではもう宴席の準備が出来ていました。
「そう言えば、もう元旦にいい子してなくても良いのか?」
 折木さんがそんな冗談を言います
「はい、一度は家を出た者ですから」
 そうなのです。姓が千反田に戻っていても、わたしは一度はこの家を出た者なのです。それだけは忘れてはならないと思っています。
 やがて、特に親しい親族も加わって、正月の宴が開かれました。父は午後からは挨拶回りに出ます。それもあるので比較的早い時間です。その席で父が爆弾発言をしました。
「親族、家族の皆、少し聴いて欲しい」
 その言葉で皆が父の方を見つめます
「今日は、折木奉太郎君にもこの席にお出でを願ったのですが、彼は我が娘のえるの高校時代の同級生です。そして現在、二人は交際しております。ご存知のように、えるは一度は結婚生活に失敗しました。でも折木君はそれを気にしないと明言してくれました。わたしは彼と関わって月日は短いですが、彼が誠実でしかも有能な人物であることが判りました。わたしは二人の結婚を認めようと思います。そして出来れば、この千反田を継いで欲しいと思うようになりました」
 まさかの発言です。わたしは
「お父様、その話は……」
「なんだ、お前は折木君と一緒になりたくないのか? 折木君は二度とお前を離したくないと語っていたぞ」
 どうやら、父はわたしの知らない間にも折木さんと連絡をとっていたみたいです。
「いえ、その……」
「どうなんだ?」
 父がわたしにここまで問い詰めるのは初めてかも知れません
「わたしは出来れば折木さんと一緒になりたいです!」
 とうとう言ってしまいました。しかも身内と親戚が居る席でです。
「わあ! えるちゃんおめでとう!」
 皆が一斉にお祝いの言葉を言ってくれます。でも一つ気になることがあります
「折木さん。お父様が家に向かい入れると言っていましたが、それは……」
 わたしの質問に折木さんは苦笑いをしながら
「実はこの前から婿入りを言われていてな。今日返事をすることになっていたんだ」
 そんなこと全く知りませんでした
「わたしはお嫁に行くとばかり思っていました」
「嫌かい? なら再考するけどな」
 嫌ではありません。でも余りにも急なことなので考えが追いつきません。でも……。
「もしそうなれば嬉しいです」
 それだけ言うのがやっとでした。
「なら決まりだ」
「折木君良いのかね?」
「はい、依存はありません。でも一つお願いがあります」
「お願い? 何だね」
「はい、将来ですが千反田農産の中にラボを作って欲しいのです。規模は小さくても構いません。千反田には、一緒になっても研究を続けて欲しいのです。それがやがて陣出の将来に繋がりますから」
 折木さんの言葉を聴いた父は
「全く君と言う男は、本当に先のことまで考えているのだな」
「性分なんです」
 その言葉に宴席の皆が笑いました。わたしは、心の底から喜びが湧き上がりました。わたしの選んだ人が、父を始め皆に受け入れられた事が誇らしかったです」

 その夜は当然実家に泊まりました。父が
「今夜からはお前の部屋に泊まって貰いなさい」
 そう言われました。その言葉が何を意味するのか……。
 すると部屋に入ってから折木さんが
「今夜は寒いから布団はひと組で良いな」
「そうですね。二人で抱き合っていれば暖かいですね」
「何も身に付けていなくてもか?」
「そんな……イジワルです」
 そうは言いましたが結局その夜は、何も身につけることなく朝を迎えました。
 その次の日は摩耶花さんを始め友達と旧交を温めました。帰る時に父が、そっとわたしに耳打ちしました
「孫が先でも怒らんぞ」
 それを聴いて真っ赤になったわたしを折木さんが不思議そうな顔で見ていました。


                               <了>

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