氷菓二次創作  「千反田さんの推理」

「千反田さんの推理」


 土曜日の昼前のことだった。姉貴がリビングで文庫本を読んでる俺に
「あんた、今日暇だよね。後でお使いに行って来てくれない?」
 そう言って来た。俺は文庫本から目を離すと
「お使い? めんどくさい事ならお断りだ」
 そう言い返すと姉貴は
「あっ、そう、あんたにも関係する事なんだけどね」
 そう言って俺を脅かす。
「大した事じゃ無いのよ。どっかのスーパーでこの紙に書いてあるものを買って来て欲しいのよ。それだけ」
 そう言って俺に小さなバッグを手渡した。中を見てみると、千円札が一枚と紙切れが入っている。その紙切れを見てみると、卵1パック、葱1束、味醂、と三つの品物が書いてあった。
「こんなのなら、姉貴がバイトの帰り買えば良いじゃないか」
 そう言うと姉貴は
「普段ならそうするわよ。それが出来なくなったからあんたに頼んでいるんじゃ無い」
 なるほど、最もだ。
「バイトでね、遅番の子が今日は病気で来れないって連絡があってね。私が代わりにする事になったのよ。バイトが終わってだとスーパーみんな終わってるでしょう。だからあんたに頼んだの。分かった!?」
「ああ、分かったよ。で、どこで買っても良いんだな?」
「うん、それは任せる。あ、おつりはちゃんと頂戴ね。ネコババは駄目だからね」
 はいはい、そんな事はしませんよと。
 姉貴は俺に言いたい事を言うとさっさとバイトに行ってしまった。俺はそれから文庫本の切りの良い箇所まで読んで、買い物に行く支度を始めた。最もTシャツの上にポロシャツを着るだけだが……
 初めは一番近くのスーパーに行くつもりだったが、そう言えば今朝の新聞に折り込みチラシが入っていて、街道沿いに出来た新しいスーパーが今日と明日がセールだったと思い出した。家庭の主婦はこういう時1円でも安い方に行くと聞いた事がある。俺もそうしてみるかなと、その時思ったのだ。
 自転車で街道に出て、そのスーパーを目指す。そう言えば姉貴のバイト先もこの先だったと思い出した。十分程自転車を走らせると、真新しい建物が見えて来た。この辺ではかなり大きな部類に入るスーパーだ。
 自転車置き場に自転車を置いて、中に入る。思った以上に中は広々としていて、ほとんどの人は籠をカートに乗せて押して歩いている。つまりそれだけ広いのだ。

 俺もカートに籠を乗せて押して行くと目立った場所に卵が山積みにされていて「本日の目玉商品!おひとり様一個」と書かれていた。
 そうか、姉貴はもしかしたらこれを狙っていたのかも知れないと思い、俺も一つを手にして籠に入れた。さて、次は葱の番かと思い野菜売場を探してキョロキョロしていると、不意に後ろから声を掛けられた。
「こんにちは折木さん。お買い物ですか?」
 振り返ると我が古典部の部長の千反田だった。
「珍しい場所で会うものだな」
 俺は千反田にそう言い返した。千反田は、白のワンピースに夏物の水色のカーディガンをはおり、鍔の広い帽子を被っていた。どこから見ても夏のお嬢さんと言った風情だ。最も千反田は本当のお嬢さんなのだが……
「折木さんもスーパー等で買い物する事があるのですね」
「姉貴にな頼まれたんだ。自分で進んでは来ないよ」
 千反田は俺の買い物のカートの中をのぞき込み
「折木さんも今日の目玉の卵をお買いになったのですね。わたしもあまり安いので買って仕舞いました」
そう言って笑っている。
「ああ、確かに安いな。俺も普段はここまでは来ないんだが、今朝チラシが入っていたのでな……千反田も卵を買いに来たのか?」
 俺が訪ねると千反田は
「違いますよ。この近所の方に夏のご挨拶をしに来たのです。その帰りに新しく出来たこのスーパーに涼みがてら寄ってみたのです。そのお陰で折木さんにお会いする事が出来ました」
 千反田は俺とここで会った事がそんなに嬉しいのだろうか? 満面の笑みを浮かべている。しかし、学校の外で会う千反田がこれほど眩しいとは思わなかった。
「まだ、折木さんはお買い物をするのでしょう? 出来たらわたしもご一緒して宜しいでしょうか?」
 もとより俺に異存など有るわけも無く俺は了承した。
「次は何をお買いになるのですか?」
 そう訊かれたので姉貴の書いたメモを見せた。
「ええと次は葱ですね。それから味醂ですか?」
 メモを熱心に見ていた千反田は
「折木さんお姉さんは何かおっしゃっていましたか?」
「いや、特別には何も言って無かったが……それが買い物に関係あるのか?」
 俺が不思議そうに尋ねると千反田は
「はい、わたしが考えるにですね。お姉さんはきっとこの品物を何かの料理に使う積りだと思うのです。それが材料が足らないので、きっとここに書いて買ってこようと思ったのだと思います」
「千反田、それぐらいは俺でも解るぞ」
「あ、はいそうですね。問題は何を作る積りだったのか、と言う処だと思います。折木さんは心当たりがありますか?」
「別に無いが……なあ、ここに書いてある通りにネギと味醂を買って帰れば良いのじゃ無いか?」
 俺がもっともだと言う感じて返答すると千反田は
「その葱が問題です。どの葱を買えば良いかです」
「千反田、葱なんてのは普通は上が青くて下が白いやつを買うだろう?他にあるのか?」
「あります。全身青い九条ねぎとか同じ様な博多万能ネギとか色々と種類があるんですよ」
「そうか、それは知らなかった。でも千反田、姉貴はそういう知識に乏しい俺に只葱とだけ書いて渡したのだ。ここは普通の葱で良いと思うぞ」
 そう俺が言うと千反田は笑いながら俺に尋ねる
「折木さんの家では麺類の薬味にはどの葱を使いますか?」
「ああ、普通の葱だが……」
「じゃあ、それなら普通の葱で大丈夫ですね」
「どういう事だ千反田?」
 俺がそう訊くと千反田は嬉しそうに
「わたしが思うにですね。お姉さんはきっと明日のお昼あたりに、そうめんか冷麦を食べようとしているのだと思うのです。そこで、薬味の葱や錦糸玉子にする卵等を買って来なさいとおっしゃったのだと思うのです」
 そうか、そうめんと言えば姉貴が「お中元で貰ったそうめん食べないとね」と話していた事を思い出した。
「どうやら正解だったみたいですね。なら問題は味醂ですよ」
「なんだって、味醂が問題なのか?」
「はい、きっと味醂はそうめんのお汁にすると思うのです。ならばちゃんとしたのを買わないと……」
「なあ千反田、味醂にはいい加減な品物があるのか?」
「そうですね。見て戴ければ解ると思うのです」
 そう言って葱を買った後、俺を味醂の売り場に連れて行った。

 棚には色々な味醂が並んでいる。大きさしか違いが判らない俺に千反田は
「ほら、これを見てください」
 そう言ってある品物を手に取って俺に見せた。
 近い!こいつは人との距離の間隔が独特だったのを思い出した。
「ほらこれ、読んでみてください」
 千反田の指さした箇所を読んでみると
「味醂風調味料……うん……て事は味醂とは違うのか?」
「そうなんです。味醂風であって味醂では無いのです。こちらも見てください」
 そう言ってもう一つの品物の裏に指をさす。そこには
「なんだって、塩分1%……塩分? 塩からいのか?」
「そうなんです。これも味醂ではありません」
「なんでこんな品物があるんだ?」
 俺の疑問に千反田は
「味醂はお酒の一種です。ですからアルコール分を含みます。という事は酒税が掛かっているのです。それを避ける為にアルコールが無い味醂風調味料を拵えたり、塩分を加えて酒税が掛からない様にした品物を作りだしたのです。知らずに使ったら味が可笑しくなります」
 そうか、千反田はきっと料理上手なのだろう、そのうちにおにぎりだけでは無く、千反田の手料理を食べてみたいと俺は思った。きっと楽しく素晴らしい様な気がしたのだ。
 千反田の進めるメーカーの品物を買って会計を済ませると姉貴のよこした千円は殆んど残らなかった。まあ、きっと計算していたのだろう。俺は千反田に礼を言った。


 思いがけなく入ったスーパーで折木さんを見つけました。カートを押して卵を買っています。きっとこの特売目当てでやってきたのでしょうか?
 声を掛けると大変驚かれていました。お姉さんに頼まれての買い物だそうです。買い物に慣れない折木さんに色々とアドバイスします。
 何時も学校で折木さんの見事な推理を拝聴していますが、今日はわたしが色々と折木さんに説明をします。何時もと逆なので新鮮です。
 そこで、折木さんのお姉さんが作りたいと思っている料理が浮かびました。わたしは、それを頭に思い描きながら、折木さんにアドバイスします。
 でもその時わたしの頭に描いていたのは、わたしが折木さんの家で料理をつくる姿でした。何故その様な事を思ってしまったのか自分でも判りません。折木さんの為に料理を楽しそうに作る自分が居るのです。

 買い物をしたらお別れする積りでしたが、折木さんが
「アドバイスのお礼にお茶でも飲んで行かないか、おごるからさ」
 そう言ってくださいましたので、それに従います。実は私も名残惜しかったのです。
 何故でしょうか? 学生服姿で無い折木さんが新鮮だからでしょうか?
 それとも、伯父の件を解決してくれた折木さんに、わたしは特別な想いを持ってしまったのでしょうか? それが彼の為に料理を作る自分の姿を投影してしまったのでしょうか?
 今のわたしには答えは出せません。只、折木さんと今すぐにはお別れしたく無いと思ってしまったのです。
 わたしの中に不思議な感情が湧き上がるのを自覚します。何かに似てると思っていたら、あの喫茶店で折木さんに伯父の件を頼む前の心境と似ている事が判りました。
 スーパーから程近い喫茶店で二人で楽しく話をしながらお茶を戴きます。わたしがあまり折木さんを見つめているので
「千反田、俺の顔に何か付いているのか?」
 と云われて仕舞いました。わたしは
「いいえ、だって私服姿の折木さんは珍しいですから」
 と半分誤魔化しました。
 楽しい時間は直ぐに過ぎて仕舞います。表に出ると折木さんは
「じゃあ千反田、今日は有難うな! また月曜に学校でな」
 そう言って自転車に乗ります。
「はい、また月曜に、それでは……」
 そう言って頭を少し下げます。折木さんがその仕草をじっと見ていたので、ちょっとドキっとしました。
 やがて手をひらひらさせて折木さんは去って行きました。わたしは、その姿が見えなくなる迄何時までも何時までも見ていました。
 折木さん……本当はもう少しお話していたかったです。一緒に折木さんの家に行って料理を作ってあげたかったのです。
 でもどうしてでしょう?何故、今日はこんな感情が湧くのでしょう?
 わたしは半分判り掛けている自分の心を抑える為に胸に手を当てて想いを馳せていました。

 わたしが自分の本当の想いに気がつくのはもう少し後の事です……


   了

「にわか高校生探偵団の事件簿シリーズ」の二次創作  続き

昨日の続きです。
読みたいと言う奇特な方だけ次に進んで下さい。大したオチではありません。
このシリーズで重要なレギュラーの人物が登場します。

 それでは……
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「にわか高校生探偵団の事件簿シリーズ」の二次創作を載せてみます。

え~タイトル通りなのですが、「にわか高校生探偵団の事件簿シリーズ」とはなんぞや? とお思いの方にまず説明を致します。

主人公は、葉山くんと申しまして、下の名前は判っていません。千葉県蘇我市立高校に通う高校生です。
美術部に所属しているのですが、演劇部に良く手伝いに駆り出されます。
 その演劇部に居るのがこの物語のヒロイン柳瀬さん(一学年上)でして、彼女は葉山くんを愛妾扱いにしてる有り様です。
 そして不思議な事に彼の周りに次から次へと不思議な事件が発生します。難問に挑戦する葉山くんですが、事件の壁を乗り越えられません。
 それをいとも簡単に解決してしまうのが、
伊神先輩(二学年上)で、その見事さは唸るばかりです。

 お人好しで苦労症の葉山くんが周囲のためにと一生懸命駆け回ってがんばったあげく考えた推理と結論を伊神先輩が一瞬でひっくり返すと言うのがこのシリーズの醍醐味でもあります。


と言う関係をご理解の上お読み戴きたいと思っております。私の二次創作はそこまで出来良くありませんが……
 

※……これは、pixviで公開した時は別名で公開しています
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氷菓二次創作  「風邪ひき折木さん」

 「風邪ひき折木さん」

 十一月になり神山も急に寒くなった。上垣内連峰から降りてくる風が兎に角冷たいのだ。俺は熱いのは嫌いだが寒いのには弱い。まあ、結局両方弱いのだが……
 クラスでもインフレンザの予防接種の事が話題になっていた。特に、小学生の兄弟がいる家では既に接種させているみたいだ。女子の中にも接種したと言う声が聴かれた。
 まあ、俺は風邪は良く引くがインフレンザには掛かった事がない!…… 多分。
 調べて無いだけかもしれないが、記憶に無いのだ。だから予防接種等をしようという考えが浮かんで来なかった。

 高校生にもなってインフレンザの予防接種も無いだろうと、古典部で発言したら、伊原が
「折木、あんたそれは、おかしいでしょう! これからわたしたちは受験を迎えるのよ。予防接種で軽く済むなら、めっけもんでしょう」
 そう云われてしまった。
「おいおい、俺達は未だ高二だぞ!受験は来年だ」
 そう言ってから失言だったと思った。来年のこの時期は推薦ならもう終わってる大学もあると言う事を忘れていたのだ。更に千反田が俺の顔に近づいて
「折木さん、わたしはもう済ませましたよ。折木さんは未だなのですか?」
 そう訊いて来た。そして伊原も
「わたしも、もうやったわよ。福ちゃんと一緒にして貰ったから」
 そう言ったのだ。するとそれまで黙っていた里志が
「ホータローも受けて来た方がいいのじゃ無いかい? 千反田さんの為にも」
 そんな事を言うのだ。何故、俺がインフレンザの予防接種を受ける事が千反田の為になるのか。俺には理解出来……なくは無かったが、それとこれは別だろうと思った。いくら、俺と千反田が最近付き合い始めたからと言って、それとこれは別だ。
 なんだか、大事な事をさらっと言ってしまった気がするが、俺と千反田は先月の文化祭の打ち上げの晩に付き合う事を決めたのだ。
「千反田、俺はお前の役に立ちたい、そして常に傍にいたいんだ」
 我ながら大げさだったとは思うが、その時は真剣だったのだ。
「折木さん、わたし嬉しいです。でも、本当によろしいのですか? 多くの可能性を秘めている折木さんをこの神山に、陣出に閉じ込める事になって仕舞います」
「ああ、構わない! それこそが俺の望みなのだ……」
 そう言って涙を流す千反田を必死で抱きしめたのだ。

 そんな事を部室で話していた週の週末のことだった。本来なら今日は金曜で明日と明後日は休みなので気分的にも気持ちが軽くなるのに、何故か今日は気分が重いのだ。始末に悪いのはこれが気のせいでは無いらしいと判り始めた事だ。先ほどからやたら寒気がする。。風邪をひいたか? そう思うが次の瞬間嫌な事が連想された。どうもかなりの熱がある感じだった。
 そうだ、インフレンザになったのでは無いか?と言う事だ。間抜けだ。先日この事を古典部で話しあったばかりなのに……
 俺が予防接種など要らないと言ったので罰があたったのだろうか? まさかなとは思うが、あの時既に俺の体内にウイルスが混入していたのだろうか? こんな日は早く帰って寝た方が良い。
 夕方からは医者もやっているだろうし、インフレンザならタミフルか何か飲めば早く治るはずだ。
 そう思って今日は授業が終わり次第にまっすぐ帰ろうとすると、廊下で伊原にあった。
「ああ、良かった。伊原、里志と千反田に、見かけたらでいいが、今日は部活に出ないで帰ると伝えておいてくれ」
 そう俺が言うそ早速伊原の寸鉄が飛び込んで来た。
「何よ折木、あんたが部活を休むのをなんでわたしが皆に言わなければならないの? そんなの自分で言いなさいよ。第一、ここでたまたまわたしに出会ったから、言える事でしょう。本来なら、わたしとあんたはここで出会わなかったかも知れないのよ」
 お説ごもっともです。やはり伊原は伊原だった……が……
「あれ、そう言えばあんた顔色が悪いわよ。そうか風邪かインフレンザでも引いたんでしょう。この前強気な事を言っていたから罰が当たったのね。ふううん、良いわ、言っておいてあげる。特にちーちゃんには特に丁寧にね。
だからあんた暖かくしてちゃんと寝ていなさい」
 伊原は言いたい事だけを言うとサッサと何処かへ行ってしまった。何はともあれ、伝言してくれるのはありがたい。
 さあ、さっさと帰ろうと階段を降りて行くと声を掛けられた
「おや、折木くんじゃないか、久しぶり」
 振り返ると女帝こと入須先輩だった。
「暫くぶりじゃ無いか、元気にしていたかい?」
 輝く様な笑顔で語り掛けて来るのだが、正直今の俺にはうっとおしいだけだ。
「先輩は今日は?」
 しまった、余計な事を言ってしまった。
「うん、今日は推薦の書類を受け取りに来たんだ。私の進学したい大学は推薦の面接試験は
一月だからね」
 そうか、そう言えば先輩は国立大の医学部だったな。それにしても、国立の医科に推薦で入れる成績とは、恐れ言ったものだ。気がつくと、目の前に先輩の顔があった。驚いて半歩下がると入須冬実先輩が俺に訪ねて来る
「何だか顔色が悪いが、風邪かインフレンザか? 良く無いな。早く家に帰って寝るか、それともウチに来るか」
 そう言って俺の腕を捕まえ様とする。
「いや、先輩大丈夫です。一人で帰って病院に行きますから」
 そう言うと先輩は
「途中まで送ろうか?」
「いや、大丈夫です。それより先輩、推薦の書類を……」
 俺がそう言ったので本来の用事を思い出したらしい。
「残念だが、今日は諦めよう。わたしは大体運が悪いな……折木くん、済まないがこれで失礼するが、くれぐれも早く帰って寝る様にな」
 そう言い残して入須先輩は廊下を去って行った。

 俺はもう誰にも捕まらない様に早足で階段を下まで降りると、下駄箱で靴を履き変えていた。すると、聞き慣れた声を掛けられた。
「やあ、ホータロー、今日は帰るのかい?」
 振り向くと里志だった。よりによって、今日と言う日に限って……
「ああ、今日は帰らさせて貰う、先ほど伊原にも言ったのだが、千反田にはそう言っておいてくれ」
 俺はそう言って靴を履いて帰ろうとすると里志が
「さっき摩耶花に会ったと言う事は千反田さんだけには会っていないんだね。そうか、それじゃ千反田さんにも言っておくよ。ところで何か顔色が悪いけどもしかしたら、具合が悪いで帰るのかい?」
「ああ、そうだ、何か熱ぽくてな、風邪かあるいはインフレンザかも知れない。だけど千反田に余計な事は言うなよ」
「そうか、なら尚更千反田さんに言っておかなくてはね」
 何と言う事をこいつは言うのだろうか、千反田が俺の具合の悪い事を知ったら、只では済まない。すると里志が薄笑いを浮かべて
「ホータロー、でもね自分が具合の悪い時に、愛しい人に看病されると言うのも乙なものだよ。じゃあ、ちゃんと千反田さんには伝えておくから、お大事に……」
 そう言って里志は階段を上がって行ってしまった。
 そうか……そうなのだ、里志と伊原はもう付き合って半年以上になる。そのぐらいはもう経験済みと言うことか、と俺は思い、自分と千反田の事を考えた。あいつは、恐らく……やって来るだろう。里志が何と言おうとやって来る……そんな予感だけが頭の隅を巡っていた。

 家までの道のりを歩きながら、俺は自分の具合が増々悪化して来たのを自覚していた。不意に里志の言葉が頭を過ぎる
『自分が具合の悪い時に、愛しい人に看病されると言うのも乙なものだよ』
 確かにそうなのかも知れない。俺は自分の部屋で寝ている姿を想像する。そこに、千反田がやって来て色々と世話を焼いてくれる……確かに悪く無いかも知れない……
 だが、俺の部屋にそのまま千反田が入って来て大丈夫だろうか? 見られて困る様なものは……無いはずだ。
何と言っても俺の部屋の本棚にある本の大半は姉貴のものだ。だから、姉貴は部屋の現在の主である俺に何の断りも無しに勝手に入って来るのだ。だから、そんな時に見られて困る様な物は置いて置けないのだ。この点については大丈夫だという自信があった。
 まあ、そんな事を考えていなくても、千反田は来ないかも知れないし、いや、その可能性の方が高いかも知れない。そうだ、そうに決まっている。
 熱のせいか、何だか普段とは違う思考回路になっているようだ。そこで、またくだらない事を考えてしまった。
 里志はどのぐらい伊原に看病されたのだろうかと……

 家に帰ると誰も居ない。それはそうだ、親父は出張で姉貴は高校時代の友人と京都に紅葉を見に行っていない。
 日曜の晩に帰って来る予定だから、今夜と明日そして明後日の夕方までは一人と言う事だ。時計を見ながら着替えると、もう医者のやっている時間だ。のろのろと自転車を出して医者に向かう。時間が早かったので、待たずに診察となった。
「風邪だね。薬出しておくから」
「風邪ですか?インフレンザじゃ……」
「ないね!だが風邪と言っても侮っては大変な事になるし、今流行りの奴だと熱が結構出るから薬を飲んで、大人しく寝ているんだね」
 そう医者に言われて調剤薬局で薬を出して貰って家に帰ると玄関で千反田が待っていた。
「里志に訊いたのか?」
 千反田は、俺の顔を見て喜びの表情を見せて
「摩耶花さんから訊きまして、その後福部さんからも、そして昇降口で入須さんからも訊きました」
 なんて事はない、俺が蒔いた種を千反田が回収してとは、なんと言う皮肉だろう。
「医者に行って来た処だ。只の風邪だそうだ。インフレンザじゃ無いから心配しなくて良い」
 玄関を開けながら、千反田に医者の診察結果を伝えると
「風邪でも、ちゃんと養生しないと大変な事になります。お薬を飲んだら着替えて寝てくださいね」
 そう言って俺を着替えさせて、ベッドに寝かせ、俺が薬を飲むのを確認すると
「お借りしました」
 千反田は白いセーラー服の上から、姉貴が良く掛けているエプロンをして、その姿を俺に見せに来た。熱のせいか、中々良く似合ってると思ってしまった……
 僅かの間、姿が見えなくなったと思ったら、湯気の立ったマグカップを持って来た。
「冷蔵庫を拝見したら牛乳があったので温めて来ました」
 そう言って、俺の前に差し出す。
「ありがとう、すまんな」
 礼を言って牛乳に口をつけると、僅かに甘く、温かい牛乳がこんなに美味しいと初めて思った。すっかり飲み干してしまうと
「少し眠った方が良いですよ」
 そう言ってベッドの傍らで微笑ながら軽く掛け布団の上を叩いてくれる。子供じゃ無いんだし、と言おうとして、里志の言葉が再び蘇った。
『自分が具合の悪い時に、愛しい人に看病されると言うのも乙なものだよ』
 確かにそうかも知れない。あいつらは、こんなことをもう何回も繰り返したのだろうか……
 そう思っていたら意識が薄れてきた……

 目が覚めると、枕元には千反田の姿は無かった。俺はきっと帰ったのだと思い、窓際の目覚まし時計を見ると、時計の針は七時を指していた。
 あたりはすっかり暗くなっていて、窓からは陽の光では無く街灯の光りが注いでいた。上半身だけ体を起こすとかなり汗を掻いており、着替えなくてはと思い脇を見ると、ベットの脇に着替えが置いてあった。
 千反田が用意してくれたものだろうか、それなら俺の着替えが入っているタンスを開けたのだろうか? 少し気になった。
 着ていたものを脱いで着替え終わると千反田が部屋に入って来た。とっくに帰ったものとばかり思っていた。
「なんだ、帰ったと思っていたよ」
 千反田はコートを着ていた。先程は制服のはずだったが……
「一旦家に帰ったのか?」
 千反田に確かめると嬉しそうに
「はい、良く寝ていらしたので、一旦家に帰って、途中買い物をしてまたお邪魔しました。日曜の夜までお一人と伺いましたので、その……少しでもお役に立てればと思いまして……」
 そう言って買ってきた荷持を俺に見せた。覗くと、色々な品物が袋の中に入っている。
「お腹空いたんじゃ無いですか?用意してきますね」
 そう言って片手で荷物を持ち空いてる手で俺の脱ぎ捨てた衣類を抱えて部屋を出て行った。階下から「洗濯機お借りしますね」と聞こえる。
 俺は「ああ、好きに使ってくれ」と返事をして、千反田が何を洗うか気がついた。
 今更、何と言えば良いか、言葉が見つからないまま洗濯機が動く音が聞こえてきた。
 そこで俺は、今着替えた分だけでは無く、洗濯機に放り込んでいた、昨日の分も一緒だと気がついた。既に遅かったが……
 程なく階下の千反田が部屋に入って来て
「折木さん、夕食ができましたが、食べに降りられますか? それともお持ちしましょうか?」
 そう言うので俺は未だ、熱が完全に下がった訳では無いが、リビングに行く事ぐらいは出来そうなので
「大丈夫だから行くよ」
 そう言って一緒に降りて行った。

「今夜は消化の良いものにしてみました」
 見ると、彩りも綺麗な料理が並んでいた。
「美味そうだな」そう言うと
「調味料などはお借りしました」
 そう言って俺が座る席の前に向かい合わせに座った。
「ごはんは、おかゆにしてしまったのですが、普通のごはんの方が良かったですか?」
「いや、今夜はおかゆで良かったよ」
 先ほどまでかなりの熱だったのだ、それに今でも回復した訳では無いので、これで良かったと思う。そして味付けも風邪を引くと塩分に敏感になり普通の味付けでも濃いと感じるが、その点でも良く考えられており、申し分なかった。千反田も一緒におかゆを食べてくれた。

「美味しかったよ千反田、ありがとう。でもそろそろ帰らないと遅くなるんじゃ無いか?」
 片付け終わり、時計を見て時間を確認した俺は、お礼と千反田の事を心配して言うと千反田は
「今夜と明日の晩はこちらに泊まらせて戴くつもりで参りました。せめて、折木さんの具合が良くなるまでお世話させてください」
 そう言って黄色いエプロンの裾をいじって見せた。なんだって! 泊まる? 今夜と明日の晩もか?
「いや、その気持は嬉しいが、それは不味いだろう。若い男女が二人だけで一つ屋根の下で過ごすなんて……」
「折木さん、ご迷惑でしたか……わたしならリビングのソファーで寝ますので、折木さんのお邪魔はしませんので、駄目ですか?」
 千反田は悲しそうな表情で俺を見つめながら俺を見ている。確かに、今の俺は千反田と間違いなんて起こせない程弱っているが、だからと言って……
「出て来る時に両親にはちゃんと説明したら、『家の事は良いから折木くんのお世話をちゃんとして来なさい』と言われましたので両親も納得済みです」
 そこまで言われては俺は何も言えない。
「それに……」
「それに?」
「先程の洗濯物が未だ干していませんから」
 千反田はそう俺に言って笑顔を見せた。もう完全に俺の負けだ、千反田を泊めざるを得なくなってしまった。
 別な部屋……姉貴の部屋とかで寝かせれば良いか……俺はそう考えていた。
「千反田、本当にいいのか?」
 再度確認をすると千反田は笑顔で
「はい、宜しくお願い致します」
 そう言って俺に夕食後の薬を差し出した……正直、忘れていた。
 俺は千反田に来客用の布団が仕舞ってある場所を教え、風呂の沸かし方等もレクチャーして自分の部屋に戻った。気のせいか、また熱がぶり返しつつある様だ。
 早く布団に入ったほうが良いと思いベッドに横になり布団をかぶるとすぐに眠りに落ちた……

 何時頃か判らないが目が覚めて、部屋を見ると自分で灯りを消した記憶が無いのに真っ暗になっている。きっと千反田が見に来てくれて消してくれたのだと理解した。だが、何となく部屋の感じがおかしいのだ。いや自分の部屋には違い無いのだが違和感を感じるのだ。
 誰かかこの部屋にいる……瞬間的にそう感じて暗い部屋に慣れて来た目で確認すると、俺のベッドの下と言うか脇と言うか隣に来客用の布団が引いてあり、そこに千反田が寝ていた
「……!」
 その時の俺の驚きを想像して欲しい。
『なんで、お前がここに寝ている?』
 俺は声には出さなかったが口はそう動いていた。実は寝姿の千反田を見るのは初めてで、その姿は流石良家の子女の事はあると思った。
 きちんとした格好で寝ている。やや右を下にして横向にした顔はとても安らかな寝顔だ。俺は薄暗い部屋で暫く千反田の寝姿を楽しんでいた。
「う、うん……」
 しまった、俺の気配でどうやら起こしてしまったらしい。
「あ、折木さん……実は下のリビングで寝ていたのですが、寂しいので、引っ越して来ちゃいました」
 薄っすらと笑った優しげな顔が愛しかった。
「熱は如何ですか?」
 千反田が俺の額に手を当てる。
「大分下がりましたね」
 そう言って手を離そうとした処を逆に右手で千反田の手首を掴み、左手で腰に手を回して抱き抱える様に自分のベッドにあげる。自分でも大胆だと思う。
 何と言っても、俺と千反田は未だキスさえ片手でさえ余る程しかしていないのだから。
 抱き上げて、自分の布団の上に下ろす。布団が無ければ俺の膝の上に横向きに抱える形になった。
「折木さん……わたし……」
 何か言いそうな唇に自分の唇を重ねる。
「すまんな風邪を移すかも知れないな……」
「いいえ、構いません。でも折木さん……火の様に熱いです」
「お前も熱いよ千反田」
 両手でしっかりと千反田を抱き締める。
「このまま、朝まで折木さんに抱きしめて貰いたいです」
「ああ、構わないよ」
 千反田が俺の膝の上に乗りながら、ベッドの下にある自分の掛け布団を持ち上げると自分の上に掛けた。
「これで、朝まで寒くありません」
 俺と千反田の間には俺の掛け布団しか遮るものは無いが、今夜はこのままでいたい。本当は一枚の布団に一緒に包まっていたい……でもそれは俺達には未だ……
千 反田も俺の背中に腕を回してお互いに抱きしめ合う。
「わたし、大胆ですか?」
「いいや可愛いよ」
 もう一度キスをすると千反田は俺の胸に顔を埋めて安らかな寝顔を見せた。俺も、このまま寝る事にしようきっと明日には風邪も直っているだろう……

 そのまま俺も夢の世界に落ちて行った。



 了

決断

一昨日に続いて初期の作品です。一昨日の続きとも取れる内容です。

「決断」

 襖を開けて、母のいる部屋に入る。微笑んでいる母に
「お母さん、私ね結婚する事にしたの」
「高校の時の、新聞部にいた人だから……そうあの彼だよ。ウチにも高校の頃一~二度は来た事あると思うから良く知ってるよね」」
 母は微笑んだまま何も言いません。
「だからね、心配しなくて良いよ……安心して……二人で、ちゃんとやって行くからさ……本当だよ」
 私は今まで、母に出来る限りの事をしてあげただろうか? 不自由な思いを、させ無かっただろうか?
 常にその事を考えていました。……わたしは、できのわるいむすめではなかったろうか? 常にその考えが頭から離れはしませんでした……
「ご免ね、これからだというのに……親孝行出来なくて」

 後ろで襖が開き、彼が私に声を掛けてくれます。
「もうすぐ、出棺だからさ……」
「うん、判った。釘打って貰っていいよ」
 私の言葉で、葬儀社の人が母が横たわっている部屋に入り、棺に蓋をして釘を打ち付けます。それが終わると、私と彼と数少ない親戚で母の遺体が入っている棺を担ぎます。
 お坊さんの読経が流れる中を静かに霊柩車に運び込みます。私が助手席に乗り込み、彼がその後のタクシーに親戚と乗り込むのです。
 クラクションが鳴り、家を出発します。家は私の友人が留守番を買って出てくれました。
 火葬場に着き、棺が火葬する場所に運び込まれます。やはり読経が流れる中を、お釜に棺が入れられます。蓋が閉められ、母が煙となって登って行きます。

「よく耐えたね。我慢したよ」
 彼が控え室で、私の横で話かけてくれます。
「うん、ありがとうね。色々頼んじゃって……全部やって貰って御免ね…‥」
「そんな事無いだろう。これからも一緒じゃ無いか」
「うん、でもさ、付き合い出してから、母がどんどん悪くなって、貴方にも随分迷惑かけてさ……」
「気にするなよ。俺はお前が大変だと思う事はみんな代わりにやる積りだったからさ」
「うん、ありがとう。それは判っていたけど、実際は大変だもんね」
「そうでもないよ。傍にお前がいたから……」
「ほんとう? 私すぐ調子に乗るよ」
「嘘なものか! 俺はお前の為だったら何だって苦にならないよ」
 そう言って、彼が私の手を握り締めてくれます。そして、左の薬指の指輪を優しくなでながら
「本当はもっと高いの買いたかったんだけどな」

 そう言って少しだけ残念な思いを打ち明けてくれます。
「ううん、これで充分。だってアパートと私の所と随分往復させちゃったから……」
「随分、必死でバイトしたんだけどな」
「みんな無くなっちゃったね!」
「また、貯めるよ……でも直ぐ卒業だ」
「そうだね……ウチ来る?」
「ああ、そのつもりだよ。置いてくれるかい?」
「私、一人暮しってしたこと無いんだ」
「そうか、確かお父さんは高校の時だったな」
「うん、そう言えばあの時も、香典持ってお焼香に来てくれたね」
「そうだったけ、忘れたな……」
「うそばっかし……」
「バレていたか、思い出したら辛くなると思ってさ……」

 取り留めの無い事を語り合っていると、焼けたと係の人が告げてくれます。お坊さんが読経をしてくれている間に、皆で少しづつ骨を拾って骨壷にいれます。
 最後に係の方が、すくってくれて、残り全部を入れてくれます。一礼をして、箱におさめて、儀式は終わりです。
 帰りは何台かのタクシーに乗り家へ帰ってきます。仕出し屋さんから取り寄せたお弁当を、持って帰る方には持たせ、上がって食べて貰う方はその世話を友人が行なってくれます。
 彼は、先程の火葬場でも裏方さんに心づけを渡したり大変でした。今も、お弁当の数のチェックをしています。
 彼は、あの日、告白してくれた日から確かに私と一緒に歩いてくれました。本当にその生活の全てを私と共に歩む事に費やしてくれたのです。
 残念ながら、母の病は治りませんでしたが、意識があるうちに指輪を見せられた事が救いでした。きっと安心してくれたと思います。
 もうすぐ彼は卒業します。わたし達は籍を入れて、夫婦になります。式や披露宴は喪が明けてお金が貯まったら行います。一人では歩けない道も、二人なら何とか歩ける様な気がするのです。
『お母さん、天国から見守っていて下さい』
 私は心の中でそう思うのでした……

 その時
「お~い、お弁当一つ余ったんだけど、これお義母さんに供えようか?」

 ああ、彼はリアリストなんでしょうか……


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