テケツのジョニー 4

 オイラは場末の寄席のテケツに住む、ジョニーと言うサバトラの雄猫なんだ。寄席で起きる事をこれから話して行くぜ。え、猫が話せるかって? そこは小説の世界じゃないか、堅い事は言うなよな。

 オイラはテケツの姉さんに飼われているのだけど、寄席に来る人間の中にはオイラを可愛がってくれる人も居る。その中の一人に柳亭金魚と言う前座が居る。こいつは女流の噺家なのだが未だ入門してそれほど経っていない。所謂前座という訳だ。オイラに、たまにだがオヤツを買って来てくれてるので、一応贔屓にしてやってるのさ。
 ある日のことだった、金魚が寄席にやって来た。金魚が寄席に来るのは珍しい事ではない。前座の仕事があれば十日間通わなくてはならない。昼席だったら午前十時あたりに入って、トリが終わるのが午後四時半前後だから、掃除等をして夜席の前座に引き継ぐ五時あたりまでは仕事をする。
 一応前座には手当が出るのだが、昼席や夜席を一日勤めたとして千円しか貰えない。昼と夜両方勤めれば二千円になるが、十二時間以上働いて二千円は安すぎる。それが寄席の仕来たりならばオイラが口を出す所では無い。
 その代わり、前座は何かあると師匠や先輩から小遣いを貰える。トリを取る師匠からも少ないが毎日貰えるし、正月などは大勢の師匠からお年玉を貰えるのだ。その他に大きな落語会や師匠や先輩が主催する独演会や落語会等で前座の仕事を頼まれるとそれは別に手当を貰える。この場合は千円では無いらしい。一応かなりの額をくれるそうだ。そんなこんなで前座はやりくりしている。
 それに師匠の家に行けば、ご飯は食べさせて貰えるのが落語界に決まりでもある。だから前座は寄席に行く前に師匠の家に行き、掃除や雑用をして師匠の家族と一緒に朝御飯を食べるのだ。この点で、弟子は師匠よりも師匠の女将さんに気に入られないとならないと言われている。そうだよな、中には師匠より女将さんとの付き合う時間が長い場合があるのだからさ。
 そんな少ない収入の中からオイラにオヤツを買って来てくれるのは金魚だけなんだ。金魚は今日は前座では入っていない。時間的にも中途半端だし、こんな時間に来るのは珍しいと思った。
 金魚はオイラの姿を認めると抱きかかえて
「ジョニー。今日から小金ん師匠に噺を教わるの。旨く覚えられるか傍で見ていてくれる?」
 そんな事を言う。小金ん師匠というのは柳家小金んと言って古典落語の名手だ。金魚とは噺家のおじ姪の関係になる。金魚の師匠が小金ん師匠の弟弟子だからだ。
『何の噺の稽古だろう』
 そんな事を思ったら、金魚はオイラの考えが判ったのか
「あのね。私の名前が金魚だから『金魚の芸者』を覚えて将来のウリにしなさいって言ってくれたんだ。あの噺って今まで誰にも教えなかったのに……。だから私、嬉しくって」
 そうか、「金魚の芸者」というのはオイラも聴いた事はある。要するに金魚の恩返しの噺で、助けて貰った金魚が飼い主に恩返しで芸者になるという噺で、何とも不思議な噺だったのを覚えている。
 オイラからしたら金魚なんぞ、さっさと食べてしまえば良いと思うのだがな……他の猫から聴いた限りでは、どうやら金魚は余り美味しくないらしい。
 金魚はオイラを床に放すと鞄から何やら取り出した。どうやらオイラの好きなオヤツらしい。
「ジョニー。これは傍で聴いていてくれるお礼代わりよ」
 金魚は、オイラのオヤツ用の小皿にペースト状のものを流し入れてくれた。肌色のそれは怪しくオイラには映る。これは「チュールー」と言ってペースト状の猫のオヤツなんだ。抜群の旨さで、オイラはこれが大好きなんだ。
「さ、食べて!」
 出された小皿をオイラは遠慮なく食べる。旨い! 本当に旨い。世の中にこんなに旨いものがあるなんて、向かいのパチンコ屋の猫のサガシやこの辺りを縄張りにしている野良のパピヨンには判るまい。極楽極楽!
「じゃぁお願いね!」
 金魚はそう言うと稽古部屋に上がって行った。姉さんが来て
「ジョニー美味しいもの貰って良かったね。ちゃんと仕事するのよ」
 そんな事を言って背中を撫でてくれる。背中は尻尾の付け根あたりを撫でられると堪らなく気持ち良いのさ。姉さんはその辺りも良く判っているな。
 やがて小金ん師匠がやって来た。今席は昼席の中入りとなっている。中入りはトリの次に重要な出番で、これも大事な役となんだ。
「おはようございます! お疲れさまです!」
 寄席の従業員や帰ろうとしていた噺家や芸人が一斉に声を揃えて挨拶をする。それを見ただけでも小金ん師匠の人望や地位が判ろうと言うものだ。
 勿論、着物に着替えていた金魚も出て来て挨拶をする。そんな金魚を見た小金ん師匠は
「出番が終わったら、稽古部屋に行くから待っていなさい」
 そう言って楽屋に消えて行った。
 金魚はオイラを抱きかかえると二階の稽古部屋に向かった。階段を登りながら
「小金ん師匠は普段は優しいのだけど、稽古の時は本当に厳しいんだよ」
 以前、金魚から聞いた話では、金魚の最初の稽古は小金ん師匠がつけたそうだ。何でも金魚の師匠は自分の変な癖が移ってはいけないと言う事で、最初の稽古は兄弟子の小金ん師匠に頼んだそうだ。だから金魚は小金ん師匠の厳しさも良く判っているのさ。

 小金ん師匠の噺が終わり前座の「お中入り~」という声が太鼓の音と共に寄席全体に響き渡る。緞帳が降りて休憩になる。この時間は寄席によって若干違っていて十分が普通だがウチは十五分となっている。十分ではこの時間にお弁当を食べる人でも時間が足りないのと、休憩時間が増えれば売店の品物もそれだけ売れるというものらしい。
 稽古部屋で金魚の膝に抱かれながらも、聞こえて来る声で寄席の様子は判るのさ。
 すると着物姿のままの小金ん師匠が稽古部屋に入って来た。本当はお互いに着物姿でなくても良いそうだが、小金ん師匠は拘るみたいだ。確かに着物に着替えれば噺家も気合が入るというものなのだろう。
「よろしくお願い致します」
 金魚は畳に手をついて頭を下げた。
「じゃ始めようか」
 小金ん師匠の声に金魚はバックから小型のラジカセを取り出した。師匠にもよるが、小金ん師匠は録音を許可しているみたいだ。中には許さない師匠もいる。
 金魚が録音の赤いボタンを押すのを確認して小金ん師匠は語りだした。今日は最初だから金魚が話すことは無い。
 噺が進む……。やがてサゲになった。
「声が(鯉が)いいねえ~」
「元が金魚ですから」
「お粗末さまでした」
 サゲを言って噺が終わった。
 金魚が頭を下げる。その後、この噺の注意点が小金ん師匠によって金魚に語られた。その内容は企業秘密になるので詳しくは書けないが、オイラにとっても面白い内容だった。
「兎に角、あたしとしては、折角、師匠が金魚という名前をつけたのだから、この噺を受け継いで欲しくてね」
「ありがとうございます! 必ずものに致します」
「うん、ちゃんと録れているね。稽古するんだよ」
「はい! ありがとうございました!」
 その後、小金ん師匠は楽屋で着替えて出口に向かった。そこまで見送る金魚。寄席ではもうすぐトリの師匠が上がろうとしていた。
 夏の夕日がやけに眩しく感じた日だった。

テケツのジョニー 3

 オイラは場末の寄席のテケツに住むジョニーと言うサバトラの雄猫さ。オイラの飼い主はこのテケツの主の姉さんさ。姉さんはオイラにとても優しいのさ。え、美人かって? そんな人間の価値観にはオイラは興味が無いが、姉さんからは何時も得も言われぬ良い匂いがするんだ。オイラはこの匂いを嗅ぐと不思議と気持ちが優しくなるのさ。姉さんの膝の上がオイラにとっては極楽なのさ。
 寄席には色々な部屋があるんだ。オイラは子供の頃からこの縄張りである寄席を探検して知り尽くしている。主な部屋には、まず客席だな。寄席の席亭の親爺さんによると二百五十人ぐらいは入るらしい。それと高座だな。ここは芸人が出て芸を披露する場所さ。彼らにとっては神聖な場所らしい。それと続いているのが楽屋と三味線や太鼓を鳴らす人が詰めている部屋がある。ここには三味線の師匠や前座が詰めていてそれぞれに合ったお囃子を鳴らすのさ。
 寄席の楽屋だが、他の寄席に出た経験のある芸人や噺家によると、どこもそれほど大きくは無いらしい。それは寄席の出番は長くても三十分ほど。大抵は二十分も無い。だから自分の出番が終わると、芸人や噺家はさっさと帰ってしまう。何時までも楽屋に残る事は殆ど無いのさ。だから劇場みたいに大きくは必要無いのさ。でもここは余所よりも大きいらしい。それはここがその昔は大衆演劇の劇場だったからなんだ。オイラは知らないけど、何でも先代の席亭が当時の噺家協会の会長に頼まれて寄席に変えたそうなんだ。その事があったから、噺家協会はこの寄席には結構評判の良い噺家を回してくれるそうだ。これは親爺さんが言っていた事さ。
 その楽屋とは別に稽古をする部屋があるんだ。これは、ある寄席と無い寄席があるそうだが、ここは件の事情から楽屋の部屋数が多かったので、その一つを稽古部屋にしている。 これは何なのだと言うと、前座や二つ目の噺家が噺の稽古を受ける時には基本はその教わる師匠の家に行き、掃除をしたりしてから稽古をつけて貰うのが筋だそうだが、最近はマンション暮らしの噺家も多いし、皆、家が狭いので稽古を付ける場所も無いそうだ。だった考えてもごらんよ。部屋だけあっても駄目で、静かでなければならない。稽古を付けている隣で洗濯機が回っていたり、掃除機の音がしたら稽古にならないだろう?
 だから静かな空間が必要なのさ。その点、寄席の稽古部屋は打ってつけなのさ。静かで誰の邪魔もされないからな。

 今日も稽古部屋では前座の柳亭金魚が稽古を付けて貰っている。教えているのは浮世亭伸楽師匠で、古典落語を演じてる噺家では中堅どころさ。オイラはそっと天井裏から覗く事にした。金魚はドジな奴で年中兄さんの先輩や師匠から小言を貰っている。素の奴は良い奴なのさ。オイラにも気を使ってくれるしな。たまにだが、少ない小遣いを叩いて猫用のオヤツを買ってくれる。だからオイラとしても気になるのさ。伸楽師匠の稽古は噂では結構厳しいらしいからさ。
 姉さんの膝を降りて二階に登る階段に向かう。稽古部屋は二階にあるんだ。
「あらジョニーどうしたの? 稽古部屋に行くの? 邪魔しては駄目よ」
 姉さん。オイラだって寄席の猫さ。そんな野暮な事はしねえから安心してくれ。
 オイラはそう言って(姉さんに通じたかは別だが)階段を登り始める。二階のトイレの流しの上が天井板が剥がれていて、そこから天井裏に登れるのさ。天井裏に登れる場所は他にもあるのだが、それはオイラだけの秘密さ。なんせ秋になると鼠が進入してくるから、そいつらを追い出す必要があるのさ。これでもオイラは猫だからさ、人間からはそんな期待も掛けられているのさ。
 天井裏を進むと僅かに明かりが漏れている所がある。そこが稽古部屋さ。その上にそっと近き覗いて見る。
 すると、伸楽師匠が座布団に座って、その前に金魚が畳に正座している。どうやら今日は三回稽古の三回目で、金魚が伸楽師匠の前で教わった噺を出来るか試されているみたいだった。これは見ている方も緊張しますよ。
「『旦那さん、お使いに行って来ましたよ。あれ……誰も居ないなぁ。どうしたのかしら? ああ、味噌豆、美味しそうに煮えてるじゃないか、そうだ、誰も居ないなら少し食べても判らないだろう』定吉はそばにあった小皿に煮えた豆をよそると、小皿を持って何処で食べようか探し始めました。何処にも見つからなかったのですが、『ああ、あそこにしよう』そう言って憚りの扉を開けるとそこには旦那が! 『定吉どうした?』思わず『旦那、お代わりを持って来ました』」
 どうやら「味噌豆」という前座噺だ。金魚は台詞はちゃんと言えたが仕草が駄目らしい。伸楽師匠に
「そんな食べ方じゃ、豆が美味しそうに見えないだろう。自分で鏡で見てごらん。お客が見て食べたくなるような仕草をしなくては駄目だ」
 確かに、それは言えるとオイラも思った。猫のオイラにも美味しそうに見えれば合格なんだろうな。未だ先は長いな。頑張れ金魚!
 あ、言っておくが金魚は女の子だからな。間違えるなよ。 何でも、昨年高校を卒業して入門したそうだ。色々なセクハラに耐えて頑張ってるのさ。応援したくなるだろう?
 じゃまたな!
 

テケツのジョニー 2

 オイラは場末の寄席に住む猫さ、人はオイラの事を「ジョニー」と呼んでいる。どうやらそれがオイラの名前らしい。社長で席亭の親爺さんは「縁起が良い」とオイラを認めてくれた。そうさオイラはこの寄席の生きる招き猫なのさ。
 ある日の事だった。寄席が終わって従業員で掃除をしていると、奇術の珠菜がやって来て、オイラの飼い主の姉さんに何やら話し掛けた。どうやら何か相談があるらしい。姉さんは自分の住処であるテケツの部屋のドアを開き
「掃除が終われば皆帰るからここで待っていて。もうすく終わるからね」
 そう言って珠菜を部屋に案内した。珠菜は
「すいません。こんな時間に来てしまって……」
 そう言って恐縮していたが姉さんは
「いいのよ。寄席が終わってからじゃないと、ゆっくりも出来ないから」
 気にも止めていない感じだった。そう姉さんは優しいのいさ。
 掃除が終わると従業員のほとんどは帰ってしまう。姉さんは切符の売り上げを若旦那に預けるとテケツに居る珠菜を呼んだ。
 実はこの寄席のテケツには続き部屋があって、そこで姉さんは休憩を取ったりしている。四畳半ほどしかない狭い部屋だがここはこの寄席でも姉さんだけの空間だ。オイラもここで寝泊まりしている。尤も、昼間のほとんどは姉さんの膝で寝ているのだけどな。その四畳半の部屋に珠菜を座らせると
「わざわざ来たと言う事は何か悩み事があるのじゃない?」
 姉さんはそんな事を言って珠菜が言いやすい様に誘い水を向けた。
「実は、相談に乗って欲しくてここに来ちゃいました」
 やはり珠菜は何か悩みがあったのだ。下を向いていたが、やがて意を決意してように話し出した。
「実は、最近テレビに出ているのですが、最初は出られると言う事だけで満足していました。バラエティーですが周りは売れっ子ばかりで、そんな中に自分が居ると言う事が嬉しくて舞い上がっていました」
 珠菜のテレビはオイラも少し見た事がある。あまり感心は無いのだが、それでも知り合いが出ているので感心があったのだ。
「そうねえ。売れっ子になって行く珠菜ちゃんを見て私も嬉しかった」
「はい、この寄席に見に来て、奇術の世界に入りたくてたまらなかった所を姉さんに師匠を紹介して戴いて本当に感謝しています」
 この事はオイラも初めて知った。そうか、姉さんが紹介して珠菜はこの世界に入ったのか。だから色々な事があると相談に来るのかと思った。
「でも、色々な番組に出て判ったのですが、自分は奇術師として呼ばれている訳では無く、一人の女性タレントとして呼ばれているのだと思いました。ミニスカートを履かされ、体の線が露わになる服を着させられ、壁際に並んで座らさせる事が殆どで、要するに色気を売るなら誰でも良かったのだと思いました。そう考えると何か空しくなって……」
 まあテレビなんぞは要するにタレントは使い捨てなんだろうな。オイラにはどうでも良い事だがな。
「珠菜ちゃん。テレビで色気を売るのは嫌? 最初は誰でもそうじゃ無いかしら。今は世界的に有名なあのマジシャンも最初は際どい衣装を着て舞台を努めていたわ。私は子供だったけど、それでも覚えているわ。今なら信じられないでしょうけど、最初はキワモノ扱いだったのよ。テレビ番組で司会から振られる事は無いの?」
「たまにありますけど、殆どは関係の無い事ばかりです」
「そうのうち、きっと『珠菜ちゃんは本業はマジシャンなんだって』って訊かれる事があると思う。その時に簡単に出来る手品を見せれば良い機会になると思う。それまでは耐えて行かないと」
 確かにテレビと言うオイラにはどうでも良い世界だが人間には大変な所に出ているのなら、それはそれで凄い事なのかも知れない。今は不本意でもやがてそれを逆転するチャンスも来る様な気がするのはオイラだけでは無いだろう。要はそのチャンスを逃がさない様にするのだ大事だと思う。ウチの寄席には滅多に来ない売れっ子噺家が高座で『幸せの神様は前にしか髪の毛が無いから逃がすと捕まえられない』なんて言って笑いを取っていたが、それは本当なのだろう。
「言われて始めて判りましたが、私、焦っていました。どうかしてました。テレビ番組に出ていると色々な人が声をかけて来ます。少しチヤホヤされていたのに気が付きました。自分が何者か、自分の本業が何か忘れそうでした。常に自分が何者かを理解していればチャンスは巡って来るのですね。ありがとうございました。すっきりして迷いが取れました」
 珠菜はすっきりした表情で部屋を出るとオイラの方を向いて
「ジョニー。今の事は内緒だからね」
 そう言ってオイラの頭を撫でて帰って行った。姉さんはオイラを膝に乗せて背中を撫でながら
「才能のある子に限って迷いとか焦りが出ちゃうのよね。でも、それを耐えれる者だけが、階段を登る事が出来るのよね」
 姉さんの言う事はオイラには未だ難しいが何となく判る気がした。
「そうだ、ジョニー今日はいい子だったから、おやつをあげようね」
 姉さんはそう言ってオイラの大好きな猫のおやつをくれた。オイラの幸せな瞬間さ。
 その後、珠菜は関西弁を話す大物司会者から番組で声を掛けられ、その時に手のひらで花を咲かせて見せて司会者から誉められ、それが契機になり奇術師として売れ初めたのだった。今や次世代を担う一人となっている。

テケツのjジョニー 1

テケツのジョニー オイラは少し銀色かかったサバトラの雄猫さ。英語では「silver tabby 」とか言うらしい。大体生まれて一年ぐらいになるかな。生まれて目も開かないうちに捨てられていたところを、ここのテケツの姉さんに拾われたんだ。
 姉さんは、体温の下がったオイラを温めてくれて、猫用のミルクを呑ませてくれた。オイラにとっては命の恩人なんだ。
 なに「テケツ」って何だって?
「テケツ」と言うのは寄席の切符を販売してる窓口のことさ。チケットが訛ったらしい。そう、オイラはこの場末の寄席に住んでる猫なのさ。
 ここは東京の下町。場末と言い換えても良い場所で、二十三区内なのに都心に出るのに一時間近く掛かると言う。親父さんこと、この寄席の席亭が言っていた言葉さ。
 親父さんはいい人で、姉さんが拾って来たオイラを飼うことを許してくれたんだ。何でも
「こいつは招き猫になるから縁起が良いじゃねえか」
 そんな事を言ったらしい。話の判る人なんだ。
 基本的は寄席の営業時間は客席には入らない。オイラが出入りなぞしていたら芸人も客も気が気出ないし、調子も狂うだろうから、客席には入らない。テケツに居るか、それとも好きな芸人が来た時は楽屋で大人しくしているのさ。
 この寄席は上席と中席は噺家協会と噺家芸術協会が交代で芝居を行っている。芝居って言ったって本当の芝居をしてる訳じゃ無い。興業を行っている事を業界では「芝居を打つ」と言うのさ。
 上席は一日から十日まで、中席は十一日から二十日までの期間を言うのさ。その次の二十一日から三十日までの事を下席と言う。他の寄席ではこの期間もどちらかの協会が芝居を行ってるがウチはこの期間は貸席となる。つまり噺家や芸人が借りて独演会をやったり落語会を行ったり。芸人がライブを行ったりするために貸すのだ。三十一日まである時は「余一会」と言ってウチが独自の番組を編成してる。この時は協会に関係なく噺家や芸人が出るのさ。こんな感じで日常は過ぎて行くのさ。

 今席はオイラが認めている噺家の蕎楽亭浮世(きょうらくていうきよ)が出ている。本当は客席で聴きたいが、そこは我慢しなくてはならない。テケツでは客席の模様がモニターされているので、テケツに居れば様子が判るのだ。だけどオイラは浮世に挨拶をしに楽屋に向かう
「あらジョニーどうしたの、何処に行くの?」
 姉さんごめんよ。ちょっと楽屋まで行って来るぜ!
「ああ、楽屋に行くのね。皆さんの邪魔しちゃ駄目よ」
 姉さん。そんなことは判っているぜ。そんなドジはしねえよ。オイラは頭でテケツのドアを開けて楽屋に向かう。この寄席の楽屋は高座の後ろにあるから脇の通路に一度出てから向かう。楽屋の入り口で奇術の照艶斉珠菜(しょうえんさいたまな)とあった。この子は今売りだしの奇術師でたまにだがテレビにも出る。
「あらジョニーじゃない。今日はどうしたの……ああ、浮世兄さんが来てるからね。ジョニーは浮世兄さんが好きだからね」
 珠菜ちゃんよ。勘違いしては困るぜ。オイラが好きなのはテケツの姉さんだけさ。後は好きと言うよりオイラが認めていると言った方が正解だな。浮世はこの先必ず大物になるとオイラは踏んでいるのさ。
 珠菜ちゃんんが楽屋の入り口を開けてくれたので一緒に入る。浮世は鞄から着物を出している所だった。今日は黒紋付に水色の柄の着物らしい。浮世に合ってると思った。オイラが傍に寄ると浮世は
「お、ジョニーか、今日も頑張るから宜しくな」
 そう挨拶をしたのでこちらもひと声鳴いて挨拶を返す
「ニャーン」
 我ながら上手く鳴けてたと思った。
 浮世は着物や長襦袢を衣紋掛けに掛けて吊るすまでオイラは近くに寄らない。それはオイラの毛が着物に移っては困るからだ。浮世にそんな恥は掻かせられない。
 準備が終わると浮世は畳に座る。そして膝にオイラを乗せて背中を撫でながら今日の演目を考えるのが日課になっている。
「ジョニー。今日は何にしようか?」
 ここでオイラが何か言っても仕方ないので黙っていると、やがて考えが纏まったみたいだ。前座が来て着替えの手伝いをする。この時はオイラは少し離れて見ている。着物を来たら高座を降りて着物を脱ぐまで近くには居られない。それぐらいは寄席で暮らす者として理解しているのさ。
「浮世師匠、出番です!」
 前座の声に促されて浮世は楽屋を出て高座に向かう。オイラはテケツに戻って姉さんの膝で今日の浮世の噺を聴く。どうやら今日は「宮戸川」らしい。夏の噺で若い二人が恋に落ちる噺だ。これは若手がやると華があっていい。勿論ベテランにはベテランのやり方があるので、それはそれで悪くはない。
 この噺は浮世に合っているのだろうと感じる。難しい事は判らないが人物が生き生きと感じるのはオイラだけでは無いと思う。姉さんも
「今日の浮世ちゃんはいい出来ねえ」
 そんな事を言いながら一緒に聴いていた。
 浮世の今日の出来は良かったみたいだ。七割ほど入った客席がかなり沸いていたからだ。浮世は昨年に真打になったばかりの若手噺家だ。でもオイラはそのうち良くなり将来は名人と呼ばれると睨んでいるのさ。
 楽屋の出口で待ってると着替え終わり次の仕事場に向かう浮世が出て来た。
「ジョニー。お前を抱くとかならず上手く行くんだ。ありがとうな。また明日な」
 浮世はそう言って寄席を後にした。
 この昼席のトリは三光亭圓友と言って中堅の噺家だ。オイラは噺は余り上手く無いと思っているがテレビに出ているので人気がある。そのおかげでトリが取れるのだ。その圓友が入って来た。売れてる芸人らしくピカピカの格好をしている。そう芸人は汚い格好や地味な格好をしてはならないとされていて、特にそういった連中の事を「ヨゴレ」と言って。余り同業からも好かれない。それは、その連中を誰かに紹介した時に格好が汚かったり、みすぼらしいと紹介し難いからだ。だから芸人は格好にも気を使うのだ。思えば大変だと思うぜ。オイラなんか生まれて一生この格好だからな。
 トリの圓友が終わり打ち出しの太鼓と共にお客が一斉に出て来る。この寄席は昼夜通しなのだが八割以上が昼だけで帰ってしまう。三十分の休憩の後に夜席が始まるのだ。
 お客が帰ってしまった客席をオイラも覗いてみると残っていたのは五人ほどだった。どうやら学生らしい。時間があるのだろうと思った。
 寄席の従業員こと若旦那が入り口に打ち水をして客を呼んでいる。これから夜席が始まる。こうして一日が過ぎて行くのだった。

浮世絵美人よ永遠に 第二十一話  未来へ (終)

6d4d26c1eb00c5086ca9facab2ab26a9 北斎さんを見舞ってからセンターに帰って来た。転送装置のオペレーターに尋ねると、さきはまだ帰って来ていないとの事だった。行った年が年だからその任務が気になった。仕方ないのでセンター長に尋ねに行くと
「まあ、帰って来れば判る事だが、実は目的は二つある。一つは、広重さんの事だ」
 センター長は俺に椅子を進めながら慎重な口振りで話出した。
「君も知っての通り、広重さんは安政五年にコレラで亡くなっている。あれだけの絵師だ。組織の力で治して未来世界でその後も描いて貰うと言う事も出来ると考えて、さき君に広重さんにその意志があるかどうかを尋ねるのが、まずひとつ」
 要するに蔦屋さんのような処理をすると言う事だ。これは一種の賭のようなもので、広重さん自体もう幕末の江戸には帰れない。蔦屋さんも正式には亡くなった時代には帰っていない。それはその人物を知っている人が余りにも多いからだ。だからこの前の任務では蔦屋さんは時代を遡っただけだったのだ。これはその時代の人物と出会わなければ事が済む。
「それでもう一つはどんな任務なのですか?」
 秘書がお茶を運んで来てくれた。そう言えば喉が乾いていたのを思い出した。それを一口飲むとセンター長は
「もうひとつはお栄さんの事だ」
「お栄さんの事ですか?」
「ああ、歴史的にはこの頃から行方が判らなくなってるが、それには理由がある」
 センター長の言葉で俺は、お栄さんの事に関する任務と言うのが何となく判って来た。
「まさか、連れて来ると言うのですか?」
「そう、その通り。本人の希望でもあるからな」
「希望ですか?」
「ああ、北斎さんが亡くなって、後片づけも終わった。それなら江戸に住まいを構える事もない。と言う事らしい」
「蔦屋さんは何と?」
「蔦屋さんも同意だ。転送すれば自由に江戸に行ける。二人して、これから物騒になる街に居続ける事もない」
 確かに、組織の仕事なら何処の世界に住んでいても一向に構わない。
「それで、二人の希望は?」
「君やさき君が住んでる時代より先の世界だそうだ。場所は日本。組織は既に家や土地も用意してある。二人の仮の戸籍も手配済みだ」
 組織は別な時代の人間を別な時代に住まわせる時にその人物の戸籍を偽造する。俺とさきが結婚する時にもやって貰った。
「何だ、もう終わってる事なんですね」
 面白そうな仕事だから俺も一枚噛みたかった。
「まあ、君にはまだ色々な仕事が残っている」
 センター長はそう言ってニヤリとした。
「何ですか?」
「向こうでも時代が進んでいるから言ってしまうが、君とさき君と蔦屋殿には北斎さんの葬儀に参列して欲しい」
「確か嘉永二年でしたよね」
「そうだ。お栄さんの事もあるから、明日にでも行って欲しい。蔦屋殿にも連絡済みだから、明日の朝に向こうで落ち合って欲しい」
「分かりました」
 そう返事をした所に、さきが戻って来た。
「光彩さき、ただ今戻りました」
 さきは俺の姿を確認すると、ニコッと笑ってみせた。
「ご苦労さま。それで、どうなった?」
 センター長が結果を急ぐ。それは俺も同じで、さきの返事次第では日本画の歴史が未来世界では変わる可能性があるからだ。
 さきは、進められた椅子に座ると、やはり出されたお茶を一口飲み
「結論として、広重さんは寿命を全うすると言う事でした」
 しっかりとそう言った。
「では、こちらには来ないと言う事なのだね」
「はい、広重さんは、『自分の寿命がそうなっているなら、それに逆らいはしませぬ。それが神から与えられた寿命ですから。それにあの世で北斎殿を初め諸先輩方に逢えるのも楽しみでございます。唯一の心残りの【江戸百景色】も弟子の重宣が完成させてくれるなら、何もありませぬ』と言う事でした」
 さきは落ち着いていた。俺は多分、そのように選択するとは思っていたが、それでも、もしかしたらと思っていたのだった。
「仕方ないな。何より本人の意志が最優先だからな。それでもう一つの方はどうなった」
 それについてさきは
「それも準備が整い次第、移転する手筈になっています」
「それで移転するのはいつ頃の年代なんだ?」
 俺は思わずさきに尋ねてしまった。
「わたしとあなたが住んでる世界より百年後の二十二世紀初頭です。まだ人類は時間の転送には成功していませんが、世界は争いの無い時代へと変わりつつあります。そんな躍動的な時代に身を置きたいのだそうです」
「二十二世紀かあ……」
 俺とセンター長が同時に呟くと
「二人とも何を言ってるのですか、我々にとっては時代を登るのも下るのも思いのままではありませんか。隣街に住んでるような物ですよ」
 さきの言った言葉が全てだと思った。

 北斎さんの葬儀はそれは見事なものだった。江戸の名士が続々と列席したし、見物人も物凄かった。俺たち三人は一般の人間として葬儀に参列した。組織からと各個人の香典を持って行ったのは言う間でもない。蔦屋さんは事実上の夫婦だが、江戸の人別帳では、お栄さんは独身となってるので身内として並ぶ訳には行かなかった。それと、あらぬ誤解を受けない為だった。
 この時の蔦屋さんはこの時代に住んでいる蔦屋さんで、別の時代から転送して来た訳では無かった。それなりに歳を取っていた。
 葬儀が終わると蔦屋さんは
「実は、未来世界へ移る事ですが、もう移ろうかと思っております。用事がある時だけ江戸に来れば良いと思っております」
 確かに、合理的に考えれば、その方が便利だし無理はない。
「繋ぎは、坂崎殿がやってくれると言う事ですし、それなら江戸に留まる必要もありませぬし」
「そうですね。それは自分も賛成です。さきはどう思う?」
 俺に振られてさきは
「そうですね。組織としては既に何時でも移って構わないと準備も出来ていますからね」
 これも、そう言って納得した。
 結果的には色々な事を整理出来次第、移転する事になった。

 それから二ヶ月はこれらの仕事に関わって忙しくしていた。そんなある日だった。珍しく、さきが起きられずに居た。俺は心配しながらも
「どうする、休むか? 医者に行けるか?」
 等と本人に訊いていた。すると
「医者に行って診断して貰いますから、もしかしたら今日は仕事にならないかも知れないので、休むと伝えて於いて下さい」
 そんな返事が返って来た。
「判った」
 こちらもそんな返事をして出勤した。勤務先は八重洲の事務所兼ギャラリーだ。
 その日は特別な事もなく定時で仕事を終えて帰宅する。玄関を開けると、さきが玄関先で待っていた。
「あれ、どうした? 具合はどうなの?」
 俺の質問にさきは、下を向いたまま
「病気ではありませんでした。この前から何かだるくて食欲も余り無い状態でしたので、風邪かと思ったのですが……やっと宿ったみたいです」
 真っ赤になりながらも嬉しそうに言う。俺は、直ぐには言葉も出ず。言葉より先に目から涙が溢れ出していた。それを見たさきも涙を流す。
「そうか……ありがとう!」
 それしか言葉が出なかった。そっと、さきを抱きしめた。
 後の世で世界を救うと言われている子かも知れなかった。

 その後、さきは産休を取り、無事に子供が産まれた。元気な女の子だった。この子がどんな子になるのかは判らないが、俺たちはこの子をちゃんと育てる義務がある。それは親としてだけでは無く、社会の先輩としても同じなのだ。
 蔦屋さんとお栄さんは未来の世界で上手くやっているらしい。用事があると江戸にやって来る。仕事でたまに逢うが、未来でもお栄さんの絵は評価が高いと言う事だった。
 思えばひょんな事からこの世界に入った俺だが、何とかここまでやって来られた。それは周りの人のサポートがあったからだ。それを忘れてはならないと思う。ひとまずこれで俺の話を終えたいと思う。

                <了>

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