浮世絵美人よ永遠に 第二十話  吉原格子之先図

image 組織は、安政などの幕末には坂崎さんが駐在員としている。同じ時代に蔦屋重三郎さんが居て、北斎さんの娘のお栄さんと一緒に暮らしている。組織から見れば、お栄さんは重要な絵師だし、蔦屋さんは今で言えばプロデューサみたいな事をやっている。
 広重さんに江戸の空を飛ばせたのもそうだし、お栄さんや北斎さんを現代の美術館に連れ出して、西洋画を学ばせたのもそうだ。常に先を考えている。この蔦屋さんの行動に組織の本部も感心して、ヨーロッパあたりでも、歴史の陰で動く人物を育てているらしい。
 まあ、未来の医療技術で亡くなる寸前の人を助けてもその時に老人では余り意味が無い。その点で、四十七歳で亡くなる蔦屋さんは打ってつけだった。まだまだ十分に働けるし、本人も江戸の浮世絵に関して野望があるみたいだ。
 そんな中、蔦屋さんから連絡があった。五月雨さんに呼び出されて所長室に赴くと
「いよいよお栄さんが『吉原格子之図』の制作を開始したそうだ。蔦屋さんが確認の為に君に来て欲しいとのことだ」
「そうですか、いよいよですね。でも、それは向こうでは何時頃なのですか?」
 こっちでは数週間しか経っていなくても、江戸では実際には過去であるから、かなり時間が経っていることもある。
「天保十年だそうだ。つまり四年経っている事になる」
 この前、夜の吉原に連れて行ってが、実際にお栄さんが描けるようになるには四年に歳月が必要だったと言う事だと思った。
「遂に『吉原格子先之図』が完成するんですね。それで今回は自分だけですか?」
 今まで何かある時は常にさきが一緒だったからだ。
「今回は君だけだそうだ。さき君には別な時限に飛んで貰う事になっている」
「別な時限ですか?」
 今朝、家を出る時は何も言っていなかった。その後に命令が下りたのだろうか?
「夫婦だから判ってしまうだろうから言っておくが、安政四年の江戸に行って貰う事になっている」
 安政四年とは……俺の中で色々な事が想像された。記録上ではお栄さんが行方不明になった年だったと記憶している。
「まあ、その後の経過などは奥さんから聞いてくれ」
 五月雨さんはそんな事を言って俺を送り出した。

 江戸は晴れていた。風が気持ちよかった。神田の長屋を出ると神田川沿いに歩く。柳橋を渡って隅田川沿いに北に歩く。御成街道を通った方が早かったかも知れないが、こんな天気の日は水辺を歩きたい。隅田川には多くの船が行き来していて、この前は俺も猪牙船に乗って川を上ったのだと思うと一際感慨深く感じた。
 吾妻橋を渡るともうすぐ蔦屋さんとお栄さんの住まいだ。留守ならば北斎さんの家だと見当はついているので、確かめもせずに来てしまった。
「ごめんください」
 格子戸を開けて声をかけると中から
「どうぞお入りくだされ」
 そんな声がした。声の主は蔦屋さんだった。
「上がらせて戴きますよ」
 そう言ってから上がらせて貰う。今日は足も汚れていないのでそのまま上がった。廊下を進むと左手の縁側に通じる部屋に二人が居た。
 お栄さんは大きめの座卓の上で絵を描いていた。蔦屋さんはそれを傍で見守っている。蔦屋さんは俺を確認すると手招きをした。俺も頷くと黙って傍に寄る。蔦屋さんはお栄さんより少し離れた場所に移って
「お呼びだてして申し訳ありませぬ。実は『吉原格子之先図』が完成が間近なので、光彩殿にも確認をして貰いたかったのでございます」
 大凡としては、そんな事だろうとは思っていた。この絵は依頼主がおり、完成すれば引き渡される。だからその完成の間近に見られるのは仕事上とは言え役得でもある。
「楽しみとしか言えませんな」
 俺もそう返した。それから暫くしてお栄さんが
「出来ました。実際はもう少し手直しするかも知れませんが、一応完成致しました」 
 お栄さんに手招きされて縁側に出て見る。座卓の上には夜の吉原があった。今完成したばかりの「吉原格子の先之図」だ。
「これは依頼主が掛け軸に装丁して部屋に飾りたいと言うので、落款は押さない事にしました。でもその代わりに少し遊びを入れました。西洋の絵でもこんな遊びをしてるものを見つけましたので、あたしも同じように遊んでみたのでございます」
 遊びとは何だろうと、目を凝らして見る。横から蔦屋さんが嬉しそうに
「提灯ですよ」
 そうヒントを教えてくれた。言われた通りに絵に描かれた三つの提灯に注目すると、そこには「應」「為」「榮」に文字が見えてとれた。
「これは……」
「この縁側で陽の光の下で見ると判りにくいのですが、夜に行灯の下で眺めるとまた格別でございますよ」
 蔦屋さんが嬉しそうに言う。するとお榮さんが
「この人が、こうした方が面白くて粋だからって」
 まさか、俺はこの提灯に自分の名前を入れた事が蔦屋さんの発案だとは今まで思ってもいなかった。お栄さんは他の絵には「應為栄女筆」とか入れている。こんな遊びをしたのはこれだけである。
「鉄蔵が描いた事になってる作品でも、あたしが手伝ったものも数多いですが、それはそれでございますからねえ」
 後年、北斎さんが描いた事になってる作品でも本当はお栄さんが描いたのでは無いかと言われている作品がかなりある。
 俺の感じた事だが、北斎、お栄親子は言わば自由人的な発想で仕事をこなしていたのだろう。それは二人に近づいて接触していれば判る事だ。お栄さんにとって、自分が描いた作品が後の世でどうなるかは余り重要では無かったのかも知れなかった。
 俺の仕事は絵の完成を確認する事だった。写真に撮りセンターに報告をする。同じように蔦屋さんも報告をしているだろうが、報告先が違っていた。俺は「時間管理局」の一員だから、そこに報告をする。蔦屋さんは実は「時間管理局」に所属している訳では無い。一応蔦屋さんが所属してるのは「美術部」と言って、総合的に美術をサポートする部署だ。実は後から作られたのだが……。
 このあたりは組織もかなり適当な所がある。実際、俺やさきと同じように行動する訳ではない蔦屋さん等は総合的な見地からの意見が必要だった。
 報告を終えて、俺はついでだからと北斎さんを尋ねてみる事にした。
「ごめんください」
 この頃でも本所に住んでいて、やはり一軒家を借りていた。
「はい、どなたでございましょうや」
 出て来たのは弟子の人だった。
「自分はこうすけと申します。先生に神田からやって来たとお伝えくだされ」
 そう告げると、家の中から北斎さんの声が聞こえた。
「上がって貰え」
「どうぞ、お上がりくだされ」
 そう言われて上がる。家の中は思ったより、散らかっていなかった。きっとこのお弟子さんが掃除をしているのだろう。
「掃除は大変ですか?」
 いきなりだが、そう尋ねると、お弟子さんは半分笑いながら
「ええ、まあ……」
 そう言って頷いていた。
 作業場とも言える部屋には北斎さんが仕事をしていた。
「精が出ますな。今、お栄さんの所に寄って来た所でございますよ」
 そんな挨拶をすると北斎さんは
「そうですか、それはそれは……あいつも、やっと独り立ちしそうですよ。それに比べこっちは爺になっっちまって仕方が無いですな」
 北斎さんは、この年で確か八十一になるはずだった。
「信州の知り合いから、誘いが来ましてな。こっちの仕事が終われば、旅立とうと思っておりますよ」
 確かに北斎さんは、この後信州に旅立っていて暫く過ごしているし、その後も別な用事で信州を訪れている。それは亡くなる前の年まで滞在したのだった。

浮世絵美人よ永遠に 第十九話  広重の得たもの

A665_Z2 思えばかなり時間が経っていた。さきが傍に来たので訊いてみる。
「俺がお前と平安京に行った時よりも、随分と時間が経っているが大丈夫なのかい?」
 するとさきは笑いながら
「あの時は点検を兼ねてですから、今は正規の運用ですから大丈夫です」
 それにしても空から見る江戸の街は本当に緑が多い。俺の足下にある上野の山も、殆どが寛永寺の境内になっており、鬱蒼とした森の中に寺社が点在してるだけのように見える。実際は末社まで含めるとかなりの建物があるはずだが、それよりも緑が多いと言う印象だった。
 蔦屋さんが広重さんに何か言っている。この言っていると言う表現をしているが、実際は脳内の意志を装置を介して伝えているだけで、実際に話してる訳ではない。それらしく感じさせているだけだ。でも気分は実際に会話をしている感じなのだ。
 俺が蔦屋さんに訊いてみたい事は一つだけだが、装置を通じてここで尋ねてしまうと広重さんにも伝わってしまう。それはこれからの事を考えて言ってはならないのだ。
 そう、我々、組織の人間は今後に起こる事を想定して誘導してはならぬ。と定められているからだ。俺が尋ねてみたいのはこの後、晩年に広重さんが書いた「江戸名所百景」の事だった。歴史的には広重さんは安政五年に六十一歳でコレラで亡くなるのだが、その時に完成を目指していたのが「名所江戸百景」なのだ。そして、これには鳥瞰図とも言える空からの景色が多く採用されている。須崎十万坪もそうだし、その他にも空からの景色が数多い。俺は、蔦屋さんがそれらを知って誘導しているのでは無いかと思ったのだ。もし、そうなら、組織的には違反に当たる。また、組織もそれを知って今回許可を出したなら、それは何か理由があるのだろうか?
 俺はそんな事を考えていた。まあ、俺がお栄さんや北斎さんを現代の美術館に案内して色々な西洋画を見せたのも、誘導と取られても仕方ない。お栄さんが「夜の吉原を見たい」と言った事とは基本的に違うのだ。
 考え事をしていたら、さきに声を掛けられた。
「そろそろ帰りましょうか。思えば随分時間も経ちました。初回で余り時間が長いと復帰するのに時間が掛かる時もありますからね」
 そうか、それは確かにあると思った。さきは結構体験してるが、俺は二回目。蔦屋さんと広重さんに関しては初めての体験なのだ。
「さきが、意志で転送を終えるように伝えると、間もなく意識がカプセルの中の自分に戻った。
「お疲れ様でした」
 小鳥遊さんが出迎えてくれる。出迎えると言うのは可笑しいが実感としては、そんな感じなのだ。
 カプセルから出て、簡単な検査を受ける。これはちゃんと意識が戻っているかのテストだ。
「皆さん問題は無いようですね」
 検査官の女性が問題の無い事を証明してくれて、俺たち四人は食堂に向かった。時間は既に昼近くなっていたが、動いていないので腹は減っていなかったが喉が乾いていた。適当な席に座りそれぞれが飲み物を注文した。俺とさきがアイスティーで、蔦屋さんが冷たいお茶だった。広重さんは何を頼んで良いか判らず、俺と蔦屋さんの飲物を見比べていたが、蔦屋さんの
「甘い飲み物が嫌なら私と同じが良いでございますよ」
 そう言ってくれたので蔦屋さんと同じものを頼んだ。
「甘味は好きでございますが、これは冷たくて、気持ちが蘇りますなぁ。今の時期に氷りを味わえるなんて、贅沢でございますな」
 そうなのだ。江戸と現代とで一番違うのは恐らく医療だろうが、この真夏に氷りを味わえるのも江戸の人が驚く事なのだ。俺も真夏に江戸でパーティーをするなら、現代からロックアイスを持ち込みたい。
 広重さんは冷たいお茶を殊の外喜んでお代わりを貰いにカウンターに行くので席を外した。さきが付き添いで一緒に行く。俺はその隙に蔦屋さんに尋ねてみた。
「一つ尋ねたいのですが、今回広重さんを装置に掛けたのは『江戸百景』が考えにあっての事でしょうか?」
 俺の質問に蔦屋さんは言葉を選びながら
「そうでございますな。それも頭にありました。でも、『江戸百景』は広重殿の年齢で言えば三十年近く先の話でございます。今回見たからと言ってすぐに、何か作風に変化が起きると言うものでもありませぬ。でもこれからの浮世絵の絵師として確実にこのような体験が生きて来ると思ったからでございます」
 そうか、「江戸百景」は広重さんが今生きている天保六年から数えて二十九年後に取り組む仕事なのだ。今、江戸の空から街を眺めても、それが今すぐどうのこうのと言う話では無いと言う事なのだ。
「まあ、長い目で見れば誘導かも知れませんが、この二十九年間に他にも影響された事があるでしょうね」
 確かに、それは言えるだろうと考えた。
 広重さんが帰って来て、
「さき殿に進められて、餡蜜を頼んでみました。いや、江戸でもありますが、こちらのは色々な水菓子が入っていて綺麗なものでございますな」
 餡蜜の上にはアイスクリームが載っていた。あれを食べた広重さんの顔は一生忘れないだろう。それほど広重さんにとって衝撃的な事だったみたいだ。

 広重さんは蔦屋さんと一緒に安政六年の江戸に帰って行った。
「それではまた、向こうで」
 そう言った蔦屋さんの表情は、また何かを考えている感じだった。

浮世絵美人よ永遠に 第十八話  広重、江戸の空を舞う

8841eaf68d878c26e62de99fcea87a4b  遠くで目覚ましの音が鳴っていた。薄目を開けると、白い二の腕が目の前を過ぎってアラームのスイッチを止めた。
「時間ですよ。起きないと」
 耳元に優しい声が響く。起き上がろうかどうしようか迷っていると、頬に冷たい感触が襲った。さきの手だった。
「起きましょう……ね」
 そんな言われ方をしたら、寝ている訳には行かない。
 上半身を起こして時計を確認する。予定の時間には未だ時間がある。
「先ににシャワーを浴びて来ますね」
 パジャマにバスタオルを肩に掛けてバスルームに消えて行くさきの後ろ姿を眺め、立ち上がり顔を洗う事にする。バスルームの脇の洗面台で顔を洗う。磨りガラスのドアの向こうでシャワーを浴びているさきに
「顔を洗ったからシャワーは浴びないから」
 そう伝えると扉を少し開けて顔を出した。頭をタオルで巻いた姿がいい感じだと思った。
「いいのですか?」
 そんな事を言う。第一寝る前にシャワーは浴びた。その前に汗を掻いたので流したのだ。
「大丈夫だから」
「わかりました」
 そんなやり取りをする時に改めて夫婦だと感じる。
 制服に着替えているとさきが浴室から出て来た。
 ベッドの脇の化粧台で薄化粧をする。さきは基本的に濃い化粧はしない。どんな時でも薄化粧で通している。
 用意が出来ると一緒に食堂に向かう。朝食を採っていると、食堂に蔦屋さんと広重さんが現れた。
「広重さんの健康診断が終わったので、何かお腹に入れようと思いましてな」
 蔦屋さんはそう言って、キョロキョロと落ち着かない広重さんに座るように促した。
「何もかも初めてでして戸惑っております」
 確かに江戸の人がこのセンターにいきなり連れてこられたら戸惑うだろうと思う。
「さて何を食べますかな」
 蔦屋さんはメニューを眺めながら選択をしている。そして広重さんに
「ここへ来たら江戸では食べられない物を食べた方が宜しいと思いますが」
「蔦屋殿は何を?」
「私は、カツ丼にしようと思います」
「カツ丼……ですか……それは如何様なものでございましょうや」
 確かに豚肉を食べた事が無い江戸の人にカツ丼を説明するのは難しい。
「そうですな。豚肉を薄く切り、そこへ衣を着けて油で揚げて、それを今度は汁で煮て卵で綴じたものでございますよ」
 蔦屋さんの説明は確かだった。だが広重さんが何処まで理解出来たかは判らない。
「ま、猪鍋が食べられたら、これも好きになるのは確実でございますよ」
 蔦屋さんに言われて、広重さんもカツ丼にした。
 俺とさきは朝食の定食だ。ご飯と味噌汁、それに海苔とお新香。鮭の切り身に卵がついている。卵は生でも良いし、焼いても良い。さきは焼いて貰い俺は生で食べた。
「これは旨いものでございますな」
 広重さんがカツ丼の丼を夢中になって食べている。
「でしょう。大体の江戸の人間はこれにハマるらしいと聞いております」
 蔦屋さんはそんな事を言っているが、坂崎さんもトンカツは好きでセンターに来る度に食べている。
 食べ終わって暫くすると、蔦屋さんと広重さんが呼び出された。検査の結果が出たという事だった。
 二人共すぐに検査室に向かったが程なく帰って来た。
「広重さんは少し血圧が高いそうですが、大丈夫だそうです」
 蔦屋さんの言葉に安堵感が漂う。
「それでは何の問題もなく行けますね」
 さきの言葉に頷く二人だった。

 転送室の隣の装置のカプセルに最初に広重さんが入る。恐らく何もかも初めての体験だろうが落ちついたものだと思う。
 次に蔦屋さんが入る。ところで蔦屋さんもこの装置は初めてでは無いだろうか、蔦屋さんの口から体験したとは聞いていない。
 それから俺が入り、最後にさきが三人のカプセルを点検して自分も入った。
「それでは行きます。時間は天保六年の江戸の街。上空です」
 小鳥遊さんの声がカプセルのモニターを通じて聞こえる。
「それではカウント始めます」
 今まで見えていた部屋の天井の景色が、真っ暗に変わって俺は意識が遠くなるのを感じた。
 気がついたら空に漂っていた。脇にはさきが同じように漂っている。その向こうには蔦屋さんと広重さんが浮かんでいた。
「うまく行ったみたいですね」
 蔦屋さんも少し興奮しているのか、
「実は初めてでしてね。こんな景色を生きているうちにこの様な空からの景色を見る事が出来るとは思わなかったですな」
 広重さんは口も開かず真剣に自分の足元を眺めていた。
「ここはもしかして、日本橋の上でございますな。はあ~まさに東海道が伸びておりますな。そして右は本所深川でございますな。素晴らしい……」
 俺も江戸を空から見るのは初めてだが、江戸の街が思ったよりこんなに緑の多い都市だとは思わなかった。江戸の大半は武家地に寺社地だ。その殆どは緑の庭となっている。それに江戸の細部まで行き渡った川や水路。水と緑の都と言った趣を感じるのだった。
「それにしても、町人の住んでる所の狭さですなぁ」
 蔦屋さんは半分呆れてそんな事を言っているが、人口の半分以上を締めていた町人が江戸の街の二割ほどの面積の所に住んでいたのだから、無理もない感想だった。
「蔦屋殿、広重殿、ご自分の意識を変える事で何処へでも行けますでござんすよ。目的の場所を見つめて『あそこに行きたいと』念じればそこに行けるでござんす」
 さきに言われて蔦屋さんと広重さんは、それぞれお互いに行きたい場所を意識した。
 すると広重さんは深川の方にスーツと移動して行く。さきがそれに付き添う。蔦屋さんは江戸の街を廻り出した。俺がそれに付き添う。最初は只意味もなく回っていたと思ったが、やがて墨引きに添ってその上を飛んでいるのだと気がついた。
「蔦屋殿、墨引きでございますな」
「お判りですか。一度江戸と言う街の広さを実感して見たかったのでございます。こうして空から飛んでると狭いものでございますな」
 蔦屋さんは気持ちよさそうに飛んでいる。一回りして戻って来ると、広重さんはさきに色々とアドバイスを受けて絵の参考になりそうな場所を巡っていた。
 俺は戻ったら蔦屋さんに尋ねて確かめたい事を整理していた。

浮世絵美人よ永遠に 第十七話  センターへ

0818  意識だけを転送する装置を稼働するのは、センター長の許可が必要だ。それには俺の上司の五月雨さんの許可も得ねばならない。
「もしかして、この前五月雨さんと話をしていたのは……」
 俺が疑問を投げかけると蔦屋さんは
「実はそうなのです。許可と言うより口添えをお願いしていたのでございます」
 何という事だろう。あの時蔦屋さんは既に広重さんと繋をつけていたのだ。俺だけが何か置いていかれている感じがした。
「五月雨さんは何と?」
「口添えはするが、実際の行動は光彩さんと一緒にやるようにと」
 正直、俺は一度体験しただけなのだが……。
「じゃあ、さきも一緒と言う事なのですね」
 俺が五月雨さんの考えを推測すると
「多分、そうなのでしょう。さきさんはかなり多くの経験がお有りのようでございますから」
 実際の話、新規に組織に入った物は訓練センターで基本的な事を学ぶ。学校で習った歴史もそうだが、これから起きる未来の事も大凡学ぶ。その他に美術史や実際に古今東西の名画にも触れる事になり基礎知識を溜め込んで行くのだ。この講師に、さきが選ばれて、この前までやっていた。今は別の者と交代して、俺と同じ八重洲の事務所兼ギャラリーに勤務している。講師をやったぐらいだから、経験はかなり多いのは事実だ。確か蔦屋さんも簡単だが訓練を受けていたはずだった。
「じゃあ後はセンター長の許可だけですね」
「手続きとしてはそうでございますが、健康診断が残っています」
 そうだった。あの装置は脳に損傷があると使えない。俺はセンターに初めて連れて行かれた時にすぐに受けたが、広重さんが使うとなると少なくとも脳は調べないとならないだろう。
「広重さん大丈夫ですかね?」
「まあ寝ているだけでございますから」
 確かにCTスキャンの様に寝ていてトンネルのような物をくぐるだけなのだが、それで全て判ってしまうという所は正直、俺も少し薄気味悪く思っている。
「じゃあ、センターに行きませんとね」
「だから光彩さんはこれからセンターに行き着替える訳でございましょう?」
「確かにその通りですが、私がセンター長に?」
「お願い出来れば」
 まあ、正直な事を言えばセンター長に対しては蔦屋さんよりも俺の方が親しい。さきはもっと親しい。さきと一緒にセンターに行けば尚更良いと思った。
 確か今日は八重洲の事務所で書類の整理をしていたはずだ。朝別れたので本当は何をやっているかは判らないが八重洲に居る事は確かだった。
「一旦、八重洲に戻って、それから、さきを伴ってセンターに行く事にします。それに広重さんを健康診断するなら朝食前が良いでしょう」
 今後の予定を述べると蔦屋さんは
「では、センター長の許可を得られると言う前提で明日の朝に広重さんをセンターに連れて行くと言う事で良いのでございますな」
「大丈夫だと思います。許可は簡単に降りるでしょうが、健康診断の結果の方が大事です。何かあればすぐに連絡致します」
「ではお願い致します」
 蔦屋さんの頼みを受けて、俺はタブレットの転送装置を作動させて、現代の八重洲の事務所の転送室に転送した。
「おや、センターに帰るはずでしたよね」
 転送装置を操作するエンジニアからそんな声が掛かる。
「うん、そうなんだが、さきと一緒にセンターに行く用事が出来てね」
 俺はそう言って江戸の人間の格好をしたまま、事務室に居るさきを探しに行った。さすがにこの格好に慣れている職員も俺の顔を見てギョッとしていた。事務室のドアを空け、さきに声を掛ける
「さき、一緒にセンターに行って欲しいんだ」
 俺の格好をしげしげと眺めたさきは
「あら、また随分急いでらっしゃるのですねえ」
 そう言って笑っている。大凡は五月雨さんから訊いて知っているのだろう
「聞いてるのだろう?」
「まあ大凡は」
「じゃ話が早い」
 さきの手には書類が握られていた。
 さきの手を取って五月雨さんの所長室に急ぐ。ドアを開けると机に座っていた五月雨さんは
「来る頃だろうと思っていた。センター長には俺からも言っておいた。決まりだから実際に行って許可を得なければならないが、着替えるついでなら問題はあるまい。それで広重さんは何時センターに来る事になっているんだ?」
「明日の朝です。朝食前がよかろうと」
「確かに……健康診断だからな」
「では二人で行って来ます。多分今夜はセンターに泊ります。その方が無駄がありませんから」
 そう言って、さきの荷物を持って転送室に行く。元より、さきは明日はここに帰って来るので、持ち物は余りない。
「急な事だが今夜は家に帰らなくとも大丈夫だろう?」
「それは、いつも緊急事態に備えていますから大丈夫です。着替えもあちこちに置いてありますからね」
さきは、そんな事を言って平然としている。こんな時、こいつは俺よりも経験者だと感じる。
 
 転送室でセンターに転送されるとセンターでは何時ものエンジニアの他に小鳥遊さんが待っていてくれた。
「お久しぶりです。今回はなんでも広重さんを装置に掛けるとか?」
 既に蔦屋さんの手回しが済んでいるのだろう。この辺はやはり蔦屋さんはやり手だと感じる。
「そうなのです。これからセンター長の決済を貰うのです」
 さきが俺の代りに答えてくれる。ここでは、さきは人気者でもある。
 転送室からセンター長の部屋に向かう。このあたりは俺でもそう多くは来ない場所だ。さきも
「組織の人間でも、わたし達のような現場の人間にはこの辺りには余り来ませんからね」
 やはりそんな事を言う。センター長の部屋のドアを開けるとセンター長は待っていてくれた。
「五月雨くんや各方面から話は聴いているが、書類上の決済が必要だからな」
 センター長はそう言って、さきが書いた書類に決済のサインをしてくれた。日本なら判子なのだが、組織は国際的な組織なので、書類の決済はサインだ。
「ありがとうございます!」
 礼を言って書類を確認すると、同行する職員の欄には俺とさき、他に蔦屋さんの名前も書いてあった。
「皆で行くのか?」
「はい、ついでですから。それに、江戸の街を空から見たくはありませんか?」
 確かに、見たいのは確かだが、あの装置にそんなに一度に入れたか疑問だった。
「カプセルって幾つあったっけ?」
「四つですよ。でもまた抱き合って一緒に入ってもいいですよ」
 その目は何だか俺を誘ってるように感じた。
 エンジニアの小鳥遊さんと明日の打ち合わせをして、食堂で夕食を採る事にした。ここで食べるのは久しぶりなので、色々なものを頼んでしまった。
 それを二人でつつきながら食べていると何だか結婚前の事を思い出した。
「昔は、よくこうやって二人で食べたな」
「そうですね。私はあの頃、本当は男性と一緒に食事をするのに慣れていなくて、少し恥ずかしかったです」
 そうか、そう言われて見れば、さきの態度がやや固かった気もした。
 その夜は早寝する事にした。映画も何も見ずに、ベッドルームを暗くし、夫婦らしい事をした。
 

浮世絵美人よ永遠に 第十六話  蔦屋の狙い

100_views_edo_107-425x650 天保六年の江戸本所の片隅にある葛飾北斎の新居。そこに俺と蔦屋さん。そして、やはり天才の名を欲しいままにした歌川広重さんが居る。偶然では無かった。蔦屋さんが二人を引き合わせたのだ。蔦屋さんはこの頃実家の耕書堂に出入りをしていて、一種のアドバイザー的な事を行っていた。その縁で広重さんと知り合ったらしい。
 俺はこの時、長年疑問に思っていた事を直接訊いてみる良い機会だと感じていた。それは、俺が最初にさきに連れられて江戸に来て購入した「東海道五十三次」の蒲原の事についてだった。雪なぞ殆ど降る事がない温暖な蒲原の構図が何故雪になっていたのか、その疑問、謎をどうしても訊いてみたくなった。
 北斎さんと広重さんの会話が途切れたので、お茶を差し替える。そのついでに軽い感じで訊いてみた。
「私なぞ、あの蒲原の絵が雪だったのが意外に思ってたのでございますよ」
 広重さんは俺の入れた新しいお茶に口を着けてから
「ああ、あれでございますか、なんの真実は、雪が降っていたのでございますよ」
 いや、それは無いだろうと考えた。実際記録を調べても静岡の蒲原地方で雪が降った記録があるのはかなり遡らないと無い。後は、千八百五十六年つまり安政三年に雪が降っている。この年は天候がおかしく、江戸でも八月に雪が舞っている。天保の飢饉の年でもある。
 北斎さんは黙ってお茶を啜っているだけだし、広重さんは僅かに口角を上げた。
『何かある!』
 直感的にそう感じた。
 それ以上は問えなかった。実際に広重さんが蒲原で雪を見たと言ってる以上、それ以上は突っ込めない。珍しく北斎さんが貰い物の菓子を茶箪笥から出して来て広重さんに振る舞った。俺と蔦屋さんもお相伴に与った。
 その後、時間も時間となったので広重さんが帰る事になった。この頃は未だ日本橋大鋸町に住んでいたはずだ。晩年は常磐町に移転したとも言われている。転居の理由がはっきりしないし、その理由が後で判った次第だ。
 礼を言って北斎さんの新居を後にする。俺も用事は済んだのでこのままセンターに帰っても良いのだが、蔦屋さんが
「少し話がありまするので、ご一緒に」
 そんな事を言う。この時俺は、蔦屋さんが何かを考えているのでは無いかと思った。素知らぬ振りで
「そうですか、では」
 そんな返事をして一緒に歩き出した。俺、蔦屋さん、そして広重さんと三人一緒に歩いていると、どう見ても、蔦屋さんが主、俺が使用人と言う感じだ。広重さんは隠居した武士に見えるだろうと思った。
「まず、私の家にお寄りくだされ。そこで考えを披露致しまする」
 蔦屋さんの言い方が普段とは違って固い言い方なので、これは俺だけでは無く、広重さんにも言っているのだと考えた。
 北斎さんの新居と蔦屋さんの吾妻橋の家とは、歩いても小半時。今の時間なら凡そ三十分ほどだった。
「今の時間はお栄は寺子屋に教えに行って留守なので、丁度良いのでございます」
 お栄さんには言えない事なのかと考える。何だろうか……。
 程なく蔦屋さんの家に着いた。こっちは綺麗に片付けられていた。俺は思わず
「お栄さんが掃除するのですか」
 そんな事を訊いてしまった。蔦屋さんは苦笑いしながら
「やりますよ。余り熱心ではありませぬがね。基本は、掃除をするより絵を書いていたいと言う考えでございますからね」
 そう言って家の格子戸を開けて俺と広重さんを中に入れてくれた。
「どうそ、お座りくだされ。今、茶でも沸かします」
「いや北斎さんの所で戴いたばかりですから」
 広重さんはそう言って遠慮した。俺も喉は渇いていない。
「考えとはどのような物でございますか?」
 俺もなるべく江戸言葉で話す。蔦屋さんは窓や戸が閉まっているのを確認すると、
「こうすけ殿いや光彩殿、組織のセンターには意識だけを別な次元に飛ばす装置がある事をご存知ですよね」
 そういきなり組織の秘密とも言える部分の事を口にした。横目で広重さんを見ると、全く表情を変えずにいた。俺はこの時に先程、蒲原の事で広重さんが雪を見たと語っていた事と無関係では無いような気がした。
「確かにセンターには、そのような装置はあります」
 さきと一緒になる前の事だった。その装置のメンテナンスを兼ねて俺とさきは意識だけを平安の都に飛ばせたのだった。同じカプセルに一緒に入って狭い思いをしたが、後から判った事だが、カプセルは幾つもあり、別に同じカプセルに入る必要は無かったと後で知った。確か責任者は小鳥遊と言う人だと覚えている。確か今でもエンジニアの責任者としてセンターに居るはずだった。
「それで……」
「先ほど、北斎さんの家で、光彩さんが広重殿に質問した事を覚えておいででございますか?」
「無論です、長年の疑問でしたから」
 俺は当然の答えを言う
「実は、広重殿には私の転送装置で安政三年に一度転送しているのでございます」
 何という事だ。転送には本来、組織の許可が必要で、誰でも無夜間みに転送しても良い訳ではない。
「秘密裏にですか? でも組織には判ってしまうでしょう?」
「無論でございます。許可は得ました。特例と言う事で許可して貰いました。」
「では、その時に我々の事も?」
「細部は語っていませぬ。我々は江戸の美術を保護する時空を越えた組織の一員であると名乗っています」
 ある程度の事は知っていると言う事だと理解した。
「それで、今度はあの意識だけ転送する装置に広重さんを乗せると言う事ですか?」
 それしか理由は無いと思った。
「結論だけを申せば、その通りでございます。光彩さんは鳥瞰図と言うのをご存知でございますか?」
 知っていて当然だ。空から見た景色を描いたものだ。
「それが、どうしたのですか?」
「広重殿の絵には少しずつでございますが、西洋画の技法が混入してきているのでございます。やがてはこの描いたものが海を渡って西洋に伝えられます。その西洋の絵を我々日本の絵師が見て更に影響し合って行く。これが正しい形だと思うのです。私は、組織から光彩さんのように買い付けの仕事もありませんし、江戸の駐在員でもありませぬ。仕事は広く日本の絵を発展させ保存することでございます。その一環としてお栄さんを現代に連れて来て色々な西洋画を学ばせたりしたのでございます」
 蔦屋さんの仕事の内容は大体は判っていたつもりだった。しかし、影響が大きすぎると言う事は無いのだろうか?
「影響は最小限で済みますか?」
「済ませる所存でございます」
 俺はここで広重さんに直接尋ねてみる事にした。実はこれが一番大事だと考えた
「広重殿、どうですか、空から江戸を眺めて見たいと思いますか?」
 俺の質問に広重さんは、少し考えてから
「そうでございますね。この前、安政三年前後の蒲原に行き、驚きました。それまで蒲原は幾度か行った事がありましたから、正直蔦屋殿の申し出も最初は興味が薄かったのでございます。でも実際に行ってみて、衝撃をうけたのでございます。あの絵の空が暗いのは夜だからでは無いのでございます。あれは富士山の噴火で空が暗くなっていた時期なのでございます。噴火した塵が空に舞って光を遮っていたのでございます。私はあの光景を見て、これは記録しなくてはと思いました。そして、蔦屋殿が私にその光景を見せたのも、そこにあると考えたのでございます。それが真相なのでございます」
 真実は俺の全く想像外の事だった。安政地震は、嘉永七年(安政元年)に東地方で起こった大地震で、この後富士山も小規模ながら噴火を繰り返して灰が空を覆ったという。その記録だったなんて……。
「ご理解戴けましたかな? だから今度はあの装置で意識だけでも江戸の空に舞って欲しいのでございますよ」
 蔦屋さんはそう言ってにこやかな目をした。俺の頭の中で「名所江戸百景」の「深川州崎十万坪」が頭に浮かんだ。いや、それ以外にもあのシリーズは空から眺望した景色が多くある。俺はもう一度蔦屋さんの顔を見た。その表情には
「もう、お判りでございましょう」
 そんな事が読み取れたのだった。

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